第145話 シーリア母娘
カミラの姿は、グライスナー侯爵が滞在しているフロアのリビングにありました。
てか、ここは鷹山が使っていたフロアだよね。
ワンフロアーが占有構造になっているので、ここにゼファロスとウォルターが滞在しているようです。
二人は夕食を終えた後、お茶を飲みながら今後の動きについて相談しているようでした。
「こんばんは、僕にもお茶を御馳走してもらえますか?」
「魔王様、はっ、ただ今。エルナ、お茶を……」
「はい、畏まりました」
カミラがお茶を淹れるように命じたメイドさんは、委員長付きだったメイドさんですね。
ソファーに腰を下ろすと、待ちきれないとばかりにグライスナー侯爵が訊ねてきました。
「魔王殿、バルシャニアは、どうなっておるかな?」
「まだチョウスクに留まったままですよ」
「ほう、まだ出立の用意が整っておらんのだな?」
「いいえ、今朝早く出立する予定だったようですが、取り止めてもらいました」
僕の話し振りに、すかさずカミラが反応しました。
「魔王様、今のお話振りでは、バルシャニアと交渉なさったようですが……」
「うん、皇帝コンスタンと交渉して、5日間の猶予を貰ってある」
「なんと、皇帝と直接交渉したのか……」
「さすがは魔王様、我々の想像を遥かに超えていらっしゃる」
自分の所にも突然姿を現した事を忘れていたのか、グライスナー侯爵は目を剥いて驚き、カミラは当然だとばかりに何度も頷いてみせました。
「ですが魔王様、5日間の猶予が過ぎたら、その後はどうなるのですか?」
「どうもしないよ。明日には取り引きする鉄の準備が整うから、それを届ければバルシャニアは侵攻を取り止める約束になっているからね」
「何だと、魔王殿、バルシャニアに鉄を供与するつもりなのか?」
「はい、50コラッドほど……」
「50コラッドだと! その鉄で武器を鍛えて、攻めて来たらどうするつもりだ」
「無駄な争いをすると言うなら止めますけど、バルシャニアにその意志は無いみたいですよ」
「そんな話が信用出来るか。相手は、あのバルシャニアだぞ」
声を荒げるグライスナー侯爵の顔には、バルシャニアに対する猜疑心が浮かんでいます。
「失礼ですが、グライスナー侯爵は、コンスタン皇帝と会ったことはありますか?」
「なんだと……それは……無いが、それがどうした」
「会ったことも無い人を、どうして信用出来ないと言い切れるのですか?」
「魔王殿は知らんのだよ。バルシャニアという国が、これまでどれ程姑息な手段を用いて、侵略の機会を狙い続けてきたのか」
「では、バルシャニアが、繰り返し親書を送っていた事は御存じですか?」
「なに……親書だと? バルシャニアがか?」
「はい、何度も親書を送ったが、まともな返事は戻って来なかったと言ってましたよ」
「ふぅむ……」
即座に否定するかと思いきや、カミラもグライスナー侯爵も考えを巡らせています。
それってつまりは、リーゼンブルグ王国では、他国からの親書でさえも握りつぶされかねない状況になっているって事だよね。
「カミラ様、どう思われますか?」
「魔王様の話に嘘があるはずがない。恐らくは宰相辺りが握り潰しているのだろう」
自分が早馬を仕立ててまで出した救援要請も、尽く潰されてきたカミラだけに、憤懣やるかたないといった様子です。
「魔王殿、バルシャニアの目的とは、鉄を入手する事なのか?」
「そうです。皇帝コンスタンはキリア民国とヨーゲセン帝国の戦を憂慮しています」
コンスタンから聞いたキリアとヨーゲセンの状況、それに対するバルシャニアの考えなどを話すと、グライスナー侯爵も納得したようです。
「しかし、バルシャニアが大量の鉄を手に入れるとなると……」
「リーゼンブルグの場合は、鉄云々ではなくて、国内状況を何とかしないと駄目ですよね」
「くっ、魔王殿は耳の痛い話をズバっと言ってくれるのぉ……」
「鉄の手配は既に終わってますので、明日にでもバルシャニアに届ければ、僕の方は片付きますけど、こちらはどうなんです?」
グライスナー伯爵は、テーブルに広げていた紙の向きを、僕が読みやすい方向へと回しました。
そこには、リーゼンブルグの貴族と思われる者達の家名が列挙されています。
