第293話 ランズヘルトの領主達

 サンド・リザードマン達が北の砂漠へと去って行くのを見送り、これで一応ゴーケンのオアシスの奪還には成功したと言っても良いでしょう。


「フレッド、サヘルを連れてブライヒベルグに行ってくれる? ムルトを連絡役に残して来たから」

『了解……護衛と会合の偵察は任せて……』

「うん、あとサヘルにクラウスさんやカルツさん、バートさん達の顔を教えておいてね」

「主様、そやつらを斬ればよろしいのですね?」

「違う違う、クラウスさん達は大切な人だから斬っちゃ駄目だからね」

「そうなのですか、では、誰を斬ればよろしいのでしょう?」


 サヘルは腰に下げた細身のククリナイフに手を掛けて、ウズウズしている感じです。


「いやいや、今回は斬らないからね。僕達が守る人達の顔を覚えて、会合の様子を見守ってきてくれるかな?」

「分かりました、主様。では、いつ斬り込むのですか?」

「うん、その時が来たら指示を出すから、それまでは待機して」

「分かりました……」


 うん、外見は出来るお姉さんという感じなんですが、ちょっとポンコツ入っちゃってる感じですね。

 まだ成長途上だったサヘルを、急激に成長させてしまったからでしょうか。

 身体は大人、頭脳は子供……って、どこかの漫画の逆パターンですね。


『ごめん、フレッド。ちょっと手間が掛かるかもしれないけど、根気良く教えてあげて』

『了解……少しずつ教える……』


 一抹の不安を感じながらも、フレッドとサヘルをバッケンハイムに派遣しました。

 えっ、セラフィマとサヘルがバッティングしないように遠ざけたんだろうって?

