第200話 峠越え
崖に引っ掛かっている馬車は四人乗りで、二人掛けのシートが前後に対面する形で設けられています。
落石の直撃を受けた左前方部分が壊れ、そこから空が見えていました。
「大丈夫ですか? しっかりして下さい」
「うっ、うぅ……」
右の側板に倒れている中年の男性に声を掛けて軽く肩を叩くと、ゆっくりと目を開きました。
「き、貴様、山賊か!」
「はっ? いやいや、違いますよ。落石は偶然の事故で、僕は通りすがりの馬車の護衛をしている冒険者です。この馬車、崖下に落ちそうになってますからね」
右側の窓の外には、遥か眼下を流れる沢が見えています。
「なっ、これは……」
「落ち着いて下さい。僕の眷属が下で支えていますから、落ちる心配はありません」
「君は、この崖を下りて助けに来てくれたのか?」
馬車は街道から50mほども滑落して、かろうじて木の根に引っ掛かっている状態で、上を眺めても切り立った崖が見えるだけです。
「僕は、闇属性の魔術士なので、影の中を移動する事が出来ます。ここへも影の中を通って来ています」
「そうか、だとしても助けに来てくれた事に感謝する。だが、これをどうやって登ったものか……」
「そちらの方は、大丈夫ですか?」
「はっ、アンヘル様、アンヘル様……」
「待って、頭を打っているかもしれないから、強く揺さぶらないで声を掛けて下さい」
「そうか、そうだな……アンヘル様、しっかりして下さい……」
中年の男性が声を掛け続けると、アンヘルと呼ばれている若い男性が目を覚まし、虚ろな目で周囲を見回し始めました。
最初に中年の男性の顔を、次に僕の顔を眺めた後でビクっと身体を震わせました。
「だ、誰だっ?」
「アンヘル様、彼は我々を助けに来てくれた冒険者です。落石によって馬車が崖に向かって落ちたようです」
「えっ……っ!」
アンヘルさんは、馬車が横倒しになっていることや、窓の下が沢に向かって落ちる崖であることに気付いて、顔を強張らせました。
「大丈夫です、馬車は僕の眷属が支えていますから落ちませんよ」
「眷族?」
「僕は闇属性の魔術士なので、討伐した魔物を眷族にして共に暮らし活動しています」
ここで改めて互いの自己紹介をしました。
この馬車はマールブルグにあるロベーレ商会の持ち物で、アンヘルさんは会長の跡継ぎだそうで、ヴォルザードへ商談に向かっている途中だったそうです。
「その若さでヴォルザード家の護衛をしているのか、他にもベテランの冒険者が居るのか?」
「いえ、もう一人も僕と同い年ですね」
「そうか、ならば相当の腕利きなのだな」
アンヘルさんは、明るい茶髪で頭に丸っこい耳があり、若獅子という感じがします。
深いブラウンの瞳は、理知的であると同時に好奇心旺盛に見えます。
と言うか、あきらかに肉食系の人ですよね。
中年の男性はライルさんと言って、アンヘルさんの秘書を務めているそうです。
グリーンがかったブラウンの髪をキッチリと整え、少し垂れ目がちなグリーンの瞳は温厚そうな印象を受けます。
「それで、どうやってここから脱出するかだが……」
「そうですねぇ……僕が闇の盾で階段を作りますから、それで上って行きましょう」
「闇の盾……というと、闇属性の防御魔術だと思うが……」
「はい、その通りですが、闇の盾は命を持たない物質は通り抜けられるのですが、命を持ったものは通れません」
試しに出した闇の盾に、ライルさんに乗ってもらいましたが、ビクともしないようです。
「確かに乗っていられますが、靴が沈み込んでしまい、裸足で歩いているようですね」
「歩くのには問題無いですか?」
「それは大丈夫ですが……何とも変な感覚です」
「では、まずドアまでの階段を作りますので、それを上ってもらって外に出ましょう。よろしいですか、アンヘルさん」
「分かった。では……痛っ」
「どうなされましたか?」
「膝が……」
気が張っていて気付かなかったのでしょうか、転落して転がる最中に、どこかにぶつけたのでしょう、ズボンを捲ると左の膝に痣が出来て腫れています。
「治療しますので、診せてもらえますか?」
