第157話 出掛ける前に……

 塩田外務副大臣を案内した翌日、日本は日曜日なので、カウンセラーの派遣は週明けになると聞かされていたので、ヴォルザード側で用事を済ませる事にしました。

 下宿で朝食を済ませたら、すぐに行動開始です。


 この日も一日の予定をベアトリーチェに伝えてから行動しようと思ったのですが、ベアトリーチェと過ごす時間ばかりが長くなって、少し不公平な感じがします。

なので、委員長とマノンにも朝の挨拶をしてから一日を始めることにしました。

まず最初に向かったのは、委員長の部屋です。


「おはよう! 唯香……」


 確認せずに入ったら、委員長は着替えの最中でした。


「キャァァァ、健人のエッチ!」

「ご、ごめん!」


 慌てて後を向きましたけど、委員長に角が生えてます。


「ノックもせずに乙女の部屋に入って来るなんて、マナー違反でしょ!」

「ごへんふぁふぁい……」


 うー……委員長は、無詠唱で身体強化の魔法が使えるのでしょうか、頬が千切れそうです。


「まったく……他の女の子の部屋に突然押し掛けたりしたら、許さないんだからね」

「はい、反省してます……」


 委員長は、頬を膨らませて怒っているとアピールしながらも、抓っていた頬を撫でて囁くように詠唱しました。


「マナよ、マナよ、世を司りしマナよ、集え、集え、我が手に集いて癒しとなれ」


 治癒魔法で痛みがスッと消えた頬に、委員長がキスしてきました。


「おはよう、健人」

「おはよう、唯香」

「今朝はどうしたの?」

「うん、ベアトリーチェがね、僕のスケジュール管理をしてくれるようになったんで、毎朝一日の予定を知らせる事になったんだ」

「もしかして、一緒に過ごす時間が偏らないように……って思って来てくれたの?」

「うん、それと、お昼は四人一緒に食べようかと思って」

「そうなんだ、じゃあ覗きの件は許してあげる」


 いやいや、十分にお仕置きされてると思うけど、口には出せないよね。


「じゃあ、この後はマノンの所にも行くの?」

「うん、そのつもりだよ」

「マノンの部屋には急に入っちゃ駄目だからね」

「分かってるよ。着替えしていたら終わるまで待ってから入るから大丈夫だよ」

「そっか……って、それじゃあ着替えを覗き終わってから入るって事じゃない」

「あっ……えっと、玄関で声を掛けるようにします」

「よろしい。お昼は守備隊の食堂でいいの?」

「うん、そのつもり」

「じゃあ、ネロとのお昼寝も?」

「そうだね、今日は四人でお昼寝しよう」

「うん、今から楽しみ」


 ようやく委員長も屈託のない笑顔を浮かべてくれました。

 でも、四人で並んでお昼寝になると、一人は僕から離れてしまいますね。

 これは不公平ですから、誰か一人は、僕が抱えて寝ましょうかね。

 抱き心地の良さそうなベアトリーチェにしましょうか、それとも委員長?


「健人……何を想像しているのかなぁ?」

「ひゃい! い、いえ、別に疾しいことは、何も……」

「ホントかなぁ……なんか鼻の下が伸びてるような……」

「そ、そうだ、唯香のところにも、すぐに移動出来るようにコボルト隊に着いていてもらうからね」


 ベアトリーチェと同様に、委員長のところにもヘルトをマーカー役兼、護衛として一緒に行動させる事にしました。


「ヘルトが影の中から見守ってるから、用がある時は声を掛けて」

「うん、分かった。よろしくね、ヘルト」

「わふぅ、よろしく、ユイカ」


 委員長が頭を撫でると、ヘルトは嬉しそうに尻尾を振っています。

 僕もヘルトを撫でてあげてから、委員長ともう一度ハグしてから影に潜り、今度はマノンの家へと向かいました。


 まことに残念な事に、マノンは既に着替えを済ませて、家族と朝食の最中でした。

 結局覗いてるんじゃないかって? ほら、そこはみんな平等に……ってことですよ。


 朝食の席にお邪魔しようかとも思いましたが、親子水入らずで、とても楽しそうに食卓を囲んでいて、ちょっと入り辛いですね。

 特に弟のハミルは、僕を目の仇にしていますから、せめて朝食が終わるまで待ちましょう。


 お母さんのノエラさんが後片付け、ハミルが学校へ行く準備を始めたタイミングを見計らって、玄関のドアをノックしました。


「はーい、どちら様ですか?」

「おはよう、マノン、僕だよ」

「ケント? ちょ、ちょっと待ってね」


 あれ? 玄関まで来ていたのに、バタバタと足音がしてマノンが遠ざかっていったようです。

 えぇぇ……もしかして、僕って歓迎されていないのでしょうか?


