第140話 皇女セラフィマ
おはようございます。ケントです。
再び、バルシャニアの東端の街チョウスクまでやって来ました。
まだ夜明け前、皇族一家が滞在している宮殿も寝静まっています。
ごめんなさい、嘘です。見張りの兵士さんが、血走った目で周囲を警戒していますね。
ラインハルトによれば、昨夜はネロが爆走した後も、兵士たちが寝ようとする度に、眷族みんながイタズラを仕掛け続けたそうです。
天幕を建て直して、ほっと一息ついたタイミングで、コボルト隊が柱を切り倒し、支えのロープを切り離し、再び天幕をペシャンコにしました。
もう天幕など不要だと、地面にシートだけを広げて横たわり、ウトウトとし始めた兵士の顔にはサラサラと砂を降らせ。
鼻から思いっきり吸い込んだ兵士は、盛大に咳き込み、のたうち回ったそうです。
砂を掛けられるならばと、布を被って眠ろうとする兵士には、ザーエ達が川の水を浴びせ掛けました。
砂漠の近くと言えども、季節は冬、夜には零度近くまで気温が下がりますので、兵士達は悲鳴を上げて飛び起きて、震え上がったそうです。
警戒のために明かりを増やせば、それだけ色濃く影が出来て、眷族たちは更に自由に影から現れ、影へと消え、兵士の皆さんは殆ど眠れていないようで、幽鬼のようにフラフラと歩く姿や、血走った瞳で言い争いをする姿が見えます。
これは、相当ストレス溜まってそうですねぇ。
ちなみに、皇族の皆様だけ安眠するのは不公平だという事で、宮殿でも眷族達が大活躍をしてくれたそうです。
コボルト隊が、宮殿の周囲に植えられた木々を一斉に揺さぶったり、厨房から持ち出した大きな銅の鍋を転がしたり、廊下を集団で駆け抜けたりしたようです。
皇帝コンスタンを筆頭に、皇族達もろくに眠れていないそうです。
今、宮殿の見張りに付いている兵士達も、本来ならば早い時間に睡眠を取って、夜半過ぎに交代する予定だった者達だそうで、寝不足を気力で補っているのでしょう。
周囲は静まり返っているのですが、昨夜から、静かになった時を狙って騒動を繰り返してきたので、見張りを務める兵士は今が一番危ないと思い、余計にピリピリしているようです。
まぁ、いくら兵士の皆さんがピリピリしていても、影に潜って移動をする僕らを発見する事なんて出来ないんですけどね。
僕が足を運んだのは、第一皇女セラフィマの寝室です。
えっ、また良からぬ事をするつもりだろうって? とんでもないです。
昨日の様子からして、一番話が通じそうなのがセラフィマだと思ったからですよ。
『ケント様……こっち……』
フレッドに案内されたセラフィマの寝室の周囲には、目茶苦茶厳重な警備が敷かれていました。
ドアや窓の左右には屈強な女性兵士が立ち、少し離れた場所にも女性兵士の円陣、更にその周囲を完全武装の男性兵士が囲む三重の警備です。
皇帝や皇子たちの親馬鹿、兄馬鹿振りを思い起こせば、ある意味納得の警備体制ですが、残念ながら僕には全く意味をなしませんね。
あっさりと入り込んだセラフィマの寝室には、足首まで埋まりそうな豪華な絨毯が敷かれ、金銀の装飾が施された天蓋付きのベッドが置かれていました。
セラフィマは、花模様の刺繍が施された羽布団に埋もれるようにして眠っています。
横向きになって、丸くなって眠っている姿は、小動物チックな可愛らしさですね。
『ケント様……早速夜這いを……』
『しないからね! てか、もう夜が明けそうだし……』
『闇の盾で覆ってしまえば……邪魔は入らない……』
『だから、しないからね!』
何だか、ここ最近、フレッドに遊ばれっぱなしな気がします。
セラフィマの寝室に忍び込んで来ましたが、別に寝起きドッキリを仕掛けるつもりではありません。
いくら話が通じそうだといっても、無断で寝室に入り込み、寝起きで顔を合わせて話が出来るとは思っていません。
第二王子ベルンスト、第三王子クリストフの両名が既に世を去り、リーゼンブルグでは内戦が起こる要因が無くなった事や、バルシャニアとアーブル・カルヴァインが通じている事を、カミラやグライスナー侯爵も承知している事などを記した手紙を置いていく予定です。
今回の出兵については、既に前提条件も崩れ、リスクばかりが増大している状況だと、セラフィマが理解して中止を唱えれば、親馬鹿、兄馬鹿たちも止められるかもしれません。
影から表に出てベッドサイドのテーブルに、用意してきた手紙を置き、ついでにバルシャニアの皇女様を少し拝んでいきましょう。
ショートボブに切り揃えられた真っ白な髪は、サラサラの艶々です。
