第159話 避けられない瞬間
僕を心配して、委員長達が訓練場へ付いて来てくれました。
正直に言うと、むしろ見られたくないんですよねぇ……小田先生とのキスなんて。
いや、違いますね。キスなんて思うからいけないのです。
儀式……いや人工呼吸のようなものだと思えば良いのです。
命を救うために止むを得ず行う、あくまでも人道的な措置……なんて思ってみても、やっぱり小田先生を帰還させるのは気が乗りませんよね。
訓練場に到着すると、小田先生は何度も魔法を使っていたのか少し呼吸が上がり、額にも薄っすらと汗が浮かんでいるように見えます。
「国分、何かトラブルでもあったのか?」
「いえ、田山の搬送には問題は無かったのですが、日本からカウンセラーさんを連れて来たのと、渡瀬が興奮して取り乱していたので……」
「そうか、渡瀬は大丈夫そうか?」
「はい、今はカウンセラーさんが付いていますので、大丈夫かと」
「そうか、それならば安心だな。じゃあ、始めるか?」
「はぁ……」
「気持ちは分かるが、そんなに嫌そうな顔をするな。俺だって好き好んでやる訳じゃないからな」
訓練場にはシートが広げられていて、いつでも帰還のための魔力奪取が行えるように準備が整えられています。
幸いにして、同級生達は渡瀬の様子や田山の事に意識が向いているらしく、こちらには来ていません。
「じゃあ、あと二、三回魔法を使うから、準備しておいてくれ」
「分かりました」
小田先生が詠唱を行い、土属性の魔法を使う間に、精神集中しておきます。
シートに坐って目を閉じて、呼吸を整えているとマノンが声を掛けてきました。
「ケント、このタオルを使って」
「タオル? 何に使うの?」
「その……鼻から上を隠しておけば、少しは気分的に楽になるかと思って」
「なるほど、顔が見えなければ、少しは違うかもしれないね。ありがとう」
マノンのお礼を言ってタオルを受け取ったのと同時に、小田先生がふらつく足取りで戻って来ました。
かなりギリギリまで魔力を使った感じに見えます。
小田先生は、既に奪取した事のある土属性ですし、意識を集中すれば、案外簡単に属性の奪取が出来るかもしれません。
「国分、準備は良いか?」
「はい、人工呼吸の講習だと思ってやりますので、こちらに横になって下さい」
「なるほど、人工呼吸だと思えか……」
小田先生は、苦笑いを浮かべながらシートに横になりました。
「先生、ちょっと顔を隠させてくださいね」
「うむ、私は目を閉じているつもりだったが、確かに顔を隠しておいた方がお互いのためかもしれんな」
横になった小田先生の鼻から上をタオルで隠し、深呼吸を繰り返したあとで、声を掛けました。
「それじゃあ、始めますね」
「すまんな。頼んだぞ」
不精髭が少し伸びた顎は、どうみても女子のものではありません。
それでも覚悟を決め、集中力を高めて、小田先生の唇に自分の唇を重ねました。
変に意識をしてしまっているからなのか、ぬちょっとした感触に怖気が走ります。
それでも意識を集中して、小田先生の魔力を探ると、これまでに無いほどに鮮明に魔力を意識する事が出来ました。
たぶん、すでに土属性を自分のものとして、ゴーレム制作などで活用してきたおかげなのでしょう。
小田先生の身体の隅々まで広がっている魔力を、あたかも自分の魔力であるかのようにイメージして、一気に吸い出しました。
「んっ……んんぅぅ……」
魔力を吸われ、属性を奪われるのは、体に多大な負担が掛かるのでしょう、小田先生は苦しげな息を洩らしています。
木沢さんの時には十分以上掛かりましたし、久保さんの時でも五分以上は掛かりましたが、今回は三十秒程度で魔力の吸出しから付与までを済ませられました。
まぁ、体感的には永遠かと思うほどの長さではありましたが……。
「んぁ……うぇぇ、やっぱり頭がグラグラするぅ……ちょっと行って来るから、みんなはここで待っていて」
「健人、治癒魔法を掛けるから……」
「いや、多分無理……前に自己治癒掛けても駄目だったから、ラインハルト、先生をお願い」
『承知しましたぞ』
魔力を吸い取られたせいか、腰が抜けたようになっている小田先生にラインハルトが手を貸して、そのまま闇の盾を抜けて練馬駐屯地へと向かいました。