 ソ、ソンナコト、ナイヨ……


 オアシスの入口側へと戻ると、壁の外に取り残されていたサンド・リザードマンも、冒険者達の手で討伐されていました。

 突っ込んで来たサンド・リザードマンによって犠牲が出たからでしょう、切り落した生首を掲げて雄叫びを上げる冒険者に、喝采の声が上がっています。


 壁の内側を確認すると、入口からなだらかに下っている通路は、完全に水没しています。

 まぁ、砂漠の中のオアシスですから、そのうち水位は元に戻るでしょう。

 オアシスの水を直接使うのは、移動の足である馬やベルフトというラクダのような動物に与えるだけで、人が使う水は魔術や陣紙を使って手に入れています。

 言うなれば、魔術による濾過みたいなものなのでしょう。


「ゼータ、こちら側の壁だけ硬化を解いて壊してくれるかな?」

「かしこまりました、主殿。更地にしておけば良いですね?」

「うん、平らにならして、表面は固めておいて」

「お任せ下さい」


 壁の片付けをゼータ達に頼んで、その間に僕はエラストに事の顛末を報告しておきましょう。

 攻撃側の責任者であるエラストは、参加した騎士や冒険者達と喜びを分かちあいながらも、警戒を緩めないように指示を飛ばしていました。


「まだだ、まだ終わった訳じゃないぞ、気を緩めるな!」


 良く考えれば、こちらからは壁の内側の様子は全く見えていないんですもんね。

 まぁ、あれだけ大量の水を落としたから、ダメージを受けているとは予想しているでしょうが、全部押し流してしまったとは思っていないのかもしれません。


「おい、壁が崩れるぞ!」

「全員戦闘準備、風属性の術士、粉塵を吹き飛ばせ!」

「任せろ! マナよ、マナよ、世を司りしマナよ、集え、集え、我が手に集いて風となれ……」


 うん、これは早めに報告した方が良さそうですね。

 エラストさんのすぐ横に闇の盾を展開して、声を掛けました。


「終わりましたよ。エラストさん」

「これは、ケント様。えっ、今なんと……終わったとおっしゃいましたか?」

「はい、サンド・リザードマン達は、水によって北の抜け穴から押し出されて、そのまま向こう側の砂漠へ去って行きました」

「本当ですか、ありがとうございます。おいっ、終わったぞ! サンド・リザードマンはオアシスから去った! 我々の勝利だ!」

「うおぉぉぉぉぉぉ……」


 局所的な勝利ではなく、オアシス奪還成功の知らせを聞いて、参加者全員が喜びの声を爆発させました。


「見ろ! オアシスの入口まで水が溢れてるぞ」

「うぉぉ、俺達の水だぁ!」


 喜びを爆発させた作戦の参加者が、我先にと水の中へと飛び込んで行きます。

 今日の本番だけでなく、数日間の演習も楽なものではなかったのでしょう。

 それだけに、勝利の知らせによってタガが外れている感じです。


「ケント様、本当にありがとうございました。我々だけでは、あと何日掛かっていたか分かりません」

「それも、慾に目が眩んだ人が居なければ、考えなくて済んだことですよね」

「そうだ、北側で作戦を邪魔した冒険者は……」

「ここから遠く離れた砂漠の真ん中に送還してやりましたけど、手緩かったでしょうか?」

「それは、装備を持たせて……でしょうか?」

「うーん……いや、またサンド・リザードマンを狩ろうとした所だったし、そうそう、装備は短剣ぐらいでしたね」

「ならば、結構です。運が良ければ生き残るでしょうが、運が無ければ砂漠で骨となる……処分としては十分だと思われます」

「それでは、ここの後処理はお願いしても構いませんか?」

「はい、あっ、申し訳ございませんが、出来ればセラフィマ様に作戦終了を知らせていただけませんか?」

「犠牲者が出たことは?」

「はい、騎士四名、冒険者二名が犠牲になったとお伝え下さい」

「分かりました。伝えておきます」


 エラストさんと握手を交わし、影に潜ってミズーシのオアシスに居るセラフィマの元を訪ねました。

 セラフィマは、ミズーシのオアシスに停めた馬車の中で、ヒルトと一緒に作戦終了の知らせを待っていました。

 座席にコロンと横になったセラフィマと、床にお座りしたヒルトの顔の高さが丁度同じぐらいです。


「まだ作戦は終わらないのでしょうか……何かトラブルでも起こったのでしょうか……」

「もうすぐ知らせが来ると思うよ」

「作戦は上手くいったのでしょうか……オアシスは解放されたのでしょうか……」

「知らせが来れば分かるよ」


 ヒルトに頭をポフポフされて慰められているセラフィマは、めちゃめちゃ可愛いです。

 うん、もうちょっと愛でていても良いでしょうかね。


「セラ、終わったよ」

「ケント様! 本当でございますか」

「うん、サンド・リザードマン達は北の砂漠に去っていった」

「あぁ、良かった。これで旅をする皆が安心してオアシスを使えます」

「セラもリーゼンブルグを目指して出発できるね」

「ケント様、私が目指しているのはヴォルザードでございますよ」

「そうでした。ごめんなさい」

「うふふふ、ケント様、作戦の様子をお聞かせ下さいますか?」

「うん、僕も見たのは途中からだけどね……」


 手柄を欲張った冒険者達の行動によって作戦が頓挫した所から、壁を壊してエラストに知らせる所までを順を追って説明しました。

 えっ、サヘルの説明をしたのかって?

 そ、それは、時間の関係で割愛させていただきました。


「それでは、ケント様がいらして下さらなかったら、まだオアシスは奪還出来ていなかったのですね?」

「うーん……僕が居なくても奪還出来ていたかもしれないけど、まぁ終わったんだから良いんじゃない?」

「そうでございますね。ありがとうございました」


 セラフィマは、隣に座った僕の左腕を抱き抱え、肩に頭を預けてきました。

 うん、ささやかなれども妙なる柔らかさ……でも、サヘルは連れて来なくて良かった。


「ケント様、どうかなさいましたか?」

「う、ううん、何でもないよ」

「そう言えば、リーゼンブルグは、カミラ王女が全権を掌握できたのでしょうか?」

「うん、唯一残っていた反対勢力のカルヴァイン領も制圧できたからね」

「では、王位継承も行われたのですね」

「いや、それはまだらしいよ。カミラが王位を継承することで話は纏まっているけど、前国王が亡くなってから一年の間は喪に服すらしくて、戴冠式は早くて今年の末、たぶん来年になるんじゃないかな」