丸っこい耳が、時折ピクって動くのが可愛いです。
同じ年頃に見えてしまうメイサちゃんと毎晩枕を並べて眠っているのですが、やはり皇女様は手入れが違うのか、お肌がシットリすべすべに見えますねぇ。
顔小っさっ! 睫毛長っ! 唇は、桜貝みたいです。
陳腐な言い方ですが、まるでお人形さんのような可愛らしさに、思わず魅入ってしまっていたら、布団を跳ね除けるようにして、セラフィマが寝返りを打ちました。
「おぅ……」
絹を思わせる光沢の白い寝巻きの裾から、モフモフの虎尻尾がのぞいています。
尻尾の先がピクっ、ピクって僕を誘っている気がします。
「くちゅん!」
「へっ……?」
可愛らしいくしゃみを聞いて我に返ると、寝返りしたセラフィマと目が合っちゃいました。
アーモンド型の瞳に掛かっていた靄が、急速に晴れて大きく見開かれました。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「し、失礼しました!」
慌てて影に潜った直後に、寝室のドアが勢い良く開かれて、女性兵士は駆け込んで来ました。
「セラフィマ様、いかがいたしましたか!」
「い、今、そこに……」
「まさか昨夜の賊ですか?」
セラフィマが頷くと、女性兵士は部屋を飛び出して行こうとします。
「待ちなさい、ナターシャ! 無闇に動かず、ここで警戒なさい」
「はっ、仰せのままに」
セラフィマは布団から起き上がると、サイドテーブルへと手を伸ばし、手紙を広げて読み始めました。
ざっと目を通した後で、もう一度ゆっくりと文面を目で追うと、少し考え込むように視線を宙へと彷徨わせ、やがて大きく頷きました。
「リャーナ、着替えの支度を……」
「はい、ただいま……」
セラフィマが声を掛けると、すぐに侍女が着替えを持って現れました。
「セラフィマ様、いよいよ、時が訪れましたか?」
「ええ、でも、その話は後よ。父上は……?」
「既に出立のお支度を始めていらっしゃいます」
「少し急ぎます」
「はい……」
セラフィマは、侍女に手伝わせながら着替えました。
裾を絞った、ゆったりとしたパンツに、バルシャニア特有の模様の入った、ゆったりとしたネルのシャツを羽織ると、足早に部屋を出て皇帝の居室へと向かいます。
ゆったりとしているのは、体型を隠す……うひぃ、また睨まれたけど、察知する特殊能力でもあるんですかねぇ……。
皇帝コンスタンは、鎧こそ身に着けていませんでしたが、既に出陣の準備を済ませ、悠然とお茶を飲んでいました。
その表情は、昨夜のユルユル親馬鹿モードではなく、引き締まり、それでいて落ち着き払っているようにも見えます。
ただ、目元に隈が浮いているのは、ラインハルト達の工作の成果なのでしょう。
「父上、セラフィマです、少しよろしいでしょうか?」
「入りなさい……」
落ち着いた声音で答えながらも、セラフィマの来訪に、コンスタンの表情は、だらしなく緩みます。
ですが、それも一瞬。緊張した面持ちのセラフィマを見て、また表情を引き締めました。
「何があった?」
「はい、昨夜の男が現れました」
「何だと!」
「父上! まずは、これを……」
激昂して立ち上がろうとするコンスタンを制し、セラフィマが僕の手紙を手渡しました。
受け取ったコンスタンは、眉間に皺を寄せながら二度ほど読み返した後で、手紙をテーブルへと置いて訊ねました。
「ここに書かれている事は、本当だと思うか?」
「分かりません。ですが、もし本当であるならば、我が軍の損害は当初の予想よりも大きくなると思われます」
「では、出兵を取り止めろと?」
「正直に申し上げて、判断に窮しています。父上、今朝までの騒動で、どれほどの犠牲者が出ておりますか?」
「犠牲者か……犠牲者は、居らぬ」
「真ですか?」
「倒れた天幕の支柱が当たり、打ち身を負った者は居るが、命を落としたり、深手を負った者は居らぬ」
さすがは僕の眷族たちです。死者を出さずに、キッチリ安眠は妨害する。
いい仕事してますよねぇ……
「父上、奴らが本気で攻撃するつもりならば、多数の犠牲が出ていてもおかしく無かったのではありませんか?」
「ぬぅ……」
コンスタンは、口をへの字に閉じ、腕を組んで瞑目しました。
そのまま暫く考え込んだ後、かっと目を見開いて語り掛けて来ました。
「どうせ、そこらで覗き見しておるのだろう。出て来い、小僧!」
呼ばれてしまったら、出て行くしかないですね。
でも、セラフィマとは顔を合わせにくいですよねぇ……。
