第250話 寄宿舎
安息の曜日の朝、と言ってもアマンダさんのお店は通常営業なので、平日と同じ時間に起きて朝食を済ませ、バッケンハイムを訪れました。
サラマンダーの襲撃によって被害を受けたバッケンハイムですが、休日とあって、まだ街は目覚める前のようです。
影に潜ったまま街のあちこちを巡ってみると、火災が起こった場所では燃えた建材が残ったままで焦げた臭いが漂っていました。
「やっぱり簡単には片付かないものだよね」
『我々が、靴屋の焼け跡を片付けたようにはいきませんぞ』
鷹山達が馬鹿をやって燃やしてしまったマルセルさんの店は、闇の盾で周囲を囲って眷属のみんなが取り壊し、そのまま魔の森へと運んでしまいました。
それこそ、あっと言う間に片付いてしまいましたが、普通は取り壊しにも、運び出しにも時間が掛かるものです。
『ケント様、取り壊しの仕事を請け負いますか? 時間あたりに換算すると、なかなかに良い稼ぎになりますぞ』
「そうかもしれないけど、本業の人達から仕事を奪っちゃうことになるから止めておくよ」
一度ギルドの前まで戻り、教会の敷地を抜け、隣の敷地へと入りました。
今朝、バッケンハイムに来た理由は、先日行うはずだった、ヴォルザード家の次男、バルディーニの送迎のためです。
教会の裏手が上級学校の寄宿舎だと聞いています。
「へぇ、領主様の息子が暮らす場所だから、もっと豪華だと思っていたけど、意外にシンプルな造りなんだね」
『ケント様、上級学校には貴族以外の子息の方が多く通ってきますし、内部では身分による差別は原則として禁止ですぞ』
これは、ラインハルト達が生きていた頃からだそうで、王族であろうと、貴族であろうと、身分による差別は禁止で、それが嫌な者は家庭教師による教育を受けるのだそうです。
『上級学校で学べる者は、奨学金を貰っている一部の者を除けば、裕福な家庭の者ばかりです。そうした者達が、いわゆる庶民の暮らしを体験するという意味合いもあるようですぞ』
「へぇ、そうなんだ……でも、そういう考え自体が貴族的な気もするけどね」
『ぶははは、確かにそうですな』
サラマンダーの襲撃による影響が無ければ、明日から新学期が始まるはずですが、僕と同じような年代の学生は、休日のこんな時間には起きて来ないのでしょう。
建物の影から表に出て、召喚を行うのに適した場所を探すことにしました。
寄宿舎の建物は、シンプルではあるものの重厚な造りで、庭木の手入れや清掃も行き届いているように見えます。
生垣の間を巡るように続いている小道を歩いていくと、何やら人の声が聞こえてきて、興味を惹かれて声のする方向へと生垣の角を曲がった時でした。
「危ない!」
「えっ、うわぁ!」
突然大きな水球が飛んで来て、慌てて闇の盾を出して防ぎました。
闇の盾は、散々練習を重ね、日頃から当たり前のように使っていますので、咄嗟に手を出すぐらいの感覚で展開できちゃいます。
「ごめんなさい、大丈夫でしたか?」
「はい、まぁ……大丈夫です」
闇の盾を解除した先には、僕と同じぐらいの年の女の子がいました。
申し訳なさそうに歩み寄って来た女の子は、僕の姿を見た途端、眉を吊り上げました。
「あなた何者です! ここは上級学校の女子寮、男性の立ち入りは禁止です」
「ご、ごめんなさい。間違えて迷い込んだみたいです」
「迷い込んだ? 何を言ってるのですか、この庭園には守衛が警備を行っている寮の入口を通らないと入って来られないのですよ。一体どこから入り込んだのですか! それとも塀を乗り越えて迷い込んだとでも言うのですか!」
水色のロングヘア―の女の子は僕よりも少し背が低く、頭には三角の耳が付いています。
尻尾の感じからして犬っぽいのですが、キャンキャン咆えてるチワワっぽいですよね。
「ちょっと! ちゃんと聞いてるの!」
「い、いえいえ、そんなことはありません、はい、ごめんなさい」
「それで、あなたは何者なんです。私は、新三年生の学年委員長を務めることになっている、アデリナ・バッケンハイムです。さぁ、名乗りなさい!」
うわぁ、うちの委員長と違って、グイグイ来る系の委員長だよ。
『ラインハルト、名乗った方が良いのかなぁ……』
『どうやらバッケンハイム家の息女のようですな。確か父親は堅物とかレーゼ殿が申しておられませんでしたか?』
