第256話 魔物の楽園
「ご主人様、魔物が増えてるよ」
「魔物?」
「うん、牛とか、豚とか……」
居残り三人組とミューエルさんの警護を行った翌朝、魔の森をパトロールしていたキルトが戻ってきました。
ポヤっとした言い方だけど、何だか不穏なものを感じます。
今日から、居残り三人組を魔の森の訓練場に送還して、ラインハルト監修の特訓を施す予定でしたが、ちょっと様子を見てからの方が良いかもしれません。
「キルト、魔物が増えているのは、どの辺り?」
「んっとねぇ……おっきい池があるところ」
「あぁ、あそこか……」
キルトが言っている大きな池とは、以前ヒュドラ討伐のために槍ゴーレムを落下させた場所です。
クレーターに水が溜まって池になり、魔物たちにとっては格好の水辺になっています。
『ケント様、あの場所に魔物が増え、その魔物が一気に北上するような事態になると厄介ですぞ』
「うん、と言うか、既に厄介な事態になってるよね。ちょっと対処しないと駄目だろうね」
守備隊の宿舎に移動して、居残り三人組に訓練の延期を告げました。
「何だよ、折角魔物の討伐が出来ると思ったのによぉ……」
「特訓場は魔の森の奥だから、ヴォルザードよりも魔物の増えてる場所に近いからね。下手すると魔物の大群に襲われるけど、それでもやる?」
「いやいやいや、やらねぇよ。城壁の無い場所で魔物の大量発生とか冗談じゃねぇし」
脳筋の新田でも、ゴブリンの大量発生を思い出せば、やりたいとは言わないよね。
三人は、ギルドの訓練場に行って、適当な相手をみつくろって手合わせをするようです。
それでは、ちょいと魔物退治に行ってみますかね。
「うわぁ……なんじゃこりゃ……」
『これはまた、凄い数ですな……』
前回確認に来た時と較べると、魔物の数も種類も数倍に増えている気がします。
あまり見掛けなかったミノタウロスや、リザードマンの姿もありますし、池の中には身をくねらせる大蛇の姿も増えています。
「なんでこんなに魔物が集まって来るんだろう? 水辺だけなら、魔の森の中には川も流れているよね?」
『確かに、ケント様の仰る通りですな。これほどの魔物が集まるには、何らかの理由があると考えた方が自然です』
池の周りでは、ゴブリンがオークに襲われています。
少し離れた場所には、オークから逃れたらしいゴブリンが群れていて、それをまた別のオークが狙っているようです。
周辺の茂みの中には、幼体(といってもセントバーナードより大きい)を連れたギガウルフの群れもいました。
完全に魔物の楽園と化しています。
「これは、どうやって対処したら良いのかな?」
『そうですなぁ……どれか特定の魔物を減らすとバランスが崩れて、ますます魔物の数が増えるような気もしますし……』
ラインハルトにとっても、こんな状況に対処するのは初めてのようで、パッと答えが思い浮かばないようです。
「と言うか……なんか、ここの魔物って強そうじゃない?」
『ふむ、確かに……他で見るものよりも体格が良さそうに見えますな』
一番数が多いゴブリンも、良く見かけるものよりも、ちょっとマッチョな感じですし、オークなども上位種なのかと思うほど手足が太く見えます。
「こんなに数が居るのに、むしろ栄養状態が良いとか?」
『そう、なのでしょうな……普通は数が増えれば、食料が不足すると思いますが……』
「対処するにしても、ちょっと観察してからの方が良いかな?」
『さようですな。場当たり的な対処は、状況を悪化させるかもしれませんな』
これだけ多くの魔物が集まる理由は、一番数の多い魔物、ゴブリンにあるような気がします。
他よりも数が多いのに、他よりも体格が良い。普通に考えれば、他よりも良い餌が豊富にあるのでしょう。
ゴブリンの群れを観察してみると、しきりに土を掘り返して、何かを口に運んでいます。
そもそもゴブリンが何を食べるのかも知りませんが、虫とか小動物の類なのでしょう。
「うげぇ、何だあれ……」
『ミミズのようですが、随分と大きいですな』
ゴブリンたちが掘り出していたのは、大きなミミズでした。
水道のホースよりも太く、長さは一メートルぐらいありそうです。
「ギギャァァ!」
驚いた事に、ミミズはただ食べられているだけではなくて、身をくねらせてゴブリンに噛みついています。
丸い口には、ビッシリと三角の歯が並び、食い付いた箇所を直径五センチぐらいの球状に噛み千切っていきます。
「どうやら、あのミミズが原因みたいだね」
