第322話 恨み買います?
同級生に大剣で斬り付け、鎖骨を切断するような怪我を負わせたアクシデントの翌日、検索を掛けてみましたが、ネットに情報は流れていませんでした。
また魔落ちした藤井が殺人事件を起こした時のように、帰還する同級生たちへの風当たりが強くなるのは困ると思っていたので、少しホッとしました。
ようやくネットに情報が流れるリスクを感じ始めたのか、それとも単純に写真や動画を撮り損ねたのかは分かりませんが、騒がれない方が良いに決まっています。
自衛隊の門の前に市民が押し掛けるようだと、また別の駐屯地に受け入れ体勢を作ってもらわなきゃいけなくなりますからね。
「それで、処分はどうなりました?」
「知らん」
帰還作業を行う前に気になっていたので、斬り付けた同級生への処分を加藤先生に訊ねましたが、しれっとした調子で返事をされました。
「えっ……? 知らんって、処分しないんですか?」
「こっちではな。順番を変更して今日帰国させ、処分は日本で行う」
「それって、丸投げってことですか?」
「あのなぁ、国分。そもそも傷害事件の刑事罰については、日本にいたって警察の仕事だ。凶器が大剣なんて代物だったり、特殊な要素が絡んでいるが、刑事罰を決定するのは我々の仕事じゃないぞ」
確かに、その通りなんですが、最近の加藤先生の振る舞いが、やけに適当になっているように感じます。
「でも、何の処分もしないんですか?」
「斬られた富田に、斬った中村を思いっきりビンタさせて、それで恨みっこ無しの和解をさせたから、それでいいだろう」
「えぇぇ……何ですか、その体育会系のノリは」
「まぁ、普通の学校で起こったなら、停学だ、退学だと騒ぎになるんだろうが、良く考えてみろ、国分。所属こそ光が丘中学校になっているが、校舎が無いどころか俺たちは日本にすらいない、日本に戻ったところで登校すら出来ない状況が続いている。こんな学校なんて言えん状況で、処分もクソもないだろう」
「ま、まぁ、そうですね……」
加藤先生の言う通り、そもそも登校すら出来ない状況で、停学処分とか課しても意味ないですよね。
「でも、何だか加藤先生、変わりましたよね」
「あぁ、前よりもチャランポランに感じるんだろう? 否定はせんぞ」
「何かあったんですか?」
「はははは、何を言ってるんだ、国分。あの日を境にして、どれだけの事が起こったと思ってる。普通の人間では、決して味わうことの無いだろう日々を過ごせば、変わらないほうがどうかしているぞ」
リーゼンブルグに召喚されてからの日々は、非日常の連続でしたから、僕も昔の僕ではありません。
ただ、救出した頃の加藤先生は、もっと厳しいというか、融通が利かない感じがしていたので、何か心境の変化をもたらすことがあったのでしょうか。
「まぁ、確かに色々と考えることはあった。一言で言ってしまうなら、自分の無力さを改めて感じているってところだな」
加藤先生が、大学を卒業して教師になったのは、いわゆるバブル景気の頃だったそうです。
「国分は知らんだろうが、あの頃は日本中がバブル景気で浮き足立っていた。今では考えられないぐらい就職も楽でな。お祈りメールなんて言葉は存在していなかった。大学の同期も、殆どが民間会社に就職して、公務員を選ぶなんて変わり者だと思われるぐらいだったんだぞ」
「先生は、どうして先生になったんですか?」
「教師になるのが夢だったからだ。あの頃は、ブラック企業なんて言葉もなかった時代だ。給料は良いが、労働環境も苛酷で、俺たちのような体育会系の人材は重宝された時代でもあった。OBとのコネを使えば、大手一流企業に潜りこむことだって簡単だったが、俺は自分の夢を優先した。まぁ、教師になって二、三年でバブルも弾けて、公務員を選んで正解だと思ったがな……」
加藤先生は、一旦言葉を切って息をつくと、ふっと寂しげな表情を浮かべました。
「俺は、夢である教師になったが、理想とする教師にはなれていない。自分なりに頑張っているつもりだったが、全然、全く足りていないな。国分、地下鉄サリン事件って知ってるか?」
「えっ? えっと……何かヤバい教団が、毒ガスを撒いた事件ですよね?」
