第344話 Sランク冒険者

「おはようございます、ケント・コクブ様」

「うひゃ、お、おひゃようございます」

「ナシオス様がお待ちです。御案内いたします」

「はい、どうも……」


 バルシャニアで爆剤のレクチャーを行った翌日、オークションを見学する為にブライヒベルグを訪れました。

 会場の場所を教えてもらおうと、ギルドの受付に向かっていたら、いきなり耳元で挨拶されて、変な声が出ちゃいましたよ。


 声の主は、ブライヒベルグの領主ナシオスさんの秘書で、キレ者の猫耳お姉さんブランシェさんです。

 ていうか、一体どこで監視してたんですか。

 忍者なの? くのいちなの?


 まぁ、僕としては混雑した受付の列に並ぶ必要が無くなったので助かりましたけど、ブランシェさんと付き合う方は浮気とか絶対に無理でしょうね。

 あぁ、だから行きおく……うひぃ、睨まれました。


「ケント様、何か……?」

「い、いいえ、何も……」


 ヤバかったです、殺られるかと思いました。

 案内されたのは、ナシオスさんの私室っぽい部屋ではなく、一般来客用の応接室でした。


 そして、応接室ではナシオスさんとテーブルを挟んで、見覚えのある人が腰を下ろしています。


「おはようございます。ナシオスさん、ブロッホさん」

「やぁ、待っていたよケント君」

「久しぶりだね。クラーケンの討伐、お疲れ様」


 ナシオスさんと談笑していたのは、フェアリンゲンの領主ブロッホさんです。

 この時間にブライヒベルグに居るのですから、昨日のうちに来て、何か打ち合わせでもしたのでしょう。


 でも、ブロッホさんの口振りだと、試験航海が終了したのを知っていそうですね。


「あれっ、もう試験航海の船がコクリナに着いた話は、こちらまで届いているんですか?」


 僕の言葉にナシオスさんとブロッホさんは、一瞬顔を見合わせた後で、ユニゾンで返事をしました。


「そりゃ、本当かね!」

「はい、もう一昨日になりますけど、無事にコクリナの港に到着しました。あちらからも二艘の船が出発していますから、ジョベートはまた元の賑わいを取り戻すはずですよ」

「おぉぉ、これはもう、気合いを入れてクラーケンの魔石を落札するしかありませんな」

「えっ、ブロッホさんもオークションに参加されるのですか?」

「えぇ、参加しますよ。クラーケンの魔石は是非とも手に入れたい」

「でも、ブロッホさんはフェアリンゲンの領主なんですよね?」

「ケント君、例え領主であっても、他の領地のオークションならば参加出来るのだよ」


 視線を向けたナシオスさんは、その通りだと頷いています。


「もしかして、クラーケンの魔石は海の向こうへの輸出に使おうと考えてらっしゃるのですか?」

「ほう、さすがはSランク冒険者だね。ただし、商売相手として考えているのは、シャルターン王国だけではないんだよ」

「と言いますと、分割、加工して販売するって事ですか?」

「現物を拝見したが、あのような深い蒼色をした魔石は見たことが無い。それが、何を意味するか分かるかね?」

「加工してもクラーケンの魔石だと分かる……?」

「その通り。私は、クラーケンの魔石を彫刻やアクセサリーに加工して販売するつもりなんだよ」


 クラーケンの魔石が貴重なのは言うまでもありませんし、落札価格を元に確実に利益が出る値段を付けても売れるだろうという目論みなんでしょうね。


「ケント君、私はクラーケンの魔石の加工品をシャルターン王国との交易の目玉にしようと思ってるんだ。討伐不能とされているクラーケンの魔石、交易に関わる者ならば縁起の良い品物として手に入れたいと思うだろう?」

「あぁ、なるほど……確かに、そう考える人はいるでしょうね」


 意地の悪い考え方をすると、クラーケンが復讐するために寄って来るんじゃないか……とか思っちゃいますけど、それを口にするのは無粋ってもんですよね。

 クラーケンの魔石は、午後の部の最初に出品されるそうです。


 今日のオークションに参加する人の多くは、あわよくば……と考えている人ばかりでしょうから、クラーケンの魔石のセリまでは、極力手持ちの資金を温存したいと思っているでしょう。

