第95話 王位を目指す者達
サイドテーブルの小さな明かりの魔道具を灯し、ディートヘルムを揺り起こします。
「んふ……んぅん……」
本当に王子なのかと、疑いたくなるような吐息を洩らしながら、ディートヘルムはゆっくりと瞼を開きました。
深いグリーンの瞳が少し彷徨うように揺れた後、僕らの姿を捉えて大きく見開かれ、叫び声を上げようと大きく息を吸った所でバステンが槍を突き付けました。
「騒ぐな。我は騒がしいのは好まぬ……」
「だ、誰です……僕を第四王子ディートヘルムだと分かっているのですか?」
「我が名はケント・コクブ。お前の姉、カミラが異世界から召喚した魔王だ」
カミラが僕を魔王だと思うならば、魔王らしく振舞ってあげようではありませんか。
腕組みをしてベッドサイドに立ち、ディートヘルムを見下ろしつつ重々しく言い放ちました。
まるで、日本で僕の偽物を演じていた輩みたいだと思いつつも演じてみせますよ。
「魔王? そんな馬鹿な……」
「この状況を見ても信じられぬのか?」
ベッドの周囲には、ラインハルト達に加え、ザーエ達も姿を現して取り囲んでいます。
ディートヘルムは、ゴクリと唾を飲み込んだ後で首を横に振ってみせました。
「カミラは、我を縛ろうと色々策を巡らしていたようだが、全ては徒労に終わったと気付き、我の配下となったぞ」
「う、嘘だ。姉上が、お前みたいな男に屈するなんて……」
「ふん、我にとっては赤子の手を捻るようなものだ。何なら、お前の目の前でカミラを足蹴にしてやろうか」
「姉上を足蹴……そ、そ、そんな事は許さないぞ」
ん? 足蹴にするなんて言ったら即座に抗議の声を上げるかと思いきや、何だか変な間があったのが気になるけど、まぁ、話を進めましょう。
「許さない? お前の許可など必要無い。我を止められるとでも思っているのか?」
眷属のみんなを誇るように両手を広げて見せると、ディートヘルムは忙しなく左右を見るものの、屈強なリザードマンに取り囲まれ、バステンに槍を突き付けられた状態では、どうする事も出来ません。
僕に視線を戻した後で、覚悟を決めるように大きく深呼吸をした後、ディートヘルムは口を開きました。
「ぼ、僕が身代わりになります。だから、姉上にはもう手を出さないで……」
「はぁ? 待って待って、身代わりって?」
「魔王は、気に入れば女も男も見境い無く陵辱するのでしょう……あ、姉上の代わりに僕の身体を……」
「待て待て、そんな趣味なんか無いし、止まれよアホ王子!」
いきなりディートヘルムは、パジャマのボタンを外し始め、はだけた白い肩が艶めかしくて、ちょっとドキっとしちゃったじゃないですか。
思わず歩み寄って、平手で頭を張り倒しちゃいましたよ。
「痛っ、や、やはり、こんな人目に付かない場所ではなく、民の面前で……痛っ!」
「お前もか、アホ姉同様お前もか、一体どんな教育されてんだよ」
女も男も見境い無しって、過去の魔王が酷かったのか、それとも王族に対する教育が酷いのか分からないけど、姉弟揃って変な願望を抱えてるんじゃないだろうね。
「そ、それじゃあ、僕をどうするつもなの?」
乱れた白いパジャマの襟元を片手で押さえながら、上目使いの涙目で見詰めてくるディートヘルムに、不覚にもまたドキっとしてしまったのは委員長には内緒です。
「お前は、我の傀儡となり、我の代わりにリーゼンブルグを治めるのだ」
「ぼ、僕がリーゼンブルグを治める……」
「そうだ、お前が次の王になるのだ」
ディートヘルムを見下ろしながら、指を突きつけて宣言してやりました。
当然、王位を継げると喜びの表情を浮かべるかと思いきや、ディートヘルムは項垂れて視線を手元に落としました。
「無理です……僕には王様なんて無理です」
「ほう……王にはなりたくないのか? あの間抜けな義兄どもが王になっても良いのか?」
「そ、それは、王様にはなりたいです。もっと民の事を思い、民のために働く王様になりたい。だけど……僕は弱いから……姉上のように強くはないから……」
なんだかディートヘルムを見ていると、少し前の自分を見ているようで、イラっとしてしまいます。
勿論、僕はこんな美形じゃなかったけど、ポンコツで人より劣っているようにコンプレックスを感じてウジウジしていた所は、今のディートヘルムと重なります。
