第62話 木沢澄華とマリアンヌ

 先生達と連絡を取った翌日、まずはギルドへと足を運びました。

 週初めに女子のみんなが仕事を探す手伝いをマノンに頼んで、そのままにしてしまっているからです。


 男子があれだけの騒動を起こした後ですから大丈夫だとは思いますが、放置しっぱなしも心配なので、途中経過を含めて様子を見ておきましょう。

 今朝も掲示板の前は大混雑の様相を呈していて、流石にここへ突っ込んでいこうという女子はいないようですね。


 うん、相変わらずリドネル達が揉みくちゃにされてますけど、懲りないねぇ……。

 掲示板から離れた壁際に、同級生の女子達の姿がありました。


 今日は凸凹シスターズの姿もありますし、マノンはみんなの中心で色々質問されているみたいです。

 黒髪の一団の中で水色のショートヘアーは目立ちますね。


 何を質問されているのか分からないけど、顔を赤らめてアワアワしているマノンは可愛いくて、めっちゃ癒されますね。

 僕に気付いたマノンが小さく手を振ると、女子のみんなの視線が一斉に僕に向けられました。


 ひぅ……十数名の女子に一斉に見られると、ちょっと圧倒される思いがします。

 グリっと音がするような勢いで振り向いた女子達は、僕の姿を見るとニヨニヨとした笑みを浮かべてマノンを中心に残し、すすっと両側へと距離を取りました。


 中には、どうぞどうぞと手招きする人まで居るのですが、かえって近付き難いですよ。


「お、おはよう、ケント」

「おはよう……マノン」


 生暖かい視線の中をぎこちなく近付いていくと、女子の皆さんの囁きが聞えてきます。


「キスよ、おはようのキスするわよ」

「バカね、まずはハグからよ、ぎゅーって、ぎゅ――って……」


 いやいや、そんな期待するような視線に曝されて、実行できるほど神経図太くないですからね。

 って、マノンちゃん? どうして真っ赤になって目を閉じてるんですかね。


 いや……これはさすがに……って、イケっ、イケって圧力が凄いっすね。

 ちょっと震えているマノンをそっと抱き締めて、頬にキスをしました。


「ひゅうーひゅー、朝からお熱いわぁ……」

「ホント、ヴォルザードの朝って、どうしてこんなに熱いのかしら……ねぇ!」


 ハズいです、朝からめっちゃハズいです。慌ててハグを解いたけど、マノンにきゅっとシャツを掴まれていて離れられません。

 てか、そんな仕草は反則だよ、もう一度ハグしたくなっちゃうよ。


「ケント……今日はベアトリーチェの匂いはしないね……」

「えっ、うん、今日は会ってないからね」

「そう、良かった……」

「え、えっと……それで、みんなの仕事は、どんな感じかな?」


 それとなく話題を切り替えようとしたのですが、凸凹シスターズから駄目出しを食らいましたよ。


「まったく国分は、何ですぐに雰囲気の無い話をするかなぁ……」

「そうだよ、ともちゃんの言う通りだよ、もっとハグしてれば良いのに」

「いやいや、みんな、ほら仕事探さないと駄目だろうし……」


 何とか話題を切り替えようとしましたが、今度は反対サイドから相良さんと本宮さんに突っ込まれます。


「まだあの混雑じゃ仕事探せないし、マノンが面倒見てくれるから大丈夫よ」

「ホント、マノンには超ー感謝だよ。 物凄く一生懸命やってくれて、もうマノンに決めちゃいなよ」


 マノンが仕事の内容を詳しく説明してくれて、仕事場までの案内や仕事先の人への紹介、事情説明とかもしてくれたおかげで、みんなスムーズに仕事を体験できたそうです。


「もうさ、国分はこっちに残って、マノンと幸せに暮らしなよ」

「そうそう、ともちゃんの言う通りだよ」


 凸凹シスターズの言葉に全員が頷いていますね。

 マノンは真っ赤になって俯いてますけど、口元がちょっとニヘラって緩んでる気がします。


「いや、残るも何も、まだ帰れるって決まった訳じゃないし、他のみんなの救出も終わってないし……」

「そう言えば国分君、唯香ともイチャイチャしてるんだって?」

「マノンが居るのにサイテー、国分、サイテー!」

「いやいや、だって、委員長だって一人で倒れるぐらいまで頑張ってて……痛っ」


 相良さんが余計無い事を言うから、ジト目のマノンに脇腹を抓られちゃったよ。

 てか、マノンちゃん、何時の間にみんなを味方に引き込んだの?


