第325話 ブライヒベルグの午後

 試験航海への同乗を昼過ぎで切り上げて、ブライヒベルグへと向かいました。

 目的は、クラーケンの魔石をオークションに出品する件の打ち合わせです。


 船の護衛をアルトとイルトに頼んで移動した先は、歓楽街の一角にあるダナさんのお店です。

 やっぱりブライヒベルグに来たら、ここに寄らない訳にはいきませんよね。


「こんにちは、まだやってます?」

「いらっしゃい、大丈夫だよ……って、坊やかい、この前は大丈夫だったのかい?」


 そうでした、前回来た時には、帰り際にグラシエラ達に絡まれたんでしたっけ。


「はい、その節はお騒がせしましたけど、あの程度の連中じゃ相手になりませんよ」

「そうなのかい。噂じゃ、あの後クラウスの息子を殺そうとしたとかで、処刑されたって聞いたよ」

「はい、アウグストさんが刺された現場には居合わせて、すぐ治療したので大事には至りませんでしたが、僕が居なかったら殺されていたかもしれません」

「ここは、場所柄色々な噂が流れてくるけど、元はバッケンハイムのAランクだったそうじゃないか。それをあの程度とは……やっぱりSランクは伊達じゃないようだね」

「まぁ、僕の場合は、領主の皆さんやギルドマスターが便利に使うためのSランクって感じですけどね……」

「そうなのかい? じゃあ、そうしておくかね」


 ダナさんが焼いてくれたブライヒ豚のステーキは、相変わらずの絶品です。

 今日は、面倒な連中にも絡まれずに心地よい満腹感を味わいながら、店を後にできました。


 影移動ではなく、街を歩いてギルドに向かうと、以前来た時よりも更に賑わっているように感じられます。

 イロスーン大森林が通れなくなり、ヴォルザードとマールブルグに向かう荷物は、全てブライヒベルグを経由しなくてはなりません。


 荷物が集まれば人が集まり、人が集まる所には仕事が生まれる。

 ブライヒベルグでは、好景気の循環が続いているようです。


 ギルドの中も、多くの人で賑わっていました。

 普通、昼過ぎぐらいは窓口が手隙になる時間帯なのですが、それでも混雑しているのですから、余程依頼が増えているのでしょう。


 そう言えば、前回来た時にアワアワしていた新人さんは、ちゃんと仕事出来ていますかね。

 と言うか、領主様への面会って、どこの窓口に並んだら良いのでしょうかね。


 ヴォルザードでは、直接クラウスさんの執務室に出向いちゃいますが、ブライヒベルグで同じ事をやるのは不味いような気がします。

 まぁ、適当な列にならんで、窓口が違っていたら並び直せば良いですか。

 列を選んで一番後ろに並んだ途端、後ろから声を掛けられました。


「ケント・コクブ様でいらっしゃいますね」

「うひゃい! そ、そうですけど……」


 急に声を掛けられたから、変な声が出ちゃったよ。

 声を掛けて来たのは、前回と同じくキレ者風のネコ耳お姉さんでした。


「本日は、どのようなご用件でございましょう?」

「えっと、例のオークションの件でナシオス様にお会いしたいと思いまして……」

「畏まりました、こちらへどうぞ……」


 一片の隙も見せず、それでいて事務的ではない立ち居振る舞いは見事としか言いようがありません。

 順番待ちをしていた若い男性からは、熱っぽい視線を向けられていますね。


 そして、当然のごとく僕には嫉妬と羨望の眼差しが……まぁ、こんなのも慣れてますけどね。

 というか、僕だって手を出したら正座&お説教のコンボが待ち構えているんだから、眺めているだけですから。


「こちらでお待ち下さい」


 ネコ耳お姉さんに案内されたのは、前回よりもこじんまりとした応接室で、凝った装飾とかは無いけれど、ソファーの座り心地とか落ち着く感じがします。

 高そうな絵とかは飾ってない代わりに、弦を外した弓が数張、それと釣竿が数本壁に掛けられています。


『ケント様……隠し部屋は無い……』

「ありがとう、フレッド」


 部屋の奥にある窓の外は、ギルドの訓練場のようで、木剣を使って立ち合いをする人たちや、魔術の講習と思われる一団が見えました。


『ケント様、ここはナシオス殿のプライベートルームではありませぬか?」

「うん、何となくそんな感じがするよね」

『向こうの棚……お酒がギッシリ……』

「ははっ、それじゃあクラウスさんが来た時には、この部屋で会ってるのかもね」


 前回、クラウスさんと一緒に来た時は、イロスーン大森林で異変が起こった直後のタイミングだったので、本物のクラウスさんか確かめるために隠し部屋のある応接室に通したのでしょう。

