第316話 裏社会のボス
「ボレントか……まぁ、いずれはぶつかる相手だな」
ギルドの執務室のソファーに座り、ニコラの騒動に関して一通りの説明を終えると、クラウスさんは渋い表情を浮かべました。
「僕はボレントについて殆ど知らないのですが、やはりヴォルザードでは有名人なんですか?」
「あぁ、歓楽街を牛耳っているボスの一人だ」
ヴォルザードには大きな娼館が三つあり、それぞれを根城とした三つの勢力があるそうです。
ボレントは、その一つを束ねる人物で、いわゆる裏社会の重要人物だそうです。
「そんな人物が、あんなチンピラを二人連れただけでフラフラ出歩いているんですか?」
「あんな体型だからそうは見えないだろうが、あれでも元Aランクの冒険者だ」
「えぇぇ……そんな感じには全く見えませんでしたよ」
「まぁ、相当衰えているだろうし、今のケントから見れば脅威ではないだろうが、それでも過去の実績があるから舐められないんだろう」
「なるほど……」
ボレントは、冒険者の頃に組織のボスに気に入られ、片腕として活動し始めたそうです。
前のボスが病死した後、組織を引き継いで、今に至っているそうです。
「それで、ケント。お前はどうしたい?」
「このままだと、ニコラはリーゼンブルグに連れて行かれて、奴隷として売り飛ばされると思うので、なんとか連れて行かれるのは防ぎたいです」
「まぁ、今回のボレントたちのやり口はいただけねぇが、問題はニコラだな」
「クラウスさんは、ニコラのことをご存じなんですか?」
「ニコラやメリーヌの親父が生きていたころには、時々飯を食いに行ったもんだ。ニコラが店を継いでからも二、三度食いに行って、少し説教もしたんだが、効果は無かったみたいだな」
ろくに修行もせずに食堂を継いだニコラは、思うようにいかないことに嫌気がさし、冒険者になると言いだし、メリーヌさんが代わりに店を継いでいます。
「親父がニコラを厨房に立たせなかったのは、あのいい加減な性格が直らなかったからだ。ホールでの接客も真面目にやらないようでは、人様が口にする物を調理させる訳にはいかないって言ってたな」
「確かに、僕も二度ほど食べに行きましたけど、とても褒められたものではありませんでしたね」
「あのニコラのために、ボレントたちと一戦交えるか?」
「正直に言って、ニコラのことはどうでも良いんですけど、メリーヌさんの心情を考えると何とかしたいんですよね」
「まぁ、そうだな……」
クラウスさんはお茶を一口飲んでから、背もたれに寄り掛かるように座り直しました。
「ボレントが、借金まみれになった野郎をリーゼンブルグに連れて行き、奴隷として売り飛ばしているのは把握している」
「えっ……それって、ヴォルザードの法律には触れないんですか?」
「かなり黒に近いグレーってところだな」
「取り締まったりしないんですか?」
「時々釘は刺しているが、組織を潰すつもりは今のところ無い」
「理由を聞いても良いですか?」
「組織を潰さない理由は、三つだ」
クラウスさんが、ボレントの組織を潰さない理由の一つは、明確な法律違反の証拠が乏しいことです。
今回は僕が影の中から探っていたので証拠が残っていますが、殆どの場合では上限以上の金利を取っていたこととか、法外な請求が行われていたことなどの立証が出来ないそうです。
「やつらは、リーゼンブルグに売り飛ばす段階では、不備の無い証文だけを残して、その他の証拠は全部もみ消しちまう。例え、踏み込んで書類を押さえたとしても、立証できるのは金利の上限違反ぐらいだろう。それにしたって、頻繁に借り換えをさせて、古い証文は処分しちまうから、法外な利子でどれだけ借金がふえたのか算定できず、借金の減額も微々たるものになっちまう」
「元の借金の額を記入した帳簿みたいなものは、存在しないんですかね?」
「何度か税務調査を行ったが、金利が上限を超えていない帳簿はあるが、不正帳簿は発見できていない」
組織を潰さない二つ目の理由は、税金がキチンと納められているからだそうです。
金貸し、賭場、娼館、酒場など、ボレントの息の掛かった店は、どこも決まった税金をしっかりと納めていて、相当な金額になるそうです。
「悪党の上前を撥ねるつもりはねぇが、まともに税金を納めることに文句を付ける訳にもいかねぇ。キチンと税金を納めているなら、街の住民として扱わない訳にはいかねぇんだ」
組織を潰さない三つ目の理由は、勢力争いのバランスを急激に崩さないためだそうです。