「須藤さん、先生を連れて来たんで、お願いしますね」
駐屯地の医務室では、田山の検視が行われていましたが、構わず小田先生を放り出させてもらいました。
「国分君、大丈夫かい」
「あんまり大丈夫じゃないので、戻ります……」
「分かった。体調が戻ったら梶川君にでも構わないから連絡してくれたまえ」
「分かりました。では……」
もう一度、闇の盾を潜り、委員長達が待っている訓練場へと戻ります。
「ネロも一緒に来て……」
「分かったにゃ、ご主人様は早くネロと一緒に休むにゃ」
訓練場へ大きな闇の盾を出して、ネロと一緒に表に出ました。
「た、だいま……」
「きゃぁぁぁぁぁ……」
「えっ、なに? どうかした?」
突然上がった悲鳴の方へと視線を向けると、ベアトリーチェがへたり込んで震えています。
「あぁ、ゴメン、リーチェにはネロを紹介していなかったね。ネロ、ベアトリーチェだよ」
「ネロだにゃ、よろしくにゃ……」
「は、はい……よ、よろしく……」
ベアトリーチェは座り込んだまま、ガクガクと頷いています。
「じゃあネロ、いつもみたいに、お願いね」
「分かったにゃ」
ネロは、鼻をヒクヒクとさせて風向きを確かめると、風が当たらないように、日が当たるようにゴロンと横になりました。
そのフカフカなお腹に埋もれるように寄り掛かり、委員長達に手招きをしました。
「健人、お昼ご飯は?」
「んー……今は要らない、食べたくない……」
「じゃあ、起きた時に食べられるように、何か買って来てあげる」
「んー……行っちゃうの?」
「すぐに戻って来るから、マルト達と待ってて」
「ん、分かった……」
「僕も一緒に行ってくるよ」
「わ、私も……ちょっと……」
何だかベアトリーチェが、顔を赤らめながらモジモジしていて、溜息を付いた委員長とマノンにジト目で睨まれちゃいました。
あれ、何かやらかしちゃいましたかね。
何だろう、頭が働かないから、後で考えますね。
ネロに寄り掛かって、マルト、ミルト、ムルトに囲まれれば、起きているなんて不可能ですよね。
フワフワ、モフモフを堪能しつつ、眠りに身を任せました。
暫くして、意識が眠りの底から浮上してくると、抱えていたはずのモフモフの手触りが変わっていました。
「んっ……やっ……」
腕の中でビクっと身体を震わせているのは、マルトではなくベアトリーチェのようです。
薄目を開けると、目の前で垂れウサ耳がピクピクしています。
こ、ここは千載一遇のチャンスですし、ちょっとハムっと甘噛みしちゃいましょうかね。
寝てる振り……あくまで寝てる振りをしつつ……
「健人、起きてるでしょ?」
「ひゃっ! えっ、えっ、あれっ? ここは……」
「あぁ……ごめんなさい。起こしちゃったみたい」
突然、耳元で囁かれたのに驚くと、委員長は僕がまだ眠っていたのだと勘違いしてくれました。
あぁ、危ないところでした。委員長の存在を忘れていましたよ。
「わっ、リーチェ? あれっ、マルトは……」
「お願いして替わっていただきましたの」
「そ、そうだったんだ。てっきりマルトだと思って……」
ネロに寄り掛かった僕の右側に委員長、左側にはマノン、そしてベアトリーチェを抱えた格好で眠っていたようです。
うん、なんと言うパラダイス、てか、早くゴタゴタを片付けて、毎日味わいたいと思うのは贅沢なんでしょうか。
目が覚めると同時に、胃袋も目覚めたようで、盛大にお腹が鳴りました。
「健人、サンドイッチを買って来てあるけど、食べられる?」
「うん、やっぱり一度奪取した属性だと、身体への負担も小さくで済むみたいで、気持ちの悪さも治まってきたから大丈夫」
どうやら魔力の奪取は、本来持っていない属性だと負担が大きく、持っている属性でも他人の魔力を取り込むと、やはり体調を崩すようです。
「風属性と水属性の魔力を取り込む時は、かなりの体調不良を覚悟しないと駄目だし、土属性と火属性であっても、一度に何人も帰還させるのは無理かな」
「そうみたいね。今回見ていて、魔力を奪うのに掛かった時間は短かったけど、終わった直後の健人は、やっぱり倒れそうだったもの」
「とりあえず、どうしても早く帰りたい風属性か水属性の人を優先して、全ての属性をスムーズに奪取できるようにした方が良いのかな。そうすれば、毎日は無理だけど、三日に一度ぐらいのペースなら無理なく帰還を進められそうな気がする」
