第227話 宴の罠
宴の会場は円形のドーム状で、皇族が座る一段高くなった舞台に向かって、五十人程が向かい合わせに座った列が三列、三百人を超えるであろう人が参加しています。
舞台の中央には、僕とセラフィマが並んで座り、皇帝コンスタンと皇妃リサヴェータが両脇に並んでいます。
これって、まるで結婚式の披露宴みたいじゃない?
「皆の者、待たせたな。これより祝いの宴を始める。この中には、ライネフで共に戦い見知っている者も居るだろうが、セラフィマの隣に座っている男がケント・コクブ、ギガースを退けてバルシャニアを守った男だ」
「おぉぉぉぉぉ……」
コンスタンさんの言葉に参列した人々からどよめきが起こったのですが、宴の開始を告げた時の熱狂的なものとは違い、戸惑うような、疑うような響きが混じっています。
まぁ、遠くから見ても僕は筋骨隆々には程遠いですし、背も高くありませんからね。
居並ぶ屈強な皆さんの目には、さぞや頼りなく映っているのでしょう。
「既に聞いている者も居るだろうが、セラフィマは今月の十六日、安息の曜日にグリャーエフを発ってケント・コクブへ嫁ぐことになっている」
「おぉぉぉぉぉ……」
いやいや、僕が聞いていないんですけど、いつの間に決まったんですか、その予定。
「バルシャニアは、ケント・コクブとの縁を深め、平和の下で発展する道を進む。新しい年と慶事を祝し、今宵は大いに飲み、大いに食らい、大いに楽しむが良い! さぁ、杯を掲げよ、バルシャニアに栄光あれ!」
「バルシャニアに栄光あれ!」
参加者の皆さんと共に、ぐい呑み程度の大きさの杯を掲げて唱和し、一息に酒を飲み干しました。
うがぁ、ちょっとこれ、めちゃくちゃ強いじゃないっすか。
食道から胃の中まで、カッと火が点いたみたいに熱いです。
「さぁさぁ、ケントさん、どうぞ召し上がって下さいな」
「はい、ありがとうございます」
「母上、ケント様のお世話は私の役目ですよ」
「おほほほ、そうね、セラの仕事を取ってはいけないわね」
「はい、さぁケント様……」
えっ、この衆人環視の下でのアーンですか?
ちょっと、と言うか、かなり恥かしいんですが……断われないですよね
「あーん……むぐむぐ、んっ! 美味しい」
「お口に合ったようで何よりです」
セラフィマが食べさせてくれたのは、蒸した鶏肉のようでした。
しっとりとした舌触りで、ふわっと生姜とハーブが香り、臭みを消して旨みを増しています。
肉自体も良い物のようで、噛み締めるほどに深いコクが染み出してきました。
他の料理も素晴らしく、僕はあまり詳しくないのですが、中東風と中華風の良いところ取りという感じです。
「さぁケント様、お飲み物もどうぞ。こちらは先程とは違う酒です」
「うわっ、凄い良い香りがする」
「はい、祝い事の席で供される華酒です」
杯を口元に近づけると、ふわっと花の香りが漂います。
口に含むと、爽やかな果実酒の香りと味わいで、最後にもう一度花の香りが余韻として残ります。
絶品の料理、絶品の酒、しかも給仕してくれるセラフィマは絶世の美少女。
これで群衆の晒し者になっていなければ言う事無しなんですけどね。
バルシャニアの皇子達は、舞台正面に並んだ僕らの脇に、親族一同といった感じで座っていす。
その四人の皇子が示し合わせたように立ち上がって、僕らの正面へ歩いて来ました。
グレゴリエ、ヨシーエフ、ニコラーエ、スタニエラ、年齢順に並んだ皇子達は、それぞれの杯を手にしています。
「ケント・コクブよ。セラちゃんを泣かすような事があれば、ただでは済まさんからな」
「はい、分かっています」
「バルシャニアの発展に力を貸してくれ」
「はい、出来る限りの事はさせていただきます」
「俺は認めた訳では……祝福はしよう」
「ありがとうございます」
「何でお前のような……セラを大事にしろよ」
「分かってます」
口々に祝福なのか、怨嗟なのかと首を捻りたくなるような言葉を添えて、僕の杯に酒を満たし、逆に僕が杯を満たし、酒を飲み干しました。
華酒は、乾杯の時の酒に比べれば弱いお酒のようですが、それでも立て続けに四杯も飲まされると、ふわぁっと酔いが回ってきます。
「ケントさん、少し失礼いたしますね。」
「あっ、はい……」
「グレゴリエ、お願いね」
ここでリサヴェータさんが中座して、僕としては空席のままで良かったのですが、代わりに仏頂面のグレゴリエが僕の隣に座りました。
そして、リサヴェータさんが中座した直後、列席者に動きがありました。
一番左側の列に座っていた男達が一斉に立ち上がり、列をなして舞台に上がって来ます。
全員が杯を手にしていますし、列を待ち受けるグレゴリエの横には、酒器が用意されています。
これって、もしかして全員のお酌を受けないと駄目なんでしょうかね?
