第202話 ギガース

 決戦の日、ライネフには朝から強い西風が吹いていました。

 瓦礫と化し、砂埃の舞う街の中央には茶色い大きな塊が、風など感じていないかのように鎮座しています。


 ようやく太陽が昇りきったばかりで、吹き付ける風は体温を容赦無く奪おうとしますが、居並ぶバルシャニアの兵士達は、引き締まった表情で今日の敵を見詰めていました。


 今日、バルシャニアは総力を挙げての短期決戦を挑む予定です。

 隷属のボーラが絡まった瞬間、一気呵成に攻めたてて止めを刺す。


 本来ならば、剣や槍を振るって戦う騎士達も、今日は術士隊の指揮下に入り、集団魔術による攻撃を行い、固い外皮にダメージを加えた上で、物理と魔術の両面攻撃に移行するようです。


 隷属のボーラが効果を発揮すれば、魔術の鎧が剥がれ、ダメージが通りやすくなるはずですし、身体強化による再生の速度も落ちるはずです。

 集団魔術で固い皮膚にダメージを加えられれば、騎士達の剣や槍での攻撃も通るかもしれません。


 それでも止めを刺せない場合には、僕の出番となります。

 攻撃用の槍ゴーレムは、大、中、小の三種類を用意してあります。


 槍の大きさ、投下する高さによって与えられるダメージも変えられます。

 今回は、ギガースの周囲にバルシャニア兵が居る事を想定し、攻撃の強度を考えないと、同士討ちになってしまう危険性があるので、選択は慎重に行わないといけませんね。


 皇帝コンスタンと第一皇子のグレゴリエは、戦線の一番後方にある陣地で仁王立ちしてギガースを睨んでいました。

 術士隊を率いる第三皇子のニコラーエは、前線に立って指揮を取っているはずです。


 陣地から最前線まで、バルシャニア兵の数は二万人を超えるはずですが、ピリピリとした緊張感が漂い、伝令の声以外には殆ど私語は聞こえず、風の音が周囲を支配していました。


