第149話 ヴォルザードの秘書

 リーゼンブルグの内情が安定次第という時間的な猶予はあるものの、セラフィマに捕まってしまいました。

 チョウスクの宮殿で、戻って来た兄馬鹿二人も加え、実に居心地の悪い昼食をご馳走になりました。


 セラフィマが、甲斐甲斐しく食事の世話を焼いてくれるので、他三名からは呪われるかと思うような視線で睨まれ続け、何を食べたのか良く味が分かりませんでした。

 それでもリーゼンブルグへの侵攻は食い止められたので、フレッドを第一王子派の偵察に回し、バルシャニアの動向はコボルト隊に見張らせておく事にしました。


「フレッド、そろそろカミラが出した早馬が第一王子派と接触すると思うから、どう動くのか良く見ておいて」

『了解……第一王子より、参謀のトービルを見張る……』

「それと、主力貴族の三家もね」

『お任せを……』


 それにしても、カミラの件に加えて、セラフィマの一件まで加わると、本気で委員長達に愛想を尽かされるかもしれません。

 チョウスクの宮殿から影に潜ったところで、思わずしゃがみこんでしまいました。


「はぁ……ヴォルザードに帰るのが憂鬱だよ……」

『ですがケント様、シーリア嬢の事をご友人に伝えないで宜しいのですか?』

「あっ……そうだよ。守備隊の方には頼んで来たけど、肝心の鷹山に伝えてないや」

『まずは、伝えてやった方が宜しいですな』

「そうだね。じゃあ、ちょっと知らせてやりますかね……」


 城壁工事の現場に直行して、シーリアとフローチェさんがヴォルザードに向かっていると伝えると、鷹山は喜びを爆発させました。


「いぃぃぃやっはぁぁぁぁぁぁぁ!」


 突然、両腕を突き上げて絶叫した鷹山に、周囲に居た人達も驚いて工事の手を止め、注目しています。


「シ――――リアァァァァァ……」


 鷹山は、止める暇も無く城門に向かって走り去って行きました。

 いや、まだこの時間には着かないし、早くても夕方過ぎ……って聞こえてないか。

 シーリアさん、あんなので良いのかねぇ……てか、しっかり手綱を握ってもらえると僕としては助かるんですけどね。


「おい国分、ありゃ何なんだ?」

「あっ、小田先生、実はですね……」


 ポッカーン……としている現場の皆さんの中に混じっていた小田先生に尋ねられたので、シーリアさんとフローチェさんの話をしました。


「ほう、鷹山には、そんな相手が居たのか?」

「あっ、そうか、先生達は別の場所に閉じ込められていたんでしたね」


 先生達は、同級生達とは別の施設に送られていたので、鷹山とシーリアさんのイチャつく姿は見ていません。

 小田先生に出会ったついでに、外務副大臣の通訳の件もお願いしておきました。


「なるほど、この前話していた資源開発の件で、こちらに挨拶に来るって事か……よし分かった。他の先生方とも相談しておく」

「はい、お願いします。細かい日時が決まったら、またお伝えしまねすね」


 用件が済んだので、ギルドに向かおうとしたら小田先生に呼び止められて、意外な事を頼まれました。


「ちょっと待ってくれ国分、次の帰還者なんだがな。私か加藤先生のどちらかを戻してくれ」

「えぇぇ……先生ですか?」

「まぁ、お前の気持ちは分かるし、正直に言って、私もお前とキスなどしたくはない。だがな、報告書を送ったとは言え、報告すべき教師が一人も戻っていない状況は好ましくないだろう。子供の帰還を優先する気持ちは分かるが、責任ある大人が戻らないと駄目だとクラウスさんから忠告されてな……」

「分かりました。じゃあ明日は安息の曜日なので、週明けの明後日の昼前にしましょう。でも、どうして小田先生か加藤先生なんですか?」

「それは、私が土属性、加藤先生が火属性、すでに国分が取り込んだ事のある属性だからだ」


 一番帰りたがっていた中川先生は風属性、担任の佐藤先生は水属性なので、僕の身体への負担を考えて除外。

千崎先生と彩子先生は土属性ですが、精神的な弱さと教育実習生である事を考慮して除外。


 古館先生は、水属性ですし、元々帰りたがっていないので除外したそうです。

 小田先生には、了承したと返事したのですが、正直いよいよその時が来てしまったのか……という気持ちです。


 ギルドに到着し、まずはドノバンさんに聞いてから……とも思いましたが、ドノバンさんに取次ぎを頼むには、フルールさんを筆頭とした受付嬢の皆さんに声を掛けなければならないので、面倒だからクラウスさんの所へ直接出向く事にします。