「そうだね。私からも次に帰還させる人選について、先生に話しておくよ」
サンドイッチを食べながら、委員長と今度の帰還について話をしていたら、マノンが質問してきました。
「ねぇ、ケント、あのカウンセラーって人は、何をする人なの?」
「えっとねぇ……気持ちが不安定になっている人の話を聞いて、心が軽くなるようにアドバイスをする人かな」
「そうなんだ、何だか凄かったね。ケントの友達が取り乱していて、僕なんて、どうしたら良いのか分からなくてオロオロしちゃってたのに、ユイカに聞いたけど、まさか好きなように叫べなんて言ってたとは思わなかったよ」
「そうだね。確かに、そうかも……」
確かにカウンセラーとしての腕前は凄いみたいだけど、僕に対して妙に突っかかって来るのは止めてもらいたいよね。
僕の声の調子が変だったのに、ベアトリーチェが気付きました。
「ケント様、どうかなされましたか?」
「えっ、いや……カウンセラーの高城さん、妙に僕には風当たりが強いんだよねぇ」
「それは、ケント様の実績に対する嫉妬ではありませんか?」
「嫉妬、なのかなぁ……そう言えば、貰った力で調子に乗ってる……とか言ってたっけか」
「酷い! 何それ、許せない。健人がどんなに頑張ってきたのかも知らない人に、そんな事を言われたくない!」
「そうだよ。ユイカの言う通りだよ。ケントが頑張ってくれなかったら、どれほどの人が犠牲になっていたか、ヴォルザードの街だって、どうなっていたか分からないのに」
「ケント様が、ご自分が倒れるぐらい頑張って下さったから、私はこうして生きていられるのです。ケント様……」
おふぅ……ベアトリーチェが、僕の腕の中でクルっと身体を回して、正面から抱き付いて来ました。
「ちょっとリーチェ……」
「ぼ、僕だって……」
おふぅぁぁ……委員長とマノンも抱き付いて来て、パラダイス、ここはパラダイスです!
「混ぜて、うちも混ぜて!」
「うちも、うちも一緒!」
「ご主人様、撫でて!」
ぐはぁ、マルト達も乗っかって来たら、潰れるって……でも、いいか平和だから、うっぷ、サンドイッチが逆流しそう……
「にゃぁ、楽しそうにゃ、ネロも……」
「待って! ネロは無理、潰れちゃう!」
「にゃははは……冗談にゃ」
二時間ほど眠って、軽く食事もした事で、体調はだいぶ良くなってきました。
そう言えば須藤さんが、梶川さんでも構わないから連絡してくれとか言ってましたね。
でもここは、鈴木さんに電話した方が良さそうですよね。
今朝スマホに掛かって来た番号に、電話を掛け直しみます。
「もしもし……」
「はい、鈴木です。どちら様でしょうか?」
うん、まだ怒ってるよね。これ携帯の電話番号だし、僕からの電話だって絶対に分かってるはずだしね。
「えっと……国分です。落ち着いたら、そちらに連絡するように言われたのですが……」
「はい、明日の事ですが、外務省からヴォルザードに三名の職員を派遣する事になりましたので、迎えに来ていただきたいのですが、体調は大丈夫ですか?」
「えっと……そうですね。そちらから連れて来るだけならば問題無いと思います」
「では、日本時間で十時に迎えに来ていただけますか?」
「分かりました」
「それと、三名が宿泊出来る場所を確保していただきたいのですが……」
「そちらは、確認してみないといけませんが、職員の方は全員男性ですか?」
「いえ、男性2名、女性1名です」
「了解です。宿舎の件は、確認してから改めて連絡します」
「よろしくお願いします」
外務省の職員さんが滞在する場所を確保しないといけませんが、三人が来てしまえば、日本からの要求の多くは、そちらに割り振られるはずですから、僕への負担も減るはずです。
「唯香、外務省の職員の方が来るんだけど、一人女性の方がいるみたいなんだ。女子寮の部屋に空きはあるかな?」
「たぶん大丈夫だと思うよ。木沢さんも久保さんも帰国したし、関口さんは……だからね」
「そっか、じゃあ男子寮の方に、二名分の部屋を確保出来れば大丈夫だな」
男子寮も、鷹山が出て行ったし、小田先生が帰国しましたから、二部屋は確実に空いているはずです。
宿舎に関しては、特に心配は要らないでしょう。
