第296話 港町ジョベート
「クラーケンって、おとぎ話に出て来るクラーケン?」
「そう、あのクラーケン」
「えっ、だって舟まで飲み込んじゃうんだよ。ケントなんかが勝てる訳ないよ! 駄目、ぜったいに行っちゃ駄目!」
夕食の席で指名依頼の話になって、クラーケン退治だと言ったら、メイサちゃんから駄目出しされました。
「舟に乗って退治に行くつもりは無いし、そもそも海の真ん中からだって、影に潜れば戻って来られるよ」
「うーっ……でも駄目。危ないから駄目!」
「今回も、基本的には影の中から退治する予定だから、危なくないよ。影の中にはクラーケンは入って来られないからね」
「うーっ……ホントに?」
「ホント、ホント」
「ホントに、ホント?」
「大丈夫だって、依頼してきた方だって、上手くいけば儲けものぐらいの感覚だからさ、依頼の期限も無ければ、出来なかった時のペナルティも無いしね」
「うーっ……でも、危ないのは駄目なんだからね」
「はいはい、分かりましたよ」
頭をそっと撫でてあげると、メイサちゃんはフニっと目を細めています。
「それじゃあケント、明日は、そのジョベートとやらに行くのかい?」
「そうですね。朝一番にジョベートの領主の別邸に顔を出して、領主の息子さんに挨拶してから少し情報収集をして、午後はブライヒベルグにクラウスさんを迎えに行く予定です」
「はぁ……聞いてるだけで気が遠くなりそうだね。ランズヘルトの端から端だよ。まったく考えられない話だよ」
アマンダさんの言う通り、普通に馬車などを使って移動すると一月近く掛かってしまう距離です。
まぁ、バルシャニアのグリャーエフとか、地球の東京なんて、もっともっと遠いんですけどね。
「そうだ、新鮮な貝とかが売ってたら、お土産に買ってきますよ。スープの具にすると美味しいですよ」
「あぁ、そりゃいいね。ヴォルザードで手に入る貝は、川に住んでいるものか、干したものだけだからね。新鮮な海のものも食べてみたいね」
「どのみち、クラーケン退治は一日で終わるようなものじゃないですから、向こうに行ったら買ってくるようにしましょうか」
「それは楽しみだね。腕によりをかけて料理してあげるよ」
さすが料理人とあって、新鮮な食材が手に入ると聞いて、アマンダさんは目を輝かせています。
貝とかなら、湾の中でも獲れそうですもんね。
少し多めに仕入れてきて、また夕食会でも開きましょうかね。
翌朝、朝食を済ませて準備を整えたら、エーデリッヒの港町ジョベートに向かいました。
港で教えてもらうと、領主の別邸は街を見下ろす小高い丘の上にありました。
その港は、やはり出航の準備をする船もなく、閑散としています。
港から領主の別邸へと向かう坂道は、商店街になっているのですが、ここも朝のヴォルザードと較べると活気がありません。
戸を下ろしたままの店の看板を見ると、どうやら魚屋のようです。
漁船も出航を控えているのでしょう、売り物がなければ商売になりませんものね。
領主の別邸の門前には、白い長袖のシャツを着て、モスグリーンの七分丈のパンツにサンダル履き、赤いバンダナで頭を覆った屈強な男性が立っていました。
腰には短剣を下げていて、なんか見た目は海賊って感じです。
「おはようございます。こちらは領主様の別邸でしょうか?」
「そうだ。何か用かい、坊主」
男性がニカっと笑うと、日焼けした肌に白い歯が眩しいくらいです。
うん、歯磨き粉の宣伝にピッタリなキャラですね。
「僕は、ヴォルザードから来ましたケント・コクブと申します。アルナート様から指名依頼を頂きまして挨拶に参りました」
「ケント・コクブだと! 君がか?」
「はい、こちらがアルナート様から預かった証明書と、これが僕のギルドカードです」
「Sランク……ちょ、ちょっと待っていてくれ」
気さくに話し掛けてくれていた男性ですが、僕が書状とギルドカードを見せると、顔色を変えて建物の中へと走りこんで行きました。
てか、門の警備が誰もいなくなっちゃってるけど、良いのかな?