「わしらは、リーゼンブルグの貴族36家、一代貴族124家に対して書状を発送したところだ。王城とアルフォンス様に差し向けた早馬から、道中の貴族には知らせが入るはずだが、全ての貴族にまで届けられる訳ではない。そこで、全ての貴族達に書状を送り、カミラ様の決意を知らしめるのだ」
「36家と言うと、第一王子派の貴族も含まれていますよね」
「いかにも。アルフォンス様とベルンスト様を秤に掛けて、あちらに付いた者の中にも、相手がカミラ様に変わったとなれば、方針を変える者が出て来るやも知れぬ」
「それと、この前話していた一代貴族への切り崩し工作という訳ですね」
「そうだ。恐らくアーブル・カルヴァインは、既に一部の貴族に対しては工作を行っているはずだ。だが、そうした者達もカミラ様の書状を読めば、心を揺らがせる者が出てくるはずだ」
グライスナー侯爵は、自信たっぷりに言い切っているけれど、良く考えてみると、カミラの人気頼みという面は否めません。
鉱山の元締めをこなすアーブル・カルヴァインは、もっと現実的な手法を取って来るような気もするんですよね。
「アーブル・カルヴァインは、領地とか税率とか、もっと実利に繋がるような約束をしてくるんじゃないですか?」
「魔王殿の言う通り、アーブルであれば、そうした約束をしてくるであろう。だが、カミラ様と違って、奴が約束を確実に履行出来るとは限らん。アルフォンス様達が潰し合いをしたら……バルシャニアと連携して、国の実権を握れたら……不確定な未来に基づく話だけに、言質を取られたり、書状として残せる約束までは出来ぬだろう」
カミラは今現在も王族ですが、アーブルは今の時点では一貴族に過ぎません。
つまり、領地や税率などの話を決められる立場ではないのです。
「一代貴族の殆どは、商売で財を成した者達故に利には敏い。だが、単に目先の利益に囚われるような者では、一代貴族の地位を手に入れるほどの財は成せぬ」
「アーブルのチラつかせる空手形ぐらいでは動かないという事ですね」
「その通りだ。あとは、早馬が到着した後の反応を見てだな」
早馬には、位置を知らせるマーカー役と、何かがあった場合の連絡役として、三頭一組のコボルト隊を張り付かせています。
第一王子派、アーブル・カルヴァインの勢力と接触したら、その反応を偵察出来る様に連絡が入る予定です。
リーゼンブルグの権力争いに関しては、これで良いでしょう。
なので、僕は別件についてカミラに切り出す事にしました。
「カミラ、話は変わるけど、シーリアさんと母親はどうしてる?」
「はい、部屋を与えて共に過ごさせておりますが……母親の健康が余り優れません」
「医者には見せているんだよね?」
「はい、それは勿論。ただ、今のラストックには、余り腕の良い治癒士は居ないので……」
「分かった、ちょっと二人の所に案内して。グライスナー侯爵、アルフォンスやアーブルの動向が分かったら知らせます」
「頼みますぞ、魔王殿」
グライスナー侯爵と握手を交わし、カミラと一緒に部屋を後にしました。
シーリアと母親が一緒に滞在している部屋に向かう間、二人に関する話を聞かせてもらいました。
リーゼンブルグ王室の第四王妃フローチェは、元は農家の娘でした。
国王アレクシス・リーゼンブルグが狩りに出掛けた際に嵐に見舞われ、雨宿りのために立ち寄った村で見初められ、手篭めにされて王城へと連れて来られたそうです。
何の狩りをやってるんだか、まったくけしからん国王です。
温室育ちの貴族の娘に飽きていたアレクシスにとって、野趣溢れるフローチェは新鮮で、足繁く閨へと通うようになって出来た子供がシーリアなのだそうです。
フローチェが王城へと来た当時は、王妃達もアレクシスの気まぐれと思い、むしろ同情すらしていましたが、懐妊したと耳にした途端、敵意を剥き出しにしました。
身の危険すら感じたフローチェは、アレクシスに訴えて、王城の外へと身を隠し、シーリアを出産した後に、王城へと戻ったのだそうです。
フローチェにしてみれば、生まれた子供は女の子であったし、すでに三人の王子が生まれているのだから、然程には疎まれないと思っていたそうですが、その予想は外れる事となりました。
出産までの間、身を隠していたのは、何処かの有力貴族の館だったのではないか。
