第182話 身体強化

 バッケンハイムへ向けて走り始めたブランの引く車は、想像していたよりもずっと振動も少なく、現代日本の路線バスなどと較べても遜色無い乗り心地に感じました。

 キャビンの内部は、左右と後ろにベンチシートが設えてあり、右側に五人、ドアのある左側に三人、後ろに四人ほどが座れる広さがあります。


 一番後ろのベンチシートには、マスター・レーゼが横になり、右側のシートの中央にラウさんが陣取り、左側のシートのドア側に鷹山、後ろ寄りに僕が座りました。

 ルイージャとガンタ君は御者台です。


「国分、なんか凄い乗り心地良くないか?」

「だよね。僕も思ってたところ」

「ふふふふ……本部ギルドのマスターが使うキャビンじゃぞ、技術と素材の粋を集めて作られているに決まっておろぅ」

「素材って言うと、魔物から採れるものですか?」

「そうじゃ、揺れを抑えるのには、サラマンダーの脚の腱が使われておるぇ」


 トラック並みの大きさの身体を支え、かなりの速度で動かす足の腱ですから、相当な強さと弾力性があるんでしょうね。

 レーゼさんの話では、キャビンや車輪、車軸などにも魔物から取り出した素材が使われていて、軽さと丈夫さを両立しているそうです。


「それにしてもケント、ほんに調子が悪そうじゃな。シューイチ、ラウの隣に移って、そこでケントを寝かせてやれ」


 名目上とは言え、指名依頼を受けているのですが、正直調子が悪かったので、レーゼさんの申し出に甘える事にしました。


「すみません、お言葉に甘えて……」


 シートに横になった途端、スイッチを切るように眠りに落ちてしまいました。

 心地良い揺れに身を任せて、すっかり眠り込んでいたのですが、何やら呻き声のようなものが聞えてきて目を覚ましました。


「ぐぅ……ふぅ……ぐっ……」


 ボンヤリとしていた意識が戻っていく中で、揺れで自分がどこに居るのかを思い出しつつ目を開いたのですが、最初、自分の目に映っている状況が理解出来ませんでした。


「うっ……くっ……」


 始めは横になっていたので、上下の感覚がおかしくなっているのかと思いましたが、そうではありませんでした。

 揺れるキャビンの中で、汗だくになりながら鷹山が逆立ちをしています。


「えっ、何がどうなって……」

「ケント、目が覚めたかぇ?」

「はい、えっと……これは、どんな状況なんでしょうか?」

「ラウ……」

「ほっほっほっ、これは身体強化の基礎訓練じゃ。ほれ、シューイチ、しっかりせぇ!」

「ぐぅぅ……もう、あっ……」


 バランスを崩した鷹山が、思いっきり背中から倒れました。


「なんじゃ、もう限界か。情け無いのぉ」

「いくら身体強化を使ったって、こんなの無茶ですよ」

「まったく文句の多い男じゃのぉ……ほれ、さっさと起きて詠唱せぇ」

「ちょ、ちょっとぐらい休ませてくれたって……痛ぇ」


 キャビンの中央で胡坐をかいた鷹山は、ラウさんに杖で叩かれて頭を抱えました。


「あほうめが、身体強化を使った方が、早く疲労が抜けて楽になるんじゃぞ。グダグダ言ってる暇があるなら、さっさと詠唱せぇ」

「ちっ、分かりましたよ。マナよ、マナよ、世を司りしマナよ……痛っ」

「遅い遅い、そんなんじゃ詠唱が終わる前に日が暮れるぞ」

「はぁ……マナよ、マナよ、世を司りしマナよ、集え、集え、我が身に集いて駆け巡れ、巡れ、巡れ、マナよ駆け巡り、力となれ!」


 早口言葉のようなスピードで詠唱を終えた鷹山は、そのまま座禅のように目を閉じて呼吸を整え始めました。


 確か、眠りに落ちる前には、本部ギルド・マスターが使う豪華キャビンだったはずですが、目が覚めたら体罰OKの体育会系シゴキの現場へと早変わりしていました。

 呆気に取られていると、レーゼさんが話し掛けてきました。


「ケント、そなた身体強化は得意かぇ?」

「いえ、得意も何も使ったことすらありません」

「そうか、そなた自己流で詠唱すらせずに魔術を使っていると言っておったのぉ」

「はい、詠唱は一度もした事がないです……いや、魔術が使えない頃には何度もしてましたが……」

