第287話 魔落ちの謎

 シルトと一緒に移動したマールブルグ家の屋敷、バステンが見守る先で密談を交わしていたのは、ヤブ医者エンデルスとマールブルグ家の家宰ノルードでした。

 大きな部屋の隅で声を潜めているのは、聞かれたらマズい話をしている証拠でしょう。


「いいか、指示した分量を守れよ。いきなり容態が悪化すれば怪しまれるからな」

「分かっている。最初は微量、それから徐々に量を増やしていくのだな」

「そうだ、では行くぞ。あまり長居しても怪しまれるからな」

「うむ、悟られるなよ……」

「そちらこそ……」


 俯きがちに声を潜めて語り合っていた二人は、顔を上げて視線を合わせると、ニヤリと腹黒そうな笑みを交わしました。

 密談を交わしていた部屋を出る時には、いかにも重篤な患者を思いやる医師と家宰のような会話を声のボリューム上げて交わしています。


「ありがとうございました、エンデルス先生」

「今は容態が落ち着いていますが、くれぐれも無理はなさらないように……」

「はい、ありがとうございます」


 エンデルスは、通りかかった使用人が廊下の端に避けて頭を下げると、軽く会釈を返して通りすぎていきます。

 その姿からは、先程悪企みをしていた悪人面は想像出来ません。

 そのままマールブルグ家の人々に見送られながら、エンデルスは帰っていきました。


「途中からだったから良く分からないんだけど、あの家宰が黒幕なの?」

『家宰のノルードとエンデルス、どちらが主犯かは分かりませんが、まずは録画を御覧下さい』


 バステンが撮影した映像は、書棚の隙間から撮影したもので、二人はレンズの存在に全く気付いていません。

 そもそも、こちらの世界にはビデオカメラが存在していませんし、撮影という概念すら理解していないはずです。


 再生された動画では、ノルベルトが一向に衰弱する様子がないと、ノルードが詰め寄り、エンデルスがイロスーン大森林の話を持ち出して、むしろ好都合だと宥めていました。

 それでも納得しないノルードに、エンデルスが怪しげな紙包みを渡します。


「これ、毒薬だよね……」

『どの程度の効き目かは分かりませんが、ノルベルトに与えられる前に掏り替えましょう』


 毒薬は、バステンが盗み出して、魔力の回復薬と摺り替えておくことにしました。

 映像の中では、エンデルスが毒薬の効能、使用量などについて細かく説明をして、僕も目撃した念押しの場面へと続いています。

 この映像で、二人がノルベルトを亡き者にしようと画策しているのは明らかになりましたが、肝心の目的が分かりません。


「このノルードって家宰は、跡取り候補の双子アールズとザルーア、どっちを支持しているんだろう?」

『申し訳ありません、ケント様。私はエンデルスを監視していたので、ノルードに関しては……』

「あっ、そうだったね。それじゃあ、今度はノルードの方を探ってもらえるかな?」

『お任せ下さい。怪しい行動があれば、また撮影しておきます』

「ありがとう、よろしくね」


 この後、ノルベルトの様子を見に行ったのですが、バステンが干し肉とドライフルーツを摺り潰して丸めた補給食を胃袋に放りこむようになり、栄養状態が改善した事で見るからに血色が良くなっていました。