現在、ヴォルザードの裏社会には三つの勢力があり、その一つがボレントが率いる組織です。
仮に、ボレントの組織を潰した場合、利権を巡って残った二つの勢力が抗争を始める危険性があるそうです。
実際、前のボスが病死してボレントが組織を引き継いだ時も、勢力のバランスが安定するまで、街中で抗争が頻発したことがあったそうです。
「必要悪だ……なんて言い訳する気はねぇが、東地区の税収は馬鹿にならないし、あれだけ大きな金の流れを急に止める訳にもいかねぇ。それでも、あんまりふざけた真似をするならば、灸を据えてやる必要はあるな」
「奴隷制度は廃止になっているのに、実質的に奴隷として売られるのは止めないんですか?」
「ケント、正当な理由があるならば、ギルドで金を借りられるんだぞ。どうして、法律で決められた上限を超える高い金利で、あんな連中から金を借りるんだ?」
「それは、博打とかで作った借金だからでしょうか」
「そうだ。リーゼンブルグに売り飛ばされる連中の殆どは、博打で借金を作り、借金を博打で取り戻そうと、更に借金を重ねるような馬鹿野郎どもだ。そんな連中、助けてやる価値があると思うか?」
「それは……どの程度騙されているかにもよるかと……」
クラウスさんは、頷いた後でお茶で喉を湿らせてから別の質問を投げかけてきました。
「ケント、お前はリーゼンブルグの奴隷制度について、どの程度知ってる?」
「奴隷制度ですか? 隷属の腕輪を使われる……ぐらいしか知りません」
クラウスさんの話では、リーゼンブルグにおける奴隷は戦争奴隷、犯罪奴隷、借金奴隷の三種類だそうです。
このうちの戦争奴隷については、近年大きな戦争は起こっていないので、ほぼ存在していませんが、持ち主が認めない限り奴隷から解放されることはありません。
カミラに召喚された直後の同級生たちが、戦争奴隷の状態です。
もし僕にチートな能力が無く、魔の森で命を落としていたら、同級生たちは一生奴隷として扱き使われていたかもしれません。
犯罪奴隷は、罪の重さによって刑期が決められ、その期間中は強制労働を強いられるもので、刑期が終われば解放されるそうです。
借金奴隷は、借りたお金を返済出来なくなった場合に奴隷として強制的に働かされるもので、こちらも負債を返し終えれば解放されるそうです。
「かつてのリーゼンブルグでは、奴隷に対する扱いは相当酷かったと聞いているが、状況は改善されつつあるそうだ」
奴隷の扱いが改善された理由は、刑期や負債を返し終えて解放された人が、酷い扱いをした雇い主に復讐する事案が相次いだからだそうです。
「それじゃあ、リーゼンブルグに連れて行かれたとしても、そんなに酷い扱いは受けないんですか?」
「かつて程は……って程度で、普通に働くより待遇は悪いに決まってる。ただし、ギルド以外の金貸しから借金をして、返せなければリーゼンブルグで奴隷落ちする羽目になるのは、ヴォルザードに住んでる者なら知っていて当然の常識だ。分かりきっているのに、ボレントみたいな男から金を借り、博打に注ぎ込むような野郎を助ける価値があるのか?」
「それでも、メリーヌさんに助けると言っちゃいましたし……」
「まぁ、そう言うと思っていたが、お前が代わりに借金返しますでは、何の解決にもならないぞ」
「はい、それは分かっているんですが、どうすれば良いのか……何か良い方法があれば教えて下さい」
「いいだろう。教えてやるが、働いてもらうぞ」
クラウスさんは、本当に楽しげな笑みを浮かべていますが、ここは従うしかなさそうです。
「僕に出来ることならば、やらせてもらいます」
「じゃあ教えてやろう。ケント、お前がやるべき事は三つある。一つ目は、ボレントたちに灸を据えて、悪辣なやり方を改めさせること。二つ目は、今後メリーヌが同じような事態に陥らないようにすること。三つ目は、ニコラにこれが最後のチャンスだと分からせることだ。そのために、ボレントの裏帳簿を探し出せ」
「裏帳簿を押さえて、ボレントたちを潰すんですか?」
「そうじゃねぇ。必要悪とは言わないが、急に潰す訳にもいかないと言っただろう。あくまでも警告だ。俺とケントが組むと、こういう事態になるんだと思い知らせて交渉の材料にするんだ」
クラウスさんの考えた対策は、星の曜日にボレントが現れた時に、三百万ヘルト全額ではなく、百万ヘルトで手打ちにするというものです。
「百万ヘルトではボレントは納得しないだろうが、そこを押さえ込む材料が裏帳簿だ。過重債務の証拠が出れば、これまでにリーゼンブルグに売り飛ばした連中の買戻しを命じることも出来る。そうなればボレントは二百万ヘルトの何十倍、何百倍もの損失を出すことになる」
