第219話 空振り

 もうすぐ新年を迎えようという時期、リーゼンブルグ北部の山間部は、夜になるとぐっと気温が冷え込み、凍えるほどの寒さです。

 数日前に降ったらしい雪が周囲を白く染め、空に浮かんでいる月さえも寒々しく輝いて見えました。


 そんな冷え込む夜なのに、山間の集落シロンでは赤々と篝火が焚かれ、多くの騎士が警備の目を光らせています。


 最後の襲撃から三日、これまでのペースが守られるならば、アンデッドを使った襲撃が予想されるとあって、王都から派遣された騎士達が守りを固めているのですが、とにかく寒い。


 相応の防寒装備を調えてはいても、じっと立っていると足元から深々と冷え込んできて、つま先が痛くなってくるのでしょう。

 多くの騎士達が篝火の近くに集まり、しきりに足踏みを繰り返していました。


 そうした光景を、僕は影の空間から覗き見しています。

 幸いな事に、僕のイメージが反映されるからか、こちらの空間には寒さは侵入してきません。


 シロン以外の集落にも、王国騎士団や領地の騎士が配属されて守りを固めていて、それらの集落にはコボルト隊を派遣して監視を行っています。

 もし別の集落に襲撃が行われても、影の空間経由で駆けつける予定です。


「なかなか姿を現さないね」

『この気温ですから、相手も襲撃を躊躇っておるのかもしれませんな』

「でも、こちらとしたら襲撃の可能性がある限りは守りを固めるしかないよね」

『いかにも、その通りです。たとえ空振りに終ったとしても、守るという姿勢を示すことが民衆の信頼に繋がります』


 まだ国王の死去に関しては、正式な発表はなされていませんが、噂としては広がり始めているようです。

 それは同時にカミラが次期国王に就くという噂でもあり、こうした政策がなされるか否かが、これからの期待度に大きな影響を及ぼす事になるのでしょう。


「バステン、街の評判とかは、どんな感じなの?」

『はい、やはりアンデッドの襲撃に関しては、魔王の手によるものだという噂があります。その一方で、迅速に騎士が派遣された事に対しては好意的な意見が広がっています。これまでは、何か起こったとしても王国から手当てが行われる事は殆ど無かったようです』