『あぁ、そうだった。面倒な事になりそうだから、失礼しちゃいましょう』
グイグイと迫って来るアデリナの前に闇の盾を展開し、そこに入り込んで影に潜りました。
「いない! どこ! 大人しく出て来なさい!」
アデリナは庭園を小走りで探し始めましたが、影に潜った僕は見つけられませんね。
説明の時に描いてもらった地図には、大きく寄宿舎の敷地としか書いてなかったので、男子禁制の女子寮があるなんて知らなかったよ。
と言うか、男子禁制の花園ですか……しかも裕福な家庭の女子が集まっている……ちょっと覗いてみたいけど、それはまたの機会にいたしましょう。
女子寮とは高い塀で隔てられた隣の敷地に、同じような建物が建っていました。
どうやら、こちらが男子寮のようです。
それにしても、貴族や裕福な家庭の子息が集まってるんだよね。
こんな高い塀が無いと、乗り越えて忍び込む輩が居るって事だよね。
『ケント様、愛しき娘のもとへと、艱難辛苦を乗り越えて忍んでいく……このロマンに貴賤はありませんぞ』
「なるほどねぇ……てか、貴族の方が、そっちの欲求は強い気がするしね」
男子寮は、建物自体は女子寮と似た感じですが、併設されているのは庭園ではなく、広大な乗馬用の馬場でした。
ぱっと見た感じですが、一周は一キロぐらいありそうで、数人が長い棒を片手に馬を走らせていました。
『ここは、馬上槍のための馬場ですな』
「馬上槍で戦うの?」
『騎士団では、そのような訓練も致しますが、学生の場合には競技としての馬上槍でしょうな』
馬上槍の競技は、コース上に設定された的をいかに早く、いかに正確に突けるかを競うもので、的の大きさによって変わる得点と走破タイムの合算によって争われます。
使われる槍は、重さの制限はあるものの、長さや太さには制限が無いそうです。
『長い槍は、低い的を狙うのには有利ですが、連続した的を狙う時には取り回しが難しくなります。短い槍は、その逆になりますな』
馬上での体捌きで的を狙う者は短い槍を、手捌き槍捌きで的を狙う者は長い槍を使うそうです。
『おそらく、新年の始まりに競技会があるのでしょうな』
ラインハルトの指さす方向には、馬場に併設された射撃場がありました。
馬上槍の競技が騎士タイプの人向けだとすると、術士タイプ向けの競技もあるのでしょう。
こちらでも、既に数名が練習を始めていて、詠唱をしては的に向かって攻撃魔法を放っています。
やっている事は、ギルドの術士講習と同じですが、服装が貴族が狩りに出掛けるような感じで、こちらもいかにもだなぁと感じてしまいます。
『練習しているのは上級生なのでしょう、なかなかの腕前ですな』
ラインハルトの言う通り、詠唱もスムーズですし、命中精度も高いようには見えますが、何となく物足りなく感じてしまいます。
『それはケント様が、実戦の場数をこなされていらっしゃるからでしょうな』
「なるほど、みんな真剣に練習しているけど、生きるか死ぬかみたいな緊迫感が無いからか」
バッケンハイムでのオーガによる襲撃の時も、結果としてロックオーガは仕留め損なったものの、どの冒険者も死に物狂いで戦っていました。
『こうした競技会に出る者の中には、素晴らしい手並みを見せる者もおりますが、だからと言って、実戦で手柄を立てられるかと言えば、必ずしもそうとは限りません』
「それは、場数を踏んでも駄目なもの?」
『そうですな、危険な実践を経験して、それでも心の折れぬ者であれば、周囲から一目置かれる存在となるでしょうな』
実際、こうした競技会での成績を引っ提げて、騎士団への入団を果たす者もいるそうですが、理想と現実のギャップを乗り越えられずに辞めていく者も少なくないそうです。
『冒険者が活動するような場所にいかない街の住人などは、こうした競技も純粋に楽しめるようですが、ケント様やワシらでは物足りないと感じるでしょうな』
「そんなもんかなぁ……」
『例えばそうですなぁ……馬上槍の場合で言うならば、的を正確に突くよりも、台座ごと薙ぎ払った方が早いでしょう』
「あぁ、うん、その例えで良く分かった。それに、的は攻撃してこないもんね」
『その通りですな』
結局、馬場や射撃場などは、人の出入りが多くて召喚術を使うのには余り適していませんでした。
