第315話 ニコラの負債

 メリーヌさんの店は、まだ開店前だったようで、柄の悪い連中以外にお客さんの姿はありません。

 店の一番奥の席に、服を着たオークかと思うほどでっぷりと太った男が、ふんぞり返るようにして腰をおろしていました。

 年齢は四十代ぐらいでしょうか、頬が弛み不健康そうな顔色で、ニタニタと陰湿そうな笑みを浮かべています。


 だいぶ殴られたようで顔の形が変わりかけていますが、太った男の足元に跪かされているのはメリーヌさんの弟のニコラでした。

 ニコラは、チンピラのテンプレみたいな男に後ろから髪の毛を鷲掴みにされています。


 メリーヌさんは、ニコラと向かい合う位置に立ち、真っ青な顔で震えていました。

 時々店を手伝っていると言っていた本宮さんが、厨房から心配そうに成り行きを見守っています。


「三百万ヘルトなんて大金、一体何に使ったの?」

「すぐ取り戻せるはずだったんだ……頼む、ボレントさん、あと五十万ヘルトだけ貸してくれ、そうすれば……がふっ」


 ボレントと呼ばれた太った男は、頼み込むニコラの顔面を蹴りつけました。


「ふざけるな! あちこちに無節操に作った借金を、返済しやすいように俺がまとめてやったのに、利子すらまともに返さない。その上、更に金を貸せだと? 舐めた口利いてんじゃねぇ!」

「違うんだ、加入してるAランク冒険者パーティーが活動を再開すれば、その一員としてバリバリ稼げるんだ。だから、それまでの繋ぎに……」

「そのパーティーは、メンバーの一人が重い病に罹って、活動再開の目途が立ってねぇんだろう? そんなんで、いつになったら返済が出来るんだ。返せる当てもない野郎に、これ以上一ヘルトだって貸せる訳ねぇだろう」


 ニコラが多額の借金を作ってきたというのは分かりましたが、Aランク冒険者パーティーというのが引っ掛かりまくりです。


『ケント様、例の面倒な連中ではありませんか』

「やっぱり? ラインハルトもそう思うよね」

『これは、この場で片を付けずに、裏まで調べた方がよろしいでしょうな』

「うん、僕もそう思う」


 ボレントに追加の借金を断られたニコラは、メリーヌさんに金の無心を始めていました。


「姉さん、頼むよ。あと五十万ヘルト……いや、三十万ヘルトでいいから融通してよ」

「ニコラ……あなたが冒険者になるって言い出してから、もう随分家のお金を持ち出しているのよ。この上、そんなお金用意できないわよ」

「そんなこと言うなよ。この店だって、半分は俺のもんだろう。権利を全部姉さんに渡すから、その分の金を用立ててくれよ」

「無理言わないで、もう店の仕入れに使うお金ぐらいしか残っていないわ」

「そうだ、ボレントさん。この店を担保に入れれば百万ヘルトぐらいは貸してくれる……ぐふぅ」

「乱暴はやめて下さい!」


 嬉々として擦り寄ったニコラを、ボレントは再び蹴り飛ばしました。


「ニコラ、お前の頭は空っぽなのか? 俺たちは三百万ヘルトの回収に来てんだ。こんなチンケな裏店じゃ二百万にもなりゃしねぇ。カタに取ったところで全然足りねぇんだよ」

「そんな……俺の証文には店は担保にしていないはずだ」

「あぁ、そうだな。だから、期限までに返済できなければ、体で払ってもらうしかねぇんだよ」


 えっ? ニコラが体で払うって、もしやアッー!なお店に売られちゃうんでしょうか?

 メリーヌさんも不安そうな表情で、ボレントに訊ねました。


「期限までにお金を用意できない場合、弟はどうなるのですか?」

「なぁに、その時はリーゼンブルグに出稼ぎに行ってもらうだけだ」

「嘘だ! 奴隷として売り飛ばすつもりだろう」


 喚きたてるニコラに、ボレントは落ち着いた口調で返答しました。


「リーゼンブルグのラストックでは、新たな農地を切り開くのに人手を求めているそうだ。お前のように何の取り柄も無い人間が、ヴォルザードの城壁工事よりも高い日当の仕事を継続的に得られるんだ、良い話じゃないか」

