第135話 断たれた命

 目を覚ましたのは、日が傾きかけた頃でした。

 まだ頭がグラグラして、胃がムカムカしています。


「うーっ……気持ち悪いぃぃ……」

『大丈夫ですかな、ケント様』

「ご主人様、大丈夫?」

「まだ、うちらと寝てようよ」

「そうだにゃ、ネロと一緒に寝てるにゃ」


 眷族のみんなは僕と魔力のリンクで繋がっているからでしょうか、体調の悪さを感じ取っているようです。

 奪い取る魔力の量は、木沢さんの時よりも相当少なかったはずですが、体調の悪さはあまり変わった気がしません。


 もしかすると、新たな属性が入り込む事が大きな影響を及ぼしているのでしょうか。

 それを検証するにしても、また魔力や属性の奪取を行わないといけないのかと思うと、気が重たくなってきます。


 たぶん土属性の魔術も使えるようになっているはずなのですが、それを試してみようという気力も湧いてきません。

 いっそ、ネロに寄りかかって二度寝しようかと思っていたら、フレッドが報告に戻ってきました。


『ケント様……第一王子派が動く……』

「やっぱり、知らせは間に合わなかったか……」


 昨日のグライスナー侯爵との会談の後、カミラが書状を作成して王城と第一王子に対しては早馬を走らせているはずですが、いくら早馬とは言っても速度には限界があり、書状が届くまでには時間が掛かります。


 現在、第一王子アルフォンスが滞在しているのは、ドレヴィス公爵領の中心都市ラウフで、ラストックからは、普通に馬で移動すれば七日、早馬でも三、四日は掛かる距離があります。