海賊チックな男性は、程無くして戻って来ました。
「ご、ご案内いたする……ささっ、こちらへどうぞお通りくだされ……」
「はぁ……失礼します」
別に最初と同じ調子で案内してくれれば良かったのですが、何だか妙に緊張しているようで、言葉使いもおかしなことになっています。
玄関で出迎えてくれたのは、明るい茶髪の好青年(ネコ耳プラス)でした。
「良く来て下さいました、ケント・コクブさん。私は領主の次男でバジャルディと申します。あぁ、気軽にバディと呼んでください」
「初めまして、ケント・コクブです。よろしくお願いします」
「遠路遥々ありがとうございます。まさか、こんなに早く来て下さるとは思ってもいませんでした」
「僕は闇属性の魔術を使って、影の中を移動出来ます。僕が行った事の無い場所でも、眷族が行った事のある場所ならば、移動は問題ありません」
「そうなのですか。では、ヴォルザードを立たれたのは……」
「つい、さっきですね。下宿で朝食を済ませてから来ました」
バディさんも、海賊チックな男性も、ポカーンと口を開いて顔を見合わせています。
まぁ、影の中を移動出来ると知っているアマンダさんでも呆れていたぐらいですからね。
「あぁ、失礼いたしました。どうぞ、中でゆっくりと話をさせて下さい」
「はい、お邪魔いたします」
領主の別邸は、海からの湿った風を抜くためなのか、窓の多い開放的な作りになっていました。
リビングのベランダからは、湾が一望でき、素晴らしい風景が広がっていました。
「うわぁ……これは素晴らしいですね。芸術的な絵画のようです」
「ここは、先祖代々の自慢の場所でして、朝、昼、夕暮れ、そして夜と、様々な風景が楽しめますよ」
湾を見下ろす景色を暫し堪能した後で、視線を湾の外、沖合いへと移しました。
今日は昨日よりは風も弱く、外海も静かに凪いでいるようです。
「クラーケンがいなければ、湾の外から入って来る船、そして海の向こうへと向かう船が何艘も見られる時間ですが、今は御覧の通りです」
「クラーケンは、どの辺りに出るのですか?」
「ここから見ると、水平線の少し手前辺り、実は、ここから船が襲われる様子が見えるのです」
そう話すバディさんは沈痛な表情を浮かべています。
見えているけど、手を差し伸べることすらも叶わない無力感を抱えているように見えます。
「クラーケンが現れたのは、いつ頃からですか?」
「最初に姿を見せたのは、年明け早々の頃だったと思います」
「それから、ずっと船の運航は止まったままなのですか?」
「いえ、当初は襲われる頻度が少なかったので、賭けと言ってはなんですが、出航する船も少なくありませんでした」
「出航を見合わせるようになった理由は、何かあるのですか?」
「それは、あちら側からの船が一艘も来なくなったからです」
「えっ、それでは、こちらに向かっていた船は全て犠牲になったって事ですか?」
「そうとも考えられますし、クラーケンを恐れて、あちら側でも出航を見合わせているかのどちらかでしょう」
一隻の船もたどり着かない状況では、船を出す勇気も湧かないのでしょう。
「船乗りには、気性の荒い者が揃っておりますが、その反面危険には敏感で、勇気と無謀を取り違えることはしません」
「つまり、今港に停泊している船は、無事に向こう側へと到着出来るという証がほしいのですね?」
「その通りです。たぶん、一隻船が到着すれば、我先にと出航の準備を始めるはずですよ」
もう一度バルコニーから街を見下ろすと、ジョベートの街には広場らしい広場が存在していません。
湾の縁ギリギリまで山の斜面が迫っている感じで、広い空間となると、港の周辺にしか存在していなさそうです。
「すみません、あの広場は何ですか?」
「どこですか、あぁ、あそこは造船所ですね。外洋に出る大きな船を作る場所ですが、今は状況が状況だけに作業も止まっているようです」
「もしクラーケンを仕留められたら、あそこへ持ち込んでも大丈夫でしょうか?」
「そうですねぇ……いや、あちら側、あそこに教会の尖塔が見えますよね?」
「どこ……あぁ、はいはい、尖った赤っぽい屋根ですね」
「はい、その向こう側が魚市場の水揚げ場になっていまして、そこにクジラ用の広いスペースがあるんです。出来れば、そちらに持ち込んでいただけますか? 漁協には、こちらから連絡しておきます」