 身体の調子が良くなれば、ずっと寝ているのが退屈になるのは誰しも同じようです。


「ノルードよ。先生の許しは下りなかったのか?」

「はい、今の時点では難しいと……」

「だが、老い先短い命だ、このような時にこそ役に立ちたいのだが……」

「ご心中お察し申し上げますが、このような危難であるからこそ、アールズ様、ザルーア様にとっては、またとない経験を得る機会だと愚考いたします」

「ふむ……それも分かるのだが、他家の領主共は一筋縄ではゆかぬ連中ばかりだからな……」


 話しぶりからして、ノルベルトは領主の会合に出席したいように見えます。

 言葉を切ったノルベルトは、ベッドに横になったまま腕を組み、じっと天井を睨みつけて考えに耽り始めました。

 その視界には、ベッドの傍らに立つノルードの姿は映っていないようです。


「旦那様、あまり根を詰められますとお体に触ります」

「うむ……そうだな……」


 ノルードに生返事を返しながらも、ノルベルトはじっと思考を続けています。

 その横顔は、紛れもなく長きに渡ってマールブルグを治めてきた領主の顔に見えました。


「この様子だと、クラウスさんが首に縄を掛けなくても、自分からブライヒベルグに出掛けると言いそうだね」

『そのためにも、先程の毒薬は早々に掏り替えておきましょう』

「うん、お願いね」


 バステンが撮影した映像を持って、ヴォルザードへ戻りました。

 ギルドの執務室を覗くと、クラウスさんは書類と格闘中です。


「失礼します。マールブルグで動きがありました」

「ノルベルトの爺ぃが一服盛られたか?」

「まだですが、計画している者が分かりました」

「どっちの馬鹿息子の執事だ?」

「いいえ、家宰のノルードでした」

「なんだと、本当なのか?」


 論より証拠、クラウスさんに映像を見てもらいました。

 エンデルスとノルードが密談を交わしている動画を見終えた後も、クラウスさんはタブレットの画面を見詰めていました。


「こいつらが、爺ぃを亡き者にしようと画策しているのは間違いねぇが、何のためだ?」


 クラウスさんが言うには、領主家の家宰や出入りの治癒士ともなれば、それなりの収入もあるはずだし、周囲からも一目置かれる存在だそうです。


「そんな連中が、失敗すれば死罪は免れないようなリスクの高い計画を実行する理由は何だ? 何で、そこまでして爺ぃを殺す必要があるんだ?」

「いやぁ、それを僕に聞かれても……」

「そもそも、爺ぃが死んだって、こいつらには一ヘルトだって入って来ない……いや、恩給は入ってくるか。だとしても、リスクに見合うほどの額じゃないはずだ」


 領主家の家宰を務めた人物は、次代の領主に請われれば役目を続けますが、新しい領主に側近がいれば役目を解かれます。

 役目を解かれた家宰には、給料の何割かが支払われ続けるそうです。

 これは、領主一家の内情を外部に洩らさせないための、言わば口止め料のようなものだそうです。


「ケント、手紙を届けた時には、馬鹿息子共には執事が付いていたんだよな?」

「はい、別々の執事さんがいましたから、後継者が決まれば、どちらかが家宰になると思いますが……」

「金でも地位でもないなら恨みか……?」


 クラウスさんは暫く考え込んでいましたが、腕組みを解くとキッパリと言い放ちました。


「分からん。答えを出すには情報が足りねぇ。いずれにしても、処分を考えるのはノルベルトの爺ぃだからな、こいつを見せてやって、後は爺ぃにやらせる」

「えぇぇぇ……そんな適当でいいんですか?」

「こんなもん、他家の騒動そのものだから、俺らが口を出すことじゃねぇし……逃げ場もねぇしな」

「あっ、そうでした」


 イロスーン大森林の通行止めが続いている以上、マールブルグから逃げてもヴォルザードしか行く場がありません。

 小さな集落では、余所者の存在は目立ちますし、ヴォルザードの街に入るには、門で身分証を提示しなければなりません。


「あとは、山賊に身をやつすしかねぇな……」


 いずれにしても、二人とも人生詰んじゃってるってことですね。


「一応、バステンに家宰を探らせてますけど……」

「そうだな。俺と一緒に迎えに行くまでは、引き続き探ってくれ。何か理由が分かれば、それだけ爺ぃに恩が売れっからな」

「分かりました」


 さっきまでの厳しい表情とは一変し、ニヤニヤと笑みを浮かべるクラウスさんに、悪企みの材料を提供するのはいかがなものかと思ってしまいます。

 まぁ、ヴォルザードの不利益にはならないでしょうから、大丈夫……かなぁ。


「ところでケント、今朝は珍しい物を持ち込んだみたいだな」

「デザート・スコルピオですね。夜中に、ちょっと遠征して討伐してきました」

「まったく、猟師がイノシシでも仕留めて来たみたいな言い方だな。噂を聞きつけた武具の職人共が、訓練場に群がってるぞ」


 防具や武器を作る職人に取って素材は重要ですし、ましてや滅多に手に入らない素材であれば、使ってみたいと思うのでしょう。


「それじゃあ、結構良い値段が付きそうですね」

「稼いだ金は、溜め込んでいないで、バンバン使ってヴォルザードを潤せよ」

「とりあえず、ハーマンさんとノットさんの所には、ごっそり支払わないといけませんし、家具とか食器とか生活に必要なものは、全部ヴォルザードの街で揃えますから安心して下さい」


