第265話 カルヴァイン領制圧作戦

『ケント様……ちょっと相談……』


 帰還作業を再開した夜に、カルヴァイン領の偵察から戻ってきたフレッドが話し掛けてきました。


「どうしたの? 何かあった?」

『住民への締め付けが……厳しくなった……』


 カルヴァイン領は毎年冬は雪に閉ざされ、近隣の領地との行き来が困難になります。

 そのため、住民は冬を迎える前に、主食となる小麦粉や乾燥食材の買い溜めを行います。


 ですが、この冬は買い溜めをする食料さえも、アーブルを頂点とする元締めたちが統制し、全てを配給制にしてしまいました。

 フレッドの話によれば、食糧の消費を減らすために、この住民への配給が大幅に減らされているそうです。


「そんなに減らされてるの?」

『一日三食分が……二食分になった』

「それって、三分の二になったってこと?」

『だけじゃない……搾取してる奴がいる……』

「えっ、それじゃあ三分の二以下になってるの?」

『栄養不足……かなり深刻……』


 フレッドの話では、五人の元締めに命じられて食糧の配給を行っている連中が、立場を利用して自分の懐へ入れているそうです。


『鉱山で働く男は……食わないと倒れる……』

「それじゃあ、産出量が減っちゃうんじゃない?」

『男や子供のために……女と老人が我慢……』

「そんな……」

『急がないと……餓死する者が……』

 