いくらぐい呑みサイズとは言っても、三百杯とか無理じゃないの?
「グレゴリエ様の下で軍務を統轄しておりますリューシンと申します。この度はおめでとうございます」
「あっ、ありがとうございます」
皇族以外の軍の筆頭らしい壮年のリューシンさんは、渋い笑みを浮かべながら並々と酒を注いでくれました。
こちらの華酒は、また少し違っているようで、花の香りが更に強く感じられます。
一人、二人とお酌を受けていくうちに、どんどん酔いが回っていき、身体が火照ってきました。
「ケント様、お料理もいかがですか?」
「うん……ふぅ、ふぅ、ありがとう、セラ」
甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるセラフィマからも、甘い香りが漂ってきて、何だか心臓がドキドキしてきます。
お酒の酔いが理性の箍を外そうとしているのか、セラフィマをギューっと抱き締めたいという思いがフツフツと湧き上がってきます。
『ケント様、少し自己治癒を使われた方がよろしいですぞ。この人数の相手は、流石に無理です』
『えっ、あぁ、うん、そうだね……』
忘れていましたが、自己治癒で二日酔いも治せたのですから、酩酊状態からは脱せられるはずです。
いきなり素面に戻ってしまったら、疑われてしまうでしょうから、完全には醒めない程度に自己治癒を使って酔いを軽減しました。
自己治癒を応用すれば酔いは軽減出来るのですが、軽減出来ないものが膀胱に着実に溜まっていきます。
こういう時って、何て言って中座したら良いんでしょうかね。
「す、すみません、グレゴリエさん、ちょっとトイレに行きたいのですが」
「ふむ、構わんぞ。あちらの扉を出た左手だ」
「どうも……あっ、皆さん、すみません……」
お酌をするために列を作っている皆さんにペコペコと頭を下げて歩き出した途端、腰砕けになって座り込みそうになってしまいました。
これは、もうちょっと自己治癒掛けておかないと駄目そうですね。
でも、フワフラした感じは嫌いじゃない……いや、むしろ好きなんですよね。
「ケント様、大丈夫ですか」
「あっ、大丈夫、大丈夫……」
よく酔っ払いに大丈夫かと聞くと、必ず大丈夫と答えるなんて聞きますが、今の僕がそんな感じなんですかね。
結局、セラフィマに支えてもらいながらトイレに向かいました。
「ケント様、あまりご無理はなさらず、飲んだ振りでも結構ですよ」
「そうなの? でも、それじゃ後の人が注げないよね」
「そこは、相手も注いだ振りをしますので大丈夫です」
「そう、なんら……あぁ、でも良い気持ち」
もう、フニフニっと柔らかくて、暖かくて、いい匂いがして、最高です。
宴会場から出て、トイレの手前に来たところで、ちょっと我慢が出来ませんでした。
「はぁ、はぁ……セラ……」
「ケント様、んっ……」
セラフィマをギューっと強引に抱き締めてしまいました。
頭の中に霞がかかっているようで、身体中の血液がお腹の下の方に集まって来ているようです。
「セラ……セラ……セラ……」
「ケント様、まだ宴の途中です……」
「でも、セラ……僕……」
「ケント様、また後ほど……」
スルリと僕の腕を解いたセラフィマに諭されて、トイレに入りました。
うん、もう色々と限界です。
このままでは、宴会場の舞台の上でセラフィマを押し倒してしまいそうで、用を足しながら強めに自己治癒を掛けました。
その甲斐あってか、気分がスッキリして、頭に掛かっていた桃色の靄も晴れた気がします。
この歳で、酔った勢いでつい……とかは拙いですもんね。
「ごめんね、セラ。ちょっと酔い過ぎていたみたい」
「大丈夫ですか、ケント様」
「うん、戻ろうか」
「はい」
宴会場へと戻り、また出席者からのお酌攻勢に立ち向かいました。
全員の顔と名前なんて覚えきれませんが、お酌してくれる人達はバルシャニアの軍事、政治の重要なポストの人ばかりした。
トイレに立った時点で、お酌が済んだ人は全体の三分の一にもなっていませんでした。
無理に飲まなくても良いと言われましたが、さぁさぁと勧められてしまうと、つい杯を空けてしまい、またフワフワと気分が良くなってしまいました。
隣に座っているセラフィマが、たまらなく魅力的に見えてしまい、気付けば腰に腕を回して引き寄せていて、自分でも驚きました。
