第283話 ガセメガネの冒険 その3

「はぁ……はぁ……み、水……」

「おぅ……ちょっと……待て……」


 オークの姿が見えなくなるまで走り続けた俺様は、必死に呼吸を整えて詠唱し、左手に水球を作り出した。


「ほら……水……」

「すまん……んぐ、んぐ、んぐ……ぷぁ、生き返った!」

「こいつ……全部飲みやがった……」

「あぁ、すまん。つい……」

「まぁ、いいさ……」


 もう一度詠唱して作り出した水球を、貪るように飲み干した。

 じっとしていると凍えるような気温だけど、俺様もマリーデも額に汗を滴らせている。


「くそっ、話に夢中になって、魔物除けを忘れてたぜ」

「ユースケ、さっきの赤い水球は何なんだ。あんな魔術は初めて見たぞ」

「ネタばらしすれば、驚くようなもんじゃねぇぜ」

「いや、突進してきたオークを一撃で止めるなんて……一体何をやったんだ」

「まぁ、そいつは歩きながら話そう」

「ちょっと待ってくれ。魔物除けを……」


 マリーデが鞄の中から鉄の輪を束ねた魔物除けを取り出した。

 これを振って音を立てると、剣を持った人間が近くにいると思って、魔物が逃げていくそうだ。

 ただし、魔の森のように、魔物の密度が高く、大きな群れが作られる場所では効果は無いらしい。


「さぁ、ユースケ。教えてくれ、あの赤い水球は何なんだ」

「大したものじゃねぇよ。こいつを混ぜただけだ」


 鞄の中から布袋を取り出して、マリーデに手渡した。


「これは……レッドペッパーか!」


 布袋の中身はトウガラシの粉だ。

 こいつを握った状態で詠唱を行い、水球に混ぜ込んだのだ。


「こいつを混ぜた水球を浴びれば、目や鼻はには激痛が走る。ましてオークは鼻が利くって話だからな。俺は国分みたいな凄い魔術は使えねぇ。だったら頭使って生き抜くしかないだろう」

「凄い、凄いぞユースケ! 流石は魔物使いの頭脳だな」

「へっ、この程度、大したことねぇよ」


 そうそう、もっとこの俺様を褒め称えるんだぞ。

 てか、考えていた作戦通りに上手くいってくれて助かった。

 ぶっちゃけマリーデをオークに凸らせて、その隙に逃げようかとも考えたぐらいだ。


「だがユースケ。あそこまでダメージを与えたならば、倒しても良かったんじゃないのか?」

「甘い、甘いぞマリーデ。魔物をなめんな!」

「は、はい……」

「ダメージを与えたっていっても、実質足首だけだ。油断して近づいた瞬間に腕を振り回されたら、それだけで致命傷を負う場合だってあるんだぞ」

「そ、そうか……すまん」

「オークを討伐するならば、もっと人数が多い場合か、ランクの高い冒険者が一緒にいる場合だけだ。もたもたしているうちに、血の匂いに引かれて別の魔物が寄って来れば、それこそ対応出来ない状況に追い込まれるんだぞ」