「嘘だ。一度リーゼンブルグに行ったら、二度と戻って来られないんだろう」

「お前の借金がいくらあると思ってるんだ? 三百万ヘルトだぞ。それに利子が付くんだ、簡単に返せる訳がないだろう。リーゼンブルグに行った連中は、お前と同様に大きな借金を抱えた連中ばかりだ。二度と帰って来られないんじゃねぇ、借金を返し終らないから戻って来られないだけだ」


 ヴォルザードを含むランズヘルト共和国では廃止になっていますが、リーゼンブルグでは今でも奴隷制度が残っています。

 直轄地だったラストックが、グライスナー侯爵に払い下げになり、元々の侯爵領との間にある森を開拓していると聞いています。


 いずれ魔の森の開拓に乗り出すのかもしれませんし、労働力が必要とされているのは本当なのでしょうが、ヴォルザードの城壁工事より格段に良い報酬が支払われるとも思えません。

 ニコラの言う通り、奴隷として売られ、強制的に働かされる可能性の方が高そうです。


「どうすれば、弟を返していただけますか?」

「次の安息の曜日に、リーゼンブルグ行きの馬車が出る。星の曜日までに三百万ヘルトを用意できれば、弟を返してやる。用意できない場合は、リーゼンブルグ行きだ」

「そんな大金、急には準備できません。もう少し時間を……」

「そうだな。あんたが俺のものになるなら、この店と引き換えにニコラを自由にしてやってもいいぜ」


 のそりと立ち上がったボレントがメリーヌさんに手を伸ばしましたが、魅惑のバストに触れる寸前に、ビシっという音を立てて叩き落とされました。

 メリーヌさんの前に割って入った本宮さんは、ボレントの手を叩き落とした菜箸を突きつけて、臨戦態勢を整えています。


「このアマ、何しやがる!」

「それは、こっちの台詞よ。メリーヌさんに手を出すなら、魔物使いを敵に回す覚悟をしなさい」

「何だと、魔物使いだと……」


 いやぁ、このタイミングで僕の名前が出て来るとは思ってもみませんでした。


「そうよ。メリーヌさんは、魔物使いケント・コクブが下宿しているアマンダさんのお店で修業したのよ。家族同然に思っているメリーヌさんに危害を加えれば、間違いなく敵として認定されるわよ」

「くっ……手前ニコラ、何で黙ってやがった!」

「姉さん、今の話ってマジなの?」


 メリーヌさんが無言で頷くと、ニコラはニヤリと笑って床の上に胡坐をかきました。


「あーあ、やっちゃったねぇ、ボレントさん。俺にこんなに暴力ふるってさぁ、姉さんが一言頼んだら、賭場も娼館も全部潰されちゃうんじゃない?」

「このガキ、調子に乗りやがって……」


 ボレントは、頭の血管が切れないか心配になるほど顔を真っ赤にして、拳を握り締めてワナワナと震えています。

 てか、激しく同意しちゃうよ。

 メリーヌさんを危機から救い出すためなら、いくらでも僕の名前を使ってもらって構わないけど、ニコラを調子付かせるのに使われるのは御免です。


「ボレントさーん、どうすんのぉ? まぁ、俺としては借金をチャラにして、慰謝料二百万ヘルトぐらいで勘弁してやってもいいけど」

「ふぅぅぅぅぅ……」


 ボレントは目を閉じて大きく息を吐くと、冷静さを取り戻しました。


「おい、モラレス。こいつを賭場の地下に戻しておけ」

「へい、旦那」

「ちょっ、ボレントさん、あんた自分が何を言ってるのか分かってんの?」

「当たり前だ。そもそも魔物使いなんて目立つ野郎を、俺が調べていないとでも思ってるのか?」

「姉さん、魔物使いに俺のこと……」

「無駄だぞ、ニコラ。魔物使いは領主クラウスの次女ベアトリーチェとの結婚が決まっていて、既にクラウスの片腕として活動しているそうだ。これが、どういう意味か分かるか?」

「そんなもん、ヴォルザードで絶大な権力を……」

「馬鹿め。魔物使いが、どんなに凄腕の冒険者だろうと、ヴォルザードの法律に縛られるってことだ。お前の姉を力ずくで連れて行くことは出来なくても、俺が借金の証文を持っている限り、返済能力の無いお前を拘束するのは合法だ。魔物使いは、手を出せないってことなんだよ」


