第295話 領主からの指名依頼

「主様、斬りますか?」

「斬らないから、その時が来たら言うから」

「そうですか、分かりました」


 ブライヒベルグに姿を現したエーデリッヒの領主アルナート・エーデリッヒは、一言で例えるならばネコ耳を付けた某アメリカ大統領のようです。

 エーデリッヒ・ファーストとか言いそうな仏頂面に、ネコ耳が生えているのは何の冗談なんだと言いたくなります。

 生理的な不快感を感じるのか、早速サヘルが尋ねてきましたから、勿論止めておきましたよ。


 昼過ぎにブライヒベルグに到着したアルナートは、他の領主が揃っているならば、すぐに会合を始めたいと言ったそうです。

 クラウスさん達は、アルナートの動向が会合の行方を左右すると思っていたようですが、どうやら少し風向きが違っているようです。


「イロスーン大森林の通行を回復させるために、エーデリッヒも資金を出そう。その代わりと言っては何だが、我々にも手を貸してもらいたい」

「ほう、あんたの方から手を貸せなんて言うとは、天から槍でも降り注ぐんじゃねぇのか」


 左隣の席から茶々を入れたクラウスさんをジロリと睨みつけたアルナートは、大きく息を吐き出してから口を開いた。


「貴様のような小僧に頭を下げるなど業腹だが、今は形振り構っていられる状態ではないからな」

「クラーケンか?」

「そうだ。辛うじて生き残った船乗りが言うには、一頭ではなく三頭以上のクラーケンが海峡に居座っているらしい」


 クラーケンはイカの魔物で、大きなものは胴体だけで十メートル以上、一番長い触腕を加えると三十メートルぐらいになるそうです。

 水温によるものなのか、潮流の関係なのか、数年に一度姿を現して、長い時には一年以上も居座ることがあるそうです。


「クラーケンが三頭なんて聞いたことがねぇぞ」

「ワシだって聞いたことが無いが、複数の者が目撃している。それに、貴様の所にだってグリフォンなんて代物が飛んで来たのだろう?」

「まぁな、この所の魔物の動きは、例年にはないものだ。海の中に異変が起こっていたとしても、不思議ではないな」

「知っての通り、エーデリッヒの交易は、国内よりも海の向こうとの方が盛んだが、現状ではクラーケンが数年居座ったとしても不思議ではない。出来れば討伐したいところだが……」


 言葉を切ったアルナートは、再びクラウスさんに視線を向けました。

 たぶんクラウスさんも、その視線の意味には気付いていると思いますが、自分から言葉を発することはありませんでした。


「まぁ、この話の続きは後でしよう。それよりも、イロスーンの件を片付けてしまおうか。どうせワシのいない間に案は出来上がっているのだろう? ナシオス」


 アルナートから指名されたブライヒベルグの領主ナシオスさんが目で合図をすると、部屋の隅に控えていた職員達が紙の束を配り始めました。


「こちらは、昨日皆さんより聞かせていただいた要望を基にして作った対策案です。ザックリとした金額は算出しましたが、正直に言って規模が大き過ぎることと、魔物の数が未定なので、数字は当てにならないと思って下さい」


 計画は、従来の倍の幅の街道と馬車二台が余裕を持って並べられる路側帯をつくり、その外側に壁、更に外側に堀を穿つというものです。

 工事は、マールブルグ、バッケンハイムの両側から始め、モイタバとスラッカの集落を復興させ、更に中間地点にも検問所を兼ねた集落を設けることになっています。

 工事は用地の伐採から始め、見通しを良くすることで作業員の安全確保を目指すそうです。


「単純に木を切り倒すだけならば、大した手間ではないが、根を掘り起こし、整地するとなると、相当な手間が掛かるのではないのか?」


 アルナートの問いに、ナシオスさんは一つ頷いてから答えました。


「確かに仰る通りですが、新規に道を切り開く訳ではありませんし、すでに十分な幅を確保出来ている箇所もあります。根まで掘り起こす箇所の殆どは、そもそも堀を穿つ場所になりますので、確かに手間ではありますが、致し方ないかと……」