これは拙いと思って、またトイレに立ったのですが、思考と肉体が分離してしまったようで、抑えが効かなくなっていました。
宴会場から廊下に出てすぐ、セラフィマを抱き寄せてしまいました。
「セラ……セラ、僕もう……」
「ケント様……駄目、ここでは……」
「はっ、ごめん……」
ほんの僅かに残った理性を繋ぎ止めて、トイレに駆け込みました。
国の重要人物が列席している宴会の最中なのに、僕は何を考えているのでしょう。
いくら酔っぱらっているとは言っても、見境いが無さ過ぎです。
先程よりも強力に、完全に酔いを冷ますつもりで自己治癒を掛けると、暴れ回っていた欲望がスーッと潮が引くように治まっていきます。
「はぁ……ん? あれっ?」
『どうされました、ケント様』
『これ、いくら何でも変だよね。ラインハルト』
酔いが醒めてきた途端に違和感を覚えて、思わず念話でラインハルトに話し掛けました。
『変と申されますと?』
『いくら酔っぱらったとは言え、エッチな気分になり過ぎる』
『ははぁ、ケント様、一服盛られていますな』
『一服って、毒?』
『いえ、毒では無いでしょう。おそらくは媚薬の一種ですな。列席者からお酌を受けたのは、皇妃殿が中座された後でしたな』
『あぁ、そう言えば、ちょっと花の香りが強くなった気がしたんだ』
列席者がお酌する酒に媚薬のような物が混ぜてあり、その作用でキスしたり触ったりするような事が無いように、リサヴェータさんが中座したのでしょう。
これは酔った演技をしながら、実際には全く酔っていないぐらいに自己治癒を掛け続けていないと、とんでもない事をしでかしそうです。
『いっそバルシャニアの策略に乗ってやれば宜しいのではありませぬか』
『いやいや、ヴォルザードに帰った後で、バレたらどんな恐ろしい事になるか……』
酔いを完全に醒ましてからトイレから出ましたが、急に素面になると疑われそうなので、セラフィマをギューってして、頬にチューってしちゃいました。
うん、このぐらいは許してもらえ……ないかなぁ。
酔っ払いの演技をしなが宴会場へと戻り、酔っぱらった振りをしながらお酌を受け続けました。
このお酒に混ぜられた媚薬はかなり強力なようで、分かっていても気を抜くと流されそうになります。
演技を続けながら、ずーっと自己治癒を掛けているような状態なので、かなりの疲労感が蓄積していきます。
トイレに立つ度に廊下に出たところで、ハァハァと欲情している振りをするのは、ちょっと楽しかったりします。
でも、セラフィマも少しずつだけど同じお酒を飲んでいるようで、目がトローンとしてきて、どんどん情熱的になって来て、これは媚薬に酔っていなくても我慢するのが大変ですよ。
列席者全員のお酌を受け終わった時には、殆ど酔っていませんでしたが、疲労感でぐったりでした。
「ほほぅ、全員の酒を飲み干したとは大したものだが、さすがに色々と限界だろう。セラ、今宵の寝所に案内してやれ」
「はい、父上……」
「おぉぉぉぉぉ……」
酔った振りをしている僕をセラフィマが支えて、宴会場を後にしようとすると、企みを知っている参加者からは怨嗟の声を含んだどよめきが起こりました。
と言うか、俺のセラちゃんとか言ってる奴、セラフィマは僕のですからね。
あれ、またちょっと酔ってるかな。
「ケント様ぁ……どうぞ、こちらへ……」
「あっ、うん……」
お酒と媚薬に酔っているらしいセラフィマは、普段は抜けるように白い肌が朱に染まり、気だるげな視線がとても色っぽいです。
案内されたのは離れの一室で、ソファーとテーブルが置かれたリビングを抜けた先に、大きな寝室がありました。
ベッドだけでも六畳間ぐらいの広さがあって、そのベッドが普通のサイズに見えるぐらいに広い寝室です。
「ケント様、酔い醒ましのお水です……」
「ありがとう」
セラフィマが、サイドテーブルに置かれた水差しから、冷たい水をカップに注いでくれました。
冷たい水が喉から胃に下って行くのが心地良く感じますが、この濃密な花の香りはいけませんよね。
セラフィマも、自らカップに注いだ水を覚悟を決めるように一息で飲み干しました。
「ケント様、お慕いしております」
「セラ……」
全てを委ねるように身体を預けてきたセラフィマと抱き合いながらベッドに倒れました。
セラフィマを強く抱きしめ、治癒魔術を発動します。
