第300話 引越し指令

 二つ並べたテーブルには、所狭しと料理が並べられました。

 中央には、ロブスターに似た大きなエビが、塩茹でにされてドーンと置かれ、アワビに似た肉厚の一枚貝は、殻から外してバターソテーになっています。

 大粒の二枚貝は、塩味とトマト味の二種類のパスタです。


「さぁ、ケントのお土産を冷めないうちに食べるよ」

「はい、いただきます!」


 アマンダさんが取りなしてくれたおかげで、今夜の正座は短時間で終了いたしました。

 まだちょっと膨れっ面しているマノンちゃんが、めちゃめちゃ可愛いですねぇ。

 おっとニヤニヤしていると、食後の正座になりかねないので引き締めましょう。


 大きなエビは、既に殻を外して食べやすい大きさに切ってあります。

 ソースはエビの頭で作ってあるそうです。


「んー……プリプリで甘っ!」

「ソースが濃厚……」


 日本人としては、エビの頭で出汁をとって、お味噌汁が飲みたいって思っちゃいますよね。

 

「ハサミの肉が美味しいから、みんなで分けて食べるんだよ」

「うわっ、凄い甘い、美味しい!」


 メイサちゃんもエビの美味しさに表情を蕩けさせています。

 次は貝のバターソテーをいただきます。


「んー! クニクニした歯触りと海の風味がたまらない!」

「このソースは、何を材料に使ってるんですか?」

「それは、貝の胆をベースにしたソースだよ」


 ベアトリーチェは、アマンダさんの説明を聞いた後で、改めてソースを味わっているようです。

 貝の胆と香草、果実酒、その他、アマンダさんの隠し味が混ぜてあるようです。

 マノンは、トマト味のパスタが気に入ったようです。


「貝の旨みとトマトの旨みが合わさって、凄く美味しい」

「そうだね。塩味の方には、もう少しニンニクを効かせた方が美味しかったかもしれないね」

「そうですね。でも、このままでも十分美味しいですよ」

「そりゃケントが持って来た、素材が良かったからさ」

 

 今朝取れたばかりのものを直送、鮮度は抜群ですからね。


「アマンダさん、お店のメニューに加えます?」

「こんな大きなエビや貝は、うちで出すには値段が高すぎると思うけど、パスタに使った貝が手頃な値段で手に入るなら使ってみたいね」

「それじゃあ、時々仕入れに行ってきますよ」

「そうかい? まぁ、ケントの負担にならない時で構わないよ」

「クラーケンの討伐が終われば、外海での漁も再開されるそうですから、珍しい魚とかも手に入ると思いますよ」

「ほぅ、そりゃ楽しみだねぇ……まぁ、それもケントが暇な時で構わないよ」

「はい、時間のある時に仕入れて来ますので、またみんなで食べましょう」

「そうだねぇ……」


 みんなで楽しくお喋りしながら、海鮮尽しの夕食を堪能しました。

 唯香達が後片付けをした後、雌鶏亭のクッキーで食後のお茶を楽しむことにしました。


「あー美味しかったし、後片付けもやってもらって、今日は楽チンだねぇ」

「でも、お母さんは料理したじゃない」

「料理も珍しい素材だったから楽しめたよ」


 大好きな人達と美味しい料理を楽しく食べる、なんて幸せなんでしょうね。

 みんなのカップにお茶が注がれたところで、アマンダさんから訊ねられました。


「ケント、クラーケンの討伐はいつまで掛かるんだい?」

「そうですね。上手くいけば明日終わるかもしれませんし、場合によっては長引く可能性もあります」

「そうかい。それじゃあ、それが片付いたら、うちを出て迎賓館に引越しな」

「えっ……引越し?」


 突然引っ越せと言われて戸惑っていると、メイサちゃんが反対しました。


「お母さん、なんでケントを追い出すの? 反対、絶対反対!」

「ケント、バルシャニアのお姫様は、いつヴォルザードに来るんだい?」

「えっと……早ければ半月後、遅くとも一ヶ月後ぐらいには……」

「だったら、もう迎える準備をしておかなきゃ駄目だろう? お姫様が着きました、じゃあ引っ越しますなんて事じゃ格好つかないだろう」

「そう、ですね……」

「あんた達にも、良い機会だから話をしておこうかね」


 アマンダさんは、姿勢を正して、唯香たちと向かい合いました。


「あんた達が、ケントと一緒になって暮していく覚悟を決めているのは、よーく知っているよ。その上で、人の親になる覚悟は出来ているかい? 来年の今頃には、ケントの子供を産んでいるかもしれないんだよ」