「そうだな、確かにそうだ。勉強になるな……」


 折角なので、前回の護衛の時に新旧コンビと近藤が討伐を行った様子を話して、いかにオークがしぶといのか教えてやった。

 まぁ止めは、狂犬ギリクではなく俺様が刺したことにしておいたけどな。

 その他にも受け売りの教訓を並べ立て、ダンジョンに到着する頃には、マリーデを俺様の手下として洗脳してやった。


「何だかショボい街だな……」

「確かに……」


 昼前に辿り着いたダンジョン近くの集落は、一言で現すなら寒村と言うしかなかった。


「うーん……これSNS映えしねぇなぁ……」

「ん? えす、えぬ……何だって?」

「いや、こっちの話だ」


 この集落は、万が一ダンジョンから魔物が溢れ出した時に備えて、建物の本体は全て地下に造られているそうだ。

 地上にある建物は、看板と地下へ降りる階段に雨が吹き込まないようにするもので、地下鉄の駅の階段みたいなものらしい。

 中を覗いてみると、ゴツい観音開きの鉄の扉と地下に続く階段が見えるだけだ。

 その階段の軒先や、通りのあちこちには埃まみれの男たちが、所在無さげに腰を下ろし、俺様達を品定めするような視線を向けて来る。


「おい、マリーデ……あいつらは?」

「たぶん、ポーターだと思う……」

「なるほど……」


 ダンジョンに潜るには、深い階層を目指すほどに食料や装備など荷物が増えていく。

 ヴォルザードのダンジョンは、宝石や貴金属の鉱石を産出するダンジョンで、掘り出すお宝も物によってはかなりの重量になるそうだ。

 お宝を見つけても、持ち帰れないのでは意味がない。

 そこで冒険者の多くがポーター、荷物持ちを雇い入れるのだ。


「よう、兄ちゃん達、潜るのかい? 安くしとくぜ」

「あー……すまない、俺達は別の用事で来たんだ」

「ちっ、気ぃ持たせんじゃねぇぞ、ガキが……」


 ニタニタと愛想笑いを浮かべて近づいてきた中年の男は、俺様達がダンジョンに潜らないと聞くと、顔をゆがめて唾を吐き捨てて離れていった。

 その男が大きく手を振ると、それまで俺様達を注目していた他の男らも、一斉に視線をそむけて舌打ちを漏らしている。

 ポーターのおっさんに話し掛けられて結構ビビったが、どうにかボロを出さずに済んだ。


「思った通り、いかにもダンジョンという雰囲気だな、ユースケ」

「ま、まぁな……」


 てか、オークの時にはビビってたクセに、何でウキウキしてやがるんだ、こいつは。

 時折向けられる好奇の視線を感じつつ、集落の通りを歩いて行くと、見上げるような岩山に突き当たる。

 その麓には、頑丈な鉄の門が設置されていて、門はこちら側からダンジョンの中に向かって開かれていた。

 この門は、外からの侵入を防ぐためのものではなく、ダンジョンの中から魔物が出てくるのを防ぐためのものだ。


 その開かれた門の真ん中に陣取って、こちらを眺めているマッチョな男が居る。

 スキンヘッドに顎髭、眼帯をした右目の回りには凄い傷跡がついている。

 太い鉄の棒を片手に持った姿は、まるで仁王像のようだ。

 マジで視線だけで殺されそうな気がする。


「何だ、お前ら……ここはガキの遊び場じゃねぇぞ」

「わ、分かっている。だが、例え入口であろうと、自分の目で見ることに意味があるはずだ」

「ふん、見物か……門を越えなきゃ構わないぞ」


 門番らしき強面の男は、凄味のある笑いを浮かべながら門の脇へと移動してくれた。

 門の正面に立つと、ダンジョンに吹き込んでいく風の音が、怪物の息吹のように聞こえた。

 横に並んで同じようにダンジョンの入口を睨んでいるマリーデの顔も、強張っているように見える。


「ここから先に進みたいなら、ドノバンさんから許しを得るか、ポーターとして登録してくるか、腕利きの護衛を雇って来るんだな」

「護衛のランクは?」

「五階層までなら、Bランクを一人に一人、そこから先に進みたいなら、Aランク以上の冒険者を雇え」

「Sランクなら……?」

「Sランクだぁ? 黒髪……お前、魔物使いの知り合いか?」

「まぁ……」

「そうだ! このユースケは、魔物使いの頭脳と言われている男だ」


 国分のコネを使うか迷っていたら、マリーデがここまでの道中に話した内容を吹聴しはじめた。


「そもそも、魔物使いが魔物使いと呼ばれるまでに自在に魔術を操れるようになったのも、ユースケの助言があってこそなんだ。魔物使いの数々の功績の影には、このユースケの知略が隠されているのだぞ」

「ほぅ……それほどの男か」


 マリーデが自慢げに胸を張り、門番の男はギロリと視線を鋭くした。


「それならば……ちょっと入ってみるか?」

「本当か?」

「いや、駄目だ」


 門番の誘いにアッサリ乗ったマリーデの言葉を即座に否定する。


「どうしてだ、ユースケ。折角ダンジョンに入る許可が下りたのだぞ!」

「俺達は、ギルドの講習を終えていない。その俺達が足を踏み入れる事は、秩序の崩壊を意味する。今の仕組みが出来たのは、冒険者の安全を考えてこそだ。入りたければ正当な手続きを踏め」


 こうした甘い言葉に乗ると、必ず後でツケを払う事になる。

 オークからは逃げおおせたが、俺様たちは圧倒的に力不足だ。

 それに。こんなヤバそうなおっさんの甘言になんて、乗ってたまるか。

 俺様は、スマホを取り出して、ダンジョンの入口付近の写真を撮影した。


 俺様達が門の正面に居座っていても、ダンジョンに入る冒険者も、ダンジョンから出て来る冒険者も通らない。

 思っていたよりも、ヴォルザードのダンジョンは寂れているのだろうか?


