第271話 孤立した集落

 イロスーン大森林で魔物が増殖していると伝えられた時、世間の対応は二つに分かれた。

 一つは、魔物の増殖を一時的なものと捉え、魔物の数が減るまで往来を控えようとする考えだ。


 何も護衛の費用が嵩む状況なのに、無理をして往来することはない。

 魔物はいずれ淘汰されて元の数に戻るはずだから、それから往来を再開すれば良い。


 取り扱う品物が、時間による劣化の少ない鉱石であったり、潤沢な在庫を抱えている者達の中には、こうした考えをする者が多かった。


 もう一つの対応は、護衛の費用が嵩んでも、少しでも多くのものを運んでしまおうとする考えだ。

 この先、更に魔物の数が増え、更に護衛が必要となったり、通行が出来なくなれば、商売自体が立ち行かなくなる。


 確実に消費される穀物を扱う者や、この事態を商機と捉える者達の多くが、こちらの対応を選んだ。


 そして、イロスーン大森林の状況が伝わってくるほどに、後者を選択する者が増え、バッケンハイムやマールブルグのギルドに護衛の依頼が殺到する状況が生まれた。


 依頼が増えても冒険者の数には限りがあり、必然的に護衛を確保するために報酬も引き上げられ冒険者達の懐を暖めた。


 護衛と言えども、その実力には格差がある。

 Aランクの冒険者と、Cランクの冒険者が同じである筈がない。


 だが、襲ってくる魔物は、護衛をする者のランクに合わせて、凶暴さを調節してくれる訳ではない。

 Aランクであろうが、Cランクであろうが、それこそFランクであろうが、襲われる時には平等な危険を負う。


 護衛が手薄な馬車が襲われれば、当然被害が出る。

 馬車が一台襲われれば、護衛の人間、護衛される人間、護衛されていた荷物の多くが失われる。


 そうした損失が続けば、やがては街の経済にも影響が出てくる。

 何よりも、襲われた馬車が街道の通行を妨げ、それを片付ける者が襲われる場合もある。


 護衛の格差を埋めるために、魔物の増加が伝えられて以来、イロスーン大森林を通る者達は即席のキャラバンを組んで対処してきた。

 隊列を組むことで、護衛の密度を上げ、群れで襲ってくる魔物に対抗すると同時に、経験不足の護衛をカバーするのだ。


 高ランクの冒険者を含めたキャラバンを組むことで、オークやオーガなどの大型の魔物、ゴブリンなど小型の魔物の群れにも対処が可能になる。

 同じキャラバンにいる高ランクの冒険者の働きぶりを見ることで、経験の浅い冒険者の底上げもできる。


 だが、何事にも限界というものが存在する。

 ゴブリンの群れが更に大きくなり、オークやオーガまでが群れで襲って来るようになると、負傷する護衛が増えてきた。


 ランクの低い冒険者の損害率が上がり、高ランクの冒険者に掛かる負担が増えていった。

 こうした場合、追加の対策が行われるべきなのだろうが、冒険者の気質が妨げとなった。


 その程度の魔物にビビるのか?