 アルフォンスは、派閥の貴族達を集めて、明朝全軍で東に向かうと宣言したそうです。


「全軍って、まさかバルシャニアへの備えを残さないって事じゃないよね?」

『そのまさか……正真正銘の全軍を注ぎ込むらしい……』

「その情報を知ったら、バルシャニアは動くかな?」

『可能性は……五分五分……』


 昔から、バルシャニアが攻めて来るという噂が流れていて、言わば狼少年的な話になっています。

 噂が流れても、実際にバルシャニアの様子を見に行くには砂漠を渡る必要があり、これまでは真偽を確かめに行くような物好きは居なかったでしょう。


 今回、バルシャニアは、砂漠に面した街で演習を行っています。

 その演習も例年の行事の可能性もあれば、侵攻に備えているとも受け取れるので、本当に手の内が読みにくい国です。


「コボルト隊を増やせば、バルシャニアに知らせが行くかどうか見張れる?」

『恐らくは……何らかの兆候は掴めるかと……』

「じゃあ、ちょっと網を張ってみて」

『了解……動きがあったら知らせる……』


 フレッドが戻って行くのを見送って、もう少し第一王子派について考えようかと思ったのですが、やっぱり頭が上手く働きません。

 とりあえず、捜査本部にビデオと魔石と角を置いて来て、それから委員長に報告して、下宿に戻りましょう。


 捜査本部へと移動すると、やはり久保さんを送り届けたせいか、ピリピリしていた空気が和らいだように感じます。

 梶川さんを探すと、何やら携帯で連絡を取っているようなので、通話が終わるのを待って声を掛けました。


「梶川さん、今、大丈夫ですか? うっぷ……」

「おぉ、国分君、勿論大丈夫だよ。もしかして魔石かな? と言うか君の方が大丈夫じゃなさそうだけど……」

「久保さんの帰還させるために属性の奪取をしたんで、ちょっと気分が悪いです」

「そうなの? あまり無理しない方がいいよ。君に倒れられると本当に困っちゃうからね」

「はい、気を付けます。それで、カミラ・リーゼンブルグ王女の謝罪コメントと親書もあるんですが……」

「ほう、それはすぐに見られるかな?」

「はい、大丈夫ですよ」


 カミラの謝罪ビデオを再生すると聞いて、須藤さん達も集まって来たので、捜査本部にあるモニターを使って再生する事にしました。


「かなりの美人だね……でも、やっぱり何を言ってるのかが全く分からないね。英語でもフランス語でもないし、ドイツ語やポルトガル語とも発音が違う感じだ」

「そうだと思いまして、親書の中身は、ビデオのコメントと同じ内容にしてあります」

「でも、親書もむこうの言葉で書かれているんだよね?」

「はい、それは小田先生に翻訳してもらってあります。これです」

「拝見するね……ふむ……なるほど……」


 小田先生に翻訳してもらったものを手渡すと、梶川さんはすぐに目を通し始めました。

 その間に、画面を食い入るように見詰めていた須藤さんから訊ねられました。


「国分君、この男性の耳と尻尾は本物なんだよね?」

「はい、仮装している訳でもありませんし、特殊メイクでもCGでもありませんよ」

「だろうね……時々、ピクっと動いたり、フラフラと振られたりしてるもんね。他の種族というか亜人? 獣人も居るの?」

「はい、猫系、狐系、熊系、羊系……色々ですね」

「いやぁ……ホントに映画の中みたいだね」


 一度再生が終わると、また最初に戻って再生し、捜査担当全員が目を皿のようにして映像をチェックしています。


「うん、コメントの内容としては妥当なところだね。言い回しなどの表現は、こちらで手を加える事になると思うけど、これで大丈夫だろう」

「じゃあ、魔石と角を置いて行こうと思うのですが……どこに出しましょうか?」

「あぁ、こちらに置いてもらえるかな?」


 ミノタウロスの角20本とオークの魔石を200個、指定された場所のすぐ隣に闇の盾を出して、マルト達に運んでもらいました。


「国分君、前回の魔石と較べると、かなり大きな魔石だけど、これは何の魔石なのかな?」

「これはオークの魔石です。前回のはゴブリンの上位種だったので、根本的に体格も違いますし、魔石の大きさも五倍以上はあると思います」

「オーケー、ならば魔石は1個250万円で、角は800万円相当の賠償という事にしよう」


 つまり、オークの魔石が5億円、ミノタウロスの角が1億6千万円、合計で6億6千万円の賠償が済んだことになります。

 賠償の総額は50億円程度を見込んでいるそうなので、まだ八割以上が残っている計算ですが、それでもいくらかは誠意を見せた事に出来るような気がします。


 まぁ、魔石や角は僕が提供したものですけど、後々、同額程度のものはカミラから取り立てましょう。


「それじゃあ梶川さん、後はお願いしてもいいですかね?」

「オーケー、これだけ進めてもらえると助かるよ。早く帰って休んで……って、帰るで良いのかな?」

「そうですね。僕にとっては、もうヴォルザードがホームタウンという感覚なんで、帰ります」

「あぁ、ちょっと待ってくれ、国分君」


 ヴォルザードに戻ろうとしたら、須藤さんに呼び止められました。


「久保さんは、木沢さんと同じようにご自宅へと送り届けて、公安の担当者が警護に付くことになっているから安心してくれたまえ」

「はい、よろしくお願いします」

「それと、同級生宛の手紙が溜まってるんだよ。返事はまだかって言われていて……」

「あっ、すみません、忙しさにかまけて忘れてました。すぐ届けて、返事を預かってきます」

「そんなに急がなくても良いよ。忘れずにいてくれれば、ついでの時で構わないからね」

「はい、それじゃあ帰ります」


 ヴォルザードに戻って、久保さんを送り届けたことを報告しようと思い、守備隊の宿舎へと向かいました。

 まずは委員長に顔を見せておこうと、部屋に行ってみましたが姿が見えません。


 それならばと、診療所へと足を向けると、委員長だけでなく先生達までが集まっていました。

 診察台に誰かが寝かせられているようですし、顔を覆って肩を震わせているのは、千崎先生のような感じですが、何があったのでしょうか。


「唯香、ただいま」

「あっ、健人……」


 みんなの視線が僕に集まる中で、歩み寄って来た委員長の目が赤くなっています。


「健人……関口さんが……」

「えっ、関口さんが、どうしたの? えぇぇぇ!」


 すっと小田先生が身体をずらし、視線に飛び込んで来たのは、関口さんの顔に掛けられた白布でした。


「あの後、城壁の上から飛び降りて……」

「嘘……」


 傷口を触れ合わせての属性奪取が上手くいかず、ヒステリーをおこした関口さんは、守備隊の敷地を飛び出し城壁に駆け上がると、千崎先生の説得を振り切って飛び降りたそうです。