 でもとりあえず、ここに居る女子は問題なく働けているようなので安心したのですが、やっぱり人数が足りてないですよね。


「そ、そう言えば、残りの人達は?」


 聞いた途端にみんなの表情が曇りましたね。


「あぁ……国分には悪いけど、澄華達は駄目かも……」

「うん、乗馬の方も一日限りだったし、その後は……」


 木沢澄華のグループは、乗馬体験の最中も馬房の掃除や馬のブラッシングなどは嫌々やっていた状態で、その日の訓練が終わった時点で、もう参加しないと宣言されたそうです。


「それじゃあ、今は何をやってるの?」

「私達が出て来た時には起きて来てなかったし、集まってグダグダ喋ってるんじゃない?」

「昨日も夜中まで集まって喋ってたみたいだから、起きて来られないんだと思う」

「問題起こしたりは……?」

「あぁ、それは大丈夫だと思う、鷹山達とは違って立ち回るのは上手いからね」


 小林さんの話では、不平不満を口にしたり嫌な事はやろうとしないけど、逆らったら面倒な相手とは距離を置いたり手出ししない程度の知恵は回るのだとか。


「ただ、私達の印象は悪くなるかも……」


 桜井さんが言うには、男子のような騒動になる程の事はしなくても、嫌味な口振りや態度は周囲の人達に嫌悪感を抱かせるんだとか……。

 そう言われてみれば、これまで何度か説明の時に顔を会わせているけど、とても好感を抱くような態度ではなかったですね。


「分かった、この後は守備隊にお願いに行くから、その時にでも様子を見てみるよ。 みんなは、みんなの出来る事をやっていて」

「お願いって、何を頼みに行くの?」

「もしかして、残ったみんなも、もう助けに行くの?」


 相良さんや本宮さんだけでなく、みんな興味津々といった様子なので簡単に計画の事を話しました。


「僕の眷属達は、今日は街道周辺の掃討と道の整備をするって言ってたし、先生達とも連絡が取れたから今の所は順調。 たぶん、光の曜日の昼ぐらいには、みんなを連れて来られると思う」