 僕はヴォルザードの法律には詳しくないので、どこまでが許されるのかは分かりませんが、正当な借用書があるならば手出しは難しそうです。


「くそっ、放せ、放せよ……ぐふぅ」

「黙って歩け!」


 ニコラは、モラレスと呼ばれたチンピラにボディーブローを喰らい、襟首を捕まれて引き摺られるように店の外へと連れ出されて行きました。

 残ったボレントは、本宮さんを挟んでメリーヌさんを見据えています。


「もう一度、星の曜日に来てやる。その時までに金を用意するか、俺の女になるか、それともニコラを見捨てるか決めておけ」

「ちょっと、メリーヌさんに手を出したら……」

「自主的に俺の女になるならば、魔物使いも文句は言えないだろう。まぁ、よく考えるんだな」


 ボレントが店を出て行くと、メリーヌさんは膝から崩れるように座り込んでしまいました。


「ラインハルト、ボレントの後を付けて。マルトとミルトも一緒に行ってフォローして」

『了解ですぞ』

「わふぅ、任せて、ご主人様」


 ラインハルトたちに尾行を頼んで、僕は闇の盾を使ってメリーヌさんの店に出ました。


「大丈夫ですか? メリーヌさん」

「ケント、ニコラが……」

「国分君、見てたんだったら、どうして助けてくれなかったのよ」

「状況も分からないのに僕が顔を出せば、警戒されて反撃がやりにくくなるだけだからね。僕の眷属が後をつけて行ったから、これから僕も様子を探ってくる。メリーヌさん、心配でしょうけど僕に任せてくれませんか?」