「どうしたの、マノン、誰が来たの?」

「大丈夫、今、出るから、待って!」

「出るって……誰か待たせてるの?」

「だ、大丈夫だから、待って!」


 なんだか階段の上と下で、母と娘の会話が交わされているようなのですが、マノンはどうしちゃったんでしょうね。

 玄関前に放置されて待つこと暫し……またバタバタと階段を駆け下りてくる足音がしたと思ったら、ドアの向こうで深呼吸を繰り返しているようです。


「お、お待たせ……おはよう、ケント」

「おはよう、マノン、今朝も可愛いよ」

「はぅぅ……ありがと……」


 朝食の席に着いていた時は、初めて会った頃のようなダボっとしたシャツとズボン姿でしたが、グリーンのチェック柄のスカートに、若草色のブラウスにライトベージュのセーターという女の子らしい服装に着替えていました。


 そのままの格好でもマノンは可愛いのに、慌てて着替えて来たんですね。

 額に薄っすらと汗を浮かばせたマノンを、そっと抱き締めました。

 うん、階段の上からハミルが凄い目で睨んでますね。


「マノン、今日のお昼は守備隊の食堂でみんなで食べようよ」

「うん、いいけど、どうしたの急に?」

「うん、実はね……」


 マノンにもベアトリーチェが秘書としてスケジュール管理をしてくれる事になった事を話して、顔を会わせる時間を均等にするためだと話したら納得してくれました。


「でも、ケントが大変じゃないの?」

「とんでもない、僕が一緒に居たいから、みんなで食事にしようと思ったんだよ」

「それなら良いけど、ケントは頑張りすぎちゃうから……無理しないでね」

「うん、それと、いつでもマノンの所へ移動出来るように、フルトに一緒にいてもらう事にしたから……頼むね、フルト」

「わふぅ、任せて、ご主人様」

「よろしくね、フルト」

「よろしく、マノン」


 マノンとフルトも上手くやっていけそうですね。

 まぁ、僕の眷族だから、僕の未来のお嫁さんを嫌ったりはしませんけどね。


「じゃあマノン、お昼にね……」

「うん、いってらっしゃい」

「いって来ます」


 ノエラさんとハミルにも朝の挨拶をして、マノンをもう一度ハグして、出掛ける事にしました。

 うん、なんか新婚っぽい感じがして良いよねぇ。

 ハミルは、歯ぎしりしてましたけどね。


 秘書を務めてくれるベアトリーチェは、まだ屋敷に居ました。

クラウスさんとマリアンヌさんに朝の挨拶をして、ベアトリーチェに今日の予定を伝えて、さぁ今日の活動開始です。


向かった先は、ラストックのカミラの執務室だったのですが、まだカミラの姿がありません。

探してみると、グライスナー侯爵が滞在している部屋で優雅にお茶を楽しんでます。


まったく、魔王たる僕が朝からバタバタしているというのに……何て言うのは筋違いですかね。


「おはようございます、グライスナー侯爵。おはよう、カミラ」

「おぉ、今朝はお早いですな、魔王殿」

「おはようございます、魔王様」

「僕にも、お茶をご馳走してくれるかな?」

「はっ、ただいま……魔王様にお茶を……」


 カミラとグライスナー侯爵がテーブルを挟んで向かい合っていたので、僕はカミラの隣に坐って、侯爵と向かい合いました。


「星の曜日の夕方、王城に早馬が到着して、アーブルの下へも知らせの中身が届けられました」

「ほう、して、アーブルの奴は、どういう反応をしましたか?」

「それについては、見てもらった方が早いですね」

「見る……と言うと、例の魔道具ですかな?」

「魔道具ではないのですが、まぁ、今はそんな感じの理解で結構です」


 影収納からタブレットを取り出して、アーブルの様子を隠し撮りした映像を見てもらいました。


「なんと、宰相まで抱きこんでいたのか……」

「馬鹿馬鹿しい、私は、このような男の所に嫁ぐつもりは毛頭ございません」

「でも、カミラが王都に居ないのを良いことに、勝手に婚儀の話を進めるつもりなんじゃないの?」

「たとえ国王である父が決めた話であろうとも、このような謀反人の好き勝手になどさせませぬ」

「カミラ様、この話を書面として諸侯に配布いたしましょう。もはやカルヴァイン家の謀反、宰相の専横は明白。王国の敵として討つべきです」

「うむ、ここまで明白な証拠がある以上、見過ごす訳にはいかぬ。ただちに兵を揃えて、アーブル・カルヴァインを討つ!」


 アーブルと宰相の策略を知り、カミラもグライスナー侯爵も怒り心頭という感じですが、肝心な事を忘れちゃいませんかね。


「待って、待って! 二人とも、何か忘れてない?」

「魔王様、アーブルとの戦に、力をお貸し頂けるのですね?」

「アホなの? そんな事を聞いてるんじゃないよ。そもそもラストックに駐留している兵達は、何と戦うために居るの?」

「何と戦う? あっ……」

「思い出した? ラストックに居る兵士の多くは、魔物の極大発生に備えて集められたんじゃないの」

「そ、そうでした……」


 統率されたオークの大群に襲撃されてから、まだ十日も経っていません。

 その後、バマタに駐留していた元第二王子派の兵をラストックに呼び寄せ、馬鹿王子達に付いていた近衛騎士団も加えて、戦力については充実しました。


 規模の大きな魔物の大量発生に見舞われたとしても、簡単には押し潰されないだろうという思いが油断になっているのかもしれません。


「現状、魔物の極大発生に対して迎撃の体制が出来たのかもしれないけど、そこから兵士を引き抜いてしまったら、ちゃんとラストックの街を守れるの? ラストックを突破されれば、内陸部に被害が出るんじゃないの?」


