第173話 領主の意向
ヴォルザードの街は、元々はダンジョンのすぐ近くにありましたが、溢れ出て来た魔物によって壊滅してしまいました。
その後、魔物が溢れ出ても大丈夫なように、少し離れた場所に高い城壁で守りを固めて作られたのが、現在のヴォルザードの始まりだそうです。
最初に出来た第一区画は、東西南北に同じ長さの壁を持つ正方形の街として作られました。
街の中は、正方形の対角線上に目抜き通りが走り、それに平行して通りが作られた、碁盤の目を45度傾けた独特の作りになっています。
街が出来た当時、ヴォルザードはリーゼンブルグ王国の一都市であり、王都アルダロスの方向である南西の門が正門、ダンジョンの方向である北東の門が裏門になっていたそうです。
現在は、どちらかと言えば北東方向が、ランズヘルト共和国の中心に向かう方向ですが、依然として南西の門が正門とされています。
最初の街が出来て十年も経たない内に、新たな区画の工事が始められ、城壁の延長と新しい区画の造成は、現在も続けられています。
元々ある城壁の外側に、新たに長方形の区画を付け足す形で、何度も区画の造成が繰り返された結果、今は少し歪な形になっていますが、現在進められている壁の造成が終われば、一番外周は正方形に戻るそうです。
但し、それも一時的なものだそうで、すぐに新たな壁の造成が始まり、また少々歪な形に変わるはずです。
バルシャニアから戻った僕は、委員長とマノンを誘って、領主の館へ来ています。
ベアトリーチェを含めて四人で過ごすためと、クラウスさんに家の用地の件を相談できればと思ったからです。
ヴォルザードの領主の館は、最初に出来た第一区画の北壁にそった大きな土地に作られていて、迎賓館も同じ敷地の中に建てられています。
屋敷自体は、街が出来た当時のものではなく、何度か建て直されているそうですが、最初に大きく敷地を確保しているので、広さとしては問題ありません。
セラフィマの輿入れの話を聞き、更には僕の眷族達も寛げるぐらいの広さと考えると、家の敷地は領主の館ほどではないにせよ、かなりの広さが必要でしょう。
ヴォルザードに、それだけの広さの土地は、現在造成が進められている区画にしかありません。
新しい区画ならば土地は確保できそうですが、領主の館やギルド、守備隊の宿舎などがある第一区画からは、少々離れてしまいますし、幾つかの区画を横切る必要があります。
第一区画に入るまで、直線距離なら3キロまでは無いとは思うのですが、ヴォルザードの場合、区画を横切るという行為にちょっとばかり問題があるのです。
区画の造成は、今ある城壁の外側にあらたな城壁を築いて行われます。
当然、新しい区画と古い区画の間は、従来の城壁で仕切られる形になるのですが、魔物が街に侵入した時や、大きな火災が起こった時のために城壁は残されています。
区画の間を行き来するための門が作られるのですが、区画が何重にも重なる場所をよこぎるには、区画を繋ぐ門の位置によっては、大きく迂回させられる場合があるのです。
影移動で目的地まで行ける僕には関係の無い問題ですが、普通に歩いて移動するには、かなり面倒な思いをする事になるでしょう。
領主の館のリビングで、街の地図を広げながら相談をしているのですが、新しい区画は、あまり立地条件が良いとは思えませんね。
「新しい区画が不満ならば、ここに、自分達で塀を作って土地を確保するんだな」
クラウスさんが指差した場所は、第一区画の西側、魔の森に面した場所でした。
「でも、ここって魔の森が迫って来ている場所ですよね?」
「そうだ。自分達で切り開いて構わんぞ」
「でも、それって家の敷地じゃなくて、魔の森への前線基地って感じじゃないですか」