 下らない煽り文句だが、冒険者なんてものは自分の強さを売る商売だけに、安い挑発にのりがちなのだ。

 酷い怪我をして、休業や廃業に追い込まれる冒険者が増えれば、また報酬が上がる。


 金と見栄を危険と天秤に掛けて、今日も冒険者達は大森林に踏み込んでいく。


 イロスーン大森林で、キャラバンが組まれるようになった後、異質な一団が現れた。

 大森林の入口でキャラバンを組むのではなく、バッケンハイムを出発する時点から、マールブルグを往復する間も一団となって進む者達がいた。


 Aランク冒険者・グラシエラと、その舎弟分である『蒼き疾風』のメンバーが護衛を務める馬車だ。

 イロスーン大森林で魔物の襲撃が増えて怪我を負う冒険者が増える中、グラシエラ達は気心の知れた連中でキャラバンを組むという選択をしたのだ。


 日頃から顔を合わせ、会話をし、性格や能力も知っている仲間の方が、キャラバンを組むのに都合が良い。

 気心の知れた仲間ならば、連携するのも楽なのだ。


 隊列の先頭はグラシエラ、殿をBランクの冒険者二名が務め、ランクが低いほど、腕っ節が弱い者ほど中央に集めるようにしてある。

 それと、攻撃魔術を得意とする者、肉弾戦が得意な者とをバランス良く配置することも忘れない。


 グラシエラが率いるキャラバンは、ギリク達が到着する前日、マールブルグ側からイロスーン大森林へと入った。

 一行は、ブライヒベルグから人や穀物などをマールブルグへと運び、鉱石を積んでバッケンハイムへと戻る道中だった。


「グラシエラさん、その石ころは何につかうんです?」


 グラシエラが腰を据えているキャラバンの先頭を務める馬車には、御者台の足元に拳大の石が積み込まれている。

 これは、マールブルグの鉱山へ鉱石の積み込みに行った時に、グラシエラが見つけて積み込んだ鉱物を含まないクズ石だ。


「こいつか、こいつは魔物退治の武器にきまってるだろう」

「でも、それってただの石ころですよね?」

「まぁ、すぐに分かるさ……マナよ、マナよ、世を司りしマナよ、集え、集え、我が身に集いて駆け巡れ、巡れ、巡れ、マナよ駆け巡り、力となれ」

「ちょっ、グラシエラさん、魔物も姿を見せていないうちに詠唱なんかしちまったら、肝心な時に魔力切れを起こしちまいますよ」

「ふふん、あたしをそこらの冒険者と一緒にするんじゃないよ。身体強化を使っているのは、身体の一部だけさ。そして、この石は、こう使うんだよ!」


 言葉を切ったグラシエラは、右手に握っていた石を、前方の道路脇に向かって投げつけた。


「ギャっ……」


 砲丸のような石は、糸を引くように飛び、道路脇に身を潜めていたゴブリンの頭を直撃する。

 投石によって頭蓋骨を潰されたゴブリンは、脳漿を撒き散らして即死した。


「すげぇ! 一撃だ……」

「どうだ、これならタダだから、懐は痛まない。雑魚なら、こいつだけで討伐出来るし、強化しているのは右腕だけだから魔力切れの心配もいらないぞ」

「さすが、グラシエラさんだ」


 魔物が姿を現せば、無視して通り過ぎる訳にもいかない。

 例えゴブリンだとしても、馬が傷つけられれば進行速度は遅くなるし、最悪足止めされかねない。


 グラシエラは、土属性ゆえに専ら身体強化を使う騎士タイプだ。

 術士であれば攻撃魔術で薙ぎ払うところだが、騎士タイプでは一々馬車を降りて、討伐する必要に迫られる。


 そこで考えたのが、この投石だ。

 単純明快だが、身体強化によって放たれた石は、目論み通りの威力を発揮した。

 グラシエラは、ゴブリンやコボルトなどが街道に出て来る前に、次々と投石で倒し続けた。


 イロスーン大森林に入ってから最初の休憩の時には、キャラバンに参加している『蒼き疾風』のメンバー達が、こぞって石拾いを始めた。

 何しろ、元手はタダ、手入れ不要、そして討伐は遊び感覚で楽しめるのだから、道中の退屈しのぎにもなる。


「姐御、この投石はいいアイデアですね」

「だろう。ゴブリンどもの相手で時間を潰されずに済む。お前ら、ついでに腕だけ強化する練習もしてみろ」

「あっ、それいいすねぇ。こう、意識を腕に集中すればいいですか?」

「その辺りのコツは、人それぞれだから、自分で工夫するんだな」


