第83話 カミラの対応力

 翌朝、リーゼンブルグの騎士達は、慌ただしくヴォルザードを発って行きました。

 ラストックとヴォルザードの中間点を過ぎる辺りまでは、繰り返しゴブリンやコボルトの襲撃を受けて馬四頭を失うほどの苦戦を強いられていましたが、一人も欠ける事なく魔の森を踏破しました。


 勿論、道中は僕らが影から監視して、本当に危なくなったら手助けするつもりでしたが、使者の一行に選ばれるとあって戦闘の技量も判断も優れているようです。


『ラインハルト、ちょっとヴォルザードの周囲のゴブリンが多すぎない?』

『そうですな、今のままだと穀物の相場が暴沸する怖れがありますな』

『冒険者達の仕事を奪わない程度に間引いておく事は可能かな?』

『お任せ下され、リーゼンブルグの使者は帰りましたし、皆少々退屈しておりますからな。群れの何頭かを倒して共食いさせ、上位種になったところで魔石を回収しましょう』

『うん、それでOKなんだけど……なんかゴブリンの養殖をしているみたいだね』

『ぶははは、確かにそうですな。ゴブリン共には、我らの稼ぎになってもらいましょう』


 ラインハルトが指示を出すと、ザーエ達やアルト達が喜々として出掛けて行きました。

 うん、根絶やしにしそうな感じだよね。


 日が傾きかける頃、魔の森を出た騎士達は、少し速度を緩めはしても休息する気配すら見せずに、跳ね橋を目指して馬を走らせました。

 跳ね橋が下りるまでの間に馬に水を飲ませ、橋が下りると同時に馬を進めます。


「おいパウル、どうした、ヴォルザードには数日は滞在するんじゃなかったのか?」

「どうしたじゃねぇ、ヴォルザードはゴブリンの極大発生に襲われたぞ」

「何だと、本当か?」

「俺達もノンビリしてらんねぇぞ。そろそろ季節風の向きが変わる、そうしたら次に狙われるのはラストックだ」

「こうしちゃおれん……が、どうすれば?」

「すぐに指示が送られてくるはずだ、いつでも動けるようにしておくんだな」


 パウルが、跳ね橋に詰めている騎士達と話している間にも、他の騎士は駐屯地へ向かって馬を走らせています。

 駐屯地に辿り着いた一行は、馬から下りると旅塵を払う様子も見せず、行動を開始しました。


 ロンダルとレビッチは、カミラの執務室を目指しています。

 ロンダルは警備している騎士に目配せをすると、忙しなくドアをノックしました。


「誰だ!」

「ロンダルです、ヴォルザードから戻りました!」


 書類に目を通していたカミラは、ロンダルが戻って来たと聞くと、手を止めてドアを睨み付けました。


「入れ!」

「はっ! 失礼いたします」


 埃まみれの鎧姿で、憔悴した様子ながら目線には強い意志を感じさせるロンダルに、カミラは少し驚いたように目を見開きました。


「どうした、まさか誰か……」

「いえ、全員無事にラストックに辿り着いております」

「ではどうした、襲撃でも受けたのか? 親書は無事に届けたのか?」

「はっ! 親書は間違いなくクラウス・ヴォルザード殿に手渡しました」

「して、返事は?」

「脱走した者共は、ヴォルザードには辿り着いておりません」

「……という返事だったのだな?」

「いえ、そうではなく、ヴォルザードを目指しても辿り着けていないと思われます」

「ふむ……どういう意味だ?」

「カミラ様、ヴォルザードはゴブリンの極大発生に襲われたそうです」

「何だと!」


 あの常に冷静さを失わないカミラが、机を叩いて立ち上がりました。


「規模は?」

「ヴォルザードの周囲がゴブリンで埋め尽くされ、地面すら見えない状態だったそうです」

「地を埋め尽くす……一体どれほどの数なんだ」

「正確な数字はヴォルザードでも把握出来ていないようですが、数十万か、あるいは百万を超える数だと言っておりました」

「百万だと……」


 カミラであっても、百万頭なんて数字は予想もしていなかったようで、目を見開いたまま一瞬フリーズしていました。


「カミラ様」

「な、何だ……」

「ゴブリンの極大発生の前には、数百頭規模のロックオーガやオークの大量発生も起こっていたそうです」


 カミラは思わず右手で目元を覆い、大きく一つ息をつきました。


「間違いなさそうなのか?」

「我々がヴォルザードに向かった時も、これまで経験した事が無い密度でゴブリンやコボルトが動き回っておりました」

「そうか、よく無事で戻ったな」

「はい、ヴォルザードを早朝に発ったので、帰り道では更に激しい襲撃を受け、馬を四頭失う事になりました」

「何だと、それでどうやって戻って来たのだ」

「はい、ヴォルザードは我々に帰りの足として十二頭の馬を準備してくれました。いずれもが選びぬかれた馬ばかりで、半分を空馬で引き、負傷した馬は乗り捨てる事で切り抜ける事が出来ました」

