第336話 紛争への介入
これまでの僕だったら、ヴォルザードには戻らずにムンギアとヌオランネの様子を監視していたでしょう。
ですが今、僕はヴォルザードへと戻り、汗を流した後で食卓についています。
今夜のメニューは、浅川家直伝のカレーライスです。
お肉は豚のバラ肉をゴロっと塊で入れ、ホロホロになるまで煮込んであります。
ご飯はカレーなので少し固めの水加減で、お釜で炊いているからおコゲ付きです。
隠し味にはヴォルザードの特産品を使っているそうなので、ますます食べるのが楽しみです。
「唯香が教えて、マノンとリーチェが作った……って感じ?」
「うん、マノンは勿論、リーチェも包丁の使い方が上手くなったんだよ」
「そうなんだ、僕は良いお嫁さんに囲まれて幸せです。じゃあ、冷めないうちに食べよう、いただきまーす!」
口に入れる前から、食堂に漂っている香りだけでも間違い無しの太鼓判ものです。
カレーのルーは、市販品をベースにしてスパイスを加えているそうです。
「うんうん、日本の家庭の味……すっごく美味しいよ。でも、隠し味……」
「健人なら分かると思うよ」
「僕なら分かる……?」
今度は、ルーとご飯だけを口に入れ、更にじっくりと味わってみます。
スパイスの香り、フワっと広がる辛さの陰に、コクを引き出す甘みが隠れています。
砂糖とか蜂蜜のような甘みではなく、たぶんフルーツの……しかも凝縮した甘みです。
「分かった! ドライリーブルだ!」
「正解! さすが健人だね」
「すごいやケント、こんなに複雑な味の中からドライリーブルの味を感じ取るなんて」
「本当ですわ。ケント様がこれほどまでに違いの分かる方とは……もっとお料理の腕を磨かないといけませんね」
マノンとベアトリーチェは、顔を見合わせて頷き合っています。
「いやぁ、今のは唯香からヒントをもらっていたし、僕らは子供の頃からカレーに親しんでいるからね」
「そうなんだ。こんなに複雑な香りのする料理は、ヴォルザードにはないからなぁ」
「でも、マノン。こっちの肉料理に使われる香草のブレンドもかなり複雑だよ」
「そう言われてみれば、日本では肉料理のスパイスって、生姜焼きとか、焼肉のタレとか、塩コショウぐらいで、家で香草をブレンドしないわよね」
「そうなのですか。ユイカさんは、とてもお料理が上手でいらっしゃいますし、香草のブレンドもお手の物かと思ってました」
「そこは、まだまだアマンダさんに教えてもらわないと駄目ね」
うんうん、素晴らしい。日本料理とヴォルザードの料理の融合が、僕の家の食卓では楽しめるのですね。
元々、日本人って世界中の料理を取り入れては、日本風にアレンジしちゃうのが上手いから、唯香の采配には期待しちゃいましょう。
夕食の後、唯香、マノン、ベアトリーチェの三人は、食事の片付けをした後でお風呂タイムだそうです。
コボルト隊を護衛に残して、僕はムンギアへと向かうことにします。
えっ、お風呂タイムを覗かないのかって?
そんな……マノンちゃんが二人との格差を気にして、自分の胸をフカフカしてるなんて、僕は全然知りませんからね。
セラフィマは、今夜は王城で舞踏会に参加するそうですが、カミラに頼んでハルトとヒルトは表に出た状態で警備するように手配しました。
影の中には、バステンに待機してもらい、不測の事態に備えてもらっています。
ゆっくりと夕食を済ませて出て来たのですが、リーゼンブルグにダビーラ砂漠、そしてバルシャニアを横断してようやく到着する場所なので、まだ僅かに空が残照に染まっています。
「ラインハルト、フレッド、様子はどうかな?」
『どちらの陣営も、動きが慌しくなってきましたぞ』
『中洲では……ゾンビが爆剤を運び出してる……』
「やっぱり、日が落ちてから本格的な戦闘になるみたいだね」
『ケント様、介入いたしますか?』
「うーん……ちょっと様子を見てから」
バルシャニアの皇帝コンスタンからの依頼を遂行するならば、ヌオランネとブロネツクの連合軍にダメージを与えれば良いだけですが、もう少し内情を探っておきたい気がします。
「フレッド、ヌオランネ側の司令官みたいな人を見たいんだけど……」
『了解……こっちへ……』
案内されたのは、爆剤が保管されている中洲の遺跡の一室でした。
真新しいテーブルと椅子が持ち込まれていて、そこに二人の男が向かい合って座っていました。