 この部屋に通されたという事は、それだけ信用されたという事なのか、それとも別の応接室が使用中だったからか、どちらでしょうね。


「クラウスさんなら、仕事は最初に片付けて、後の時間は飲んで過ごすという感じなのかな」

『ぶははは、そうでしょうな』


 ソファーに身を沈めて、すっかり寛いで待っていると、ブライヒベルグの領主ナシオスさんが姿を現しました。


「やぁ、ケント君、お待たせしてすまない。いやぁ、商会の爺ぃ共の話は長くてかなわんよ」

「お忙しいところすみません。例のクラーケンの魔石の件でお伺いしました」

「うん、まぁ、腰を下ろして、ゆっくりとやろう。何を飲むかね?」


 ナシオスさんは、くいっとカップをあおる仕草をしてみせます。


「すみません、お酒を飲んじゃうと使い物にならなくなっちゃうので、お茶をお願いします」

「ほう、その口ぶりでは、満更嫌いという訳でもなさそうだな」

「ヴォルザードに来て最初の仕事がリーブル農園での収穫作業だったので、リーブル酒には目が無いです」

「ほほう、確かにヴォルザードのリーブル酒は美味いからな。一度、時間のある時にでも一杯やろう」

「はい、ありがとうございます」

「ブランシェ、お茶を頼む」

「畏まりました」


 キレ者ネコ耳お姉さんはブランシェさんという名前のようで、ナシオスさんの秘書的な役割を果たしているようですね。


「さて、ケント君、クラーケンの魔石だが、やはり今週末ではなく、来週末のオークションに出品してもらいたい」

「分かりました。どうしましょう、今日置いていった方が良いですか?」

「いや、来週末のオークションに間に合えば良いよ」

「でも、事前にギルドのカウンター前とかに展示して、これがクラーケンの魔石だ、これがオークションに出品されるって宣伝すれば、値段が吊り上がるかもしれませんよ」

「ぬぉ、そうか、その手があるか……なるほど、今日預かって、早速明日から……いや、展示は今週末のオークションが終わった後だな。安息の曜日に、ギルドを開放して展示すれば、人寄せも出来るし……ふむふむ。よし、今日預からせてくれ」

「はい、分かりました」

「ブランシェ、書類を……」

「はい、こちらに」


 お茶の準備をしながら、ブランシェさんは魔法のような手つきで書類を取り出しました。

 ど、どこから出したのでしょうかね。


「では、ケント君、こちらの書類に記入を頼むよ」

「分かりました」


 ナシオスさんから手渡された書類は、ほんのり暖かいような……なんだか大人な女性の香りがするような……。


「失礼いたします」

「は、はい……あれっ?」


 ブランシェさんがお茶を注いだカップを配ってくれたのですが、何だか覚えのある香りがします。

 ナシオスさんに視線を向けると、悪戯っぽい笑みを浮かべていますね。

 どうやら、お茶にリーブル酒が垂らしてあるようです。


「どうやら、目が無いというのは本当のようだね」

「はい、この香りが好きなんですよね」


 一口お茶を口に含むと、上質な茶葉の香りとリーブル酒の香りが渾然となって溶け合い素晴らしいハーモニーを奏でています。

 少し渋みが強いドッシリとした味わいに、リーブル酒が深みを与えて後味がとてもまろやかに感じます。


「書類は、これでよろしいでしょうか?」

「どれ、あぁ大丈夫だ。では、魔石を……」


 ナシオスさんに促されて、ふっと視線を向けるとブランシェさんが台車を用意していました。

 んんっ? その台車どこから出したの? まさか、制服の内側に隠してたとか?


