第210話 手に入れた属性

 日が西に傾き始めた守備隊の訓練場には、加藤先生達が僕を待っていました。

 委員長にマノン、千崎先生、そして金髪の女子が一人。


 改めて顔を眺めてみると、一年生の時に同じクラスだった綿貫早智子さんでした。

 入学当初から、ちょっと不良っぽくて大人びてはいましたが黒髪でしたから、何だかちょっと荒んだ感じがしますね。


「加藤先生、帰還させるのは綿貫さんですか?」

「そうだ、おい綿貫、国分が来たんだ、早く準備しろ」

「はーい……」


 やる気の無さそうな返事をして、詠唱を始めた綿貫さんを加藤先生は苦々しげな表情で見守っています。

 少し離れた場所で魔力消費のために魔術を使い続ける綿貫さんには聞えないように、小声で理由を訊ねてみました。


「あの……何かあったんですか?」

「素行不良だ。詳しくは言えん」


 同じく小声で答えた加藤先生は、眉間に皺を寄せて綿貫さんを睨み付けています。

 もしかして、本人の意思ではなく、先生達の指示での強制帰還なんでしょうかね。


 気だるげに詠唱し、魔術を使い続ける綿貫さんは、なかなか魔力量が多そうに見えます。

 それでも一時間近く、ぶっ通しで魔術を使い続けると肩で息をするようになり、形成される水球の大きさも小さくなってきました。


「もう無理、ダルっ……」

「国分、良いか?」

「はい、始めましょう」


 綿貫さんは、ダラダラと踵を引き摺るように歩いて来て、地面に広げたシートの上に足を投げ出すようにして座りました。


「ねぇ国分、魔力の奪取に粘膜接触が必要ならさ、キスより気持ち良いことしてやろっか?」

「えっ、キスより……?」

「そんなの決まってんだろう。もしかして浅川とはまだなのか? 」

「綿貫、ふざけてるんじゃない! 国分、早くしろ!」

「うっさいなぁ……国分も頑張ってんだろう、ちょっとぐらい御褒美あっても罰は当たらないんじゃないの?」

「綿貫!」

「はいはい……分かりましたよ」


 加藤先生に怒鳴り付けられても、綿貫さんは平然としています。

 こちらの世界に来てから、何かあったんでしょうか。


「国分、さっさと始めろ!」

「は、はい……じゃあ」

「ごめんねぇ、浅川さーん、ちょーっと国分借りちゃうねぇ」


 ちょっと、やめてくれないかなぁ、夜叉が……委員長が夜叉と化しちゃうからさぁ。

 隣に膝をついて身体を寄せると、綿貫さんから抱き付いてきます。


「ちょ、綿貫さ……んっ!」


 首の後ろに腕を回され、唇を強引に合わせられました。

 ほら、もう委員長が夜叉に……あれっ? なってませんね。


 むしろ悲しげというか、同情的な委員長の視線を感じつつ、魔力奪取を始めたのですが、吸い出す魔力に意識を集中した途端に違和感に気付きました。


「んーっ! ん――っ!」


 綿貫さんの肩をバシバシと叩いた後で、半ば強引に唇を引き離しました。


「ちょっと待って!」

「何だよ国分、あたしじゃ気に入らないってのかよ!」

「そうじゃない、そうじゃないけど……」

「何なんだよ」

「お、お腹に、子供が……」

「ちっ……」


 唇で繋がった綿貫さんの魔力を感じ、それを吸い出すべく隅々まで意識を伸ばしていったら、別の魔力の存在に気付きました。


「子供だと? 綿貫、お前妊娠してるのか?」

「うっさいなぁ……だったら何だよ。どうせ中絶すんだしさ、こっちじゃ手術とか出来ねんだろう? さっさと日本に帰せばいいじゃん」

「お前、父親は誰なんだ?」

「うっさいなぁ……そんなの手前に関係ねぇだろう」

「綿貫!」

「加藤先生、ちょっと待って下さい」


 激高する加藤先生を制して割って入った千崎先生が事情を聞き出そうとしましたが、綿貫さんは詳しい話をしようとはしませんでした。


「加藤先生、どうしましょう?」

「国分、今の状態では魔力の奪取は出来ないのか?」

「さぁ、こんな状況は初めてですし、赤ちゃんにどんな影響が出るのか分かりませんし、綿貫さん自身にどんな影響が出るのかも分かりません」

「危険があるのか?」

