第324話 試験航海
試験航海に船出する朝、ジョベートは薄曇の朝を迎えていました。
海は大きなうねりは無いものの、少し風があるようで、海面が波立っているようにみえます。
港には、早朝というのに、多くの人が行き交っています。
みんな試験航海の船を見送りに来ているのかと思いましたが、どうやらそうではないようです。
海を渡って隣の大陸まで行く船は試験航海の船だけですが、近場での漁は再開されているようで、小型の漁船が湾の出口を目指して出港して行きます。
勿論、試験航海に向かう船の周囲には、多くの人が見送りに集まっています。
一応、目撃されていたクラーケンは退治しましたが、まだ他にもクラーケンが残っている可能性もあります。
それに加えて、クラーケンを丸呑みにした巨大魚バハムートが、船を攻撃しないとも限りません。
一つ間違えれば命を落とす危険な航海とあって、見送る側の目には光るものがあります。
歩み寄って、大丈夫と言いたいところですが、大魚バハムートが襲ってきたら、一人の犠牲者も出さずに守りきれる自信はありません。
見送りの一団の中には、エーデリッヒの領主、アルナートさんや、息子のバジャルディさんの姿もあります。
アルナートさんは、自信に満ちた晴れやかな表情ですが、バディさんの表情には硬さが見られます。
バディさんの懸念は十分理解出来ますが、こうした場面では迷いや不安を表にだすべきではないのでしょう。
やはりアルナートさんの方が、領主としての経験を積んでいる分だけ余裕があるのでしょう。
「おはようございます、アルナートさん、バジャルディさん」
「来たな、ケント・コクブ。よろしく頼むぞ」
「はい、全力を尽くしますよ」
「うむ、では、この船の船長を紹介しておく、おい、カルドーソ!」
アルナートさんが声を掛けたのは、港の岸壁でたくさんの女性に囲まれている男性でした。
年齢は三十代前半ぐらいでしょうか、口髭を蓄え、ブロンドの長髪を頭の後ろで束ねています。
なんだか、クラウスさんを三倍ぐらい軽薄にした感じですが、大丈夫なんですかね。
チラリとアルナートさんに視線を戻すと、ニヤっとした笑みを返されました。
「心配するな、あれでも船長としての腕は抜群だ。それと、あの女どもは全員借金取りだ」
「えぇぇぇ……」
僕の心配など想像すらしていないのでしょう、カルドーソ船長は両手を大きく広げ、満面の笑みを浮かべながら悠々とした足取りで近付いて来ました。
「これは、これは、アルナート様、朝早くから御足労いただき感謝いたします」
歩み寄ってきたカルドーソ船長は、右手を胸にあてながら、恭しく腰を折ってみせます。
舞台役者のような振る舞いですけど、胡散臭さ爆発ですね。
「カルドーソ、紹介しておく。彼がヴォルザードのSランク冒険者、ケント・コクブだ。聞いていると思うが、クラーケンを討伐し、今回の航海の護衛も務めてくれる」
「はぁっ? こんな子供が護衛なんですか?」
まぁ、カルドーソ船長の反応も理解出来るんですけど、紹介される度に、思いっきり舐められるか、化け物扱いされるか両極端すぎますよね。
もっと、何と言うか、キラキラした尊敬の眼差しとか……無理な話か。
「どうした、不満なのか?」
「そうですねぇ……護衛と言っても、海の上では何が出来る訳でもありませんし、指名依頼となれば報酬も高額なんですよね。その分を我々の報酬に上乗せしてくれた方が、有意義ってもんじゃないですか? というか、こんなガキがSランクって、本当なんですか?」
カルドーソ船長が、まるでミュージカルの役者のように派手な身振り手振りを加えて話すから、周りにいた人たちの視線が僕らに集まっています。
「ケント・コクブよ、こう言っておるが、何か言うことは無いか?」
「そうですね……あぁ、初めまして、ケントと言います。今回の試験航海の護衛をアルナートさんから依頼されました。依頼を受けましたが、他にも断われない案件を抱えていますので、基本的には僕の眷族を同行させます」
「どういう意味だい? 依頼は受けたけど、船には乗らないってことか? そんなんで護衛が務まるのか?」
それまでは、にこやかな表情を崩さなかったカルドーソ船長は、眉間に皺を寄せて厳しい視線を向けてきました。
