第339話 航海の果て
アルダロスの商工ギルドにクラーケンの魔石を持ち込んだ後、ヴォルザードに戻った僕は、ゆっくりと入浴した後で、唯香、マノン、ベアトリーチェと一緒に夕食を食べ、早めにベッドに入りました。
早寝早起き、規則正しい生活は、健康的な生活の基本ですからね。
なーんて言いつつ、真夜中にゴソゴソと起き出して、影に潜ってお出掛けです。
向かったさきは、セラフィマの部屋でもカミラの部屋でもありませんよ。
「うん、僕らは夜目が利くけど、ほぼ真っ暗だね」
『そうですな、今宵は月が出ていませんし、厚い雲が掛かってますからな』
晴れていれば、星明りぐらいはあるのでしょうが、ヌオランネの集落は闇に沈んでいます。
『ケント様、何をなさるおつもりですか?』
「爆剤なんて使ってると、こんな事をされちゃうんだよ……っていう嫌がらせ」
足を向けた先は、集落から外へと向かう道です。
林の間を抜ける道は道幅が狭く、馬車一台が通り抜けるのがやっとです。
その道の真ん中に、土属性魔術で深さ一メートルほどの穴を掘り、底の部分に爆剤の樽を設置しました。
少し離れた所から、火属性魔術の火球を穴へと放り込み、素早く闇の盾に潜って退避しました。
ドーンという大きな音と共に、土が吹き飛ばされて、道には大きな穴が開いています。
同時に、集落の中が騒然として明かりが灯され、剣や槍を持った男たちが飛び出して来ました。
「敵襲! 動ける男は全員武器を取れ!」
「どこだ! 敵はどこにいる!」
「気を付けろ。近くに潜んでいるかもしれないぞ!」
集落には男達の怒号が響き、家の中からは子供の泣き声も聞えて来ます。
『ケント様、追撃はなさらないのですか?』
「うん、精神的な嫌がらせはするけど、肉体的な危害を加えるつもりはないよ」
集落へ続く道には大きな穴が出来ていますが、この程度の穴は土属性魔術が上手い人ならば、簡単に直してしまうでしょう。
それよりも、爆剤を使って、集落の人間の安眠を妨害するのが目的です。
ヌオランネの男達は、三人一組になって集落中を探して回り、暫く経ってから道が爆破されているのに気付きました。
「これは、ムンギアの連中がやったものなのか?」
「そうに決まってるだろう。他に誰がやるって言うんだよ」
「ムンギアの連中だとしたら、なぜ集落を直接狙わない。ブロネツクの連中は、ムンギアの集落を攻撃させたんだろう? その恨みを晴らすというならば、直接集落を狙って来るだろう」
「じゃあ、誰がやったって言うんだよ。まさか……」
「ムンギアの連中ならば、集落の家を狙ってくるはずなのに、狙われたのは道だけだ」
「どういう意味だ?」
「集落に被害が出たら困る人間の仕業じゃないのか?」
「あっ……集落には仲間が居るから爆破出来ない?」
「もしくは、倉庫の爆剤に火が点いたら大変な事になると、知っている者の仕業じゃないのか?」
そこまで考えさせるつもりはなかったのですが、ヌオランネの連中はブロネツクの連中に疑いの視線を向け始めました。
「お、俺達を疑っているのか? 俺達がこんな事をする理由がないだろう」
「集落から撤収しなくて済むように、わざと街道に穴を空けたんだろう」
「何を言うか! 爆剤を運び出す算段が付けば、いつでも出て行ってやる!」
「ならば、さっさと出て行け、いつまでも、こんな物騒な物を集落に置くな!」
どうやら、ヌオランネとブロネツクの関係は完全に壊れたようです。
見たところブロネツクの術士は二人しか居ないようで、他の者は中洲の爆発に巻き込まれたのでしょう。
結局、集落のあちこちで篝火を焚き、ヌオランネの男達が交代で見張りを務めるようです。
「ラインハルト、集落が寝静まった頃に起こして」
『二次攻撃ですな、了解ですぞ』
ラインハルトに起こしてもらうまで、影の空間でネロに寄り掛かって一休みです。
「にゃー……御主人様は働き過ぎにゃ、もっとネロを見習うにゃ」
「えっ? だってネロは、毎日迎賓館の警備をしてくれてるんでしょ? あれっ、もしかしてサボって昼寝してるの?」