 資料を捲って質問をするのは、殆どアルナート一人で、根回し済みなのは明らかですね。


「良かろう、この案を承認する」

「他の皆さんも、よろしいでしょうか?」


 想像していたよりも、あっさりとアルナートが承認したことで、会場にはホッとした空気が流れました。


「では、イロスーンの件はこれで決まりとしまして、次はクラーケン対策についても話し合ってもらえますか?」


 勢い込んで喋りだしたのは、アルナートではなく、その右隣に座ったブロッホ・フェアリンゲンでした。

 別に隣に座った強面のアルナートに媚びを売っている訳ではなく、フェアリンゲンもクラーケンによって海の向こうへの輸出が止まっている状態だからでしょう。


「クラウスさんは、森の向こうリーゼンブルグに新規開拓を……なんて言いますけど、正直、新しいお客を掴まえるのは楽じゃありませんからね」

「それに、長い間取り引きが止まれば、当然他の者に客を奪われることになる」

「クラウスさん、私達が指名依頼を出したら、勿論承認して下さいますよね」


 ブロッホの一言に、クラウスさんは渋い表情を浮かべています。

 事前の根回しを成功させたつもりが、実際にはアルナートとブロッホのコンビに嵌められた形です。

 イロスーンの件で承諾を引き出しておいて、こちらが一方的に拒否するというのは難しいでしょうね。


「主様、斬りますか?」

「斬らないよ。ちょっと斬りたいと思ったけど、まだ斬らないからね」

「そうですか、残念です」


 うん、サヘルのために、試し斬り用の巻き藁とか用意した方が良いのかな。


「ちっ、しゃーねぇな。うちのSランクを貸し出す事は承認するが、あいつは俺よりも忙しい奴だからな。昨日も俺とノルベルトの爺さんを送ってきて、その直後にバルシャニアとリーゼンブルグの間にある砂漠に急行した。仕事は受けても、縛り付けることは出来ないことは理解してくれ」

「構わん。ワシらとてクラーケンの討伐が出来るなんて、本気で考えている訳じゃない。それでも追い払える可能性があるならば、領民のために動くのが領主の務めというものだ」


 アルナートの言葉に、ブロッホも頷いています。


「それで、いくら出すんだ?」

「クラーケンを追い払えたら二千万ヘルト、一頭討伐する毎に同額を支払う」

「つまり、クラーケンを三頭討伐して、海峡の往来を回復したら、八千万ヘルトってことか?」

「そうだ、エーデリッヒとフェアリンゲンの連名での指名依頼だ」


 クラウスさんは、アルナートとブロッホに視線を投げ掛けた後で頷きました。


「いいだろう。うちとしても、他の領地の経営が傾くような状況は歓迎しない。と言う事なんだが、出来るか、ケント」


 クラウスさんは、虚空に向かって人差し指を立てて、ちょいちょいと招いてみせました。


「斬りますか? 主様」

「斬らないよ。ここで大人しく待っていてね」

「そうですか、残念です」


 クラウスさんの後に闇の盾を出して表に踏み出すと、初めて目にしたアルナート、ブロッホ、そしてリーベンシュタインの領主アロイジアは、目を見開いて驚いていました。


「どうも初めまして、依頼をいただきましたケント・コクブです」

「ほほう、闇属性の術士と聞いていたが、これほどとは……」

「貸すだけだからな。やらねぇぞ」


 興味深げな視線を投げかけてくるアルナートに、すかさずクラウスさんが釘を刺します。


「分かっておるわい。親馬鹿の貴様が娘との結婚を承諾したのだろう。それほどの人物が、簡単に手に入るなどと思っておらぬわ」

「ちっ、簡単に……って事は、手を掛ければ……なんて思ってるって事だろうが」

「価値のあるものを手に入れようとするのは、当然の事だろう」


 クラウスさんに睨み付けられても、平然と笑みを浮かべているアルナートは、やはり一筋縄では行かない人物のようです。

 アルナートは、クラウスさんとぶつけ合っていた視線を外し、僕へと向けて来ました。


「ケント・コクブよ。依頼は受けてくれるのか?」

「構いませんが、そちらの依頼に掛かりきりになるのは難しいですし、海の中の魔物を討伐した経験がないので、正直に言って依頼が達成出来るかどうか分かりません」

「それは十分に分かっておる。火属性のAランク冒険者が討伐に名乗りを上げたが、船ごと戻って来ていない」

「そうですか。とりあえず、現地に行って、偵察をしてみて、それから作戦を考えます」

「交易の玄関口となっている港町ジョベートに息子が詰めておる。話は全て通してあるから、そこで詳しい情報を聞いてくれ」

「分かりました。こちらの手が空き次第伺います」

「よろしく頼む」


 差し出されたアルナートの手は、分厚く、ゴツゴツとした働く男の手でした。

 なるほど、クラウスさんが嫌うのは、いわゆる同族嫌悪って奴かもしれませんね。

 アルナート、ブロッホ連名の指名依頼書に、クラウスさんが承認のサインを入れて手渡されました。


「ケント、こいつはドノバンに届けておけ。依頼が特殊だからな。期限も設定されていないし、失敗した場合のペナルティも無い。もしクラーケンを倒せるなら、倒した事が分かるような形でやれ。でないとタダ働きになりかねないぞ」