 救出作戦が具体的に進んでいると知って、女子のみんなは手を取り合って喜びました。


「良かったぁ……残ったみんなが心配だったんだよ」

「そうか、先生が来るなら、木沢さん達は任せちゃえば良いんじゃない?」

「でも、今の状況で先生に注意されたりすると、余計に反発しそうじゃない?」

「あぁ……それはあるかも……」


 日本に居た頃ならば学校という後ろ盾があったけど、こっちの世界では先生も立場的には同じく巻き込まれた側だから、下手に注意すると反発するかもしれませんね。

 そんな事を話しているうちに掲示板の前が空き始めたので、女子のみんなは今日の仕事を探しに向かいました。


「マノン、みんなの面倒を見てくれて、ありがとうね」

「ううん、僕には、このぐらいの事しか出来ないから……」

「本当なら僕がやらなきゃいけないのに……本当に助かってるよ、ありがとう」

「少しでもケントの助けになっているなら……嬉しいな」


 はにかんだような笑みを浮かべるマノンが愛しくて、そっと抱き締めずにはいられませんでした。


「マノン……」

「ケント……み、みんなが見てる……」

「えっ……?」


 気付けば仕事を探しに行ったはずのみんなが戻って来ていて、ニヨニヨした視線に取り囲まれています。

 だから、そのイケイケという圧力は……


「ケント……」

「きゃ――っ! 決まり? もう、マノンに決まり?」

「やばっ、あの赤髪の子はどうするんだろう?」

「てか、唯香は? 唯香とはどうなってんの?」


 圧力に屈したというか、個人的欲求に抗えなかったというか、マノンにもう一度抱き締めてしまいました。

 当然のように女子のみんなが騒然となって、ベアトリーチェや委員長の名前を聞いたせいか、マノンもギューっと抱き付いてきました。


「負けないもん……」


 ヤバいです、もう同級生達の事とか全部放り出して、マノンと一緒にどこかに逃亡したいです。


「ケント……今日も忙しいんだよね?」

「う、うん……」

「早く、ゆっくり出来るようになるといいね」

「うん……」


 あぁ、もう本当に面倒な事とか、全部放り出しちゃ駄目ですかね。


「ねぇ、国分……そろそろマノンを解放してもらいたいんだけど」

「ともちゃん、それは無粋ってもんだよ」

「でもあっちゃん、あたしらマノンが居ないと色々駄目駄目だしぃ」

「それも、そうなんだよねぇ」


 名残惜しい気持ちを振り切るように抱えた腕を解くと、マノンはちょっと身体を離して僕の目をじっと見詰めました。


「じゃあ、ケント、行ってくるね」

「うん、お願いね」


 弾むような足取りでマノンは女子のみんなの所へと歩いて行きました。

 女子のみんなはマノンを囲んでキャイキャイと騒ぎ立て、僕へも生暖かい視線を送ってきます。

 うん、何だか外堀を埋められている感じですね。


 ギルドに仕事を探しに来ているグループは大丈夫そうなので、守備隊に頼み事をしに行くついでに木沢グループの様子を見ておきましょう。

 委員長は、僕が直接言うと面倒事が増えそうだと言ってたけど、場合によっては言わないと駄目だよね。


 宿舎を訪ねて呼びかけても返事が無くて、まだ眠っているのかと影の世界から覗いてみたのですが姿が見当たりません。

 もしかしたらと食堂に行ってみると、何やら騒がしい声が聞こえてきました。


「私らは隊のみんなの為に食事を作ってるんだ、あんたらの為じゃないよ。今頃のこのこ来て何言ってんだよ」

「何それ! 食費も滞在費も払ってんのにサービス悪すぎぃ……」

「うちは宿屋じゃないんだ、他に行く場所が無いっていうから受け入れてるだけだよ、嫌なら出て行きな!」

「何それ! お金取っておいて、ふざけるんじゃないわよ、さっさと食事作りなさいよ!」


 どうやら寝坊した木沢澄華たちは、朝食の時間に間に合わなかったようです。

 守備隊の食堂は朝食、昼食、夕食と、それぞれの時間が決められています。


 ギリギリの時間であれば融通してくれるのでしょうが、朝食の時間が終わってから結構時間が過ぎていて、厨房も片付けが終わっているようです。

 これは仲裁しないと拙いと思い、食堂に踏み込もうとしたら後ろから声がしました。


「騒がしいわね、どうしたのかしら?」


 振り向いた僕の目に飛び込んで来たのは、赤毛のウサ耳でした。

 守備隊の制服にキッチリと身を包んだ、総隊長のマリアンヌさんです。


「お、おはようございます、マリアンヌさん」