 順番を最後にしてしまうと、他の商品の値段が上がらなくなります。


 かと言って、一番最初に終らせてしまっては、客寄せの効果が薄れてしまいます。

 まぁ、僕が心配することではありませんが、他のオークションも盛り上がってもらいたいものですね。


 オークションはギルドに隣接する劇場で行われるそうです。

 この劇場は、商業演劇の舞台としても使われますが、学術論文の発表会や、商取引に関する新しいルールの説明会などでも使われている、いわば多目的ホールのようです。


 イロスーン大森林の通行が止められ、物流がストップした際に、影の空間経由の輸送方法についての説明もここで行われたそうです。

 舞台の上のオークションに掛けられる品物が引き出され、観客席に座った人達が値段を表明して競り合います。


 フェアリンゲンの領主ブロッホさんは、秘書の方と一緒に観客席の中央に陣取っています。

 僕はと言えば、ナシオスさんと一緒に、会場を見渡せる警備用の部屋で見物させてもらうことになりました。


 会場となった劇場は、座りきれずに立ち見の見物客が出るほどの盛況振りで、舞台の前に配置された警備員達は緊張した表情を浮かべています。

 クラーケンの魔石は、持ち込んだ翌日からギルドのホールに展示されていたそうで、連日多くの見物客が訪れていたという話です。


 魔石を実際に見て、何としても手に入れたいと思った資産家達が中央付近の座席に座り、通路で立ち見をしている人達は、どれほどの値段がつくのか見物に来た人達のようです。


 オークションは、鑑定価格の安い物から始められました。

 一般の人達でも手の出しやすい価格の品物を、競売人が言葉巧みに競りに掛けていきます。


 オークションの醍醐味は、他の参加者との駆け引きであり、それに勝って希望の品物を希望の値段で手にすることにあります。

 この競るという行為に、ただ見物に訪れただけの人達までも巻き込んで、値段を吊り上げていく競売人の手腕は見事です。


「良い感じに盛り上がっているように見えますね」

「あぁ、クラーケンの魔石までは、このまま順調に盛り上がると思うよ。問題は、その後だね。クラーケンの魔石を落札しそこねた人達が、そのまま残って他の品物の競りに参加してくれるかどうか……まぁ、こればかりはやってみない事には、私にも分からないよ」


 そう言いつつも、ナシオスさんの表情には余裕が見えます。

 一方、オークションに参加する側のブロッホさんは、何やらメモを取りながら厳しい表情で舞台を見詰めていました。


「ブロッホは、本当に真面目な男でね。私やクラウスなんかより、何倍も立派な領主なんだよ。今回のクラーケンの魔石も、単純な金儲けのためじゃなくて、地場産業の振興策の一環なのさ」

「地場産業ですか……?」

「あぁ、フェアリンゲンを流れているエルロワーヌ川の上流では、良質な翡翠が産出していたのだが、近年は良質な石は減ってしまって、関連する産業が衰退しつつあるそうだ。クラーケンの魔石は、翡翠の加工業者達に卸して、苦境から脱出させる手助けにするつもりなのだろう」


 翡翠を加工する技術はあるのに、加工する良質な翡翠が無いので、クラーケンの魔石を代用品として使うつもりみたいです。

 個人のコレクションならば、落札し損ねても諦めはつくかもしれませんが、領地の人々の生活が掛かっているとなれば、真剣なのもとうぜんですね。


 午前のオークションが終わった後、ナシオスさんと昼食を共にしましたが、ブロッホさんは参加者と主催者が直前に食事を共にしている姿を見られたら、あらぬ疑いを招くと別の場所で一人で食事を取るそうです。