「分かりました。それと、クラーケンに関して、もう少し詳しい話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、もちろん構いませんよ。私に分かる事は、全て包み隠さず申し上げます」
この後、バディさんにクラーケンの話を伺いましたが、聞けば聞くほど巨大なイカという印象を持ってしまいます。
船を襲う時には、海底から足を上にして浮上し、そのまま船底に食らい付くようにして足を絡め、そのまま海底に引きずり込もうとするそうです。
でも、その状況では、クラーケンの本体は船で隠れてしまい、直接攻撃を仕掛けられそうもありません。
火属性のAランクだとしても、クラーケンの姿も見えず、攻撃の糸口すら見出せなかったように感じます。
「これまで、クラーケンを討伐出来た記録とかは残っていないのですか?」
「はい、クラーケンを追い払えたという記録なら残っていますが、それも海の中から姿を現した時に一斉攻撃を加えたというものばかりです。ただ、それでも、著しいダメージを残したという記録はなく、最近は居なくなるのを待つばかりです」
「普通に考えるならば、クラーケンを海から出さないと勝機を見出せないように感じますが、クラーケンが上陸したという記録はありませんか?」
「ございません。クラーケンは、一定の距離まで来ると、それ以上は陸地には近付いて来ません」
「逆に、一定の距離まで船で近付くと、襲ってくる感じですかね?」
「そうです。そんな感じです」
どうやらクラーケンを退治するには、沖まで出る必要がありそうです。
バディさんと話し込んでいると、家の玄関のほうから人が近付いて来る気配がしました。
「叔父上、魔物使いが現れたというのは、本当ですか!」
ズカズカとリビングに踏み込んで来たのは、茶色に金のメッシュが入った髪をなびかせた、僕よりも二、三歳上に見える女性で、こちらは犬っぽい耳と尻尾が生えています。
小麦色に焼けたメリハリのあるボディを、シンプルな白いシャツと赤いホットパンツで包み、スラっとした足には革紐のサンダルを履いています。
女海賊を思わせる少女の後ろには、手下らしき屈強な男が五人付き従っていました。
「ディアナ、お客様に失礼だぞ!」
バディさんが声を荒げても、ディアナと呼ばれた少女は、ジッと僕を見詰めています。
「叔父上、まさかこのチンケな子供が魔物使いではありませんよね?」
「ディアナ、それ以上失礼な口を利くならば……」
「このような子供に何が出来ると言うのです。あのAランク冒険者、焦土のマルシオですら、成す術が無かったのですよ」
一旦バディさんに向けられ、再び僕に戻ってきた視線には、軽蔑するような色が混じっているように感じられます。
おっと危ない、飛び出して行きそうなサヘルを咄嗟にフレッドが止めてくれました。
「申し訳ございません、ケントさん。姉の娘なんですが、御覧の通りの世間知らずな子供でして……」
「いいえ、気にしないで下さい。こうした扱いをされるのは珍しくありませんから」
「ふん、口で言っても分からないようだ……な! なにぃ!」
リビングに入ってくる以前に、身体強化の詠唱をしておいたのでしょう。
ディアナは、惚れ惚れするような踏み込みから流れるような横蹴りを叩き込んで来ましたが、僕の胴体を捉える直前に闇の盾に阻まれています。
「バディさん、一度偵察をしてから、またご相談に上がりますので、今日の所は失礼します」
背後に闇の盾を出して姿を消すと、リビングに居合わせた者達は、揃って驚きの声を上げました。
「き、消えた! どこに行った」
「何だ、あいつ。どうやってディアナさんの蹴りを止めたんだ」
そんな中で、バディさんが声を荒げました。
「ディアナ! 自分が何をしたのか分かっているのか!」
「分かっていないのは叔父上の方です。あのような者に任せるのではなく、我々にやらせて下さい!」
「馬鹿なこと言うな! Aランクの冒険者でも何も出来なかったと自分で言ったばかりだろう。それとも、お前らはマルシオ以上の実力があるとでも言うのか!」
「マルシオは、内陸で活動していた冒険者で、海には不慣れでした。この辺りの海を良く知る我々の方が、上手くやれるはずです」
「お前達程度の者が何とか出来るような相手なら、とっくに討伐を終えている。ましてや今回は複数のクラーケンが確認されている。湾の外に許可無く船を出す事は許さんぞ!」
