第261話 バッケンハイムの対応

「ケント、ちょっとバッケンハイムの様子を見てきてくれねぇか?」


ギルドに併設された迎賓館へと戻り、一休みしたところでクラウスさんから頼まれました。


「こっちはギルドの中だから、襲われるような心配は殆どない。連絡用のコボルトを残しておいてくれれば大丈夫だから、バッケンハイムのギルドの様子を見て来てくれ。レーゼに面会出来るようならば、こちらも動き始めていると伝えて、向こうの対応状況を聞いてくれ」

「分かりました、なるべく早く戻るようにします」

「あぁ、いや、むしろジックリ探ってくれ。巷の冒険者共が何を考えているのか、商店主など街の連中がどう感じているか」

「はい、行ってきます」


 マルトとミルトをクラウスさんたちとの連絡役に残して、バッケンハイムへと向かいました。

 最初に向かったのは、ギルドのカウンター前です。

 影の中から覗いていると、夕方とあって依頼遂行の報告に来た冒険者で賑わっています。


『ケント様、あれを……』

『あれっ、こんな時間に何で?』


 ラインハルトが指差す方向を見ると、依頼の張り出された掲示板の前にも人だかりが出来ています。

 朝の喧騒の時間帯ほどではありませんが、多くの冒険者が依頼を吟味しているようです。


『おそらくですが、護衛の依頼が殺到して、冒険者の手が足りなくなっているのでしょう。護衛以外の依頼もあるでしょうから、この時間でも割りの良い仕事が残っているのでしょうな』

『なるほど、人手不足の状況が起こってるんだね』


 カウンター裏の職員スペースでは、マスター・レーゼの右腕、リタさんが書類の山と格闘しながら、職員に指示を飛ばしていました。

 アイスブルーのショートヘアーが似合う、クールビューティーなオオカミ女子のリタさんですが、目の下にはクマができてますね。


 いずこのギルドも顔役さんは、苦労するブラック体質なんですかね。

 この調子では、リタさんの婚期はますます遅れ……ひぃ、睨まれました。


 影の中にいるのに、ギロンと凄まじい視線を送られました。

 これは、しばらく時間をおいてから声を掛けた方が良さそうですね。


『先に街の様子を見に行きますか?』

『そうだね。それと、ちょっと腹ごしらえ』


 まだちょっと夕食の時間には早いのですが、この後、聞き込みや偵察をする前に、夕食を済ませてしまいましょう。

 向かった先は、以前鷹山と一緒に来た肉料理の店『月光の洞窟』です。


 やっぱり、肉でしょう!

