第70話 新しい朝が来た
カーン、カーンという警報解除の鐘を聞きながら、救護所を目指してノンビリと歩いていたら、マリアンヌさんに声を掛けられました。
「ケントさん、お疲れ様でした」
「あっ、マリアンヌさん、お疲れ様です。火属性の攻撃魔術を拝見しましたけど、凄いですねぇ……」
「あらあら、ケントさんに比べれば大した事はありませんよ」
大した事無いなんて、とんでもないですよ。
うちのヘナチョコ勇者なんか尻尾巻いて逃げるレベルですもんね。
コロコロと笑っていたマリアンヌさんは、急に表情を引き締めると、僕をじっと見つめて話し始めました。
「ケントさんの眷属の皆さんが活躍してくれていなかったら、ヴォルザードには甚大な被害が出ていたと思います。改めてお礼を言わせてもらいます、どうもありがとう」
「お礼なんて……ヴォルザードは、僕にとっても大切な街ですから守るのは当然ですよ」
「そう言って下さると嬉しいわ。と言う事は、うちの娘も貰っていただけるという事よね?」
「ふぁ? い、いやいや話が飛躍してませんか?」
何か、とても良い話をしていたような気がしたのですが、一瞬にして話が切替わっていますよね。
「あら、嫁に迎えるリーチェの故郷だから、大切な街だと思って下さるのですよね?」
「いやいや、嫁に迎えるとか僕にはまだ早すぎますし……」
「あらケントさん、先日も食堂でお話ししましたよね。ヴォルザードでは15歳になれば親から自立して、自分の家庭を築くのも珍しくないと」
「で、ですが、僕はヴォルザードに来たばかりですし……そう、リーチェはまだ15歳になってませんよね」
「あら本当ね……でも大丈夫ですよ、新年まではあと2か月ほどですし、婚約という形でしたら何の問題もありませんよ」
「こ、婚約って、そんな急に言われましても……」
「そうね、急に婚約と言われても困っちゃうわよね。でもね、ケントさん、我が家は夫も私もリーチェ本人も賛成ですから、その気になったら何時でも仰ってくださいね」
「ク、クラウスさんもなんですか?」
「えぇ、反対なんてさせませんから、安心なさって下さいね」
「ひゃ、ひゃい……」
一瞬、マリアンヌさんが夜叉に見えたのですが……ってか、こっちも外堀を埋められているような気がします。
ニッコリと、それはそれは素敵な笑顔を残してマリアンヌさんは去って行ったのですが、僕は背中を流れる汗を止められませんでしたよ。
再び救護所を目指して歩き出したのですが、何やら食堂の回りには人だかりが出来ています。
朝食の配給でも始まったのでしょうかね。
近付いていくと、集まっているのは若い冒険者達のようです。
「手前、そんなのツバ付けときゃ治るだろう」
「うっせぇ、手前こそ怪我なんかしてねぇだろう」
「ばーか、俺様はこのゴブリンの噛み傷をだなぁ……」
「手前、それは自分で噛んだんだろう、ゴブリンの歯形じゃねぇぞ!」
「はぁ……マジ天使……あぁ、もう死んでも良い……」
「おい、早くしろ!」
「馬鹿野郎! 急かしやがった奴、こっち来て天使ちゃんに謝れ!」
あぁ、何だかとっても嫌な予感がするのですが……天使ちゃんって……。
このまま帰ってしまおうかとも思ったのですが、それじゃあ委員長に怒られますよね。
ちょろっと端っこから様子を見て、こちらの無事を知らせて帰りましょう。
「すみません、ちょっと通していただけますか……」
「あぁん! 通せだぁ? みんな順番待ってんだ、分かってんのか、手前ぇ……」
横を通してもらおうと思ったら、何だか強面のお兄さんに睨まれちゃいましたよ。
「い、いえ、僕は治療じゃなくて、ちょっと伝言がありまして……」
「はあぁ? 伝言だと……」
何だか通してもらえそうも無いと思っていたら、強面の兄ちゃんの知り合いっぽい、これまた強面のお兄さんが声を上げました。
「おい、クルタ、そいつ……魔物使いじゃねぇのか」
「うっ、こいつ……魔王か……」
クルタ達の声を聞いたのか、救護所の前に並んでいた冒険者達が一斉に振り向きました。
いや、『魔物使い』はまだしも、『魔王』って……って思っても、あちこちから『魔王』という声が聞こえて来ます。
「いや、確かに眷属には働いてもらってますけど、魔王って……」
「おい、マジだぜ……」
「あの、ちょっと通してもらっても……」
何だか良く分からないですけど若手の冒険者達は、ずざっと2歩ほど横にズレて道を開けてくれました。