 確かに、アマンダさんの言う通り、夫婦生活を営むようになれば、当然子供を授かる可能性があります。

 唯香は表情を引き締めて小さく頷き、ベアトリーチェは頬に手を添えて笑みを浮かべ、マノンは真っ赤になって俯いています。

 ちょっとリアルというか、生々しい現実を前に、僕も顔が熱くなってきました。


「ヴォルザードでは、あんた達ぐらいの歳で子供を生むのは格別珍しいことじゃない。でもね、だからこそ、ちゃんと心の準備をしておかなきゃ駄目だよ。人は、子供が出来たから親になるんじゃない、子供を育てながら親になっていくんだよ」


 アマンダさんは、お茶を口にして一息入れると、続きを話し始めました。


「あんた達には、四人も同じ境遇を共にする人が居るし、助けてくれるお付きの人もいるだろう。でもね、生まれたばかりの子供ってのは、本当に無力で、ちょっと油断すれば命を落としてしまうか弱い存在で、目一杯の愛情を注いであげなきゃいけない存在なんだ。あんた達は、その子らのためなら死んでも構わないという覚悟は出来ているかい?」



 メイサちゃんに向けられたアマンダさんの視線には、深い慈愛と母性が満ちています。


「メイサを産んだ時は、本当に大変で、毎日生きていくのに必死だった。恥も外聞もなく、周りの人に頭を下げて助けてもらったものさ。でもね、この子の笑顔を守れるなら辛くもなんともなかったよ」


 アマンダさんに頭を撫でられて、メイサちゃんは目を細めています。


「子供が生まれたら、溢れるくらい愛情を注いでおやり。ただ甘やかすだけじゃなく、ただ厳しいだけでもなく、子供が真っ直ぐに育つように、困難に直面しても折れてしまわぬように、あんた達が持っている愛情を全部注いでおやり」


 アマンダさんの言葉に、唯香達は表情を引き締めて頷きました。


「ケント、あんたが初めてうちに来た時には、この子は一人で生きていけるようになるのか、それはそれは心配したものさ。でも、あんたは周りの人の助けを借りながら、ひた向きに頑張って友達を救い出してみせた。ヴォルザードを魔物の脅威から守ってみせた」

「でも、救えなかった同級生や日本に帰して上げられなかった同級生もいます」

「そりゃそうさ、あんたは神様じゃないんだ、失敗したり出来なかったことがあったって、それは仕方のないことさ。だいたい、クラーケンを討伐しますなんて平然と言える人間が、あんたの他にランズヘルトに居るのかい、居ないだろう」

「まぁ、そうですけど……」


 アマンダさんは、ふっと笑顔を浮かべて、メイサちゃんの時と同じように僕の頭を撫でました。


「立派になったよ。あんたは自慢の息子さ。でもね、これからは生まれてくる子供達の自慢の父親におなり。生まれてくる子供達に、恥かしくない生き方をおし。その両腕を目一杯広げて、嫁や子供が照りつける日差しや、身体の芯まで凍らせるような冷たい雨風に晒されぬように、屋根になり、壁になり、家になるんだよ」