 クラウスさんと、明日マールブルグへ向かう時間を打ち合わせてから、バルシャニアのフレッドの所へ向かいました。

 フレッドは、サンド・リザードマンが占拠しているゴーケンのオアシスを偵察していました。


「こっちの様子はどう?」

「北側への抜け道が出来た……抜け道の先に偵察が出てる……」


 ゴーケンの南東方向からデザート・スコルピオに追われて来たサンド・リザードマン達は、更に北方の安全を確かめに行っているようです。

 

「北側が安全だと見極めたら、オアシスを出ていくのかな?」

「サンド・リザードマンが……住みやすい環境が整っているなら……」


 百五十頭ものサンド・リザードマンが移住すると、生態系のバランスが崩れてしまいそうな気もしますが、追い出すのではなく討伐しようとすれば攻め手の損害が大きくなるでしょう。

 バルシャニアにしてみれば、オアシスを今まで通りに使えるようになれば良いのですから、危険を冒す必要は無いでしょう。


 フレッドに引き続きゴーケンの監視を頼み、僕はミズーシで演習を行っているバルシャニアの騎士に情報を伝えました。

 再び影にもぐり、今度はチョウスクのセラフィマを訊ねました。

 ヒルトを目印にして移動した先で、セラフィマは厳しい表情で指示を出していました。


「その奴隷商人と一緒に居た者を探し出しなさい。状況から考えてミズーシに向かったとは思えません。コルニャクの集落に早馬を出し、聞き取った人相の男達が立ち寄っていないか調べると同時に、その先の集落にも知らせなさい」

「はっ、畏まりました!」


 部屋にはピリピリとした空気が漂い、指示を受けた中年の男性は、急ぎ足で退出していきます。

 ちょっと聞いただけですが、サンド・リザードマンの一件とは違うようです。

 セラフィマの傍らには、帯剣した女性騎士が寄り添っています。

 かなり緊迫した状況のようなので、声を掛けてから部屋に出ましょう。


「セラ、入っても良いかな?」

「ケント様ですか? はい、どうぞ」


 セラフィマや護衛の騎士からも良く見える場所に闇の盾を出し、部屋へ足を踏み入れました。


「何かあったの?」

「実は今朝、六人もの魔落ちした者が現れ、チョウスクの街で暴れ回る事件が起きました」

「えぇぇ! 一度に六人も?」

「はい、その内の五人が奴隷、残りの一人は奴隷商人だったようなのです」


 チョウスクは砂漠の玄関口にあたる街で、多くの旅行者が居るのと同時に多くの冒険者が滞在しているので、大きな被害になる前に魔落ちした者達は討ち取られたそうですが、それでも何人かの犠牲者が出ているようです。