そこで寮の周りを回ってみると、寮の外に丁度良い場所を見つけました。
ここは、寮に入る者達の荷物を下ろすための共用スペースのようです。
入寮する殆どの者は数日前に搬入を済ませているらしく、新学期前日の今日はかえって空いているようです。
召喚術を使う場所の目途も付いたので、ヴォルザードの領主の館へ向かいました。
本来であれば、二日前にバッケンハイムに向かうはずだったので、バルディーニの荷造りは終わっているらしく、一家で朝食の最中でした。
「おはようございます」
「おう、ケント、今日はよろしく頼むな」
「はい、既に下見も終えてますので、いつでも行けますよ」
「おはようございます、ケント様」
「おはよう、リーチェ」
席を立って来たベアトリーチェをハグしてから、お茶を御馳走になります。
食卓の話題は、やはりバッケンハイムの状況のようで、クラウスさんの片腕として働き始めたアウグストさんから質問されました。
「ケント、バッケンハイムの現状はどうだ?」
「はい、まだ二日目ですから火災の現場などは片付いていませんが、見た感じでは平穏です」
「上級学校も問題なさそうかな?」
「敷地には被害は出ていませんし、男子寮の馬場では馬上槍の練習をしている人も見掛けましたよ」
「そうか、競技会へ向けての練習か、そんな季節なんだな」
「アウグストさんも競技に出られていたのですか?」
「私は、どちらかと言えば騎士タイプなのだが、ヴォルザードでは馬上槍を使う場面は無いからな」
「あっ、なるほど……」
ヴォルザードでの戦闘は、城壁での防衛戦が主です。
守備隊になれば、馬上槍を携えての護衛任務もありますが、アウグストさんは護衛される側の人間ですからね。
バルディーニに、この話題を振るのは地雷を踏みそうな気がするので止めておきましょう。
朝食が済んだら、いよいよバルディーニを中庭からバッケンハイムに召喚します。
バルディーニと一緒に、執事のヨハネスさんと荷物も送ります。
こちら側の目印は、マルト、ミルト、ムルト、それに普段ベアトリーチェといっしょにいるホルトに務めてもらいます。
「では、バッケンハイム側から召喚しますので、動かずに待っていて下さい」
「分かった、よろしく頼むよ」
爽やかに返事を返してくれるヨハネスさんとは対照的に、バルディーニは仏頂面で頷き返しもしません。
影に潜ってバッケンハイムに移動すると、折り良く共用スペースに人影は見当たりません。
周囲の安全を確認して、召喚術を使おうとしたら、声が聞こえて来ました。
「あいつよ、あそこに立っている男が不審者よ」
視線を向けると、アデリアと警備員らしき男の姿があります。
うわぁ、面倒なタイミングで……まぁ、諸々バルディーニに押し付けちゃいましょう。
「召喚!」
「動かないで、今度こそ逃がさな……えぇぇ!」
駆け寄って来たアデリアと警備員は、突然姿を現したバルディーニとヨハネスさんに、棒立ちになって驚いています。
まぁ、初めて見れば、こういう反応になりますよね。
「むっ、アデリア・バッケンハイムか、久しいな」
「バルディーニさん……これは一体」
「ヨハネスさん、後はお願いしますね」
「いや、ケント、この状況は……」
「ちょっと待て!」
ヨハネスさんに丸投げして帰ろうと、闇の盾に潜ろとしたらバルディーニに襟首を掴まれて止められました。
くぅ、僕の襟首の捕まえやすさが恨めしい。
「どういうことなのか説明していけ」
「バルディーニさん、お知り合いなのですか?」
「俺がバッケンハイムに居た頃に、家に入り込んだ泥棒猫だ」
「ならば、捕えてもかまいませんね」
バルディーニとアデリアの会話に、慌てて割り込みを掛けます。
「いやいや、もうすぐ義理の兄弟になるんだから駄目ですよね」
「ふん、知らんな。ヴォルザード家に泥を塗るような真似をすれば、今後一切の出入りを禁ずる。アデリア、処分は任せる」
「ぐぇっ、たっ、ちょ……痛たた」
バルディーニに襟首を引っ張られ、よろけたところで警備員に掴まり、腕を捻り上げられました。
この状態だと、影に潜って逃げる訳にもいかないんですよね。
「この男は、妙な術を使いますので、そのまま離さないで下さい」
「畏まりました」
「ヨハネス、行くぞ!」