「分かりました。とにかく実物を見てからですね」


 指名依頼書を届けるために、一旦ヴォルザードへと戻りました。

 ギルドの階段下から表に出て、カウンターに歩み寄ると、当然のようにフルールさんにロックオンされました。

 まぁ、可愛い妹さんと八木なんかが結婚することになったのですから、僕にも言いたい事はあるのでしょう。


「こんにちは、フルールさん」

「責任取って下さい、ケントさん」

「えぇぇ……今度は、何の責任ですか?」

「ケントさんのせいで妹が先に結婚してしまいました。責任取って私と結婚して下さい」

「えぇぇ……そんな無茶な」

「失礼ですねぇ、私と結婚するのが、そんなに嫌なんですか?」

「だって、フルールさんとは仕事の話しかしてませんから、どんな方なのかも分からないのに結婚とか考えられませんよ」

「好きになさっても、よろしいんですよ……」


 フルールさんが寄せて上げるから、制服のボタンが悲鳴を上げています。

 それでは、ちょっとだけ……と言いかけたところで、周囲の受付嬢さんから抗議の声が上がりました。


「ちょっと、フルール。あなた淑女協定を守りなさいよ」

「ケントさん、フルールなんかより私を……」

「私、明日非番なんです。よろしければ……」

「ちょっと、今は私がケントさんと話してるのに……」


 うわぁ、皆さん僕自身よりも、僕が持ってる財産目当てですよねぇ。

 ギルドの職員の皆さんだと、僕の口座にどの位のお金が出入りしているかとか知ってそうですもんね。


「お前ら、そんなに結婚したいなら、花婿募集の依頼書を作って貼り出せ。さもなくば、仕事に戻るか、好きな方を選べ」


 圧を感じるドノバンさんの一声で動きを止めた受付嬢の皆さんは、そそくさと仕事に戻って行きました。


「それで、お前は何の用だ、ケント」

「はい、指名依頼を受けてきたので、依頼書を持って来ました」

「はぁ? 依頼書を持ってきただと?」

「はい、ブライヒベルグから……」

「ふむ……中に入れ」


 ドノバンさんに招かれて、カウンターの中へと足を踏み入れます。

 てかフルールさん、そんな膨れっ面してみせても、僕は責任取りませんからね。

 でも、あのダイナマイツを、お好きに出来るなら……いやいや、駄目駄目、正座案件になっちゃいますからね。


「依頼書を出せ」

「はい、これです」

「ぬぅ……」


 さすがのドノバンさんも、依頼の内容が内容ですし、領主二人の連名での依頼とあってか、一言唸ったまま暫く依頼書を睨んでいました。


「クラーケンか……勝算はあるのか?」

「さぁ……やってみない事には何とも」

「まぁ、相手は海の中だからな。普通に考えれば無理難題のような依頼だな」

「そうなんですけど、交易が出来ないことで、領民の皆さんも困っているみたいですから、出来れば力になりたいんですよね」

「現場まで船で行くつもりか?」

「うーん……それも考え中です。舟の上と海の中だと、かなり分が悪い戦いになるような気がするんですよね。実際、Aランクの冒険者が討伐に乗り出したけど、戻ってきていないそうです」

「まぁ、海の中に引き摺り込まれちまえば、こっちは身動きが制限されるし、そもそも息が続かないからな」


 ドノバンさんは、自分がクラーケンと戦う状況を想像しているのか、眉間に皺を寄せて首を捻っています。

 てか、ドノバンさんなら拳一つで退治しそうな気もしますよね。


「あっ、そうだ。今朝は、同級生がお騒がせしたようで、申し訳ありません」

「ん? あぁ、あのガキ共か……別にお前らだけじゃない、ヴォルザードのガキにも同じような連中は居るから気にするな。それに、実際に自分らで討伐やらダンジョン攻略に臨めば、講習の有り難味を身を持って知ることになる」

「そう言えば、ギルドで婚姻の届出とか出来るんですか?」

「出来ないぞ。婚姻の届出は役所の仕事だ。ギルドで出来るのは、死後の口座の相続人を指定する事だけだ。もっとも、籍を入れない冒険者にとっては、口座の相続人として認めることこそが婚姻だ、なんて言う奴もいるがな」