 フレッドからは、いつになく悲痛な思いが伝わってきます。

 これは、急いだ方が良さそうです。


 マルトに留守番を頼んで、リーゼンブルグへ向かいました。

 アルダロスの王城で、まだカミラは書類と格闘していました。


 机の上には、うず高く書類が積み上げられています。

 また一人で抱え込んでるみたいですね。


「カミラ、こんな時間まで仕事してるの?」

「魔王様、お久しゅうございます」


 書類から視線を上げたカミラは、輝くような笑顔を浮かべて見せました。

 尻尾があったらブンブンと振り回してたんじゃないかと思うような弾むような足取りで駆け寄ってきて、跪いて僕を見上げました。

 そんな嬉しそうな顔をされたら、怒れないじゃないか……けしからん。


「魔王様のおかげで、ようやく王室を安定させられたのです。私が労を惜しむなど許されませぬ」

「まぁ、頑張るのは悪いことじゃないけど、ラストックの時みたいに体調を崩してたら意味ないからね」

「心得ております。この身は魔王様に捧げたものでございますから、無下に扱うつもりはございません」

「分かっているなら良いけど、すぐには終わらないことばかりなんだから、くれぐれも無理は駄目だからね」

「はい、かしこまりました」


 思わずといった感じで頭を撫でると、カミラは目を細めてウットリとした表情を浮かべました。

 なんだか、人懐っこいゴールデンレトリーバーにでもなったのかと思っちゃいますね。


「無理をするなと言ったそばから、こんな話をするのも何だけど、カルヴァイン領の件で話があってきたんだ。とりあえず、座って話そう」

「かしこまりました」


 応接用のソファーに向かい合って座り、フレッドからの報告を話して聞かせると、カミラの輝くような笑顔は苦悩に曇りました。


「そのようなことになっているとは……もはや一刻の猶予もなりませぬ。直ちに騎士団長を呼び出して……」

「待って待って、そんな付け焼き刃の状態で攻め込んでも、不要な犠牲を出すだけだよ」

「ですが、魔王様……」

「手は打つよ。先に住民への食料支援を行って、それがバレる前に攻め込んで決着をつける」


 住民に配るための食料は、カルヴァイン領で厳重に保管されているものを使います。

 どんなに厳重に警備しようが、影移動ができる僕や眷族には関係ありませんからね。


「作戦の叩き台をフレッドとバステンが立ててくれたから、これを元にして細部を詰めて人員を用意して」


 二人がカルヴァイン領を偵察し、立案した作戦、建物の配置、内部の見取り図など、分厚い紙の束を渡すと、カミラは目を見開きました。


「これは……かしこまりました。騎士団長、分団長たちと協議して、早々に人員を用意いたします」

「うん、作戦決行は週末の夜、五人の元締めが集まって会合を開いている所を急襲して、一気に片をつける!」

「はっ! かしこまりました!」

「って、カミラが指揮を取らないと駄目なんだからね」

「ですが、これほど細部まで偵察した資料は、私の手によるものではないと、すぐに分かってしまいます」

「それでも、カミラが手の者を使って立案したものだという形にして。これは、リーゼンブルグの王が、反逆者を粛清する戦いなんだからね」


 といった説明をしても、カミラは不満気に口を尖らせています。

 なんだよ、その顔は……ちょっと可愛いじゃないか、けしからん。


「何か不満なの?」

「それでは、私が魔王様の手柄を横取りするのと同じです」

「それが、僕の希望であっても? ぶっちゃけ、カルヴァイン領のゴタゴタとか、さっさと片付けちゃいたいんだよ」

「でしたらば、魔王様が皆の前で私に命じていただければ……」

「僕が表に出ていたら、いつまで経ってもリーゼンブルグは安定しないんじゃないの? それに、表に出たくないからカミラに頼んでるんだけど、やってくれないの?」

「いいえ、そのようなことはございません。喜んで魔王様の代わりを務めさせていただきます」

「じゃあ、頼んだからね」


 ソファーから腰を上げて歩みより、ギュっと抱きしめると、カミラも両腕に力を込めて肩に頭を預けてきました。


「無理したら駄目だからね……」

「はい……」


 抱き合ったまま、暫し僕らは二人の時間に浸りました。

 王都アルダロスを後にして、次に向かった先はカルヴァイン領です。


『ケント様……もっとゆっくりしていけば……』

「駄目駄目、あれ以上は歯止めが効かなくなっちゃうからね。それよりも、物資を保管している坑道に案内して。できれば、今夜のうちに横流しを始めたいから」

『了解……こっち……』


 カルヴァイン領のこれからを担うと思われている、食料を保管している七番坑道の入り口は、まるで要塞のようになっていました。

 高さ五メートルを超える城壁の手前には堀が掘られていて、通行するには跳ね橋を下ろさなければなりません。


 まぁ、影を伝って移動しちゃう僕らには関係ないのですが、物々しい警備なのは確かです。


『造りは厳重……でも、人間は緩い……』

「そうなの?」

『そもそも……攻め入ってくる者はいない……』


 領主であるアーブルが不在のカルヴァイン領ですが、五人の元締めが住民の生活までも牛耳っています。

 その上、隣接する領地からカルヴァイン領へ入る道は、深い雪に閉ざされています。


「なるほど、王国の騎士団でも攻め込んで来ない限りは、ここを攻略しようなんて人間はいないわけだ」

『過剰すぎるぐらいの造り……だから警備の人間は油断してる……』


 跳ね橋の脇にある詰め所には、十人ほどの人が居ますが、その半数は女性でした。

 赤々と暖炉が焚かれて暖められた室内にいる者たちは、大きなテーブルを囲んで酒盛りの最中でした。


 見るからに悪人面をした男達は、半裸の女性を膝に抱え、その手触りを楽しみながら酒をあおっています。


「うわぁ……確かに油断しきってるね。まぁ、僕らは仕事しやすいから良いんだけどね」

『食料、物資は……こっち……』


 移動した坑道の中は、運搬と巡回のための通路を残し、他はギッシリと箱が積み上げられています。

 箱の中身は、保存の利く食料と塩、それと酒だそうです。


「相当奥まで積まれているみたいだけど、巡回してるの?」

『巡回は……ほぼ無いに等しい……』

「まぁ、入り口ですらあの状態だものね……」


