第76話 仕事の成果

 一度下宿に戻って汗を流してから、買ったばかりの服に袖を通しました。

 下ろしたてのパリっとした服を身に付けると、なんだか背筋がシャンとする思いです。


「アマンダさん、それじゃあ、そろそろ出掛けて来ますね」

「はいよ、遅くなるようなら鍵は掛けちまうから、真っ直ぐ部屋に戻っておくれ」

「はい、分かりました」

「いってらっしゃい、ケント」

「いってくるね、メイサちゃん」


 昨日は、私も連れて行けと膨れっ面していたメイサちゃんですが、今は満面の笑みで見送ってくれています。


 クラウスさんの所へ持って行く手土産として、雌鶏亭のクッキーを買ったのですが、一箱余分に買ってメイサちゃんにあげたからです。

 ふっふっふっ、ちょろいもんですよ。


 下宿裏の路地からは、影に潜って移動しました。

 少々自意識過剰なのかもしれませんが、最近注目される事が増えて、面倒事に巻き込まれる事も増えています。

 おかしな連中に絡まれて、招待の時間に遅れる訳にはいきませんからね。


 いきなり門の前に出る訳にはいかないので、少し離れた道の角で人の流れが途切れるのを待って表に出ました。

 門を警備している守備隊の人に招待状を見せると、にっこりと微笑まれました。


「庭師の見習いから、随分と出世したもんだね」

「いえ、出世ってほどではないと思いますけど、こういうの初めてなんで緊張してます」

「はははは、クラウス様は、細かい事には拘らない方だから、楽しんでくると良いよ」

「はい、そうさせてもらいます」


 以前、草むしりをした石畳を歩いて玄関へと向かいます。

 丁度日が沈む頃で、空はオレンジから深い藍色へ美しいグラデーションに彩られています。

 重厚な造りのドアノッカーを鳴らすと、静かに扉が開かれました。


「ようこそいらっしゃいました、ケント様」

「こ、こんばんは、ほ、本日はお招きに与りまして……」

「どうぞ、ご挨拶は主になさって下さいませ」

「は、はひぃ……」


 出迎えてくれた執事さんの『ザ・執事オーラ』に気圧されて、思わずペコペコと挨拶しちゃいました。

 口の端がヒクヒクしている執事さんに案内されて廊下を進んで行きます。


 そう言えば前回来た時には、屋敷の中には薬の匂いが漂っていたけど、今日は爽やかな花の香りがしますね。


「どうぞ……」

「し、失礼します……」


 案内された応接間には、淡いピンクのドレスに身を包んだ、ベアトリーチェが所在無さげに佇んでいましたが、僕の姿を見た途端ぱぁっと花がほころぶような笑顔を浮かべ、弾むような足取りで歩み寄ってきました。


 うっ……マズいです、めっちゃ可愛いです、リアルお姫様って感じですよ。

 ベアトリーチェは、スカートの裾をちょんと摘まんで、優雅にお辞儀をしてみせました。


「ようそこいらっしゃいました、ケント様」

「こ、こんばんは、ほ、本日はお招きに預りまして……」

「堅苦しい挨拶など、私達には無用ですわ、さぁ、お座りになって……」

「は、はい……」


 ベアトリーチェに手を引かれて、ソファーへと誘われました。

 ベアトリーチェは僕の隣に腰を下ろして、当然のように身体を密着させてきます。


「ベ、ベアトリーチェさん……」

「リーチェ」

「リ、リーチェ……」

「はい、ケント様」

「ちょ、ちょーっと近くない……かなぁ……」


 隣に座り身体を密着させているベアトリーチェの顔は、吐息が感じられる距離にあります。

 ってか、近すぎて目の焦点合わせるの大変じゃない?


「そんな事ございませんわ、むしろこれでも足りないぐらいです……」

「リーチェ……」


 すっと近付いて来たベアトリーチェの唇が、僕の頬でチュっと音を立てました。

 てかさ、てかさ、こういうのはイケメン男子のやる事じゃないの?