少し離れた場所に闇の盾を出して、室内へと踏み込み一礼しました。
「おはようございます」
「小僧……セラフィマの寝所に入り込みおったのか?」
「えっと……手紙を置きにいっただけで……」
セラフィマが、まるでゴミでも見るような冷たい視線を浴びせてきています。
うん、めっちゃ気まずいですね。
「貴様は、なぜワシらの邪魔をする?」
「人が死ぬのが嫌なんです」
「貴様は、ランズヘルトの人間ではないのか?」
「どういう意味でしょう……自国の民でなければ、いくら死んでも構わないと思ってらっしゃるんですか?」
「戦で人が死ぬのは当たり前だろう」
「その戦は、本当に必要なんですか?」
「当然だ」
「なぜ必要なんです?」
「鉄を手に入れるためだ」
コンスタンは、今度の出兵の目的を語り始めました。
「バルシャニアとリーゼンブルグは、昔から敵対関係が続いている。砂漠を間に挟んでいるから、直接武力を交える事は殆ど無いが、武器の材料となる鉄のバルシャニアへの持ち出しを禁止にしている。バルシャニア国内のダンジョンからも産出はされるが、量が少なく不安定なため、バルシャニアで使われている鉄は、その殆どをキリア民国からの輸入に頼っているのが現状だ」
「なるほど……キリア民国と敵対する事になれば、武器などを作る鉄に困るということですね」
「ほう……あながち馬鹿ではないらしいな」
クラウスさんの見立て通り、コンスタンは、バルシャニアの西の隣国、フェルシアーヌ皇国の更に西で起こっている戦に注目していました。
「キリア民国とヨーゲセン帝国は、長年に渡って所有権を争っていた土地を巡って戦となっているが、どうも今回の戦は、所有権を争っていた土地だけに留まらず、国全土に渡る戦いとなっているらしい」
「キリアがヨーゲセンを征服しそうなのですね?」
「そうだ。キリアとヨーゲセンが一つの国となれば、鉱物資源と穀倉地を併せ持つ大きな国になる。キリアのままであれば、隣国フェルシアーヌを攻め落とす事など考えられんが、ヨーゲセンを統一したとなれば話は別だ。隣国が戦火に沈めば、いつバルシャニアに飛び火してきたっておかしくは無い。その時になって、戦うための武器が無かったら、ただ滅びるのを待つだけだ」
「将来の有事に備えて鉄を手に入れる為に、アーブル・カルヴァインと手を組んだのですね」
「そうだ。キリアとの戦が起こるかどうかも分からん。と言うよりも、ワシが生きている間に起こる可能性の方が少ないだろう。だからと言って、備えを怠る事は許されんのだ」
「リーゼンブルグと友好関係を築けば……」
「そんな事は、言われるまでもなく何度も試みておる。親書を送っても返事すら寄越さぬ相手と、どうやって友好関係を築けと言うのだ」
コンスタンは、既に何度もリーゼンブルグの国王 アレクシスに親書を送っているそうですが、返事も無く、鉄の輸出が解禁される事もありませんでした。
もしかすると、宰相が握り潰してしまったのかもしれません。
「それでは、損害が増えることになっても、出兵を取りやめるつもりは無いのですか?」
「リーゼンブルグが鉄の輸出を解禁する見込みが無い以上、やむを得んだろうな……」
「リーゼンブルグ以外から、鉄が入手出来たらどうします?」
「何だと……ヴォルザードか? 貴様が運んで来ると言うのか?」
「僕は商売が本業ではありませんから、お望みの値段で提供できるかは分かりませんが、ヴォルザードから運んで来る事は可能です」
「ふむ……」
コンスタンは、一度は解いた腕を再び組み直し、僕をしげしげと眺め始めました。
セラフィマも視線を向けて来るのですが、すんごい冷ややかですよねぇ。
僕を観察し続けていたコンスタンは、おもむろに口を開きました。
「それでも、ワシが出兵を止めぬと言ったらどうする?」
「勿論、邪魔させていただきますよ」
「三万を優に超える軍勢を、貴様らだけで止められると思っているのか?」
「はい、簡単ですね」
「ほう……ワシを殺しても、軍勢は止まらぬぞ」
「そんな物騒な事はしませんよ」
「ならば、どうやって止めるつもりだ」
「橋を落とします」
「くっ……橋を落とした所で……」
「船を使うなら、船を沈めます」
「ぬぅ……」
コンスタンは、顔を顰めて睨みつけて来ました。
バルシャニア軍の泣き所は、まだ川のこちら側に居る事です。
総勢4万を超えるような集団を、橋を使わずに渡らせるとなったら大騒ぎです。
「立派な橋ですけど、僕の眷属たちにかかれば、壊すのなんて訳無いです。でも、壊したら困りますよね?」