「何と……ヴォルザードは、そこまでの配慮をしてくれたのか」

「はい、我々は、国は違えども民を守る騎士だ……そう言われました」


 カミラは、かっと目を見開いた後で、ゆっくりと目を閉じて二度ほど息を整えてから、目を開きました。


「同じ規模の極大発生にラストックが見舞われたとして、守りきれると思うか?」

「いいえ、乾季に入って川の水量も減ってきています、川を越えられて街への侵入を許す事になると思われます」

「直ちに対策の立案を始める!」


 カミラの言葉に、レビッチが進み出ました。


「カミラ様、ここに我々がヴォルザードに滞在している間に考えた草案がございます。これを元にして対策をお考え下さい」

「そなたら……良くやった、それでこそリーゼンブルグの騎士だ」


 カミラは上機嫌に口元を緩めると、手渡された書類に目を通し始めました。

 ですが、一枚、二枚と読み進めるうちに、カミラの眉間には深い皺が刻まれていきます。


「ロンダル、レビッチ、間に合うと思うか?」

「正直に申し上げて、我々だけでは到底間に合わないと思われます」

「カミラ様、国王陛下へ援助を要請なされた方が宜しいかと存じます」

「そうだな、よし、この計画を全て承認する。人材、資材、資金、間に合う所から直ちに取り掛かれ!」

「はっ!」


 ロンダルとレビッチは、魔の森を踏破した疲れも忘れたかのように、カミラの執務室を飛び出して行きました。

 残ったカミラは、今まで広げていた書類を片付け、ロンダル達が作り上げてきた草案を、もう一度頭から確認し始めました。


 確認を終えたカミラは、ペンを執ると数字を突き合わせながら、三枚の紙に書き込みを行っていきました。

 最後にもう一度数字の確認をすると、カミラは次に三通の手紙を書上げました。


 先程数字を書き込んだ紙をそれぞれの手紙に添えて、三つの封筒に分けて入れて印蝋を使って封をしました。

 宛名は、父親であるアレクシス。第一王子アルフォンス、そして第二王子のベルンハルトです。


 カミラは、水面下で敵対を続けている第二王子ベルンハルトから助力を得てでも、ラストックで極大発生の津波を跳ね返すつもりのようです。


「バークス、王城へ早馬だ!」

「はっ!」


 手紙を手渡されたバークスが、執務室を飛び出して行きました。


『バステン、コボルト達を何頭か連れて、王城の様子を探って来てくれる?』

『了解です、連絡用に六頭ほど連れてまいります』


 バステン達は、すぐさまバークスを追いかけていきました。

 カミラは秘書官に手紙を届けるように指示を出すと、草案の中身を精査し始めています。


 草案に書かれている項目に優先順位を付けて書き出し、過不足があると思われる箇所には修正を加えているようです。

 その姿は実務に精通した将官そのもので、一般的な王女様のイメージとは掛け離れています。


『どう思う? ラインハルト』

『率直に申して有能な将ですな。国の危難と見るや、政敵に対して援助を求める事も躊躇していませんでした』

『だよね……と言うか、第一王子と第二王子の暗闘ばかりに目が行っていて、現国王がまだ生きている事を忘れてたよ』

『バステンが調べたところでは、現在の国王アレクシス・リーゼンブルグは、あまり有能ではないようで、国民から尊敬されていないようです』

『カミラが手紙を出して、何か効果が有るのかな?』

『ケント様、第二王子にまで助力を求めておいて、国王に報告無しとはいかんですぞ』

『そうか、そりゃそうだよね』


 僕がラインハルトと話している間にも、カミラは物凄い集中力で作業を続けていました。

 優先順位を付けて書き出した対策を、こんどは誰に担当させるか割り振りをしていきます。


 ですが、途中でペンが止まり、左手の指先がコツコツと苛立たしげ机を叩き始めました。


『恐らく、人員が足りないのでしょうな』

『えっ、そうなの? 良く分かるね』

