第115話 墓参り

 下宿裏の掃除を終えた後、捜査本部へと顔を出す事にしました。

 須藤さんからは、今日は日曜日なので顔を出さなくても良いと言われているのですが、ちょっと頼みたい事があったので行ってみます。


 大きな事件の捜査本部には休みが無いと聞いた事がありますが、召喚事件は特殊な状況で、実質的な捜査も出来ないとあって交代で休日が与えられているそうです。


 捜査本部には須藤さんの姿はありませんでしたが、何人か居る捜査官の中に森田さんの姿がありました。

 皆さんを驚かせないように、少し離れた場所から表に出て声を掛けました。


「こんにちは森田さん、今日は当番なんですか?」

「おぉ国分君、そうなんだよ、まぁ別の日に休みはもらえるんだけどね。と言うか、今日は日曜だから顔を出さなくても良いって、須藤さんに言われなかった?」


 森田さんは、書類仕事の手を止めて、にこやかに迎えてくれました。


「はい、昨日そう言われたんですが、ちょっとお願いがありまして……」

「ははーん、また女の子に買い物を頼まれたとか?」

「いえ、そうじゃないんですけど……森田さん、お金を貸していただけませんか?」

「僕の財布の底が抜けない程度の金額だったら構わないけど、何に使うんだい?」

「えっと……お花とお線香を買いたいと思って……」


 僕の言葉を聞いた森田さんは、にこやかだった表情を引き締めました。


「分かった、僕も一緒に行こう」

「えっ、森田さんもですか?」

「お母さんの事は、我々にも責任が無いとは言い切れないからね」


 森田さんからの申し出は予想していなかったので、即断出来ずに少し考えた後、お断りする事にしました。


「すみません森田さん、まだ完全に気持ちの整理が出来ていないので、出来れば今日は一人で行って来たいのですが……」

「そうか……そうだね。じゃあ、これは僕らからお花代として受け取ってくれるかな? 袋にも入れないで申し訳無いんだけど……」

「いえ、そんな……」

「頼むよ、受け取ってくれないかな」


 森田さんだけでなく、他の捜査員の方々も僕を見て頷いていました。


「分かりました。有り難く頂戴致します」


 皆さんに一礼して、一万円札を受け取りました。

 捜査本部から、また影に潜って移動します。


 向かった先は、東武東上線の下赤塚駅近くの商店街です。

 商店街の通りからは少し離れた路地裏で表に出て、ドラッグストアーでお線香と使い捨てのライター、生花店でお供え用の花を買いました。


 国分家のお墓は、お婆ちゃんが亡くなった時に父さんが建てたもので、赤塚植物園の近くの墓地にあります。

 駅前の商店街からは歩いて二十分ぐらいの距離です。


 影に潜って移動しようかとも思いましたが、ブラブラと歩いて向かう事にしました。

 電車の音、自動車の音、商店街に鳴り響いている音楽、電飾の看板……ちょっと前までは当たり前だった光景がとても新鮮に見えます。


『ケント様の住まわれていた世界は、随分と賑やかなのですな』

『うん、でも池袋とか渋谷とかは、もっともっと人も多いし賑やかだよ』

『高い建物も多いですし、やはり技術が進んでおるのですな』

『そうだね。魔法が無いから、機械とか工作とか建設の技術は進んでいるよ』


 元々住んでいた僕でさえ新鮮に感じているのですから、影の中から見ているラインハルトにとっては、さぞかし物珍しい風景に見えている事でしょう。

 バス通りに沿って歩き、坂を下り、坂を上り、もう一度下る途中で左に曲がれば、バッティングセンターの向こうに墓地が見えてきます。


 管理棟で桶と柄杓と雑巾を借りて階段を上り、うちのお墓の前に立ちました。

 お骨を収めるスペースの上に、国分家と刻まれた墓石がポンと乗っている感じの小さなお墓で、墓碑にはお婆ちゃんの名前の隣に、母さんの名前が増えていました。


『ケント様……』

『うん、大丈夫。マノンの家で、いっぱい泣いたから……』


 柄杓で墓石に水を掛け、雑巾で拭って埃を落とし、花立に水を入れて買って来た花を供えました。