「弱いから無理、カミラのように強くないから出来ない……そう決め付けて逃げてるだけじゃないのか?」
「そんな事は無いです。僕だって普通に暮らせる健康な身体なら……王を目指しています」
「ならば何の問題も無いな。お前は我の傀儡として王になれ!」
「だから、僕には無理なんです!」
「お前は、自分の身体の状態も分からない愚か者なのか?」
「えっ……えっ、嘘っ、どうして……苦しくない……」
ようやく体調が良くなっている事に気付いたディートヘルムは、目を見開きながら胸やお腹に手を当てて確かめています。
「お前の身体に、我の闇の力を注入した。お前は確かに言ったな、健康な身体ならば王を目指すと……我に忠誠を誓うならば、王になるための助力をしてやろう」
「そ、そんな事が出来るのですか……」
「我は魔王だぞ。お前を王にするのも、滅ぼすのも思いのままだ」
勿論、そんな簡単にディートヘルムを王位に就けさせられませんが、ハッタリも必要ですよね。
「なりたくないのか? 民を思う王に……」
「な、なりたいです……僕は、姉上のように民を思い、強くありたい……」
「ならば、我の傀儡となると誓え、お前の尊敬する姉も、我の前に跪いて忠誠を誓ったぞ」
「あ、姉上が跪いた……ほ、本当ですか?」
ディートヘルムは、少々、いやかなりシスコン気味な感じしますね。
でも、多分ショックを受けていると思うのですが、何となく恍惚とした表情にも見えるのは気のせいだよね。
「疑うのは自由だが、真実はいつも一つだ。お前は、どうするんだ?」
「ぼ、僕は……」
ディートヘルムは、意を決してベッドから降りると、僕の前に跪いて頭を下げました。
「僕は……ディートヘルム・リーゼンブルグは、魔王ケント・コクブ様に忠誠をお誓い致します。どうか、僕が王になるために力をお貸し下さい」
「ふん、いいだろう力を貸してやる。ただし、貴様が民を思う気持ちを忘れた時には、容赦無く滅ぼすから、そのつもりでいろ」
「魔王様の御意向に背かぬように致します」
「よし、ならば最初の命令だ……」
「はい、何なりとお申し付け下さい」
ディートヘルムは、神妙な様子で頭を垂れました。
「ディートヘルム、お前に命じる最初の命令は、病人の芝居をする事だ」
「えっ、せっかく魔王様が健康にして下さったのに、具合の悪い振りをするのですか?」
「その通りだ。ディートヘルム、お前は毒を盛られていたようだ」
「えぇぇ! そ、そんな……ここは、お母様が暮らす区画で、料理人は全てお母様が選ばれたはず……ま、まさか、お母様が……」
「うろたえるな。例え選ばれた時には疚しい気持ちが無くても、後から他の派閥の誘いを受ける事もあろう。何も分からないうちから取り乱すな。そんな事で未来の王は務まらんぞ」
「はっ……申し訳ございません」
「バステン、コボルト達を指揮して、怪しい奴が居ないか探り出して」
『了解です、第三王妃の体調には問題は無さそうなので、狙われているのはディートヘルムだけでしょうから、直に見つけられると思います』
槍を構えていたバステンが、身振りを加えて答えたの見て、ディートヘルムが申し出ました。
「魔王様、怪しい者が見つかったら教えて下さいませ。僕が、この手で息の根を止めてみせます」
嬉々として進言して来るディートヘルムを見て、ちょっとイラっとしてしまいました。
僕が平和ボケしているだけで、カミラのように敵対する者は容赦無く殺す判断をするのが、こちらの世界では正しいのかもしれませんが、どうしても馴染めません。
「お前の言う民を思う王とは、その程度のものなのか?」
「えっ、どうしてでございますか?」
「怪しい者が居たら、簡単に殺すのか?」
「王族に毒を盛るような輩は、万死に値します」
やはりディートヘルムもカミラと同様の思考をしているようです。
「理由も調べずに殺すのか? 肉親を人質に取られて、仕方なくやったとしたらどうだ、それでも殺すのか? 罪を犯した者は、リーゼンブルグの国民ではなくなるのか?」
「そ、それは……ですが……」
「毒を盛ったと分かったから殺してしまえ……そんな事では、裏で糸を引いている者の思惑通りになってしまうのではないのか?」
「それは……そうかもしれません」