 唇を離したベアトリーチェは、ニッコリと微笑んでみせます。

 うん、やっぱり肉食ウサギの所有物認定されている感じです。


「ねぇリーチェ、どうして僕なの?」

「それは……あられもない姿を見られて、撫で回されてしまっては……」

「ぐふぅ……で、でも、あれは治療だったし……」

「本当に100パーセント治療でした? やましい気持ちは欠片もありませんでしたの? 私は、そんなに魅力ありませんでした?」

「い、いや……欠片も無かったかと言われると……」


 腐敗病の治療を始めた時のベアトリーチェは本当に酷い状態で、生きているのが不思議に感じるほどでした。

 治癒魔術を流してる手の平にも、不健康な感触が伝わってきていました。


 でも、治療を進めて血色や健やかさを取り戻したベアトリーチェの柔らかさは……ヤバいです、思い出しても鼻血が出そうです。


「乙女の身体を蹂躙したのですから、責任を取っていただかないと……」

「いやいや、蹂躙って……そ、それに僕ら、まだお互いの事を良く知らないし……」

「ですから、こうして知り合う時間が必要なのですわ」

「で、でも、こんな姿を他の招待客の方に見られたら……」

「今夜は、ケント様の他にはドノバンさんがいらっしゃるだけですし、ドノバンさんは時間ギリギリにならないとお見えにはなりませんわ」


 駄目だ、僕より年下のはずなのに、何を言っても敵いそうな気がしないよ。

 それでも、路チューは止めるように言っておかないと、ナザリオの焼餅がまた面倒事を起こしかねないからね。


「リーチェ、お願いがあるんだけど……」

「まぁ、何でございますか? 治療の時以上の事は、今はちょっと……」

「いやいや、そういう事じゃないからね。その、普段街で会った時に、みんなが見ている前でキスするのは止めてくれないかな?」

「どうしてでございますか?」

「だって、リーチェに憧れている人が沢山居るのに、僕なんかとキスしてると嫉妬するというか、納得できないって思う人が大勢いると思うんだ」

「僕なんかなんて……ケント様はヴォルザードを救って下さった英雄ですわ。むしろ私なんかじゃ納得されない人の方が多いはずですわ」

「いやいや、そんな事あり得ないからね。と、とにかく、街中でのキスは禁止……」

「嫌ですわ」


 ベアトリーチェは、ツンと唇を尖らせて拗ねてみせて……ちくしょー超可愛いじゃないですか、ギュってハグしたくなっちゃうよ。


「嫌って言われても、みんなが見ているところでキスされるのは、ちょっと恥かしいと言うか……」

「そんな事を言って、他の女性からはキスされてらっしゃるのに……」

「うっ……いや、マノンと唯香は……」

「私とどう違うとおっしゃるのですか、私が年下だからですか、それとも魅力が足りないのですか、それとも……」


 ベアトリーチェの瞳がウルウルと潤んできて、ポロリと涙の粒が零れ落ちました。


「い、いや……魅力が足りないなんて事はない……」

「よぉケント、良く来てくれた……」

「ひぐぅ……ク、クラウスさん? こ、これは……違うんです……」


 えぇぇ……何てタイミングで入ってくるんだよ、このチョイ悪オヤジ。


「ケント……手前、覚悟はいいな……」

「いや、ホント違うんです、誤解です。僕はただ……」

「ただ……何だ? 言ってみろ……」


 うわぁ……チョイ悪オヤジの目がヤバいんですけど、完全に逝っちゃってるんですけど……


「ただ、街中で会った時に、みんなが見ている前でキスしてくるのは止めてほしい……」

「はぁぁぁ? リーチェの方からキスしてくれるのを断るだと? ふざけた事をぬかしてんじゃねぇぞ。俺なんかもう何年もキスしてもらってねぇんだからな。昔はパパ大好き……って、チュッチュしてくれたのが、最近じゃウザいとか言われるんだぞ」

「いや、それは僕のせいじゃ……」

「うるせぇ! 手前のせいに決まってんだろうが。窓辺で物憂げな表情を浮かべて、ケント様……なんて呟いてるのを聞かされる俺の気持ちが分かるか!」

「いや、でも、妬みとか嫉みとかが凄くて……」

「当たり前だ! そんなもんリーチェにキスしてもらえるんだ、むしろ御褒美に思いやがれ!」

「いや、だって、クラウスさんが手を出すなって……」

「当たり前だ! ケント、手前から手を出すなんて俺は認めねぇからな……だが、リーチェからキスしてくれるんだぞ、それを断るなんて許される訳がねぇだろうが、このボケぇ!」