「ブロッホさんは、本当に真面目なんですね。クラウスさんだったら、言いたい奴には言わせておけばいいんだ……とか言って、一緒に昼から一杯やってそうですよね」

「はははは、その通りだ。さすがにベアトリーチェちゃんを嫁に貰うだけのことはある、良く分かってるな」


 ナシオスさんから、クラウスさんの昔の逸話を聞かせて貰いながら、昼食を済ませ、いよいよ午後のオークションの時間となりました。

 会場は、盛況だった午前中よりも一段も二段もボルテージが上がり、ピリピリと空気が張り詰めています。


 会場からは、中に入れなかった見物客が溢れ、劇場の外では落札価格を予想する賭けまで行われていました。

 一番人気は一億二千万ヘルトで、一億ヘルトの予想が続きます。

 一億ヘルト以下の予想は人気薄で、一億五千万ヘルトの予想もそこそこの人気になっていますが、これはあくまで賭けの予想なので、実際にそこまでの金額を出す人物はいないでしょうね。


 午後のオークション開始の時間となり、それまで落とされていた舞台の照明が灯され、台車に載せられてクラーケンの魔石が引き出されてきました。


「おぉぉぉぉぉ……」


 地鳴りのような感嘆の声は、やがて万来の拍手へと変わりました。


 タ――ン!


「これより、午後部のオークションを始めさせていただきます。まず最初にご紹介する商品は、皆様良く御存知であろうクラーケンの魔石です。こちらの品物は、ランズヘルト共和国とシャンタール王国を隔てる海峡に居座り、両国の交易を妨げていたクラーケンを討伐した際に採取された物でございます。討伐を行ったのは、ヴォルザードが誇る史上最年少のSランク冒険者ケント・コクブ氏でございます。それでは……」


 競売人は、一旦言葉を切ると、静まり返った客席を見渡した後で、おもむろにオークションの開始を告げた。


「一千万ヘルトより始めさせていただきます!」

「二千万!」

「三千万だ!」

「三千五百万!」

「五千万!」

「おぉぉぉ……」


 競りが始まった途端に、ドンドン値段が吊りあがっていきますが、ブロッホさんが動く気配はありません。


「八千万ヘルト!」

「八千二百!」

「八千五百万!」


 競り幅が小さくなってきたところで、ようやくブロッホさんが動きました。


「一億ヘルト!」

「おぉぉぉぉぉ……」


 ここに来ての大幅な上乗せに、会場からどよめきが起こりました。

 同時に、僕を含めて会場に居合わせた多くの人達は、これで落札と思っていたでしょう。


「一億二千万ヘルト」


 競売人がハンマーを手にした瞬間、会場から力強い声が響きました。

 再び会場にどよめきが起こり、手を挙げた人物に視線が集まります。


 一億二千万ヘルトの値段を付けた人物は、中央付近の椅子ではなく壁際の通路に立っていました。

 カイゼル髭を蓄え、恰幅の良い男には見覚えがあります。


「あの男は……」

「ケント君、オイゲウスを知っているのかね?」

「詳しいことは知りませんが、バッケンハイムのオークションでギガースの魔石を落札した男です」

「なるほど……」


 確か、マスター・レーゼでさえも、一筋縄では行かない男だと言っていましたし、会場を見守るナシオスさんの視線も鋭さを増しています。


「い、一億二千五百……」

「一億五千万ヘルト」


 予想外のライバルの出現に戸惑いつつも、競りを継続しようとするブロッホさんの声を掻き消すようにオイゲウスは値段を吊り上げました。


「い、一億六千万!」

「二億ヘルト」


 常識外れとも言うべき値段の応酬……いや、オイゲウスによる一方的な蹂躙に会場は水を打ったように静まり返りました。


 タ――ン!