 グラシエラが率いるキャラバンは、投石の効果もあって順調に街道を進んでいった。

 雑魚に時間を取られることもなく、オークやオーガに対しても、先制攻撃として威力を発揮したからだ。


 投石を武器としたのは、グラシエラ達だけではなかった。

 イロスーン大森林で護衛の依頼を受けていたのは、バッケンハイムの冒険者だけでなく、ヴォルザードの冒険者も混ざっていた。


 彼らは、投石してくるオークの襲撃を経験しており、その威力を身をもって味わっている。

 グラシエラと同じように投石を活用しようと考えるのは、当然の成り行きだろう。


 グラシエラ達のキャラバンは、無人となった検問所を通り過ぎ、スラッカへと辿り着いた。

 イロスーン大森林で魔物が増えて以来、多くの集落が襲撃を受け、その結果として放棄された。


 スラッカが放棄されずに済んでいるのは、ヴォルザードのように城壁が築かれているからだ。

 当然、多くの旅行者が集まり、スラッカは賑わっていた。


 別の見方をするならば、一日で横断出来ないイロスーン大森林には、夜を明かす場所が不可欠なわけで、スラッカの重要度は上がり続けているのだ。


丸一日、魔物の脅威に晒される緊張した時間を過ごした冒険者達は、英気を養うと称して酒場へと繰り出す。

『蒼き疾風』の連中も、酒場に集まってきたのだが、待っていたのは魔物の増殖の影響だった。


「何だと、エール一杯が300ヘルトだと! いくらなんでも高過ぎるだろう!」

「すいやせんね。この魔物騒動のせいで、仕入れの値段がとんでもねぇ金額になっちまってるんですよ……」

「だからと言って、300ヘルトなんて……バッケンハイムの酒場の10倍近い値段だぞ! 大体、俺達冒険者がいなければ……」

「よせ、彼らだって生活がかかってるのだ。エールならバッケンハイムに戻ってから、浴びるほど飲ませてやるから我慢しろ」

「グラシエラさんが、そう言うなら……」


 居酒屋で一杯のつもりが、入ってみたら高級クラブだったようなものだが、懐が暖かくなっている冒険者達は、文句を言いつつも杯を重ねていった。

 冒険者達が酒場で気勢を上げている頃、集落の防衛を担う守備隊の隊員達は、緊張した夜を……過ごしていなかった。


「今夜も暇だなぁ……」

「だからと言って、気を抜くんじゃないぞ」

「分かってますよ」


 ミノタウロスの群れに襲われ、一時は門を破られそうになったが、ケントと眷族が撃退した後は、ピタリと魔物の襲撃は無くなっているのだ。

 巡回担当の守備隊員は、闇を見透かすように、鳴き声一つ聞き逃さぬように、身体強化を使って警備しているが、聞えて来るのは酔っ払いが騒ぐ声だけだ。


「ゴブリンも、オークやオーガも増えているって話だが、まるで実感が湧かねぇよ」

「これで、あれさえ無ければな……今夜も、ソロソロか?」


 守備隊員が顔を見合わせた直後、突如として夜の静寂が破られた。


「ウォォォォォ……ン」

「ウオォォォォォォ……ン」


 篝火の光が届かない森の奥から聞えてきた遠吠えは、スラッカを取り囲むようにグルグルと周りながら、暫くの間続いた。

 遠吠えは、十分ほど続いた後、ピタリと止んで、再び周囲は沈黙に包まれた。


「終ったみたいだな」

「あぁ、『本物』が使役していると分かっていても、寿命が縮まる思いだ」


 ミノタウロスを討伐した際に、ケントに申し出た言葉を忠実に守り、ゼータ、エータ、シータは、スラッカ周辺を己のテリトリーとして主張し続けている。

 定期的な遠吠えとマーキングによって、殆どの魔物はゼータ達の存在を感じ、スラッカ周辺には踏み込んで来ないのだ。


 夜の静寂を破る遠吠えが始まった当初は、守備隊員は勿論、集落の住民全員が震え上がったものだが、今では魔物避けの頼れる番犬の主張のごとく捉えられている。

 守備隊員や住民は慣れているが、初めて聞く者は当然のように驚きを禁じえない。


「ギ、ギガウルフだぁ! ヤベぇ、一頭だけじゃねぇぞ!」


 顔を蒼ざめさせて立ち上がった冒険者は、一瞬静まり返った後で、何事もなかったように騒々しさを取り戻した酒場を見て、困惑した表情を浮かべた。


「おい、マジだぞ! あの遠吠えはギガウルフだ。俺の暮らしていた集落は、ハグレ個体に襲われて何人も食われたんだぞ!」