 お花なんて生けたことがないので、上手くバランスが取れません。


『ケント様……』

『うん、大丈夫だよ』

『いえ、そうではなくて……何やら見張られているようですぞ』

『えっ、どこから?』

『あちらのガラス張りの建物から、何やら黒い筒で覗き見ておるようですぞ』


 管理棟はガラス張りになっていて、休憩スペースからは墓地が見渡せるようになっています。


 雑巾を濯ぎながら横目で見ると、カメラを構えている人と、もう一人はメモを取っているように見えます。

 もしかしたら……と思っていましたが、マスコミが張り込んでいたようです。


『こっちに寄って来る気配は?』

『今のところは監視しているのみのようですな』


 どうやらお参りを済ませるまでは、接触して来ないつもりなのでしょう。

 借りた桶を返すには、管理棟の入口まで行かなければなりませんし、上ってきた階段も管理棟のすぐ脇です。


 あちらにしてみれば、僕に逃げられる心配は無いという事なのでしょう。

 でも、邪魔して来ないならば、ゆっくりとお参りをさせてもらいましょう。

 お線香にライターで火を点し、墓石の前にしゃがみ込んで手を合わせました。


「婆ちゃん、母さん、ただいま。無事に日本に戻って来たよ……」


 手を合わせたままの姿勢で、召喚された日から今日までの出来事を二人に語って聞かせました。


「母さん、父さんは僕に愛情を感じていなかったんだって……昨日もらった手紙に書いてあったんだ。正直、かなりショックだったけど、妙に納得もしちゃったんだ。あぁ、やっぱりか……って感じかな」


 父さんの手紙の内容や、ちゃんとした父親になれるのか不安を感じている事、ヴォルザードでは沢山の人に支えられている事も話し、そして……胸に抱えてきた疑問を口にしました。


「ねぇ……母さんは、どうして僕を遺して逝ってしまったの? 母さんも僕には愛情を感じていなかったの?」


 気付くと涙が頬を伝っていました。

 涙は、単なる悲しみではなく、悔しさや怒りなどが入り混じったものでした。


 父さんからの手紙はショックではあったけれど、父さんが何を考え、僕をどう思っているのかが分かったから納得も出来ました。

 だけど、遺書も残さずに逝ってしまった母さんの気持ちは、僕が想像するしかありません。


 でも、いくら想像を巡らせてみても、それはあくまでも僕の想像でしかなくて、母さんの本当の気持ちを知る機会は、永遠に失われてしまいました。


「もっと……もっと早く、こうして話せば良かったんだよね」


 血の繋がった家族であっても、言葉にしなければ気持ちは伝わらないのだと、改めて思い知らされたような気がします。


「母さん、僕はヴォルザードで新しい家族と暮らしていく事にしたんだ。だから……今度は失敗しないように、ちゃんと気持ちを伝えられるように見守っていて下さい」


 もう一度手を合わせて、母さんが天国に逝けるように祈りを捧げました。

 閉じていた目を開き、墓石を見詰めたままの姿勢で声を掛けました。


『ラインハルト、周りに人は居るかな?』

『いいえ、あの見張っている連中以外はおらんですな』


 続いて、マルト達に指示を出しました。


「マルト、ミルト、ムルト、僕が合図したら、僕を見張ってる連中の後ろから、姿を見せずに思いっきり咆えてやって」

「わふぅ、分かったよ、ご主人様」


 桶を手にして立ち上がり、視線を向けるとマスコミらしき二人と目が合いました。

 そして、爪先で地面を叩いて合図すると……マルト達が咆えたのに驚いて、二人は弾かれたように後を振り返りました。

 その瞬間を狙って、墓石の間にしゃがみ込むようにして影の世界へと潜りました。


「なんだ、何処に犬が居るんだ」

「おいっ、国分健人が居ないぞ!」

「なにっ、何処に行った? 気付かれたのか?」

「考えるのは後だ、追い掛けるぞ!」


 影の世界から見ていると、カメラを抱えた男とメモ帳を手にした男は、騒々しく階段を駆け下り、管理棟の前の道でグルグルと辺りを見回すと、植物園の入口と逆の方向の二手に分かれて走って行きました。


