第284話 ガセメガネの冒険 その4
結論から言えば、俺様の話はセニヤを満足させ、セニヤの話は俺様を満足させた。
異世界からの召喚と聞いて俺様を疑ったセニヤだったが、リーゼンブルグに召喚されてから、これまでの経緯を順序立てて話して聞かせると納得したようだ。
俺様が聞き取っていた、国分が魔の森へ追放されてからヴォルザードに辿り着き、街の人々から信頼と協力を得て、リーゼンブルグに立ち向かい同級生を救出したエピソードを話して聞かせると、セニヤも二人のウエイトレスも目を輝かせて聞き入っていた。
俺様から見れば、セニヤもウエイトレスの二人も、ダンジョン近くの集落で生計を立てている百戦錬磨の大人達だ。
その連中が、俺様が語る国分のエピソードに心を奪われるのは、この世界には娯楽が乏しいからに違いない。
国分の活躍は、俺様の目から見ても、漫画やアニメのヒーローレベルだ。
そんな国分の活躍は、娯楽の少ないこの世界の者達にとっては、最高のエンターテーメントなのだろう。
強さこそ正義と言っても過言ではないであろう場所に暮らす者の心を、掴まないはずがないのだ。
その反対に、元は冒険者として活動していたセニヤの語るダンジョンの話は、俺様やマリーデのハートを鷲掴みにした。
実際にダンジョンに潜り、時には誰かに騙され、時には誰かを出し抜き、経験を積み重ね、実力を身に着け、富を手にし、片足を魔物に奪われ、かろうじて命を拾って逃げ帰って来た。
本人は、まるで他人事のように平然と語る壮絶な半生に、心を揺さぶられないはずがない。
マリーデなどは、話の途中からボロボロと涙をこぼしていたほどだ。
「ありがとう、セニヤ。良い話を聞かせてもらったよ」
「なぁに……魔物使いの話に較べれば、ありふれたもんだ」
「また機会があれば寄らせてもらうよ」
席を立った俺様を見て、セニヤは怪訝な表情を浮かべた。
「ん? 何だい、他に宿を取ってるのかい?」
「いや、そろそろ街に帰ろうかと……」
「はぁ? しっかりしてるようでも、やっぱりガキだねぇ。こんな時間から街に戻ったって、門は閉められちまってるよ。そもそも、夜道を歩いて帰るなんざ、魔物に食ってくれって言ってるようなもんだよ」
俺様としたことが、店が地下にあるのと、話し込んでいたために、時間の経過を忘れていたらしい。
気が付けば、ヴォルザードから来たらしい冒険者の姿がある。
時刻は既に、夕方になっていた。
「部屋の空きはあるから泊まっていきな。それと……」
セニヤの提案は非常に心惹かれるもので、俺様は二つ返事でOKした。
俺様とマリーデの年恰好で、このまま店に座っていたら、間違いなく冒険者達に絡まれるらしい。
そうならないように、使い古したローブを借してくれるそうだ。
ローブを目深に被ってカウンターの隅に座れば、冒険者に絡まれることなく、店の雰囲気を味わうことができるという訳だ。
ダンジョンから戻って来たばかりの冒険者、明日からダンジョンに潜ろうと気勢を上げる冒険者、そんな連中が作り出す空気を生で感じさせてくれるらしい。
「二人を部屋に案内してやんな」
セニヤに命じられたウエイトレスに案内されたのは、地下二階の奥の一室だった。
ドアを開けた右側に小さなテーブルとイスが二脚、奥にはダブルベッドがあるだけだ。
場所が場所だけに同室は覚悟していたが、まさかベッドが一つとは思っていなかった。
「いや、ちょっと……」
「悪いけど、まともな部屋で空いてるのはここだけだから」
ここは、ダンジョンで出た宝石の類を直接買い付けに来る業者が使う部屋だそうだ。
地下三階にも部屋はあるが、そこには経験を積んだ冒険者でなければ泊められないそうだ。
身の安全を考えれば、他に選択肢は無いだろう。
「あたしは構わないよ。一晩ぐらい……」
「分かった、じゃあ、ここで世話になる……」
「トイレは廊下の反対の右側、シャワーはその向かい、水とお湯は魔力を注ぐか自分で魔石を用意して。これが鍵だけど、大事な物は身に着けておくこと。それと……隣は物置だから声はそんなに気にしなくてもいいよ」
「えっ……?」
ウエイトレスは、意味深な笑みを残して去って行った。
いきなりベッドとテーブルしかない部屋に、マリーデと二人きりという状況に放り込まれてしまった。
これはヤバい展開だが、最悪俺様が床で寝ても構わない。