『ぶははは、伊達に分団長をやっていた訳ではありませんぞ。第二王子派との軋轢を避ける意図もあるのでしょうが、この駐屯地の人員だけでは到底足りませぬ』


 ラストックの駐屯地にいるカミラの手勢は、百二十名弱で、一部隊の人数にも足りません。


『第一王子に増援を要請したようですが、果たして来るかどうか……』

『えっ、だってカミラは第一王子派だよね? 極大発生の対策って言えば直ぐにでも増援が来るんじゃないの?』

『第二王子派が、すんなり通してくれますかな……』

『だって国の危機だよ。極大発生が起これば、真っ先に被害を被るのはリーゼンブルグの東側、第二王子派が集まってる地域だよね』

『そうなのですが、果たしてカミラの言葉を第二王子が信用するかどうか』

『でも、カミラは第二王子にも応援の要請を出してるよね。さすがに信用するんじゃないの?』

『どうでしょうな。王位に目が眩んだ連中ですからな』


 第一王子派の増援が来るとしても、第二王子の手勢がラストックに入り、実際に極大発生の対策が行われているのを確認した後になるだろう……というのが、ラインハルトの予測です。


 カミラは早馬で王都まで伝令を走らせたようなので、明日の朝には各々に知らせが届くでしょう。

 それから増援を行うか検討がなされ、第二王子派が動くのは明後日以降になるというのがラインハルトの予測です。


『いやいや、いくらなんでも遅くない? 極大発生だよ、国の危機だよ』

『ケント様は、クラウス殿やカミラ以外の貴族を御覧になっていないので、そう思われるのでしょうが、これでもワシは早いぐらいだと思っておりますぞ』


 有能な貴族であれば、知らせに即応して動き出すそうですが、普通の貴族の場合、まず事実確認から始まるそうです。

 知らせが事実である確認が取れたら、ようやく対応策を相談し、行動に移るのだとか。


『えぇぇ……そんなに手間が掛かるの?』

『事実確認や対応策の相談に時間が掛かったり、行動に移る前に他の勢力の状況を探ったり、更に時間が掛かったとしても不思議ではありませんぞ』


 見栄、面子、勢力争い……他人の視線や派閥内部の力関係、下らない手順を踏まないと貴族は動けないのだそうです。


『でも、第二王子が切れ者で、直ぐに応援が来る可能性も無い訳じゃないんだよね?』

『バステンが集めてきた情報では、可能性は低そうですな。そもそも切れ者ならば、第一王子派が砂漠化の影響で疲弊している状況を利用して、もっと積極的に仕掛けて居るでしょう』

『うーん……と言う事は、僕らから交渉の要求をするのは少し待った方が良いのかな?』

『そうですな、第二王子派を引きずり出して資金援助させるならば、奴らが危機感を抱いた後の方が良いでしょうな』

『でもさ、それを待っている間に極大発生が起こって、大きな被害が出ちゃったら賠償金とか送還の儀式どころじゃ無くなっちゃうよね』

『そうですな、なかなか仕掛け時が難しいですな』


 対策が終わる前に極大発生が起こったら、リーゼンブルグの被害を抑えるために眷属のみんなに活躍してもらう必要があるかもしれません。


『ラインハルト、ラストックを守るとしたら、やっぱり川を活用するしかないよね?』

『おっしゃる通りですな。天然の水堀としての役割は大きいですからな』

『ヴォルザードでは城壁の下にゴブリンの死骸が溜まって危ない状況になったけど、ラストックも状況は似た感じだよね?』

『そうですな、死骸によって川が浅くなれば、一気に川を渡られてしまう危険があります』

『そうか……うーん……』

『どうかなされましたか?』


 ヴォルザードでは、ゴブリンの死骸を影の空間に落として片付けましたが、川の中で同じ事をやろうとすると、大量の水が流れ込んで来そうです。

 サラマンダーやゴブリンの死骸を一時的でも置いておけたので、容量的には大丈夫な気もしますが、川の水が影の空間に流れてしまうと下流の水量が減って悪影響が出そうな気もします。