 今日撮られた写真は、週刊誌に載ったりするんでしょうかね。

 出来ればイケメンっぽく撮れてるのを選んで使ってもらいたいですね。


 桶と雑巾を戻して、ヴォルザードへと戻りました。

 アマンダさんの店は、そろそろ夕方の営業が始まるところです。


「ただいま戻りました」


 裏口から声を掛けると、メイサちゃんが凄い勢いで走ってきました。


「ケント、モフモフ! おっきいモフモフ見せて!」

「はいはい……外じゃないと無理だからね」

「うん、早く、ねぇ早く!」


 アマンダさんかメリーヌさんから聞いたのでしょう。

 もう待ちきれないという感じで、メイサちゃんは足踏みを続けています。


「ネロ、ちょっと出て来て」

「にゃっ、呼んだかにゃ、ご主人様」


 闇の盾からスルリとネロが姿を現すと、足踏みしていたメイサちゃんは目を真ん丸に見開いて固まっちゃいました。


「アマンダさんの娘のメイサちゃんだよ」

「初めましてにゃ、ネロだにゃ」

「お、おっきい……」


 メイサちゃんは、僕の腰の辺りにしがみ付いて、半分背中に隠れるようにしてネロを見詰めています。


 大きいとは聞いていたけど、ここまで大きいとは思っていなかったのでしょうね。

 何しろ、メイサちゃんだったらペロリと丸呑みに出来ちゃうぐらいの大きさですからね。


「メイサちゃん、ネロに触ってもいいけど、尻尾はいきなり触っちゃ駄目だからね」

「尻尾……? ふわぁぁぁ、尻尾太い……」


 ネロは、太い尻尾をフワフワと揺らした後で、僕とメイサをクルリと巻いてみせました。


「ふあぁぁぁ……フワフワ……」


 ネロの毛並みにメイサちゃんは蕩けちゃってますけど、一緒に巻かれている僕も蕩けそうです。

 大きな顔を摺り寄せてきたネロの、これまた大きな耳の裏を撫でてやると、ドロドロと上機嫌で喉を鳴らし始めました。


「ケント……ネロと一緒に寝たい……」

「うーん……ネロが入れる部屋が無いよ……」

「うーっ……一緒に寝たい……」

「うーん……それじゃあ、年明けのお休みの間に、天気が良い日を選んでピクニックに行こうか? 外でお昼寝するならネロも一緒に居られるからね」

「ピクニック! 行く、絶対行く! 約束だからね」

「はいはい、アマンダさんやメリーヌさん、唯香やマノンやベアトリーチェも誘って行こうか?」

「うん、お母さんにお弁当作ってもらう!」

「勿論、マルト達も一緒だからね」

「わふぅ!」


 ちゃんと忘れていないアピールしておかないと、焼餅焼きそうですからね。

 ネロを影へと戻して下宿に戻ると、もう夕方の営業が始まっていました。


「じゃあ、私はお手伝いがあるから、ケントは二階で大人しくしていてね」

「はいはい、大人しくしてるから、夕食になったら教えてね」


 メイサちゃんに追い払われるようにして二階へ上がろうと思ったのですが、お客さんの話に思わず足を止めました。


「おい、見たか? ギガウルフ」

「何だと、警報鳴ってねぇぞ」

「ちげぇよ。ギガウルフが馬車引いてたんだよ」

「はぁ? それじゃあ馬車じゃなくて、ギガウルフ車じゃねぇかよ」

「馬鹿、そういう意味じゃ……あるのか? てか、そうじゃなくて、ギガウルフが飼い馴らされてるって事だよ」

「んだよ、それなら魔物使いの仕業だろ?」

「それが違うんだよ。何か、手綱を握ってのは若い女だったぞ」


 メイサちゃんが、何か言いたいげな視線を向けてくるので、お手上げポースで首を横に振ると、腕組みして首を傾げていました。

 そこへ一人の男性が、お店の中へと入って来ました。


「悪いな、ちょっとゴメンよ。客じゃなくってギルドの伝令だ。アマンダさん! おたくの下宿人に……」

「はい、僕ですけど、何でしょう?」

「おう、あんたがケントかい? ドノバンさんが、明日の朝、混雑が終わった頃に顔を出せって言ってたぜ。何でもギルド本部のマスターが来たって話だ」

「分かりました、忘れずに伺いますってお伝え下さい」

「あいよ!」


 伝令役の男性が店を出て行くと、メイサちゃんが心配そうな顔で見詰めてきました。


「ケント、また危ない仕事するの?」

「ううん、極大発生の話を聞かれるだけだと思うよ」

「ホントに?」

「ホント、ホント。ただ、本部のギルドマスターって二百五十歳を超えてるんだとか……」

「二百五十歳……エルフなの?」

「えっ、エルフなんて居るの?」

「分かんない……御伽噺には出てくるけど……」

「そのエルフは長生きなの?」

「五百年以上生きるって……」


 どうやらエルフは伝説の生き物のようですが、ここに魔王っぽいのも居ますから、居ても不思議じゃないですよね。


「メイサ、手伝わないなら二階でケントに算術習って……」