 なるほど、と言うことは、少なくともギルドの書類上は、八木とマリーデさんは夫婦ということなんだね。


「なんだ、ユースケのことか?」

「えっ、まぁ……」

「マリーデに抱えられたまま連れていかれたから、たぶん役所でサインさせられただろう」

「あっ、そうですか、それなら、それで構いません」

「ふん、結婚に関しては、俺が口を出すことではないが、お前の名前を使って何やら画策しているようだぞ。そうした話は、期待が大きくなるほどに裏切られた時の怨みも大きくなるからな、あまり他人の名声に頼らないように言っておけ」

「はい、まぁ、でも今回の一件で懲りたんじゃないですか?」

「ふん、あいつが、そんなタマか?」

「そう言われてしまうと、死ぬまで懲りそうもないんですけどね」


 まぁ、ドノバンさんにも目を付けられたようですし、悪さをするにしても限界がありそうです。

 と言うか、そもそも八木は、どうやって生活していくつもりなんだろうね。


「そうだ、デザート・スコルピオの入札方法は決まりましたか?」

「あぁ、早くしてくれと急かされているからな。明日入札して、決まり次第順次引渡しになる」

「解体は?」

「もう始めているが、入札は全て関節単位、それ以外の場所での切り離しは、とんでもない時間が掛かるから無理だな」


 デザート・スコルピオの殻は、刃物が通りにくいので、関節の可動部で切り分けるしかないそうです。


「まったく、とんでもない魔物だぞ。関節の部分も、刃物を差し入れないと柔らかい部分には届かないようになっている。アイツに較べれば、サラマンダーが可愛く見えそうだ」

「そう言われてみると、動いている時は攻城兵器みたいでしたね」

「城攻め用に、一頭捕まえて眷族にしておくか?」

「うちの眷族は、どんなに堅固な城でも出入り自由ですから、必要ありませんね」

「ふん、それもそうだな」


 そろそろギルドは夕方の混雑する時間を迎えるようなので、ドノバンさんの机の横から影に潜って失礼しました。


「ラインハルト、ジョベートには行った事はある?」

『ございますぞ。一度だけですが、アルテュール様に同行した折に案内されました』

「ちょっと、行っておきたいんだけど、良いかな?」

『お任せ下され』


 ラインハルトに目印役を務めてもらい、エーデリッヒの港街、ジョベートへ向かいました。


『ここら辺りが、ランズヘルトの一番東に当たる場所になります』

「さらに海を超えて東に向かうと、別の大陸があるんだね?」

『その通りですが、そちらまでは我々も足を運んだ事はございません』


 初めて目にするジョベートの街は、南ヨーロッパの港町といった感じです。

 大きな湾の中にあり、海岸から急な斜面にまで、ひしめくように家が建っています。

 港の中には、大小様々な種類の船が停泊していますが、活気の欠片も感じられません。


 大きな船の船べりに、所在無げに座り込む船員や、甲板でカード博打に興じる者達も見受けられます。

 たぶん、クラーケンのせいで舟を出せず、手持ち無沙汰なのでしょう。

 湾の突端まで移動すると、内海と外海では様相が一変しました。


「うわっ、外海は波が荒そうだね」

『今日は、空は晴れておりますが、風が強いのでしょう。それに外海は潮の流れもございますので、舟を出すのは日を選ばねば、かなり危険でしょうな』


 湾の外には、波立つ海が水平線の彼方まで続いています。

 クラーケンは、大きな船さえ引っくり返すほどの魔物だそうですが、この広い海の中から探し出せるものなのか、少々不安を感じます。


『ケント様、いかようにしてクラーケンを退治なさるおつもりですかな?』

「うーん……まだ考えている最中なんだけど、とにかく実物を見てみない事には、対策も立てようが無いから、明日にでも星属性の魔術を使って偵察してみるよ」

『そうですな。我々も陸上での戦いはお手のものですが、水の中では動きが鈍ります。眷族の中で戦えるのは、ザーエ達ぐらいでしょうな』

「まぁ、その時はその時で、何か方法を考えるよ」


 それでは、ヴォルザードに戻って夕食にしましょう。

 今日もバタバタしていたせいで、昼ご飯にもありつけていません。

 そのうちに、僕の名前の使用料として、八木にも奢らせないといけませんね。

 いや、それよりも結婚祝いを出さないといけないのかな。

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