「おはようございます。僕の眷族も準備を終えていますので、いつ合図があっても大丈夫です」

「そうか。今日の戦は、そなたらの活躍無くして勝利の美酒に酔いしれる事は叶わぬだろう。よろしく頼むぞ」

「はい、全力を尽くします。僕は、影の中で待機していますが、ここに居ると思って指示を出して下さい」


 ぶっちゃけ外は風が強くて寒すぎです。

 影の空間で、ネロに寄り掛かりながら待機します。


「今日は、ネロにも出番があるのかにゃ?」

「全て順調に行くなら出番無しだけど、何かトラブルが起きた場合には、重要な役目を果たしてもらうから、そのつもりでいてね」

「大丈夫にゃ。ネロはいつでも準備万端にゃ」


 耳の後ろを撫でてあげると、ネロはドロドロと上機嫌に喉を鳴らしました。

 普段ならば、フカフカなネロに寄り掛かっていると睡魔に襲われるのですが、今日は緊張しているせいか全く眠気を感じません。


 無事にギガースを討伐し、出来れば一人の怪我人も出さない、それが今日の目標です。

 バルシャニア軍が準備を終えてから一時間ほど経った頃、ようやく太陽の温かみを実感したのか、モゾモゾとギガースが動き始めました。


 睡眠中の防御姿勢を解いて、醜悪な顔をのぞかせます。

 土のドームが並ぶラインの外側、バルシャニアの兵士達が一斉に攻撃態勢を整えますが、ギガースは気にする素振りすら見せません。


 恐らく、前回の戦闘で己に危機を与えるほどの存在ではないと、見極めを付けているのでしょう。

 影の空間では、ラインハルトとフレッドが、隷属のボーラを投じる準備を始めましたが、まだコンスタンからの指示は出ません。


 良く見ると、ギガースは座り込んだままで動かずにいます。

 それも、バルシャニア兵を気にしている訳ではなさそうで、背中の方を振り返り、暫く海を眺めていました。

 やがてギガースは、視線を陸地の方へと戻して立ち上がりました。


「ケント・コクブ。準備を……」


 コンスタンの言葉を聞いて、ラインハルトとフレッドは、隷属のボーラを振り回し始めました。

 ビュンビュンと風を斬る音が、影の空間に響きます。


 伸び上がるようにして立ち上がったギガースが、食料である土のドームへと手を伸ばした時でした。


「今だ。ケント・コクブ、放て!」


 コンスタンの合図と同時に、ギガースの両サイドに闇の盾を出します。

 すかさずラインハルトとフレッドが隷属のボーラを投げつけると、狙いは過たずギガースの太い両腕に鎖が絡みつきました。


 最前線で馬に跨った鎧姿の騎士がさっと片手を掲げると、兵士の間から湧き起こったのは風属性と火属性の詠唱です。


「マナよ、マナよ、世を司りしマナよ、集え、集え、我が手に集いて風となれ……」

「マナよ、マナよ、世を司りしマナよ、集え、集え、我が手に集いて火となれ……」


 一人一人が作り出した風を一つにまとめて、気流はギガースを封じ込めるような竜巻へと姿を変えます。

 一人一人が作り出した炎を一つにまとめて、作り上げられた巨大な火球が竜巻の中へと放り込まれました。

 火球が取り込まれた瞬間、竜巻は巨大な火柱となって燃え盛り、ゴォォォという轟音と共に、炎がギガースを焼き焦がします。


「ボォォォォォ!」


 ギガースは、苦悶の呻き声を上げて身を捩り、足踏みをするだけで地面が震えました。

 隷属のボーラが外れないかと心配になりましたが、焼けただれた外皮に絡み付いて、外れる気配はありません。


 時折吹き付ける強い西風が、炎の渦を大きく揺らがせますが、集団魔術を統括する術士が、必死の形相で乱れを抑え込んでいます。

 渦が弱まれば、風の魔術を追加し、火が弱まれば、火球を追加する。


 炎の渦の中でもがいていたギガースは、身体を丸め込み、眠っている時と同じ防御姿勢を取りました。

 普段眠っている時、ギガースは無意識に属性魔術を展開し、守りを固めているようですが、今は魔術が使えません。


 身体を丸めた後も、ジュージューと肉を焦がす音とタンパク質を燃やす臭いが辺りに漂います。


「もう一息だ! 魔力を振り絞れ! 術を維持するんだ!」

「マナよ、マナよ、世を司りしマナよ、集え、集え、我が手に集いて風となれ……」

「マナよ、マナよ、世を司りしマナよ、集え、集え、我が手に集いて火となれ……」


 吹き付ける寒風から一変し、炎の渦の熱気に晒されながらも、バルシャニアの兵士達は必死に術の維持に努めてきましたが、徐々に火の勢いが衰えて来ているように見えます。


 炎に焼かれたギガースの体表は、黒く焼け焦げ、あちこちから透明な汁が滴り落ちています。

 人間であれば、これほど重篤な火傷を負えば、よほど高度な治療を受けない限り死に至るでしょう。


「ラインハルト、このまま倒せそうかな?」

『ここまでは順調に見えますが、油断は禁物ですぞ』


 依然として詠唱は戦場に響いていますが、炎の渦の乱れは大きくなり続けています。


『集団魔術は、術を纏め上げる術士の負担が大きいので、これ以上の維持は難しいでしょうな』