「元々日本人は魔力は持っていませんから、大丈夫な気もしないではないですが、絶対とは言い切れません」

「そうか……」


 加藤先生がゴミでも見るような視線を向けた先では、千崎先生の問い掛けが続けられていましたが、鋭く舌打ちした後で綿貫さんがキレました。


「うっせんだよ! 肝心な時に何も出来なかったクセに、今更教師面してんじゃねぇよ!」

「綿貫さん……」

「綿貫、貴様!」

「レイプされたんだよ、無理やり! 監禁した奴らに!」

「わ、綿貫、お前……」

「うるさい! この身体は汚されたんだ。何度も、何度も、何度も何度も……どうして助けてくれなかったのよ! こんな、こんな、こんな……」

『ラインハルト、眠らせて』

『お任せを』


 下腹部を握り拳で殴り付けていた綿貫さんは、グラリと身体を揺らすと、崩れるようにして眠り込んだ綿貫さんの身体を受け止めました。


「加藤先生、どうしますか? 多分この状態でも魔力の奪取は出来ると思いますが」

「そうか……ちょっと待ってくれ」


 加藤先生は、僕らから少し離れた場所で千崎先生と相談を始めました。

 僕らに聞えないように声を潜めているつもりなのでしょうが、地声の大きい加藤先生の話は丸聞こえ状態です。


「唯香は、その……知ってたの?」

「ラストックに居た頃は聞いてなかったけど、ヴォルザードに来てから噂は……」


 綿貫さんがラストックで暴行された話は、ヴォルザードに着いた後、同級生の間にジワジワと広まっていたそうです。

 噂が広まり、自暴自棄になった綿貫さんは、複数の同級生と関係を持っていたようです。


 噂は先生の耳にも届き、水属性であったので強制的な帰還が決まったそうです。

 話し合いは十五分ほど続いた後、千崎先生が折れる形で綿貫さんを帰還させる事に決まりました。


「国分、日本に帰してやってくれ。我々では十分なカウンセリングも出来ないし、綿貫が中絶を望んだとしても、こちらの世界では対応が出来ない」

「分かりました。じゃあ、属性の奪取をして日本に送り届けてきます」


 委員長に膝枕されている綿貫さんは、眠りながらも涙を流していました。

 ラストックの駐屯地で、同級生に過酷な待遇が与えられていたのは知っていましたが、まさか性的暴行まで行われていたとは考えていませんでした。


 加藤先生の決断には、厄介払いをしたいという思いもあるように感じてしまいますが、ヴォルザードにいるよりも日本に戻った方が良いかもしれません。


「健人、お腹の赤ちゃんは大丈夫かな?」

「正直、分からないけど、このままでは駄目だと思うし、日本の方が色々な対応が出来るもの確かだと思う」


 委員長と目線を合わせて頷き合ってから、綿貫さんに唇を重ねました。

 今度は状況を把握していたので、まず最初にお腹の赤ちゃんから魔力を吸い出してしまいます。


赤ん坊は風属性で、既に保持している属性だったし、魔力量も微量だったので、すぐに終りました。

 幸いにして、命に別状は無いように感じます。


 次に、綿貫さん自身の水属性の魔力を吸い出そうとしたのですが、こちらは持っていない水属性なので例によって難航したのですが、いつもと違って何かが変な感じです。


 水属性の魔力を吸い出すほどに、頭がグラグラとしてきて冷や汗が噴き出して来る所まではいつも通りなのですが、何だか体がビリビリしてきます。

 痺れは手足の先から全身に広がっていき、やがて激しい痛みを伴い始めました。


 まるで身体にノイズが走って、分解されてしまうような錯覚に陥ります。

 これまでとは違う、このままでは拙いのではと思いながらも、最近帰還作業を行っていなかった事や、これが最後の属性だと思うと魔力の吸出しを止められませんでした。


「……健人……丈夫?」

「ケン……無理し……で」


 委員長やマノンの心配そうな声も、まるで遠くのスピーカーから流れてくるようで、何を言っているのか良く聞き取れません。

 魔力の奪取が終わる頃には、身体中に刺すような痛みが走り始めていました。


 綿貫さんの身体の中から、最後の一滴まで魔力を吸い尽くした時、僕も限界を迎えてしまいまいた。


「んぁ……吸出しは……ごはっ!」

