第240話 救出作戦
事故が発生した鉱山は、デュカス商会の所有するものではありませんでした。
「では、ロベーレ商会の鉱山の救出作業をデュカス商会が行っているのですか?」
「いや、救出作業は、うちだけでなく他の商会も連携して行っている。山の事故は他人事ではないからな」
シビルさんの治療を終えた後、デュカス商会の会長、オルレアンさんとの昼食の席で鉱山事故の話を聞きました。
事故が起こったのは、ロベーレ商会が所有する銅山だそうです。
「ロベーレ商会は、マールブルグでも古い商会の一つで、事故が起こったのは長年掘削が行われてきた古い鉱山だ。それだけに、現在の掘削地点は相当深く掘った所で、そこへ至る坑道が広範囲に渡って崩れているらしい」
「僕は鉱山については殆ど知識が無いのですが、坑道は土属性の魔術で固めたりはしていないのですか?」
「軟弱な地盤や地下水が多く染み出す地層については硬化の魔術を施すが、それ以外の箇所は木材などで補強を入れる程度だ」
鉱山には多くの土属性魔術士が関わっていますが、その多くは掘り出した鉱石の精錬や鉱脈の探索、掘削部位での岩盤の破壊などが主な仕事だそうです。
鉱山だけに、単純に穴を掘るのではなく、岩盤を破壊して、運べる大きさに砕き、それを運び出す必要があります。
それだけに、土属性の魔術士が多く在籍していても、坑道の硬化にまで手が回らない、回せないというのが現状のようです。
「救出の見通しとかは立っているのですか?」
「いいや、全く立っていない。事故が発生したのは昨年の暮の話だから、既に生存を絶望視する声も聞こえてくるが、先程も話した通り、鉱山の事故は他人事ではない。我々が事故にあった時の事を考えれば、途中で諦めたり放り出すことなど出来はしないよ」
「昨年の暮って……もう十日以上経ってるんですか?」
「そうだ。内部にどれほどの空間が残されているのか、地下水が湧き出ている所はあるのか、手持ちの食料は……など条件次第ではあるが、かなり厳しいな」
『フレッド、内部の状況とか分かった?』
『残念ながら不明……崩落範囲が広すぎる……』
僕や眷族のみんなは影の空間を通っての移動が可能ですが、制限が全く無い訳ではありません。
実際に見えている範囲、過去に訪れた場所には問題なく移動が出来ますが、知らない場所、見えていない場所への移動には制限が付きます。
例えば、壁一枚を隔てた隣の部屋程度であれば移動は可能ですが、何十メートルも地中に潜って移動する事は出来ません。
今回も崩落箇所が短い距離であれば、フレッドが潜って様子を見て来られたのでしょうが、移動が難しいほどに長い範囲に渡って崩落が起こっているのでしょう。
「救出作業を止める訳にはいかないのでしょうが、その間、デュカス商会の掘削作業とかは止まってるんですよね?」
「そうだ。だが何度も言うが、鉱山に関わる者としては他人事ではないからな」
「ロベーレ商会からの補償とかは?」
「いいや、事故に関する協力については、元々補償などは求めないものだし、仮に請求が出来たとしてもロベーレが払うはずがない」
「何か、いわくのある商会なんですか?」
「いわくと言うか……ロベーレは古い商会だからな」
鉱山で働く者達には『事故と弁当は自分持ち』という言葉があるそうです。
現代の日本風な言い方をするならば、全ては自己責任という事です。
賃金は、運び出した鉱石の量、そこに含まれていた鉄や銅の量に応じて支払われるので、多く掘り出せば多く掘っただけ収入が増えるそうです。
商会は所有する鉱山を稼ぎの場として提供する代わりに、掘削中の事故や怪我に関しては何の補償も行わないというのが、古くから続いてきたマールブルグの伝統だそうです。
「だが、古いやり方では、なかなか鉱夫達は安定した暮らしを手に入れる事は難しい。それこそ鉱脈に当たった時には面白いように稼げるが、そこに至る間は殆ど稼ぎが無い事も珍しくない。それに、今回のような事故で命を落としてしまったら、残された家族の生活も立ち行かなくなってしまう。だから私は新しいやり方を始めたのだよ」
オルレアンさんの始めたやり方とは、鉱山で働く人達をデュカス商会の社員として雇ってしまう方法でした。
掘り出した鉱石の量ではなく、決まった賃金を支払い、鉱脈に突き当たった時には臨時のボーナスを支給する。
簡単に言うならば、鉱山で働く人達のサラリーマン化です。