 いやいや、言ってることが支離滅裂ですよ、てか、この状況でも密着したままなんて、ベアトリーチェも何を考えてるんだか。


「パパ……ウザい」

「ぐはぁ……」


 あっ、クラウスさんが膝からガックリと崩れ落ちたよ。

 って、僕を上目使いで睨みながら、声に出さずに殺す、殺すって繰り返すのは止めてくれませんかね。


「旦那様、ドノバン様がお見えになられました」


 この状況に顔色一つ変えない執事さんって……


「なんだ、この状況は……ケント、クラウスさんで遊ぶなよ」

「そんな事してませんよ」

「ふふふ、冗談だ……」


 見れば分かるというように、口元を少し緩めると、ドノバンさんは平然と僕の向かいの椅子に腰を下ろしました。

 というか、クラウスさんは放置で構わないんですかね。


 ドノバンさんは、ベアトリーチェにピッタリとくっ付かれている僕を見やってから口を開きました。


「なるほどな、これじゃあオーランド商店の馬鹿息子が、ちょっかい出すのも分からんではないな……」

「えっ……」


 ドノバンさんの言葉を聞いて、ベアトリーチェは驚いた表情で僕を見詰めました。


「デルリッツとは話が付いたんだろう?」

「ええ、まぁそうなんですけど、あの人は一筋縄じゃいかなそうですし……」

「ふふふ、当たり前だ。でなけりゃ店をあそこまで大きくなんか出来んだろう」

「まぁ、ナザリオには釘を刺してあるんで、大丈夫だとは思いますけど……」


 あらら、ベアトリーチェがしゅんとしちゃいましたね。

 てか、入ってきたばかりで状況を把握して、的確な話題を振るって……ドノバンさんはエスパーなんでしょうかね。


「ベアトリーチェ嬢は、人に見られる事には慣れておられるようだが、どんな視線で見られているのか、少し考えられた方がよろしいですな」

「はい……ごめんなさい、ケント様」

「あっ、うん、でもそこまで深刻な話じゃないから大丈夫だよ」


 しょんぼりとした様子で身体を離して、でも僕の袖口をキュっと掴んで離さない……ヤバいです、やっぱり僕の方からハグしちゃっても良いですかね。


「それで、オーランド商店とは、どう話をつけたんだ?」


 何事も無かったかのように立ち直ったクラウスさんから尋ねられました。


「はい、これまでの事は水に流して、改めてフラットな状態からやり直そう……って感じです」

「なるほどな、Aランク冒険者を含む子飼いのパーティーが手玉に取られたんだ、まぁ妥当な線だろうな」

「あっ、そうだ、食事の前に相談しておきたい事があるんですけど……」

「何だ、リーチェとの結婚は許可せんぞ……」

「いえ、そうではなくて、リーゼンブルグの使者の話です」

「リーゼンブルグの使者だと?」

「はい、週明けの火の曜日、夕方にはヴォルザードに到着するはずです」


 偵察を続けていたフレッドの話では、カミラは使者の人選を終えて、週明け早々に出発するように命じたそうです。


「ほう、ラストックを早朝に出発して、ヴォルザードにはその日のうちに到着するつもりか?」

「はい、それでなんですが……現状リーゼンブルグ側は、僕らがヴォルザードに居る事を把握していないみたいなんです」


 クラウスさんに、これまでのカミラの推測しているであろう状況を話し、対応策の助言を求めました。


「なるほどな……向こうが、こちらの居場所を掴んでいないならば、わざわざ知らせてやる必要は無いな……むしろ、居場所を知られない方が良いだろう」

「ですが、リーゼンブルグの騎士達に聞き込みとかされたら、僕らはこの髪色ですから……」

「そうだな、黒髪の集団は確かに目立つし、聞き込みなんかされれば一発でヴォルザードに居るとバレるだろうが……心配いらんだろう」

「えっ、バレちゃっても大丈夫って事ですか?」