 執務室のドアをノックすると、幸いにしてクラウスさんは在室していました。


「誰だ?」

「ケントです。少し宜しいでしょうか?」

「おう、開いてるから入って来い」

「失礼します……あれ? リーチェどうしたの?」


 クラウスさんの執務室には、ベアトリーチェの姿がありました。


「最近、ぜんぜんケント様が会いに来て下さらないから、ここで待ち伏せしていましたの」


 余裕たっぷりに歩み寄って来たベアトリーチェは、いつものようにハグして頬にキスしてきました。

 うん、視界の端に映ってる元祖親馬鹿オヤジが、プルプルしていますねぇ。


「ケント様。一体どういう事ですか?」

「えっ、何が?」

「何がではありません。女性の匂いがします」

「うっ……こ、これは……」

「おい、ケント! 俺とリーチェが納得するような説明をしてもらおうじゃねぇか……」


 油断していました、こんなに速攻でバレるなんて、考えてもいませんでしたよ。

 昼食の間中、セラフィマがピッタリと寄り添っていたのを忘れていました。


 テーブルを挟んで、クラウスさんと差し向かいに座らされ、ベアトリーチェは右隣に座りました。


「実は、先程バルシャニアに鉄を届けに行って来まして……そ、その時にですねぇ……バルシャニア皇帝の娘、セラフィマから結婚を申し込まれました」

「はぁ……全く、何をやってるんだお前は……」

「勿論、お断りになったのですよね?」


 セラフィマに求婚されるまでの経緯を話すと、クラウスさんには呆れられ、ベアトリーチェには睨まれて、マジで続きを話し難いです。


「勿論、毅然とした態度でお断りすると申し上げましたよ」

「お前は、バルシャニアとの間に火種を点すつもりか?」

「皇帝コンスタンからも、戦か結婚か……みたいな事を言われまして、それで……」

「ケント様!」

「うひぃ……ごめんなさい……痛たた……」


 ベアトリーチェに思いっきり脇腹を抓られました。

 一方のクラウスさんは、腕組みをした姿勢で、むすっとしながら睨み付けて来ています。


「で、ヴォルザードを見限って、バルシャニアに行く事にしたのか?」

「とんでもない、僕のホームタウンはヴォルザードです」

「じゃあ、バルシャニアの皇女が嫁に来るのか?」

「はい、リーゼンブルグが安定したら……ですが、痛い、痛いって、リーチェ」


 脇腹の肉を毟り取られるかと思うほど、ベアトリーチェに抓られました。


「ケント様、ユイカさんやマノンさんには報告したのですか?」

「いや、それは、まだ……」


 この状況に二人が加わって、カミラの件までもバレたら……ゴブリンに襲われた時よりもピンチじゃない?

 てか、膨れっ面したベアトリーチェも可愛いですねぇ……って、そんな事を思ってる場合じゃないですよね。


「正直、リーチェが居るのに他の女に手を出すような奴は、俺の手で切り落してやる所だが……バルシャニアとの縁が結べるとしたら悪い話じゃねぇな」

「パパ!」

「まぁ待て、リーチェ。お前も領主の娘なら、そのセラフィマって皇女の気持ちは理解出来るだろう。目の前に座ってる一見冴えない小僧が、どれだけ重要かも……」


 クラウスさんが言葉を切ると、ベアトリーチェは渋々といった様子で頷きました。


「リーチェの父親としては許しがたいが、ヴォルザードの領主としては認めざるを得ないな。と言うかケント、住む家はどうするつもりだ?」

「あっ……そうですよね。どうしよう……」

「はぁ……こんな奴の所に、大事な娘を嫁に出そうだなんて、バルシャニアも大概だなぁ……」


 てか、僕の目の前にも娘を嫁に出そうとしている人はいますけどね。

 それでも家が無いのは拙いです。

 少し広めのアパートを仮住まいにしようかと思っていたら、あっさりと却下されました。


「間に合わなければ、一時的に迎賓館を使っても構わんが……と言うか、そうなるだろうが、皇女の嫁入りともなれば、お付の者もそれなりの数を揃えてくるはずだ。アパートなんかじゃ入りきれないからな」

