第310話 リーゼンブルグ入国

  ダビーラ砂漠を抜ける街道のリーゼンブルグ側の入り口は、元第一王子派の重鎮の一人ドレヴィス公爵領です。

 かつては広大な耕作地帯でしたが、砂漠化の影響を受け多くの集落が失われました。


 砂漠の玄関口にあたるチノーフの街は、かつてこの周辺で一番大きな街でした。

 今では街の半分が砂漠に埋もれてしまっていますが、急ピッチで砂漠化対策が進められています。


 チノーフには、元々ドレヴィス公爵の騎士が常駐していますが、三日ほど前から王国騎士団の騎士も加わり、 街は物々しい雰囲気に包まれています。

 すでにセラフィマ一行の先触れが到着し、街には更に緊迫した空気が漂っています。


 セラフィマ一行がもうすぐリーゼンブルグに着くとフレッドから知らせを受け、チノーフの街を訪れました。

 城壁上の見張り台の影から、周囲の様子を眺めています。


「 なんだか、街に人影が見えないんだけど……」

『バルシャニアの伝令が来て……騎士が外出を禁止した……』

「街の人からは歓迎されていないのかな……」

『全員が反対ではない……不測の事態を防ぐため……』


 僕としては、リーゼンブルグの人々とセラフィマが友好的に触れ合う光景を見たかったのですが、これまでの経緯を考えれば仕方ないのでしょう。

 セラフィマは馬車の中から姿を見せないでしょうが、騎士に対して危害を加えても大きな問題に発展する可能性があります。

 僅かな衝突も起こさないというのが、リーゼンブルグの考えなのでしょう。


 見張り台からダビーラ砂漠の方向を眺めていると、遠くに土煙が見えてきました。

 どうやら、セラフィマの一行が到着したようです。


 カーン、カーンと見張り台の鐘が鳴らされ、街に出ていた数少ない人たちも建物の中へと入りました。

 城壁の上にはリーゼンブルグの旗が立てられ、門の前には王国の騎士が馬を並べて整列ししています。


 よく見ると騎士たちを率いているのは、王国騎士団長のベルデッツ・オールデンです。

 騎士団長自らが迎えに出るのですから、それだけセラフィマを重要視しているのでしょう。


「者ども、これから迎えるパルシャニアの皇女様は、魔王ケント・コクブ様へ輿入れなさる方だ。くれぐれも、失礼のないよう気をつけろ!」

「はっ!」


  騎士団長の命令に、騎士たちは揃って敬礼を返しました。

 一糸乱れぬ動きは、錬度の高さを感じさせます。


 出迎えの人の列には、もう一人見知った顔がありました。

 ドレヴィス公爵領を治める 、ウィリアム ・ ドレヴィス公爵です。

 まさか公爵自らが、出迎えに来るとは思ってもいませんでした。


「騎士団長、準備に抜かりはないか?」

「我々については万全ですが、問題は住民の反応ですな」

「 それについては、ワシも測りかねている。これまでもパルシャニアの行商人は、数限りなくリーゼンブルグの地を踏んでいるが、皇族や騎士が足を踏み入れたことはない。何しろ住民だけでなく、ワシらとて急に和平と言われても、どう反応すれば良いか分からぬのだ」


 ドレヴィス公爵は、天を仰いでため息をつきました。


「全くです、 ほんの数ヶ月前まで、互いに敵視していた同士が、いきなり手を取り合うのもおかしな話ですが、今のリーゼンブルグには争う余裕もありません」

「ようやく、砂漠化の対策も本格化したばかりだ。今は力を蓄える時期なのだろう」

「いいえ、少なくとも魔王ケント・コクブが存命のうちは、争うことを考えるべきではありません」


 騎士団長は、カルヴァイン領を制圧した時に僕が使った送還術で、遠く離れた場所から突然兵を送り込まれる恐ろしさを語りました。

 ドレヴィス侯爵は、第一王子アルフォンスが毒殺された後、ディートヘルムとは行動を別にし、バルシャニア対策として領地に戻っていました。

 ラストックを襲った投石オークの群れを討伐した様子や、王城でのアーブルとの対決の様子も見ていません。


「ワシは、 魔王殿が戦う様子を見ていないが、あの整備された道を見れば、その恐ろしさを十分に理解できる」

「私も王都からここへ来る途中、整備された道を通ってきましたが、あれほどの工事は通常何年もかかるものです。それに、作られた道を見れば、どれほどの規模で物事を考えているかも分かります」