 頭に血が上って思考停止しちゃったんでしょうけど、アーブル討伐のために王都へ行かせられる兵力があるとは思えません。


「だが、このままアーブルに好き勝手させる訳にはいかん」


 同じ派閥を支えて来た者としての思いがあるのか、グライスナー侯爵は怒りが収まらないようです。


「この前、僕の眷族のラインハルトと少し話しましたが、現状で一番拙いと思われる事態は、アーブルが兵を連れて王城に入る事だと思います」

「魔王様、いくら貴族の兵であろうとも、王城の中にまでは……」

「でも、宰相がグルなんでしょ? 絶対に無いと言い切れる?」

「それは、確かに絶対とは言い切れませんが……」

「だったら、まずは近衛騎士を伝令に出して、城に残っている騎士でアーブルの兵が入れないようにさせた方が良くない?」


 僕の話にグライスナー侯爵も同意してきました。


「カミラ様、確かに魔王殿の言う通り、王城の中にまで兵を入れられると面倒な事になります。ここは残っている近衛騎士に守りを固めさせましょう」

「分かった、フォルストかキルシュを呼んでまいれ!」


 カミラの指示で、元第二王子、第三王子付きだった近衛騎士の部隊長を呼びに伝令が走りました。


「魔王殿、先程見せてもらったのは、二日前のものだと言っておられたが、アルフォンス様やディートヘルム様は大丈夫なのか?」

「ディートヘルムには、カミラが用意した食事を届けさせていますし、アルフォンスにも警告の手紙は届けました、後は信じるか否かですな」

「だが、アルフォンス様が、何も対策を講じなければ……」

「その可能性もありますが、こちらの言葉を信じない者まで守っていられませんよ。参謀役のトービルが何とかするんじゃないですか?」


 現状、トービルがアルフォンスを操っているような状況ですが、思い通りにことを進めるためには、アルフォンスの存在は不可欠です。

 もしアルフォンスが毒殺されれば、後ろ盾を失ったトービルでは、派閥の貴族達からは相手にもされないでしょう。


「確かにそうだな、トービルが手を打つであろう……と期待するしかないか」

「それと、第一王子派にも早馬の知らせが届いて、領地に戻ってバルシャニアに備えるべきと主張する者と、このまま進軍すべきと主張するもので割れているようです」

「ベルンスト様達が亡くなられて、もはや戦う理由など無いではないか」

「そうですね。ですが、一部の貴族は、どさくさ紛れに領地の拡大、もしくは領地替えをしようなどと考えているようです」


 話を聞いたカミラは、呆れたように溜息を洩らしたました。


「はぁ……そのような横暴を王家が認めると、本気で思っているのか」

「裏でトービルと結託して、アルフォンス様を動かして……とでも思っているのでしょうな」


 グライスナー侯爵の推察した通り、抗戦派のサルエール伯爵は、裏でトービルと繋がっているのですが、結託していると言うよりも、脅しを掛けているようです。


 トービルにしても、ようやく邪魔な第二王子、第三王子が居なくなって、アルフォンスが王位を手中にしかけている時期に、派閥の重鎮が離脱するような事態となっては困るので、扱いに苦慮しているようです。