「そうだ、宗教団体がサリンという猛毒の化学兵器を製造して、地下鉄の車内に撒いた事件というよりもテロだな。その宗教団体の幹部連中は、京大をはじめとして一流大学を卒業したエリートだったって知ってるか?」
「いえ、僕が生まれる前の事件なんで、テレビでちょっと見たぐらいで詳しくは知らないです」
「じゃあ、神戸で中学生が起こした連続児童殺傷事件とか、大阪の小学校に男が侵入して生徒や教師二十三人を殺傷した事件は知ってるか?」
「それも、僕が生まれる前の事件ですか?」
「そうだな、国分はまだ生まれていなかっただろうな」
加藤先生が教えてくれた事件の概要は、いずれもゾッとする内容でした。
「そうした重大な事件が起こる度に、教育方針や学校の警備状況の見直しが行われてきたが、小中学生が巻き込まれた事件を毎年、いや毎月のように聞く。イジメによる自殺も無くならない。それでも、せめて俺の勤めている学校では、そうした悲しい犠牲者は出さないつもりでやってきたし、あの召喚の日までは出来ていたんだ」
リーゼンブルグに召喚されてから、命を落とした同級生は五人。
ラストックで衰弱死した船山。
城壁から飛び降りて、自ら命を断ってしまった関口さん。
ネット配信中に、オークの投石を食らった田山。
グリフォンを撮影中に攫われた三田。
帰国後に魔落ちして暴れ、射殺されてしまった藤井。
「あれから、一年も経たない間に五人だ。いくら異常な状況だったとは言え、関口や田山、三田は、死なずに済んだかもしれない。そう考えると、今まで俺のやってきたことは、何だったのかと思ってな……」
「そうですか……」
「まぁ、これは俺の問題だ。それより国分、そろそろ帰還作業の時間だ。斬りつけた中村は今日帰国させることにしたから、よろしく頼むぞ」
「はい、分かりました」
加藤先生と一緒に、守備隊の訓練場の脇へと移動すると、帰国する以外の男子も集まっていました。
どうやら、騒動を起こした中村君を気遣っているようです。
歩み寄っていくと、同じクラスの市川君が話し掛けて来ました。
「よぅ、国分。今日は俺も帰るから、よろしくな」
「うん、任せて」
「それと、中村が罪に問われないように、何とか出来ねぇかな」
「それって、コネ的にかな」
「そうそう、色々と政府の偉いさんとか警察の人とも会ってるんだよな」
「まぁ、話だけはしてみるけど、そもそも大事にはならないと思うよ。全員の帰国が終るまでは、バッシングとかされたくないだろうし」
「そっか、でも小学校の頃からのダチなんで、頼むよ」
「了解」
影の空間から月面探査車みたいなケージをマルトたちに出してもらい、帰還する同級生に乗り込んでもらおうかと思ったら、昨日の被害者、富山君に声を掛けられました。
「国分君、悪いんだけど、ちょっと中村を治療してくれないかな」
「えっ、どうした……うわぁ!」
ずっと背中を向けていたので気付かなかったけど、中村君の左の頬は青黒く変色しています。
「これ……もしかして昨日のビンタ?」
「いやぁ、思いっきりやってくれって言われたし、大丈夫だって言ってたから……」
「いやいや、やり過ぎでしょ……」
ビンタを食らった中村君は、大剣で斬り付けてしまった罪の意識から、ろくに冷やしもせずに一晩耐えていたそうです。
「この顔で日本に戻ったら、それこそ騒ぎになっちゃうよ。じゃあ、ちょっと治療しようか」
「待って、治療は私がするから、健人は帰国の準備を進めて」
「じゃあ頼むね、唯香」
「うん、任せて」
中村君の治療を唯香に頼んで、僕は練馬駐屯地に目印用のゴーレムを設置しに行きました。
設置すると言っても、倉庫の床にはガムテープで位置決めの印を付けてあるので、ポン、ポンと置いてくるだけです。
ヴォルザードに戻ると、中村君の治療も終ったようです。
「はい、これで大丈夫ね」
「ありがとう、浅川さん。俺、騎士タイプだったから、リーゼンブルグに捕まっていた時も、いつもいつも治療してもらってて、だから……その……ずっと好きでした。お、俺と付き合って下さい!」
「手前、中村、何言ってんだよ。お、俺もずっと好きでした、浅川さん」
「お前らなぁ、俺も好きでした。お願いします!」