「それじゃあ、アーブルの狙いは外れて、むしろカミラの株を上げただけなのかな?」

『今の所は、そのような状況です』

「やっぱり、アーブルは追い込まれて手詰まりの状況なのかな?」

『そうかもしれませんが、油断は禁物です』

「そうだね、気を引き締めていこう」


 一番襲撃の可能性が高いシロンの近くで待機を続けたのですが、夜半近くになっても何事も起こりません。

 今日も朝からバルシャニアに行き、ヴォルザードに戻って来てから送還術による帰還を行い、アクシデントに対処、それからシロンまで出向いて来ています。


 移動こそ影移動を使っているので、疲れの原因にはなっていませんが、一日動き回った疲労が徐々に圧し掛かって来ます。

 影空間の中で、手頃な箱に腰を下ろしているのですが、気を抜くとカクっと首が落ちそうになります。


『ケント様、少し休まれた方がよろしいのでは?』

「うん、でも、どのタイミングで襲撃が来るのか分からないし」

『それならば、尚更今のうちに休まれておいた方がよろしいですぞ』

「そうか、じゃあ、ちょっと横にならせてもらおうかな、動きがあったら起こして」

『了解ですぞ』


 襲撃が起こるまで、ちょっと間だけ仮眠するつもりでネロのお腹に寄りかかると、途端に眠りに引き込まれてしまいました。

 マルト達も一緒なので、フカフカのモフモフで、風邪を引く心配もありません。


 そのまま、ぐっすりと眠り込んでしまい、ラインハルトに起こされるまで一度も目を覚ましませんでした。


『ケント様、ケント様……』

「う、うーん……ラインハルト? はっ、そうか、アンデッドが来たんだね?」

『いいえ、すでに夜が明けておりますが、どこの集落にもアンデッドによる襲撃は行われなかったようです』

「えっ、そうなの?」

『はい、範囲を広げて襲撃が行われなかったか確認させておりますが、今のところは何処からも襲撃の報告は入って来ておりません』

「なんでだろう……やっぱり警備が行われたからかな?」

『その可能性が高いですが、相手の魔術士の体調が整わなかった可能性もありますな』

「そうか、ブースターを使ってる可能性が高いんだもんね」


 これまでに行われた二回の襲撃で使われたアンデッドの数からすると、アーブル子飼いの闇属性魔術士はブースターを使って魔力を補いながら事件を起こしていると考えられています。