「にゃっ、そ、そうだったにゃ。ネロも毎日忙しく働いてるにゃ、ちゃんと働いてるにゃ」
毎日の労働の成果である、フワフワの毛並みに寄り掛かると、あっと言う間に眠りが訪れました。
『ケント様……ケント様、そろそろ頃合いですぞ」
「ん、んんーっ、分かった、起きる……」
まだ寝足りなくて目を擦りつつ起き上がると、見張りの男達は、もっと眠たそうな顔で篝火の横に立っていました。
「では、第二弾といきますかね」
今度、爆剤を仕掛けたのは、集落の裏手に引かれた農業用水です。
ヌオランネの集落は、川原から少し上ってきた場所なので、農業用水は川ではなく山の湧き水を引いています。
集落の建物からは少し離れた、農業用水の堰のすぐ脇に穴を掘り、底へ爆剤の樽をセットしました。
「ではでは、ファイヤーボール」
一回目と同様に、穴の底に向かって火属性魔法を放り込んで、爆剤を爆破させました。
ドーンという大きな音と共に堰が吹き飛び、調整していた水が一気に流れこみ、畑に水溜りが広がって行きます。
「敵襲! 敵襲ーっ!」
「どこだ、どこから来た!」
「裏の畑だ!今度こそ逃がすな!」
残念ながら、もう影に逃げ込んだ後ですよ。
男達は、続々と集まって来るものの、粉々に吹き飛んだ堰を見て、言葉を失っています。
「あぁぁ……俺の畑が! 誰か、何とかしてくれ、このままじゃみんな根腐れしちまう」
「材木だ、応急処置をするから材木と道具を持って来い」
ヌオランネの男達は、爆発で出来た穴の周囲に篝火を焚き、泥だらけになって修復作業を始めました。
うん、僕って本当に陰湿ですよね。
『ケント様、次はいかがいたしますか?』
「今夜は、これで終わりにして帰るよ。明日は、警備の様子を見てだね」
たぶん、これだけの騒ぎを起こせば、警備体制は更に厳重なものになるはずです。
見張りを立てる場所が増えれば、それだけ人員が必要になります。
集落の人員には限りがありますし、昼間の仕事をやって、夜の警備まで行うには限界があるでしょう。
ムンギアと紛争が続く限り、こんな状況が続くのだと集落の全員が思い知り、和平の道を模索するまで、時折、夜襲を仕掛けさせてもらいましょう。
ヌオランネの集落に嫌がらせをした翌朝、迎賓館でみんなと朝食を食べていると、アルトがひょっこり戻って来ました。
「わふぅ、御主人様、陸地が見えて来た」
「おっ、どうやら試験航海も無事に終わりそうだね。ありがとうアルト、戻って港に入るまで見張りを続けて」
「わぅ、了解!」
朝食を終えた後、守備隊の診療所へ向かう唯香とマノン、ギルドに向かうベアトリーチェと一緒に迎賓館を出て、みんなを送ってから影に潜りました。
アルトを目印にして移動すると、もう試験航海の船は陸に沿って港を目指しているところでした。
「アルト、イルト、ご苦労様」
「わふぅ、御主人様、何も無かったよ」
「わぅ、クラーケン来なかった」
アルトとイルトをワシワシとモフりながら、航海の様子を尋ねると、二日ほど風向きが悪い日があった他は順調な航海だったようです。
影の中から覗いて回ると、船の中は航海が無事に終わる見込みが立ったからでしょう、浮き立つような空気が流れています。
船長のカルドーソの姿はキャビンの上、見張り台を除けば一番見晴らしの良い場所にありました。
出航前のジョベートで、女性に囲まれてニヤけていた顔は厳しく引き締まり、船員達に鋭い声で指示を飛ばしています。
「面舵、面舵! 陸に近付き過ぎだ! 荷を満載して喫水が下がってんだ、暗礁に乗り上げちまうぞ!」
カルドーソの隣では、見張り役として乗り込んだセイドルフが、こちらも厳しい表情で海を睨んでいます。
「キケ、異常ないか!」
「異常ありません!」
セイドルフの呼び掛けに、マストの上の見張り台から間髪いれず返事が戻ってきます。
「シリノ! ホアキン!」
「右舷異常無し!」
「左舷も異常無し!」
何となく、この二人の姿は、浮き足立ちそうになる船員達を引き締めるためのヤラセっぽいですね。