「心配すんな、ありゃ『魔物使い』の使役してるギガウルフどもだ。この辺りの魔物を追い払ってんだとさ」

「ギガウルフを使役だと……それも複数……信じられん」

「信じるも、信じねぇも、一頭だけならバッケンハイムの『バッタもん』も使役してんだろ」

「そうなのか?」

「あぁ、心配ねぇから、座って飲め。お高いエールなんだ勿体ねぇぞ」

「あ、あぁ……」


 隣の席の冒険者に教えられ、立ち上がった冒険者は腰を落ち着けて飲み直し始めたが、それまでのようには酔えないようだった。

 そんなやり取りを横目で見ながら、グラシエラも不機嫌そうな表情を浮かべていた。


「何が『魔物使い』だ……」


 グラシエラの『魔物使い』嫌いは、『蒼き疾風』の面々には知れ渡っているだけでなく、本人達も軽く痛め付けるつもりが返り討ちにあい、少なからぬ遺恨を抱えている。


 中でも特に恨みを抱えているのが、バッケンハイムのギルドでコテンパンにされたフェルだ。


「グラシエラさん、あのガキ何とか出来ませんかね?」

「今は調子に乗っていやがるが、そのうち必ずボロを出すはずだ。その時を逃さずに、冒険者の礼儀って奴を叩き込んでやるさ」

「でも、どうやってやるんですか?」

「そいつは、まだ考えてる最中だ。そんな事よりも飲みすぎるなよ。まだ大森林を出た訳じゃないんだからな」


 グラシエラは舎弟達の手前、作戦を考えている途中のように話はしたが、実際のところは全く目処は立っていない。

 闇討ちを仕掛けようにも、自分よりも夜目が利くし、大人数で取り囲もうとしても、影の中から魔物を呼び出して対処してしまう。


 正直に言って、勝利するビジョンをグラシエラは描く事が出来なかった。

 酒代が高過ぎることもあり、『蒼き疾風』のメンバーは、足元が覚束なくなる前に、それぞれの部屋へと引き上げていった。


 スラッカは、イロスーン大森林のバッケンハイム寄りに位置している。

 マールブルグ側へ出るには一日かかるが、バッケンハイム側へ出るには半日あれば抜けられる。


 そのためマールブルグへ向かう者達が先に出立し、バッケンハイムに向かう者達は、後から集落を出ることになる。


 グラシエラと『蒼き疾風』のメンバーが構成するキャラバンも、マールブルグ行きのキャラバンが出立を終えるのを待っていた。

 ところが、マールブルグ行きのキャラバンが戻ってきた。


「駄目だ! 魔物の群れが道を塞いでいて、とてもじゃないが進めない」

「群れって、どの程度なんだ? ここに居る連中が集まって仕掛ければ、突破出来るんじゃないのか?」

「馬鹿言ってんじゃねぇ! 道が埋まるってことは、森の中にも魔物が溢れてるってことだぞ! 突破するならバッケンハイムの方向だ、早くしないと魔物の群れの中に取り残されるぞ!」


 戻ってきた冒険者の言葉を聞いて、出立を待っていたバッケンハイムを目指すキャラバンは、我先にとスラッカを出ようと、門前は大混乱に陥った。


「グラシエラさん、俺達も出立しないとヤバいんじゃないですか?」

「慌てるな。あの混乱に突っ込んでいっても、外に出られないどころか、下手をすれば馬を痛めてしまうぞ」

「でも、魔物の群れに囲まれたら……」

「ここで魔物に囲まれるのと、街道に出てから囲まれるのでは、どちらが危険だ?」

「そうか、むしろ残っていた方が安全なのか」

「あたしは守備隊の連中と、集落に立て籠る準備について話し合ってくる。お前らは、頑丈な作りの建物を探して、お客の安全を確保しな」

「分かりました」


 結果的に、グラシエラの判断は正しかった。

 バッケンハイムを目指してスラッカを出たキャラバンも、魔物の群れに行く手を阻まれて戻らざるを得なかった。


 スラッカの守備隊長は、門を閉ざして籠城する決断を下した。

 魔物の群れの規模がどの程度なのか、救援はいつ来るのか、そもそも来てくれるのか……分からないことばかりだが、他に方法は無かった。


 守備隊長のデールマンは、スラッカに残った冒険者を集めて、守備隊員との混成部隊を結成した。


「スラッカの守備隊長デールマンだ。緊急事態なので、騒動が収まるまで俺の指揮下に入ってもらう。不満もあるかもしれんが、指揮系統の混乱は、防衛体制崩壊の要因になる。生き残るために、みんなの力を貸してくれ!」