「ケント様、宿舎は問題無いとして、事務所はどういたしますか?」
「そうか、外務省の人達は、観光に来るんじゃないもんね。うーん……どこか建物を借りた方が良いのかなぁ……」
「健人、それは連れて来る人達に、どんな形で活動するのか聞いてからの方が良くない?」
「なるほど……それもそうだよね。街中で活動したいのに農地や住宅地に事務所を構えても仕方無いからね」
さすがは委員長、僕なんかじゃ思い付かないところにも気付いてくれます。
「ねぇマノン、ヴォルザードの街中で活動するならば、やっぱりギルドの周辺が良いのかなぁ?」
「そうだね、ギルドの辺りには街の人だけじゃなくて冒険者も沢山集まって来るし、それでいてギルドの周辺で揉め事起こすと依頼を受ける時に問題になったりするから、冒険者が暴れる事も少ないから治安は良いよ。ただ、場所として人気があるから、良い物件があるかどうか……」
「そうか、その辺りも含めて、一度実際に見てもらってからの方が良いかもね」
日本の事情を分かっていて、僕よりも気遣いが出来る委員長。
ヴォルザード生まれで街の様子を良く分かっているマノン。
領主の次女として、街の運営関係に顔が利くベアトリーチェ。
うん、僕の未来のお嫁さん、すごくバランス良くない?
「健人……何をニヤニヤしているのかな?」
「うん、僕はみんなに囲まれて、凄く幸せだなぁ……って思ってた」
「うん、私も幸せ……」
「僕も幸せだよ」
「私もです」
エンドレスでパラダイスに浸っていたいのですが、やるべき事を片付けてしまいましょう。
ネロにお礼を言って、耳の後ろを撫でてあげて、男子が使っている宿舎へと足を向けました。
男子寮となっている臨時宿舎に入ると、玄関脇の来客スペースに同級生達が固まって集まり、何かを見ているようです。
そこに混ざっていた同じクラスの長谷川君が、僕に気付いて声を掛けてきました。
「国分、田山って、どうなったんだ?」
「田山の遺体は、日本に運んだよ」
「やっぱ死んだってマジなのか……」
「あぁ、みんなには知らされて無かったのか……」
「いや、あの状況だからな、駄目だとは思ったけどさ」
長谷川君が顎で示した先には、少し大きめのサイズのスマホが立てて置かれていました。
「例の動画をネットで見てるの?」
「いや、これはワンセグ」
「えっ? あっ、そうか、携帯の電波が届くって事は、テレビの電波も届くって事か」
「そうそう、てかテレビ頼んでくれねぇ? 出来れば二、三台」
「明日には、外務省の人が来る予定だから、色々と設備も増やす事になると思うから、その時にでも頼んでみるよ」
「おぅ、そうなんだ、じゃあ頼むよ」
スマホの画面では、CMが明けたスタジオで、今回の騒動に関して議論が交わされていました。
いえ、違いました。それは議論などと呼べるものではありません。
相手の意見になど耳も貸さず、自分の思い付いたことをベラベラと一方的に喋り続けているだけで、何一つ事態を好転させるような提案にも結び付かない、ただの雑音の集まりでした。
「好き勝手言ってくれるよなぁ……手前らも召喚されて、帰れなくなってみろってんだ」
長谷川君が、ボソっと洩らした言葉に、居合わせた同級生達は一様に頷いています。
「国分は見てないのかもしれないけど、田山と渡瀬の事をボロクソに言ってやがって、マジぶっ殺したくなるぜ」
「そうそう、こいつだよ、教育なんちゃらとかいう肩書きだけど、んなの知るかよ。ふざけんな」
確かに教育評論家なる人物は、二人の行動を軽率だと非難し、その矛先を先生達どころか、ヴォルザードの守備隊にまで向けている始末です。
「こういうの見てっと、マジで日本って平和ボケしてるって思うな」
「言えてる……日本にオークとかいねぇもんな」
「こいつら全員、ゴブリンの大群の中に置き去りにしてぇ……」
「いいかも。国分、日本からは簡単に連れて来られるんだよな? やってくれよ」
「嫌だよ。顔合わせるだけでも、何言われるか分かんないし」
「それもそうか……」
嫌だとは言ったものの、この収録が行われているスタジオに、眷族のみんなを乱入させてやったら面白そうだとは考えてしまいました。
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