「君は、闇属性の魔術士なんだろう?」
「えぇ、そうなんですけど、ちょっと訳ありで治癒魔術も使えるんです?」
アンヘルさんの膝は、単なる打撲だけだったようで、簡単に治療を終えられました。
「凄いな。さすがはヴォルザード家が護衛に選ぶだけのことはある」
「では、とりあえず道の上まで戻りましょう。僕は影の中からサポートしますので、慌てずに上って下さい」
「了解だ、よろしく頼む」
馬車のドアは、転落の衝撃で歪んで開かなくなっていましたので、遠慮なく風属性の魔術で吹き飛ばさせてもらいました。
ドアまでの階段を闇の盾で作り、二人を横倒しになった馬車の上に引き上げました。
「うっ、さすがに高いな……」
「大丈夫です。万が一落ちそうになった時には、別の盾を出して防ぎますから安心して下さい」
馬車の外に出て、改めて自分の置かれている状況を認識し、アンヘルさんは表情を強張らせました。
高い崖の上に宙吊りになった状態ですからね、正直僕も足が竦んでいます。
「では、闇の盾で足場を作りますので、それを上って下さい」
5メートル四方の闇の盾を5枚、階段状にして設置し、一番上の段まで上ったら次の5枚を設置するという手順で、ヴォルザード家の馬車がある所まで、二人を移動させました。
道の上まで戻ると、アンヘルさんもライルさんも大きく息を吐いて、ようやく人心地が付いたように見えます。
そして、僕の方へと向き直ると、姿勢を改めて頭を下げました。
「ケント君、ありがとう。改めてお礼をしたいのだが、ヴォルザードのギルドに訊ねれば分かるかな?」
「そうですね。ギルドの職員の方だったら、たぶん僕の事は知っていると思いますが、困った時はお互い様ですから、お礼とかは結構ですよ」
「いや、そうはいかないよ。命の危機から助けてもらい、膝の治療もしてもらった、相応の礼が出来ないようでは、ロベーレ商会の名が廃る」
「では、本当に気持ち程度で結構ですからね」
アンヘルさんが、アウグストさん達に挨拶をしている間に、ラインハルトが鞄を三つほど抱えて戻ってきました。
『ケント様、あちらの方の荷物ですぞ』
「ありがとう、ラインハルト。ライルさん、これ馬車に載っていた荷物です」
「おぉ、ありがとうございます、こちらには商談に必要な物が入っていたので、助かりました」
アンヘルさん達が助かったのを見て、崖崩れの向こう側に居た人達も峠道を引き返して行ったようで、近くに居る馬車はヴォルザード家のものだけになりました。
崖崩れの復旧作業は、眷族総出になりそうなので、馬が暴れたりしないように、馬車の前には闇の盾を出して視界を遮っておきます。
「じゃあ、アウグストさん、ちょっと道を復旧させてきちゃいますね」
「分かった。我々は、ここで待っていれば良いのだな?」
「はい、手早く済ませて来ます」
闇の盾を通り抜けて、崖崩れの現場が見える所まで移動しました。
「ラインハルト、ザーエ達と護衛をお願いね」
「了解ですぞ」
「よーし、それじゃあ、ちゃちゃっと片付けちゃおうか。ゼータ、エータ、シータ、崩れている崖に硬化の魔術を掛けて、これ以上崩れないように固めて」
「お任せ下さい、主殿」
「バステンとネロで、大きな岩を砕いてくれる?」
「お任せ下さい、ケント様」
「ネロも頑張るにゃ」
「コボルト隊のみんなは、道から土砂を退けて、穴が開いている場所は埋めて固めて」
「わふぅ、任せて、ご主人様」
「終わったら撫でてね」
「それじゃ、みんな、取り掛かって!」
ゼータ達は、斜面に散らばり、これ以上崩れないように上から固めて行きます。
バステンが愛槍ゲイボルグ、ネロが爪を振るう度に、大きな岩が削れ、みるみるうちに小さくなっていきます。
コボルト達は、バステンやネロが作業していない場所で、積もった土砂をザクザク掘り返して崖下へと落としています。
「いやぁ……結構早く片付くんじゃないかと思っていたけれど、ここまでとは……」
『ぶははは、ケント様、皆、ヴォルザードで森を切り開いて慣れてますからな、この程度の作業は簡単ですぞ』
十分も経たないうちに、大きな岩は姿を消し、土砂で埋まった場所も最初の半分ぐらいになっています。