「クラーケンの魔石は、二億ヘルトにて落札!」


 競売人は、ブロッホさんが小さく首を横に振ったのを見て、ハンマーを打ち鳴らして競りを終らせました。


「おぉぉぉぉぉ!」


 それまでのどよめきとは違い、建物を震わせるほどの歓声が、会場の中から劇場の外まで響き渡っていきました。

 二億ヘルトと言えば、日本円にしたら二十億円ぐらいの価値があります。


 普通の生活をするならば、一生遊んで暮らしても使い切れないほどの金額ですが、それを手にした嬉しさはありません。

 熱狂する会場の中で、ガックリと肩を落としているブロッホさんを見たら、とても喜ぶ気にはなれませんでした。


「ナシオスさん、あのオイゲウスという男は、どんな男なんですか?」

「オイゲウスか……私もそんなに詳しいわけではないが、元々は、バッケンハイムで魔物の生態を研究する学者だったと聞いている」


 高等学院の研究施設に所属し、ゴブリンを飼育したり解剖して、普通の生物との違い、特に魔石を体内に溜め込む仕組みなどを研究していたそうです。

 それが、いつの間にか裏町の薬師に転身していて、自宅の菜園で育てた特殊な薬草を使ってポーションの制作販売を行うようになったようです。


 オイゲウスが製造しているのは、魔力の回復、増強のためのマジックポーションで、従来の品物よりも安価で効果も高かったので、飛ぶように売れたそうです。

 現在、ポーションは直接販売ではなく薬屋に卸す形で販売を続けていて、その売り上げでオイゲウスは巨万の富を手にしたようです。


「バッケンハイムの冒険者だけでなく、ブライヒベルグやマールブルグ、ヴォルザードの冒険者もオイゲウスのポーションを使っているはずだ。ただし、巨万の富を手にした者への僻みなのか、それとも本当なのかは分からないが、オイゲウスには後ろ暗い噂話が囁かれている」

「それって犯罪絡みって事なんですか?」

「確たる証拠が無いので、あくまでも噂だが、人体実験を行っている……なんて噂もあるぐらいだ」

「人体実験……」


 相変わらず壁際の通路に立っているオイゲウスの周囲には、近付き難いものがあるのか、見物客が離れてエアポケットのような空間が出来ています。


「ケント君、あのオイゲウスと一緒にいる男には、十分に注意してくれたまえ」

「あの細身の男ですか?」


 オイゲウスの後ろには、影のようにつき従う男の姿がありました。

 180センチを超えるであろう長身で、濃い紫色の長い髪、骸骨を思わせる痩身の男は、一言で言い表すならば、陰鬱という言葉が相応しい感じです。


「あの男は、ジリアンと言って、元はフェアリンゲンのギルドに所属していたSランクの冒険者だ」

「Sランクですか?」

「疾風の異名を持つ風属性の術士で、実力は確かだが……性格には問題を抱えていたようだ。ジリアンについては、私よりもブロッホに訊ねた方が良いだろう」

「そうですね……」


 ジリアンは、オイゲウスの左斜め後ろで壁に寄り掛かり、一見するとぼんやりしているだけだが、よーく目を凝らすと風属性の魔術を発動していました。

 同じく風属性を扱える者でも、余程目を凝らさないと分からない程度の薄い風の流れがオイゲウスを包んでいます。


 たぶん、オイゲウスに危害を加えようと近付く者がいれば、瞬時に風は刃と化して襲い掛かるはずです。


「うわっ……」

「これは……奴なのか?」


 僕とナシオスさんが会場を眺めているのは、舞台と向き合う会場入口の上、天井の際にある僅かな隙間からです。

 会場からは、明かりも漏れず、存在すら殆ど分からない場所なのに、埃を含んだ風が吹き付けてきました。


 瞬きを繰り返して埃を搔き出し、会場に視線を戻してみると、ジリアンがこちらに視線を向けてニタリと笑みを浮かべていました。


「主様、切りますね」

「駄目だよ、サヘル」

「ですが、主様……」

「今は、やられておいて油断させておく。いずれ対決する時が来たら、僕を侮ったことを死ぬほど後悔させてやるよ」

「分かりました……ですが、残念です」


 急に飛び出してきて、殺気を撒き散らしたサヘルを見て、ナシオスさんはギョっとした表情を浮かべていましたが、僕に撫でられてくーくーと喉を鳴らし始めたのを見て胸を撫で下ろしていました。


 その後も午後のオークションは続き、途中の休憩でブロッホさんが席を立ったのを見て、僕とナシオスさんも監視部屋を後にしました。

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