「はい、僕の家族を全力で守るって約束します」

「うんうん、それでこそ、あたしの自慢の息子だよ」


 席を立ったアマンダさんは、僕をギューっと抱き締めました。

 たぶん、これはアマンダさんなりの子別れの儀式みたいなものなのでしょう。

 でもね、僕はちゃんと言いましたよ、僕の家族を全力で守るって……。

 勿論、その中には、アマンダさんもメイサちゃんも含まれてますからね。


 お茶を飲み終えたところで、唯香達を送って行くことにしました。

 話し込んでしまったので、ちょっと時間が遅くなってしまいました。


「ノエラさんに連絡するのを忘れちゃったから、マノンを先に送っていっても良い?」

「あっ、大丈夫。お母さんには、フルトに伝言を頼んだから」

「でも、許可を貰ってないから、やっぱりマノンを先にするよ」


 べ、別にマノンと二人きりになったら、サヘルの件で怒られそうとか思ってませんよ。

 商店や飲食店が店じまいすると、ヴォルザードはメインストリートからも人影がなくなります。

 日本でいうなら、終電が終わった後みたいな感じでしょうか。


 そもそも派手なネオンサインや明るい街灯、二十四時間営業のコンビニが無いし、街灯の数も限られているので、街全体が日本と較べると薄暗いです。

 僕は夜目が利くので大丈夫ですが、三人のために明かりの魔道具を影の空間から取り出しました。


「待って健人、ほら……」

「おぉ、凄い……天の川だ」

「ケント、天の川って何?」

「星が集まって見える、銀河の帯だよ」

「銀河の帯……?」


 ヴォルザードでは、現代日本ほど天文学が一般的でないらしく、マノンに説明するのはちょっと大変でした。

 道の真ん中に佇んで、夜空を見上げていたら、ギルドの方向からフラフラと人影が近付いて来ました。

 危なげな足取りから見て、酔っ払いのようです。


「おぉう? 一人で三人も女連れてるなんて贅沢じゃねぇか……」

「そうだ、そうだ、俺達も混ざってやるから、いいことしようぜ……」


 かなり酔っぱらっているらしい二人組は、三十代後半のおっさんに見えます。

 日本で唯香達の年代に手を出したら、それこそ逮捕ものだよ。

 それに、領主様の娘も居るんだけど、暗いから気付いてないんだろうね。


「わぅ、ひかえおろう! このギルドカードが目に入らぬか!」


 酔っ払いの相手とか面倒だなぁ……と思っていたら、フルトとヘルトが影の中から飛び出して来ました。


「はぁ? コボルトだと?」

「おいおい、こんな所にコボルトなんて……居るよ!」


 ヘルトが右手に持って突き出しているのは、どうやら僕のギルドカードのようです。

 もしかして、これって、あれだよね。


「わふぅ、こちらにおられる方こそは、ヴォルザードのSランク冒険者、ケント・コクブ様にあらあら……あらせらら……」

「Sランクだと!」

「うわぁ! 魔物使いだぁ!」


 酔っ払いの二人組は、転がるような勢いで逃げ出して行きました。

 それを見送っていたフルトとヘルトのピーンと立っていた尻尾が、ダラーンっと項垂れています。


「ありがとうね、フルト、ヘルト」

「わぅ、ご主人様、ははぁ……って、やりたかった……」

「わふぅ、やりたかった……」


 しょんぼりとしたフルトとヘルトを撫でてあげる僕の横で、唯香がおでこに手をあてて溜め息を漏らしています。

 唯香とマノンが診療所で働いている間、フルトとヘルトは影の空間で唯香のスマホのワンセグでテレビ放送を見ていたそうです。

 そこで見た『水戸黄門』がいたく気に入ったらしく、実行するチャンスをうかがっていたようです。


「そっか、やりたかったのか。でも、ギルドカードには黄門様の印籠みたいな効果は無いからね。あれは、こちらで言うなら王家の紋章みたいなものだから、ギルドのランクとはちょっと違うんだよ」