「健人!」

「ケント、しっかりして!」


 喉を押し上がってきた吐瀉物は、真っ赤に染まっています。

 自分が吐き出した血の海に突っ伏すようにして、僕は意識を失ってしまいました。


 断片的な記憶が流れていきます。

 授業中に居眠りをして怒られている場面。

 勉強しているかと聞かれ、父さんの前で立ち尽くしていた幼い僕。

 泣きじゃくる僕を慰めてくれたお婆ちゃん。

 召喚された荒野で、見上げた大きな月。

 襲い掛ってくるゴブリン。

 下宿でアマンダさん、メイサちゃんと食べる朝食。

 リーブル農園での日々。

 カミラのけしからん入浴姿。

 可愛いと言われてワタワタしているマノン

 ロックオーガを瞬殺していくスケルトン。

 委員長と二人で毛布に包まった夜。

 ペロっと唇を舐めるベアトリーチェ。

 土下座した頭を踏まれ、顔を突っ込んだ水溜り。

 オークの群れを屠っていくザーエ達と包囲するアルト達。

 背後から剣で貫かれた痛み。

 リーゼンブルグの馬鹿王子共の乱行。

 ネロのフカフカの尻尾。

 砂漠に浮かんだようなバルシャニアの街。

 巧緻な人形のようなセラフィマの寝顔。

 闇の盾を突き破り、黒髪の人を掴んで飛び去るグリフォン。

 首にワイヤーが食い込む寒気。

 甘えるように鼻を鳴らすゼータ達。

 アーブルを殴り飛ばした拳の痛み……


 これが死の直前に見る走馬灯のような人生の記憶なのかなと思いつつ、水中を漂っているみたいでした。

 ほのかに明るく、包まれているように暖かく、でも上も下も自分の身体の境い目も曖昧で、ただただ漂っているような感じでした。


 もしかして、僕は死んで生まれ変わろうとしているのかもしれません。

 綿貫さんの身体の中に感じた小さな命、今の僕はそんな状態なのかもしれません。


 だとしたら、この記憶も失われてしまうのでしょうか。

 日本に居た頃は、あまり良い思い出がありませんでした。


 リーゼンブルグに召喚された後も、辛い事は沢山ありました。

 でも、それ以上に沢山の、本当に沢山の嬉しい、楽しい、愛おしい思い出があります。


 この思い出は無くしたくない。僕は僕のままで、国分健人でいたい。

 強く、強く願い続けたら、僕は宇宙に浮かんでいました。


 と言っても、実体がある訳ではなく、意識だけが宇宙に浮かんでいる感じです。

 眼下には青い星が浮かんでいます。


 でも大陸の形は、見慣れた地球儀のものとは異なっています。

 ゆっくり、ゆっくりと降下していくと歪な三角形の大陸、その北側に広がる更に広大な大陸が見えて来ました。


 更に下りて行くと、大陸と大陸を繋ぐ部分には鬱蒼とした森が広がっているのが見え、更に下りていくと、真新しいクレーターが見えました。

 幽体離脱というものかと思いましたが、何か違う気がします。


 ゆっくりと、森の上空を東へと移動していくと、城壁に囲まれた街が見えてきました。

 せっかく真四角になりそうだったのに、西側に出っ張りが出来ています。


 南側の壁に沿って広がる守備隊の敷地。

 旧市街を貫くメインストリートから、ちょっと裏通りへと入ったあの辺が下宿。


 旧市街の中心あたりにギルドがあって、北側の壁の手前が領主の屋敷。

 ヴォルザードの空を散歩しながら、ようやく分かってきました。


 これが全属性を手に入れる事、これが星属性魔術のなせる技です。

 火の曜日、水の曜日、風の曜日、土の曜日、闇の曜日、光の曜日、そして星の曜日。


 安息の曜日を加えた八日間が、こちらの世界の一週間ですが、ずっと星の曜日の存在が気にはなっていたのです。

 全ての属性を手に入れた末に至る属性、それが星属性です。


 まだ詳しい事は理解出来ていませんが、とんでもないチートな、それこそ神に近しい力を秘めている事だけは間違いなさそうです。

 全てを修得、理解出来れば、地球から同級生達を召喚する事が出来そうな気がします。


 でも今は、みんなを安心させる事の方が大事だよね。

 意識を元へ戻そうと思った瞬間に、身体の中へと戻っていました。