 ラインハルトの言葉通り、形を乱した炎の渦は、折からの突風に煽られて霧散してしまいました。


「各自、攻撃開始! 掛かれぇぇぇぇぇ!」

「うおぉぉぉぉぉぉ!」


 第三皇子ニコラーエの号令が下されると、バルシャニア兵達は、ギガーズ目掛けて突っ込んで行きます。


「マナよ、マナよ、世を司りしマナよ、集え、集え、我が身に集いて駆け巡れ、巡れ、巡れ、マナよ駆け巡り、力となれ!」


 身体強化の魔術を掛けた騎士達は、ギガースの太い足首に集中して攻撃を仕掛けて行きます。

 足首を切り離してしまえば、いくら身体強化でも回復出来ないだろう、歩けなくなれば、他の集落への被害が防げるだろうという思惑なのでしょう。


「マナよ、マナよ、世を司りしマナよ、集え、集え、我が手に集いて水となれ、踊れ、踊れ、水よ舞い踊り、水槍となれ!」


 集団魔術には加わらず、余力を残していた水属性の魔術師達は、攻撃魔術をギガースの頭や首へ集中させて撃ち込んでいきます。

 この頭への攻撃が功を奏しているのか、それとも既に動く力を残していないのか、ギガースは丸まったままで動こうとはしません。


 槍や剣、攻撃魔術が突き刺さり、鮮血が飛び散り、このまま押し切れるかと思った時でした。


『ケント様、拙い……隷属のボーラが……』


 炎の渦に焼かれて脆くなっていた所に、水属性の攻撃魔術の飛沫が掛かり、隷属のボーラは砕け散りました。


「ボオオォォォォォ!」


 雄叫びを上げたギガースは、右手を大きく振り上げ、足首を攻撃していた騎士達目掛けて振り下ろします。


 バルシャニアの騎士も、この程度の反撃は想定していたようで、素早く跳び退って、一人も直撃を受けた者は居ませんでした。

 ギガースの動きは鈍く、これならば仕留められると多くの者が思った瞬間でした。


「ぎゃぁぁぁぁぁ!」


 戦場に絶叫が響き渡り、強風に血飛沫が舞いました。

 地面から先端が鋭く尖った無数の杭が突き出し、バルシャニア兵を串刺しにしたのです。


 根元の太さは10センチ以上、長さは2メートルを超えていそうです。

 突然出現した杭の林、足元から頭上まで無慈悲に貫かれた味方の惨状に、戦場は凍りついたように静まり返りました。


 杭が突き出したのは、土のドームが建ち並ぶ範囲で、杭と杭の間は30センチも離れておらず、直接攻撃を試みていた騎士はほぼ全滅。

 近距離からの攻撃を試みていた水属性の術士も犠牲になっています。

 うめき声が聞えるので、まだ息がある者も居るのでしょうが、助けに行く事すら出来ない状況です。


「ぼおぉぉぉぉぉ!」


 怒りの咆哮を上げたギガースは、バルシャニアの兵士達を睨み付け、陣地へ向けて足を踏み出しました。


「ネロ、海側から攻撃して注意を惹いて」

「分かったにゃ、お任せにゃ」

「攻撃が来るかもしれないから、十分気を付けて」

「了解にゃ」


 影から飛び出して行ったネロは、ギガースの背中に向けて自慢の爪を振るいました。


「ブォアァァァァァ!」


 いきなり背後からの攻撃に驚いたギガースは、身体ごと向きを変えてネロを睨み付けると、土のドームを拾い上げ、投げ付けてきました。

 勿論、その程度の攻撃をネロが食らうはずもなく、軽やかに空中でステップを踏んで回避してみせます。


 更にギガースが左足を踏み鳴らすと、地表から杭が撃ち出されましたが、これもネロは軽々と回避してみせました。

 ギガースの注意がネロに惹き付けられている間に、槍ゴーレムを空中から投下します。


 まだ周囲に多くのバルシャニア兵が取り残されているので、槍は一番小さいサイズを選択。

 万が一、闇の盾で摑まえられなくても被害が出ないように、槍は海の上を目掛けて投下します。


「ケント・コクブ、援護を頼む!」


 皇帝コンスタンが悲痛な叫びを上げた時、上空約1000メートルから落下させた槍ゴーレムを無事に闇の盾で捕捉。

 ギガースの頭上30メートルに設置した闇の盾から槍ゴーレムを召喚、射出しました。


「ゴォォアァァァァァ!」


 命中する直前、ギガースが僅かに身体を傾けたため、槍は右の肩に命中。

右腕が千切れ飛び、右半身は脚の付け根まで吹き飛びました。

 右足の支えを失って、ギガースは地響きを立てて横倒しになり苦悶の呻き声を上げています。 


「ぐぅぅうぅぅぅぅ……」

「ラインハルト、止めを刺して!」

『承知! ずりゃぁぁぁぁぁ!』


 影から躍り出たラインハルトが、愛剣グラムをギガースの首筋へと叩き込むと、血飛沫と肉片が爆散しましたが、一撃では切り離せませんでした。


『どりゃぁぁぁぁぁ!』


 更に二撃を加えると、ようやくギガースの頭は胴体を離れて転がり、ギガースは完全に沈黙。

 ラインハルトが、血振るいをした愛剣を高く掲げると、バルシャニア兵から歓声が沸き起こりました。


「ネロ、戻っていいよ。ラインハルトは……返り血を流して来てね」

「もう終わりにゃ? 物足りないにゃ」