「ちょっと待った! 僕も結婚を前提にお付き合いして下さい!」
えぇぇぇ……僕が中村君を止めるよりも早く、集まっていた野郎共が一斉に唯香に告白を始めました。
唯香がチラっと僕に視線を向けて……あれっ、大丈夫だよね。
僕、捨てられたりしないよね。
「ごめんなさい、皆さんの気持ちは嬉しいけど、私は健人に決めたから……」
軽く頭を下げた後で、唯香は僕に歩み寄ると、左腕を抱えて肩に頭を預けて来ました。
むふふふ、この至高のふにゅんふにゅんは僕のだからね。
「ぐぬぅぅぅ……国分めぇぇぇ……かくなる上は、マノンさん、僕と……」
「ごめんなさい!」
「うぇぁぁぁ……」
電光石火でごめんなさいしたマノンは、僕の右腕を抱えて頭を預けてきました。
うんうん、この妙なるプニプニも僕のだからね。
てか、そこで膝から崩れて這いつくばってる野郎どもは、他人の彼女じゃなくてフリーな女の子を狙いなよ。
「よーし、そこのモテない野郎共、さっさと乗り込んでベルト締めろ」
うへぇ、加藤先生、そんな傷口に塩を塗るような事を言わなくても……。
「そう言う先生は、俺たちぐらいの頃はモテたんすか?」
「富田、お前は馬鹿なのか? 小学校から大学まで柔道一筋だった俺がモテるはずがないだろう。だがな、教えておいてやる。国分が、お前らが羨むような状況を楽しんでいられるのは今だけだ。あと数ヶ月もしてみろ、四人の嫁の尻に敷かれて、ご機嫌を取り続けなきゃいけないんだぞ」
「おぉぉぉ……」
いやいや、おぉぉぉ……じゃないから……って、心なしか腕の締め付けがきつくなっているような……。
「いいか、お前ら。何人もの女を侍らせて笑っていられるのは、誰とも結婚しないクズ野郎だけだ。結婚は人生の墓場だと言われているのを知ってるだろう? この若さで、自ら墓場に入る国分に言ってやれ、ざまあみろって」
「国分、ざまぁ!」
「お前の時代は、もう終るんだよ」
「ご愁傷様ぁ!」
「あれあれ、言い返す言葉も思いつかないのかなぁ……?」
「異世界で、尻に敷かれて一生を送るんだな!」
いやいや、マジで加藤先生は、糸が切れちゃったんですかね。
てか、悔しくも何ともないんですけど……・
「あーっ……僕が墓場に入るのだとすれば、成仏も出来ず彷徨い続ける亡霊がごときモテない皆様、心温まる身を切るようなメッセージありがとうございます。皆さんが帰国次第、甘々トロトロの新婚生活に入る予定です。現在建設中の自宅には、お嫁さん全員と一緒に入っても余裕たっぷりの湯船も準備していますので、これからも整然と、問題を起こさず、とっとと日本に帰りやがれ。以上です」
一瞬の静寂のあと、亡霊どもの怒号が響き渡りました。
「くそがぁ! タンスの角に足の小指をぶつける呪いを掛けてやる!」
「俺は、アサリの味噌汁飲んだらジャリっとする呪いだ」
「久々に自転車乗ろうとしたらパンクしてる呪いを掛けてやる!」
「あーっ、うるさい、うるさい! 帰国するやつは、さっさと乗ってベルト締めて。今日が順番じゃない奴らは解散! しっ、しっ、散れ、散れ!」
帰国組は渋々といった様子でケージに乗り込み、見送りに来た連中は捨て台詞を残して去って行きます。
「ちくしょう、いい気になるなよ国分。いつも、便所に紙があると思うなよ!」
「そうだそうだ、覚えてろよ、いつもSuekaにチャージされてると思うな!」
いやいや、もうSuekaを使う予定は無いし、トイレに紙が無くても水属性魔術でセルフウォシュレット出来ちゃうんだよね。
てか、送還術を使う前から、グッタリするほど疲れちゃったよ。
「じゃあ、日本に送るから、準備は良いね? カウントダウンいくよ。10、9、面倒だから送還!」
「おいっ!」
ヴォルザードに突っ込みの一言を残して、ケージは無事に練馬駐屯地に届きました。
いつもなら、ここでみんなと握手を交わして終了なんですが、亡霊どもは、また訳の分からない捨て台詞を残して去って行きました。
あぁ、女子の皆さんは、暖かい労いの言葉と握手をしてから去って行きましたよ。
さっきの野郎共みたいに、僕に去り際の告白をして、ちゅっ……なんてしていく子もいましたけど、勿論、唯香とマノンには内緒ですよ。