「まぁ、そうなるが、ストームキャットでも庭に放しておけば、魔物なんか寄って来ないだろう」
「それって、ヴォルザードの魔物除けになれって事では?」
「つまりは、今と変わらないって事じゃねぇか」
クラウスさんは、何を言ってるんだとばかりに笑ってみせます。
まぁ、確かにそうなんですけどね。
「どうしようか? どっちが良い?」
僕としては、第一区画の西側の方が便利で良いと思ったのですが、一緒に住むみんなの意見も聞いておかないと駄目ですよね。
「私も、この西側の場所が良いとは思うけど、自分達で塀を作るのって大変じゃない?」
「うん、僕もユイカと同じで、場所としてはこっちだけど、工事が心配」
「ケント様、塀を作るなんて可能なんですか?」
「まぁ、工事は設計だけしてもらえば、後は何とかなるんじゃないかなぁ……」
基礎部分を掘るのはコボルト隊に任せれば大丈夫だし、石材はフレッドに切り出してもらって、影の空間経由で運んでしまえば手間も掛かりません。
あとは、眷族のみんなに頼んで組み立ててもらえば作れるでしょう。
何より、自分達で切り開くならば、土地代は払わなくても構わないというのが魅力ですよね。
「ケント、どうせなら自分達が使う分よりも大きく切り開いて、ニホンの役人に買い取ってもらえ」
「あっ、そうか、そうですよね。日本がヴォルザードで本格的に活動を始めるならば、絶対に土地は必要になりますもんね」
「魔の森を切り開くのに、切り倒した木は木材として買い取ってやるぞ」
「おぉ、その手があるか……って、クラウスさん、最初から僕にやらせようと思ってたんじゃないんですか?」
「最初っからって訳じゃねぇが、街の地図を広げて土地を探したら、そういう回答に自然と行き着くだろう」
第一区画の南側は、守備隊の宿舎や訓練場がある区画で、元々守りが堅い場所です。
対して西側は、住宅や倉庫が立ち並ぶ区画で、そこに僕が新たに区画を作って、眷族が常駐するようになれば、守りが堅くなります。
無料で土地が手に入るだけでなく、日本政府に売るなり貸すなりすれば、収入を得られるでしょう。
壁の建設程度は、眷族でも可能でしょうが、建物を建てるのは建築屋に頼まないといけません。
家の建設費を土地代で稼げれば、僕はお金を出さなくても大きな家が手に入るという訳ですね。
「うん、じゃあ、ここを切り開いて、三分の一を僕らの家にして、残りを日本政府に売り込もう」
「健人、売り込むのはいいけど、いくらで売るつもりなの? それに、どこのお金で払ってもらうつもり?」
「えっ……えっと、ごめんなさい、まだ考えてません」
あうぅ……みんなに呆れられちゃいましたよ。
「と言うか、まだ造成も終わっていないのに、価格の話なんて……」
「そいつは違うぞケント。大きな組織ほど、動くのには時間が掛かる。予め情報を流しておけば、造成が終わった時点でスムーズに受け渡しが出来るし、金も早く入って来るぞ」
「でも、まだ計画の段階で、何も出来ていませんよ」
「それでも、ニホンが大きく使える土地は、そこしか無いだろう」
「そうか……そうですよね。とりあえず話だけはしてみます」
「いや、ケントじゃ駄目だな」
「えぇぇ……どうしてですか?」
「お前じゃ買い叩かれそうだ」
「ぐぅ、否定出来ないのが辛いです……」
「リーチェ、土地に関するニホンとの交渉は、お前がケントに代わって進めろ」
クラウスさんに命じられると、ベアトリーチェはニッコリ微笑んで頷いてみせます。
「リーチェ、頼んでもいい?」
「お任せ下さい。ヴォルザードの領主の娘として、ケント様の秘書として、未来の嫁として、立派にやり遂げてみせます」
僕よりも年下だけど、交渉における強かさでは、ベアトリーチェの方が上手だもんね。
それに、領主であるクラウスさんの娘では、日本政府も買い叩くような真似も出来ないでしょう。
『ケント様、区割りをしていただければ、地均しに取り掛かりますぞ』
「クラウスさん、区割りだけしてもらって良いですかね。ラインハルト達が地均しだけでも始めたいそうなので」
「おう、構わねぇぞ。そうだな……」
「えっ、そんなに広くて良いんですか?」
「余ったら、ヴォルザードで買い取ってやるから心配すんな」
「と言うか、余るように区割りしてません?」
「あーっ……そうとも言うな」
「まぁ、ヴォルザードに貢献するのは構いませんけど……」
「そうか、じゃあもう少し広く……」
「いやいやいや、もう十分でしょう。どれだけ働かせるつもりなんですか」
新規の区画が作られている場所は、魔の森とは街を挟んで反対側なので、工事をするには安全ですが、立地の点では問題があります。
第一区画に隣接するように区画を増やすには、魔の森を切り開かないといけないので、工事は危険を伴い実行するのが難しい。
僕にやらせてしまえば、安全に立地条件の良い土地が手に入るという訳です。
ヴォルザードの領主様は、ちゃっかりしてますよね。
昼食後に土地の話を始めて、そろそろ午後のお茶の時間という頃に、執事さんがクラウスさんに来客を告げました。
「クラウス様、リツコ・サトー様とケーイチロー・タカシロ様がいらっしゃいました」
「そうか、書斎に案内してくれ」
「畏まりました」
意外な人物の名前に驚いていると、ニヤリと笑ったクラウスさんが僕に命じました。
「ケント、影の中から護衛してくれ」
「えっ、それって……」
「勘違いするな、盗み聞きしてろと言う意味じゃねぇぞ。こう見えてもヴォルザードの領主だからな。面識の少ない異世界人と会うんだ、もしもの事態が起こらないためだ。だから、俺の身に危険が及ぶまでは絶対に影から出て来るなよ」
「はぁ……分かりました」
どうやら高城さんが訪ねて来た訳ではなくて、クラウスさんが呼び出したようですね。
たぶん、僕と高城さんの対立を解消しようと、取り計らってくれているのでしょう。
言われた通りに影に潜って、クラウスさんの後を追って書斎へと向かいました。
『えぇぇぇ……ちょっと、あれは……』
『ほほう、かなり手酷くやられていますなぁ』
書斎のソファーに腰を下ろしている高城さんの左目の回りには、青タンが出来ていますし、右の頬も腫れているように見えます。
一瞬、委員長の一撃の跡かと思いましたが、さすがに違いますよね。
佐藤先生は、憔悴した様子の高城さんを心配そうに見つめていますが、当の本人は、見られている事にも気付いていないようです。
〈休みの日に呼び出してすまなかったな〉
書斎に入ってきたクラウスさんは、気さくに話し掛けながら、二人とテーブルを挟んだ位置に腰を下ろしました。
給仕さんが、お茶の支度をする間、クラウスさんはじっと高城さんを観察し、高城さんはバツが悪そうに視線を伏せています。
〈だいぶやられたみたいだが、余計な事を言わないように、ケントに伝えろと言っておいたが、聞いていなかったのか?〉
「いえ、聞いてました……」
どうやら高城さんは、グリフォンの解体現場で、内臓の中身に関して注文を付けたようですね。
〈だったら、なぜ余計な口出しをしたんだ?〉
「三田君は、理不尽にこの世界へと連れて来られて、この地で命を落とす事になりました。それなのに、遺体どころか遺骨も遺髪も日本に戻してあげられないのでは、ご遺族も友人も、彼の死を受け入れられないと思ったからです」
〈なるほど、お前さんは心の痛みを癒す医者みたいな仕事をしているんだったな?〉
「そうです。こちらの世界から日本に戻れないでいる生徒達の心のケアをするのが、私の仕事です」
〈そのためだったら、ヴォルザードの住民の気持ちを踏みにじっても構わないのか?〉
「いえ、それは……すみませんでした」
普段あまり無いクラウスさんの厳しい口調の問い掛けに、高城さんは悄然と頭を下げました。
〈お前さんが有能だという話は、俺の所にも伝わって来ている。だが、その反面で問題のある言動が多すぎる。率直に言って、今の状態は領主として看過できないレベルだ〉
「申し訳ありません」
〈あまりこうした話はしたくはないんだが、二ホンから来ている連中については、良い評判もあるが悪い評判もある。街の連中は、お前さん達について何から何まで承知している訳じゃないからな。守備隊の宿舎に関しても、ちゃんと家賃を払ってもらっているが、一部の人間は余所者が占拠していると思っているらしい。街に馴染めずに、仕事もしないでフラフラしている連中も悪い評判の原因になってるな〉
この話は、僕にとっても初耳でしたが、たぶんクラウスさんがベアトリーチェに口止めしていたのでしょう。
〈街に馴染んで仕事に精出している連中も居るが、ヴォルザードでは当たり前の事で、特別に評価するほどの事じゃない。二ホンの連中が、敵視されないで済んでいるのは、ケントとユイカの働きのおかげだ。あの二人の働きがあって、ようやく好悪のバランスが取れている状態だが……お前さんの存在は、そのバランスを大きく傾けかねない。どちらにかは……言うまでもないな?〉
「私に、日本に帰れとおっしゃるのですか?」
高城さんの口調は、反発するというよりも、肯定されるのを恐れているように聞こえました。
クラウスさんは、お茶で喉を湿らせてから、話を続けました。
〈聞くところによると、二ホンでは失敗をやらかすと、他の者と首を挿げ替えられちまうみたいだな。ヴォルザードは、一歩塀の外に出れば、いつ魔物に食われたっておかしくない『最果ての街』などと言われる場所で、有能な人材は貴重だ。使い捨てになんかしないが、かと言って好き勝手にさせるつもりも無い〉
「どういう事でしょうか?」
〈やり方を改めろ。出来ないならば、二ホンに帰ってもらう〉
ヴォルザードから追い出される事も覚悟していたのか、高城さんはホッとした表情を浮かべました。
「分かりました。今後はヴォルザードの皆さんの意見を尊重して活動するように心掛けます」
〈あぁ、それもそうなんだがな、お前さんは、何でケントに突っ掛かるんだ?〉
「国分ですか……それは……」
クラウスさんが、ズバっと斬り込んでくれた質問に、高城さんは言い淀みました。
〈お前さんは、ケントの重要度をちゃんと理解出来ているのか?〉
「それは勿論分かっています。あいつが居なければ、ここに居る生徒達や先生方は、日本に帰る事すら出来ません。ヴォルザードにとっても重要な役割を果たしているのでしょう」
〈それが分かっているのなら、どうして突っ掛かる? なんで気持ちを乱すような事を言うんだ?〉
「重要人物だからこそ、大きな力を持っている人間だからこそ、己の行動は厳しく律しないと駄目なんです。力がある者は、世間から重要視される者は、何をやっても構わないなんて風潮がまかり通ってはいけないんです」
高城さんは、意を決したように雄弁に自分の考えを語り始めました。
「あいつがヒーロー扱いされて、あいつのやってる事がまかり通ってしまうなど、許されて良いはずが無い! そもそも力だって偶然手に入れたものじゃないですか、言ってみれば宝くじに当たったようなものです。そんな男がハーレムなんて、許されるはずないでしょう。私は娘を持つ父親として、こんなふざけた状況を許す訳にはいきません。将来、うちの娘が成長した時に、国分のような男が肯定される世の中になっていたらどうするんですか。何人も女を侍らせているチャラい男に騙されたらどうするんですか。クラウスさん、貴方は自分の娘が、国分のような男の毒牙に掛かるのを見ているだけなのですか? それでも娘を持つ父親なのですか?」
突如として熱く語り出した高城さんに、通訳を務める佐藤先生が呆気に取られてしまい、何を言っているのか分からないクラウスさんもポカーンとしてますね。
えっと、もしかして、僕に突っかかって来ていた理由は、クラウスさんやコンスタンさんをも上回る極度の親バカをこじらせていたから……なんでしょうかね。
一時期日本では、僕が三人の嫁候補と付き合っている事が批判の的となっていたそうですが、木沢さんの発言などから風向きが変わり始めて、今では容認する意見の方が多数派になりつつあるそうです。
その一方で、娘を持つ父親達からは強い反発があるようで、高城さんは、その典型なんでしょうね。
〈それじゃあ何か、お前は、ケントが三人の嫁を持つ事が容認されると、自分の娘が年頃に成長した時に、ハーレム野郎の毒牙に掛からないか心配しているのか?〉
ようやく混乱から再起動した佐藤先生の通訳を聞いたクラウスさんは、呆れたような表情を浮かべて尋ねました。
「当然です。自分の娘ですよ、心配するのが当たり前でしょ」
〈娘はいくつになるんだ?〉
「先月、三歳になったばかりです。もう、目の中に入れても痛くないぐらいですよ。マジ天使ですからね。いやリアルエンジェルと言った方が良いかもしれませんね。舞い踊る華のように美しく成長するように、舞華、マイカと名付けたんです。これっ、これが誕生日の時の写真ですけど、どうです、めちゃめちゃ可愛いでしょう!」
ちょっと年齢を聞いただけなんですが、高城さんはスマホを取り出すと、恐らく連写したんでしょうね。同じような写真を延々スワイプし始めました。
てか、あの親バカのクラウスさんが引いてるよ。
〈あぁ、娘が可愛いのは良く分かったから、少し落ち着け。それじゃあ、お前は、ケントが複数の嫁を娶る事に反対してるだけなのか?〉
「そうです。国分が一人の女性を選んで、真摯な交際をするのであれば、僕は何も言いません」
〈それは、お前の考えをケントに押し付けているだけじゃないのか?〉
「とんでもない、日本では二人以上の女性と結婚は法律で禁じられています」
〈だが、ここはニホンではなくヴォルザードだ。多妻も禁じられていないぞ〉
「ですが、あいつはまだ日本の国籍を持っている日本人です」
〈じゃあ、ケントがもうニホンとの往来は止めるって言ったら、お前はどうするつもりだ?〉
「そんな事は許されませんよ! 日本との往来もやらせます」
〈どうやってだ?〉
「ですから、断固とした抗議を行って、間違った考えを正してやるんです」
〈甘っちょろい事をぬかすな〉
自信たっぷりに言い切る高城さんに、クラウスさんは声のトーンを落として言い放ちました。
佐藤先生が訳す前に、クラウスさんの威圧感で高城さんはビクリと身体を震わせて黙り込みました。
〈お前は、ケントの譲歩に甘えているだけじゃないか。抗議だと? そんなもの拒否されれば終わりだろう。考えを正す? ケントが自分の考えが正しいと主張し続ければそれまでだ。言っておくが、ケントが本気になれば、ヴォルザードの守備隊、冒険者を全員掻き集めたって敵わないぞ。やらないだけの話で、ヴォルザードを壊滅させる事だって簡単なはずだ。そんなケントを、お前はどうやって動かすつもりだ? タカシロ、お前は口先ばかりで、実際にケントを動かしたり、拘束するだけの材料や報酬を持ち合わせていないじゃないか〉
「ですが、あいつは日本人として、日本のために……」
〈話を逸らすな。今は、お前の話をしている。ケントと日本政府の話をしているんじゃない〉
高城さんは、一旦言葉に詰まった後で、憤然とした様子で口を開きました。
「どうしてですか。どうしてそんなに、あいつを擁護するんですか?」
〈決まっている。これまでヴォルザードは、散々ケントに守られてきたからだ。極大発生が起こった時、城壁の周囲はゴブリンで埋め尽くされ、更には複数のサラマンダーが街に迫っていた。我々だけだったら、ゴブリンの群れに街中まで入り込まれ、そこにサラマンダーの襲撃を受ける事になっていたはずだ。もしケントが居なかったら、どれぐらいヴォルザードの民の命が失われていたか、ヴォルザードの街自体が無くなっていたっておかしくねぇ。そんな状況を数名の怪我人を出しただけで乗り切れたんだぞ。それだけの恩義を受けたヴォルザードが、ケントを守らないでどうする。ハッキリと言っておくぞ。ケントと敵対するのであれば、ヴォルザードでの滞在は認めない。日本との関係も解消させてもらう〉
「そんな横暴な話は許されませんよ」
〈許す許さないを決めるのは俺だ、嫌なら街から出て行け。ケントの手を借りなくても、街から追い出す事は出来るぞ〉
魔法も使えず、こちらの言葉を話すことすら出来ない高城さんが、街の外へと追放されれば、待っているのは死の一文字でしょう。
反論する言葉を失って、ワナワナと震えている高城さんを見かねて、佐藤先生が助け舟を出しました。
〈クラウス様、高城さんには良く言い聞かせおきますので、今日のところは許していただけませんか?〉
〈リツコ、そもそも、こんな話は俺がする事じゃないだろう。ケントの重要性は、お前達だって身に染みて分かっているはずだ。後から現れた、部外者と言っても良い男が、好き勝手に批判するのをなぜ放置しておく。なぜケントを守らない。お前らは、ケントに命を救ってもらったんじゃないのか? それとも、恩を仇で返すのがニホンのやり方なのか?〉
〈申し訳ありません。仰る通り、国分君に対しての配慮を欠いていました。今後、高城さんが国分君と対立するようであれば、カウンセラーの交代を日本政府に要求いたします〉
〈もう一度だけ言っておくぞ。これ以上の問題を起こすならば、ヴォルザードから退去させる。冗談ではなく、城門から塀の外に叩き出すからな、そのつもりでいろ〉
深々と頭を下げる佐藤先生の横で、高城さんも渋々といった様子で頭を下げました。
〈ケントはヴォルザードが守る。だが、何から何にまで認めて甘やかす訳じゃないぞ。道を踏み外したら、ぶっ叩いてでも性根を入れ替えさせる。そのためには信頼関係が必要なんじゃないのか? タカシロ、お前はケントと信頼関係を築けているか? こうした話は、それこそお前の専門分野じゃないのか?〉
「おっしゃる通りです……」
〈タカシロ、お前、ちゃんとケントを見ているのか?〉
「国分を見る……ですか?」
伏し目がちだった高城さんが視線を上げると、クラウスさんは大きく頷いてから訊ねました。
〈なんでケントが三人……いやバルシャニアの皇女を入れれば四人か、一人ではなく四人もの嫁を持とうとしているのか分かるか?〉
「それは、女好きで、優柔不断で、力があるから調子に乗って……」
〈違う。お前は、ケントを全く理解出来ていない〉
再びテンションが上がり始めた高城さんの言葉を遮って、クラウスさんは言い切りました。
〈ケントは歪んでいる。四人もの嫁を持とうしているのは、別の理由もあるが、一番の理由はケントの心の歪みだ〉
昨日の夜も、ドノバンさんから言われた言葉ですが、あの時よりもドキリとさせられました。
「歪んでいるというのは?」
〈ケントは、自分では気付いていないかもしれないが、家族の愛情に飢えている。両親から十分な愛情を受けられずに育ってきたからだ。だから、力を手に入れて、色んな事が出来るようになってからは、馬鹿みたいに他人のために働き、仲間のためなら這いつくばって頭を下げ、とにかく認められようと必死になっている。両親から見放された時のように、捨てられるのを、一人になるのを怖れている。仲良くなった女を一人に絞れないのも、自分が捨てられたくない心理の裏返しで、切り捨てる事が出来ないからだ〉
クラウスさんの言葉は、雷のように突き刺さってきました。
「それが分かっていらっしゃるならば、教え、諭して、一人の女性に絞らせるべきじゃないのですか?」
〈お前はケントに、死に物狂いで掻き集めた幸せを捨てろと言うのか? 文字通りに、血と汗と埃にまみれて、必死になって働いた末に手に入れた幸せを壊せというのか?〉
「それは……」
〈確かに、今のケントは夫としての務め、家長としての務めなんてものは全く分かっちゃいないだろう。あの歳で分かるはずもないしな。分からなければ教えてやる。足りなきゃ補ってやる。あんなガキが必死になって手に入れて、守ろうとしているのを助けてやるのが大人の仕事なんじゃないのか?〉
クラウスさんの問い掛けに、高城さんは無言で考え込んでいます。
それを見詰めた後、少し声のトーンを変えて、クラウスさんが訊ねました。
〈ところで話は変わるが、タカシロ、お前の娘は救いようの無い馬鹿なのか?〉
「とんでもない、うちの舞華ちゃんは、将来は才媛間違いなしですよ」
〈そうか、ならば、お前が父親として無能なのか?〉
「そんな事はありません。私は立派に父親としての責務を果たしています」
〈そうだとしたら、お前がケントに突っかかるのは的外れだろう。娘が下らない男に引っ掛からないように、お前がキチンと教育しておけば良いだけだ。違うか?〉
「あっ……」
高城さんは目を見開いてクラウスさんを見詰めました。
〈俺からの話は以上だ。帰還を望む生徒が全員無事に帰還できるように、ヴォルザードとニホンが良好な関係を築けるように、各々が努力してくれ、いいな?〉
佐藤先生と高城さんは、深々と頭を下げてから書斎を後にしました。
それを見送った後で、クラウスさんは給仕さんにお茶を二杯言いつけました。
「ケント、出て来て座れ」
「はい……ありがとうございました……」
闇の盾を出して書斎に入り、深々と頭を下げました。
「馬鹿野郎、泣くことじゃないだろうが……」
「でも……嬉しかったから……」
「魔物相手に何度も守ってもらってるんだ、あの手の輩の相手は俺が代わってやる」
「はい、ありがとうございます」
クラウスさんは、普段の人を食ったような笑みじゃなく、春の日差しのような暖かな笑みを浮かべていました。
そのまま暫し無言で給仕さんが淹れてくれた新しいお茶を飲み、おもむろに話し掛けてきました。
「ケント、ヴォルザードでは守ってやるが、ニホンでは守ってやれない。お前、まだニホンでやる事が残っているよな?」
「はい、同級生の帰還と、資源開発の……」
「そんな話をしてるんじゃねぇよ」
「えっ、でも……」
「ユイカの両親には挨拶に行ったのか?」
「うっ……まだ、です」
「はぁ……グリフォン討伐を頼んでおいて、言えた義理じゃないが、忙しさにかまけて身内の事を蔑ろにするなよ。直に新年を迎える事になる。それまでには挨拶を済ませておけよ」
「わ、分かりました」
「うちの息子達も帰ってくるからな」
「ぐぅ、ちゃんと挨拶させていただきます」
「くっくっくっ、色々と楽しみだなぁ、ケント」
くぅぅ、日頃の恨みを纏めて晴らされているように感じますけど、今日ばかりは反撃の糸口すら見付かりません。
「ほれ、戻っていいぞ。俺は、ここで少しやる事があるからな」
「はい、本当にありがとうございました」
「おぅ、分かった分かった……」
クラウスさんに、犬でも追い払うように書斎を追い出され、僕は、みんなが待つリビングへと戻りました。
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