第181話 夜明け前

 ガツンと突然顔面を襲った衝撃で目が覚めました。


「健人、健人……あぁ、どうしよう」

「ユイカ、とにかく治癒魔法を掛けてあげて」

「マナよ、マナよ、世を司りしマナよ、集え、集え、我が手に集いて癒しとなれ! ごめんなさい、ごめんなさい……」

「ぅうっ……ゆ、いか……」


 ぼんやりとした視界に映ったのは委員長の泣き顔で、横には心配そうなマノンの顔も見えます。


「ごめんなさい。今まで健人が、こんなに苦しんでいたなんて知らなかったから、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 委員長は治癒魔法を掛けながら、ボロボロと涙を零しています。

 ようやく少しずつ頭が回りだして、どこかの部屋で床に倒れているのが分かりました。


 たぶん、のたうち回っている間にベッドから転げ落ちたのでしょう。

 これまで、属性の奪取を行って体調を崩した時には、魔の森の訓練場に行ってネロに寄り掛かって過ごしていました。


 ネロに取っては良い迷惑でしょうが、大きなネロのお腹ならば、どれだけ転げ回っても大丈夫ですし、地面と同じ高さなので転げ落ちる心配も要りませんでした。

 何よりも、僕が弱っている姿を委員長達に見せずに済んでいたので、守備隊の訓練場に戻って来るという判断は、やはり失敗だったようです。


「だい、じょうぶ……もう少し休めば……泣かないで……」

「健人、健人……」


 委員長は、差し出した僕の右腕を胸に抱いて、ボロボロと泣き続けました。

 心配ばかりかけている罪悪感を覚えながら意識を手放しました。


 次に目を覚ました時には、柔らかな温もりに頬を預けていました。

 温もりは、とくんとくんと脈打つ鼓動を伝えてきます。

 どうやら委員長に抱えられるようにして眠っていたようです。

 


『ラインハルト、居る?』

『ご気分はいかがですかな?』

『体調は……あんまりだけど、今の状況は最高かな』

『ぶははは、ならばそのままお休み下され』

『そうしたいのは山々なんだけど、バッケンハイム行きの準備を全くしてないんだよね』

『必要なものは影収納から取り出せます。それがケント様のスタイルですから、準備する必要はございませんぞ』

『そうか……それもそうだよね』


 確かに、どこに出掛けるにしても、闇属性の魔法が使えるようになってからは、準備をした覚えがありません。

 必要なものがあれば影収納から取り出せば良いですし、手持ちが無ければ取りに戻ったり買いに行けば済んでしまいます。


『でもさぁ、普通の冒険者が依頼を受けて遠出をする時って、どんな物を持って行くものなの?』

『そうですなぁ……我々は騎士としての知識しか持ち合わせておりませんが、普通ならば、着替え、現金、薬、包帯、携帯用の食器と食材、陣紙、雨避けの布、毛布、ナイフと己の武器……といった感じですかな』