「ケント……ありがとう。お願い、ニコラを助けて」

「大丈夫です、リーゼンブルグには行かせませんから、安心して下さい。本宮さん、ここを頼んでもいいかな?」

「勿論、任せておいて!」


 本宮さんにメリーヌさんを頼んで、ラインハルトたちを追い掛けました。

 辺りを見据えるように歩くボレントの後ろを、モラレスともう一人のチンピラがニコラを引き摺るようにして歩いています。


 道行く人たちはボレントに気付くと、視線を伏せて道を空けています。

 冒険者風の男たちですら、苦々しげな表情を浮かべつつも道を譲っています。

 どうやら、このボレントという男は、ヴォルザードでは顔を知られている人物のようですね。


 ボレントが足を向けたのは、ギルドの訓練場の裏手、旧市街の東地区です。

 ギルドの近くには、武器や防具を扱う店や、ギルドとは別に素材の買い取りを行っている店などが並んでいます。

 更に奥へと進んだ先は、いわゆる歓楽街になっています。


 表通りでは通行人に目を背けられていたボレントですが、歓楽街の中では殆どの者が愛想笑いを浮かべて挨拶をしてきます。

 どうやら歓楽街のボス的な存在なのでしょう。


 途中で二手に分かれたので、ニコラたちの追跡はマルトとミルトに任せて、ラインハルトと共にボレントの尾行を続けました。

 ボレントが足を踏み入れたのは派手な作りの店で、開店の準備を始めていた男性は、膝にぶつかりそうな勢いで頭を下げて出迎えました。

 鷹揚に頷いて店に入ったボレントは、カウンターにいた男に命じました。


「おい、フレイムハウンドの連中に顔を出すように行っておけ」

「承知いたしました」


 ボレントは、カウンターの奥の通路を通り抜け、別棟へ向かいました。

 てか、やっぱりフレイムハウンドの連中が絡んでるのか。


 屈強な男が警備するドアを抜けると、扇情的な衣装に身を包んだ四人の女性がボレントを出向かえました。

 いずれ劣らぬ美女揃いで、豊満な胸が衣装から零れ出そう……というか、色々透けちゃってますよね。

 こんな美女を四人も侍らせながら、メリーヌさんに魔手を伸ばそうとしてたなんて、ボレントは完全に敵として認定しました。


「主様、斬りますね」

「うわぁ、駄目駄目。まだ陰謀の裏側も暴けてないんだから、斬っちゃ駄目!」

「そうですか、残念です」


 うっかりボレントを敵認定しちゃったから、サヘルが飛び出して行きそうでした。


「あれっ? サヘル、八木の時には聞きに来なかったね」

「はい、あれはウザいけど、斬っちゃだめな奴ですよね?」

「そうそう、そうだよサヘル。良く出来たね、偉いよ」

「恐縮です」


 頭を撫でてあげると、サヘルは目を細めて、くーくーと喉を鳴らしました。

 サヘルのスベスベした手触りを楽しんでいると、ボレントは昼間なのに果実酒を飲み始めました。

 香りから察するに、若いリーブル酒のような気がします。


 ボレントが仏頂面で酒を飲み始めてから二十分ほど経った頃、部屋の外から複数の足音と話し声が聞えてきました。

 姿を見せたのは、Aランク冒険者パーティー、フレイムハウンドの三人、バルトロ、ジャルマ、オレステでした。

 これは、念の為に録画しておきましょう。


「何か用かい、ボレントさん。ニコラの姉は上手く手に入りそうか?」

「ふん、お前ら知ってたのか?」


 三人の中では一番人当たりの良いジャルマの問いに、ボレントは鼻を鳴らして答えました。


「知ってたって、何の話だよ」

「ニコラの姉は、魔物使いと懇意にしているそうじゃないか」

「何だって、そりゃ本当か?」

「本当じゃなければ、お前らを呼び出したりしない。このままじゃ、ニコラもリーゼンブルグで売り飛ばせるかも微妙だし、元が取れるかも怪しいぞ」

「くっそう、本当に目障りなガキだ。どれだけ仕込みに手間を掛けたと思ってやがる……」


 ジャルマは、ボレントに愚痴りながら、陰謀の裏側を語りました。

 冒険者として芽が出ず、伸び悩んでいたニコラに目を付けてパーティーに勧誘。

 Aランクパーティーに入るなら相応の装備が必要だと騙し、無駄に高価な武器や防具を購入させたのを皮切りに、酒や博打、女の味を覚えさせて、借金を重ねさせたそうです。


 最初はバルトロから借りるという形にしておいて、金額が膨れあがったところでジャルマが昔受けた呪いによる発作を起こして治療代が必要になったからと、金貸しを紹介して借り換えさせたそうです。

 ニコラは、返済期限が来る度に別の金貸しから追加の借金をして、一発逆転を狙って博打に注ぎ込んでは借金を増やしていったようです。


 しかも、最初の武器屋から、酒場、賭場、娼館、そして金貸しまで、全てボレントの息が掛かった店ばかりで、何から何まで、この四人による陰謀でした。

 そういえば以前、鷹山がフレイムハウンドに勧誘されていましたが、あのまま仲間になっていたら、ニコラのようになっていたのかもしれません。


 四人の狙いは、もちろんメリーヌさんです。

 愛人になれば……と言って騙して、ボレントの娼館で働かせるつもりです。


「ニコラは証文がある限り、身柄はこっちの自由だが、リーゼンブルグで奴隷商に売り払っても、三百万なんて値段は付かないぞ。どうするつもりだ」


 ボレントに詰め寄られ、フレイムハウンドの三人は顔を顰めていましたが、オレステが何かを思い付いたようです。


「ちょっと待った。ボレントさん、ニコラの証文を見せてくれ」

「証文がどうしたっていうんだ?」

「利子はどうなっている? 高利のままだと、魔物使いのガキに反撃の隙を与えることになりかねないぞ」

「分かってる。ニコラには利子を下げてやると恩着せがましく言って、法律に違反しない金利の証文に作り直しておくから心配すんな」

「魔物使いは抜け目の無いガキだが、金はたんまりと持ってやがる。あくまで法律に違反しない借金だとアピールすれば、奴から金を絞り取れるかもしれねぇぜ」

「そうか、リスクを考えるなら、メリーヌは諦めて、金に狙いを絞るべきかもしれねぇな」


 この後、フレイムハウンドの三人は別室に移動し、連れて来られたニコラはあっさりと丸め込まれて、新しい証文に自ら進んで署名をしていました。

 もちろん、新旧別に文面の比較ができるように撮影しておきました。


『さて、ケント様。どう始末を付けますかな?』

「借金を肩代りするのは簡単だけど、それじゃあニコラが同じようなことを仕出かしそうだよね。ボレントも一筋縄では行きそうも無いから、ちょっとクラウスさんに相談してみるよ」

『そうですな。それが宜しいですな』


 いかにしてニコラを更正させ、ボレントとフレイムハウンドの三人を処罰するか、僕一人の手には余ります。

 ここは、頼りになる大人に助言を求めましょう。


 ニコラが連れて行かれ、ボレントとフレイムハウンドが口裏合わせを終えたところで撮影を止めました。

 そのまま影移動で、ギルドのクラウスさんの執務室へ移動しました。

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