 守備隊の隊員さんが、急いで塀の外へと助けに向かったそうですが、首の骨が折れて即死状態だったようです。

 委員長が治癒魔術を掛けてみたそうですが、効果が無く手の打ちようが無かったそうです。


 以前、ラストックで瀕死の子供を蘇生した事がありましたが、おそらく関口さんも身体から魂が抜けてしまった状態だったのでしょう。


 あの時は、子供が息を引き取った直後だったから蘇生出来ましたが、関口さんの場合は時間が経過しすぎていますし、今の僕の体調では蘇生させられる自信が全くありません。


「私が……私がいけないんです。あんな方法を思い付いたりしたから……」

「千崎先生だけの責任じゃないです。私達だって賛成したんですから、私達にだって責任はあります」

「でも……でも、精神的に不安定だった関口さんで試すべきではなかったわ。私達が先に検証だけでもしておくべきだったのよ」


 彩子先生に支えられながら、千崎先生は激しく首を横に振りました。


「僕が……」

「やめて!」

「唯香……」

「やめて、健人は十分すぎるぐらい頑張ってる。もうこれ以上の責任を背負わないで。関口さんを救えなかったのは、支えられなかった私達の責任。健人の責任じゃない」


 居合わせた先生達も、大きく頷いています。


「分かった。でも、こうなってしまったら、日本に報告しないといけませんよね?」

「そうだな、知らせてもらうしか……」

「私が! 国分君、お願い、私を日本に行かせて」


 小田先生の言葉を遮るようにして、千崎先生が頼んできましたが、首を縦には振れませんでした。


「ごめんなさい。久保さんを帰還させたので、まだ体調が戻っていません。今すぐ属性の奪取を行う自信がありません」

「そんな……そこを何とか……」

「千崎先生、これ以上の負担を国分に強いて、他の者の帰還が出来なくなったら困ります。お気持ちは分かりますが、抑えて下さい」

「はい……すみませんでした」


 小田先生に諭されて、千崎先生は諦めてくれたようです。


「あの、小田先生……」

「なんだ?」

「関口さんの遺体を運ぶ事は、たぶん可能だと思いますけど……」

「そうなのか?」

「はい、生きている者を影の世界に引き入れる事は出来ないのですが、理由は良く分からないのですが、死んでしまうと可能になるんです」

「そうか……せめて遺体だけでも日本に帰すべきなのだろうが……」

「とりあえす、捜査本部に戻って、どう対応すべきか相談して来ましょうか?」

「そうだな、すまんが頼めるか?」

「はい、行って来ます……あっ、手紙を預かってるんで置いていきますね。またここに戻って来ますので、みんなからの手紙を持って来ておいてもらっても良いですかね?」

「分かった、用意しておく」

「唯香、悪いんだけど、何か食べるもの用意しておいてくれる?」

「分かった。でも健人、大丈夫なの?」

「うん、自分が移動するだけならば大丈夫だよ、じゃ、行ってくるね」


 捜査本部へと引き返すと、まだ映像の検証を行っているようでした。

 すぐ引き返してきた僕に、須藤さんは不思議そうに、でも上機嫌な様子で話し掛けて来ました。


「おや、国分君、何か忘れ物かい?」

「須藤さん、同級生の女子が一人……自殺しました」

「なんだって!」


 捜査本部に居た人達の視線が僕に集中し、緩んでいた空気が一瞬で張り詰めました。


「どういう経緯なのか、国分君の知っている範囲で構わないので教えてくれるかな」

「はい、自殺したのは関口さんという女子生徒で、僕とはクラスが違うので、詳しくは知らないのですが、向こうの生活に馴染めていなかったようです」


 関口さんがノイローゼ気味だった事や、今日の出来事などを話しました。


「なるほど……ノイローゼ気味だったところに精神的ショックが加わって発作的に……と言う感じだね」

「それで、関口さんの遺体なんですけど、こちらに運んだ方がよろしいでしょうか?」

「運んで来られるのかね?」

「命を失うと影の空間に運び込めるようになるので、運んで来られると思います」

「本来、自死の場合には、遺体を動かす前に検証したいのだが……」

「転落したのは城壁の外なので、そのままでは魔物に襲われる心配がありますし、治癒魔術なら蘇生の可能性があると思って診療所に運んだようです」

「では、今はその診療所に安置されているのかね?」

「そうです」

「分かった、こちらに運んでもらおう。いや、検案室の方がいいな」


 関口さんの遺体は、須藤さんに教えてもらった検案室へと運ぶ事になりました。


「出来れば、関係者の事情聴取もしたいところなんだが……」

「あの、須藤さん、こちらから人を連れて行く事は出来るかもしれないんですが……」


 須藤さんに、影移動する為の条件を説明し、魔力を持っていない日本側の人間ならば、魔力を付与するだけで影の世界に入れるかもしれないと話しました。