「あっ、きょ、恐縮です……どうも……」
品定めするような視線を浴びつつ、ペコペコ頭を下げながら通してもらうと、笑みを浮かべて治療する委員長の姿がありました。
うん、ラストックの診察室に居た時とは大違いで、これなら天使ちゃんと呼ばれちゃうのも頷けます。
「あっ、健人!」
僕の姿に気付いた委員長は、鼻の下を伸ばして治療を受けていた冒険者を放り出すと、弾むような足取りで駆け寄り、ギューっと抱き付いてきました。
当然のように怒号や怨嗟の声が上がりましたが、同時に『魔物使い』とか『魔王』という単語と共に諌めるような声も聞こえて来ました。
「健人、どこも怪我してない?」
「うん、眷属のみんなが頑張ってくれたから、僕は大した事していないからね」
「そんな事言って、ホントは無茶してきたんじゃないの?」
「と、と、とんでもない、無茶なんかしてないよ」
委員長はチョッと身体を離すと、暫しジト目で睨んできた後で、ふっと表情を緩めました。
「ホントは無茶してそうだけど、無事に帰って来てくれたから許します」
「は、はい……ただいま」
「おかえりなさい」
委員長は僕の首に両腕を巻きつけるようにして、ギューっとハグしてきました。
「くそっ、魔物使いの総取りかよ!」
「あぁぁ……天使ちゃんが魔王の毒牙に……」
「ちくしょう、禿げろ、気付かぬうちに後頭部から禿げろ!」
若手の冒険者の皆さんは、怨嗟の声を残して潮が引くように居なくなりました。
てか、治療なんて必要ない怪我ばかりだったんだね。
僕の委員長に、余計な面倒を掛けないで欲しいよね。
今朝の守備隊の食堂は、召集を受けた冒険者達にも解放されているそうなので、委員長と一緒に朝食を食べてから下宿に戻る事にしました。
救出してきた他の同級生の事も少しだけ気になりましたが、先生達も居ますから大丈夫でしょう。
仮設の救護所を出て食堂に向かおうとしたら、顔から血の気が一気に引きました。
守備隊の入口の方から息を切らして駆けて来る水色のショートヘアーは……このタイミングですか。
左腕には腕を組んだ委員長の温もりを感じていますが、今にも泣き出しそうな顔で駆けてくるマノンを拒絶するなんで出来ませんよね。
「ケント、ケント、ケント!」
「ふぶぅ……お、おはよう、マノン」
イノシシみたいにノーブレーキで突っ込んで来たマノンを抱きとめたのですが、痛い……痛いです、委員長に締め付けられた左腕がミシミシって……折れそうです。
「心配したんだからね、何にも教えてくれないんだもん、馬鹿ケント……馬鹿……うぅぅ……」
「ごめん、急に状況が変わって、急がなきゃいけなくなって……」
マノンは委員長とは逆側、僕の右の首筋に顔を埋めて小さく唸ってます。
と言うか、そろそろマジで委員長に締め上げられた左腕が限界みたいです。
「きゃぁぁぁ! 修羅場よ、修羅場」
「ぐぬぉぉぉ……魔物使いめぇぇぇ……」
「ヴォルザードの危機は去ったけど、国分君の命は風前の灯だよ」
「八木、俺は一生強制労働になっても殺らなきゃいけない事を見つけたみたいだ」
「偶然だな、俺もだ新田……」
色んなところから、色んな声が聞こえて来るんですけど、僕、ヴォルザードを守るために活躍したよねぇ……って、それじゃツケは払えないんですか。
てか、ガセメガネと新旧コンビがなんで自由にウロウロしてんの、早く強制労働に戻りなよ。
「ケントー……」
「健人……」
「ひゃ、ひゃい……その、えっと……とりあえず一緒に朝食など……ごめんなさい」
左腕に委員長、右腕にマノンの温もりを感じつつも全く堪能する余裕も無く、連行されるように食堂へと向かいました。
今朝の朝食は、昨晩奮闘した冒険者や守備隊の方々の空腹を満たすために、大きな肉の塊の入ったシチューと丸パン、サラダ、新鮮なミルクという献立です。
普段なら涎が出そうなぐらい美味しそうな匂いなのですが、今のキリキリと痛む僕の胃には少々ボリュームがあり過ぎな気がします。
奥の方の席を選んで座ったのですが、周囲を同級生達が取り囲み、冒険者や守備隊の隊員さん達も何事かと遠めから注目しています。
うわぁ……何なんでしょうか、この状況……こんなに注目されたのは生まれて初めてです。
「健人、冷めちゃうから先に食べちゃおうよ……」
「そ、そうだね……そうしよう、い、いただきます」