「それもあるが、そいつらは聞き込みする暇も無く、翌朝にはトンボ帰りするはずだぜ」

「えっ、翌日に……ですか?」

「あぁ、ほぼ間違いなくな……他に相談事はあるか? 無ければ夕食にしよう。今夜は極大発生を乗り切った慰労会だからな」


 何だかキツネに抓まれた感じですが、ヴォルザードの領主様がそう言うのですから大丈夫なのでしょう。

 クラウスさんは、自ら先に立って僕らを食堂へと案内してくれました。


「ようこそいらっしゃいました、ケントさん」

「こ、こんばんは、本日はお招きに……」

「さあさあ、堅苦しい挨拶は抜きにして、座って下さいな」

「は、はい、ありがとうございます」


 出迎えたくれたマリアンヌさんは、髪の色に合わせた真っ赤なイブニングドレスに身を包んでいます。


 十人以上が座れる大きなテーブルのいわゆる御誕生席にクラウスさん、その右斜め前がドノバンさんで、その隣がマリアンヌさん。

 ドノバンさんの向かいに僕が座り、隣にはベアトリーチェが座りました。


「さぁ、極大発生を乗り切った事に乾杯しよう」


 クラウスさんが、ほんのりと黄金色に染まった液体が注がれたグラスを掲げました。

 ふわりと爽やかな香りとアルコールの匂いがします。


「えっと……僕はお酒はまだ……」

「何を言ってんだ、ヴォルザード防衛に多大な功績を残した男が、酒も飲めないとは言わせないぞ。それにケント、コイツはブルーノの所の新酒だぞ」

「えっ、ブルーノさんって、リーブル農園のブルーノさんですか?」

「そうだ、リーブル酒は三年ぐらい寝かせてからが飲み頃になるが、この時期に仕込んで間も無い新酒が少しだけ出回るんだ。コイツで今年の酒の出来を確かめ、数年先の味を占うって訳だ。分かるか、お前が汗水流して仕込んだ成果だ」


 全身に鳥肌が立つ思いでした。

 こちらの世界に召喚され、ヴォルザードに辿り着き、最初にした仕事がリーブル農園の収穫、そして仕込みの作業でした。

 目の前にある新酒の何パーセントかには、僕の働きも込められているのです。


「さぁ、ヴォルザードの無事を祝して、乾杯!」

「乾杯!」


 初めて口にしたお酒は、爽やかな香りを凝縮したようで、口から喉、鼻を通って身体中に染み渡っていくようでした。

 流れ下った胃の中で、ほわっと温もりを感じるのは、やはりアルコールが含まれているからなんでしょう。


「どうだ、ドノバン」

「今年の酒も良い出来のようです」

「ドノバンのお墨付きが出たならば間違いないだろう、どうだケント」

「はい……ぐずっ……感無量です」

「馬鹿、泣く奴があるか」

「だって、このお酒はブルーノさんの所で生まれて初めて働いて……ディーノさんやマイヤさんにもお世話になって……」


 ヴォルザードに来た頃を思い出して、その思い出がお酒になって、ここにあるんだと思ったら涙が溢れてきました。


「ケント、お前が守ったんだぞ」

「えっ……」

「この酒も、ゴブリンどもに踏み込まれていたら目茶目茶にされていたかもしれねぇ……こうして味わう事も出来なかったのかもしれねぇんだぜ。お前が守ったんだ、誇りに思え」

「僕が……はい、はい……」


 ズルいですよ、そんな事言われたら余計に涙が溢れて来ちゃうじゃないですか。

 リーブルの新酒を口に含み、目を閉じて農園の風景を思い浮かべました。


 陽気なディーノお爺ちゃん、優しいマイヤお婆ちゃん、逞しいブルーノさん……みんなの顔が浮かんで来ます。

 二週間の仕事を終えてからは、鍛練や救出作戦にかまけて、すっかりご無沙汰してしまっています。


 明日の安息の曜日は、手土産を持って新酒の感想を話しに、農園を訪ねてみようと思いました。

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