「なんじゃ、魔術が使えないのに詠唱をしておったのかぇ?」


 まだ日本に居た頃に、魔術が使えるようにならないかと、自分の部屋で様々なポーズと共に、中二病丸出しの詠唱を繰り返していたものです。


「いえ、そこには触れないで下さい……」

「ふふふふ……まぁ良い。じゃが、身体強化も使えないのでは、冒険者として不便ではないのかぇ?」

「うーん……僕の場合、影に潜って安全な場所から眷族に指示を出したり、遠距離攻撃を仕掛けたりなんで、基本的に格闘をする事って無いんですよね」

「ほぅ、ある意味、典型的な闇属性の術者とも言えるが、それでは他の属性は、宝の持ち腐れではないのかぇ?」

「そう、かもしれません……」


 基本的に格闘する事を想定してないので、土属性については投槍やゴーレム作りに活用していますが、火属性の魔術は殆ど使っていません。


「そなたのように卓抜した術者ならば必要ないと思うのかもしれぬが、身体強化は魔力操作の基本でもある。身につけて磨きを掛けておけば、他の術を使う時に魔力を効率良く運用する事が出来るようになる。さすれば、長時間の戦闘をこなしても、魔力切れに襲われずに済むようになるという訳じゃ」

「なるほど、無駄な魔力を使わなくて済むようになるのですね」

「その通りじゃ。今、シューイチがやっておるのは、部分的に身体強化を行ったり、反射や均衡を保つ力も強化する練習じゃ」

「そんな事まで出来るんですか?」


 僕が驚きの声を上げると、レーゼさんは妖艶な笑みを浮かべて言葉を紡ぎました。


「なぜ出来ぬと思うのじゃ? 我らから見れば、そなたの無詠唱の方が余程に常識外れに思うぞぇ。型破りな魔術の使い方をしておるのに、魔術に限界を作るなどおかしいじゃろ」

「確かに、そう言われれば、その通りです」

「バッケンハイムまでの道程は、僅か四日じゃ。その間に出来る事など高が知れておる。そこでラウが考えたのが、身体強化の効率的な使い方、魔力の効率的な使い方を教える事じゃ」

「ほっほっほっ、レーゼに説明してもらうと楽じゃのぉ。これぞ効率的な人の使い方というものじゃな」


 ラウさんは、一しきり笑った後で、鋭い視線を向けて来ました。


「さて、ケントよ。聞いた通りに、まずは身体強化を使い、それを効率良く使う方法を叩き込んでくれようか」

「うっ……お手柔らかにお願いします」


 ラウさんが、最初に求めて来たのは、体内の魔力を明確に捉える事でした。


「ケント、身体の中を魔力が巡って居るのを感じた事はあるか?」

「はい、自己治癒魔術を掛ける時や、他人から属性を奪取する時は、身体の中を巡っているのを感じます」

「なんじゃ、それほどの事が出来るならば、身体強化を使うなど容易いであろうに、試しに身体強化を行ってみよ」

「はぁ……じゃあ、ちょっと試してみます」


 身体の中に魔力を巡らせる事は、自己治癒を掛ける時に何度もやっていますが、傷を治したり、炎症や筋肉痛をほぐすようなイメージでしか使って来ませんでした。

 ラウさんのアドバイスを聞きながら、筋力をアップするイメージで魔力を循環させます。


「どうじゃ、上手く強化できておるか?」

「何となくですが……」

「ならば、ちょいとワシの手を握ってみよ。ゆっくりと握る力を強めていくから、握り返して耐えてみよ」


 ラウさんの手は僕と同じぐらいの大きさで、剣の達人と聞いていたからマメとかタコでゴツゴツしていると思いきや、普通のお爺さんの手にしか見えません。


「ほれ、まだ始めたばかりじゃぞ、ほれ、ほれ……」

「ぬぬぅ……うっうぅぅ……」


 手を握った直後は、やっぱり力は強いなぁ……ぐらいで、徐々に力が加わってきても、身体強化も使えているはずだから大丈夫だと思っていました。

 でも、そんなはずないよね、元Sランク冒険者なんだからさ。


「ほれ、どうしたケント、ほれ、頑張れ」

「ぐぉぉぉ……痛い、痛い、ギブ、ギブ、参りました!」


 ラウさんの手は、途中から万力かプレス機にでも早変わりしたのかと思うような力で、ギリギリと締め付けて来て、僕が顔を真っ赤にして対抗しているのに、ラウさんは涼しい顔をしています。