「僕は、闇属性の移動魔術が使えるので、連絡役と目印役の眷属が居れば、どこからでも知らせを受けて、すぐに駆けつけること出来ます。例えば、リーゼンブルグに居たとしても、船の船室で知らせを受けるのと変わらない早さで戦闘に参加出来ますよ」
影移動を使った護衛の方法を説明しても、カルドーソ船長は訝しげな表情のままです。
「眷族っていうのは何だ?」
「コボルトです」
「コボルトだぁ? そんな雑魚みたいな魔物に何が出来るってんだ!」
「まぁ、実際に見てもらった方が良いですね。アルト、イルト、おいで!」
事前に打ち合わせて、影の空間で待機させておいたアルトとイルトが、ひょこっと飛び出して来ると、周りにいる人たちからどよめきが起こりました。
アルトが僕の右側に、イルトが左側に立って、ビシっと騎士の敬礼をしてみせると、どよめきは感嘆の声に変わりました。
僕の意図を読み取ってくれた完璧な振る舞いに感謝して頭を撫でてあげると、ピシっとした姿勢は崩さなかったけど、尻尾が千切れんばかりに振られています。
「この子らは、単独でオーガを瞬殺するぐらいの戦闘力を持っていますし、僕の意思を忠実に読み取って行動してくれます。今回は、直接戦闘には関わる訳ではなく、連絡役と目印役ですから、十分に役目を果たしてくれるはずです」
「コボルトごときが、オーガを瞬殺だと? 寝惚けたことぬかしてんなよ」
「何なら、試してみます?」
「出航前に、ぶっ殺しちまっても構わないってのか?」
「はい、出来るものなら、やってもらって構いませんよ」
「おいっ、ゾッド! このコボルト、ぶっ殺せ!」
カルドーソ船長に呼ばれて姿を現したのは、身長2メートルを越えるスキンヘッドの船員でした。
普通の人よりも腕が長く、真っ直ぐ立った状態でも膝に手が届いています。
全身がはち切れんばかりの筋肉に覆われていて、左手には丸太のような棍棒を携えています。
荒事の雰囲気を読み取って、岸壁にいた人たちが離れて空間が出来上がりました。
「よし、どっちが勝つか賭けるか?」
「アホか、賭けになんねぇよ」
「ゾッド、十秒で片付けてやれ!」
「ばーか、あんなの二秒だ。一匹一秒、二匹で二秒で終わりだよ」
騒ぎを聞き付けて、船員たちが船べりに集まっています。
誰一人として、ゾッドの敗北を疑う者は居ないようですね。
「ご主人様、やっつけていいの?」
「動けなくなる程度ね。多少壊れても治すから、頭以外を狙って」
「わふっ、わかった」
イルトと頷き合ったアルトは、背負っていたオモチャみたいな短剣を外して僕に預け、ポテポテと歩いて前に出ました。
「ゾッド! 叩き潰せ!」
カルドーソ船長の合図を受けると、その巨体からは想像出来ないほど俊敏な動きで、ゾッドはアルト目掛けて棍棒を振り下ろしました。
丸太のような棍棒は、ドガっという大きな音を立て、迎え撃ったアルトの裏拳に圧し折られて海に向かって飛んで行きます。
見送りに集まっていた人々の目が、驚愕に見開かれる中で、アルトは棍棒を振り下ろしたゾッドの腕を抱え込み、流れるような一本背負いで海に向かって投げ捨てました。
僕よりも頭一つは小さいアルトが、見上げるような大男を投げ捨てる……これぞ柔よく剛を制するって、凄すぎでしょ。
何事もなかったように、ポテポテと戻って来たアルトを思いっきりモフってあげましたよ。
はいはい、イルトもだね、アルトに手柄を譲っただけなんだよね。
「な、なっ……」
「どうですか、カルドーソ船長、まだやりますか?」
余裕を見せ付けるように腕を組んで見守っていたカルドーソ船長は、口を半開きにしたままフリーズしています。
船べりに雁首並べた船員たちも、右に同じという感じですね。
「もしコボルトで物足りないとおっしゃるなら、ギガウルフでも、サラマンダーでも、ストームキャットでも連れてきますけど、どうします?」
「い、いや……結構だ。分かった……」
もう一度、影移動を使った護衛体制について説明して、アルトとイルトが船内を歩き回る許可をもらいました。
彼らにとっては、クラーケンが襲ってきた場合には、アルトとイルトが命綱になるのだと、ようやく理解してもらえたようです。
今回の航海では、海上の見張り役として、数名の冒険者が乗り込むそうです。