勢い込んで申し出たディートヘルムでしたが、俯いて考え込むように黙ってしまいました。
「王を目指すならば、広い度量を見せてみろ。脅されて、止むを得ずに毒を盛らされていたならば、罰すべきは脅した者ではないのか? 脅されていた者に救いの手を差し伸べるのが、本当の王の姿ではないのか?」
「魔王様……」
ディートヘルムは俯いていた顔を上げて目を見張った……ところまでは良いんだけど、吐息を洩らすように薄く口を開いて、頬を染めているのは何か違うような……。
「魔王様……」
「な、なんだ」
「僕は間違っていました。王とは強く、厳しく、そして優しく広い心の持ち主でなければならないのですね」
「と、当然だ……無闇に殺すのが強さではない」
「あぁ……魔王様……一生付いて参ります」
「う、うむ……」
ウルウルした瞳で上目使いに見詰められると、なんだか背中がザワザワするんで、止めてもらえないかなぁ。
「てか、ちゃんと演技してよね。気取られたら黒幕も炙り出せないし、次は一発で死ぬぐらいの量の毒を使われるかもしれないんだからね。分かった?」
「はい、魔王様の仰せのままに……」
「うーん……なんだか心配だなぁ。ちょっと試しに演技してみてよ」
「はい、では……」
ディートヘルムは、暫し考え込んだ後で、眉間に皺を寄せて浅く不規則な呼吸をし始めました。
多分、普段の自分を思い出してやっているのでしょうが、その姿は想像していた以上に不健康そうに見えます。
これなら大丈夫そうですが、何だか妙に艶めかしいんですよね。
「うん、いいよ。あんまり酷く演じ過ぎると、かえって気付かれるかもしれないから、その辺りは上手くやってね」
「はい、仰せのままに……」
演技の余波なんでしょうけど、トローンとした瞳で見詰められるのは凄く居心地が悪いです。
「じゃ、じゃあ帰るから……」
「もう行かれてしまわれるのですか? その……このまま泊まられていらしては……」
「か、帰るから、我は忙しい身なのだ!」
「はっ、失礼いたしました」
ディートヘルムが頭を下げた隙に、影の世界へと飛び込みました。
『ちょ、何なのディートヘルムって……』
『第四王子も……ケント様のハーレム入り……』
『しないからね! ありえないからね!』
フレッドの一言は、速攻で却下させていただきましたよ。
『ケント様、リーゼンブルグの貴族の間では、男色は珍しくございませんぞ』
『ちょっと、ラインハルトまで何言い出してるの』
『ですがケント様、第四王子の振る舞いを見るに、王に対する恭順と言うよりも、思いを寄せる者の眼差しのように見えましたが……』
『うっ……やっぱり?』
日本に居た頃だったら気付かなかったかもしれませんが、マノンや委員長、ベアトリーチェから好意を寄せられるようになって、眼差しの違いみたいなものが少しだけ分かるようになっています。
確かにバステンが言う通り、ディートヘルムの視線は、そんな感じに見えました。
『無いからね。ディートヘルムまでハーレム入りなんて事になったら、委員長達に何て言われるか……考えるだけでも恐ろしいよ』
『ケント様、今は分かりませんが、ワシらが生きていた頃は、男色と女色は別物とされておりましたから、嫁や恋人が揉める事は少なかったですぞ』
『いやいや、僕らの世界でも、同性同士の恋愛に対する理解は広がりつつあるけど、そこまでオープンじゃないからね。てかさ、カミラみたいに悔しそうな表情をしつつ忠誠を誓うなら分かるけど、なんで僕に、その……惚れるのさ』
『恐らく、あの第四王子の胸の内には、カミラに対する愛憎乱れる思いが渦巻いておったのでしょう。ケント様がカミラを足蹴にすると申した時、一瞬ではありましたが、確かに喜悦の表情を浮かべておりましたぞ』
ラインハルトが言っているのは、抗議の声を上げるまで妙な間があった時の事でしょう。
『それって、カミラが僕に足蹴にされるのをディートヘルムが望んでいるって事?』
『たぶん、日頃から己がカミラを足蹴にする事を想像していたのでしょう。強い姉を弱い自分が屈服させる……といった妄想を抱いて居るのでしょうな』
『うーん……あのけしからんカミラだから気持ちは分からなくもないけど、だからと言って、僕に好意を抱くのは変じゃない?』