「でも、賃金の支払い方が大きく変わるのですから、働く人達から不満が出たりしないのですか?」
「その点に関しては、儲けが少ない時でもキチンと賃金が手に入る。その代わり、大もうけ出来る時には少し儲けが少なくなると、うちで働き始める前に、くどいほど説明をしてあるから今の所は大丈夫だな」
一攫千金を夢見る人は、従来通りの賃金体系の商会へ行き、安定を求める人はデュカス商会へと集まってくる。
デュカス商会が発展しているという事は、鉱山で働く人々の安定志向が高まっているのでしょう。
それにしても、ロベーレ商会の古いやり方は、いわゆるフリーランスな働き方で、デュカス商会の新しいやり方がサラリーマン方式、日本とは新旧あべこべな感じですね。
「オルレアンさん、坑道には何人ぐらいが取り残されているのですか?」
「ロベーレ商会の話では、四十人以上が取り残されているらしい」
「何とか助ける方法があれば良いのですが」
「他の商会に所属している鉱夫も集まって、交代で掘削を進めているが、途中崩れやすい箇所があって難航しているようだ」
鉱山のプロとも言えるオルレアンさんでも打つ手が無いようで、眉間に皺を寄せています。
『ケント様、星属性の魔術を使われてみてはいかがですかな?』
「あっ、そうか! その手があったか……」
「どうかしましたか、ケントさん」
「はい、ちょっと思いついた事があって、上手くすれば坑道に取り残されている人を助け出せるかもしれません」
「本当ですか? 本当に可能ならば、是非お願いします。一人救出する毎に三万……いや、五万ヘルトお支払いいたします」
「いや、そんな……そもそもデュカス商会の鉱山じゃないんですよね?」
「誰の鉱山だろうと関係ありません。そもそも、今回の事故の件が片付かない限り、うちの鉱山での掘削作業も止まったままですから、どうか、お願いします」
「分かりました、上手く出来るか分かりませんし、報酬については後で相談するとして、とにかくやってみます」
オルレアンさんからの依頼を承諾して、とりあえず影の世界へと潜りました。
「フレッド、鉱山へ案内して」
『了解……こっち……』
まずはフレッドに、ロベーレ商会の鉱山までの道案内を頼みました。
影の中から覗いてみると、坑道の入口には多くの人が集まっていて、中には涙ぐんだ目でジッと坑道を見詰めている女性の姿もあります。
それでは、ここから意識だけを飛ばして取り残された人を探しましょう。
「じゃあ、ちょっと行ってくるから、身体をお願いね」
「わふぅ、任せてご主人様」
「ネロに寄り掛かっておくと良いんだにゃ」
珍しくネロが積極的というか、それって動かなくて良い口実が欲しいんじゃないの?
まぁ、それでも最高の寝心地のネロのお腹に寄り掛かり、意識だけを坑道へと飛ばしました。
ロベーレ商会の鉱山は、いかにも昔ながらの鉱山といった雰囲気でした。
剥き出しの岩肌に、二メートル四方程度のトンネルが掘られ、所々には木組みによる補強がなされています。
坑道のあちこちには分岐を兼ねた広いスペースがあり、そこへ向かって地中から手押し車に石を載せた屈強な男達が次々に上がって来ます。
坑道は、螺旋状のスロープを形作り、下へ下へと伸びて行き、百メートルほど下った所で崩落によって塞がれていました。
隆々と盛り上がった筋肉に汗を滴らせながら、男達が掘削を進める先へと潜り、取り残された人達を探します。
星属性の魔術によって意識だけを移動させているので、硬い岩盤の中へも自由に入って行くことが可能です。
ですが、潜った途端、方向が全く分からなくなってしまいました。
岩盤に閉じ込められたのと同じ状態なので、前後、上下、左右、どこを向いても真っ暗闇で全く見渡す事が出来ません。
少し進んだ所で、どこへ向かって進めば良いのか、地上がどちらの方向かすら分からず、軽いパニックになってしまいました。
勿論、こんな状態で身体を召喚しようものなら大変な事になってしまいます。
ドキドキする心臓を……と言ってもここにはありませんが、深呼吸で静めて意識を身体に戻すようにイメージしました。
「ふぁ! 良かった、戻って来られた。はぁはぁ……」
『ケント様、どうなされました?』
「岩盤に潜ったら全く方向が分からなくなって、どうなるかと思ったよ」
『なるほど……確かに開けた場所とは違って見通しは利きませんからな。しかし、困りましたな』
「うん、ちょっと方法を考えないと難しいかな」
『それではケント様、土属性の魔術を使って、地中の探査を試みてはいかがです?』