『別な方法を考えた方が良いかな?』

『そうですな、こちらの場合は、部分的に削れれば良いのではありませぬか』

『部分的に……?』

『部分的に削れば、後は川が押し流してくれるでしょう』

『あっ、そうか……川の流れか』

『違う言い方をするならば、流れを阻害している部分を狙って削れば良いでしょう』


 ヴォルザードの城壁では、いくら待っていても死骸を片付ける者は、僕らしかいませんでした。

 ですが、ラストックの場合、川が普通に流れていれば、魔物達は渡って来られません。


『ところでケント様、我々の役目は、リーゼンブルグとの交渉が決裂した時に、極大発生の対策を邪魔する事だったような気がするのですが……』

『うん、まぁ、交渉ではそれを駆け引きの材料にするみたいだけど、正直に言って邪魔をする気は無いんだ。市民に被害が出るのは、ちょっとねぇ……』

『でしょうな……ケント様ならば、そうおっしゃると思っておりました。ですが、何らかの示威行動をしなければ、交渉に持ち込めない可能性もありますぞ』

『そうなんだよねぇ……救出作戦の時は、流血の事態を避けて眠らせる事に専念しちゃったから、実際にラインハルト達の実力を体感したのは、ゲルトとパウルの二人だけなんだよね』

『では、ワシらが駐屯地に乗り込んで、一暴れしますか?』

『うーん……それって、単にラインハルトが手合わせしたいだけなんじゃない?』

『そ、そのような事はありませんぞ。そう、あくまでも示威行動です』


 時折、僕の考えもラインハルト達にダダ漏れしちゃうみたいだけど、今は逆にラインハルトの気持ちが手に取るように分かっちゃいますね。


『うーん……でもなぁ……』

『心配は無用ですぞ、ちゃんと手加減してみせますぞ』

『まぁ、ヤバそうな怪我の場合は、僕が治療すれば良いのかな……』

『で、では……』

『そういう状況になったらね』


 何だかラインハルトが、散歩を待ちかねている大型犬に見えてきましたよ。

 伝令を出した後は、カミラは対策の立案に専念するようで、今日は動きが無さそうなので、ヴォルザードに戻る事にしました。


『じゃあフレッド、カミラの監視をお願いね』

『お任せを……』


 ヴォルザードに戻り、カミラ達の様子を小田先生に伝えました。

 小田先生もリーゼンブルグの動きの遅さには驚いていました。


「本当に、そんなに時間が掛かるものなのか?」

「元騎士団の分団長をしていたラインハルトの言葉なので、多分外れる事は無いかとは思いますが、実際にどうなるかは……」

「なるほど……リーゼンブルグ側に送る書状は、今草案を書いているところだ。明日の午前中に他の先生と詰めて、午後には書き終える予定でいる。書状を送りつけるタイミングは、明日のラストックの様子を見て決めたい。もう一日偵察して来てくれるか?」