「ダンジョンに潜る冒険者は、こんなに少ないものなのか?」

「この時間は、こんなもんだ……もう少し経つと、ゾロゾロ出てくるぞ」


 そう言うと門番の男は、集落の方向を顎で示した。

 ヴォルザードのダンジョンに潜る冒険者の多くは、前の晩は飲んだくれ、昼前ぐらいにようやく起き出し、腹ごしらえをしてから出てくるそうだ。

 ダンジョンに潜ってしまえば昼も夜も関係無いし、丸二日か三日ぐらい完徹で活動し、夕方前に戻って飲んだくれるというのが一般的らしい。


 つまり今の時間は通勤ラッシュが始まる前で、ダンジョンが目を覚ますのはこれからということらしい。

 それならば、ダンジョンに向かう冒険者の列を動画に収め、それから昼飯にしよう。


「昼飯を食うなら、どこの店がいい?」

「それなら、向かって左側の三軒目、セニヤの店にしな。ロドリゴからの紹介だと言え」

「分かった。感謝する……」


 ロドリゴのおっさんが言った通り、昼を過ぎると通りに並んだ建物から、ゾロゾロと冒険者風の男が姿を現した。

 それまで通りに座り込んでいたポーター達も、一斉に立ち上がって売り込みを始める。

 基本の料金、時間、お宝を掘り当てた時の取り分など……交渉がまとまるとポーター達は冒険者の荷物を担ぎ、共にダンジョンへと消えて行く。


 俺様とマリーデは、門の脇に立って冒険者達を眺めていたのだが、こちらに視線を向ける者はいない。

 一人の例外も無く、真っ直ぐにダンジョンを見つめ、憑かれたような足取りで歩を進めて行く。

 スマホの画面を通しても、欲に取り憑かれた亡者の群れのように見えた。

 冒険者の流れが一段落した所で、昼飯を食いに行くことにした。


「マリーデ、行くぞ」

「お、おぅ……」


 ロドリゴのおっさんが、鬼瓦みたいな笑みを浮かべながら、無言で俺様達を見送っていた。

 街の重要人物に顔を売っておけば、今後の取材活動の助けにはなるだろうが、ドノバンのおっさんとロドリゴのおっさんは、ちょっとヤバげな気がする。

 ロドリゴのおっさんに教えてもらったセニヤの店も、地上にあるのは看板と屋根と地下への扉だけだった。


「本当に分厚い扉だな」


 地下へ下りる階段に設置された鉄の扉は、厚さが五センチ以上ありそうだ。

 外側には取っ手すら付いておらず、内側には、これまた頑丈そうな閂が三つも付けられている。

 その上、扉はこの一枚だけではなくて、階段を下りたところに同じような扉が設置されていた。

 地上の扉と、二枚目の扉を階段の上から撮影する。


 東京には池袋や新宿のような地下街があるし、この程度の地下に降りる階段はいくらでもある。

 俺様の地元、光が丘から出発する地下鉄大江戸線の六本木駅などは、とんでもない深さにある。

 それなのに、この何でもない階段が、異空間へと通じているように感じてしまうのは、ダンジョンを見て来たばかりだからなのだろう。


 階段を下りて二枚目の扉を潜ると、想像していたよりも広い空間が広がっていた。

 五、六人が座れる丸テーブルが五つ、カウンターに十人ほどが座れそうで、その奥が厨房らしい。

 ピークの時間が過ぎたからか、客の姿は無くウエイトレスが二人、食器を片付けていた。


「いらっしゃ……んーっ、ここは坊や達が遊びに来る場所じゃないよ」


 足音に気付いたウエイトレスの一人が声を掛けてきたが、俺様達の姿を見ると、子供に諭すような口ぶりで片手をヒラヒラと振って追い出そうとする。

 まぁ。見た目だけなら間違いなくガキだから当然の対応なのだろう。

 ここでイキって声を荒げるようでは、相手にされずに地上に戻ることになるはずだ。


「食事がしたい、ロドリゴの紹介だ」

「へぇ……じゃあいいか、オーナー、食事二名でーす!」


 ウエイトレス達は、品定めするように俺様を上から下まで眺め、頷き合った後で厨房に声を掛けた。


「あぁん? 今頃から食事だって?」