 影の中から店の様子を窺うと、開店直後とあってか、まだお客さんは入っていませんでした。

 人目につかない路地裏から表にでて、店の戸を開けました。


「こんばんは、予約していないんですが、大丈夫ですか?」

「いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」

「僕、一人なんですが」

「大丈夫ですよ、どうぞ、こちらへ……」


 笑顔が素敵なお姉さんが、席へと案内してくれました。

 お昼がステーキだったので、夜は煮込み料理と揚げ物にしました。


「お客様は、上級学校の生徒さんですか?」

「いえ、しがない冒険者です」

「そうなんですか。最近は、皆さん景気が良さそうですものね」

「あぁ、やっぱりそうなんですね。僕はヴォルザードの冒険者なので……」

「まぁ、ではイロスーン大森林を抜ける警護のお仕事をなさっていらしたの?」

「えぇ、そんな感じです」

「かなり魔物の数が増えていると聞いていますけど、実際はどうなのですか?」

「そうですね。以前に較べると増えているようですが、キャラバンを組んでの移動ですので、戦闘は腕利きさんがやってしまうから、僕らはあまり違いを感じませんね」

「でも、その歳で護衛を依頼されるなんて、やっぱり実力があるからでしょう? 凄いですね」

「い、いやぁ、僕なんて、まだまだですよ」


 他のお客さんがまだ来ないからか、店のお姉さんに色々と質問されちゃいました。

 営業スマイルだと分かっていても、何だかドキドキしちゃいますね。


 出て来た料理も、相変わらずの絶品で、心ゆくまで堪能いたしました。

 会計を済ませた後で、店のお姉さんに教えてもらいました。


「あのぉ、この近くで、一番冒険者が集まる店って、どこですかね?」

「そうですねぇ……ここからだと少し歩きますけど、『オーガの生首』という酒場が有名ですね。ただ、ちょっと荒っぽい人が多いそうなので、あまりお奨めはしません」

「そうですか、じゃあ、外から覗いて、雰囲気だけ味わってきます」

「ふふふ……お客様は、面白い方ですね」

「えっ、そうですか?」

「はい、普通の冒険者さんは、同じことを言われたら、そんなもの怖くも何ともない……とか言いますから」

「なるほど……じゃあ、そ、そんなもの、こ、怖くも何ともないぜ」

「あははは……お客様は本当に面白い方ですね。あの、お名前伺ってもよろしいですか?」

「僕ですか? ケントと言います」

「えっ、まさか、ヴォルザードの冒険者って……」

「また寄らせてもらいますね」


 ドアを開ける代わりに闇の盾を出して影に潜ると、お姉さんは目を真ん丸に見開いて驚いていました。

 むふぅ、何か有名人になった気分ですねぇ。


 次は、閉店間際に訪れて、この後、一杯いかがですか……なーんて誘っちゃったりなんかして……ると、みんなに怒られちゃうよね。

 僕の場合、バレずに済むわけがないからね。


 教わった通りに道を辿ると、店の場所はすぐに分かりました。

 店の入口の上には、大きな頭蓋骨が二つ飾られていて、その額には二本の角が生えています。


『月光の洞窟』が静かなレストランだとすると、『オーガの生首』は場末の居酒屋といった雰囲気です。

 店の中にはタバコの煙が充満し、笑い声や怒鳴り声が反響していました。


 屈強な冒険者がエールのジョッキをぶつけ合い、店の隅ではローブ姿の術士が何やら密談を交わしています。

 犬獣人の店員さんのお尻を触った冒険者が、間髪入れぬ裏拳を食らって吹っ飛んで行きました。


「なに薄汚い手で触ってやがんだ! 次やったら腕斬り落とすぞ!」


 お姉さんの小気味良い啖呵に、どっと笑い声が湧き起こりました。


「やりやがったな、このアマ……」


 床に転がった男が、鼻血を流しながら上げた怒鳴り声は、途中で強制的にフェードアウトさせられました。

 流れるように距離を詰めた店員のお姉さんが、トレンチナイフを喉元に突きつけています。


「ここは売春宿じゃねぇ、女が抱きたきゃ他の店に行きな!」


 真っ青になった男は、ガクガクと頷いて、酒代を床に置くと、そのまま後ずさりして店の外に出ると、一目散に走り去っていきました。

 それにしても、左手のトレーの上に山積みの食器を載せた状態で、あの素早い動きとは、ただ者ではありませんね。


 酒場『オーガの生首』は大繁盛といった感じですが、普段の様子が分からないので、どの程度繁盛しているのか分かりませんね。

 ちょっと会話も聞いてみましょうか。


「おい、明日の依頼は取って来たのか?」

「あぁ、トーガル商会の護衛だ」

「マジか、いくらだ?」

「三千で往復六日だから、一万八千だな」

「嘘だろう、俺が受けてるのは二千二百だぞ」

「ばーか、ちゃんと探さねぇからだ」

「くっそぉ、別の依頼受けてぇ……」


 どうやら、ちょっと話を聞いただけでも、依頼の報酬が値上がりしている様子が感じられます。

 確かに、これでは冒険者は潤っても、護衛を頼む側の出費がドンドン嵩んでいきそうです。


『一日で八百ヘルトも値上がりしてるのか……』

『ケント様、しかもこれまでの倍の人数が必要になる場合もあるのですぞ』

『うわぁ……これじゃあ護衛の費用が掛かり過ぎるね』


 他のテーブルの話も聞いてみましょうかね。


「もうオークなんか珍しくもねぇよ」

「いや、マジで魔物にぶつかる頻度が半端ねぇぞ」

「あれだろ、スラッカがヤバかったって聞いたぞ」

「あぁ、あれは『本物』が片付けたらしいぞ」

「聞いた聞いた、十頭以上のギガウルフを操って、ミノタウロスを皆殺しだろう?」

「嘘だろ? いくら何でも話盛りすぎじゃねえの」

「馬鹿、サラマンダーを消しちまう奴だぞ」

「ケント・コクブ、マジやべぇ」


 うん、スラッカの一件は僕の仕業ってバレちゃってるみたいですね。

 しかも、かなり尾鰭が付いているみたいです。


「なにが、ケント・コクブだ。あんな調子に乗ってる小僧、いつか締めてやる」


 聞き覚えのあるドスの効いた声がしたので視線を向けると、鬼喰らいの二つ名を持つ、Aランク冒険者グラシエラの姿がありました。

 周りにいるのは、蒼き何ちゃらとかいうグループみたいですね。


「でも、シェラの姐御、ケントの野郎はヤバいっすよ」

「ふん、Sランクだか、何だか知らないが、一人の人間にできることなんか、高が知れてるんだ。見てな、じきにヴォルザードの連中が泣きを入れて来るから」

「ヴォルザードが泣きって……」

「あの街はねぇ、主食をブライヒベルグに頼ってんだよ。麦も、芋も、イロスーンを超えられなきゃヴォルザードには届かないのさ。いいか、ヴォルザード行きの荷物の護衛は受けるんじゃないよ」