 カルヴァイン領の制圧作戦についても、セラフィマに説明しました。


「皮肉なものですね。昨年の今頃は、アーブル・カルヴァインと密約を交わして、リーゼンブルグを揺さぶっていたのに、今はバルシャニアの足元が揺らいでいます」

「あの魔落ちの容疑者は見つかったのかな?」

「いいえ、まだ捕らえたという知らせは届いておりません。街道を進めば、手配をした集落を通りますが、間道を進んで西や北に向かった可能性もございます」

「コンスタンさんにも知らせておいたけど、グリャーエフの方が捜査が進むかもしれないよ」

「父は、ボロフスカにも疑いを抱いたのでしょうか?」

「うん、でも、ボロフスカには、例の注射器の話は除いて、急激に魔落ちさせる薬は無いか正面から問い合わせるって言ってた」

「それでは、こちら側の手の内を明かす事になりかねません」

「コンスタンさんは、手の内を明かしてでも、疑っていると思われたくなかったみたいだよ」


 直接問い合わせる事で、信用しているし、協力してほしいというアピールにするつもりだと話していたと伝えると、セラフィマも頷いていました。


「なるほど、そのようなお考えでしたか」

「ムンギア、ボロフスカと両面作戦にはしたくないみたいだね」

「はい、昨年のライネフの一件で、多くの騎士が命を落としました。二つの部族を一度に相手出来るほどの人員は、今のバルシャニアにはございません」

「内輪揉めしている場合じゃないよね」

「はい、そうならないために、私がケント様の元に嫁ぐのですから……」

「ふーん……セラは、内戦を防ぐために仕方なく僕の所に来るのか……」

「違います! 私はケント様をお慕いしているから、ヴォルザードに参るのです」

「本当に……?」

「勿論です。お慕いしていない方と一緒に湯に浸かったり、一夜を共にしたりいたしません」

「ごめん、ちょっと聞いてみたかっただけ……」


 そうでした。新年の挨拶にグリャーエフに行った時、危うく理性が崩壊するところでした。


「ケント様、私がヴォルザードに参りましたら、我慢なさらなくても結構ですよ」

「うっ……はい、考えておきます」

「ゴーケンの片付けが済めば、明日にでも出発できるはずです。砂漠を渡り、リーゼンブルグを通りすぎ、魔の森を抜ければヴォルザード」

「あと、半月ぐらいかな?」

「はい、天候に恵まれれば、そのぐらいで参れると思います」


 その頃までには、同級生の帰還作業やイロスーン大森林の問題にも、一定の目途は立てておきたいところです。

 たぶん、マイホームは間に合わないと思うけど、ヴォルザードの迎賓館で甘い生活しちゃっても良いですよね。

 四人のお嫁さんとの新生活を思い浮かべていたら、クラウスさんとの連絡要員として残してきたムルトが顔を出しました。


「わふぅ、ご主人様、クラウスが手が空いていたら来てほしいって」

「クラウスさんが? 何かあったのかな?」

「んとね、他の街の領主が来てるから、顔をみておいてって」

「分かった、すぐ行く」


 せっかくセラフィマとイチャイチャしていようかと思ったのに、ブライヒベルグから邪魔するとは親馬鹿オヤジにも困ったもの……って、クラウスさんはセラフィマの父親じゃなかったですね。

 まぁ、他の領主も集まっているのであれば、顔を見ておいた方が良いでしょう。


「セラ、ごめんね。ブライヒベルグでランズヘルトの領主の会合が開かれるんだ」

「分かりました。ケント様、今日はありがとうございました」


 セラフィマは僕の頬にキスすると、名残惜しげに腕を解きました。

 うん、やっぱり偵察はフレッドに任せちゃ……駄目ですよね。

 仕方が無いので、影に潜ってブライヒベルグを目指しました。


 フレッドを目印にして移動した先は、どうやらブライヒベルグの迎賓館にある食堂のようです。

 大きな丸いテーブルを、七人の人間が囲んでいます。

 クラウスさんの隣は、ノルベルト・マールブルグ。

 その隣が、アンデル・バッケンハイム。

 以下、順番に、マスターレーゼ、ナシオス・ブライヒベルグと続き、羊獣人らしきクリーム色の髪のふくよかな女性と、バセットハウンドを思わせる犬獣人らしき男性は初顔です。