「いや、ちょっと待って……」
「あなたは、こちらです。ついて来なさい」
バルディーニは、さっさと男子寮へと向かってしまい、ヨハネスさんも苦笑いを浮かべながら付いて行ってしまいました。
そして僕は、女子寮の警備員詰め所へとドナドナです。
でも、これってもしかして、合法的に禁断の花園へとご招待……なわけないよね。
詰所の机を挟んで向かい側にアデリア、その隣に警備員、そして僕の腕を固めている警備員がいます。
うーん、困りましたねぇ、バルディーニの召喚が済んだら、みんなで家具選びに行く予定なんですけどね。
「さぁ、今度は逃がしません。あなたは一体何者なんです。バルディーニさんは泥棒猫と言っていましたが……」
「はぁ……僕はケント・コクブという冒険者です」
「ケント・コクブですって、ふざけないで! バッケンハイムとマールブルグが戦争に突入するかもしれない危機をたった一人で解決した英雄『魔物使い』が、あなたのような貧相な子供であるはずがないでしょ!」
「えぇぇ……そんな御大層なことになってるんですか?」
バッケンハイム家の息女という話なので、イロスーン大森林で起こった事件の話を聞いていてもおかしくはないですよね。
それにしても英雄とか、自分でも柄じゃないって思っちゃいます。
「ふざけていないで、ちゃんと名乗りなさい。そもそもケント・コクブは黒髪に黒い瞳の逞しい男性だと聞いています」
「あーっ……髪と瞳は、ちょっと事情がありまして、それと体格は変わってませんよ」
「あなた、あくまでも自分はケント・コクブだと……えっ?」
「わぅ、ご主人様、まだ帰って来られないのかってリーチェが待ってるよ」
突然、机の影から顔を出したホルトに、アデリアと警備員は目を丸くしています。
「うん、もうちょっとしたら帰れるはずだから、マノン達と待っていてって伝えて」
「わふぅ、分かった」
自由な右手で頭をグリグリと撫でてやると、ホルトは目を細めて影に潜って帰っていきました。
「い、今のは……」
「僕の眷族です。これからヴォルザードに戻って、ベアトリーチェ達と新居の家具選びに行く予定なので、その催促ですね」
「では、あなたは本物のケント・コクブさんなのですか?」
「だから、最初からそう言ってますよね。女子寮の庭に居たのは、影の空間経由で移動しているので、本当に迷い込んだだけです。目的は、先程御覧になった、バルディーニさんの召喚に適した場所を探していたんですよ」
右手を影の収納へと伸ばし、Sランクのギルドカードを提示すると、アデリアは目を見開いて顔を蒼ざめさせました。
「は、離しなさい、手を離して! 早く!」
アデリアは叫ぶように警備員に命じると、席を立ち、跪いて頭を下げました。
「申し訳ございませんでした。知らぬとは言え、大変失礼いたしました。また一昨日はサラマンダーの討伐と街の消火にご尽力をいただき、ありがとうございました」
「あ、あぁぁ、はい、いや、そんな風に大袈裟にしていただかなくても大丈夫です」
「許していただけるのですか?」
「はい、それはもう、お互いちょっとした擦れ違いみたいなもんですから」
「ありがとうございます」
顔を上げたアデリアは、頬を染めて潤んだ瞳で見詰めて来ます。
てか、待遇が変わり過ぎじゃないですかね。
「あの……ケント・コクブ様、失礼のお詫びにご昼食でも……」
「ごめんなさい。今日はちょっと用事が詰まっているので、またの機会に……では、失礼します」
「あっ、お待ちください……」
いやいや、待ちませんよ。ここで待っちゃうと、また面倒な事になりそうですからね。
速攻で闇の盾を出して影へと潜りました。
『ぶははは、バッケンハイム家からも嫁を迎えるチャンスでしたのに、お気に召しませんでしたかな』
「もうこれ以上お嫁さんを増やしたら、唯香やマノンに愛想を尽かされちゃうからね」
まだセラフィマとの顔合わせも済んでいないのに、アデリアも加わるなんて言ったら血の雨が降っちゃいますよ。
さっさとヴォルザードに戻って、三人のご機嫌を取らないといけませんからね。
そう言えば、家具ってヴォルザードでは、どこで買えば良いんでしょうね。
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