『ぶははは、さすがケント様、凄まじい威力でしたぞ』


 だから返り血まみれで怖いって、早く水浴びしてきてよ。


『ケント様……魔石を回収してきた……』

「うわっ、デカっ!」


 フレッドが回収して来たギガースの魔石は、抱えなければ持ち上げられないほどの大きさがありました。


『これほどの大きさの魔石は、ワシも見たことがありませぬ。どれほどの値段が付くのか、想像もできませんな』

「この魔石は、バルシャニアに引き渡すよ」

『なぜ……ギガース討伐は、ケント様の手柄……』

「そうかもしれないけど、今回の戦いでは大勢の人が亡くなっているから、その遺族のために使ってもらおうかと……」

『よろしいのですか?』

「まぁ、セラフィマをお嫁さんに貰うとなると、バルシャニアの皇家も家族になる訳だからね。それよりも、僕は怪我人の救護に向かうね」


 ギガースが作り出した針山地獄に囚われた怪我人の収容は、密集した杭が邪魔をして難航しているようです。


「杭を叩き折れ! 怪我人の下へ真っ直ぐ進め!」


 第三皇子ニコラーエは、どうやら杭の範囲の外で指揮していたようで、負傷していないようです。

 工兵部隊が駆け付けて来て、救助に加わりましたが、思ったよりも杭の強度が高いようで、作業はなかなか進みません。


「フレッド、杭の根本を斬り飛ばして」

『ケント様……杭の破壊なら、コボルト隊でも可能……』

「そうか、みんな手分けして杭を壊して」

「わふぅ、分かりました、ご主人様」


 フレッドは漆黒の双剣を振るい、コボルト達は土属性の魔術を使って杭を壊していきます。


「ニコラーエさん、僕の眷属が杭を壊します。怪我人と遺体の運び出しをお願いします」

「むっ、ケント・コクブか。協力に感謝する」

「僕は治癒魔術も使えます。怪我人の治療にあたらせて下さい」

「すまない。頼む……」


 千人を越えるバルシャニア兵が杭の範囲に囚われていますが、生き永らえている者は、その十分の一にも満たないようです。

 生き残った者は負傷の程度が重い者が多く、治療は一刻を争うような状態です。


 とにかく出血を止め、傷を塞ぐ事に専念し、一人でも多くの命を救おうとしましたが、順番を待っている間に息を引き取ってしまう人も少なくありませんでした。

 フレッドとコボルト達が奮闘するほどに、救出された怪我人が増え、治療が追い付かない状態となっていきます。


 このままでは、全員の治療を終える前に、魔力切れで倒れるかもしれないと思い始めていた時でした。


「主殿、海から何か来ます」


 突然のゼータの警告に、僕の周囲にいたバルシャニアの兵士達も一斉に視線を向けた先で、海面が盛り上がり始めました。


「ボオォォォォォ!」


 海面から姿を現したのは、別のギガースでした。


「ブオォォォォォ!」


 その後ろからは、更にもう一頭のギガースが頭をもたげています。

 目覚めたギガースが、暫く海を眺めていたのは、こいつらの接近に気付いていたからでしょうか。

 バルシャニア兵からは、絶望的なうめき声が上がりました。


「ネロ、陸に上がらせないように足止めして!」

「任せるにゃ!」


 行く手を横切るようにしてネロが飛び出して行くと、二頭のギガースは腰の辺りまで海に浸かったまま足を止めました。


「ふしゃぁぁぁぁぁ!」

「ボウォォォォォ!」


 全身の毛を逆立てて威嚇するネロに、ギガースも臨戦態勢をとって身構えます。


「ニコラーエさん、今のうちに兵を後退させて下さい」

「分かった。少し時間稼ぎをしてくれ。全員、退却! 急げ!」


 治療を中断してギガース討伐に向かおうとしたら、ガクっと膝から力が抜けて、両手を付いてしまいました。

 自分で思っていたよりも、治療で魔力を消費していたようです。

 影収納から魔力の回復を助ける薬を取り出して、口に放り込みました。


「うぇぇ、苦っ……」


 薬の苦味のおかげで、少し頭がハッキリした気がします。

 バルシャニア兵から距離があるので、中型の槍ゴーレムを選択して上空から投下しました。


「ネロ、戻って!」

「分かったにゃ!」


 ネロを呼び戻しながら影に潜り、今度は狙いを外さないように、ギガースの頭上10メートルほどに召喚用の闇の盾を設置します。

 槍ゴーレムの速度が速過ぎて、見えたと同時に着弾。


 ズシーンと小型槍ゴーレムの時とは段違いの地響きがして、ギガースは肉片となって海水や砂と一緒に吹き飛びました。

 もう一頭は着弾した衝撃で仰向けに倒れ、一旦海に沈みましたが手足をバタつかせて起き上がり周囲を見回しています。


 急に仲間が消えた状況を理解出来ていないのでしょう。

 すかさず中型の槍ゴーレムを投下、召喚用の闇の盾に気付いたギガースが、上を見上げた瞬間に、槍ゴーレムが直撃。

 二頭目のギガースも肉片となって吹き飛びました。

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