『ケント様、太った女性がアロイジア・リーベンシュタイン……犬の男性がブロッホ・フェアリンゲン』

「て事は、一人領主が足りないの?」

『そう……エーデリッヒの領主……』

「それじゃあ、エーデリッヒは抜きで話を進めるのかな?」

『この会合は……根回しらしい……』


 僕が到着する前の様子をフレッドが教えてくれましたが、どうやらエーデリッヒの領主は一癖も二癖もありそうな人物のようで、納得させるのは大変らしいです。

 会合の進行を務めているのは、ブライヒベルグの領主ナシオスさんです。


「ここまでの話を整理すると、イロスーン大森林の現状打破のために、各街が資金を拠出し、人員を雇い入れて工事を進める形で宜しいかな?」


 ナシオスさんの問い掛けに、全員が頷いています。

 その直後にクラウスさんが口を開きました。


「問題は、エーデリッヒの爺ぃが首を縦に振るか否かだな」

「たぶん、今回の会合では、その心配は無用だと思うわ」


 苦虫を噛み殺したようなクラウスさんを諭すように、ほわっと言葉を口にしたのは、リーベンシュタインの女性領主アロイジアでした。


「そいつは、どういう意味だ?」

「そのままよ。エーデリッヒは、海上交易が出来ない状態が続いているらしいわ」

「交易が出来ないだと……理由はなんだ?」

「クラーケンに居座られているらしいわ」

「ほぅ、そいつは良いニュースじゃねぇか」


 ついさっきまでの仏頂面が嘘のように、クラウスさんは満面の笑みを浮かべています。

 まったく、この人は……嫌いな奴が窮地に陥ると、俄然機嫌が良くなるんですよね。


『ケント様も……かなり毒されてる……』

「えぇぇ! 僕はそんな事……うん、あるかもしれない」


 僕の性格が悪くなっているとしたら、それは全部クラウスさんのせいですよね。

 とりあえず、そういう事にしておきましょう。


「クラウスさん、全然良いニュースじゃないですよ……」

「そうか、ブロッホのところも、向こうと取り引きがあるのか」


 垂れ耳の犬獣人、ブロッホ・フェアリンゲンは、リーゼンブルグの七人の領主の中で、一番年下らしく、二十代後半から三十代前半に見えます。

 フェアリンゲンは、ブライヒベルグの東隣にあるリーベンシュタインの北側にあります。

 牧羊、養蚕、綿花の栽培など、領内の産物の多くは繊維に関わる物で、ランズヘルト国内で使われている布地の殆どはフェアリンゲンで生産されています。


「うちの毛織物は、海の向こうでも評判が良くて、輸出量は右肩上がりで推移していたのに……」

「かぁ、そいつはついてねぇな……」

「いや、クラウスさん、全く他人事だと思ってるでしょう」

「まぁな……だが、何なら魔の森の向こうに販路を開いてみるか?」

「えっ……あぁ、そうですね。そう言えば、愚王が死んだって話ですもんね」

「あぁ、まだ暫くは落ち着かないだろうが、それでも俺が聞いている話では、前よりは遥かに良さそうだぞ」

「そうか……なるほど、リーゼンブルグならば、海を渡る必要がないのか……」


 クラウスさんとブロッホの話に口を挟んだのは、バッケンハイムの領主アンデルでした。


「ブロッホ、リーゼンブルグを目指すのは良いが、イロスーンを越えられなきゃ話にならんぞ」

「うっ、そうでした……でも皆さん、ヴォルザードとは取り引き出来ているんですよね?」

「出来てはいるが、ケント・コクブ頼み。つまりは、クラウスの匙加減次第だぞ」

「あっ、何だよ。海を渡るのには、アルナートの爺さん、森を渡るには、クラウスさんのご機嫌取らなきゃいけないのか……まいったなぁ」

「そうならないで済むように、全ての領地が資金を拠出して事態収拾にあたるのだ」

「とか言って、一番得をするのはアンデルさんじゃないんですか?」

「私よりも、ノルベルトさんの方が得をするだろうが、うちも得するのは確かだな」


 ブロッホは、正面に座るアンデルさんと話をしながらも、その右隣に座っているマスターレーゼの方をチラチラと見ているようです。

 レーゼさんは、例によって踊り子風の露出度の高い衣装を身に纏い、ブロッホ目線では零れそうに見えているのでしょう。


「一番得をすると言われておるマールブルグは当然金を出すが、肝心の対策はどうするのだ。堀を穿つのか、それとも塀を建てるのか、どうするつもりじゃ?」

「両方じゃな」


 ノルベルトの問い掛けに答えたのは、マスターレーゼでした。


「理由を聞いてもよろしいか?」

「堀を穿てば、嫌でも土が出るじゃろぅ。その土を壁として活用するのだぇ」

「なるほど、言われて見ればその通りじゃな」


 マスターレーゼの意見には、他の領主さんも異論は無いように見えましたが、アンデル・バッケンハイムが右手を挙げました。


「堀を穿つのも、塀を建てるのも異論は無いが、途中の集落はどうする、放棄したままにするのか?」

「無論再興させるしかあるまい。イロスーン大森林を一日で通り抜けられる訳が無い。少なくともスラッカとモイタバの二箇所は必要じゃろう」


 イロスーン大森林を馬車で抜けるには、凡そ一日半の時間が掛かります。

 途中、宿泊出来る集落がどうしても必要になります。

 特にスラッカは、元々水掘に囲まれていましたが、今回は、更に広く、更に深い空堀が作られるようです。

 このあとも七人によって、堀の深さや壁の高さ、工事の進め方など、様々な話題が深夜まで論じられていました。

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