「わぅ、そうなんだ……」

「わふぅ、やりたかった……」

「でも、僕らを助けてくれようとしたんだよね。ありがとう」


 しょんぼりしていたフルトとヘルトでしたが、ギューって抱えてワシワシ撫でていると機嫌が直ったようで、尻尾をパタパタと振りはじめました。

 そのうちに、太秦の映画村にでも連れていってあげましょうかね。

 でも、コボルトが印籠を取り出して決め台詞を言ったりしたら、大騒ぎになりそうですね。

 天の川や日本の時代劇の話をしながら、マノンの家まで歩きました。


「お母さん、ただいま」

「お帰りなさい」

「ノエラさん、急にマノンを連れ出して、すみませんでした」

「駄目でしょ、ケントさん」


 マノンの帰宅が遅くなったことを謝ったのですが、ノエラさんは表情を険しくしています。


「ごめんなさい、これから事前に連絡……」

「そうじゃないでしょ!」

「えっ……あっ、ごめんなさい、お義母さん」


 改めて頭を下げると、ノエラさんはニッコリと微笑んでくれました。


「フルトちゃんが伝言してくれたし、いつも一緒に居てくれるから心配なんてしませんよ。それに、もうマノンはケントさんの所へ嫁に出したつもりですからね」

「ありがとうございます。クラーケンの騒動が終わったら、夕食会を開こうかと思っていますので、是非参加して下さい」

「まぁ、それは楽しみだわ。喜んで参加させてもらうわね」


 マノンを送り届け、ベアトリーチェを領主の館まで送ったら、唯香を守備隊の宿舎まで送ります。


「ごめんね、唯香。遅くまで連れ回しちゃって」

「ううん、大丈夫。それに、ちょっとだけケントを独り占めできちゃうし……」


 絡めた腕に力を込めて来たので、ふにゅん、ふにゅん……って、唯香も育ってますよね。

 こちらこそ、独り占めさせていただいて、ありがとうございますです。


「ケントのエッチ……」

「ぐぅ、ごめんなさい……」

「ケントは幸せ?」

「めちゃめちゃ幸せ。僕が幸せじゃないなんて言ったら、絶対に神様に怒られる。それこそ激オコで、空から槍が降って来るよ」

「私も幸せ。すっごく幸せ……」


 唯香は僕の肩に頭を預けて、そのまま暫く無言で歩きました。

 言葉を交わさなくても、温もりだけで幸せを実感します。

 人通りの少ない目抜き通りを歩きながら、唯香が囁いてきました。


「あのね、ケント……カミラのことなんだけど」

「うん……」

「日本への賠償が終わったら、許してあげてもいいかなぁ……って思ってるんだ」


 唯香は、召喚されてから今日までの日々を振り返り、カミラへの心境の変化を語りました。

 ラストックの駐屯地に抑留されていた頃は、それこそ殺したいくらい憎んだこともあったそうです。


「ケントに救い出してもらって、ヴォルザードで優しい人達に囲まれて、日本に帰る方法も、日本と連絡する方法も、日本から家族に来てもらう方法も見つかって、私は本当に幸せだって感じてる。ラストックで衰弱死させられた船山君、自殺してしまった関口さん、日本で犠牲になった人達の家族はカミラを許せないと思うけど、私はカミラに対する憎しみを維持できなくなってるの。それは、私が幸せだからだと思う。犠牲になった人や、その家族の皆さんには申し訳ないとも思うし、私のエゴなんだと思うけど、許したいって思い始めてる」

「分かった。でも、日本政府とリーゼンブルグが正式に和解しないと駄目だよね」

「うん、それは勿論、ケジメだからね」

「クラーケンの討伐を終えて、引越しを済ませて、手が空いたら少し動いてみるよ」

「うん……」

「でも、唯香は大丈夫なの? カミラと一緒に暮らす事になっても」

「うーん……どうなんだろう。でも、カルヴァイン領に行った時は、頑張ってもいたし、民衆からも信頼されてた……というのは最初からだね」

「うん、扱いが悪かったのは、僕らだけだったね」


 唯香はカミラを許す気になりつつあるみたいですが、まだ迷ってもいるようです。


「セラフィマが来て、僕らの生活が落ち着いてからでもいいんじゃない?」

「そっか、そうだね……」


 唯香を守備隊の臨時宿舎へ送り届けてから、影に潜って下宿に戻りました。

 影の中から部屋を覗くと、毛布に包まったメイサちゃんが、マルト達と向かい合って座り、口を尖らせています。


「ズルい、私だけ寂しがってるみたいじゃん」

「でも、いつでも会えるよ」


 ミルトの言葉に、マルトとムルトも頷いています。


「ミルトは影に潜れるから、どこでも入っていけるけど。私は領主様のお屋敷には入れないもん。それに、お泊りはお母さんが許してくれなそうだし……」

「じゃあ、メイサもご主人様と結婚すればいいんだよ」

「ちょっ、な、何言ってるのよムルト。私は別にケントなんか……」


 いやぁ、なんでメイサちゃんは、ウニョウニョ言いながら顔を赤らめてるんでしょうね。

 てか、メイサちゃん、マルト達をちゃんと見分けてるんですね。

 僕は魔力のリンクがあるから、誰が誰だか間違えたりしないけど、メイサちゃんが見分けているとは思ってませんでした。


「私はお母さんの後を継いで、この店を繁盛させなきゃいけないの」

「別にご主人様と結婚しても、お店は続けられるんじゃない?」

「へっ? そっか、それでもいいんだ……」

「ご主人様と結婚すれば、ギューってして、撫で撫でしてくれるよ」

「ギューってして……」

「撫で撫で!」


 うん、メイサちゃんは、なんで両手で顔を覆ってゴロゴロ転がってるのかな?


「ただいまー」

「うみゃぅ! ケ、ケント……べ、別に撫で撫でされたいわけじゃないからね」

「はいはい、僕はシャワー浴びてくるから、先に寝てていいからね」


 顔を赤らめて、頬を膨らませていたメイサちゃんですが、頭を撫でるとフニャっと笑みを浮かべて俯きました。

 まぁ、お気に入りの枕が無くなるのは寂しいのでしょう。


 シャワーを浴びて、寝巻きに着替えて部屋に戻ると、メイサちゃんは寝たフリをしていました。

 顔赤いし、鼻息荒いからバレバレなんですけど、突っ込まないでおきましょう。


「ん、んんー……」


 布団に入ると、メイサちゃんは寝返りを打ったフリをして、ギュっと抱き付いてきました。

 何も言わずに頭を撫でると、メイサちゃんはニヘラっと笑みを浮かべて、やがて本当の寝息を立て始めました。

 うん、涎を垂らさないように、口は閉じて寝ようね。メイサちゃん。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る