「えっと、ラインハルト、お願い……」

『ぶははは、お任せくだされ』


 一抱えもあるクラーケンの魔石は、ぶっちゃけ僕では持ち上がらない可能性の方が高いです。

 闇の盾を出して、ラインハルトに台車まで運んでもらいました。


「うーん……それにしても見事なものだな。これだけの大きさで曇りすら無い」


 魔物から取り出した魔石には、内部に濁りのあるものや、ヒビが入っているものがあります。

 クラーケンを討伐した時に送還術で影の空間に放り込んで、そのままにしていたので良く見ていませんでしたが、確かに傷も曇りも見当たりません。


 深い海の藍色の水をそのまま固めたようで、覗き込んでいると飲み込まれてしまいそうに感じます。

 これは、日本に持ち込んでも相当な値段が付くかと思いましたが、魔素の無い日本では放置すると崩壊してしまうんですよね。


「確かに、これを展示して生でみれば、好事家どもは喉から手が出るほど欲しがるだろうな。なんと言ってもクラーケンだ、この先手に入る保証など無いからな」

「そうですね。討伐は可能ですけど、肝心のクラーケンが現われなければ倒しようもないですからね」

「そう言えば、クラーケンは完全に討伐できたのかね?」

「今朝、ジョベートから試験航海の船が出港したところです」

「ほう、そっちの護衛は頼まれなかったのかい?」

「さっきまで僕も船に乗っていましたし、今は眷属が乗船してますので、何かあれば連絡が来ますので、すぐ駆けつける予定です」


 試験航海の船の護衛状況を説明すると、ナシオスさんはブランシェさんと顔を見合わせていました。


「いやはや、ヴォルザードとブライヒベルグを自由に行き来出来ると知っていても、ジョベートの更に海の向こうの船の上までとは……我々の想像を超えているな」

「今回の試験航海が上手くいけば、向こうの大陸までも自由に行き来できるようになりますよ」

「その話は、是非に向こうの大陸の連中にも知ってもらいたいものだ。一瞬で移動できる人間が居ると知れば、海を越えて侵略しようなんて馬鹿なことは考えなくなるだろうからな」

「なるほど、確かに海を越えて攻めて来たら、兵站をぶった切る事は可能ですし、何なら敵の本拠を急襲することも可能ですね。まぁ、やりませんけど、争いが起こらないようにするためなら、名前を使われても構わないですね」


 海の向こうの大陸については、何も知りませんが、ランズヘルト共和国に攻めてくるならば僕の敵です。

 攻めて来たら、送還術を使って強制送還するというのも良さそうですね。


 向こうの大陸近くの海を目掛けて送還すれば、多少のズレがあっても生き残る確率は高いでしょう。

 そもそも、戦争を仕掛けてくるのだから、死んだところで文句を言われる筋合いも無いですしね。


「ギルドに来る前に、街を歩いてきましたが、更に賑わっている感じですね」

「その通りだ。大森林の向こうへの荷物は、全てブライヒベルグを経由している。と言うか、アウグストの所だな。おぉ、そうだ、あのコロを使った仕組みは良いな。さっそくブライヒベルグの職人が真似て同じような物を作っているが、あれほど滑らかには回らない。あれは、どういう仕組みなんだ?」

「あぁ、たぶん、ベアリングですね」


 ベアリングの構造を簡単な絵にして説明すると、ナシオスさんは何度も頷いていました。


「なるほど、なるほど、コロの両端が、更にコロで支えられているようなものだな。だが、球にしても円柱にしても、大きさや太さが均一でなければならないし、高い精度が要求されそうだな」

「はい、あのローラーコンベアは、僕が生まれた国の製品なんですが、むこうは魔術が存在しない代わりに工業技術が発展しています。工作精度ではかなりの違いがあると思いますが、基本的な考え方さえ分かれば、職人さんが工夫するんじゃないですか?」

「そうだな、基礎となる技術は自分たちで身に着けていかねば、たとえ発展しても歪みが出て来るだろうな」


 できれば見本品が欲しいというナシオスさんの要望に応えて、折りを見てベアリングの見本を持って来ることにしました。


「話は変わるが、アウグストという男は本当に真面目だな。あれは本当にクラウスの息子なのか?」

「はははは、クラウスさんを見て育ったからこそ……じゃないですか」

「なるほどな。そういう見方もあるか。少々真面目すぎるところはあるが、集荷場の者達とも馴染むように気さくに話し掛けているようだし、暴漢に刺された後も何事も無かったように振る舞っていたそうだ」

「その暴漢……グラシエラですが、処刑されたと聞きました」

「ケント君と因縁浅からぬ仲だったようだな」

「はい、バッケンハイムを襲ったロックオーガの討伐あたりから妙に対立するようになってしまって……」


 僕とグラシエラの関係について、簡単に説明しました。


「私のところにも、色々な話は届いているが、今回の一件は、逆恨みで、しかも関係の無いアウグストを狙った犯行だ。情状酌量の余地は無い。斬首の上、遺体は焼却、骨は粉砕して無縁墓地に埋葬した」