『何か足りないものとかあるかな?』

『そうですなぁ……殆どの物は、影収納にございますし、強いて言うなら干し肉などの食料程度ですな』

『仕方無い……その辺りは、後で買いに戻るようにするよ』

『では、お休みになられますか?』

『うん、集合時間の一時間ぐらい前に起こして』

『畏まりましたぞ、ゆっくりお休み下され』

『ありがとう』


 まだ夜明けまでには間があるようなので、委員長の温もりを堪能させていただきながら、もう少し眠ることにしました。

 翌朝、ラインハルトに起こされた時には、まだ委員長は眠っていました。

 起こさないように布団を抜け出そうとしたのですが、目を覚ましてしまいました。


「んっ……健人、健人!」

「あぁ、起こしちゃったか……」

「健人、どこに行くの?」


 バッケンハイム行きは、昨日伝えてありますが、起きたばかりで委員長の頭も働いていないのでしょうね。


「ギルドの前で、レーゼさん達と待ち合わせだから……」

「あっ……そうだったね」


 そう言いながらも委員長は、僕のズボンの裾を握ったまま放そうとしません。


「ごめんなさい……健人が、あんなに苦しんでいたなんて知らなくて……」

「ううん、それは僕も知らせなかったんだから、唯香のせいじゃないよ。それに、自己治癒を目一杯かけても変わらなかったから、治癒魔法で治せる不調じゃないみたいなんだ」

「うん、私も治癒魔法を掛けてみたんだけど……ごめんなさい、何も出来なくて」


 俯いて涙を零した委員長をそっと抱き締めました。


「怖かった……健人、凄い唸り声を上げて、苦しそうで、このまま死んじゃうんじゃないかって思って……それでも私、何も出来なくて……」

「唯香……唯香が側に居てくれるだけで僕は幸せだよ」

「健人……」


 そっと抱き締めて落ち着かせるように背中を撫でていると、委員長は眠りに落ちていきました。


『ユイカ嬢は、昨夜も遅くまで起きていて、ケント様を看病なさっていましたから、心身ともに疲れていらっしゃるのでしょうな』

『やっぱり、こっちに戻って来たのは失敗だったのかな?』

『それよりも、戻って来ない理由を説明しておかなかったのが、失敗だったのでしょうな』

『そうか、そうだよね……』


 委員長をベッドに横たえて、ヘルトに見守っているように頼んで医務室を後にしました。

 影へと潜って移動しようと思ったのですが、盛大に腹の虫が不満を訴えてきました。


『あぁ……お腹が空っぽだったよ』

『ケント様、ならばヴォルザードの裏門の近くに参りましょう』

『えっ? こんな時間に開いてる店なんてあるの?』

『ダンジョン方面に早出していく冒険者や旅人相手の屋台があるはずですぞ』

『へぇ、こんな時間からやってるんだ』


 ヴォルザードの裏門の周辺には、ラインハルトの言う通りに、幾つかの屋台が既に営業を始めていました。

 ダンジョンやランズヘルトの中心部に向かってヴォルザードを出て行く者達に朝食を提供して稼いでいるようです。


 パンやスープ、お茶、サンドイッチにケバブのようなもの、串焼きの肉や揚げパンのようなものも売っています。


 ケバブのようなものとスープを買って、空腹を満たしながら通りを眺めていると、確かに夜が明ける前ですが、旅の支度をした人が結構通りますし、何台もの馬車が乗客を求めて停まっています。