「ふむ……それはつまり、国分君とキスすれば異世界に行けるという事だね」

「はい……あっ、でも魔力を付与するだけならば、傷口の接触でも大丈夫かも……」


 関口さんで失敗した傷口を接触させての魔力奪取の失敗の件も話して、属性を持たない相手への付与だけなら出来るかもしれないと伝えました。


「管理官、自分にやらせて下さい」

「森田か……いいだろう。準備しろ」


 事情聴取や現場検証に必要な機材などを準備し終えた森田刑事に、移動のための魔力付与を試みます。


 これが上手く行けば、僕がキスしなくても同級生の家族を連れていく事が可能になります。

 つまりは、委員長の両親をヴォルザードに招く事も出来るようになる訳です。


「じゃあ森田さん、始めますよ」

「よろしく頼むね、国分君」

「はい、失敗した場合には、骨が見えるぐらい指が裂けますので……」

「ちょ、それ聞いてないよ」

「はい、今言いましたから……」

「えぇ、ちょ、ちょっと待って……んん……?」


 森田さんの心配を余所に、魔力の付与はあっさりと出来てしまいました。


「じゃあ行きますよ。中は真っ暗なんで、絶対に離さないで下さいよ。迷子になったら出られなくなるかもしれませんからね」

「ちょ、そんなに脅かさないでくれよ……」


 傷を入れていない方の手を握り、一気にヴォルザードの診療所を目指します。


「ただいま戻りました」

「えっ、もう着いたの?」


 森田さんにしてみれば、隣の部屋まで歩く程度の感覚でしょう。

 突然、僕以外の人間が現れて、先生達も驚いています。


「小田先生、光が丘警察署の森田刑事です。事情聴取と現場検証のために来てもらいました」

「光が丘署の森田です。よろしくお願いします」


 警察手帳を提示した森田さんは、先生方と挨拶を交わした後で合掌し、関口さんの顔に掛けられた白布を捲りました。

 関口さんは、右の後頭部から肩口辺りから落ちたらしく、土が付いていました。

 森田さんが、そっと触れただけでだけでグラリと頭が動き、首の骨が完全に折れていると素人にも想像出来ました。


「国分君、城壁の高さはどの程度なのかな?」

「三階か四階のベランダぐらい……ですね」

「彼女が落ちた時に一緒にいらした方は?」


 森田さんの問いに千崎先生と彩子先生が手を上げました。


「どういう感じで落ちたのでしょう?」

「城壁の上が通路になっていまして、手摺りのような壁の上に立って、後に倒れ込むようにして頭から……です」


 その瞬間を思い出したのか、千崎先生はまた顔を両手で覆いました。

 森田さんは、取り出したデジカメで関口さんの右の頭部辺りを重点的に撮影しました。


「国分君、首がグラグラの状態なので、運ぶには担架みたいなものがあった方が良いね」

「あっ、担架なら、こっちに……」


 委員長が、ここまで運ぶのに使ったらしい担架を持って来てくれました。

 先生方全員が手を貸して、診察台の上で関口さんを担架に乗せ、顔に白布を戻して合掌しました。


「じゃあ、国分君、お願い出来るかな?」

「分かりました。森田さんは、このまま事情聴取ですね」

「うん、そうさせてもらうよ」


 関口さんの遺体は、一人では運べないので、ラインハルトの手を借りました。

 みんなの合掌に見送られながら担架を持ち上げ、闇の盾へと入りました。


『大丈夫ですか、ケント様』

『うん、気持ち悪いのは治まってきているから、大丈夫だよ』

『そうですか……』


 たぶん、ラインハルトが訊ねてきたのは、僕の体調ではなくて心の状態でしょう。

 委員長は、責任を感じる必要は無いと言ってくれましたが、やっぱりそれは無理です。


 僕は自由に日本とヴォルザードを行き来出来るのに、帰りたくて帰りたくて仕方なかった関口さんは、ヴォルザードで命を断つ事になってしまいました。

 何でも思い通りに出来ると思うほど、僕は傲慢ではありません。


 でも、もう少し頑張れば関口さんの願いを叶えてあげられたのに、笑って家族のもとへと帰してあげられたかもしれないと思うと、自然と涙が溢れてきました。

 悔しくて、情けなくて、申し訳なくて……涙が止められませんでした。


 検案室には、須藤さんの他に三名ほどの男性が待機していました。

 須藤さん以外の男性は、ラインハルトの姿に驚いて後ずさりしましたが、須藤さんに促され担架の上から検視台へと関口さんを移してくれました。


「ありがとう、国分君」

「はい、よろしくお願いします」


 検死を担当するであろう男性達に頭を下げ、もう一度関口さんに向けて合掌し、ラインハルトと共にヴォルザードへと戻りました。

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