「第一王子派も、僕の眷属に監視させていますから、もし進軍を続けるようであれば、すぐ連絡させます」

「だが、我々が争うような事態になれば、アーブルを喜ばせるだけだし、何よりも、そちらに戦力を割く事は、魔物への備えを疎かにする事であるし……」


 アーブルの場合とは違い、こちらは向かってくる相手なので、戦力を割かざるを得ませんが、その戦力をどこから捻出するのかが問題です。

 グライスナー侯爵も、カミラも頭の中で計算しているようですが、いきなり兵隊が現れたりはしませんもんね。


「仕方ないですね。サルエール伯爵の一派が進んでくるならば、僕が止めましょう」


 僕の言葉を聞いて、カミラはパっと表情を明るくしました。


「魔王様、御力を貸していただけるのですか?」

「だって、割く兵力無いんだよね?」

「はい、ですが魔王様の軍勢だけで……」

「あのさ、僕はバルシャニアの三万以上の軍勢を止めて来たんだよ。第一王子派の一部の連中なんかに後れをとると思ってるの?」

「申し訳ございません。差し出がましい事を申しました」


 確か、カバサ峠には、大軍が通るのには不向きな狭い場所があると聞きました。

 そこで待ち伏せして、眷属達と遊んでもらいましょう。

 と言うか、ラインハルトに丸投げしちゃうんですけどね。


『構わないよね、ラインハルト』

『ぶははは、お任せ下され。腕に縒りをかけて、もてなしてやりましょう』


 うん、やり過ぎないか、ちょっと不安だけれども、まぁ大丈夫でしょう。


「カミラ、ラストックの街の復興は順調なの?」

「はい、幸いにして人的な被害は限定的でしたし、以前とは違って物資の支援も受けられておりますので、順調に進められております」

「幸い、今は農閑期であったし、種籾などを失った者には、ワシの領地の者から融通するように手配もいたした」


 グライスナー侯爵は、どうだとばかりに胸を張りましたけど、もっと早く支援していれば、被害ももっと小さく出来たんじゃないの。

 まぁ、ヘソを曲げられて、またゴタゴタすると面倒だから突っ込まないけどね。


 この後、知らせを受けて駆け付けた、近衛騎士団の部隊長オズワルドにもアーブルの映像を見せ、王城への使者などの打ち合わせをしていたら、ひょこっとヘルトが顔を出しました。


「ご主人様、ユイカが大変だから戻って来てって」

「えっ? 大変って、何があったの?」

「えっと……誰か死んじゃったって」

「えぇぇ……分かった、すぐ戻るから先に行ってて」


 話を横で聞いていたカミラは、真っ青になって少し震えているようです。


「ま、魔王様……」

「まだ、何が起こったのか分からないけど、良くない事態だとは思う。詳しい事が分かったら知らせるから、カミラはリーゼンブルグの事に専念していて」

「分かりました……」


 もし同級生の誰かが死んだのであれば、また日本の世論はカミラに対して厳しさを増すかもしれません。

 とにかく、今は急いでヴォルザードに戻る事にします。

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