「つまり、百万ヘルトで納得しなけりゃ、もっと大きなペナルティーを科すってことですね?」
「そうだ。それとフレイムハウンドの連中だが、ダンジョンでスカベンジャーの大量発生に遭遇しても生き残ったぐらいだから実力はあるのだろう。だが、こんな悪事に加担するようでは、街に与える損害の方が大きい。ギルドランクを降格させた上で、ヴォルザードから退去させる」
「ニコラは、どうしたら良いんですか?」
「百万ヘルトの半分をギルド経由の借金として負担させる」
百万ヘルトは僕が用意して、ギルド経由でニコラとメリーヌさんに五十万ヘルトずつ、お店を担保として貸し出す形にします。
こうしておけば、お店を担保にして更に借金を重ねることは出来なくなり、メリーヌさんは安心して営業を続けられます。
ギルド経由の借金なので、ニコラは仕事を受けるには返済を続けなければいけません。
半年間返済が滞れば、強制的に城壁工事に参加させられます。
「ここまでお膳立てしてやって、それでも更正出来ないならば、それはニコラ本人の問題だ。それ以上、お前が世話を焼いてやる必要はない」
「分かりました。でも、このやり方だと、メリーヌさんも五十万ヘルトの借金を負うことになっちゃいますよね」
「利息無しで返済期間を百年に設定すれば、年に五千ヘルト、月にすると四百ヘルトちょいの返済で済むぞ」
「なるほど、それなら家賃よりも安いか」
「ケント。ついでだから、もう一働きしろ」
「もう一働きですか?」
作戦を話し始めてから、クラウスさんの笑みは深まる一方で、暴走しないか心配ですね。
まぁ、とりあえず話は聞いておきましょう。
「メリーヌは、あの器量だから身辺警護を強化しておいた方がいいだろう」
「そうですね。それじゃあ、コボルト隊の中から……」
「そうじゃねぇよ。ボディーガードは別のところから引っ張って来い」
「別のところ……ですか?」
「カルツに今回の一件を全部話せ。その上で、いつまでも覚悟を決めないなら、メリーヌもお前の嫁に加えるって言ってやれ」
今はフリーのメリーヌさんですが、守備隊で隊長を務めるカルツさんと結婚すれば、ボレント以外の勢力や、ナンパ目的の連中も近付いて来なくなるでしょう。
傍から見ても、お似合いの二人ですから、この際身を固めてもらうというのは良いアイデアだと思います。
「なるほど、確かにカルツさんには、いい加減に決断してもらいたいですね」
「だろう? それに、カルツとメリーヌの結婚が決まったら、祝いの金をはずんでやっていいんだぜ。ポーンっと五十万ヘルトぐらいな」
「そうか、それなら返済も終らせられられるのか……」
クラウスさんは、どうだとばかりにソファーに身を預けて、ふんぞり返っています。
正直、ドヤ顔がムカつくんですけど、これなら丸く収まりそうな気がします。
「ケント、安心するのはまだ早いぞ。全ては裏帳簿を見つけられたらの話だ。ボレントと経理を担当しているシラーという男を監視しろ。この二人は裏帳簿のありかを知っているはずだ」
「裏帳簿を見つけたら、持ち出して来ますか?」
「奴らに気付かれずに内容を写し取れるか?」
「できます」
「気付かれないように中身を写し取り、元に戻して見張っておけ。持ち出すならば、星の曜日の交渉直前で構わない」
「分かりました」
クラウスさんと相談を終え、メリーヌさんの店に向かう前に、ニコラの様子を見に行きました。
ニコラが連れて行かれたのは、ボレントが経営している賭博場の地下でした。
一階の賭博場から直接地下に下りる階段は無く、職員用のスペースの奥にある扉を抜け、更に格子戸を開けて、ようやく階段に辿り着けます。
石作りの階段を下りた先には、鉄の扉があり、その先には湿気と酷い臭いが籠もっていました。
「マルト、ミルト、ご苦労さま。ニコラはどこ?」
「わふぅ、右手奥から二番目の牢の中だよ」
「わぅ、ご主人様、ここ臭い……」
「ごめんね。そうだ、見張るのは階段の上でいいよ。僕らと違って、普通の人は影を通って出られないからね。上から誰か下りて来た時だけ様子を探って」
「わふぅ、分かった」
ニコラが入れられているのは、三畳ほどの牢屋で、通路を挟んで同じような牢が五つずつ並んでいます。
通路との間は鉄格子で、中の様子は丸見えです。
牢の中には板敷きのベッドと排泄用の穴が開けられているだけで、想像していたよりも劣悪な環境でした。
空いている牢は三つだけで、残りの牢には諦めきった表情の男が思い思いの格好で過ごしていました。