『そうですな。ワシも初めて目にしますが、おそらく魔物の一種でしょうな』
「えっ、魔物なの? なるほど、そうか、それでゴブリンの体格が良くなっているのか。でも、このミミズはどこから現れたんだろう?」
『問題は、そこですな』
「もしかして、地の底深くに居たものが、槍ゴーレムの爆発で地面が抉れ、そこから出て来ちゃったとか?」
『その可能性も考えられますが、その場合、ミミズは地中深くに戻るのではありませぬか?』
「そうか、元々地中深くで暮らしていたなら、繁殖する場所は、地中深くになるはずだものね」
観察している間にも、ゴブリンはミミズを漁り、そこへオークやギガウルフが襲い掛かり、食物連鎖の構図が展開し続けています。
『ケント様、これは土が原因ではありませぬか?』
「土……?」
『はい、土です』
「あぁ、なるほど、爆発で掘り起こされた土に原因があったのか」
『いえ、そうではありませぬな』
「えっ、違うの?」
『はい、おそらく違います』
「でも、他に原因になるようなものは無いよね」
『ケント様、ヒュドラはどうなりました?』
「あぁっ! そうか、ヒュドラか……」
今は大きな池になっているクレーターの爆心地には、三つの首を持った巨大な魔物、ヒュドラが居たはずです。
『おそらくですが、ケント様の槍ゴーレムで木っ端微塵になったヒュドラの血肉、そして魔石が大地に降り注いでいるのでしょう』
「それを口にしたミミズの魔物が大量発生、それをゴブリンが食べ……というサイクルか」
『南の大陸が、魔物が闊歩する地となった原因は、かの魔王の膨大な魔力が暴走したからだと言い伝えられております。丁度、こんな感じなのではありませぬか』
「うわぁ……根本的に解決するには、土までゴッソリ浚って移動させないと駄目なのかな」
『完全な対処としては、そうなるかもしれませんな』
ヒュドラを討伐した時は、ブースターを飲んでテンションが上がりまくっていたので、こんな問題が起こるなんて考える余裕などありませんでした。
「あれっ、だとしたら拙いかも……」
『どうなされました?』
「ここと同じ状況が、別の場所でも起きているかも……」
『別の場所……ライネフですか?』
「そう、ここ程広範囲には散らばっていないけど、ギガース二体分の血肉と魔石が飛び散っているから」
『なるほど、ですが、ライネフの場合は、魔物が集まるような場所ではありませぬし、討伐したのは波打ち際でしたから、大部分は海に流されているのではありませぬか』
「そうかもしれないけど、一応連絡はしておいた方が良いよね」
『さようですな。バルシャニアが対処するにしても、情報はあった方がよろしいでしょうな』
こちらで増えてしまった魔物については、カルヴァイン領で偵察を行っていたフレッドとバステンに戻ってもらい、大型の魔物を間引いてもらいます。
「じゃあ、この周辺から溢れ出ないように、半分以下まで減らしておいて」
『お任せ下さい、ケント様』
『魔石と素材……ガッチリ儲ける……』
普通の人では肝を冷やすような状況ですが、二人にとっては獲物が増えた程度なのかもしれませんね。
それでも、ここに集まっている魔物が、ヴォルザードやラストックに向かうと拙いので、コボルト隊のパトロールを強化し、北上する気配が見えた時にはフラムに押し返してもらいます。
「頼むね、フラム」
「了解っす。俺っちにお任せっすよ」
かなり困った状況かと思いましたが、危機管理さえシッカリ出来れば、魔物を繁殖させて収穫する牧場のように使えるかもしれません。
八木ではないけど、働かずして儲かっちゃうかもしれませんね。
バルシャニアの帝都グリャーエフに向かう前に、セラフィマの所へも顔を出しておきましょう。
ヒルトを目印にして移動すると、宿舎を出発して馬車に揺られていました。
魔の森では日が差していましたが、こちらは雨が降っています。
街道の周囲には広々とした畑が広がっていて、雨天とあって人影はありません。
煙るような雨に打たれながら、粛々と行列は進んで行きます。
セラフィマも、窓の外をボンヤリと眺めながら、少し退屈しているように見えますね。
「おはよう、セラ」
「ケント様、きゃっ……」
「おっと危ない、大丈夫?」
立ち上がった瞬間に馬車が揺れ、よろけたセラフィマを受け止めました。
「はい、ケント様が支えて下さいましたから、大丈夫です」
僕よりも年上だけど、小柄で華奢なセラフィマには、庇護欲を掻き立てられます。