 それでも念を入れて、一番奥に積まれた箱の中身だけを影の空間へと移動させていきます。


「それじゃあ、みんな、よろしくね!」

「わふぅ、任せて、御主人様」

「終わったら撫でてね」


 コボルト隊を動員すれば、あっと言う間に完了です。

 影の空間に、小麦粉、豆、干し肉、ドライフルーツ、塩などの袋が積み上げられています。


「あとは、これを配れば良いんだけど……一度に配ったらバレちゃうかな?」


 盗み出してきた食料は、いずれも運搬用の大きな袋に詰めてあり、主食の小麦粉や豆はともかく、二十キロ以上ありそうな量の塩を持ち込まれても、邪魔になるだけですよね。


「とりあえず、集合住宅を見に行ってみて、それから考えようか」

『了解……こっち……』


 鉱山の技術者や坑夫、その家族たちが集められている集合住宅は、雪に埋もれて寝静まっているようでした。

 集合住宅は、言うなれば西洋風の長屋という感じで、一つの細長い建物が、内部で五つに間仕切りされているそうです。


 そうした、建物が雪の中にズラっと建ち並んでいます。

 日本にいた頃にニュース映像で見た、災害用の仮設住宅のようです。


 先程見た見張りの詰め所では、赤々と暖炉が焚かれていましたが、どこの家も真っ暗で火の気すらありません。


『薪も配給……量が限られている……』

「薪なんて、近くの山からいくらでも切り出せるんじゃないの?」

『木を切るぐらいなら……坑道で採掘しろ、らしい……』


 食料だけでなく、薪や油、魔石などの生活の根幹になる品物を元締めたちに握られてしまっているので、ここで暮らす人たちは逆らうことができないそうです。


『薪が無いと……煮炊きもできない……』

「みんな、節約するために早く寝てしまうんだね?」

『その通り……』


 雪が降り積もった屋外に較べれば、いくらかは暖かいのでしょうが、それでも家の中は深々と冷え込んでいます。


「ラインハルト、コボルト隊を指揮して、魔の森で薪を作ってもらえるかな?」

『おやすい御用ですぞ、すぐに取り掛かりましょう』

「フレッド、家の中まで見回りが来たりする?」

『それは……多分無い……』


 そもそも集合住宅の敷地へ持ち込まれる荷物は、門の所で全てチェックされているそうです。

 それを潜り抜けてまで、余分な品物が持ち込まれることはないと思われているようです。


「それならば、取りあえずだけど小麦粉を一袋ずつ配っちゃおう。残りの物資は、小分けする袋を……そうだ、日本から持って来ちゃおう」


 小分けするための袋を、電話で梶川さんに頼みました。

 ビニール袋の方が安いのでしょうが、こちらの世界には存在していない物ですし、今回は紙袋を頼みました。


「三時間もあれば準備できると思うよ」

「ありがとうございます。倉庫に置いといてもらえれば、うちの者が取りに行きますから」

「了解、まとめて段ボールに入れておくよ」


 小麦粉の袋には、バレないように隠せとメッセージを添えて、各家庭の台所に配っていきました。

 おかずになる物が無いのは申し訳ないけど、袋に小分けが出来たら、明日にでも配る予定です。


『ケント様も……そろそろ休んだ方がいい……』

「うん、そうだね。帰って休むよ」


 下宿に戻ったのは、真夜中になってからでした。

 ベッドには、留守番役のムルトとメイサちゃんの姿があります。


 てか、メイサちゃん、抱え込んでいる僕の枕を返してくれないかな……。

 枕を奪還してベッドに潜り込むと、センサーが感知したのかメイサちゃんが寄ってきてヒヤっとしたのか、戻っていきました。


 まぁ、朝には枕にされているんでしょうけど……暖かいから、たまには僕が抱えさせてもらいましょうかね。

 どうせメイサちゃんは、一度寝付いてしまえば朝まで起きませんからね。


 翌日、いつものように朝食を済ませた後、影の空間に潜って、物資の小分け作業に取り掛かりました。

 豆、干し肉、ドライフルーツは大きめの袋に、塩は一回り小さい袋へ詰めていきます。


 昨夜配った小麦粉と配給分を合わせれば、当分の間は飢えることはないはずです。

 ラインハルトとコボルト隊も薪を作り終え、配りやすいように木の蔓を使って束ねてくれています。


 生木のままでは燃えにくいので、ザーエたちが水属性の魔術を使って水分をとりのぞいたそうです。

 あとは、魔道具用に魔石も配りましょうかね。

 小分け作業をしていると、フレッドが戻ってきました。


「フレッド、集合住宅の様子はどう?」

『幸い騒ぎにはなってない……これなら、まずバレない……』


 昨晩配った小麦粉の袋には、騒ぎが起きないようにメッセージを添えてあります。

 住民にしても、誰が配ったのかは分からなくても、元締めたちにバレれば取りあげられることは予想できるはずです。


 そもそも、自分以外の家にも配られていたのかすらも分からず、朝一番から近隣の家と腹の探り合いみたいな状況になっていたそうです。


『出所が分からないから……みんな、色々と憶測してる……』

「それじゃあ、折角配っても食べてもらえないかな?」

『それは無い……みんな困窮してる……』


 誰が、どこから持って来たのか分からないけど、生きるために背に腹はかえられないのでしょう。

 いずれにしても、真面目に生活している人たちが虐げられて、お腹を空かせているような状況が許されるはずがありません。


 小分け作業をお昼まで続け、昼食を済ませた後、騎士団の動きを確かめるためにアルダロスへと向かいました。

 カミラの執務室には、騎士団長のベルデッツ、第一王子付きだったマグダロス、第三王子付きだったオズワルドの三人が顔を揃えて、作戦の詰めを行っているようでした。


「準備は、順調かな?」

「魔王様……」

「あぁ、立たなくていいよ。そのまま続けて」

「かしこまりました」


 どうやらカルヴァイン領の制圧作戦は、フレッドとバステンが立案したものを、そのまま採用して行われるようです。


「何か不都合とかがあれば、無理にその作戦のまま続ける必要はないからね」

「不都合どころか、今の我々では、ここまで詳細な調査はできませぬ。人員の編成についても、さすがに元騎士の方とあって無理のない形に整えられており、ただただ感服するばかりです」