 僕もブースターを使った経験がありますが、殆ど身体の自由が利かない状態が三日間も続くのですから、肉体的にも精神的にも大きな負担となります。

 それを立て続けに二度も行ったのですがから、体調を崩していても不思議ではありません。


「じゃあ、この年越しの期間中を狙って来るのかな?」

『襲撃の効果を考えれば、その可能性は十分にありますな』

「ホント、人の迷惑を考えないよねぇ……」

『それだけアーブルが追い詰められているとも言えますが、あちらの立場で考えてみるならば、当然の作戦かと思われますな』


 現在の状況を野球に例えるならば、10点差を付けられて9回裏の攻撃を残すのみといった感じでしょうか。

 アーブルにしてみれば、乱闘騒ぎを起こして相手のピッチャーを無理やり降板させるぐらいの何でもありの状況でしょう。


 カミラにしてみれば、勝利はほぼ手中に収めたので、可能な限り消耗は抑えて、これからの戦いに備えたいところでしょう。

 とは言っても、まだ勝敗が確定した訳ではないので、先日のカミラ暗殺未遂のような事態が起こらないとも限りません。


「年越し期間を狙うかぁ……ねぇ、ラインハルト」

『何ですかな』

「年越し、年明けの王都アルダロスって、どんな感じ?」

『王都ですか? 王都は……』


 ラインハルトは腕組みをして考えに沈みました。

 もしかすると、僕と同じ心配をしているのかもしれません。


『ケント様、例年通りだとすると、少々拙いかもしれませんぞ』

「拙いって、何か問題でもあるの?」

『はい、年明けの日の正午に、王城の一部が市民に開放されます』

「開放って、市民が自由に王城の中に入れるってこと?」

『その通りですぞ』


 これは皇居の新年一般参賀みたいな感じでしょうか、だとすれば警備次第ではありますが、テロリストが入り込む可能性を排除できません。

 市民が大勢訪れた王城で騒動が起こったら、その対処には大勢の騎士が必要になりますが、その騎士達はアンデッドによる襲撃の対処に駆り出されてしまっています。


「うん、そっちの方が本命と言う気がしてきた。一旦王城へ戻ろう」


 各集落へのコボルト隊の配置は維持したままにして、シロンはバステン、クージョはフレッドに見張ってもらいアルダロスの王城へと移動しました。


 カミラは朝の鍛錬を終えて、シャワーを浴びている最中でしたので、リビングのソファーで待つことにしました。

 えっ、の、覗いてなんかいませんよ、ホントダヨ……。


「ま、魔王様、おはようございます」

「うん、おはよう。もうすぐ知らせが届くだろうけど、襲撃は無かった」

「本当でございますか……」


 いつもの騎士を模した服装に着替えて戻ってきたカミラは、僕が居ることに驚き、続いて襲撃が無かったと聞いて更に目を見張りました。


「カミラ、明日の年明けの日、王城の一部を市民に開放するんだよね?」

「はい、例年の行事として、前庭までの一角を市民に開放して自由に……まさか、狙いは王城……」


 部屋付きのメイドさんにお茶の支度を頼み、僕と向き合うように腰を下ろしたカミラは、話を聞いて王城襲撃の可能性に気付いたようです。


「その可能性が高いんじゃないかと思ってるんだけど、警備の体制とかは万全なの?」

「警備は例年通りに行うように申し付けてありますが……」

「それって、襲撃を想定したものになっているのかな?」

「いいえ、これまでに騒動を起こすような者はおりませんでしたので、形ばかりの警備になっているように思います」

「それを、襲撃に対応出来るものに変えるとして、人員は足りるかな?」

「分かりません。ですが、大規模な襲撃が行われるとしたら、人員が不足する恐れがあります」

「まだ時間はある。すぐに警備体制の見直しをしよう」

「魔王様、朝食はお済ですか?」

「いや、さっき仮眠から起きたばかりだから……」

「では、朝食支度をさせますので、その間に汗を流されてはいかがでしょう?」

「あー……そうさせてもらおうかな」


 王城の広い湯船の誘惑に負けて、マルト達と一緒に朝風呂を楽しんでしまいました。

 マルト達を泡だらけにしたら、一斉に擦り寄られて、モフモフスポンジで逆に洗われました。


 頭をタオルで拭きながらリビングへ戻ると、カミラの他に騎士団長の姿があります。


「おはようございます、騎士団長」

「これはこれは魔王様、昨夜はお楽しみでしたか?」

「はぁ、昨夜はシロンの近くで、ずっと待機してましたよ」

「これは……知らぬとは言え失礼いたしました」

「昨夜、アンデッドの襲撃が行われなかった事は?」

「はい、カミラ様から伺いました。それに、王城襲撃の可能性についても失念しておりました」

「それで、当日の警備の体制はどうなっていますか?」

「はい、襲撃に備えると言うよりも、王城内で市民が迷わないように案内を行うのが主な役目で、警護に関しては余り考えておりませんでした」

「人員は?」

「正直に申し上げて、万全を期すには足りないかと……」


 王城の警護を行う者としては、いささか杜撰と言わざるを得ませんが、アンデッド対策との両面作戦を強いられた結果ですから仕方が無いのかもしられません。


「アンデッド対策に割り当てている騎士を、こちらに振り分ける事は可能かな?」

「人数だけを考えるのであれば可能ですが、シロンやクージョからでは移動が間に合いません」

「確か、シロンとクージョには二百名ずつの騎士を派遣しているんだよね?」

「はい、その通りです。せめてその半分ずつでも呼び戻せれば、こちらの守りも厚く出来るのですが……」

「分かった。その二百人は、僕がここに送還するから命令書を書いて」

「はっ? 何と仰いましたか?」

「僕が送還術を使って、シロンとクージョから王城まで送り届けるから、僕の指示に従うように命令書を作って」

「送還術……そのような事が本当に可能なので……おおぉ!」


 手元にあった朝食の皿を目の前に送還術で移動させると、騎士団長は驚愕の表情を浮かべました。


「畏まりました。配置変更の命令書を作成いたします」

「それで、王城の警備体制だけど、どう変更するつもりなのかな?」

「それなのですが、何しろ前例の無い事でして……」

「それならば、新たに考えるしかないか。問題は、どうやって襲撃者を王城に入れないようにするのか、入れてしまった場合、いかにして被害を最小限に食い止めるかの二点だよね」