座席に並んで腰を下ろすと、セラフィマは左腕を抱き抱えて、頭を預けてきました。
「道中は順調?」
「はい、あの後、一度だけ魔落ちの騒動がございましたが、街中で騒動を起こしただけで、行列は襲われておりません」
「でも、魔落ちの騒動があったんだ」
「はい、何でも思いを遂げられなかった男性が、思い人とその伴侶を襲ったそうです」
「それじゃあ、魔落ちした人の身元は分かったんだね」
「はい、ですが思い詰めていたものの、魔落ちするような物を口にした様子は無かったそうです」
「じゃあ、ある日突然魔落ちしたの?」
「はい、騒ぎを起こす前の日に、酒場で少し揉め事を起こしたようですが、それ以外は特に変わった様子も無かったそうです」
「持ち物とかも調べたのかな?」
「はい、家も部屋も調べさせましたが、特に怪しい物はありませんでした」
セラフィマに、日本で起こった藤井の事件について話してみると、こちらで起きている魔落ちの騒動とは、いくつか違う点があるようでした。
こちらで魔落ちした者たちは、完全に魔落ちした状態で、皮膚なども変質している。
また、攻撃魔術を使ったことはなく、身体強化の状態で暴れ回るだけだそうです。
「ケント様の御友人も、突然魔落ちに近い状態になられたように見えますが、魔素の全く無い場所で、魔石から出る魔素だけを吸っていたのであれば、徐々に魔落ちされていらしたのではありませんか?」
「そうか、そうだね。でも、藤井の場合は魔力を消耗した所に、魔石の粉末を大量摂取したから魔落ちに近い状態になったんだろうけど、さっきの人の話だと、特別に魔力を消耗してはいないよね?」
「はい、魔力を消耗していない状態でも、人を魔落ちさせる何かが存在しているのは確かです」
「しかも、起こった時期と場所を考えると、同じことができる人間が、少なくとも二人は居ることになるよね」
「はい、そうなります」
バルシャニアの魔落ち騒動については、分からないことばかりです。
少し鬱屈とした様子のセラフィマに、家の建設が進んでいると話すと、笑顔が戻りました。
「ケント様、実は、私たちの家の様子は拝見いたしました」
「えっ、家ってヴォルザードの?」
「はい、まだ内装は何もされていませんでしたが、間取りや周囲の庭木の様子などは拝見しております」
いたずらっぽく笑うセラフィマの横で、ヒルトが自慢げにしていますね。
「なるほど、コボルトのみんながタブレットで撮影して、それをセラに見せたんだね?」
「はい、あれはケント様の国の魔道具だと聞いております」
「うん、魔道具とはちょっと違うけど、まぁ細かい説明が出来ないのは同じかな」
「ヴォルザードに到着するのが楽しみです」
おぉぅ、セラフィマにギューってされると、ネコ科のしなやかさを感じるんですよね。
新年の宴の後、寝巻一枚の姿で一夜を過ごした時と較べれば、着ている枚数も多いですし、刺激の度合いは低いのですが、それでもドキドキしちゃいます。
「セラ……」
「ケント様……」
セラフィマと寄り添ったまま暫く馬車に揺られた後、バルシャニアの帝都グリャーエフを目指しました。
グリャーエフの宮殿を探し回ると、皇帝コンスタンは公務の真っ最中でした。
まぁ、セラちゃん大好きの親馬鹿ですけど、一国の皇帝ですから、昼間から遊んでいるとは思っていませんでしたけどね。
でも、アーブルに殺されたリーゼンブルグの国王なんて、酒池肉林の毎日だったか。
まぁ、あれと較べるのは、さすがに失礼ですね。
コンスタンは、独特な民族衣装を身につけた男性達と面会中でした。
別の国なのか、それともバルシャニア国内の部族なんでしょうかね。
パッと見た感じでは友好的な会見に見えますけど、こういう会見って腹の探り合いってイメージがありますよね。
『ケント様、どうやらこの者達は、隣国フェルシアーヌ皇国の一行のようですな』
『そうなの?』
『話の中身を聞くに、羊の成育状態ですとか、来年の羊毛の刈り取り時期などの話をしております』
フェルシアーヌ皇国は、牧羊が盛んな国だそうです。
一方、バルシャニアは綿花の栽培が盛んです。
両国は、綿とウールを主として、様々な物品の交易によって良好な関係を築いていると聞いています。
影の空間から覗いていても、交易に関する話をしている間は、両者とも穏やかな表情を浮かべていました。
「さて、それでは、そろそろ本題に入りますかな」
皇帝コンスタンが切り出すと、部屋にはピーンと緊張感が漂いました。