このペースで作業を続ければ、一時間もしないうちに道は通れるようになるはずです。
『ケント様……崖下に落ちた者の遺品……』
フレッドが持って来たのは、二枚のギルドカードと二束の遺髪です。
馬車まで戻り、ライルさんに手渡しました。
「ライルさん、これ、転落された方の遺品です」
「何から何まで、ありがとうございます。二人はロベーレ商会お抱えの冒険者でしたので、遺族に手渡す事にします」
「あの、遺体はどうしますか?」
「この高さから落ちたのですから、酷い状態ではありませんか?」
『かなり酷い……運搬は難しい……』
「そうですね。かなり酷い状態のようです」
「その場で埋葬していただく事は可能でしょうか?」
「はい、それは可能です」
「では、そのように取り計らっていただけますでしょうか?」
「分かりました」
遺体は、復旧工事が始まる前に、フレッドが移動させてくれていました。
今は、元に戻してあるそうですが、発見した時には手足があり得ない方向に曲がっていたそうです。
沢の川原に土属性魔術で深い穴を掘り、その底へ二人を安置しました。
動物や魔物に掘り返されないように、途中で何度か硬化を掛けながら土を被せて埋葬しました。
「魔物に襲われなくても、こうした事故でも人は命を落としてしまうんだよね」
『彼らもいずれ……偉大な死霊術士の眷族になるかも……』
たぶん、フレッド達も同じように深い地中へと埋葬されていたのでしょうね。
二人で黙祷を捧げて、復旧現場へと戻りました。
『ケント様、だいたい片付きました。後は土埃を払えば終わりですね』
「みんな、ありがとう。仕上げの掃除は僕がやるよ」
崩れた崖は、土属性魔術でシッカリと固められていますし、路面も凹凸無く綺麗に仕上げられています。
風属性の魔術で土埃を吹き飛ばせば、道の上から崖崩れの痕跡は綺麗サッパリ無くなりました。
「よーし、みんな並んで、順番に撫でていくからね」
道路にズラっと整列したコボルト隊を順番に撫でて行き、ゼータ達を撫で、最後にネロを撫でてあげれば復旧工事は完了です。
みんなを影空間に戻し、闇の盾を消して馬車へと戻ります。
「どっ、どうなっているんだ。信じられん。あの巨石や土砂が、こんな短時間に片付くものなのか……」
「アンヘル様、私は夢でも見ているのでしょうか……」
ロベーレ商会の二人は、崖崩れがあった場所を呆然と眺めていますし、アウグストさんやアンジェリーナさんも驚きを隠せないようです。
「まぁ、優秀なのは、国分じゃなくて眷族だからな」
「何言ってるの? 僕が指示を出すから、みんなが混乱せずに動けるんだよ、分かる?」
「いや、国分が居なくても統率は取れてるだろう」
「だから、僕は監督として……もういいよ。ヴォルザードに戻ったら、鷹山が調子くれてるから締めて下さいって、ドノバンさんに言っておくから」
「いや、ちょっと待て、俺はちゃんとやってんだろう」
「いやいや、キャビンでヌクヌクしてたじゃんか」
「それを言うなら、国分だって大森林に入るまではヌクヌクしてただろう」
「いや、僕は鷹山に経験を積んでもらおうと思ってだね……」
「ケント、シューイチ、ちょっと良いか?」
鷹山と馬鹿話をしていたら、アウグストさんに声を掛けられました。
「ロベーレ商会の二人を、麓の集落まで乗せていく事にしたのだが、席を詰めても、あと一人しか乗る場所が無い」
「さぁ鷹山、出番だよ。走る準備は出来てるかな?」
「おい、ちょっと待て。いくら下りが続くからって、ここから麓までとか死ぬだろう、普通に……」
「いや、走らなくても良いぞ。ただ、ステップに掴まって、立って乗ってもらうしかないがな」
馬車には乗り降りのためにドアの下にステップが設けられていますが、幅は30センチほどで、手摺りはあるものの馬車の振動を受けながら、立って乗って行くのは結構スリル溢れる状況です。
「鷹山、頼んだ!」
「待て待て、勝手に御者台に戻ろうとすんな」
「ここは、僕よりも身体能力の高い鷹山が適任でしょう」
「おい、こんな時だけ、おだてようとしたって駄目だからな」