この状況下で平然と食べようと言える委員長、あなたの神経が理解の範疇を超えそうです。
「ケント……」
「な、なにかな? マノン」
「はい、あ、あーん……」
「えっ……あ、えっ……あ、あーん……むぐ……」
マノン、その隣に居る凸凹の悪魔の話は聞いちゃ駄目だと思う。
と思っていたら、今度は左側から委員長に声を掛けられました。
「健人、はい、あーん……」
「あ、あーん……むぐ……」
ヤバいです、全然味が分からないです。
てか、男子共の狂眼で、呪い殺されそうなんですけど。
そのまま晒し者の状態で、味の全く分からない朝食を済ませました。
いえ、朝食が済んでしまいました。
「えっと……ごちそうさまでした」
って、誰も何の反応も無いんですけど、やっぱり僕から切り出さなきゃ駄目だよね。
大きく深呼吸を1回、2回、3回……
「ケント……」
「みゃい?」
うわぁぁ……どうしてこのタイミングで話し掛けてくるかな、マノンちゃん。
思いっきり変な声出ちゃったじゃんか、みゃいって何だよ、みゃいって……。
あちこちで堪えきれずに吹き出してるし、クスクス笑い声も聞こえるよ。
「ご、ごめん……あのね、ケント。僕はケントが苦しむなら、今決めなくても良いって思ってるんだ」
「マノン……?」
「最近ヴォルザードに来たみんなは知らないと思うけど、ケントは本当に頑張ってきたんだよ。凄い魔術が使えるからリーゼンブルグと簡単に行ったり来たり出来るみたいだけど、みんなの救出方法を考えたり、ヴォルザードで住む場所を確保したり、自分も生活していかなきゃいけないし……とにかく凄く頑張ってきたんだ」
マノンの言葉に、同級生達はジッと耳を傾けています。
「ぼ、僕は、そんな一生懸命に頑張るケントが大好きだから、ケントの邪魔はしたくない……ケントを苦しめたくない……少しでもケントの役に立ちたい……」
ヤバいっす……涙腺が崩壊しそうです。
「ケントは、まだやらなきゃいけない事がいっぱいあるんだよね?」
「う、うん、これからカミラ……リーゼンブルグの王女と、みんなを元の世界に帰すための交渉をしないといけないんだ」
「だったら、そっちを優先して欲しいし……もし、もし僕が選ばれなくても、僕はケントの支えになるよ」
「マノン……ありがとう……」
泣かないよ。マノンと一緒に仕事した女子の中にはボロボロ泣いてる子もいるけど、格好悪いから僕は泣かないからね。
これは、目から汗が出てるだけだもんね。
「ごめんなさいマノンさん、私、あなたを誤解していました」
もう人目もはばからずマノンをハグしちゃおうかと思っていたら、委員長が静かに話し始めました。
「あなたは、健人の魔術の才能に目を付けた計算高い女の子だと、勝手に想像していました。謝ります、ごめんなさい」
委員長は一度席を立つと、深々と頭を下げました。
「でも、健人を支える役目を譲るつもりはありません。ラストックでの生活は本当に辛かった。私はみんなよりも良い待遇を与えられていたけど、みんなと話が出来るのは治療の間の僅かな時間だけだったし、その治療も全員を完治させられなくて、いつもいつも自分の無力さを思い知らされて心が折れそうだったの」
委員長の話を一緒に救出されてきた同級生達が、ジッと聞き入っています。
みんな委員長の治療には、本当に世話になってたもんね。
「そんな私を支えてくれたのが健人だったの。監視の目を潜って会いに来てくれて、くたくたになった私を治癒魔術で癒してくれた。夜の部屋で一枚の毛布に包まって、健人の温もりを感じていると凄く安心出来たし、胸がドキドキするのが止められなかったの」
「唯香……」
「まだちゃんと言ってなかったから、ここで言うね。健人、大好き。淺川唯香は、国分健人を愛してます」
委員長の真っ直ぐな言葉は、ずしっとした重さを感じさせて僕の胸に届きました。
状況に流されてフラフラしているのを仕方が無いと自分に言い訳して、彼女達を抱き締めキスしてきた自分の軽薄さを嫌と言う程思い知らされた感じです。
「僕は……」
「今じゃなくていいよ。私も健人を苦しめたくないし、健人がちょっとエッチで、女の子に弱いのも分かってる。それに……もう一人いるんでしょ? 勝負はフェアじゃないとね」
「はい……その、ごめんなさい……」
真剣に僕の事を思ってくれている2人の言葉を聞いて、僕はどうやって2人に報いたら良いのか考え込んでしまいました。