バルシャニア帝国、フェルシアーヌ皇国、二つの国に共通する懸念は大きく分けて二つあります。
一つは、バルシャニアの反政府部族、ムンギアが絡んだ国境線の問題。
もう一つは、フェルシアーヌ皇国の向こう側、キリア民国とヨーゲセン帝国の戦争の行方です。
「改めて話すまでもなく、我々バルシャニアは貴国との友好関係を望んでいる。ただ、一部の頑迷な勢力が暴走をする懸念を払拭出来ないでいる」
「それについては、我々も同じ立場です。ヌオランネの連中は、今は大人しくしておりますが、ムンギアにチョッカイを出されれば簡単に火が点きますからな……」
両国の首脳にとっての国境線を争う部族は、それぞれの国の反体制派でもあるようです。
コンスタンも、会談相手も、国同士の友好関係は何としても維持したい。
そのために、こうした意思疎通の機会を設けているように感じます。
「こちらの件は、我々が連絡を密にしていれば何とでもなるでしょう。問題はキリアですな」
「キリアに関しては、我々の予想を遥かに上回るペースでヨーゲセンを押し込みましたが、完全に平定するには至っていないようです。それに、平定したと思われていた地域でも、レジスタンスが蠢動しているようで、我々に戦争を仕掛けるだけの余裕はないようです」
鉄と爆剤の力によって戦局を優位に運んだキリア民国でしたが、ヨーゲセン帝国の四分の一程度の面積しか無い国です。
ヨーゲセンの兵士を追いやっても、民衆を支配するだけの人材に事欠いているようです。
「それでは、貴国は静観の構えを貫くおつもりですか?」
「おっしゃる通りです。キリアの鉄、ヨーゲセンの穀物、求められればどちらの国とも交易は行いますし、どちらか一方を優遇するつもりもありません」
「ですが、キリアの戦術の中核は、フェルシアーヌの山岳部族が担っていると聞いておりますが、その辺りについては大丈夫ですかな?」
「バルシャニアにも伝わっていますか。おっしゃる通り、ブロネツクの闇属性術士がキリアの戦術の要になっておりましたが、現在は出国を禁じております」
「ヨーゲセンからは、嫌味を言われたのではありませんか?」
「まぁ、あの国は何も無くとも嫌味な国ですからな」
ヨーゲセン帝国は、肥沃な土地を持つ農業国で、その農業生産力こそが周辺国へのアドバンテージだったようです。
言うなれば、農作によって古くから栄えた大国と、鉄や爆剤といった新興技術で栄えた小国の争いという訳です。
「例え、死霊術士が居なくとも、爆剤がある以上、ヨーゲセンが押し込まれる状況は変わっていなかったはずです。現に、ブロネツクの術士を暗殺されたキリアは、アンデッドの代わりに罪人を使っていると聞いています」
「罪人に爆剤を持たせて自爆させているのですか?」
「おっしゃる通りです。逆らえば、家族が罰せられると脅しを掛け、更に隷属の腕輪で縛っていると聞きます」
「戦争は、互いの命を奪うものだが、何とも気分の悪くなる話ですな」
皇帝コンスタンからは穀物の融通が約束され、フェルシアーヌ側からも謝意が伝えられました。
『どうやら、フェルシアーヌにとっては、キリアもヨーゲセンも扱いにくい。国境の争いがあってもバルシャニアの方が友好国としては望ましいと考えているようですな』
ここから覗いている限りでは、ラインハルトの見極めは正しいように感じます。
『バルシャニアにとっても、フェルシアーヌとの戦いは避けたいんだよね?』
『良好な交易が行われている国ですからな、断交などという状況になれば、国内からの不満も出るでしょう』
『でも、フェルシアーヌと仲良くすると、ムンギアがへそを曲げるとか……何だか面倒だね』
『ぶははは、ケント様、何も国同士に限ったことではありませんぞ。リーゼンブルグやマールブルグなど、家の中で争っている者もいますからな』
『そうか、僕の家では、みんなが笑顔で居られるようにしないとだね』
『ケント様であれば、領地や国であっても笑顔に出来るはずですぞ』
『いやいや、今の僕には無理だよ。それに、足元も固まらないうちに大きな物を望むのは、どこかの馬鹿王子と一緒でしょ』
この後、更に詳細なキリア、ヨーゲセンの状況が話し合われ、両者が笑顔で握手を交わして会談は終了しました。
それでは、ライネフの件を相談しましょうかね。
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