「でも、報酬が良ければ受ける連中が出てきますよ」

「まぁ、それは構わないよ。ただでさえヴォルザードへの荷物は護衛の費用が掛かっているんだ。それがマールブルグ行きよりも高騰すれば、奴らは音を上げるって寸法だよ」

「さすが姐御、冴えてますぜ」

「お前らの知り合いにも通達を流しな、上手くすれば、他の依頼の報酬も上がるよ」


 蒼き何ちゃらの下っ端連中は、早速近くのテーブルに座っている人間に話し始めました。

 店を出て、どこかに向かった連中もいます。


『うーん、何だかなぁ……バッケンハイムの不利益にならなければ、何をやっても構わないとか思ってるのかなぁ』

『まったく了見の狭い馬鹿者ですな。護衛費用の高騰は、材料の値上がりを招き、一番負担を感じるのは貧しい者になるのだと、どうして考えがおよばないのか……呆れ果てた連中ですな』


 グラシエラは、最初に会った頃と較べると、かなりのイメージダウンです。


『ブライヒベルグからのヴォルザードへの荷物は、全部僕らで運んでしまおう。どこかに倉庫を借りて荷物を集めて、影の空間経由でヴォルザードのギルドにでも運んでしまえば、むしろ護衛費用を節約できるでしょう』