答えはすぐには出せそうもないけど、もっともっとキチンと考えないといけないと思い知らされました。
「ケント、今日はこれからどうするの?」
「えっと……ギルドに行ってドノバンさんが戻っていたらサラマンダーの買い取りをお願いして……」
「えっ? サラマンダーの買い取りは一昨日済んだんじゃないの?」
「うん、一昨日のとは別に、昨日の夜に倒した4頭を買い取ってもらわないといけないから」
「えぇぇ! サラマンダーを4頭って……」
「そのサラマンダーのせいでゴブリンの大群がヴォルザードの方に向かって来てたから、急いで倒しに行って来たんだ……って、あれ?」
なんだか食堂が騒然となって、守備隊の人とか冒険者の皆さんに凄い注目されてますけど、僕がサラマンダーを倒しに行ったのは知られてなかったんでしょうかね。
「ケント、今の話、君がサラマンダーを倒したってのは本当なのか?」
「あっ、バートさん、おはようございます。はい、状況的に急がないとマズそうだったので」
「いや、でもサラマンダーが居たのは、ゴブリン共の向こう側だよな? どうやって倒しに行ったんだ?」
「えっと……僕、闇属性の魔術が使えるんで、影に潜って移動が出来るんですよ」
「マジか……って、でも移動出来ても、どうやって倒したんだ?」
「えっと……まぁ、その辺りは企業秘密……みたいな?」
何だか、また『魔物使い』とか『魔王』なんて単語が聞えて来るんですけど、あんまり面倒な事にならないと良いのですが。
「はぁ……初めて会った時は、礼儀正しいけど頼り無い小僧だと思ってたんだけど、もうケントには頭が上がらない感じだな。ついでに、うちの隊長の恋路も何とかしてくれないか?」
「いやいや、僕は自分の事で手一杯なんで、そこはバートさん、お願いしますよ」
「確かに……このお嬢ちゃん達に加えてベアトリーチェちゃんか……そりゃ無理だな、てか頑張れ」
「はい、ちゃんと考えます」
業務の時間になったのか守備隊の人達が去り、冒険者の人達も昨夜の疲れを癒すためにか帰って行きました。
良く考えてみたら、ラストックから救出してきた約150人プラス先生達には、日用品の準備をしてもらわないといけません。
丁度同級生達が集まっているようなので、ここで話をしてしまう事にしましょう。
「小田先生、みんなが日用品の買い物をする為のお金を預けたいのですが、良いですか?」
「構わないが、全員分の金を国分が負担するのか?」
「はい、幸い僕の眷属が稼いでくれるので問題無いです」
「そうか、それなら良いが、先に来た小林や桜井から少し話は聞いている。これからは我々も働くつもりだからな」
「はい、でも慌てずにヴォルザードに馴染んでからでも結構ですよ。それじゃあ、1人あたり3千ヘルトで……一応、50万ヘルト渡しますんで、これで最初はやり繰りして下さい」
「分かった、おい小林、桜井、先に来た連中に案内させてくれ」
「あぁ! みんな凸凹シスターズの口車に乗って、お金使い果たさないでね」
僕の必死さがツボにはまったのか、食堂は笑いに包まれました。
「じゃあ健人、私はみんなと買い物に行ってくるね」
「みんなが問題起こさないように見張ってて」
「ケント、僕もみんなの案内をするよ」
「お願いね、マノン」
「じゃあ、行こうかユイカ」
「えぇ、お願いするわね、マノン」
委員長とマノンは、凸凹シスターズ達と一緒になって女子の輪に囲まれて、キャイキャイと買い物へと出掛けて行きました。
直接対決の第1ラウンドは、決着持ち越しという形で、どうにか血の雨が降る事なく幕を下ろせたようです。
「ちっ、国分の野郎、上手く切り抜けやがって……」
「くそぉ、俺たちの委員長が……なんでだよ……」
「あの子、こっちの子なんだろう、水色の髪の僕っ娘って……くそぉ」
「ちくしょう、目の前でイチャイチャしやがって、禿げろ、いや、むしってやる……」
「不能になれ……不能になれ……不能に……」
って、男子は呪いの言葉を残さないと立ち去れないのかね。
まぁ、僕が逆の立場だったら、思いっきり呪ってるだろうね。
さて、サラマンダーの買い取りも頼まないといけませんから、一度ギルドに顔を出してきて、いや先に下宿に戻って無事な顔を見せてきましょう。
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