「ふむ……初めてにしては悪くはないが、身体強化を効率的に使えておらんし、そもそもの鍛え方が足りんのぉ……」

「痛たたた……骨が砕けるかと思った……」

「お前さんは、確か自己治癒も使えると言っておったではないか、多少砕けたところで……」

「いやいや、そんな言葉使いみたいな感覚で、手の骨が砕けたら拙いですからね」

「ふむ、案外頭が固いのじゃのぉ、まぁよい、ケント、今度は思いっきり筋力を強化して、思い切り腕を振り下ろしてみよ」


 ラウさんは、ボールを投げるような仕草をしてみせました。

 力比べに負けた痛みで集中が切れてしまったので、もう一度魔力の巡りを意識しなおして、腕の筋力を上げるように意識します。

 腕を強く振るには、腕よりも二の腕の筋肉が主になるので、腕を伸ばす筋肉に意識を集中しました。


「いきます……えいっ!」


 腕を降り始めた瞬間に、これまで感じた事の無い加速で腕が振られ始めました。

 びゅっと空気を切り裂く音を残して腕が振られた次の瞬間でした。


「痛い、痛い、痛い、肘! 肘がぁぁぁぁ……」


 ゴキっと聞こえてはいけない音が肘から聞えて激痛が走りました。

 抱えこんだ右肘に、大急ぎで自己治癒を掛けました。


「ほっほっほっ、良いぞケント、見所十分じゃ」

「うぎぃぃぃ……笑い事じゃないですよ、ラウさん、こうなるって分かってたんじゃないですか?」

「いやいや、軽く肘に痛みを感じる程度じゃとは思っておったが、こんなに急激に上達するなどとは思っておらんかったからのぉ、ほっほっほっ……」

「うぅぅ……酷いですよ」


 ラウさんの説明では、僕は筋肉だけに強化を掛けた状態で、思い切り腕を振ってしまったので、骨とか関節とかが耐えられなかったのだそうです。


「ケントが味わったように、部分的、効率的に強化が出来れば、自分が思っている以上の力を引き出す事も可能じゃが、あまりに部分的になり過ぎると周りが耐え切れずに悲鳴を上げる事になる」

「でも、こんな痛みや怪我に繋がるんじゃ、効率的に身体強化をするのは危険なんじゃないですか?」

「当たり前じゃ、身体強化は人間本来の限界を超える力、速度、反応を引き出すものじゃから危険は付き物じゃぞ。だが、身体強化を使わなくても、武術などは人間の限界を超えた部分を磨くものだし、魔物相手に限界がどうのなどと言っておられるか? 危険だから使わないのでは進歩などせん、危険と分かった上で使いこなしてこそ進歩するのじゃ」

「なるほど……」


 影移動が出来るようになって、危ないと思えば逃げられるようになったから、魔物相手の危険というものを僕は他の人ほど感じなくなっています。

 ですが、影移動の出来ない普通の人は、魔物と遭遇した場合、倒すか、もしくは追って来られないようなダメージを入れられなければ、自分の命が危険に晒されます。


 追い詰められた状況で、腕一本が動かなくなるようなダメージと引き換えに、魔物を倒したり、食い止めたり出来るのであれば、迷わず使うでしょうね。


「ケントよ、我々が普段何気なく行っている動作でも、最初から出来た訳ではないのじゃぞ。走ったり、跳んだりするどころか、人間は立つ事すら出来ない状態で始まるのじゃ。知らない事、やった事のない動作は出来なくて当然じゃが、練習すれば当たり前のように出来るようになる事も沢山ある。身体強化も同じじゃ。最初は意識して、苦労して、やっと使えているものも、修練を重ねていけば、無意識で当たり前のように使えるようになる」