「救助要請は出したのか?」

「こうした状況は想定しているが、バッケンハイム側から街道の確保が完了するまでには時間が掛かる。それまでは、全員協力が不可欠だ」

「でもよう……本当に魔物の群れに包囲されてるのか?」

「信じられないなら、行って自分の目で確かめてこい。スラッカの周辺が静かなのは、『魔物使い』のおかげだ」


 スラッカに残っていた冒険者が疑問に思うのは尤もで、実際に魔物の群れに遭遇した冒険者によれば、魔物達はある地点を境にしてピタリと足を止め、それ以上は追ってくることはなかったのだ。


「あれは、『魔物使い』が使役しているギガウルフのテリトリーを恐れて追ってこられないんだ。間違いねぇ!」

「それじゃあ、スラッカにいる限りは魔物に襲われる心配はねぇじゃん」

「あぁ、一時はどうなるかと思ったけど、『魔物使い』様々だな」


 それまで張りつめていた空気が緩んだのを見て、グラシエラが声を張り上げた。


「何を言ってるんだ! まだ助かった訳じゃないぞ。魔物どもの圧力が増せば、一気に襲ってくるかもしれないんだぞ。油断するな!」


 グラシエラの怒声によって緩み掛けた空気が引き締まったタイミングを逃さず、デールマンが話を引き継いだ。


「彼女の言う通り、まだ我々は安全地帯まで逃れた訳ではない。気を緩めるのは、大森林を出てバッケンハイムに辿り着いてからにしよう。では、警護のチームと順番を決めていく」


 デールマンが中心となって、守備隊と冒険者の合同体制が何とか出来上がり、防衛の体制が整えられていった。

 スラッカの周囲は、水掘と丸太を立てた壁で囲まれている。


 城門もミノタウロスの突進を受け止めるほどの頑丈さだ。

 ただし、ヴォルザードの城壁に較べれば高さは半分程度で、城壁上には通路も無い。

 