いや、マリーデを丸め込んで、床で眠らせるか……。
「ありがとう、ユースケ。今日一日で本当に色んな経験が出来た。早朝の城門前の風景や、オークとの遭遇、ダンジョンに向かう冒険者達、セニヤさんの話。私と同じように冒険者を目指す同級生はたくさんいるが、今日の私ほど経験を積めた奴はいないはずだ」
「そうか……だが、まだこれからだ。酒場の雰囲気をしっかりと味わわないとな……ちょっとローブを着てみようぜ」
「そうだな」
セニヤから借り受けたローブは、使い古されてはいたが洗濯されているようで、汚れも臭いもなかった。
ダンジョンに向かう冒険者の中には、同じようなローブを身につけている者を見かけた。
ローブは目の詰まった厚手の生地で作られていて、背後から急に魔物に襲われた時には、咄嗟にローブを脱ぎ捨てて魔物を払い除けるそうだ。
良く見ると、借り受けたローブの背中には、いくつもの破れ目を縫った跡が残されていた。
「歴戦の強者という感じだな……」
マリーデが呟いた一言には、色々な思いがこもっているように感じられた。
たぶんダンジョンに足を踏み入れる自分の姿を、脳裏に描いているのだろう。
俺様は……ダンジョンに入る時は、国分を同行させよう。
借りたローブを目深に被り、セニヤに指定された時間に階段を上っていくと、店の雰囲気は一変していた。
多くの冒険者たちがテーブルを囲み、酒を飲み、自慢話に花を咲かせていた。
男たちの間には、表面積の小さい服を着た女の姿がある。
注文された料理や酒を配っているウエイトレスとは、見るからに別の職業だ。
店の喧騒に圧倒されながら、指定されていたカウンターの隅に腰を落ち着ける。
セニヤが勧めるだけあって、フロアからは目立たず、それでいてフロアを良く見渡せた。
注文を聞くふりをして、セニヤが声を掛けてきた。
「どうだい、これがダンジョンの夜の顔だよ」
「悪くない……いや、想像以上だな」
「ふふっ、そうかい……それじゃあ、暫く見物していきな」
セニヤが出してくれた、簡単な夕食とエールのジョッキに注がれたお茶を飲みながら、フロアを観察する。
埃にまみれて薄汚れている連中が、ダンジョンから戻ってきた冒険者で、ろくに睡眠を取っていないから目が血走っていてテンションが高い。
それに較べると落ち着いて見える連中は、明日からダンジョンに挑む冒険者だろう。
冒険者と同じような服装をしているが、小奇麗な連中は買い付けをする業者だろう。
テンションが異常に高い冒険者達を、言葉巧みにおだて上げ、原石を安く仕入れようという魂胆のようだ。
テーブルの上には、遠目にも輝きを放つ石が置かれている。
露出度の高い服を着た女達は、娼婦のようだ。
業者に原石を売り払い、現金を手にした冒険者と交渉がまとまると、腰を抱かれて階下へと消えていく。
ウエイトレスを口説こうとしている冒険者もいるが、相手にされていないようだ。
また新たに露出度の高い服を着た女の一団が下りてきて、フロアに歓声が上がる。
時間が経つ程に、ダンジョンから戻って来た冒険者達は、業者から金を受け取り、好みの女と階下へと下りていく。
喧騒のトーンが少し下がり、交わされる会話は別の熱気を帯びてきた。
どの階層まで下りるのか、どの辺りを探索するのか、集めた情報を元に明日からダンジョンに潜る冒険者が意見を戦わせているのだ。
冒険者達は買い取り業者から情報を仕入れていた。
業者は買い取る時に、原石の出た場所を聞き取り、その情報をこれから潜る冒険者にタダで流している。
業者にしても、冒険者が原石や鉱石を掘り出して来てくれないと、商売にならないからだ。
一通りの情報を流し終えると、鞄を抱えて買取の業者達は引き上げていく。
俺様達も引き上げる頃合いだろう。
「マリーデ、そろそろ部屋に戻るぞ」
「分かった……」
「セニヤ、部屋に戻る……」
「そうかい、ちょっとお待ち……」
セニヤは、蓋の付いた陶器のカップを二つ手渡してきた。
「温まるから、これ飲んでから休みな……」
「分かった……ありがとう」
酒場を出て階段を下りていくと、更に下の階から艶めかしい女の声が響いてくる。
普段の俺様だったら聞き耳を立てるところだろうが、少し急ぎ足で階段を下りて廊下の奥へと進む。
これからベッド一つの部屋で、マリーデと一夜を明かさなければならないのだ。