「地中の探査?」
『はい、オルレアン殿が話しておられましたが、土属性の術士の中には地中の鉱脈を探査する者がおります。その原理を使えば、埋まった先の坑道の位置が分かるのでは?』
「なるほど、やってみる価値はあるね」
影の世界から岩盤の中へと入口を開き、そこに両手を当てて内部を探ります。
イメージとしては、帰還作業で属性奪取を行った時に、相手の身体の中を探った感じです。
どうやら、こちらの世界では土や石の中にも魔素が含まれているらしく、それを辿って広げていくと、崩落した坑道の先が見つかりました。
「見つけた。どうやら埋まっている先にも坑道が続いていて、空間はありそうな感じだよ」
『取り残された者達はいかがです?』
「坑道の形は分かったけど、そこに人が居るかまでは分からない。だから、もう一度潜って行ってくる。大体の方向さえ分かれば、何とか辿り着けそうだよ」
頭の中に、探査した坑道の構造を記憶して、再度、星属性の魔術で意識を飛ばしました。
真っ暗闇の中を手探りで進んで行くのは、闇属性の適性を得て、夜目が利くようになったので本当に久しぶりです。
ともすれば恐怖感でパニックに陥りそうになりますが、ちゃんと身体に戻れると分かっているので、ゆっくりと着実に坑道を目指しました。
感覚的には、歩く程度の速度で進んだので、埋まった先の坑道に辿り着くまでに五分程度の時間を要しました。
辿り着いた坑道の中には、悲惨な光景が広がっていました。
落石に押し潰され息絶えている人、血塗れで倒れてピクリともしない人が数名、落盤の現場の近くに横たわっています。
その先に進むと、取り残された人達が身を寄せ合って集まっていました。
魔道具の明かりに照らされた表情は、どの顔も疲れきっているように見えます。
幸い、近くの岩盤からは地下水が滴っているようで、水分は確保出来ているようですが、食料があるようには見えません。
取りあえずの状況と、生存が確認出来たので、一旦身体へと戻ります。
「ただいま、見つけたよ。生存者も確認出来たから、デュカス商会へと戻ろう」
『デュカス商会へ……ですか?』
「うん、坑道へ残されている人達は、送還術で地上まで送ることになるから、そのための場所を確保する必要があるからね」
『なるほど、確かにその通りですな』
急いでデュカス商会へと戻り、オルレアンさんに事情を説明しました。
「ここへ送る? そんな事が可能なんですか?」
「坑道の近くに送っても構わないのですが、一度に全員を送還出来ないかもしれませんし、その場合、人が集まって来てしまうと次の送還が出来なくなりそうなので……」
「分かりました。それでは、うちの中庭を使って下さい。こちらです……」
オルレアンさんに案内された中庭は、バスケットコートほどの広さがありました。
ここならば、安全に送還出来そうです。
影の空間に置いてあった闇属性のゴーレムを設置して、送還の準備を整えました。
「オルレアンさん、このゴーレムを並べた内側には、絶対に立ち入らないで下さい。もし立ち入った場合には命の保証は出来かねます」
「わ、分かりました。誰も立ち入らないように、私が責任をもって見張っています」
「お願いします」
まぁ、実際には眷族のみんなに見張ってもらってるけど、表に姿を見せると騒動になりかねないので、オルレアンさんにお願いしておきました。
受け入れの準備が整ったので、今度は影移動を使って取り残された人達の所へ移動しました。
星属性の魔術を使って訪れた場所にも、問題なく影移動は可能でした。
取り残された人達から、二メートルほど離れた場所に闇の盾を出して坑道へ踏み込むと、むぁっと澱んだ空気が酷い臭気と共にまとわり付いてきます。
「皆さん、こんにちは……あぁ、立たないで下さい」
「だ、誰だ、どこから入って来たんだ」
「僕はヴォルザードのSランク冒険者、ケントと言います。これから皆さんを送還術で地上へと送ります」
「本当か! 助かるのか?」
「おぉぉぉ……助かった、助かった!」
「静かに! すみません、ちょっと聞いて下さい」
ヨロヨロと立ち上がり喜びの声を上げようとする人達に向けて、声を張り上げました。
「すみませんが、喜ぶのは地上に戻ってからにして下さい。送還術は危険を伴いますので、話を聞いて下さい」
「わ、分かった。どうすれば良いんだ?」