 騎士団長は、ラインハルトたちが整備した道は、大軍を迅速に行動させるものだと思っているようです。

 と言うか、和平のために道を作っているのに、戦うことを考えるのは職業病なのでしょうね。


 ドレヴィス公爵と騎士団長が話をしている間に、セラフィマ一行の姿が 大きくなってきました。

 門の前に並ぶ騎士たちの緊張感も、ピークに達しているように見えます。

 ここでみんなの緊張をほぐすために、大きな闇の盾を出してフラムでも召喚して……なんて、怒られそうなのでやめておきます。


 セラフィマの一行が到着すると、門の前を固めていた騎士達が一糸乱れぬ動きで道を開け、 逆手で剣を引き抜くと切っ先を持って掲げました。

  セラフィマの一行の先頭にいた騎手が馬を下り、門前で出迎えたドレヴィス公爵と師団長に歩み寄りました。


「お初にお目にかかります。私は護衛騎士の隊長を務めておりますエラスト・メルクロフと申します」

「私はリーゼンブルグ王国の騎士団長を勤めているベルデッツ・オールデンだ。こちらがウィリアム・ドレヴィス公爵でいらっしゃる」

「これは、公爵自ら出迎えてくださるとは恐縮でございます。ただいまセラフィマ様を……」

「いや、それには及ばぬようだ……」


 跪いたエラストが、 セラフィマを迎えに立とうとしましたが、ドレヴィスが 軽く手を上げて押し留めました。

 行列の後ろで馬車のドアが開き、侍女の手を借りてセラフィマが降りてきました。


 今日のセラフィマは、エメラルドグリーンの生地に銀糸で刺繍の施された民族衣装で、下にはゆったりとしたパンツを履いています。

 新年の宴の時のような、透けて見えるような生地ではなく、しっかりと重厚な感じがします。


 バルシャニアの騎馬が左右に分かれ、侍女を従えたセラフィマが歩いてきます。

 箱入りのお姫様などではなく、砂漠を緑地化するための水路の現場でも先頭に立って指示を出す実践派の皇女様です。

  セラフィマの小さな体から溢れる、凛とした皇族のオーラにリーゼンブルグの騎士達が息を呑むのが分かりました。


「お初にお目にかかります、この辺りを治めているウィリアム・ドレヴィスと申します」

「バルシャニア皇帝コンスタン・リフォロスの娘、セラフィマです。公爵自らの出迎えに感謝いたします」

「この度は、魔王ケント・コクブ様とのご成婚おめでとうございます」

「ありがとうございます。ケント様は争いを好まぬ方です。長きに渡りバルシャニアとリーゼンブルグは反目を続けてきました。両国の国民の心に根ざした憎しみの感情は、一朝一夕に消えるものではありませんが、これを機に良い方向に向かうことを祈念しています」