一人は獅子の獣人で、体格も良く歴戦の兵という雰囲気を纏っています。
歳は三十代後半から四十代前半といったところでしょうか、たてがみに白髪が混じり始めているように見えます。
もう一人も筋骨隆々とした男で、こちらは顔にまで刺青で文様が描かれています。
どうやらこちらがブロネツクを率いている男で、獅子獣人がヌオランネの司令官なのでしょう。
先に口を開いたのは、獅子獣人の男でした。
「バダよ、ムンギアの連中が守りを固めたようだが、どうするのだ。また正面から突っ込ませるのか?」
「ふふふふ、それでは芸が無いだろう、ワルダール」
「では、別の手立てを使うつもりか?」
「そうだ、まぁ見ておけ」
バダと呼ばれたブロネツクの男は、自信たっぷりといった感じの笑みを浮かべています。
「バダよ。今回は随分な量の爆剤を持ち込んでいるが、良いのか?」
「良いのか……とは?」
「今回の戦いで使い切るようなことになれば、将来的に爆剤が不足するのではないのか?」
「あぁ、そういう意味か。それならば、心配は無用だ」
「ふむ、余程キリアと緊密な繋がりがあるようだな」
「いいや、そうではない。盗んできたのだ」
「何だと、キリアから爆剤を盗んできたのか」
「いいや……」
バダは意味深な笑みを浮かべて、ワルダールに向かって首を振ってみせました。
「盗んできたのは、爆剤ではなく製法だ」
「なっ……では、ブロネツクで爆剤を作っているのか」
「そうだ。いや違うな……ブロネツク抜きに爆剤は作れない」
「ブロネツク抜きには作れない? どういう意味だ」
「硫黄だ。爆剤を作るには硫黄が必要だが、キリアでは硫黄の産出量は限られている」
「なるほど、ブロネツクに湧く硫黄が爆剤製造を担っている訳か」
黒色火薬の基本的な成分は、炭と硝石、そして硫黄です。
硫黄は言うまでもなく火山地帯で多く手に入ります。
キリア民国は、三分の一が山地の国ですが、硫黄が取れる火山は一箇所だけだそうです。
一方、ブロネツクの集落がある更に奥地には火山帯があり、そこで多くの硫黄が産出されるそうです。
「それだけではないぞ、ワルダール」
「まだ何かあるのか?」
「硫黄が採れる場所は、山から噴き出す有毒なガスに包まれていて、最も硫黄が取れる場所には人間は近づけない」
「人が近づけないのでは、いくら硫黄が取れても……そうか、ゾンビに採ってこさせれば良いのか」
「その通りだ。今ではキリア国内で製造される爆剤よりも、ブロネツクで作られる爆剤の方が多いのだぞ」
「では、その爆剤を使えば……」
「そうだ、威張り散らしている皇族連中を、いずれまとめて吹き飛ばしてやる」
バダは、ニヤリと口元を緩め、自信をたっぷりに言い放ちました。
どうやらフェルシアーヌ皇国の反体制派の中では、ブロネツクが力を増していきそうですね。
「ちょっとムンギアの側も覗いてみよう」
バダとワルダールの会話が戦いとは関係のない話になったので、ムンギアの陣地を覗いてみます。
ムンギアは、自分達の領地の中に築かれつつあるヌオランネの陣地を取り囲み、たくさんの篝火を焚いています。
「火を絶やすな! 薪が足りなくなる前に、早め早めに補充しろ!」
篝火の内側には、フルプレートの鎧に身を包んだ兵士が、四メートル以上はありそうな長い棒を携えています。
出撃前なので、顔を覆う部分は上げられていますが、どの兵士の表情にも張り詰めた緊張感が浮かんでいます。
『おそらく、あの棒を使って突っ込んで来るゾンビを転ばせるつもりなのでしょうな』
「でも、転んだところで、立ち上がろうとするだろうし……」
『使われる前に爆剤を跳ね飛ばせれば勝ち、さもなくば爆風を至近距離で受ける事になりますな』
「うわぁ……みんな緊張している理由が良く分かったよ」
ゾンビが爆剤を抱えて特攻してくるのを、身体を張った『特守』で押さえ込む感じですね。
ですが、これではムンギア側の損害が増えるばかりでしょう。
ムンギアが、ヌオランネ側の攻撃を止めるには、中洲の砦に陣取っているブロネツクの魔術士を攻撃するしかありません。
こちら側の岸辺から中洲までの川幅は二十メートルほどもあり、普通の人間が歩いて渡るのは困難です。
ムンギアが中洲に渡るならば、上流から船で乗り付けるというのが一番現実的な方法ですが、ヌオランネは中洲の岸辺にも爆剤を抱えさせたゾンビを配置しており、簡単には近づけないようです。