マズい、この環境音はマズすぎるだろう。
部屋に入ると声は小さくなったが、それでも耳を澄ませば階下の嬌声が聞えてくる。
外の雑音を追い出すように乱暴にローブを脱いで、マリーデとテーブルを挟んで座った。
カップの中身はホットミルクティーで、ふわりと生姜の香りがする。
思い返してみれば、早朝から動き通しの一日で、疲れた体に少し甘いミルクティーがシミジミと美味く感じる。
優しい味わいのおかげで、雑音を忘れられた。
「ユースケ、このお茶、美味いな……」
「あぁ、体の中から温まる……」
ベースはハーブティーなのだろう。
食道を通って、胃に落ちたお茶の温もりが、染み渡るように体が温まってくる。
明日は昼過ぎにここを出て、ヴォルザードの街に戻る予定だ。
冒険者の一団がダンジョンに潜る時間は、街に戻る冒険者の出立する時間でもある。
ベテラン冒険者の近くを歩けば、魔物に襲われれる危険も減らせるだろう。
明日の予定も決まって、スマホのタイマーもセットして、そろそろ寝ようかと思った時に異変に気付いた。
テーブルの向こう側、マリーデが頬を赤らめ、目を潤ませている。
先程までは温まる程度だったが、汗が滲んでくるほど体が火照っていた。
「ふぅ……ユースケ、何だか暑いな……」
「ん……あ、あぁ……」
おかしい、頭に霞がかかったようで、上手く考えがまとまらない。
防具と上着を脱ぎ捨てたマリーデは、シャツの袖で額の汗を拭うと、トローンとした視線を向けて来た。
「駄目だ、ユースケ……暑くて我慢出来ない」
「いや、ちょ……マリーデ!」
ブーツを脱ぎ捨てて立ち上がったマリーデは、シャツだけでなくカーゴパンツまで脱ぎ捨てる。
マズイ、マズイ、廊下に出ようにも、部屋のドアはマリーデの後ろだ。
「ユースケ……」
待て、待て、なんでこんなガチムチゴリマッチョな女の下着姿に、俺様の体は反応してるんだ。
おかしい、絶対おかしい、頭は上手く回らないが、流されてたまるか。
この俺様の鉄の意思をなめるんじゃねぇ!
「待て、マリーデ。俺達はまだ……」
「ユースケ……ユースケ!」
「ま、待って、待って……あぁぁぁぁ……」
結論から言うと、俺様は流された……。
そう、大自然の脅威の前に、人の力など有って無きようなものだ。
スマホのアラームを、俺様達はベッドの中で聞いた。
「おい、そろそろ起きるぞ」
「うん……」
マリーデの吐息が俺様の耳をくすぐる。
寒気がした……。
「ねぇ、ユースケ……」
「なんだ……」
「マリーデ・ヤギ……って、変じゃないかな?」
「ごふっ……」
「ユースケ?」
「いや、うん……急ぐぞ」
「はい……あ・な・た!」
「ごふっ、ごふっ……あぁ、詰んだ……」
身支度を整え、鞄を持って部屋を出る。
階段を上って酒場のフロアに出ると、セニヤがニヤニヤとした笑みを浮かべて俺様達を出迎えた。
「昨夜はお楽しみだったみたいだねぇ……」
「ぐふぅ……」
何が隣は物置きだ……そもそも地下の空間で音が響かない訳がない。
マリーデの木剣を腹に食らった時よりも酷いダメージだ。
そのマリーデは、俺様の左腕をガッチリとホールドして離す気配はない。
既にテーブルについていたベテランの冒険者達の視線が集まって来る。
なぜか、誰一人として羨むような視線を向けて来ない。
昼飯代も加えた宿代を清算して、カウンター席に座る。
やっぱりマリーデは、俺様の腕を解放するつもりは無いらしい。
後頭部に突き刺さる視線の生暖かさに、俺様は涙しそうになった。
そんな俺様の気も知らずに、セニヤが話し掛けて来る。
「ユースケ、いつか魔物使いを連れて来ておくれよ。そうしたら、宿代もタダにしてやるよ」
「ふん……気が向いたらな」
「何だい、せっかく気を利かせてやったのに、何が不満なんだい? まさか、もっとロマンチックな状況で……とか思ってたのかい?」
「そんなんじゃねぇ、俺様は……」
「男は自分の行動に責任を持つもんだよ。もう……ガキじゃないんだろう?」
「ぐぅ……」
マリーデが腕をギュっと抱え直すのを感じながら、俺様は人生設計がガラガラと崩れていく音を聞いていた。
人生を賭けた冒険なんてするもんじゃない。
ダンジョンは近付くだけで魔物に襲われる怖ろしい場所だった。
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