  セラフィマは、 ドレヴィス公爵に続いて騎士団長とも挨拶を交わし、今夜はこのチノーフにある領主の別宅に宿泊することとなりました。

 そして、ここから先の道中は、騎士団長直属の部隊五十騎が先導を務めるそうです。


 セラフィマの馬車は、リーゼンブルグとバルシャニア両国騎士に守られ、人通りの消えた街を静かに進んでいきます。

 住民たちは家の中で息を殺し、カーテンの隙間からセラフィマ一行の様子を窺っているようです。

 影に潜ったまま何軒かの家を覗いてみましたが、住民の反応は様々のようです。


 目を輝かせて行列を眺めている子供がいる一方で、憎々しげな視線を向けている大人たちもいます。

 日本でも外国の要人が訪れた際に、歓迎する人もいれば、拒否反応を示す人もいます。

 それを考えれば、好意的な視線を向けてくれる人がいるだけ、良しとしなければいけないのかもしれません。


 領主の別宅の敷地に一行が入るのを確認すると、カーン、カカーン、カーン、カカーンと見張り台の鐘が鳴らされました。

 鐘の音が響くと同時に街には人が溢れ、 急激に賑わいが戻ってきました。


「おい、バルシャニアのお姫様は見れたか?」

「馬車が通ったのは見えたけど、あれがお姫様だったのかは分からないよ」

「ちきしょう、バルシャニアの野郎どもめ、俺たちの街を我が物顔で歩きやがって」


 通りに出てきた中年のおっさんは、苦々しげに唾を吐き捨てました。


「よせよ、滅多なことを言うもんじゃない。騎士に目をつけられるぞ」

「平和になるならそれでいいじゃないか、何が不満なんだ」


 少し若そうに見える二人組が宥めても、おっさんは腹の虫が収まらないようです。


「あいつらが、デカい面しているのが気に入らないだけだ」

「くだらねぇ。交易が増えれば街が潤うんだぜ。その方がいいだろう」

「そうやって油断させて、街に入り込むつもりじゃねぇのか?」

「そのぐらいのことは公爵様も考えているだろう。とりあえずは俺たちの暮らしが良くなればそれでいいんじゃねえか」


 どちらかといえば年配の人間の方がバルシャニアに対し良い感情を持っていないのかと思いきや、別の場所では若い人の方が過激な意見を吹聴して回っていました。

 急激な変化に、老若男女を問わず戸惑いを隠せないようです。


 警備に関しては公爵も騎士団長も万全の態勢を整えているようですが念のためフレッドとコボルト隊に、過激な意見を吹聴していた連中の後をつけさせておきました。

 事前に摘めるのであれば、悪い芽を摘んでおきましょう。


 セラフィマは、領主の別宅に用意された部屋で、歓迎の夕食会まで休息しているようです。

  侍女がお茶の支度をする傍らで、女性騎士が目を光らせています。

 念のため部屋を調べてみましたが、隠し部屋などはないようです。



 ソファーに腰を下ろしたセラフィマの隣には、ヒルトの姿があります。

 セラフィマがリーゼンブルグ国内を旅する間、一番警戒しているのは毒殺です。

 ディートヘルムや シーリアの母親フローチェさん、亡くなった第一王子アルフォンスなど、政敵を追い落とす手段として頻繁に毒が使われています。


 セラフィマが何かを口にする時には、必ずヒルトが近くにいるように指示を出しておきました。

 万が一、毒を盛られた時にでも、僕はすぐ駆けつけられるための措置です。


 ヒルトは僕の気配に気づいているらしく、 さっきからユルユルとしっぽを振っていますが、セラフィマは気づいていないようです。

 それだけ緊張しているのかもしれません。

 セラフィマの様子を覗いていたら、イルトが僕を呼びに来ました。


「わふぅ、ご主人様、フレッドが来てって言ってる」

「何かあったの?」

「わぅ、怪しい奴らがいるって」

「分かった、すぐ行く」


 フレッドを目印にして移動した先は、簡素なベッドが二つにテーブルと椅子が二脚、どこかの宿の一室のようです。

 部屋の中では、三人の男がテーブルを囲んでいました。


「フレッド、こいつらは何者?」

『セラフィマ様の……襲撃を企てている……』


 テーブルの上に広げられた紙には、セラフィマ一行の騎士の数や馬車の配置などが、丸や四角を使って克明に様子が描かれています。