 ラウさんの話を鷹山も真剣な表情で聞いています。

 異世界に召喚されて、突然魔術を使えるようになった僕らですが、どうしても漫画やアニメの影響で、貰った途端に自由に使えるようなると思いがちです。


 魔術という言葉を聞くと、何でも出来ると思ってしまいますが、やはり魔術にも練習は必要なのです。


 ヴォルザードからバッケンハイムへと向かう道は、一言で表すならば田舎道です。

 一応、道として切り開かれていますが、日本の道路のように舗装されている訳ではなく、旅人や馬車が踏み固めて出来た感じです。


 ブランが速いので、今朝ヴォルザードを出た旅人や馬車などは、既に遥か後方へと置き去りになっています。

 前にも後にも、まるで人の気配がしない地平線までが見渡せる世界は、東京育ちの僕にとってはとても新鮮です。


 普通の馬車が昼に立ち寄る集落も、ブランは素通りして進んで行きます。

 途中の川で水を飲んで休憩をしましたが、馬よりも遥かにスタミナもあるようです。


 昼近くになった所で、レーゼさんは街道脇の草地に車を止めさせました。

 車を降りたところで、ラウさんに声を掛けられました。


「ケント、シューイチ、昼飯前にちょいと用事を済ませてくれんかの?」

「用事ですか? 構いませんが」


 こんな所で何をするのかと、鷹山と顔を見合わせていると、ラウさんの指令が下されました。


「ちょいとブランの昼飯を捕って来てくれんか?」

「はっ? ブランの昼飯って……」

「そうじゃのぉ……ゴブリンの一匹もおれば十分じゃろ」

「はっ……?」


 思わず顔を見合わせる僕と鷹山に、ラウさんの指示は続きます。


「ブランの餌となる魔物を発見、追い込むところまでは攻撃魔術やケントの眷族を使っても良いぞ。ただし、仕留めるのはケントとシューイチ二人のみの力でやる事。仕留めるのに使って良い魔術は身体強化のみ、使って良い武器は腰に下げたナイフのみじゃ。良いか、一人で一気に仕留めようなどと思うなよ。二人で連携し、削って、削って、十分に弱らせてから仕留めよ。相手は死に物狂いで反撃して来るからな、息の根を止めるまで決して気を抜くな、良いな」