二人を驚かせないように、少し離れた場所から表に出て声を掛けました。
「おはようございます。カルドーソ船長、セイドルフさん」
「おわっ、お前、今まで何処に隠れてたんだ!」
「いやいや、影を伝って移動が出来るって、散々説明したじゃないですか」
「おぅ、そ、そうだったな……」
航海の間に説明なんてすっかり忘れていたのか、カルドーソは僕の姿を見て驚いていました。
それに対して、何度も僕の影移動を見ているセイドルフは落ち着いたものです。
「ケント・コクブ、見ての通り港まではあと少しだ。ここまで無事に来られたのも、君のおかげだ。感謝する」
「いえいえ、航海を無事に終えられるのは、カルドーソ船長を始めとした船員の皆さん、見張りとして乗り込んだセイドルフさん達のおかげであって、僕は見ていただけですからね」
「それでも、船が港に着けば、盛大な出迎えがあるはずだから、是非一緒に来てくれ」
「いやぁ……それこそ主役はカルドーソさんの役目かと……」
「ふふん、まぁ、街の偉いさんとの会合とか、面倒なことも沢山あるから、俺様が代わってやろう」
なんて言ってますけど、口の端がニヤけ掛けています。
たぶん、偉いさんとの会合の席には、綺麗どころも同席するんでしょうね。
「ええ、よろしくお願いします。港に着いたらカルドーソさんのサインを貰って、後は勝手に街を見て回りますから、ご心配無く」
「街に出るのは勝手だが、騒ぎを起こしたくなければ、港の検問所で上陸の許可を得て行けよ」
「分かりました、ご忠告感謝します」
カルドーソの話では、港と街の間には、いわゆる検問所が設けられていて、入国審査が行われているそうです。
一週間ほどの短期での上陸許可と、移民を含めた長期の入国許可の二種類があり、短期は身分証を提示すれば簡単に許可証をもらえるそうです。
船が着いた直後は混雑するでしょうし、許可証は後でゆっくりと貰いに行きましょう。
お隣の大陸の港町、どんな感じなのか楽しみですね。
港が近付いて来たからでしょうか、他の船を見かけるようになってきました。
こちらの船にはランズヘルトの旗が掲げられているので、出会った船に乗っている人達が大きく手を振って歓迎してくれています。
こちら側でも、クラーケン騒動が収まらなければ漁は沿岸に限られていたでしょうし、ランズヘルトの船は海上の安全の証ですから、歓迎されますよね。
真っ白な砂浜の沖を通過して行くと、崖の上に立つ灯台が見えて来ました。
「あの灯台の向こう側が、コクリナの港だ。ようやく肩の荷が下ろせるぜ。早いところ一杯……」
「右舷に大きな影! 近付いて来る!」
「ちっ! 何だってんだ!」
航海の終わりが見えて、カルドーソが表情を緩めた途端、右舷で見張りを務めている冒険者シリノが大声で叫びました。
視線を向けると、静かだった海面にうねるような波が近付いて来るのが見えます。
「シーサーペントだ! 術士、右舷に集まれ!」
「衝撃に備えろ! 海に投げ出されるなよ!」
先程までの浮き立った空気は一掃され、船員や冒険者が慌しく走り回り始めました。
「カルドーソさん、あれって高く売れますかね?」
「はぁぁ? お前、何言ってんだ。今は生きるか死ぬかの瀬戸際だぞ!」
「いや、どうせ倒すなら、あんまり傷を付けない方が良いのかと思って」
「倒せるのか? 本当に倒せるのか?」
「何を言ってるんです。それが僕の仕事ですよ」
シーサーペントは海蛇の魔物のようで、パッと見た感じだと二十メートル以上ありそうです。
かなりの速度で接近しているようで、船まで三十メートルほどに近付くと鎌首を上げ、こちらを威嚇してきました。
「闇の盾!」
シーサーペントが頭を振り下ろそうとする直前に闇の盾を展開すると、勢いを殺しきれずに激突し、胴体や尻尾が海面から跳ね上がりました。
「おぉ、思ったよりも大きいね。そんでもって、送還!」
衝撃で朦朧としている頭に狙いを定めて送還術を発動すると、シーサーペントは動きを止めて波間に漂い始めました。