 罪人の遺体は、強い未練を残している場合が多く、アンデッドとなるのを防ぐ意味で焼却し、骨まで粉砕する処置が取られるそうです。

 ここまで処理すれば、ゾンビにもスケルトンにもなる心配は無いそうです。


「あの……処刑というのは公開で行われるものなんですか?」

「いいや、処刑は原則非公開だ。公開されるのは、よほどの大罪を犯し、処刑の公開が世間の安定に繋がると判断した時だけだ」

「では、グラシエラも?」

「あぁ、非公開で行った。遺品の受け取りは、バッケンハイムギルドのリタという職員を指定していたから、そちらへ送っておいた」


 そう言えば、グラシエラに初めて会ったのは、マスターレーゼに会うためギルドの受け付け前でウロウロしていた時でした。

 あの時は、頼りになる真面目な冒険者に見えたのに、何でこんな結末になってしまったのか。


 マスターレーゼの右腕としてギルドを取り仕切っているリタさんとは、随分と親しい間柄だったように見えました。

 リタさんとは暫く顔を合わせていませんが、僕の事を恨んでいたりするのでしょうかね。


 グラシエラが処刑されたのは、自業自得と言ってしまえばそれまでですが、その責任の一端を担っているような気がして、気分が重たくなってきます。


「どうかしたのかね、ケント君」

「いえ、何でこんな事になっちゃったのかと思って……」


 グラシエラに対する心情を語ると、ナシオスさんは何度か頷いた後で意見を聞かせてくれました。


「私は、ケント君とグラシエラが遭遇した場所に同席した訳ではないから、全てを理解している訳ではないが、少なくとも処刑に関してケント君が負い目を感じる必要は無いよ。さっきも言った通り、グラシエラには情状酌量の余地など残されていなかった」

「そう、ですね……」

「それにね、人という生き物は、時に他人には理解できない行動をとるものなんだよ。全ての人間が、理にかなった行動をするならば、この世界からは犯罪なんて無くなっているはずだ。だが、現実に犯罪は日々繰り返されている。人間とは、そういう生き物なんだよ」


 僕よりも長い年月を領主一族として生きてきた人の言葉には重みがあります。


「それにね、ケント君。グラシエラの処刑に納得できないという事は、私の処分に異を唱えるようなものだよ」

「いいえ、そんなつもりじゃ……」

「分かってる。だが、あの場面で、君はグラシエラの殺害ではなく捕縛を選んだ。それは、ブライヒベルグに、私に処分を一任したんだ。受け入れてくれたまえ」

「はい、ありがとうございます。ご面倒をお掛けしました」

「なぁに、このランズヘルト共和国への君の貢献に較べれば安いものさ。そう言えば、アルナートの爺さんから、姪っ子か孫の嫁入りを申し込まれなかったかい?」

「えぇぇぇ……どうしてそれを」

「はははは、あの爺さんの性格を知っていれば簡単に予想できるさ」

「なるほど……」


 孫娘のカーティアちゃんの嫁入りを打診されたと伝えると、ナシオスは笑っていました。


「それならば、うちからも……と言いたいところだが、年頃の娘はカロリーナだけだからな」

「アウグストさんとの結婚はいつ頃を予定されているんですか?」

「まぁ、イロスーンの状況が一段落したら……だな」

「じゃあ、僕も頑張らないといけませんね」

「そうだな、何なら結婚前に孫が生まれても構わないのだが……」

「アウグストさんでは、それは望めないかと」

「はははは、そうだな」


 アウグストさんとカロリーナさんは、本人同士は勿論、親同士も公認の間柄のようです。

 ヴォルザードとブライヒベルグは、この先も良い関係を続けていけそうですね。


「ナシオスさんは、クラウスさんと長い付き合いのようですが、子供の頃からなんですか?」

「私とクラウスは同い年だが、クラウスは次男坊だったから子供の頃に領主の会合に同行して来るような事は無かった。その頃は、亡くなったクラウスの兄の方が親しかった」

「では、親しくするようになったのは、バッケンハイムの学院に行ってから……じゃないのか」

「はははは、その様子だとクラウスから話を聞いているようだね。あいつは、二ヶ月で学院から姿を消しやがったから、友人ではあったが、特別親しくなるほどの時間は無かったな」

「では、学校を卒業されてからですか?」

「そうだな。学校を卒業して、親父の手伝いをし始めた頃にバッタリ再会してな。私はブライヒベルグの領主の跡取りなのに、クラウスの方が街に詳しいんだぞ、参ったよ」


 それ以来、ナシオスさんは自分の街を深くしる案内役としてクラウスさんと親交を深めていき、現在に至っているそうです。


「今日のお昼はダナさんの店で食べてきました」

「おぉ、ブライヒ豚のステーキか。あぁ、私も明日あたり行ってみるかな」

「ダナさんの店は、クラウスさんが冒険者をやってた頃のまんまだと聞きました」

「まぁ、店の作りはだな。開店した当時は、店も新しくて綺麗だったし、ダナも若くて美人で、若い男どもが列を作ってたもんだ。今の姿からは想像できないだろうがな……」


 そう言って笑うナシオスさんは、やっぱりクラウスさんの友達らしく、悪戯小僧がそのまま歳を重ねたような表情を浮かべていました。

 その後も、若い頃のクラウスさんの失敗談などを色々と教えてもらい、有意義な時間を過ごさせてもらいました。

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