 厳しく表情を引き締めたラウさんに、さすがに鷹山も唯者ではない雰囲気を感じているようです。

 冷や汗を流す僕らに向かって、ラウさんはふっと表情を緩めました。


「気を抜く事は許さん、じゃが気張り過ぎでも体は上手く動いてくれぬ。さぁ、身体をほぐしたら森に入れ。一歩森に入ったら、そこから先は戦場だと思えよ」


 期せずして同時に生唾を飲み下した僕らは、目線を合わせた後で屈伸運動を始めました。


『ケント様、手頃な獲物を見繕って用意いたします。真っ直ぐ森へ踏み込んで下され』

「ありがとう……鷹山、僕の眷属が手頃な獲物を用意してくれるそうだから、真っ直ぐに進むよ」

「そうか、助かるな。ぶっちゃけ目茶苦茶緊張してっけど、やってやろうぜ!」

「勿論だよ、脚は引っ張らないでね」

「けっ、調子に乗るなよ。攻撃魔術が使えないなら、俺の方が役に立つぜ」

「じゃあ、鷹山に任せたよ」

「おいっ、そうじゃねぇだろう、連携してだろ!」

「分かってるって、俺にまかせろってネタ振りだろ?」

「おいっ! 冗談抜きで、そろそろ行くぞ」

「了解!」


 鷹山と拳を軽く打ち合わせて、僕らは森へと踏み込みました。

 街道近くは木も疎らで、地面まで日の光が届いていましたが、踏み入って行く程に木が密集し、辺りは薄暗さを増していきます。


 右に鷹山、左に僕が並び、2メートルほどの間隔を開けて濃密な緑の香りの中を進んで行きます。


「足元がかなり悪いな……」

「この足場でゴブリンと格闘とか、ヤバくない?」

「だな……」


 人の手が加えられていない森の中は、倒木や岩が転がり、ただ歩いていくだけでも難渋する状態です。

 ここで格闘するとなると、ゴブリン相手でも命賭けになりそうです。


 鷹山と視線を交わしながら、慎重に森を進んで行くと、ラインハルトが話し掛けて来ました。


『このまま進んだ先に、ゴブリンを一匹準備しましたぞ。活きの良い奴を選んでおきました』

「はぁ……ありがとう。鷹山、その先に活きの良いゴブリンが居るそうだから、準備して」

「活きが良いのか……了解だ」


 そのまま真っ直ぐ進んでいくと、森の中の少し開けた場所に……いや、人為的に切り開かれた場所に、怯えたゴブリンが蹲っていました。

 二十本以上の木が切り倒され、開けた場所の端に積まれている様子を見て、さすがに鷹山も少し呆れているようです。


「おい、国分、これって……まぁいいか」

「鷹山、考えたら負けだからね。切り株に躓くようなヘマはしないでよ」

「分かってるって、最後まで気は抜かない、窮鼠何とかってやつだろ……」

「そうだね……」


 蹲って怯えたようにキョロキョロと周囲を見回していたゴブリンは、僕らの姿を認めると、牙を剥き、軋むような嫌な唸り声を上げて威嚇してきました。


「ギギギィィィィィ……」

「国分、挟み撃ちにするぞ……」

「分かった……鷹山、詠唱」

「おっと、そうだな……」


 鷹山が身体強化の詠唱を唱える間に、僕も意識を集中して魔力を巡らせ身体強化を掛けました。

 僕らがナイフを抜くと、ゴブリンも戦う意志を固めたらしく、爪を見せ付けるように両手を一杯に開いて、姿勢を低くして身構えます。


『ケント様、あまり深く突き入れるとナイフが抜けなくなる場合がございます。止めを刺す以外では浅く削ぐように心掛けて下され』

「了解……鷹山、深く刺すと抜けなくなるかも……浅くだって」

「分かった……」


 鷹山に呼びかけた僕の声も、戻ってきた鷹山の声にも、緊張感が漂っています。

 じりじりとゴブリンとの距離を縮めながら、逆に二人の距離を広げて、挟み込むように仕向けていきます。


「ギギィィィ……ギャッ……ギャッ……」


 ゴブリンは、盛んに威嚇の声を上げながら、僕と鷹山を天秤に掛けているように見えます。

 そして、挟みこまれる前にゴブリンが向かってきたのは、僕の方でした。


「ギャギャ、ギャァァァ!」

「くっ、このぉ!」


 普段の状態だったら、ビビって腰が引けるようなスピードでしたが、身体強化を掛けているおかげで何とか対処できました。

 掻き毟るように顔面を狙ってきたゴブリンの腕をナイフで払うと、軽い手応えと共に鮮血が飛び散りました。

 驚いて腕を引っ込めるゴブリンの脇腹を、後から距離を詰めた鷹山が切り裂き、素早く距離を取ります。

 弾かれたように振り向いたゴブリンの背中に、今度は僕が切り付けます。


「ギャッ……ギャ……ギャギャ……」


 ゴブリンが混乱するほど、僕らは冷静さを取り戻し、鷹山はゴブリンが頭を抱えて守りを固めたと見るや、膝を思いっきり蹴り付けました。


「ギャァァァ……ギャギャギャ……」


 ゴキンという鈍い音がして、ゴブリンは膝を押さえて蹲り、がら空きになった首筋が見えた瞬間に、無意識にナイフを突き入れていました。

 捻りを入れて、飛び退きながらナイフを引き抜くと、ゴブリンの首筋から噴水のように鮮血が飛び、慌てて更に後に下がると、切り株に足を取られて思いっきり転んでしまいました。

 急いで立ち上がりましたが、鷹山は僕の無様な格好を笑う余裕も無く、弱っていくゴブリンを油断無く見守っています。


「どう? 鷹山……」

「まだ死んでねぇ……」


 弱々しいですが、まだゴブリンは呼吸をしています。

 ですが、首筋からの血の吹き出しは殆ど止まっていて、大きく見開かれた目からは光が失われているようでした。

 濃密な血の匂いの中で、僕らはゴブリンが完全に息絶えるのを見守り続けました。

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