一方のヌオランネ側のゾンビは、川に渡したロープを伝い、川に潜った状態で対岸まで歩いて渡っています。
呼吸する必要が無いゾンビならではの方法です。
『ケント様……ヌオランネに動きが……』
「そろそろ仕掛けてくるんだね」
ヌオランネの築いている陣地では、ゾンビ達が休み無く作業を続けていますが、全く話し声は聞えず、物音だけが響いています。
対するムンギアの陣地でも、ヌオランネ側からの仕掛けが無ければ動きようが無い状態のようで、こちらも時折聞える号令を除けば静かなものです。
「ラインハルト、どこから仕掛けて来ると思う?」
『そうですな、ムンギアの集落へと続く道は、少し左翼寄りにありますので、右翼を広げてから左翼に取り掛かるでしょうな』
ラインハルトの考えは、この陣地は川を渡るためのものなので、とにかく陣地を広げて後続を呼び込み、戦力の増強を急ぐというものです。
『ケント様ならば、いかがいたします?』
「うーん……戦術とかは全く分からないけど、僕ならばムンギアの集落へと向かう道へ爆剤ゾンビを突っ込ませるかな。それも、単発ではなく連続で」
『なるほど、通常の作戦であれば、兵士の消耗も計算に入れなければなりませんが、ゾンビを使うのであれば消耗を考える必要はなくなりますな。であれば、相手が一番嫌がる場所に突っ込ませるというのは悪くないですぞ』
ラインハルトとヌオランネの攻撃を予測しながら戦場を見守っていたのですが、いつまで経っても戦闘が始まる気配がありません。
「フレッド、中洲の陣地は?」
『何やら策動してる……目標は不明……』
動きはあれども狙いは不明のまま、更に三十分ほどが経過した時でした。
ドーンという爆発音と共に、陣地を包囲しているムンギア側の遥か後方で、火柱が上がりました。
『ケント様、ムンギアの集落へ回り込んだようですぞ』
「うん、行ってみよう」
影を伝って移動したムンギアの集落では、轟々と燃え盛る炎が、バラバラに吹き飛んだ家の残骸を照らしていました。
周囲には、悲鳴、怒号、泣き声などが入り混じり、阿鼻叫喚の状態です。
「また来たぞ! 伏せ……」
男性の大声も爆発音によって途中で掻き消され、集落の別の場所で火の手が上がりました。
逃げ惑う女性や子供、お年寄……弱者を狙った無差別テロです。
「何てことを……」
『ケント様、いかがいたしますか?』
「ヌオランネとブロネツクに思い知らせてやろう……」
影の空間で、僕が手にした物は、グリャーエフの宮殿でもらった火酒の瓶と布キレです。
『ケント様、火酒をどうなさるおつもりですか?』
「これはね。こうするんだよ……」
陶器の瓶の蓋を開け、瓶の口に火酒を染み込ませた布を突っ込めば準備は完了。
『ケント様、それは……?』
「これは火炎瓶って言って、布に火をつけて投げると、瓶が割れて中の酒に引火して燃え広がる武器だよ」
『なるほど、では……』
「うん、みんな戻って来て……送還」
ムンギアやヌオランネの集落などに散らばった眷族を呼び戻し、火をつけた火酒の火炎瓶を送還術で瞬間移動させました。
ズドーンという先程の爆発音とは桁違いの轟音と共に、衝撃波がムンギアの集落を襲いました。
窓だけでなく、屋根まで吹き飛ばされた家もあり、集落の中は更に大混乱に陥っています。
「うわぁ……」
『ケント様……やり過ぎ……』
昼間、偵察に訪れた時に、位置確認用の闇属性ゴーレムを作り、中洲の遺跡にある爆剤置き場とヌオランネの集落の倉庫に設置しておきました。
今回吹き飛ばしたのは、中洲の遺跡に置いてあった爆剤だけですが、さすがに百樽を超えていると思われる量なので、凄まじい爆発が起こったようです。
中洲の様子を見に移動すると、遺跡があった場所には大きなクレーターが出来ていて、周囲の木々は放射状に倒れ、ムンギア側を監視していた砦も跡形も無く吹き飛んでいました。
川を渡って建設中だった陣地も粉々に吹き飛び、陣地を取り囲んでいたムンギアの軍勢も爆風で薙ぎ倒されています。
影の空間の中では、マルト達が、ドーン、ドーンと楽しそうに走り回っています。
いや、確かにドーンなんだけど、笑えねぇぇぇ……。
「さすがに、一度に爆破するのは、ちょっと不味かったか」
『ぶはははは、中洲に居た者共や、陣地を取り囲んでいたムンギアの連中も、反体制派の者共です。いっそ綺麗に居なくなった方が、バルシャニアにとっても、フェルシアーヌにとっても助かるのではありませんか』