「仕方ない、恨みっこ無しでジャンケンだ」
「いいだろう、受けて立とう。三回勝負でいいな?」
御者台を賭けたジャンケン勝負は、あっさりと鷹山の勝利で終わりました。
「くっ、鷹山のクセに……」
「はっはっはっ、じゃあ俺が御者台、国分がステップ、オッケー?」
「いや、僕は影移動で付いて行くから大丈夫だよ」
「えっ、あっそうか……てか、それならジャンケンする必要無かったじゃん」
「何でだよ。僕が勝ってたら、鷹山はステップだったんだよ」
「お前……最近どんどん性格が悪くなってるぞ」
「大丈夫だよ、鷹山限定だから」
「ケント、そろそろ出発するぞ」
「あっ、はい、どうぞ後から追い掛けますから出発して下さい」
「馬鹿、俺がまだ乗ってねぇだろうが」
「ちっ……」
「ちっ、じゃねぇよ、ちっ、じゃ」
鷹山が御者台に上り、馬車は峠道を下り始めました。
それを見送った後で、僕も影に潜って移動しようとしたら、ゼータが出て来ました。
「主殿、私にお乗り下さい」
「えぇぇ……僕が乗っても大丈夫なの?」
「勿論です。主殿が我々を強化なさった時、背中に乗って走りたいという思いが伝わってまいりました」
「あっ……そうだ、確かにそう思ってた」
「さあ、主殿……」
「じゃあ、失礼して……」
地面に伏せたゼータの背中に上ったのですが、モフモフ感が素晴らしいですね。
「では、参りますね」
「ちょ、ちょっと待って、ゼータ、ゆっくりね、ゆっくり」
「心得ております、主殿」
「ふぉぉ……た、高っ!」
すっとゼータが立ち上がると、背中までの高さは2メートル近くあります。
そこに自分の座高がプラスになるので、気分的には二階の窓から下を見ている感じです。
「おぉぉ……は、速っ!」
ゼータが走りだすと、エータとシータ、ネロも出て来て併走を始めました。
更には、コボルト達も出て来て、一緒に走っています。
と言うか、落っこちそうで怖いんですけどぉ……
「ゼータ、馬が怯えるといけないから、あんまり馬車に近付きすぎないでね」
「心得てます、主殿」
「次は、ネロに乗るにゃ。そしたら空も駆け抜けるにゃ」
「そうか、空か……落ちたら死んじゃうから、対策を考えてからね」
そう言えば、ネロに風属性を与えた時に、一緒に空を駆け巡りたいと思ったんでした。
最近バタバタしているから、色んな事を忘れてそうだよね。
今日は、隷属のボーラを取りに行かなきゃ行けないし、明日はギガース討伐の本番。
夕方には、馬車がヴォルザードに到着する予定だし、明後日は、委員長達とドレスを受け取りに行かないといけないんだよね。
いい加減、次の帰還も進めないといけないし、次の帰還作業をすれば全属性が揃う事になります。
魔法陣による魔法が、属性魔術の劣化版だとするならば、召喚術の秘密が解けるかもしれません。
僕としては、男子からの属性奪取は御免被りたいので、何とかして召喚術を身に付けたいと思っています。
そして、新年までには委員長の両親に挨拶も済ませないといけません。
「あぁぁ……課題が山積だよ。夏休みの最終日じゃあるまいし」
「主殿、今は御懸念を忘れて楽しみませんか?」
ゼータの走る速度は、馬で言うなら並脚程度のゆっくりとしたもので、風を切って走るという感じではありませんが、ノンビリと景色を楽しみながら過ごすには最高です。
周りを一緒に走っている、みんなが笑顔でいるのに、僕だけしかめっ面とかは駄目駄目ですよね。
「そうだね。んー……気持ちいい、最高……」
ゼータの首に抱き付くように身体を預けると、モフモフの毛並みがクッションになって最高の乗り心地です。
「にゃ! 最高はネロにゃ!」
「うん、大丈夫、ネロの毛並みが気持ちいいのは、ちゃんと分かってるからね」
「それにゃら良いにゃ」
崖崩れがあったお陰で、峠を登ってくるはずだった馬車は、みんな引き返してしまったようで、道は僕らの貸切状態です。
麓の集落近くまで、眷族のみんなと遠足気分を堪能しました。
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