「はい、王都の様子も探らせていますので、そちらの情報も届けられると思います」


 小田先生は大きく頷いた後で、少し考えるように視線を上に向けてから話し始めました。


「後は、相手の出方次第の部分はあるが、交渉となればラストックまで移動する必要があるのだが、何か良い方法は無いか?」

「そうですね、小型の馬車を僕の眷属に引かせる形が一番確実かと……日時が決まったら、馬車を借りられないか、守備隊のほうに掛け合ってみます」

「すまんな、何から何まで国分に頼りきりで」

「いえ、今はみんなが、出来る事をやる時だと思います」


 守備隊の倉庫にあった一頭立ての馬車が、手頃なサイズでしょう。

 小田先生との打ち合わせが終わった頃には、すっかり日も暮れていました。


 そろそろアマンダさんの店も一段落する頃でしょうから、下宿に帰って夕食にしようと思い守備隊の宿舎を出ると、他のクラスの男子に呼び止められました。


「国分、ちょっと良いかな?」

「うん、構わないよ……」


 クラスが違うので、名前の分からない男子は、メガネをかけた大人しそうなタイプです。

 ついて来るように促されて、宿舎と宿舎の間の通路へ足を運ぶと、数人の男子が待ち構えていました。


 周囲には街灯がなく、二階の部屋から洩れる明かりだけなので、たぶん薄暗いのでしょうが、夜目が利く僕は不機嫌そうな表情が良く見えています。


「えっと……用件は何かな?」

「手前、ちょっと調子に乗りすぎじゃねぇのか?」

「よせ! 冷静に話をする約束だぞ」


 一人の男子が突っかかって来ようとしましたが、それを他の男子が止めました。

 最初に僕に声を掛けて来た男子を含めて、総勢で七人の男子が居ますが、非体育会系な感じタイプばかりです。

 まとめ役なのか、ひょろっとした背の高い男子が代表として話を切り出しました。


「たぶん、薄々は分かっているとは思うけど、僕らの話は浅川さんに関する事だ」

「うん、それで……?」

「率直に言わせてもらうけど、浅川さんを自由にしてほしい。僕らは、浅川さんが苦しむ姿を見たくないんだ」


 まとめ役の言葉が呼び水となったように、他の男子達も口を開きました。


「お前のせいで、昨日も今日も、ずっと辛そうにしてるんだぞ」

「助けてもらった事には感謝してるが、あんな決断を迫るのは酷いだろう」

「お前が残りたくなるのは分かるよ。そんだけの魔法が使えるならな、でもよ、浅川さんは自由にしてやれよ」

「日本で結婚するのとは訳が違うんだぞ、もう二度と家族と会えなくなるんだぜ」

「浅川さんもお前の事が好きなんだろうけど、家族と俺とどっちを選ぶ……的なのは酷だろう」

「あんな可愛い子が二人も居るのに、更に浅川さんまでって、欲張りすぎじゃねぇか?」

「家族を捨ててくれ、でも他に二人も女がいますって……酷過ぎじゃないのか?」


 ラストックで、みんなの支えになっていた委員長だから、こうした反応があるのは当然だし、みんなの言う事も間違っていないと思います。


 確かに、日本なら結婚しても家族には会えるけど、ヴォルザードに残る選択をしたら二度と会えないでしょう。

 その選択を迫る権利が、今の僕にあるのかと問われると、心が揺らいできます。


「僕らは部外者だから、こんな事を言う権利なんて無いって分かってる。分かってるけどど、あんな浅川さんは見ていられない」

「浅川さんのためにも、お前が身を引くべきじゃないのか?」

「お前だって浅川さんが好きなんだろう、だったら尚更彼女を自由にしてやれよ」

「それが、浅川さんのために一番良い選択だろう」


 口汚く罵られるならば、ふざけるなって反発する気持ちも沸いてくるのでしょうが、冷静に説得されると返す言葉が見つかりません。


「うわっ、キモっ!」


 突然降って来た言葉に、全員が上を向くと、二階の窓から見下ろしている人が居ました。


「誰だ!」


 部屋の明かりを背にしているので、僕を取り囲んでいる男子からは顔が見えないようですが、見下ろしているのは木沢澄華です。


「何が、浅川さんのためだよ。国分を蹴落として、そのポジションに自分達が座るためだろう?」

「何だと、誰だお前! 国分の味方するつもりか!」

「うわぁ、すんごい馬鹿。自分で国分とは敵対してます、浅川目当てですって白状してやんの」

「ふ、ふざけんな! 僕らは心の底から浅川さんのためにだな……」

「キモっ! キモすぎて鳥肌立った! 頼まれてもいない事を、浅川さんのために……キモっ、ストーカー体質丸出しじゃん」

「なっ……ス、ストーカーだと……ふざけんな!」


 僕を取り囲んでいた男子が声を荒げたせいで、他の窓も開いて何事か確かめようと数人が見下ろしてきます。


「ほら、ギャラリーも増えた事だし、自分達が正しいって思うなら続きやってみせなよ」

「なになに、何の話?」

「ちょ、話が見えないんですけど……」


 木沢澄華の言葉で顔を出した同級生達は、興味深々で成り行きを見守っています。


「く、くそっ、覚えてろよ……」

「うわぁ、小物感丸出し、てか、告る根性もねぇのにセコい事やってんじゃねぇよ、カス!」


 僕を囲んでいた男子達は、スゴスゴと退散していきました。


「ありがとう、木沢さん、おかげで助かった」

「はぁ? 馬鹿じゃねぇの、誰が手前なんか助けるかよ、クズ!」

「えぇぇ……」

「クズに群がるゴキブリ共を追い払ったって、クズはクズだろうが、勘違いすんな! このクズ!」

「えぇぇ……」


 木沢澄華は言いたい事だけ言うと、顔を引っ込めてピシャリと窓を閉めました。

 他の窓から覗いていた同級生達も、騒ぎは終わりと感じとって次々と窓を閉めました。


 暗がりにポツンと放置されて、何だかドップリと疲労感を感じますね。

 もう影に潜って下宿に帰っちゃう事にしましょう。

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