蜂の巣を突いたような騒ぎだった船上が、一転して静まり返りました。
カルドーソが、これ以上開かないという限界まで目を見開いて僕に視線を向けながら訊ねて来ました。
「ど、どうなってる……倒したのか?」
「えぇ、上手く傷を付けない形で倒せたみたいです」
「マジか?」
「マジですよ。僕は、こう見えてもSランク冒険者ですからね」
カルドーソに一旦船を止めてもらい、僕は影移動で魔の森の訓練場まで戻り、土属性魔法を使って中が空洞の浮きを作りました。
ザーエ達に頼んで、シーサーペントが沈まないように浮きを結わい付けてもらい、カルドーソに船で引いてもらうように頼みました。
「引いていくのは構わないが……コクリナの連中が腰を抜かすぜ」
「コクリナにもギルドはありますよね?」
「あぁ、買い取りもやってるが、こんな大物は前代未聞だと思うぞ」
シーサーペントは、思っていたよりも大物で、頭から尾までは四十メートル近くあります。
クラーケンよりも胴体が細いので、魔石の大きさは期待出来ないかもしれませんが、革とかは素材として売れそうな気がします。
シーサーペントの鱗は、光の反射によって色が変わって見えます。
光を反射する方向からみると黄緑がかった青で、逆に太陽を背にしてみると、深い藍色に見えます。
「シーサーペントってのは、死に物狂いでやっと撃退するもんだ。そいつをこんなに簡単に仕留めちまうなんて……Sランクってのは、とんでもねぇな」
「まぁまぁ、無事に航海を終えられるんですから、良しとしましょうよ」
「まぁ、そうなんだがな……」
カルドーソは苦笑いを浮かべながら、シャツの袖で額の汗を拭った。
右舷にシーサーペントを縛り付けたことで少々船足は遅くなったものの、試験航海の船は無事に灯台の建つ岬を回り込み、コクリナの港がある大きな湾に入りました。
カーン、カカーン……カーン、カカーン……と、ゆっくりとしたリズムで鐘が打ち鳴らされています。
「あの鐘が、試験航海の船が着いたと知らせる鐘だ。これから港は出迎え準備で大騒ぎになるはずだが、今回はシーサーペントのオマケ付きだ。それこそ、お祭騒ぎになるだろうな」
さすがに湾の中に入れば、もう到着したも同然で、カルドーソもセイドルフも表情を和らげ、笑顔を浮かべています。
鐘の音を耳にして、 岸壁で海草を摘んでいるらしき人達が、大きく手を振って迎えてくれています。
地元の子供達が、船を追いかけて海沿いの道を駆けていました。
「さて、ケント・コクブ。君にも一緒に降りてもらうぞ」
「いや、僕は……」
「君がいなかったら、誰があのシーサーペントの交渉をするんだ?」
「うっ、そうだった……分かりました、どうせなら街の偉いさんに紹介して下さい。その方が話が早そうですから」
僕らの船が湾に入っていくのと同時に、帆を上げて、出立していく船があります。
「おーい! 貴殿らの、勇気ある航海に、敬意を表する!」
「良い航海を!」
クラーケンの脅威が去ったと知り、即出航を決めたのでしょう。
いつ航海に出られるのか分からない状況下で、すぐに出立出来るのだから、よほど周到な準備をしていたのでしょうね。
その後、港に船を停めるまでに、もう一隻の船とすれ違いましたが、他の多くの船は出港の準備を進めたばかりのようです。
「カルドーソさん、なんであんなに急いで出航するんですか?」
「そりゃ、荷が高く売れるからに決まってる」
「あっ、そうか。ジョベートからの荷が止まっていただけでなく、こっちからの荷も止まっていたんですもんね」
「そういう事だが、果たして、どっちの船が儲けることになるんだかな……」
前後して湾を出ていった二艘の船は、どんな秘策を引っさげて競争に勝つつもりなのか、ちょっと見てみたいですね。
船の形とか、帆の形とか、操船技術とか、何か決め手があるんでしょうね。
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