 魔物に囲まれた場合、外部への攻撃は櫓の上からと、攻撃用の狭間に限定されてしまう。

 それでも、守備を固める者にとっては心強い存在であるのは確かだ。


 グラシエラ達は、スラッカの北側の防衛にまわされた。

 スラッカは、南側が街道に接していて、集落への出入り口も南側の一ヶ所だけで。他の三方丸太壁に囲まれている。


 集落の守備に着いた冒険者達は、魔物の影すら見えない状況に拍子抜けしていた。

 だが、時間の経過と共に異変を実感し始める。


「血の臭いだ……」


 最初に気付いたのは、風が流れてくる西側を担当していた者達だったが、やがて集落全体が濃密な血の臭いに包まれ始める。

 更には、魔物達が争う物音や叫び声が聞こえてくる。


「オボォァァァァ……」

「ブギィィィィィ……」

「ギギャァァァ……」


 ゴブリンだけでなく、オークやオーガなどの声が響いてきて、守備を固める者達の肝を冷やしていく。


「おい、いったい何頭いやがるんだよ」

「知らねぇよ……」

「本当に襲って来ないのか?」

「だから知らねぇって言ってんだろ!」


 戦うべき相手の姿は見えず、惨劇の気配だけが近付いてくる状況に、冒険者達は苛立ちを募らせていく。


「グラシエラさん、このままじゃマズイんじゃないっすか?」

「だから何だ! 何か打開策があるなら言ってみろ! 無いなら黙って見張りを続けろ!」

「わ、分かりました……」


 実際、グラシエラも対策を考えつかない状態だった。

 いくら混雑していると言えども、一つの集落に居る守備隊員と冒険者では数に限りがある。


 集落を取り囲むほどの魔物が押し寄せて来たら、それを押し返すほどの戦力は無い。

 もし、オーガやミノタウロスのような大型の魔物ばかりだったら、頑丈な建物に立て篭もるしか道は残されていない。


 幸い、スラッカの集落には、こうした事態に備えて大きな地下室を備えた集会場が設けられている。

 ここに頑丈な扉を閉ざして立て篭もれば、魔物の侵入は防げるだろう。


 ただし、救援が来なければ、いずれは食料等が底を尽き、限界を迎えるだろう。

 グラシエラは、櫓の一つに登って森を睨み付け、必死に打開策を考え続けた。


 集落や街道に魔物が集結してき理由は、そこに餌があるからだ。

 護衛の冒険者によって討伐された魔物は、普段であれば片付けられるが、魔物が増殖してからは魔石や素材を剥ぎ取って放置されるようになった。


 他の魔物にとって、死骸は簡単に手に入る餌だ。

 グラシエラや『蒼き疾風』達が、遊び感覚でゴブリンどもを殺したツケは、着実に回って来ていた。


 グラシエラ達が手分けをして守備に着いた後、血の臭いは濃くなる一方だったが、昼を過ぎるまでは魔物の姿は見えなかった。

 姿は見えなかったが、着実に魔物は数を増やしていた。


「おい、ゴブリンだ!」

「くそっ、『魔物使い』は何してやがるんだ」

「見ろ、手負いだぞ。このままじゃ他の魔物を引き寄せちまう」

「集落に近付く前に殺せ!」


 手負いのゴブリンは、スラッカに近付く前に攻撃魔術によって倒されたが、その死体を処分は出来ない。

 同様に、大型の魔物に追われ、傷付き、スラッカに近付いてくる魔物が現れ始める。


 それを追い掛けて、オークやオーガが姿を現すまでには、さほど時間は必要なかった。


「食ってる奴には手を出すな! 近付いて来る奴には威嚇! それでも近付こうとする奴は、なるべく離れた場所で仕留めろ!」


 北側の守備を担当したグラシエラ達も、攻撃魔術や投石で魔物を仕留めていくが、壁からの距離は着実に縮まっていった。


「くそっ、どんどん増えてくんぞ、どうすんだよ」

「雑魚は食ってる最中でも殺して餌にしちまえ! 大型の魔物を近づけるな!」


 スラッカの周辺で討伐が始まれば、当然血の臭いに惹かれて魔物が集まってくる。

 魔物の密度が上がれば、弱いものは餌となり、強いものは更なる餌を求める。


「来るぞ! オーガだ、攻撃を集中しろ!」


 草地を突っ切って疾走してきたオーガは、丸太の壁に爪を立てたところで攻撃魔法の集中砲火を浴びせられて水掘へ落ちた。

 その後も散発的に壁を越えようとする魔物が現れたが、集落へは入り込めずに水掘に沈んだ。


 集落の中には入り込まれていないものの、水掘の外周を囲む草地は魔物の狩場と化している。

 死骸を取り合い、死骸が無くなれば弱いものから襲われる。


 魔物の断末魔の叫び、ゴリゴリ、グチャグチャと咀嚼する音がスラッカを覆っていく。

 既に集落の周囲には、住民の数を越えるほどの魔物が集まってきているが、森の奥からは次々に後続の魔物が溢れてくる。


 その光景は、ゴブリンの極大発生に見舞われたヴォルザードを縮小したような感じだ。

 既に住民は、集会場の地下へと避難を終えている。


「おい、俺らの避難指示はまだなのか?」

「もう、拙いだろう、一気に来られたら逃げきれないぞ」


 塀と堀を隔てているとは言っても、十数メートル先で繰り広げられている光景は、冒険者にとっては最悪の未来だ。


 持ち場にこそ着いているが、周囲の様子を窺い、腰の引けている冒険者が増えていく。

 血の臭いは更に魔物を引き寄せ、スラッカの状況は加速度的に悪化していった。

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