 右手を委員長に、左手はマノンにギューっと握られていました。

 ベアトリーチェはベッドに突っ伏すようにして眠っているようです。


「んぁ……守備隊の医務室か……」

「健人、気が付いたの?」

「ケント、ケント!」

「ケント様!」


 三人に抱きつかれて号泣されちゃいました。


「ホントに死んじゃうかと思ったんだから!」

「髪の色まで変わって、ケントがケントじゃなくなっちゃうのかと思っちゃったよ」

「えっ、髪の色?」

「ケント様、瞳の色も変わっています」


 マノンが持って来てくれた鏡に映ったのは、別人のような僕の顔でした。

 髪からは色素が抜け落ちて、白髪というより銀髪と呼んだ方がしっくりくる色で、瞳も同じような色になっています。


 うん、銀髪銀眼なんて、むっちゃ中二病っぽいじゃないですか、左腕が疼きそうですよ。

 意識を失っていたのは半日ほどだったようです。


「健人、身体の具合はどうなの?」

「うん、多分大丈夫じゃないかな。ただ、ちょっと身体の仕組みが変わった……みたいな?」

「動けるようになったばかりなのに、ケントは無理しすぎ。僕心配だよ」

「みんなには、いつも心配掛けてばかりで、ゴメンね」


 ベッドから身体を起こした途端、盛大にお腹が鳴ってしまいました。


「ケント様、こちらにお食事をお持ちしますか?」

「いや、食堂……は、まだ少し早いかな?」

「いえ、この時間でしたら、早番の方のために、もう食堂は開いているはずです」

「じゃあ、行こうか?」

「健人、その前に着替えた方がいいよ」

「うぇ? あぁ、着替えさせてくれたんだ」


 昨日、自分が作った血の海にダイブしちゃったんで、着ていた服は血塗れで、医務室に担ぎ込まれた後に、病人用の寝巻きに着替えさせられていました。

 影収納から取り出した服に着替えて、三人と一緒に食堂へ行くと、まだ時間が早いせいか利用している人は疎らでした。


「おや坊や、どうしたんだい、その髪は?」

「はぁ、寝て起きたら、こんな感じになってまして……」

「あははは、そんな訳ないだろう。面白い子だねぇ」

「はぁ……」


 顔見知りのおばちゃんは、僕の話を冗談だと思って笑いながら、朝食のメニューをよそってくれました。

 三人と一緒なので、何人かいる守備隊の人も怪訝な表情で僕を眺めています。


「やっぱり目立つかなぁ?」

「と言うより、見慣れないからじゃない?」

「うん、ヴォルザードで銀髪は、そんなに珍しくはないよ」

「これまでのケント様とは違っていらっしゃるので、驚いているだけでしょう」

「じゃあ、見慣れてくれれば、これまでよりも目立たないかな? えっ、駄目?」


 僕の言葉に三人は一斉に首を横に振りました。


「健人の場合は、外見がどうとか言う問題じゃないからね」

「そうそう、無茶しすぎというか、何でも一人でやり過ぎだからね」

「でも私は銀髪のケント様も素敵だと思いますわ」

「リーチェ……甘やかすと健人がまた無茶するから駄目!」

「そうだよ、ケントが無茶したら困るんだから……でも、銀髪も格好良いかも……」

「マノン!」

「ひゃう、じゃ、じゃあユイカは、格好良くないと思ってるの?」

「えっ、そ、それは、健人は格好良いに決まってるじゃない」

「でしょう……」

「ですわね」


 うん、何でしょう、褒め殺しってやつなんでしょうか。

 あんまり褒められちゃうと心配になっちゃうって言うか、守備隊の方がフォークを投げ付けてきそうな感じで睨んでるんですけど、惚気には惚気で返しちゃいますよ。


「三人とも、僕には勿体無いくらいに可愛いし、素敵だよ。これからも無茶しちゃうかもしれないから、僕を支えてくれるかな?」

「健人……」

「勿論だよ、ケント」

「私に出来る事でしたら、何でもいたします」

「ありがとう、僕は幸せ者だね」


 問題は、まだ山積みなんだけど、ちょっとだけ光が見えた気がするので、それをグッと手元に引き寄せて、ムフフな幸せ生活を掴んじゃいますよ。

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