『みんな、こんな早い時間から移動を始めるんだね』

『夏ならば、もう明るくなっている時間ですからな』

『あっ、そうか、冬で夜明けの時間が遅いから、余計に朝早い時間だと思うだけなのか』

『その通りですな。旅では思わぬ出来事が起こる場合がありますから、なるべく早く出発して、余裕をもってその日の宿を取る街を目指すのです』

『なるほどねぇ……』

『まぁ、影移動が出来るケント様には、あまり縁の無い話ですな』

『まぁ、そうだけど、誰かと一緒に旅をする場合には、覚えておかなきゃいけない知識だよね』

『さようですな』


 腹ごしらえを終えてギルドの前に戻ると、鷹山が眠そうに目を擦りながら立っていました。

 ちゃんと遅刻せずに来たみたいですね。


「おはよう、鷹山」

「おぅ、おはよう、眠いなぁ……」

「まぁ、こんな時間だからね」

「その割には、あんまり眠そうじゃねぇけど……お前、顔色悪くねぇか?」


 鷹山でも気付くのですから、まだ相当顔色が悪いのでしょうね。


「あぁ、昨日一人帰還させるのに、属性の奪取をやったから調子はあんまり良くはないね」

「おう、また一人帰ったんだ、何人目、三人、四人か?」

「四人目だね。あの気持ち悪さは、水属性の奪取を終えれば味わわなくて済むだろうしね」

「もしかして、奪った属性とか使えるようになるのか?」

「うん、まだ風属性は使ってないけど、火属性と土属性も使えるよ」

「マジかよ……お前、マジでチートだな……」

「いや、あの気持ち悪さを味わわなくて済むならば、別に他の属性とか使えるようにならなくてもいいよ。マジしんどいから」

「そっか……チートも楽じゃねぇんだな」

「そう言う鷹山だって、他のみんなから見れば十分にチートだけど、楽してたのは最初の頃だけでしょ」


 鷹山の場合は殆ど自業自得なんだけど、勇者扱いを受けていたラストックを出た後は、ちょっと魔力が高いだけの馬鹿野郎でしたからね。


「あぁ、言われてみればそうかもな。魔力はかなり高いみたいだけど、それだけじゃ冒険者とかやっていけないみたいだし、アニメみたいには行かねぇよな」

「まぁねぇ……」

「そうだ、昨日、家にマノンさんが来てくれたみたいで、悪かったな」

「いや、鷹山がヴォルザードの外に出ちゃうとシーリアさん達が不安だと思ってさ、実は僕も気付いていなかったんだけど、唯香とマノンに指摘されて怒られちゃったよ」

「なんだよ。国分も尻に敷かれてんじゃんか」

「当たり前だろ。僕が尻に敷かれてるぐらいじゃないと上手くいかないよ」

「へぇ……ハーレムも楽じゃねぇんだな」

「そうそう、チートもハーレムも楽じゃないよ」


 鷹山と立ち話をしていると、ギルドからドノバンさんが姿を現しました。


「おはようございます、ドノバンさん」

「おはよう、シューイチも来てるな」

「お、おはようございます」


 鷹山が、かなりビビってるんですが、講習で何かやらかしたんですかね。


「ケント、お前荷物は?」

「荷物は、影収納に仕舞ってあるんで手ぶらですね」

「そうか、お前には、その手があるか。シューイチは、それだけか?」

「は、はい、とりあえず着替えだけ持って来いって、国分に言われたので……」

「はぁ……お前ら、ナイフの一本も持って来てないのか?」

「えっと、ナイフなら何本かありますけど……」

「ちょっと出してみろ」

「はい……」


 ドノバンさんが、少しイラっとしているようなので、急いで影収納からナイフを取り出しました。


「ほう、ケント、このナイフはどうしたんだ?」


 ヴォルザードまで来る途中で、魔物に襲われた馬車から頂いたものだと話すと、ドノバンさんは頷いていました。


「ナイフは、持ち手の部分も加えて、自分の肘から手首ぐらいの長さのものにしろ。あまり長いと扱い難いし、短くても役に立たん。刃幅が狭いものは軽いが折れやすいから格闘に向かん。厚み、幅のある物を選べ」


 影収納から出した物の中から、ドノバンさんのお眼鏡に適ったものを僕らは利き手側の腰に吊りました。


「ナイフは、順手、逆手、どちらでも自在に抜けるようにしておけ。武器を手放した場合、お前らの命を守る相棒になるからな。ケント、ナイフが自在に使えていれば、首を落とされそうにならずに済んだはずだぞ」