「送還術は、僕が認識した特定の範囲の物を別の場所へと送る魔術です。もし、その範囲からはみ出してしまった場合、手でも足でも胴体でも、スッパリと切り離されてしまいます」
首に手刀をあてて、切り落す仕草をして見せると、取り残された人々はゴクリと唾を飲み込みました。
「まず、送還する前に確認させて下さい。取り残された方は、ここに居る方で全員ですか?」
「そうだ、落盤のあったその先から、掘削の現場まで確かめたが、ここに居る三十八人で全部だ。他は……残念ながら岩の下敷きだ」
「分かりました。では、二つのグループに分けて地上に送ります。こちらから二十人、後ろ側十八人に分かれてもらえますか?」
「分かった。一、二……ホセまでが二十名だ。そこで分かれてくれ」
「おい、俺達を置いていくつもりじゃ……」
「そんな事はしませんよ。すぐに送りますから心配要りません。先ほども言いましたが、送還が終わるまでは絶対に動かないで下さい。そして、地上に出たと確認したら、その場から移動して下さい。次の十八名を受け入れるために場所を空けて下さい。いいですね?」
「わ、分かった。よし、全員座れ、動くなよ、絶対に動くな」
全員がその場に座り直し、動かなくなった事を確認して、送還術を発動しました。
「送還!」
「おぉぉぉぉ……」
坑道の床と壁を少し削りながら、二十人が姿を消すと、驚きの声が上がりました。
「マルト、ミルト、ムルト、ゴーレムがちゃんと置かれているか、全員が範囲から出たか確認して来て」
「わふぅ、分かりましたご主人様」
ひょっこり顔を出したマルト達が、すぐに影に潜って姿を消すと、残った十八人は目を丸くしていました。
「すまない、今の何なんだ?」
「僕の眷族のコボルトですよ。今、あちら側の状況を確認してもらっています。場所が空き次第送ります」
「そうか、ありがとう。正直もう諦め掛けていたんだ」
「お礼は、地上に戻ってからにしましょう」
「そうだな、その通りだ……」
それでも話し掛けてきた人は、喜びを抑えきれないようで口元をほころばせています。
「わぅ、ご主人様、準備できたよ」
「ありがとう。では、残りの皆さんを送還します。そのまま動かないで下さい……送還!」
第二陣となった十八名も、最初の二十人と同様に坑道から姿を消しました。
「これで良しと……さぁ、僕らも戻ろうか」
『ケント様、救出作業を行っている者達にも声を掛けておかれた方がよろしいのでは?』
「そっか、それもそうだね」
救出作業の最先端へは、先程、星属性の魔術を使って見に行っているので、影の空間経由で移動が可能です。
掘削の最前線では、先程と同様に屈強な男達が、岩盤と格闘を続けていました。
作業の邪魔にならない側面に、闇の盾を出して顔を出しました。
「お忙しいところ、すみません」
「うわぁ、何だお前! 何者だ!」
「僕はヴォルザードのSランク冒険者、ケントと言います。デュカス商会のオルレアンさんの依頼で、坑道の奥に取り残されていた三十八名を地上まで送り届けました」
「何だと! 本当か!」
「はい、送還術を使う都合で、デュカス商会の中庭に送りましたので、こちらの作業は中断してもらって結構ですよ」
「その話、信用しても大丈夫なのか? 嘘じゃないだろうな?」
「まぁ、嘘だと思うなら掘り続けてもらっても結構ですよ。ちゃんと伝えましたからね。では……」
「お、おい、ちょ、ちょっと待て……」
いやいや、待っても押し問答になりそうだし、面倒だから待ちませんよ。
デュカス商会の中庭へと戻ると、送り届けた男達が抱き合って喜びを爆発させていいました。
「地上だ! 間違いねぇ、空がある!」
「助かった、助かったんだぁ!」
男達が上げる叫び声を聞いて、商会の中からも大勢の人が集まって来ています。
では、そろそろ僕も……
『お待ちくだされ、ケント様』
「えっ、どうかしたの、ラインハルト」
『あの輪の中に加わるのですかな?』
「うっ……確かに」
中庭には、汗と脂と土埃に汚れきったガチムチな男達が、身体をぶつけ合うようにして叫んでいます。
うわぁ、オルレアンさんが揉みくちゃに……これは、少し待った方が良さそうですね。
興奮した男達が、ラコルさんの案内で中庭から移動し、ようやく解放されたオルレアンさんと、救出は一人あたり一万ヘルト、二日後にシビルさんの治療に再訪することを約束して、ヴォルザードへと戻りました。
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