「街の守備隊の者が、奴隷商人が泊まっていた宿を捜索しましたが、事件に関与したと思われる人物はすでに行方を眩ませた後だったようです」

「さっきの男性への指示を聞かせてもらったけど、それらしい人物は居たみたいだね」

「はい、旅人のような服装の二人組みの男が、奴隷商人に商談を持ちかけていたようです。その者達の足取りを追わせています。それと、こんな物が……」


 セラフィマの前には、四角いトレイがあり、幾つかの品物が載せられています。

 細い竹筒のようなもの、棒の先に円筒形のコルクのようなものが刺してあるもの、それと数本の植物の棘のようなものです。


「それは、どこにあったの?」

「奴隷達が入れられていた納屋の中に、布袋に入って落ちていたそうです」

「ちょっと見せてもらっても良い?」

「あっ、お待ち下さい。竹筒の中には何かの薬品が入っていたようなので、手では触れないようになさって下さい」


 セラフィマは、竹でできたトングのようなものを用意していました。

 細い竹筒は片方の節を残してあり、もう一方は口が開けてあります。

 顔の近くまで持ってくると、フワっと薬草のような匂いがしました。


「あれ? これ底が抜けてるよ」

「はい、何かの薬剤を詰めて運ぶものかと思ったのですが……」


 細い竹筒の中を覗いてみると、底の部分に小さな穴が開いていて、光が漏れています。


「あっ! まさか……」

「どうなさいましたか、ケント様」


 植物の棘のようなものは、長さが五センチほどで、太さは一ミリもありません。

 竹のトングでは掴めなかったので、素手で摘まんで光にかざして見ると、筒状になっていました。


「それは、パニードの棘だと思います。細い筒になっていて、子供が花の蜜を吸って遊ぶのに使ったりします」

「そうか……これは、注射器だ」

「ちゅうしゃき……とは、何ですか?」

「そうか、こっちの世界には、まだ注射器が無いんだ」


 筒状の針を刺して、身体の中に薬剤を注入するためのものだと説明すると、セラフィマは大きく目を見開きました。


「それでは、これを使って魔石の成分を身体の中に注ぎ込んだのですか?」

「たぶん、それも血管に注射したんじゃないかな」


 腕まくりをして肘の内側の血管を見せて、血管注射や点滴などの説明をしました。


「それでは、直接血の流れに魔石の成分を送り込まれたのですね?」

「確証は無いけど……あっ、その魔落ちさせられた人の遺体を調べれば、針の跡が残っているかも」

「マフナラ、すぐに遺体を調べるように伝えてきて」

「畏まりました!」


 護衛の女性騎士が、セラフィマの指示を伝えに部屋を飛び出して行きました。

 最初見たときには、竹で出来た何かの入れ物かと思いましたが、用途が判明した今は、禍々しい拷問用具に見えます。

 日本で注射器と言えばガラスやプラスチック製で、厳重な衛生管理が行われているものですが、これでは細菌や異物が入り放題です。

 もっとも、人を魔落ちさせ、結果的に死に至らしめる道具ですから、衛生面など考えていないのでしょう。


「セラ、確か薬に関する知識が豊富な民族がいるんだよね?」

「はい、ボロフスカ族ですが、近年は態度を軟化させていると聞いております」

「ちょっと、グリャーエフに行ってくるよ。この事はコンスタンさんに知らせておいた方が良いと思う」

「では、これをお持ちいただけますか?」


 セラフィマから、注射器と思われる竹筒などを載せたトレイを手渡されました。


「そうだね、実物があった方が説明しやすいものね。そうだ、デザート・スコルピオは討伐しておいたから」

「ありがとうございます。旅の者達に成り代わってお礼申し上げます」

「砂漠の街道は、みんなで守るものだから当然だよ。それと、ゴーケンのオアシスを占拠しているサンド・リザードマンだけど、北への抜け穴が完成してたよ」

「早速、ミズーシに居る者達に知らせます」

「あぁ、それはもう知らせてきたから大丈夫だよ」

「さすがはケント様、頼りになります……」


 席を立ったセラフィマは、正面から腰に腕を回して抱き付いてきました。

 僕の首筋に、猫のように頬摺りしながら囁き掛けてきます。

 

「早く、ヴォルザードに参りたいです」

「送還術なら、あっと言う間だよ」

「そうしてしまいたいのですが……」

「皇女様は大変だね」

「むぅ、ケント様は意地悪です」

「痛っ、ごめんなさい……」


 セラフィマに耳たぶを甘噛みされました。


「僕もセラに早く来てほしいけど、まだ家が完成していないから、ちょっとホッとしてたりするんだ」

「私は、ケント様と一緒ならば、どこで暮らしても平気です」

「うーん……でも、さすがに下宿の部屋に、みんなで暮らすのは無理だからなぁ……」

「ユイカやマノン、ベアトリーチェとも顔を会わせるのが楽しみです」

「みんなとは、ビデオレターでは話してるんだよね」

「はい、皆さん優しくて、聡明な方ばかりですから、私も力を合わせてケント様を支えてまいります」


 伝令に行っていた女性騎士が駆け戻ってきて、しっかりと抱き合っている僕をセラフィマを見て、慌てて回れ右して退室していきました。

 このままだと、セラフィマの仕事に差し障りそうなので、そろそろグリャーエフに向かいましょう。

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