『自分では叶わない願望を実現させてしまう程の強さを持つケント様に憧れる気持ちが、ちょっと違う方向に傾いたのでしょうな』
『うーん……何だかちょっと、いやかなりかな、捩じくれちゃってるみたいな感じだなぁ……王にするのは考え直した方が良いのかなぁ……』
『ですがケント様、カミラには罪を償わせるおつもりなのでしょう? 第四王子が駄目となるとケント様が王になるしかありませんぞ』
『駄目駄目、それは駄目。僕は王様なんて柄じゃないからね』
同級生達の帰還が叶ったら、僕はヴォルザードに残って気ままな冒険者生活を楽しむ予定です。
ダンジョンにも潜ってみたいし、ランズヘルトの他の街も見てみたい。
王様なんて面倒な仕事をする気は更々ありませんよ。
『それならば、ケント様が教育して王に仕立て上げるしかございませんな』
『えぇぇ……でも、それしかないか……』
折角、王都まで足を運んできたので、第一王子と第二王子の陣営も覗いて行く事にしました。
とは言っても、だいぶ夜も更けているので、もう眠っているかもしれませんね。
先に第一王子の方から覗いてみましょう。
『バステン、第一王子は結婚してるの?』
『はい、伯爵家の娘と結婚しておりますが、まだ子供は居ません』
『そうなんだ……って事は、今ぐらいの時間は、もしかして……』
『ケント様、それは見てみないと分かりません』
『あ、あくまでも、第一王子の様子を探りに行くだけだからね。夜の夫婦生活に興味があるとかじゃないからね』
『心得ておりますぞ、ケント様』
ラインハルト達は揃って頷いているけれど、絶対に僕の事を誤解していると思うな。
第一王子は、リビングではなく寝室にいました。
サイドテーブルの明かりすら消した寝室は、暗闇に包まれているはずですが、夜目の利く僕にはベッドの上で行われている行為が丸見えです。
第一王子のアルフォンスは、筋骨隆々とした男性に背後から組敷かれていました。
『うん、帰ろう……』
『どうですケント様、ワシの言った通りでしょう』
もうリーゼンブルグ王家の評価がダダ下がりで、評価が地面にめり込んで行く一方ですね。
念の為……という感じで第二王子の部屋も覗いてみたのですが、こちらも覗いた瞬間に見なければ良かったと後悔させられてしまいました。
第二王子ベルンストは、寝室ではなくリビングに居ました。
毛足の長い絨毯が敷かれ、第三王子のクリストフや柄の悪い取巻きが数人車座になって座り、酒盃を酌み交わしています。
部屋の暖炉のには赤々と火が焚かれ、部屋の中は汗ばむほどの温度に暖められていて、部屋の隅に置かれた香炉からは、妙な色の煙が漂っていました。
『ケント様、煙を吸ってはなりませんぞ』
『これは、麻薬の類いじゃないの?』
『いかにも。ファルザーラと呼ばれる酩酊作用のある香です』
男達は、腰に大き目のタオルを巻いただけの姿で、誰一人として服を身に付けていません。
その男達に、こちらも腰に薄い布を巻いただけの女性達が、しな垂れかかっています。
ベルンストは、両脇に女性を抱えていました。
クリストフは、向かい合った状態で女性を抱え上げています。
部屋に居る者は、一人の例外も無く濁った死んだ魚のような目をして、薄ら笑いを浮かべています。
女性の中には、不気味な痙攣を続け、泡を吹いている者まで居ました。
『酒の中にも何か混ぜているのでしょうな。場末の淫売宿にも劣るわい』
苦い物を吐き捨てるように言うラインハルトは、爆発しそうな怒りを噛み殺しているように見えます。
『帰ろう。もう、こいつら駄目だ。第一王子の方は趣味の問題だけど、こいつらは人の上に立たせちゃ駄目でしょ。第二王子派は、いずれ潰す!』
僕に王を決める権利なんか無いけれど、こんな連中がリーゼンブルグの全権を掌握したら、魔の森を挟んでいるとは言えヴォルザードまで悪影響が出るのは目に見えています。
『ケント様、始末なさいますか?』
『必要ならば、そうするけど、下手に始末して派閥の連中が自暴自棄になって、内戦騒ぎが起こったりすると困るから、もう少し情報を集めてからにしよう』
あまりリーゼンブルグのお家騒動には関わらないつもりでしたが、第二王子派は排除する事に決めました。
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