「えっ、お付の人って……」

「バルシャニアの皇女だぞ、護衛や侍女、もしかしたら料理人も連れて来るかもしれねぇぞ」

「えぇぇ……そんなの聞いてませんよ」

「アホか、そんなもん当たり前だろう。言うまでもない事だ」

「はぁ……どのぐらいの家を用意すれば良いんですかねぇ?」

「そりゃあ、最低限、嫁の数だけ同じ規模の部屋がある家が必要だろうな」

「クラウスさん、家って、いくらするものなんですか?」

「はぁ……こんな小僧が、三人も四人も嫁を貰おうってんだから、世も末だな……」


 クラウスさんは、呆れ果てたという表情を浮かべながらも、家と土地を手に入れる助言をすると約束してくれました。


「そう言えば、ケント。お前、秘書を探してるんだってな?」

「はい、でもギルドの受付の皆さんからは選んでませんよ」

「心配するな、俺が見つけてある」

「えっ、僕の秘書ですか?」

「そうだ……」


 クラウスさんは、僕に向けていた視線を横にスライドさせました。


「えっ、リーチェですか?」

「私では、ご不満ですか?」

「いや……でも、学校は?」

「もう卒業試験も終わりましたし、あと二週間で卒業ですから、問題ありません」


 ベアトリーチェは、どうだと言わんばかりに胸を張ってみせます。


「リーチェには、領主の娘として恥かしくないだけの教育はしてある。ランズヘルト国内は勿論、周辺の国々に関する知識も教えてある。何よりも、長い時間一緒にいたところで、何の問題にもならないのだから、言うこと無しだろう?」

「確かにリーチェならば、クラウスさんとの連絡もバッチリですものね」

「本当ならば、バッケンハイムの上級学校へと進学する所なんだが、お前のために残るってリーチェが決めたんだ。ありがたく思えよ、この野郎」

「えっ、そうなの? リーチェ」

「はい、ですが、私の居場所はケント様のお側と決めておりますので、当然の決断です」


 ベアトリーチェは、僕の右腕を抱き抱えると、肩に頭を乗せるように寄り掛かってきました。

 当然のごとく、クラウスさんの額には青筋が浮き、不機嫌そうに口元を歪めています。


「そう言えば、バルシャニアには鉄を届けたって言ってたな。と言う事は、ヴォルザードの分も手に入れたのか?」

「はい、ご要望の50コラッドの倍、100コラッド相当の鉄を用意しました」

「よし、リーチェ、早速仕事だ。ケントの持って来た鉄の買取を手配しろ。いや……俺も立ち会う」

「買取の手配ぐらい、私だけでも出来ます」

「そうじゃない。ケントの持って来た鉄を見ておくためだ。精錬の技術も進んでいるんだろう?」

「はい、バルシャニアでも純度が高いとの評価を受けました」

「よし、裏の訓練場に持って来た鉄を運べ」


 クラウスさんが席を立とうとしたので、ちょっと待ってもらいます。


「クラウスさん、その前に、少しご相談があるのですが……」

「女に関する相談は、全て却下だ!」

「いえ、そうじゃなくて、日本の外務副大臣がヴォルザードを訪問したいと言っていまして、クラウスさんの都合は何時が宜しいのかと……」


 クラウスさんに、日本が資源開発をしたがっているという話と、それに関連して、外務副大臣が会談を望んでいると話すと、浮かせかけた腰を下ろして、考えを巡らせ始めました。


「訪問の日程は、明後日以降ならば、こちらが都合を付けよう。余程大きなトラブルでも起こらない限りは大丈夫だ」

「では、日程の確認をして、改めてお知らせします」

「資源開発か……まぁ、その話は副大臣とやらから聞くか」


 資源開発の話を聞いても、クラウスさんは、あまり乗り気ではなさそうです。

 バルシャニアと同様に、ランズヘルトも七つの領地の力関係とか、貧富の格差とかで問題が出ているのでしょうかね。


 だとしても、『最果ての街』とまで呼ばれているヴォルザードの景気が良くなるならば、ランズヘルトとしては歓迎する事態のような気がします。

 訓練場には、途中で声を掛けたドノバンさんと鉱石の鑑定を担当しているテベスさん、どこから聞き付けたのかレーゼさんら本部ギルド一行の姿がありました。


 てか、さっきからギガウルフのブランが、飼い主のルイージャと一緒にジーっと僕の方を見ているんだけど、まさがガブっとかしてこないよね?