「当たり前だ」
「向こう岸の農園、あれ凄いですよね。あれだけの規模の事業を行えるのは、バルシャニアという国の持つ力の現れだと思います。ホント、砂漠化を放置しているリーゼンブルグとは大違いです」
「当然だ。民は国のために、国は民のために働く、それがバルシャニアだ」
コンスタンは、何の気負いも無く、当然のように言い切りました。
「橋が通れなくなると、農地の手入れも出来なくなって、下手をすると砂に埋もれてしまうかも……」
「貴様……ワシを脅すつもりか?」
「そう思われても構いませんよ。最初の状況ならば、少ない犠牲で大きな成果が得られたかもしれませんが、今の状況で強行すれば大きな犠牲が出て、しかも利益が得られるかも怪しいですよね。リーゼンブルグ、バルシャニア、双方に損害ばかりが出るような戦に何の意味があるんですか?」
コンスタンは、口をへの字に引き結び、ジッと僕を睨んだまま考えを巡らせているようでした。
「本当に鉄を用意出来るのか?」
「たぶん……大丈夫かと……」
コンスタンは、片手を広げて見せながら要求して来ました。
「50コラッドの鉄を用意しろ。20万ラブルで買い取ってやる。猶予は5日間だ」
「父上、5日で50コラッドは……」
「分かりました。とりあえず、やってみますので、5日間は兵を動かさないで下さい」
待ったを掛けようとするセラフィマの言葉を遮るように、コンスタンの要求を了解しました。
てか、50コラッドって、どの位の量だろう?
20万ラブルって、バルシャニアの通貨だよね?
量も金額も良く分からずに了承しちゃったけど……まぁ、何とかなるでしょう。
「いいだろう。5日の間は待つが、6日目の朝には出立するぞ」
「はい、結構です……では、僕はこれで……」
「待て、話はまだ終わってないぞ」
影に潜ってリーゼンブルグへと戻ろうとしたら、呼び止められました。
「まだ何か条件を付けるおつもりですか?」
「出兵の話ではない」
コンスタンの表情は、出兵の話をしていた時よりも厳しく、怒りを含んでいるようです。
「貴様……セラフィマの寝所に入り込んだのだな?」
「えっ、えっと……それは、手紙を置くためで……」
「父上、私、寝姿を見られてしまいました」
「いや、ちょ……あれは、不可抗力というか……予想外の事態と言いましょうか……」
「御覧になりましたよね?」
「えっと……はい……」
セラフィマは自らを抱き締めるように腕を重ねて頬を赤らめ、コンスタンは憤怒で顔を赤らめています。
なんでしょう、このデジャヴ感満載の展開は……嫌な汗がダラダラと流れてきます。
「小僧、嫁入り前の皇女の寝所に入り込んだのだ、覚悟は出来てるのだろうな……」
「か、覚悟と言われましても……」
「厳重な警備を掻い潜り、私の寝所まで辿り着けた者に嫁ぐと、国中に知らしめております」
「これまでにも、数え切れぬ男どもが挑んで来たが、全てセラフィマの親衛隊が退けて来たわい」
警備が厳重だとは思ったけど、そんな事になってるなんて知らないよ。
てか、そんな選び方で良いんですか?
「えっと……僕は、そんなつもりで忍び込んだのではなく、手紙をですねぇ……」
「寝所に入り込んだのに、婚姻を望まないなんて……私に魅力が無いと言うのですか?」
「いや……魅力も何も、初めて姿を見たのは昨日ですし、まだ殆ど話もしていませんし……」
「何だと小僧! 貴様、一目見ただけでセラちゃんの魅力に気付かぬとぬかすのか!」
「いえいえ、お美しいとは思いますけど……」
「皇族が、民と交わした約定を違えることなど出来ません」
「小僧、良く考えて選べ……婚姻か? それとも死か?」
うわぁぁぁ……どこかで聞いた事のあるような、究極の選択きた――っ!
なんで、こっちの世界の人は、究極の選択を迫りたがるのかなぁ……ここは、やっぱり影に潜って退散します。
「えっと……答えは、保留で! 失礼します!」
「あっ、待ちなさい!」
「小僧、逃げられると思うなよ!」
バルシャニアの侵攻は止められそうだけど、また厄介な問題が増えちゃいましたよ。
『ぶははは、さすがはケント様、バルシャニアの皇族からも嫁取りですな』
『魔王の支配地……ますます広がる……』
「嫁にしないからね。支配もしないから」
とりあえず、ヴォルザードに戻って、鉄の調達を始めましょう。
あぁ、委員長にバレないようにしないと……。
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