さて、目印用のゴーレムを片付けて、ヴォルザードに帰って、唯香とマノンを誘ってお昼ご飯にしましょうかね。
「ただいま。一緒にお昼……あれっ?」
何でしょう、激しい訓練が行われている守備隊の訓練場の脇に、極寒のブリザードが吹き荒れているような……。
「ケント、鼻の下が伸びてる……」
「健人、とりあえず正座しようか……」
「えっと……あーっ、モニター……」
忘れてました、送還先に誰か立ち入ったりしないように、練馬駐屯地の様子は無線のモニターで見られるようにしてありました。
つまり、一部始終をモニターされていたってことですよね。
「健人は本当に頑張ってきたから、告白されるのは仕方ないと思う」
「でも、キスまで受け入れちゃうのは……」
ヤバいです、久々の涙目で膨れっ面のマノンちゃんが超絶可愛いです。
「けーんーとー……」
「なに、ニヤニヤしてるの」
「いえ、怒ったマノンも可愛いなぁって……」
「か、可愛い? ぼ、僕が……?」
あぁ、今度はアワアワしだしたマノンは可愛いですねぇ。
「ふーん……マノンは可愛くて、私は可愛くないんだ……」
おぉ、口を尖らせて拗ねてみせる唯香はレアな可愛さです。
うん、もう我慢出来ません。立ち上がって、唯香を抱き締めました。
「ちょ、健人……」
「可愛くない訳ないじゃん。誰にも渡さないからね」
「健人……」
「もちろん、マノンもだよ……」
唯香を抱き締めていた右腕を開くと、顔を真っ赤にしながらマノンが飛び込んできました。
「ゴメンね。告白されるのは慣れてないから、ビックリしてる間に……」
「健人の浮気者……」
「ケントのエッチ……」
「ゴメン……」
文句を言いつつも、僕の腕を振りほどこうとしない二人の温もりに幸せを噛み締めていたら、思わぬところからクレームが入りました。
「ケント、お取り込み中に悪いんだが、うちの新人が訓練に身が入らないから、どこか余所でやってくれって……隊長が」
声の主はバートさんで、その後方、訓練場の中央でカルツさんが睨んでいます。
訓練の手を止めている新人の皆さんは、フルプレートの鎧を身に着け、槍を握って、今にも突進して来そうです。
てか、これも一部始終を見られてたのかぁ……。
「バートさん、すみませんでした。というか、カルツさんは……あぁ、何でもないです」
「ん? 隊長がどうかしたのか?」
「いえ、後で改めて謝罪します。それと、新人の皆さんに、訓練の邪魔をして申し訳ございませんでしたとお伝え下さい」
「分かった。ケントたちは飯か?」
「はい、食堂に移動します」
「そうか、新人どもには、ケントが僕らは食堂でイチャイチャするから、訓練に集中しろって言ってたと伝えておくよ」
「ちょ、バートさん!」
「いいんだよ。この程度で集中出来ないようじゃ、安息の曜日の城壁警備なんて務まらないぜ」
「あぁ、確かに……」
ヴォルザードの城壁は、警報が出ていなければ一般の人も上れますし、安息の曜日にはカップルが集まるデートスポットになっています。
そりゃもう、ちゅっちゅっどころか、むちゅーって感じのカップルだらけですから、警備担当になった彼女のいない守備隊員にとっては、地獄のような環境です。
「それに、勝ち目の無い戦に、しがみついてるなんて時間の無駄だろう?」
「ま、まぁ、そうですね」
「てことで、ケント。モテない野郎共の恨みを引き受けてくれ」
「いや、それとこれとは……ちょっと、バートさん!」
僕が呼び止める声なんて、まるで聞こえていないかのように、バートさんは一度も振り返ることなく歩いていきました。
てか、この状況で言うことじゃないけど、カルツさんは、ちゃんとメリーヌさんにプロポーズ出来るんでしょうかね?
「健人、邪魔になるから行こう」
「うん、行こうか」
チラリと振り向いた訓練場では、新人隊員たちが僕を呪い殺さんばかりに睨んでいますし、カルツさんが何か言いたげな視線を向けていました。
と言うか、カルツさんは、文句を言いたげに睨んでいるというよりも、助けを求めているように感じるのは気のせいではない気がします。
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