すでに貴族の子息との間に、婚姻の約束が取り交わされているのではないか。
その貴族が、自分達の息子を害し、王位を狙うのではないか。
王子の親である三人の王妃は、ありもしない疑惑に怯え、フローチェの身分が低い事を理由にして冷遇したそうです。
それでもシーリアが、暗殺されることなく成長出来たのは、婚姻の前には三人の王妃の承諾を得ると約束したのと、政略結婚の道具としての価値を認められていたからでした。
フローチェとシーリアは、王城の中で三人の王妃に監視される状態で、息苦しい毎日を過ごしました。
身につける衣装は城のメイドよりもみすぼらしい古着、食事も、使用人と同じレベルの献立だったそうです。
それでも三人の王妃にとって屈辱的と思える生活も、農村で生まれ育ち、貧しい暮らしをしてきたフローチェにとっては、むしろ恵まれているとさえ感じたようです。
ただ一つ、フローチェがシーリアを不憫だと思ったのは、一緒に遊ぶ子供が居なかった事です。
王族故に、外部の学校に通う訳にはいかず、勉強に関しては家庭教師が教えてくれたものの、他の王妃の子供や貴族の子息と交わる事は禁じられていたそうです。
母と娘の二人、ただ政略結婚の決まる日を待つ暮らしが続き、命じられたのが、鷹山を篭絡して子を宿す事だったそうです。
「なんかシンデレラみたいだ……」
「シン……何ですか? 魔王様」
「僕の世界にある、腹違いの姉達に虐められる女の子の物語だよ」
「そのような話があるのですか?」
「うん、虐められて、虐められて、でも最後には幸せになるんだけどね」
カミラは足を止めると、少し沈黙した後で、言葉を紡ぎました。
「二人の王城での暮らしには、私は口出し出来ませんでしたし、王族に生まれれば、決められた相手に異を唱える事は出来ません」
「じゃあ、何で自分で鷹山の相手をしなかったの?」
「それは……」
「シーリアさんに、鷹山の相手を命じたのって、カミラだよね?」
「はい……」
「サルとか、洟垂れ勇者なんて言って、馬鹿にしている者の相手を命じておいて、自分には責任が無いような言い方は無いんじゃないの?」
「はい……申し訳ありませんでした」
カミラが僕を案内したのは、駐屯地で働く女性職員のための宿舎でした。
「ここが、王族に相応しい住居なの?」
「いえ、もっと広い部屋を用意したのですが、二人がこちらの方が良いと……」
「本当だろうね?」
「はい、嘘偽りはございません」
カミラは、先に立って廊下を歩き、一番奥の部屋の戸をノックしました。
「はい、どなたですか?」
「私だ……」
「はい、ただ今……」
ノックに対するシーリアの返事は、柔らかなものでしたが、相手がカミラと分かると、声が強張ったように聞こえました。
「何か御用でございますか?」
「魔王様を御案内した。お話があるそうだ……」
「こんばんは、どうも……お母さんとも話がしたいのですが、よろしいですか?」
「貴方は、シューイチのお友達の……」
「魔王、ケント・コクブ様だ、失礼の無いように……」
「あぁ、もうそういうの要らないからね」
「失礼しました……」
僕に怒られて、カミラが小さくなっているのを、シーリアは目を丸くして見ていましたが、大きく深呼吸をした後で、僕の訪問を断りました。
「申し訳ありませんが、母は身体を壊して臥せっておりまして」
「僕に診させてもらえませんか?」
「えっ、貴方がですか……?」
「魔王様は、卓抜した治癒魔法の使い手でもあらせられる」
「でも、闇属性の魔法を使っていらっしゃいましたよね?」
「うん、僕は光属性の魔法も使えるので、取りあえず診察させてもらえませんか」
「分かりました、どうぞ……」
シーリアは、少し逡巡した後で、部屋に招き入れてくれました。
部屋の内部は、独身寮の二人部屋という感じで、部屋の両側にベッドと棚が置かれ、後は小さなテーブルと、椅子が二脚あるだけです。
その片側のベッドに、シーリアの母、フローチェさんが一人横たわっていました。
顔色が優れず、やつれて見えます。
「あぁ……カミラ様、このようなお見苦しい姿を見せてしまい、申し訳ございません。ただ今……あぁ……」
「お母様!」