 男たちは武器も持たず、服装は商人のようですが、 身にまとっている雰囲気は冒険者のものに近いように感じます。


「バルシャニアの騎士だけで、約百騎といったところか?」

「皇女直属の女騎士も何人かいるようだ」

「あとは、リーゼンブルグ側から何騎護衛に付くかだな」

「まぁ、何人護衛がいようと関係ない。まとめてドーンだ」


 リーダー格らしき男が、警備の配置図の上で握った手を開いて見せました。


「こいつら爆剤を使うつもりか。フレッド、領主の別宅に仕掛けられていないか、コボルト隊に探させて」

『了解……』


 フレッドが領主の別宅に移動するのと入れ違いに、別の男たちが部屋に入ってきました。


「宿舎の様子はどうだ?」

「駄目だな、警備が厳しすぎる。とてもじゃないが近づけない」

「まぁ予想通りだな。リーゼンブルグに入った直後は警備も厳しくなる。最初からここで仕掛けるつもりはない」

「それじゃあ、魔王が作った橋で仕掛けるのか?」

「それが一番確実だろう」

「どこの橋で仕掛けるんだ?」

「サルエール伯爵領に入る前に片付ける」


 リーダー格の男は、警備の配置図をどかして地図を広げました。

 男が指差したのは、隣接するサルエール伯爵領に入る少し手前、街道と川が交わるところです。


「ラインハルト、あの場所には覚えがある?」

『あの辺りは川が大きく蛇行する場所で、街道を横切る形になっています。川幅はさほど広くはありませんが、住民が船を利用して荷物を運んだりしています』

 船が楽に通れるように、それまでより高い橋を架けたそうです。

 橋なんて壊されたところで何度でも架け替えれば良いのですが、僕らの気持ちまで踏みにじられるのは気分の良いものではありません。


「船で近づいて来られるのは厄介だね。事前に船の往来を止めた方が良いかな?」

『あるいは、行列が通る間だけ船の往来を止めれば、誘き出すことができるかもしれませんな』

「できるだけセラフィマ一行の近くでは騒ぎを起こしたくないから、もう少しこいつらの動きを監視して、アジトを突き止めたらそこで取り押さえてしまおう」

『そうですな。その方が被害が小さく抑えられるでしょうな』


 男たちが話に夢中になっている間に、 マルトたちに宿の中を探してもらいましたが爆剤らしき物は見つかりませんでした。

  それにしても、爆剤を使うということは、こいつらはアーブルの残党なのでしょうか。


 男たちは明朝チノーフを立って、ドレヴィス公爵の屋敷があるラウフの街に移動するようです。

 どうやらそちらが、こいつらの本拠地のようです。

 それならば本拠地に戻ったところで、叩き潰してやりましょう。


『ケント様……宿舎に怪しいものは無し……』

「 ありがとうフレッド。 こいつらはラウフの本拠地に戻ったところを叩くことにしたから、このまま監視を続けてくれるかな?」

『了解……動きがあれば知らせる……』


  バルシャニアとリーゼンブルグの関係を考えれば、セラフィマ一行の行く手を阻む者がいてもおかしくないとは思っていましたが 、こんなに早く現れるとは思ってもいませんでした。


「ラインハルト、こいつらの事は知らせておいた方がいいのかな?」

『そうですな、 チノーフでは動くつもりはないようですし、知らせてしまうと警備の体制が崩れる恐れがございます。我々が監視をして、知らせるのはラウフに着いてからでもよろしいかと』

「うん、そうしよう」


 ドレヴィス公爵や師団長も警備については考えてくれているようですから、そちらでカバーできない部分を僕たちでフォローしましょう。

 ザーエ達やゼータ達も影の中から護衛していると、セラフィマにはネロと散歩に行った時に伝えてあります。


 セラフィマがリーゼンブルグにいる間は、なるべく僕は表に出ずに行動するつもりです。

 魔王の力ではなく、バルシャニアとリーゼンブルグが自分たちの力で友好関係を築いてもらいたい。

 フレッドを探索に出したので、現場のまとめ役をラインハルトに頼んでヴォルザードに戻りました。

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