 厨房から出て来たのは、元ヤンみたいなキツそうな顔の女で、歳は三十代半ばぐらいだろうか、紙巻のタバコを咥えている。

 ライオンのたてがみのような紫色の蓬髪で、左足は木製の義足だった。


「ちっ、ガキじゃねぇか……」

「ロドリゴさんの紹介らしいですよ」

「ロドリゴのぉ……? ちっ、しゃーねぇな、食ったらさっさと帰れよ」


 店のオーナーらしき女は、舌打ちを繰り返しながら厨房へと戻っていく。


「はい、こっち、座って」


 ウエイトレスの一人が、片付け終えたテーブルをコツコツと叩くと、すぐ片付けに戻る。

 水もメニューも持って来る様子は無いが、頼んだ方がよいのだろうか。


「随分と愛想の悪い店だな……」


 日本式のおもてなしに慣れている俺様だけではなく、マリーデの目から見ても無愛想のようだ。

 だが、近くのテーブルを片付けていたウエイトレスが、薄く笑いながら教えてくれた。


「そうね。他の店なら愛想良く迎えてくれるかもね。その代わり、有り金全部巻き上げられるかも知れないけどね」


 声を掛けて来たポーターのおっさんしかり、ロドリゴのオッサンしかり、俺様達なんて卵から孵ったばかりのヒヨっ子に見えるのだろう。

 まぁ、この手の店では、むしろ舐められてるぐらいの方が話は聞き出しやすいはずだ。


「あまり舐めない方がいいぞ。このユースケは、あの魔物使いの頭脳と言われている男だ」


 マリーデが、鼻息荒く言い放つと、それまで俺様達を見向きもせずに片付けていたウエイトレスが、ピタリと動きを止めた。


「へぇ……魔物使いの頭脳ねぇ……」

「そう言えばこの子、黒髪に黒目だよ」

「ふーん……」


 アイコンタクトを交わし、ウエイトレスの一人が厨房へと足を向ける。

 おそらく先程のオーナーとやらに、耳打ちでもしに行ったのだろう。


 フロアに残ったウエイトレスも、厨房から戻ってきたウエイトレスも、話し掛けてくることもなく店の片付けに戻ったが、先程までとは明らかに空気が変わった。

 興味が無いように装いつつも、チラチラと視線が向けられて来ていた。


 程なくして、元ヤン義足三十路女がトレイを両手に持って厨房から出て来た。

 こちらの視線も、さっきとは別人のようだ。


「あいよ、お待たせ……」


 出されたメニューは、分厚いステーキにスープ、サラダ、でかいパンにはバターが添えられている。

 もっと簡単なものが出てくると思っていたのに、予想外に豪勢なメニューだ。


「あんた、魔物の使いの知り合いってのは本当なのかい?」

「あぁ、俺は国分と一緒に異世界から召喚されて来た者だ」

「はぁ? 異世界から召喚だって? ふざけたことをぬかしてんじゃねぇぞ!」


 先程とは打って変わった猫撫で声で話し掛けて来た三十路女は、異世界召喚と聞いた途端に素に戻って、声を荒げたが、これは俺様の計算通りだ。


「じゃあ聞くが、あんな常識外れな魔術を使うガキが、今まで誰にも知られずに暮らしてこれると思うのか?」


 俺様を睨み付けていた視線がふっと緩み、再び探るような色合いに染まる。

 ぶっちゃけ、めちゃめちゃビビっているのを悟られないようにするだけで精一杯だ。


「面白れぇ、魔物使いについて話を聞かせてくれるなら、飯はタダで食わせてやるよ」

「いや、飯代は払うし、国分の話も聞かせてやる。その代りに、ダンジョンの話が聞きたい」

「ほぅ……いいだろう、あたしはセニヤ。あんた名前は?」

「ユースケ・ヤギだ」

「何だい、あんた貴族様かい」

「いいや、俺の住んでいた国には身分制度は無い、誰でも苗字を名乗れる」

「ふーん……まぁいい。ユースケ、冷める前に食ってくれ、話はそれからだ……」


 ニヤリと笑みを浮かべたセニヤが指を二本立てると、すかさずウエイトレスがタバコと灰皿を持ってきた。

 タバコを吸うなら喫煙所にして……なんて言える訳ねぇよな。

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