バディさんが睨みを効かせても、ディアナ達は不服そうな表情を浮かべたままでした。
「フレッド、このディアナ達を探っておいて。それと、勝手に船を出そうとしたら知らせて」
『了解……任せて……』
でもって、影の空間ではサヘルが不服そうな表情を浮かべています。
「なぜですか、なぜ斬ってはいけないのです、主様」
「悪さをしたサンド・リザードマンの子供を人間が斬り殺したら、サンド・リザードマンはどうする?」
「勿論、復讐いたします」
「そうだね。人間とサンド・リザードマンが逆の立場でも、同じように復讐すると思うよ」
「何がおっしゃりたいのですか、主様」
「さっき、僕に暴言を吐いて蹴りを入れようとしたディアナは、言ってみれば悪さをした子供なんだよ。バディさんも言ってたよね、世間知らずの子供だと」
「はい、言ってました」
「その子供をサヘルが斬り殺したら、僕はバディさんから復讐されるかもしれない」
「そうなったら、斬り殺せば良いのでは?」
「僕はバディさんと仲良くしたいんだけど……サヘルは、それを邪魔するの?」
「それは……」
「サヘル、僕達には強い力があるけど、それを考え無しに使っていたら、回りは敵だらけになっちゃうんだよ。僕らにどんなに力があっても、世界中を敵に回して生きていくなんて無理だし、ずっと殺し合いを続けるような殺伐とした世界なんて、僕は望んでいない」
「ですが、私は主様のことを思って……」
「サヘル、ここに座って」
影の空間に置いてある、木箱の一つにサヘルを座らせて、そっと抱き締めて頭を撫でます。
うん、こうしないと背丈が釣り合わないんだよね。
「ありがとうね、サヘル」
「主様……」
「サヘルは、親元を離れたばかりで、砂漠から出たばかりで、分からない事が沢山あるのに僕のために頑張ろうとしてくれたんだよね」
「はい、主様のために……」
「大丈夫、最初から頑張らなくても大丈夫。どう動けば良いのか、いつ力を振るうべきなのか、フレッドやみんなに習って覚えていって。それと、相手を殺すのは最後の手段。いかに相手を殺さずに問題を解決するか、考えるようにしよう。いいかな?」
「分かりました、主様」
「うん、サヘルは良い子だね」
そっと撫で続けていると、ふっと力を抜いてサヘルは眠りに落ちていきました。
考えてみれば、群れから一頭だけ離れて僕の眷族になったから、気を張り続けていたのでしょう。
クラウスさん達を迎えに行く時間まで、そのままサヘルを寝かし付けておきました。
約束の時間にクラウスさんを迎えに行くと、そこにはエーデリッヒの領主アルナートの姿がありました。
「お待たせしました、クラウスさん」
「おぅ、ケント。クラーケンは拝んで来たか?」
「いえ、バジャルディさんには挨拶して来ましたが、クラーケンにはまだです」
僕の言葉を聞いて、アルナートは少し驚いたようです。
「本当にバジャルディに会ってきたのかい?」
「はい、ディアナというお嬢さんに、手荒い歓迎をされましたけど……」
ニヤっと笑ってみせると、アルナートも頬を緩めました。
「なるほど、本当らしいな。距離に囚われず、自由に移動出来ると聞いても、自分で確かめないことには実感が湧かないものだ」
「相手が相手だけに、クラーケン討伐は腰を据えてやりたいと思っています」
「構わん。どのみち、ワシらでは手の打ちようが無いからな。よろしく頼む」
アルナートと握手を交わし、まずはノルベルトと護衛をマールブルグに送り届けました。
「本当に世話になったな。この礼は、改めてさせてもらう」
「いえ、マールブルグとヴォルザードは隣同士ですから、一緒に発展していきましょう」
「そうだな。頼もしい隣人を持って、マールブルグは幸せだ」
ノルベルトとも握手を交わし、もう一度バッケンハイムへと戻りました。
「では、帰りましょうクラウスさん」
「おい、ケント。さっきディアナとかいう女に歓迎されたとか言ってたが、まさか嫁を増やす気じゃねぇだろうな」
「とんでもない。いきなり蹴りを叩き込んで来るようなじゃじゃ馬ですよ。こちらからお断りですよ」
「ふははは……帰るぞ、婿殿」
「はいはい、お義父さん」
クラウスさんと、カルツさん、バートさんをギルドの訓練場に送還して、本日の僕の仕事は終了です。
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