その中には、前回のクラーケン討伐に参加していたセイドルフの姿もあります。
セイドルフが参加するとなれば、バディさんの姪っ子ディアナが見送りに来ています。
他にも恋人との暫しの別れを惜しむ姿はあるのですが、二人の回りだけはピンク色の空気が濃厚に漂っているような感じです。
そんな周囲の気温が二、三度上昇しそうな二人が、僕の方へと歩み寄ってきました。
「セイドルフさんも航海に参加されるんですね」
「あぁ、乗りかかった船というか、クラーケン騒動を最後まで見守りたいと思ってな」
「ケント・コクブ殿、どうかセイドルフを守って下さい」
「はい、僕に出来る限りのことはやるつもりです」
「実は俺たち、この航海が……」
「はい、ストップ! そこまで、そこまでですよ」
「どうしたんだ、急に」
「僕の生まれた国では、命賭けの仕事に臨む時には、終った後の話はしてはいけないという仕来たりみたいなものがあるんです。その話は、航海が終った後に聞かせていただきます」
ふぅ、危ない危ない、変なフラグを立てられて、バハムートに襲われたらたまらないですよ。
「そうなのか、変わった仕来たりがあるのだな。とにかく、よろしく頼む」
「はい、うちは、このアルトとイルトがメインになりますから、何か異変があったら船内に響くように大きな声で知らせて下さい。僕も出来るだけ早く駆けつけるようにします」
船員さんや見張り役の冒険者が乗り込み、いよいよ出航の時刻になりましたが、アルナートさんの孫娘カーティアの姿を見掛けていません。
僕としては、変に迫られるよりも助かるのですが、居なければ居ないで何か裏でもあるのではと勘ぐってしまいます。
船に乗る機会は少ないので、僕も途中まで乗せてもらうことにしました。
錨を上げてしまえば、あまり船員さんが立ち入らない船の舳先に陣取って、アルトたちと景色を楽しみます。
引き船によって岸壁を離れた船は、櫓によってゆっくりと進み、湾の中程まで来た所で帆を上げました。
この日は、山からの西風が吹き降ろしていて、帆が大きくはらむと、一気に船足が上がりました。
正面から感じる海の風、舳先が波を切る音、船出を祝福するかのごとく、雲間からは光が差し込み始めました。
「うーん……気持ちいい。船旅も良いものだね」
「わふぅ、イルト、あれやろう」
「わふわふ、やろうやろう」
イルトが船の舳先ギリギリの所で両手を翼のように広げて立つと、アルトが後ろから支えるようにお腹を抱えました。
えぇぇ……これって、もしかして有名な映画のワンシーンですか。
ご丁寧に耳コピした怪しげな英語の主題歌も口ずさんでいます。
コボルト達に与えたタブレットを使って、どこかのサイトで動画を見たのでしょう。
アルトとイルトが遊んでいる姿を見て、マルトたちも影から出て来て加わりました。
ちょっとだけ、僕も混じってやってみたくなっちゃいました。
船が湾を出る頃には、スッカリ雲も晴れて、日差しが降り注いできました。
岸壁での振舞いは、かなり残念だったカルドーソ船長ですが、さすがに海に出ると表情は引き締まり、キビキビと指示を飛ばしています。
マストの上の見張り台には、セイドルフが陣取り、厳しい視線を海へと向けています。
こちらは、ちょっと気負いすぎという感じで、それじゃあ向こうの大陸に着くまで身が持たない気がします。
「わふっ、ご主人様、何か来た!」
イルトとタイ〇ニックごっこを続けていたアルトが鋭い声を上げました。
船べりに近付いて海を覗き込むと、船と併走する影があります。
時折、丸っこい背びれを海面からのぞかせながら泳いでいるのは、イルカに似た生き物のようです。
念のために危険は無いのか、見張り台のセイドルフに視線を向けると、両手で丸印を作ってよこしました。
「わふぅ、ご主人様、跳ねたよ!」
「あれは、船を仲間だと思って遊んでるんだよ」
「そうなの? みんな泳ぐの速い!」
「わぅ、イルトも速く泳ぎたい」
「じゃあ、この依頼が終ったら、うちの池でザーエ達に習おうか?」
「わふぅ、うちも習う、習う」
試験航海が終ったら、マイホームの池で水泳教室が流行りそうだけど、モフモフのコボルト隊は水の抵抗が邪魔をして、ザーエ達のようには泳げそうもないですね。