 コボルト隊のみんなに、鉄筋を運び出してもらうと、立ち会った人達は思い思いの表情を浮かべました。


 中でも一番興奮を隠せなかったのは、鑑定士のテベスさんでした。


「凄い! これは凄いですよ。ダンジョンで産出する鉱石にも、稀に高純度のものがありますが、比べ物にならない高純度です」


 テベスさんの言葉を聞いて、レーゼさんはニヤリと口元を緩め、逆にクラウスさんは渋い表情を浮かべています。


「クラウス殿、よもや、この鉄をヴォルザードが独占しようなどとは考えておるまいな?」

「そのつもりだと言ったらどうするつもりだ?」

「さて、ヴォルザードは純度の高い鉄を集めて、戦支度でも始めるつもりかぇ……とでも周囲の者に尋ねて歩こうかのぉ……」

「女狐め……だが、他の街に流すとしても、ただの鉄と同じ値段では出せねぇぞ」

「あまり商売っ気を出すと……などと、ヴォルザードの領主様には言うまでもないかぇ」


 どうやら本部ギルドとヴォルザードの間にも、微妙なパワーバランス的な関係があるようですね。


「ケント、こいつの買い取り価格は、俺の方で決めてリーチェに伝えるが、それでいいな?」

「はい、結構です」

「ドノバン、この鉄は倉庫に入れて保管してくれ」

「畏まりました」

「さて、マスター・レーゼ。お茶でもいかがですかな?」

「じゃが、我の伴侶は、もうケントに決めておるからのぉ……」

「戯れで断るのなら、それでも結構だが、美味い菓子は一人で楽しませてもらうぜ」

「ふむ、男が一人で菓子を食うなど様にならんのぉ、仕方無い、我が付き合ってくれりょ……」


 なるほど、これからキツネとタヌキの化かし合いが始まるんですね。

 ならば、僕も話しに加えていただきましょうかね。


「ケント、ニホンの副大臣とやらの訪問日程は、早めに決めておいてくれ。うちとしても何の準備もしない訳にはいかねぇからな」

「あっ、はい、なるべく早く確認を取ってきます」


 クラウスさんは、さっさと行けと言わんばかりの視線を投げてきます。

 どうやら美味い菓子とは僕の事のようですね。

 へいへい、菓子は食われないように使い走りに行きますよ。


『ラインハルト、ちょっと覗いて置いて』

『了解ですぞ……まぁ、クラウス殿は悪いようにはしないでしょうが……』

『とは思うけど、たぶん僕の話だから知ってはおきたいよね』

『では、ケント様の代わりに聞いておきましょう』


 ベアトリーチェに日本に戻って、外務副大臣の訪問日程を聞いて来ると伝えて、影に潜りました。

 これからはベアトリーチェが予定を管理してくれるのだから、これまでに積み上がった課題も全部把握してもらわないといけませんよね。


 どこに居るのか探さなくても済むように、ホルトにベアトリーチェの護衛兼マーカー役を務めるように指示しておきました。

 自衛隊練馬駐屯地にある捜査本部に出向くと、みんなテレビに向かって厳しい表情を浮かべています。


 また船山の父親が何かやらかしたのかと思いましたが、今回はそうではないようです。

 普段は緩い感じの梶川さんも、腕組みをして真面目な表情でテレビに見入っています。


「梶川さん、何かあったんですか?」

「あぁ国分君、お帰り。いや、僕らには関係ないんだけど、立て篭もり事件が発生してね。ピストルを持って銀行に押し入って、そのまま行員や客を人質に取って立て篭もっているらしい」

「あれっ? ここって、平和台じゃないですか」


 テレビに映し出されている風景は、見覚えのある平和台の駅の近くでした。


「そうなんだよ、四葉銀行の平和台支店が現場で、犯人は人質と一緒に二階に立て篭もっていて、窓からの発砲を受けてマスコミに怪我人が出ているんだ」


 銀行前の環八通りは封鎖され、盾を構えた機動隊員が遠巻き取り囲んでいる様子が、更に遠巻きにしたマスコミによって伝えられています。


「犯人は一人みたいなんだけど、拳銃を持っているし、女性ばかり七人ほどを人質にしていて、警察が説得にあたっているけど、とにかく興奮しているようで、埒が開かないみたいなんだよ」


 テレビに目を向けると、パーンと乾いた音が聞え、画面が大きく揺れました。

 ヘルメット姿のリポーターが、興奮した口振りで様子を伝えています。


『今また、発砲音が聞え、その後で女性の悲鳴も聞こえています。犯人が外に向かって銃を撃った様子は無く。室内で乱射が行われている可能性があります』


 テレビの画面越しでも、現場の緊迫した様子が伝わって来ます。


「犯人は、何か要求はしていないんですか?」

「覚せい剤を持って来いとか、ありったけの金を集めろとか喚いているけど、この状況で覚せい剤なんか与えられる訳が無いし。ありったけなんてアバウトな要求には応えられないよね」


 梶川さんは、内閣官房室の方ですから畑違いなので、一般視聴者目線ですが、警察官である須藤さんや森田さんは真剣な表情で画面を見守っています。


「あのぉ……須藤さん、僕ちょっと覗いてきましょうか?」

「えっ、おおっ、国分君ならば犯人に気付かれずに内部の様子を見て来られるか」

「はい、影の空間からなら気付かれないで済みますよ」

「そうか、ちょっと頼まれてくれるかな? 状況を見取り図に書いてもらえるだけでも助かるよ」

「じゃあ、ちょっと行って来ますね」


 思わぬ所で僕の能力が役に立ちそうです。

 怪我人が出ないうちに解決出来ると良いのですがね。

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