「まぁ、そうなのかもしれないけど……」
爆風によって、ヌオランネの陣地を取り囲んでいた篝火も吹き飛んでしまい、広い川原は闇に沈んでいます。
その闇の底からは、おそらくムンギアの兵士なのでしょう、苦痛に呻く声が響いてきます。
『いかがいたしますか、ケント様』
「うん……救護したいところだけど、僕は姿を見せない方が良いよね?」
『そうですな。今の状況は、ヌオランネの側に何らかの落ち度があって、保管しておいた爆剤が吹き飛んだ……と思われているでしょうから、ケント様の存在は知られない方がよろしいでしょうな』
「分かった。直接関係の無い人達に、多大な被害を及ぼしているから、言うなれば僕の方がテロリストなんだけど……今回は、姿を見せないでおくよ。フレッド、たぶんヌオランネの集落に置いてある爆剤は、別の場所に移動すると思うから、行き先を確かめておいて」
『了解……任せて……』
暗闇の中から聞えて来る、苦痛に呻く怨嗟の声に少し耳を澄ませた後、影に潜って移動しました。
向かった先は、アルダロスの王城、セラフィマの所です。
セラフィマは、用意された部屋の大きなソファーに座り寛いでいました。
お風呂上りなのでしょうか、髪がシットリとしているように見えます。
「こんばんは、セラ。入っても良いかな?」
「ケント様、勿論です」
「おじゃましまーす……」
闇の盾を出して、部屋へ足を踏み入れると、セラフィマが目を見開いて驚いています。
「ケント様、何があったのですか?」
「えっ……ちょっとムンギアとヌオランネの争いに介入しただけ……」
「あぁ……申し訳ございません」
セラフィマは、僕の胸に飛び込むようにして抱き付いて来ました。
「父が、無理なお願いをしたのですね?」
「ううん、頼まれたのは確かだけど、行動したのは僕の判断だから……」
「ケント様……」
セラフィマを抱き締め返そうとして、ようやく自分が震えているのに気付きました。
「殺した……死んだ人達は、僕に殺されたとは思ってもいないだろうし、生き残った人達も気付かないはずだけど……僕が殺したんだ。僕には、あの人達への恨みも無いし、切迫した理由も無かったのに、殺したんだ……」
「ケント様、座ってゆっくり話していただけますか?」
「うん……」
セラフィマにソファーへと導かれ、肩を抱かれながらムンギアでの出来事を話していきました。
ありのままを淡々と話したつもりですが、関係の無い人の命を奪ったことへの恐怖が心に圧し掛かって来て、きっと言い訳じみた話になっていたと思います。
「申し訳ありません。それは、本来ならば父か兄がすべき事です。ケント様の手を汚す事になってしまって、本当に申し訳ございませんでした」
「セラ……でも僕は、セラをお嫁さんに貰うのだから、これは当然の務めだよ」
「そうですね……でしたらば、バルシャニア皇家に連なる者として、胸を張って下さい。皇族は、時として非情な判断を下さねばなりません。今回、ケント様が行動をなさらなければ、もっと多くのムンギア族の血が流れ、ヌオランネの侵略を許していたかもしれません。ですから、ケント様の判断は間違っておりません」
「セラ……もし、もしセラが僕の立場だったら、同じ事をしていたと思う?」
「いいえ……私がケント様の立場であったなら、ヌオランネの倉庫にあった爆剤にも火を放っていたと思います」
セラフィマの揺らがない瞳を見て、僕は自分の覚悟の無さを思い知らされました。
皇族として、有事の際は敵の命を奪うことを迷わない、そんなセラフィマの強さは僕にはありません。
「私とケント様では生い立ちが異なります。私は生まれた時から皇族の一員として生きる事を教え込まれてきました。私の判断は、皇族としては正しいのでしょうが、人として正しいのかは分かりません。それが罪だと問われるならば、私は私の正しさを主張し、責を負って生きていくだけです」
「強いなぁ……セラは格好いい。僕は……もっと格好いい男になるよ」
「ケント様……」
「でも、もう少しだけ待っていて……」
「はい」
格好悪い僕は、セラフィマの小さな胸に顔を埋めて、目を閉じました。
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