「手伝う! ケントは邪魔だから二階に行って!」

「はいはい、分かりましたよ」


 算術嫌いのメイサちゃんに追い払われるようにして、二階の自室へと戻りました。


「ラインハルト、エルフって居るの?」

『エルフは、こことは違う大陸の深い森の中に住んでいると言われてますな』

「じゃあ、実在はしてるんだね?」

『いや……そう言われているだけで、実際に見た事はありませんし、見たという人間にも出会った事はありませぬ』

「架空の存在なのかな?」

『いえ、古い伝承にはエルフに遭ったという人物の話も出てきますが……』


 どうやらラインハルト達の時代にも、エルフは伝説の存在だったようです。


『ケント様、それよりもギガウルフの話が気になりませぬか?』

「そうだよ。ギガウルフを飼い馴らすなんて出来るの?」

『ストームキャットを飼ってる方ならば知ってますが、ギガウルフを飼い馴らしている者の話は聞いた事がございませぬ』

「馬車を引いていたって話だから、もしかして……」

『ギルド本部のマスターの御者という可能性が高いですな』


 ランズヘルトに存在する全てのギルドを統轄する本部のマスターですから、当然道中の護衛も厳重になるでしょう。

 高ランク冒険者のテイマーが、ギガウルフを制御しながら馬車を走らせてきたのでしょう。


 ギガウルフが居たら、それだけでゴブリンなんか近付いて来ないでしょうから、効果的な護衛方法ではありますよね。


「ギガウルフを飼い馴らしているならば、他の魔物とかも手懐けているのかな?」

『その可能性は高いでしょうな。テイムを試みるとしても、いきなりギガウルフで試してみる者はおらんでしょう』

「それじゃあ、ゴブリンとかコボルトから始めて、徐々に大型の魔物へと移っていったのかな?」

『いえ、もっと小さい魔物から始めると聞きますが、どのように手懐けているのかは分かりませぬ』


 魔物を使役するテイマーは、特殊な技術を使うそうで、師匠から弟子へと外部へは洩らされない伝承が行われているそうです。


『手綱を引いていたのは若い女だという話ですから、もしかすると、その女の師匠が同行しているのかもしれませんな』

「なるほど……」

「ご主人様、ギガウルフはギルドの訓練場に居るよ」


 ムルトが、ヒョコっと顔を出して教えてくれました。

 たぶん、ギガウルフの話を聞いた後で、ラインハルトが探すように指示していたのでしょう。


「ありがとうムルト、悪いんだけど留守番を頼まれてくれないかな? ちょっとギガウルフの様子を確かめて来たいから、メイサちゃんが呼びに来たら知らせて」

「任せて、ご主人様」


 部屋に出て来たムルトを撫でてやって、入れ替わるように影に潜ってギルドへと移動しました。

 訓練場には人だかりが出来ていて、遠巻きにしてギガウルフを見物していました。


 一方のギガウルフはと言えば、倉庫の庇の下に伏せていて、若い女性がブラッシングをしています。

 歳は僕らより二つか三つぐらい上みたいで、濃い紫色の髪で、身長は170センチぐらい、スレンダーな体型をしています。


 近くまで行って観察してみると、ギガウルフをブラッシングしながらも、周囲の視線を気にしているようで、整った顔立ちには自慢気な表情が浮かんでいました。


「すげぇ……俺、生きてるギガウルフを見たの初めてだぜ」

「あれ大丈夫なのか? じゃれ付かれただけで死にそうだぜ」

「馬鹿、完全にテイムしてあんだろう。じゃなきゃ、あんな事出来ねぇよ」


 遠巻きにしている人達からは、驚きや畏怖の言葉が聞えて来ます。

 それを聞く度に、テイマーらしき女性の顔がニヤけて崩壊し始めているように見えるのは気のせいじゃないでしょう。


「なぁ、うちの魔物使いと、どっちが上だと思う?」

「そりゃ、ヴォルザードの魔物使いのが上に決まってんだろう」


 ブラッシングを続けていた手が止まり、女性は険しい表情で振り返りました。


「ちょっと、今のどういう意味かしら? 私より上? ヴォルザードの魔物使い? 馬鹿言ってんじゃないわよ。良く覚えておきなさい、魔物使いの二つ名は、このルイージャ様のためにあるのよ」


 腕を組んで斜に構え、細い顎を突き出すようにして胸を張ったルイージャの後に、のそりと立ち上がったギガウルフが低く唸りながら歩み寄って来たものだから、遠巻きに見ていた人達は先を争うようにギルドの中へと逃げ込んで行きました。


『ケント様、何やら面倒な事になりそうですな』

「うん、僕もそう思うよ……」


 なんだか明日の朝、ギルドに出頭した後のことを考えると憂鬱になってきました。

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