「はい、そうかもしれません」

「お前の眷属は強力だが、一瞬には間に合わん。戻って来たら、みっちり鍛えてやるから覚悟しておけよ」

「えぇぇぇ……」

「何だ、そんなに早く鍛えてもらいたいのか、よしラウさんに……」

「いえいえいえ、戻ってからで結構です。はい、楽しみにしておきます」

「ふん、まぁ、俺が言わなくても鍛えてもらえるから覚悟しておけ」

「はい……」


 鷹山と顔を見合わせて、がっくりと肩を落としました。

 そこへ通りの向こうから、どよめきが聞こえてきました。


 何事かと視線を上げると、ギガウルフのブランが、馬車のキャビンを引いて姿を現し、鷹山も驚きの声を上げました。


「うぉっ、何だあれ!」

「あれが、僕らが乗っていく車だよ」

「あのデカいのって……魔物じゃないのか?」

「そうだね。ギガウルフのブランは、テイムされた魔物として登録されているから大丈夫だよ」

「マジか? ガブっとか来ないだろうな?」

「さぁ? そこまでは分からないけど……」


 ブランが引くキャビンの御者台には、自称魔物使いのルイージャと、弟で鉄仮面のゴリマッチョ、ガンターが乗っています。

 力強い足取りで近付いてきたブランは、鼻に皺を寄せて少し牙を剥いて睨み付けてきます。


「お、おい、国分、ホントに大丈夫なんだろうな?」

「さぁ、どうかねぇ……」


 ネロを呼び出そうかと思いましたが、またブランがお漏らしすると大変なので止めておきました。

 御者台から降りて来たルイージャも、僕を睨み付けてきます。


「ちょっと、何であんたが居るのよ」

「おはようございます。ルイージャさん、ガンタ君。僕とこっちの鷹山がバッケンハイムまでご一緒させていただきます」

「何よそれ、そんな話聞いてないわよ!」

「またレーゼさんが、面白いから黙ってようとか思ったんじゃないですか?」

「あんたねぇ、慣れ慣れしくレーゼさんなんて呼ぶなって、何度言ったら分かるのよ。マスタ・レーゼ、もしくはレーゼ様よ」


 ルイージャが、僕らに食って掛かってくる後で、大きな体のガンタ君はペコペコと頭を下げると、ギルドの隣の建物へと入って行きました。


「あんたらなんかをブランの引く車に乗せるつもりは無いからね。付いて来たけりゃ自分の足で走って来なさい」

「えぇぇ……まぁ、鷹山はそれでもいいですけど」

「おいっ、駄目だろう。俺も乗せろよ」

「えぇぇ……」

「えぇぇ……じゃねぇよ、えぇぇ……じゃ、人間の足で付いて行ける訳ねぇだろう」

「という事なので、僕らも乗っていきますね」

「という事じゃないわよ。だから乗せないって言ってんでしょう。馬鹿なの?」

「えぇぇ……みんな我侭だなぁ……」

「誰が我侭なのよ。我侭はあんたでしょ」


 ルイージャが僕を指差して声を荒げていると、朝の空気と不似合いな妖艶な声が聞こえてきました。


「なんじゃなんじゃ、朝から騒々しいのぉ……何の騒ぎじゃ?」

「おはようございます。マスタ・レーゼ」

「なんじゃケント、朝からつれないのぉ……そんな堅苦しい呼び方でなく、レーゼと呼んでくれりょ」


 レーゼさんは、コートこそ羽織っているものの、胸元は大きく開けられていて、目のやり場に困ってしまいます。


「お、おはようございます、レーゼ」

「駄目じゃ、もっと愛情と親しみを込めて……」

「お、おはよう……レーゼ……んぐぅ」


 しゃなりしゃなりと歩み寄って来たレーゼさんは、そのまま流れるような自然さで唇を重ねて来ました。

 普通のキスかと思いきや、身体の中から魔力を吸い出されそうになり、慌てて守りを固めました。


「んっ……さすがはケントじゃ、良いぞ、良いぞよ、それでこそ未来のわが子の父親に相応しい」

「昨日、一人属性の奪取をして本調子じゃないので、あまり虐めないで下さい」

「ほう、何の属性を手に入れたのじゃ?」


 新しい属性を手に入れたと知って、レーゼさんは怪しく瞳を輝かせました。


「風属性です」

「それで、いくつ目になるかのぉ?」

「五つ目ですね。残りは水属性だけです」

「そうかぇ、ますます我の伴侶に相応しくなってきておるのぉ」


 チロリと唇を舐めて見せるレーゼさんを見ていると、爬虫類に狙いを定められているように感じてしまいます。


「そろそろ出発しませんか、せっかく早起きしてのに遅くなっちゃいますよ」

「つれないのぉ、ケントは、まぁ良いじゃろう。で、そこな男がケントの情夫かぇ?」

「いやいや、ですからそっちの趣味は無いですからね。鷹山、本部ギルドのマスター・レーゼだよ。挨拶して」


 レーゼさんの存在感に圧倒されていた鷹山は、慌てて頭を下げました。


「た、鷹山秀一です。あっ、いや……シューイチ・タカヤマです。初めまして!」

「ふむ、火属性で魔力に恵まれたと聞いたが……」

「はい、ですが、実戦の経験が殆どありません」

「ほぅ、自分から弱点を曝け出すとは、素直なのか……それとも馬鹿なのか……」

「馬鹿ですね。鷹山は正真正銘の馬鹿です」

「おいっ、何で国分が答えるんだよ!」

「くくくく……良かろう、ラウ、まぁまぁ身体が出来ていそうじゃ、バッケンハイムに戻るまで、少し揉んでやるがいい」


 レーゼさんの存在感に隠れていて、そこにラウさんが居る事にすら気を払っていなかったのでしょう。

 レーゼさんの視線を追って、ラウさんを見つけた鷹山は、少し驚いた後で怪訝な表情を浮かべて会釈をしました。


 てか、何で鷹山は平気な顔してるのかな、ラウさん、怖い、怖い、殺気が怖いって……


「ほっほっほっ……確かに身体は出来ておるが、あまり危ない橋は渡って来てはおらぬようじゃな」

「すみません、ホント馬鹿なもんで、すみません」

「おい、国分、いくらなんでも馬鹿、馬鹿、言い過ぎだろう」

「馬鹿、お前ホント馬鹿。そんなで冒険者なんかやったら、あっと言う間にあの世行きだからな」

「何でだよ。俺の何が悪いってんだよ」


 どうやら鷹山は、ラウさんの怖さに全然気付いていないようです。


「ドノバンよ。このケントというのは面白いのぉ、レーゼがちょっかい出したがるのが良く分かるわえ」

「素材は悪くないと思うのですが、まだまだ子供で甘さが抜けません。バッケンハイムまでの間で、少し絞ってやって下さい」

「ほっほっほっ、良かろう良かろう、そっちの小僧もついでに揉んでくれよう」


 あぁ……これでバッケンハイムまでの観光旅行という線は、完全に断たれてしまいましたね。

 一体どんな修行が待っているのか、考えるだけでも怖ろしいですね。

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