ニコラは床の上に仰向けに横たわり、濁った目を天井に向けています。
「喚いてたけど、静かになった」
外から戻ってきた直後は、出せとか、騙されたとか叫んでいたそうですが、連れて来た男たちにボコられて黙らされたそうです。
自業自得な面も多々あるのでしょうが、少々哀れにも思えてしまいますね。
他の牢に入れられている男たちを見ても、特別にやつれているようには見えないので、最低限の食事は与えられているのでしょう。
とりあえず、今すぐ移送されたり命の危険がある訳ではなさそうなので、メリーヌさんに報告に行きましょう。
今ならまだ、夕方の営業時間の前に報告できるはずです。
「ラインハルト、ムルトと一緒に裏帳簿のありかを探ってくれる? マルトとミルトは引き続きニコラを見張っていて」
『了解ですぞ。見つかり次第お知らせします』
「わふぅ、任せて、ご主人様」
この地下牢にいる連中の他にも、ボレントが貸付している人はいるはずです。
まさか影の中から監視されているとは思わないでしょうし、毎日ではなくとも必ず帳簿に記載するはずです。
帳簿の場所さえ掴めれば、この勝負は勝ったも同然です。
夕方の営業前のこの時間、普段ならば仕込みの作業に忙しいはずですが、影の中から覗いた店の中では、メリーヌさんと本宮さんがテーブルを挟んで座っていました。
メリーヌさんはテーブルに肘をついて頭を抱え、本宮さんも掛ける言葉が見つからないのか黙ったままです。
「メリーヌさん、大丈夫ですか?」
影から出ながら声を掛けると、メリーヌさんは俯けていた顔をあげましたが、目が真っ赤でした。
「ケント……ニコラは?」
「ボレントが経営している賭博場の地下に押し込められています。助け出すにしても準備が必要なので、少し時間を下さい」
「ありがとう。ごめんね、迷惑掛けちゃって……」
「いいえ、メリーヌさんには、同級生の救出が思うように進められなかった頃、ここで励ましてもらいましたから」
「そんな事もあったね。あの時のケントは、凄く思い詰めた表情をしていて、辛そうで見ていられなかった」
弱々しい笑みを浮かべたメリーヌさんに歩み寄り、そっと頭を抱き寄せました。
「大丈夫です。あの頃より、ずっと僕は強くなりましたから、だから頼って下さい」
「ケント……うん、うん、お願い、ニコラを助けて……うぅぅ……」
ボロボロと涙を零すメリーヌさんが落ち着くまで、そっと背中をさすり続けました。
「ニコラさんの件には、ボレントや複数の冒険者が絡んでいるので、クラウスさんにも助言を貰って、現状の調査と対策の立案を進めています。相手は歓楽街のボスの一人だそうですから、簡単にはいかないでしょうけど、負けるつもりもありません。それに、いざとなったら三百万ヘルトぐらい、僕が立替ますから安心して下さい」
「何から何まで世話になってしまって、いつか必ず御礼するからね」
「御礼なんて気にしないで下さい。それよりもニコラさんなんですが……」
僕がお金を立て替える場合でも、お店を担保として、ギルドに間に入ってもらって抵当権を設定して、これ以上の借金が出来なくなるようにする手順を説明しました。
ニコラには、月々一定額の返済を義務付け、半年滞納で強制労働のペナルティーを付けることも了承してもらいました。
「これまでも、ちゃんと返す、ちゃんと返すって言って家のお金を持ち出していて、その上に三百万ヘルトなんて大金を借りていたなんて、今回ばかりは私も愛想が尽きたから、ケントがくれたチャンスが最後なんだとハッキリ言うわ。今度返済が出来なかったら、強制労働でも奴隷落ちでもさせるつもり」
「僕なんか言うのも何ですけど、ちゃんと自立させないと駄目でしょうね」
ニコラの置かれている状況も把握できたし、対策の目途も立ちました。
メリーヌさんも落ち着いたみたいで、僕も気が抜けたのでしょう、胃袋が盛大に不平の声をあげました。
そう言えば、バタバタしていてお昼抜きでした。
メリーヌさんも仕込みの作業も手に付かなかったようで、夕方の営業を取り止めました。
お昼の営業の後は、片付けをしただけで、昼食すら食べていなかったそうです。
「ケントも、ミドリちゃんも夕食を食べていって」
「ありがとうございます」
たぶん、断わって帰ってしまうと、メリーヌさんがちゃんと食事するか心配なので、ご馳走してもらうことにしました。
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