自分もセラフィマも、媚薬の効果から解放するために。
「これは、ケント様?」
「悪酔いは醒めたかな?」
「いつから気付いていらしたのですか?」
「んー……二度目にトイレに立った後ぐらいかな」
理性の色を取り戻した瞳で、セラフィマがジッと僕を見詰めて来ました。
「私では、お嫌ですか……?」
「ううん、そうじゃない。セラはとっても魅力的だよ」
「では、どうして……」
「僕が嫌なんだ。媚薬で理性を奪われて、獣みたいに本能のままに、その……するのは嫌だったんだ」
「そうですか。正直に申し上げて、二度目にトイレに立たれた時のケント様は、恐ろしいと感じていました」
「やっぱり……」
「はい、目が血走っておられて、あのまま廊下で押し倒されてしまうかと……」
「うん、実際思い返してみても、けっこうヤバかったと思う」
まだ僅かに理性が残っていたのと、経験が無いからどうして良いのか分からなかったから止まれたのでしょう。
もし女性との経験があったならば、あのまま凶行に及んでいた可能性が高いです。
「母上が、少し焦っておられたような気がします」
「そうなの? でも焦る必要なんて無い気がするけど」
「ケント様は、ご自身で思っておられるよりも周囲の者からは重要視されています。お一人でギガースを三頭も討伐出来る方は、どこの国を探してもいらっしゃらないはずです」
「あれは、僕だけの力じゃなくて眷族のみんなも協力してくれたから……」
「眷族の活躍もケント様がいらしてこそですし、それだけの力をお持ちであれば、財力に困る事もありませんよね」
「まぁ、お金にはあんまり不自由はしてないかな」
「母は、利によって動かせないケント様は、情で動かすしかないと思っているようです」
「だから、僕とセラフィマとの関係を急いだのか」
「はい、申し訳ございませんでした」
それは良いとして、ずっとセラフィマと抱き合ったままなんだよね。
一応媚薬の効果は抜けているはずなんだけど、吐息が掛かりそうな距離で、何だかドキドキしてきちゃいます。
「ケント様……」
「は、はい、何でしょう」
「今夜は、お泊りいただけますか?」
「えっと、その、そういう行為は輿入れが済んでから……なら」
「では、お休みになられる前に、汗を流されてはいかがですか?」
「あー……どうしようかなぁ」
「ふふふ、お世話役はおりませんし、湯の温度も高くはありませんよ」
「それならば安心……って、知ってたの?」
「婚礼前に身を清める儀式だと聞いております」
「僕は治癒魔術が使えたから良いけど、あれ、普通の人だと拷問レベルだと思うよ」
「まぁ、それは失礼いたしました。後で父上にお灸を据えないといけませんね」
くっそぉ、あれは皇帝コンスタンの差し金だったのか。
セラフィマに案内してもらった湯殿は、銭湯ほどは広くありませんが、大人が三人ぐらい身体を伸ばして浸かれそうな広さがありました。
宴会の席で結構汗をかいたので、掛け湯をしてから湯船に浸かりました。
先程の熱湯風呂とは違って、すこし温めのお湯に身体と心の疲れが溶け出していくようです。
湯船の縁に頭を預けて目を閉じていると、眠ってしまいそうです。
「失礼いたします……」
「えっ?」
浴室の入り口が開く音がして、声の方へと目線を向けると、湯浴み着姿のセラフィマが入って来ました。
「えっ、ちょ……」
「一緒に湯に浸かるのも駄目でしょうか?」
「いや、それは、構わないけど……」
「では、失礼いたします」
セラフィマが掛け湯を浴び始めと、湯浴み着が濡れて……目のやり場に困ってしまいます。
「失礼いたします……」
「えっ、えぇぇ……」
ふっとイタズラっぽい笑みを浮かべたセラフィマは、僕の目の前で身体の向きを変えて湯に浸かると、背中を預けて寄り掛かって来ました。
「ケント様、殿方の我慢は身体に良くないと聞きますが……」
「いやいや、駄目駄目……」
「そうですか。私は心の準備は出来ておりますので」
「ふひゃぁ! いや、駄目、今日は駄目……」
油断していたら、セラフィマに尻尾でお腹を撫でられて、変な声が出ちゃいました。
と言うか、この後同じベッドで眠るんだけど、僕の理性は耐え切れるのでしょうか。
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