『いかにも、その程度の仕事であれば、我らがケント様に代わって行いますぞ』

『ヴォルザードは、それで良いとして、問題はマールブルグだね』

『さすがはケント様、そこまで考えておられますか』

『デュカス商会のオルレアンさんには、色々なアドバイスを貰っているからね』

『デュカス商会の荷物だけ運びますか?』

『うーん、さすがにそれは露骨すぎるかなぁ……ちょっとレーゼさんにも意見を聞いてみるよ』

『それがよろしいですな』


 バッケンハイムのギルドに戻ると、カウンター周辺の明かりは落とされ、冒険者達の姿は酒場にしかありませんが、職員スペースには明かりが灯されています。

 リタさんを筆頭に、数名の職員が残業をしているようです。


 この様子では、レーゼさんもギルドマスターとしての業務に追われているだろうと思い、面会をした時の部屋など職員スペースをあちこち覗いてみましたが、姿がありません。


 もしかすると、バッケンハイムの領主さんと対応策を協議しているのかと思いましたが、領主の館の場所が分かりません。

 そちらを探す前に、一応居住スペースも確認してみたら、もう力が抜けちゃいました。


 すでに入浴も終えたのかバスローブ姿で、テーブルの上にはお酒とツマミ、いつものように煙管を燻らせて、すっかり寛いでいます。


「みんな、まだ仕事してましたよ」

「ケントかぇ、丁度良い、酒の相手をしやれ」

「もう、酔っぱらっていて大丈夫なんですか?」

「なぁに、我の仕事は報告を聞いて指示を出すだけじゃ、問題ないわぇ」

「いや、理屈はそうかもしれませんけど……」

「それに話があって来たのであろう?」

「はぁ……」


 本部ギルドのマスターから勧められたんじゃ、仕方ありませんよね。

 けっしてリーブル酒の誘惑に負けたからじゃ……なくもないですけど。


 さすがにレーゼさんが飲むだけあって、リーブル酒は年代ものらしく芳醇な香りがします。

 口に含むとトロリとした舌触りの後で、旨みと香りが身体に染み渡っていくようです。


「あーぁぁぁ、ふぅぅ……」

「くっくっくっ、ほんにケントはリーブル酒が好きよのぉ……」

「それは、僕がこちらの世界に来て……いや生まれて初めて関わった仕事ですからね」

「なるほど、そう申しておったのぉ……」

「ほれ、もう一杯、飲みやれ」

「はぁ……」


 勧められるままに杯を重ねてしまいましたが、こうしている間にもリタさん達は仕事に追われているんですよねぇ。

 ホント、申し訳なく思ってしまいますけど、やめらないんですよねぇ……。


「くっくっくっ、ケントよ、仕事の話をする前に、酔い潰れるのではなかろうな?」

「そ、そんにゃことは……いや、先に済ませておいたほうが良いでしゅね」

「くっくっくっ、ほんにケントは可愛いのぉ……」

「そ、それで、イロスーン大森林の件れすが……」

「クラウスをブライヒベルグに送って来たのであろう?」

「へっ? どうしてそれを……」

「クラウスも、ナシオスも悪企みが好きじゃからな」


 さすが年の功なのでしょうか、クラウスさんの行動もお見通しのようです。


「クラウスさんは、今夜、ナシオスさんと対策を考えるようれすが、バッケンハイムのギルドはぁ何か対策はしないんれすか?」

「対策を考える……それはどうかのぉ、今頃は、酒を飲みながら馬鹿話でもしておるじゃろう。本当の対策談義は、明日の午後からじゃろうな」

「あぁ……だから僕にもジックリ探ってこいとか言ってたのか」

「くっくっくっ、だとすれば、今頃は若い女でもはべらせて、鼻の下を伸ばしている頃じゃろう」

「はぁ……僕はとやかく言えた立場じゃないけど、アウグストさんが不憫すぎる」


 ギルドの迎賓館で、一人寂しい夜を過ごしているアウグストさん……いや、生真面目に本とか読んでる?

 もしくは、連絡用に同行させているミルトと、真面目な顔で話してたりしそうですね。


「アウグスト? 確かクラウスの跡継ぎじゃったな。ブライヒベルグに連れていっておるのかぇ?」

「はい、今後のために街の視察とか……」

「ほぅ、それでは、ナシオス次第じゃが、見合いさせる気かもしれんのぉ」

「お見合いれすか?」

「まぁ、そんなに堅苦しいものではなかろうが、ナシオスには娘がいたはずじゃから、顔合わせをして、当人同士が嫌と思わなければ縁談を進める気じゃろう」

「なるほろ、どっちにしても、僕は邪魔ってことですね」

「ならば、ゆっくりとしていくがよかろう」


 レーゼさんは、僕が杯を飲み干すと、すかさずリーブル酒を注いできます。


「ちょ、レーゼさん、まら仕事の話が……」

「なんじゃ、Sランクの冒険者が、これしきの酒に潰されるのかぇ?」

「いや……そ、それで、イロスーンはどうするんれす?」

「今のところは様子見じゃのぉ。イロスーンを抜ける時には、どんな対策を取っているか知っておるかぇ?」

「はい、昨日ちょっと見に行ってきました」

「五台のキャラバンの先頭と殿には、腕利きの冒険者を置く。その者たちの働き振りを若手の冒険者たちはタダで見られるのじゃぞ。いや、タダどころか金までもらえる。こんなに良い条件の仕事など他にはないぞぇ」

「確かに、冒険者にとっては美味しい状況れすけど、ランズヘルト全体で考えるならば、色々と問題があるんじゃないれすかぁ?」


 あぁ、拙い、拙いですよ、フワフワして気持ち良くなってきちゃってます。


「ケント、そもそも対策を講じるのは我の仕事ではないぞぇ」

「えっ、でも、レーゼさんはギルド・マスターですよね?」

「そうじゃが、我は領主ではないぞぇ」

「あっ、そうか、えっと、アンデルさんれしたっけ?」


 確か、バッケンハイムの領主さんは、堅物だという話でしたね。


「そうじゃ、アンデルの坊やも、マールブルグの石頭も、どうせ相手を呼び付けようとして自分からは動かぬだろう。クラウスのように身軽に動けば、事態の解決も早まるであろうに……まぁ、来月までは様子見じゃろぅ」

「レーゼさん、さっき酒場を覗いてきたんですが……」


 酒場『オーガの生首』で盗み聞きしてきたグラシエラさんと蒼き何ちゃらの話をすると、レーゼさんは、呆れ果てたような溜め息をもらしました。


「どうせケントのことじゃ、既に対策は考えてあるのじゃろう?」

「ま、まぁ、一応……」

「ならば、堅苦しい話は終わりで良いな?」

「えっと、えっと……はい」

「ならば、ここからはお楽しみの時間じゃ」


 レーゼさんは、妖艶な笑みを浮かべると、バスローブの紐を解きました。


「ひぅ……で、出直してきますぅ!」

「あっ、これ、ケント!」


 立ちあがろうとしたら、腰砕けになったので、慌てて闇の盾を出して転がり込みました。


『ぶはははは、クラウス殿も楽しんでおられるようですし、ケント様もレーゼ殿と縁を結んでおかれれば良かったのではありませぬか?』

『らめらめ、酔った勢いとかで羽目を外しすぎたら、後で血の雨が降っちゃうよ』


 まだ結婚式は済んでないけれど、クラウスさんとか、マルセルさんの気持ちがちょっと分かった気がします。

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