 騎士団長の言葉に、マグダロスとオズワルドの二人も大きく頷いています。


『ぶはははは、当然でございますぞ、ケント様。我々が今どきの騎士などに遅れをとるわけがございませぬ』

『そうだろうね。僕も心配はしていなかったけど、時代と共にやり方が変わっているかもしれないから、その点だけが気掛かりだったんだ』


 賢王と呼ばれ、リーゼンブルグ王国の中興の祖であるアルテュール・リーゼンブルグに仕えていた三人ですから、今のグダグダなリーゼンブルグの騎士より劣るはずがありません。


「元締めの夜会が開かれる週末まで、今日を入れて三日しかないけど、準備は間に合う?」

「ご安心下さい。既に各拠点ごとの打ち合わせに入っております。明日からは、手順の確認を行いながら、演習も進めてまいります」

「その確認なんだけど、僕が召喚術で送れるのは、一箇所づつに限られるからね。どの順番で送るのかや、時間差ができることも考えておいて」

「かしこまりました。今回の作戦は、五人の元締めをいかに制圧するのかに掛かっています。即ち、領主の館さえ押さえてしまえば、作戦の七割ぐらいは成功です」


 今回、領主の館には総勢百人の騎士を送り込み、元締めたちの拠点には、それぞれ五十人を送り込む予定です。

 総勢三百五十人が参加する大規模な作戦ですから、予定通りに進んでいくとは思えません。


 何か予定外の出来事が起きた時に、いかに柔軟に対応できるのかが作戦の鍵を握りそうです。 


「昨日、カルヴァイン領に行ってきたけど、手下たちは油断しきっているように見えた」


 食料を備蓄している七番坑道の見張りたちの様子を伝えると、騎士団長は呆れたような笑みを浮かべました。


「そのような連中が相手では、我々の腕の見せ所が無さそうですな」

「うん、普通に考えるならば、そうなるんだろうね……」

「と申されると、魔王様は、まだ奴らが何かを隠していると思われているのですかな?」

「勿論、だって、あそこはアーブルの本拠地だよ」


 僕の言葉を聞いた途端、テーブルを囲んでいる全員の表情が引き締まりました。


「僕らは、これまでに何度もアーブルに煮え湯を飲まされてきている。例え、本人がその場にいなくても、油断できるような場所ではないはずだよ」

「おっしゃる通りですな。アーブルを排除したことで少々油断していたようです」

「元締めの五人を排除して、カルヴァイン領を完全に王国の支配下に置くまでは、決して油断はしないでね。奴らには必ず隠し玉が残されていると思って行動して」

「かしこまりました。騎士たちには、アーブルの亡霊を討ち取りに行くつもりで作戦に臨むように伝えます」


 騎士団の中には、アーブルに苦い思いをさせられたり、同僚を亡くした人がたくさんいるはずです。

 騎士団長から、亡霊退治なんて言われたら、張り切るしかないよね。


「今回の作戦、僕は表には出ないで、騎士団を送り込むだけに留めるつもりでいます。勿論、不測の事態が発生して、手助けが必要だと判断した場合には、その限りではないけどね」

「そのお話は、カミラ様からも伺っております。これまでの一連の騒動では、我々リーゼンブルグ王国騎士団は醜態を晒し続けてきましたので、最後ぐらいはキチンと役目を果たしてみせたいと思っております」

「期待しているけど、気負いすぎないようにして」

「かしこまりました」


 作戦を決行するか否かの最終的な判断は、当日の昼に決定し、元締めの夜会が始まると同時に開始することに決まりました。


「では、また様子を見に来るから……」


 四人に会釈して影へと潜った直後に、バステンを召喚しました。


「バステン、ちょっと良いかな?」

『何でしょうか、ケント様』

「コボルト隊と連携して、カルヴァイン領へ入る鳥を撃ち落してもらいたいんだ」

『了解しました。情報を遮断するのですね』

「うん、今回の作戦は強襲できるか否かが鍵を握っているからね」

『鳥に罪はありませんが、役目を果たしてもらっては困りますので、散ってもらいましょう』


 なるべくスマートに、流血の事態は最小限に留めて、制圧できれば良いのですが……あのアーブルの領地ですから、一筋縄ではいかないでしょうね。

 最後まで油断せず、作戦をやり遂げましょう。

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