 これまでの警備体制では、入場に際しても騎士が見守ってはいても、手荷物などの検査などは全く行われてこなかったそうです。

 王城内部でも、市民が迷い込みそうな場所に騎士を配置し、誘導を行う程度だったようです。


 そこで今回は、水堀を渡る橋とその手前の二箇所に検問所を設けて、武器などの不審物の持ち込みを徹底的に検査する事になりました。


「僕は王城が公開される様子を見たことが無いけど、かなりの人数が来るんだよね?」

「はい、王城内部で足を踏み入れる機会は、この年明けの日ぐらいのものなので、多くの市民が足を運びます」

「それじゃあ、混乱が生じないように、騎士以外の職員も使って検査がスムーズに行えるようにしないとだね」

「それでも混乱は避けられないと思いますが……」

「それなら、理由を集まった人達に説明して、検査は市民の安全確保が目的だと理解してもらおう」

「畏まりました」


 王城の内部については、必要以外の場所に入り込めないように壁を築きます。

 言うなればバリケードのようなものですが、全てを騎士の配置によって対応しようと思っていたらしいカミラにとっては意外だったようです。


「壁を作ってしまうのですか?」

「土属性の魔術を使えば、大した作業じゃないはずだし、用が済んだら撤去すれば良いんだよ」

「なるほど、当日は不要な建物への出入り口なども塞いでしまえば良いのですね?」

「そうそう、それならば配置する騎士の数も減らせるし、何か仕掛けようと思っても建物に入るのに時間が掛かるから発覚しやすいでしょ。場所を指定してくれれば、僕の眷族にも手伝わせるよ」

「よろしくお願いいたします」


 この他にも、日本のイベント警備を頭に思い浮かべながら、人の流れを一方通行にするとか、トイレへの動線を作るとか、非常時の対応、予備の人員の配置などを朝食を食べながら詰めていきました。


 そもそも、日本ではイベントで騒いだとしても警備担当に拘束されるだけですが、リーゼンブルグではその場で処刑されたとしても不思議ではないそうで、一般市民が暴れるような状況は想定されていないようです。


「なるほど、魔王様の世界とリーゼンブルグでは、警備に対する考えにも違いがあるのですな。いや、おかげ様で万全な体制が構築出来そうです」

「では騎士団長、後は騎士達を送還すれば大丈夫だね」

「はい、命令書を作成してまいりますので、暫しお待ち下さい」


 騎士団長が退室して行くと、給仕を担当する人が控えてはいますがカミラと二人で向かい合う状況になりました。


「あの、魔王様、年越しの御予定は……」

「今日の夕方からは、ヴォルザードの領主クラウスさん主催のパーティーに出席する。その前に、唯香の家族を迎えに日本まで行かなきゃいけないし、明日の夕方からはバルシャニアの宴にも顔を出さなきゃいけないんだ」

「そうでございますか……」


 クラウスさん主催のパーティーの話には納得といった表情を見せていたカミラですが、唯香の家族やバルシャニアの名前を聞くと表情を曇らせました。


「ハルトにはカミラの近くに待機してもらうし、襲撃の情況次第では応援に来るつもりだよ」

「本当でございますか?」

「勿論、大勢の市民が集まった中で騒ぎが起きれば、多数の怪我人が出る事が考えられるのだから起きない方が良いに決まっているけど、もし起こってしまった場合には協力は惜しまないつもりだよ」

「ありがとうございます、魔王様」


 カミラは、すっと席を立つとテーブルを回り込んで来て、僕が座る椅子の横に跪いて頭を下げました。


「魔王様、私は年明けの日に父の退位と王位の継承を市民に知らせるつもりでおります。未だにアーブル・カルヴァインを捕縛できていない情況では時期尚早かとも思いましたが、王位が定まらない情況が長く続くようでは王国の道筋も定まっていかぬと思い決断いたしました。ですが、この身に王の責務が果たせるものか、正直に申し上げて大きな不安も感じております。我が身の全てを捧げて忠誠をお誓いいたします。どうか御力添えを賜れますよう心よりお願い申し上げます」


 深く下げた頭を戻した時、カミラの表情には決意と共に大きな責任を抱える不安の色が浮かんでいました。

 救いをもとめるように揺れ動く潤んだ瞳に見詰められ、気が付くとカミラを抱き締めていました。


「魔王様、お慕いしております……」


 耳に感じる熱い吐息のような囁きに応えるように、互いの存在を溶け合わせるよう力を込めて抱き締めました。

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