ベッドから起き上がろうとして倒れ掛けたフローチェさんを、慌てて駆け寄ったシーリアが支えました。
「こちらにいらっしゃる方は、魔王ケント・コクブ様だ。診察して下さるそうだから、ありがたく……」
「はいはい、カミラはもう戻っていいよ」
「ま、魔王様?」
「カミラが居ると、フローチェさんの気が休まらないから、帰っていいや」
「魔王様……分かりました……」
しっしっと追い払うように手を振ると、カミラは頬を膨らませ不満げな表情を浮かべましたが、更に手を振って追い払うと、何か言いたげな涙目で二度ほど振り返った後で、部屋を出て行きました。
「じゃあ治療しましょう……どうかしました?」
治療を始めようかと思ったのですが、フローチェさんもシーリアも、目玉が零れ落ちそうなぐらい目を見開いて、僕を見詰めていました。
「あ、あの……カミラ様に、あのような仕打ちをしては……」
「大丈夫です。目茶目茶迷惑掛けられてますから、あの程度で文句は言わせませんから」
いやぁ、そんな魔王でも見るような目で見られちゃうと、居心地悪いですよ。
フローチェさんには、ベッドにうつ伏せになってもらい、背中に手を当てて治療を試みました。
「うっ、これは……」
「どうかしましたか? あの、母の具合は……」
「ごめんなさい。ちょっと本気出して治癒魔法を掛けますから、説明は後でもいいですか?」
「はい、よろしくお願いします」
治癒魔法を流してみて、すぐに気が付きました。
フローチェさんの内臓は、ディートヘルムを更に酷くしたような状態でした。
肝臓、腎臓だけでなく、骨髄にまで、本来体内にあってはいけない物質が溜まっていますし、身体のあちこちに腫瘍まで感じられます。
フローチェさんも、何者かに毒を盛られていたのでしょう。
それも、ディートヘルムよりも、遥かに長い期間に渡って、少しずつ少しずつ盛られ続けていたように感じます。
手を添える場所をフローチェさんの脇腹に変えて、治癒魔法を全身に巡らせました。
肝臓や腎臓の機能を回復させ、とにかく血液に乗って流れている有害物質を身体の外へと排出するように促します。
土属性の魔法を手に入れたおかげか、有害物質をコントロールして、腎臓へと集められましたが、濃度が濃くなって腎臓の負担が増えてしまうというイタチごっこになってしまいました。
と言うか、土属性で集められるという事は、鉱物由来の毒物なんでしょうか。
体内に残留している有害物質の量が、ディートヘルムの時よりも格段に多いのと、身体の状態も悪化しているので、治癒させるのには時間が掛かります。
有害物質を集める作業と、排出させる作業を平行して行っているので、魔法の微妙なコントロールも必要となり、汗が流れ落ちてきます。
「シーリアさん、すみませんけど、水を持って来てもらえますか?」
「はい、ただいま」
小走りで部屋を飛び出して行ったシーリアは、水差しとカップを持って戻って来ました。
カラカラに乾いた喉を潤した後、フローチェさんにも水を勧めます。
「フローチェさん、身体から毒素を排出させる助けになるので、水を飲んでいただけますか?」
「はい、丁度、喉が渇いていたので助かります」
リーリアの手を借りて水を飲み終えたフローチェさんに、再びうつ伏せになってもらって治療を続けます。
だいぶ顔色も良くなって来ているように見えますが、まだ健康体には程遠い状態です。
回復させ、集めて、排出させる……地道な作業を更に一時間以上は続けたでしょうか、思っていたよりも魔力を消耗させていたようです。
「あの……申し訳ございません。トイレに行かせていただけませんか?」
「あぁ……すみません。気が付きませんで……」
フローチェさんから声を掛けられ、一旦治療を中止して、ふっと気を抜いたのが良くありませんでした。
カクンっと力抜けて、膝から崩れ落ちるようにベッドに突っ伏してしまいました。
良く考えるまでもなく、今日も早朝からバルシャニア、ヴォルザード、日本と動き通しです。
最近、ちょっと一日が長すぎる気がする……また倒れたなんて知られたら、委員長にお説教だなぁ……なんて思いつつ意識を手放してしまいました。
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