「ご主人様も習う?」
「えっ? うーん……まだ寒いから、もっと暑くなったらね」
マノンやベアトリーチェは泳いだことがないと言ってたので、一緒に水泳の練習でもしましょうか。
これは、日本から競泳用の水着を輸入しないといけませんね。
いっそマイクロビキニでも……いやいや、城壁上から覗かれそうですから、ガードの固い水着にした方が良いでしょう。
水着に隠された部分は、一緒にお風呂に入った時にでも……むふふふ。
「わぅ、うちも一緒にお風呂に入る!」
「はいはい、新しい家が出来たら、みんなで入ろうね」
船から海を眺める楽しさが伝わったのか、手の空いているコボルト隊が代わる代わる姿を表して、タイ〇ニックごっこを楽しんでいました。
アルトがゾッドの棍棒を粉砕して投げ飛ばす様子を見ていた船員たちは、わらわらと増殖するコボルト達に畏怖を感じているようです。
「ケント・コクブ、そろそろクラーケンと遭遇した海域だ」
セイドルフから声が掛かった途端、その場にいたコボルト隊は舷側へと張り付き、尻尾をピンっと立てて海を睨み始めました。
いつの間にか、併走していたイルカの群れも姿を消しています。
風が弱まってきたらしく、船足が少し緩まり、海面のさざ波も収まってきました。
船の上にはピーンと張り詰めた空気が漂い、静まり返っています。
「二時の方向に鳥山!」
「構わず、そのまま直進!」
クラーケンを討伐しに来た時とは違い、この船は危険には近付きません。
ただ、それではクラーケンが居なくなったか確認できないので、僕は星属性の魔術を使って偵察に向かう事にしました。
「マルト、星属性魔術で偵察に行くから、身体を守っていて。何かあったら、身体を軽く叩いて知らせて」
「わふぅ、まかせて、ご主人様」
身体を船上に残して空に上がり、上空から鳥山に接近し、そのまま偵察します。
空から眺めると、そこだけ海面が波立って、小魚の群れが泳いでいるようです。
海中に潜ると、イワシのような小魚が、大きな塊となってグルグルと回り、その周りを大型の魚が回遊しています。
2メートル近い大きな魚は、見るからにマグロチックな姿形をしています。
あれって絶対美味しいよね。明日は闇の曜日だし、お土産に持って帰ってアマンダさんに料理してもらいましょう。
「召喚!」
一番丸々と太って、美味しそうに見えるのを選んで、召喚術でミルト達のところへと放り込みました。
マグロっぽいの、ゲットだぜ。
この後も、小魚の群れの周囲を回りながら偵察を続けましたが、クラーケンもバハムートも姿を見せませんでした。
三十分ぐらい偵察を続けても変化がみられないので、一旦船に戻る事にしました。
「ただいま。アルト、こっちの様子は……って、忘れてた」
僕の体の脇で、マグロっぽい魚がビチビチと跳ねています。
てか、海水も一緒に送還しちゃったから、びしょ濡れなんですけど。
濡れた服は、水属性魔法を使って脱水しました。
「おい、あんた。早く締めて血抜きしないと不味くなるぞ!」
そうでした。テレビの特番でマグロ漁の様子を見たことがありますが、釣り上げた直後にエラを切って血抜きしてましたね。
影の空間経由で、サクっと延髄を切って締めたら、尾っぽを縛って船から吊り下げ、エラの根元を切断して血抜きしました。
血抜きをしている間に、魔の森の訓練場へと移動して、魚が収まるぐらいのケースを土属性の魔術で作成。
ケースを影の空間へ移動させたら、今度はリーゼンブルグのカルヴァイン領地へ移動して、山に積もった根雪を召喚術で切り出してケースに敷き詰めました。
「ただいま。みんな、影の空間のケースに入れて」
魚をケースに収めたら、切り出しておいた雪を上から載せて、貯蔵完了です。
これって、日本の市場に持ち込んだら、高値で売れますかね。
「セイドルフさん、何か変わったことはありませんでしたか?」
「大丈夫だ。君らを見ていたら、無駄に気負いこんでいるのが馬鹿らしくなったよ」
うん、これって褒められているんでしょうか、それとも呆れられてるんでしょうかね。
この後、二度ほど鳥山に遭遇しましたが、クラーケンは姿を現しませんでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます