第161話 朝のひととき
僕、国分健人の朝は早い。
下宿先が食堂で、仕込みを早くから始める必要があるから……ではありません。
メイサちゃんに枕代わりにされて、垂らされた涎の冷たさに目が覚めるのです。
夜ベッドに入る時には、僕とメイサちゃん、それにマルト達が川の字になって眠りに就きます。
そう、確かに川の字になっていたはずなのに、朝になると、仰向けに寝た僕のお腹にメイサちゃんが抱き付いています。
抱き枕、もしくは大きなぬいぐるみのような扱いですね。
まぁ、僕にとってメイサちゃんは妹のような存在なので、嫌われるよりは好かれた方が良いに決まっています。
だから、抱きつかれるのは良いんだけど、その体勢でメイサちゃんは、ニヘラっと笑顔を浮かべるんだよねぇ。
お世辞にも美少女チックな笑顔ではなくて、それはそれで親しみやすい可愛らしさがあるのだけど、半開きになった口の端からダーっと涎が垂れてくるんですよ。
それが、冷えて、冷たくなって、目を覚まさせられると言う訳なんです。
まだ、僕が相手だから良いけれど、これが彼氏との初めての夜だったりした日には、百年の恋も冷めかねませんよね。
ん? 相手が彼氏? 初めての夜? いやいや、駄目駄目、お兄ちゃんは許しませんよ。
『ケント様、起きていらっしゃいますかな?』
『うん、今朝もメイサちゃんの涎の冷たさで目が覚めたよ』
『ぶははは……メイサちゃんは、ケント様が大好きですからな』
『まぁ、いいんだけどね。それで、何かあったの?』
『はい、アーブルの兵が王城に入ったようです』
『あぁ、近衛騎士の早馬は間に合わなかったか……』
アルダロスに聳える王城は、守るに易く、攻めるに難し、難攻不落と呼ばれている城です。
城へと向かう広い道は、商店が軒を連ねる目抜き通りとなっていて、昼間は大勢の人で賑わい、軍勢が通り抜ける事など不可能です。
その目抜き通りでさえも、城の外周を囲む水堀に突き当たると、真っ直ぐに渡る橋は存在しておらず、左右どちらかへと堀に沿って曲がらないと、王城へと進んで行けません。
アーブル・カルヴァインの手勢は、まだ街が目覚める前の時間に目抜き通りを抜けて、粛々と王城の内部へと入って行ったそうです。
『いやぁ……実に拙い事になりましたな。王城に王族を人質として立て篭もられたら、寄せ手は攻めあぐねる事間違い無しです、困りましたな』
ラインハルトは、しきりに拙い、困ったを連発していますが、実際には難攻不落の王城を落す事を想像して、こみ上げてくる笑みを抑えきれないといった様子です。
『アーブルの兵が王城に入ったって事は、宰相の裏工作が上手く行ったって事なのかな?』
『その辺りにつきましては、後ほどフレッドからお聞き下され』
ラインハルトの話によれば、王城の中へは基本的に貴族の私兵が足を踏み入れる事は無いそうです。
基本的にと書いたのは、他国の軍勢が王都まで進軍した時などは、共に篭城することも想定されているようです。
遥か昔、今は魔物の巣窟となってしまっている南の大陸にも人の国があり、リーゼンブルグと敵対していた頃には、篭城に近い状況まで追い込まれた事もあったようです。
『この状況で、カミラに付いている近衛騎士から知らせが届いた場合、王城に居る近衛騎士はどう動くと思う?』
『そうですな……国王次第でしょうな』
『そう言えば、近衛騎士は騎士団長の指示で動くんだよね? その近衛騎士団長は、国王の指示で動くの?』
『平時においてはそうですが、有事の際は、独自の判断を行い、国の利益を優先で動きます』
『それって、国王の命令に背く場合もあるって事?』
『そうです。そうですが、そのような状況は滅多にありませぬ』
例えば、他国に進軍したものの敗色濃厚、それでも国王が進軍を指示した場合などには、国王を護るという目的のために、命令を無視して撤退する場合もあるそうです。
『それに、国王の命に背くのは、その責任を取って自死する覚悟の上です』
『それって、国王が自分の命を懸けるのに値する人物か否かによって、騎士団長の対応が変わるって事だよね?』
『いかにも、その通りでございますな。あとは、どれ程リーゼンブルグへの忠誠心を持ち合わせているかによっても、対応は変わってくるでしょうな』
『いずれにしても、ラストックを発った近衛騎士の情報が届いて、どうなるか見届けないと動けないよね?』
『そうですな、国王や宰相が、どのような判断を下すのか、それに対してカミラ嬢や第四王子がどう動くのか、それを見てからでしょうな』
アルフォンスが毒殺されて、残る王子はディートヘルムだけになり、必然的に王位を継承する事になると思ったのですが、まだ一波乱ありそうな気がします。
ラインハルトとの打ち合わせを終えた頃、そっと音を立てないようにしてドアを開け、アマンダさんが入って来ました。
メイサちゃんが一緒に寝るようになってからは、部屋のドアには鍵を掛けないようにしていますし、アマンダさんにも様子を覗きに来ても大丈夫だと伝えてあります。
僕と目が合ったアマンダさんは、右手で顔を覆いながら、溜息を洩らしました。
「はぁ……今朝もかい、すまないねぇ、ケント」
「もう慣れましたから、大丈夫ですよ」
ちょっと布団をめくって、メイサちゃんの様子を見せると、アマンダさんはもう一度大きな溜息をついた後で、怒鳴りつけるために大きく息を吸い込みました。
でも、アマンダさんは地声が大きいから、怒鳴ると近所迷惑になりそうなので、片手を挙げて待ったを掛けました。
怪訝な顔をするアマンダさんが見守る前で、まずはメイサちゃんの頭を撫でてみます。
するとメイサちゃんは、にたぁぁぁっと笑みを深くした後で、ギューっと強く抱き付いて猫みたいに顔を擦り付けて来ます。
続いて、耳の後ろを撫でてみると、くすぐったいのか首を竦めてイヤイヤし始めました。
まだ起きそうもないので、今度はプニプニと頬を突っついてみると、眉間に皺を寄せて、口元をモニュモニュさせた後、ようやく薄っすらと目が開きました。
ほっぺたを更にツンツンすると、ぼやーっとしていた目の焦点が合い始めて、メイサちゃんはビクっと身体を震わせると、僕とアマンダさんの顔を確認すると顔を真っ赤にしました。
「まったく……いつから、そんなにケントが大好きになったんだい?」
「そうなの? メイサちゃん」
「ち、違うもん……そうじゃなくて……違うんだもん」
まだ半分寝惚けていて上手い言い訳が思いつかず、口を尖らせているメイサちゃんを見て、アマンダさんと二人でニマニマしちゃいました。
「ほらほら、さっさと着替えて、メイサは朝食前にケントの寝巻きの洗濯だよ」
「よろしくね、メイサちゃん」
「うーっ……分かった」
仕込みの手伝いに来たメリーヌさんも加わって、四人で朝食を済ませたら、今日も一日の始まりです。
昨日は、最初に委員長の所に行ったので、今日はマノンの部屋から訪ねてみました。
影の空間から部屋を覗くと、寝巻き姿のマノンはベッドの上に服を並べて、あれやこれやと組み合わせを変えては首を捻っています。
そこへ、ドアを開けて弟のハミルが顔を出しました。
「姉ちゃん、ご飯だよ……って、何やってんの?」
「ちょっと、ノックぐらいしなさいよね」
「もしかして、今朝もあいつが来るのか?」
「そうよ、ちゃんと挨拶しなさいよね」
「やなこった……何であんな奴に……」
「ハミル、ケントは、あなたの……お、お、お義兄ちゃんになるんだからね」
「ふん、あんな奴、俺は認めねぇからな……てか、姉ちゃん、ブラジャーなんか必要無い……ふぎゃ」
「この口? ふざけた事を言うのは、この口かな?」
おう、まるで瞬間移動したかのような素早さで、マノンがハミルの口の端を抓り上げてますね。
「いひゃ、いひゃい……ごふぇんなふぁい!」
「今度余計な事を言ったら、引き千切るからね……」
「わふぁった、わふぁりまひた……」
涙目になったハミルを追い出して、マノンは着替えを始めました。
着替えを終えたマノンが、鏡に向かって髪を梳かし始めたところで、声を掛けました。
「マノン、入ってもいい?」
「ケント? う、うん、ちょ、ちょっと待って……はい、いいよ」
慌ててて髪を梳かし終えたマノンの前に闇の盾を出して表に出ます。
「おはよう、マノン、今日も可愛いよ」
「はぅぅ……ありがと、ケント」
そっとハグしました。
「ケントは、今日も忙しいの?」
「今日は、日本の役人さんを連れて来るぐらいだけど、日本に行くと面倒事が待ってそうな感じもするんだよねぇ……」
「昨日、タヤマが亡くなったばかりだものね」
「うん、日本に戻った小田先生の事も気になるしね」
「じゃあ、お昼は戻ってこられないのかな?」
「マノンは、今日も診療所に行く予定?」
「うん、暫くの間は、そうするつもり」
「じゃあ、戻って来られそうだったら連絡するよ」
「うん、待ってる」
もう一度ハグしてから、マノンと一緒に階段を下りて、ノエラさんとハミルにも挨拶をしてから影に潜りました。
向かった先は委員長の部屋ですが、今日は着替えも済ませ、ベッドに腰掛けて待ち構えていました。
「唯香、入ってもいい?」
「どうぞ……おはよう、健人」
委員長は、自分の隣に座るよう、ベッドをポンポンと叩いて誘ってきました。
「おはよう、唯香、今日も可愛いよ」
「えっ、あ、ありがとう……」
少し頬を赤らめた委員長の隣に座りながら、そっとハグします。
うん、このまま押し倒しちゃ駄目ですかね。
「今朝は、先にマノンの所へ寄って来たのね」
「えっ、どうして分かったの?」
「だって、私が先だと、可愛いって言ってくれないでしょ?」
「えっ……い、いや、だって昨日は、その、着替え中だったし……」
「唯香は怖い……とか思ってるんじゃないの?」
「とんでもない! 唯香はすっごく可愛い! 僕になんか勿体無いぐらい可愛いよ」
「本当に……?」
「本当だよ」
委員長は、少し潤ませた瞳をそっと閉じました。
もう、押し倒しちゃっても良いよね。
でも、抱き寄せたら、雑音が聞えてきちゃったんですよね。
「ちょっとうるさい! 聞えないじゃないの」
「しーっ! 声大きいよ、聞えちゃうわよ」
はい、しっかり聞えてますよ、ドアの向こうの野次馬さん達。
委員長は、耳まで真っ赤になってます。
めっちゃ可愛いけど、めっちゃ気まずいですよね。
「えっと……続きもしちゃう?」
「ばか……健人のエッチ」
「ぐふぅ……ごめんなさい、冗談です」
やばいです。赤くなって拗ねてる委員長は、破壊力ありすぎですよ。
もう面倒な仕事とか、全部放り出しちゃっても良いですかね。
「健人、今日は外務省の人を迎えに行くんだよね?」
「うっ……そうでした。でも、日本時間で十時の約束だから、まだ大丈夫だよ」
「日本で、健人に色んな事を言う人がいるかもしれないけど、気にしなくても良いからね。健人は凄く頑張ってるって、私達はちゃんと知ってるからね」
「うん、分かった。ありがとう、唯香」
委員長が心配するという事は、また日本で叩かれているのでしょうかね。
でも、叩かれようが、褒められようが、僕のやる事は変わらないし、委員長達が理解してくれているなら大丈夫です。
「じゃあ、そろそろ行くね。クラウスさんにも報告しないといけないから」
「そうだよね。行ってらっしゃい」
「うん、行って来ます」
もう一度ギュってしてから影に潜って、今度はベアトリーチェの所へ移動です。
タイミング良く、ベアトリーチェはクラウスさん達との朝食を終えたところでした。
領主一家が寛ぐ食堂へとお邪魔しました。
「おはようございます。昨日は同級生がお騒がせして申し訳ありませんでした」
普段なら、ベアトリーチェから近付いて来て、チュってする所ですけど、今朝はキッチリと頭を下げて挨拶から始めました。
「おはよう。確かに少々騒ぎになったが、ケント、お前の仲間がヴォルザードに来てからもう一ヶ月になる。馬鹿やって魔物に殺されたところで、お前が謝罪したり責任を感じる事じゃ無いだろう」
「そうですよ。ケントさんはヴォルザードの人になるのですから、むしろ迷惑掛けるなと怒っても良いくらいですよ」
「はい、そう言っていただけるのは有り難いです。お義父さん、お義母さん」
マリアンヌさんは満面の笑顔を浮かべ、クラウスさんは渋い表情を浮かべてますね。
ここで席を立って歩み寄って来たベアトリーチェとハグすると、マリアンヌさんは益々笑顔になり、クラウスさんは益々渋い表情になりました。
ごめんなさい、ちょっと狙ってました。でも、ちょっと楽しいので続けさせていただきます。
「お義父さん、今日は日本から外務省の職員を三名連れて来る予定でいます。こちらに常駐して、ヴォルザードとの今後の交流の準備を進めながら、同級生達の支援を行う予定です。それと報告が遅れましたが、昨日、心理カウンセラーの方を一人連れて来ています。外務省の職員と同様に、臨時宿舎に滞在してもらう予定です」
「そうか、その心理カウンセラーとかいう人物の話は、ベアトリーチェから聞いている。外務省の職員達も歓迎しよう。何か問題や要望がある時は、遠慮せずに言って来い。この先の交流を円滑に進めるには、相互理解が不可欠だからな」
「はい、よろしくお願いします」
僕が頭を下げると、クラウスさんは再び渋い表情を浮かべました。
「だからよぉ……ケント、お前はどこの人間なんだ?」
「えっ……?」
「お前はヴォルザードの人間になるんだよな?」
「はい、そうです。僕は日本とヴォルザードの友好のために日本に戻る事があっても、生活の基本はヴォルザードに置くつもりです」
「だったら、お前はお願いする側じゃなくて、お願いされる側だろう」
「あっ……そうですね」
「まぁ、急には変えられないだろうが、自分の立ち位置をハッキリさせるためにも、普段から意識するようにしておけよ」
「はい、分かりました。お義父さん」
「ちっ、余計なところばっかり意識しやがって、ヴォルザードに来たばかりの頃は、もっと可愛げがあったのによぉ……」
ブチブチと不満を洩らすクラウスさんに、笑いを堪えながマリアンヌさんが話し掛けます。
「あらあら、こんなに可愛らしい婿殿に文句なんか言ったら罰が当たりますよ。何しろリーチェの命の恩人でもあるんですからね」
「そうですお父様、私の大切な旦那様になるのですからね」
「へぇへぇそーですか……ちっ、ケント、良く覚えておけよ。あと二十年もすれば、お前も今の俺と同じ……いや、嫁が多い分もっと苦労することになるな。ざまぁみろだ」
「いえいえ、僕は未来のお嫁さん達と一緒に過ごす時間を苦労だなんて思った事はありませんから、心配御無用ですよ」
自分に対する風当たりが強いからと言って、僕を巻き込もうとしたって無駄ですよ。
「ほぉぉ、噂によれば、三人の前で床に座らされて、ちょいちょい絞られてるとか聞くけどなぁ……」
「ぐぅ、そ、そんな事あったかなぁ……良く覚えてないです」
「で、バルシャニアの皇女は、いつヴォルザードに来るんだ?」
「いや、それはリーゼンブルグの内紛が片付かないと……」
「未来の嫁と毎朝ちゃんと顔合わせをするのは良いが、一国の皇女をほったらかしとか、ヴォルザードとしても拙いよなぁ……」
「ぐふぅ、わ、分かりました。セラフィマの所にも顔を出すようにしますよ」
「あぁ、そう言えば、お前、唯香の両親には挨拶したのか?」
「ぐほぉ、ま、まだ……です」
「そうか……ケント、今日も一日頑張れや」
「はい……」
くっそぉぉぉ、勝ち誇ったようなクラウスさんの笑顔がムカつきます。
外務省の職員は、ギルドのクラウスさんの執務室へ連れて来るように言われました。
そのまま滞在の登録をするそうで、カウンセラーの高城さんも一緒に登録出来るように案内してくれるそうです。
やられっぱなしで帰るのも癪なので、クラウスさんに見せ付けるようにして、ベアトリーチェと長めにハグしてから影の空間へと潜りました。
向かった先は、バルシャニアの国境の街チョウスクです。
良く考えたら、鉄筋を配達した後は全然訪れていなかったんですよね。
一応コボルト隊には、バルシャニア軍の動きは見張らせておきましたが、偵察を担当していたフレッドも、今は元第一王子派に付いている状態です。
リーゼンブルグへと侵攻する恐れが無くなったとは言っても、少々放置しすぎましたかね。
そのチョウスクでは、行商人の足止めも解除されたらしく、砂漠へと進んで行くキャラバンの列も見えます。
その一方で、バルシャニアの部隊が移動を始めていました。
とは言っても、砂漠の方向ではなく、バルシャニアの中央に向かっての移動のようです。
『ケント様、どうやらあれは第一皇子が率いてる部隊のようですな』
「あれ? こっちの部隊は砂漠の方に向かっていない?」
『確かにそうですが、あれは攻撃部隊ではなく工兵隊のように見えますな』
「工兵隊って?」
『簡単に言うならば、軍の土木工事を担当する部隊です』
「なるほど……」
確かにラインハルトが言う通り、砂漠に向かっている部隊が担いでいるのは、槍や剣ではなく、スコップやツルハシみたいな道具のように見えます。
「かなりの人数じゃない?」
『そうですな。ざっと見たところで二千人以上は居そうですな』
「これって……砂漠の開拓部隊?」
『おそらく、そうでしょうな』
一糸乱れず足並み揃えて行進する工兵隊の一番最後には、ラクダのようなロバのような動物に乗ったセラフィマと護衛の女性騎士の姿がありました。
「ラインハルト、あの動物は何て言うの?」
『あれは、ベルフトと言って砂漠に強い動物ですな。見ていただければ分かりますが、蹄が大きく、砂に潜りにくいのが特徴です』
確かに蹄が大きくて、馬よりも足が長く、胴が短く見えます。
首の付け根のあたりに、こぶのようなものがありますが、もしかすると水分を貯めておく袋なのでしょうかね。
工兵隊の一行は橋を渡り終えると、川上に向かって川沿いの道を進みます。
開拓した農地を囲むように掘られた水路に架かる橋を超え、更に先へと進んだ所に工事の現場がありました。
現在の開拓農地は、橋を中心にして扇状に広がっていますが、どうやらその半径を倍にした水路を新設しているようです。
水路を掘り、防砂林を植え、内側を一気に農地にしてしまおうという考えのようです。
現場に到着すると、図面を開いたセラフィマが、隊長らしき男たちに指示を与えて工事が始まりました。
工兵部隊には土属性の術士だけでなく、風属性や水属性の魔術士も混じっているらしく、そうした者達が川の水を使って、いわゆる打ち水をして砂漠の砂が飛ぶのを押さえているようです。
術を使う者、身体強化した肉体を使って壁面を仕上げる者、測量を担当する者など、統率が取れた動きで、水路が形作られていきます。
『ほう、これは見事に統率されていますな』
「随分と広く、深く掘るんだね」
『恐らくですが、農作物などの運搬に使う船を通すことも考えてでしょうな』
「なるほどねぇ……良く考えてあるんだね」
セラフィマは、裾を絞ったパンツに、砂と直射日光を避けるためなのか、フードの付いた丈の長い上着を羽織り、既に出来上がった護岸から進捗状況を見据えています。
驚かせないように、護衛の女性騎士に問答無用の攻撃を受けないように、少し離れた場所から声を掛けました。
「おはようございます。セラフィマさん」
「あっ……ケント様、おはようございます」
セラフィマは、剣の柄に手を掛けた女性騎士を目で制すと、手を合わせて軽く腰を屈めるバルシャニア風の挨拶で出迎えてくれました。
「そちらに行っても構いま……」
僕の言葉が終わるよりも早く、風に吹かれた綿毛のような軽やかさで駆け寄ってきたセラフィマに抱き付かれてしまいました。
「花嫁を四日も一人にするなんて、本当に酷い方です」
「えっと……ごめんなさい。と言うか、ちょっと拙いんじゃないですかね」
完全に工事が止まっていました。のみならず、周囲からは殺気を含んだ視線が突き刺さって来ます。
「大丈夫です。私とケント様の婚約は、既に民へと知らせてございます。ここに居る者達も皆承知しておりますよ」
「えぇぇぇ……でも、祝福ムードとか一切無いように感じるのですが……」
「うふふふ、それはケント様の気のせいですわ」
笑みを浮かべたセラフィマは、再び僕の首に両腕を回して、頬にキスして来ました。
周囲は、地獄の底に落ちた亡者の呻きのごとき怨嗟の声に包まれています。
うん、呪い殺されるんじゃないかと真剣に心配になりますよ。
「ケント様、本日はゆっくりなさっていただけますよね?」
「ごめんなさい、今日も仕事が山積みなんです」
「はぁ……仕方ありませんね。有能な殿方が頼りにされるのは世の常ですからね」
「それで、セラフィマさんといつでも連絡できて、いつでも来られるように、僕の眷族を付けておこうかと思ってね」
「眷族と申しますと、あのスケルトンやコボルトでございますか?」
「うん、ヒルトおいで」
「わふぅ、ご主人様、呼んだ?」
影の中から飛び出して来たヒルトは、僕の足元でブンブン尻尾を振っています。
撫でてあげると、更に激しく尻尾を振り回しました。
「僕は眷族が居る場所ならば、行った事の無い場所でも瞬時に移動出来るし、眷族も僕の所にはすぐ戻って来られるんだ。ヒルトに側に付いていさせるから、用がある時には連絡を頼んで」
「コ、コボルトが喋った……」
「ヒルトだよ、よろしくね」
「セラフィマです。こちらこそよろしくお願いしますね」
セラフィマも、最初はおっかなびっくりヒルトを撫でたのですが、すぐにモフモフの手触りに魅了されましたね。
「もう少し工事の様子を見ていたいけど、そろそろ行かないといけないので、またゆっくり見学に来るね」
「はい、いつでもいらして下さい」
もう一度ハグして影の世界へと潜りましたが、またしても怨嗟の呻きが周囲を支配しました。
これって、セラフィマを放置しておくよりも、ヴォルザード的には拙いんでないの?
まぁ、すでに手遅れですけどね。さぁ、日本に向かうとしましょう。
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