「おはようケントさん。それで、これは何の騒ぎかしら?」

「えっと……僕も今来たところなんで詳しくは……」


 木沢澄華達は、あからさまに不満そうな顔をしています。


「ちょっと国分、食事も用意してもらえないんだけど、どうなってんのよ」

「待遇悪すぎなんですけどぉ……」

「ちゃんと準備させとけよ、マジ使えねぇ……」


 うわぁ……こんなのが僕らの世界の標準だと思われたら嫌過ぎだよ。

 不機嫌に口元を歪ませて、自分達がどれほど不細工な顔に見えるか考えてないのかね。


「マヌエラ、どういう事なのかしら?」


 マリアンヌさんに求められて、食堂のおばちゃんは朝食の時間がとっくに終わっている事や、厨房を既に片付けて終えてしまった事などを説明しました。


「時間制限なんて聞いてないしぃ……」

「そうよ、私らお金払ってんだからね」


 いや、さっきからお金払ってるとか言ってるけど、払ってるのは僕だからね。


「分かりました、食事の時間の事を聞いていなかったのなら仕方ないわね。マヌエラ、お昼まで繋ぎになるように、何か作ってあげて」

「分かりました……」

「面倒掛けて、すみません」


 マヌエラさんは渋々といった感じですが、木沢グループの食事の仕度を始めてくれました。

 思わず謝っちゃったけど、木沢澄華達は当然という顔してますね。


「おばさん、なかなか話分かんじゃん……」

「ちょっと、マリアンヌさんは守備隊の総隊長さんで、領主のクラウスさんの奥さんなんだからね、失礼なこと言わないでよ」

「ふーん、そうなんだ……」


 あぁ、桜井さんが言ってた事が良く分かったよ。

 この態度は、ぶっちゃけムカつくよね。


「ところでケントさん、ここに居る人で全員じゃないですよね。他の皆さんは?」

「あっ、はい、ギルドの方で仕事を探して働いてます」

「あら、そうだったの。それで、こちらの皆さんは?」

「えっと……その……」


 食事にありつけると知ってニヤニヤしていた木沢グループの面々は、仕事の話になった途端に不機嫌そうな不細工面になりましたね。


「て言うか……なんで私らが働かなきゃいけないんですかぁ……」

「そうそう、私ら巻き込まれた被害者だしぃ……」

「てか、国分はどこでも入って行けんだろ? 奴らの金庫から金持って来いよ」

「そうそう、待遇悪すぎなんだからさ、もっと金使えよ……」


 もうね、ぶん殴りたくて仕方無いですし、マリアンヌさんの前でこんな醜態晒して恥かしいですよ。

 そのマリアンヌさんですが、呆れる訳でもなく怒るでもなく、平静を保ったままで話を聞いています。


「さあ、食事の仕度が出来たみたいだから、話の続きは食べながらにしましょう。 マヌエラ、私とケントさんの分のお茶もお願いできるかしら」


 僕としては騒ぎが収まったのだから立ち去りたい気持ちでいっぱいなんですが、まさかマリアンヌさんに丸投げして行く訳にもいかないですよね。

 食堂の長いテーブルに木沢グループが四人ずつ向かい合うように座り、一番端に僕とマリアンヌさんが向かい合って座りました。


「ケントさん、救出作戦は進んでいらっしゃるの?」

「はい、あっ、その事でお願いがあるんですが……」


 丁度良いタイミングなので、馬場と馬車を借りられないか頼んでみました。


「お安い御用よ、明日で良いのね? それにしても眷属とは言え魔物に曳かせるとは……」

「はい、最初は仲間から選抜して救出チームを組んで、奪った馬車で戻って来ようと思ったのですが……」


 僕らが馬の扱いに慣れていない事、馬車の準備に手間取りそうな事、そして眷属ならば影移動で一気にラストックまで移動出来る事などを説明すると、マリアンヌさんは大きく頷いて賛成してくれました。


「それに、一応リーゼンブルグの騎士は眠らせてしまう予定ですが、参加すれば危険に遭遇する心配もありますので仲間の参加は見送りました」

「なるほどね、でも話を聞くとケントさんばかりが苦労していません?」

「はぁ……ですが、僕はたまたま力を手に出来たので仕方無いかと……」


 木沢グループも救出作戦は気になるようで、チラチラと視線を送って来ながら聞き耳を立てているようです。


「て言うか、そんだけの能力があんなら、もっと早く助けに来いって話だよ」

「そうそう、こっちの女とイチャイチャして遊んでたんだろ」

「てか、お前、ラストックの女子風呂も覗いたんだってな、このクズ!」

「浅川にまで手ぇ出してんだろ、サイッテーな……」


 マリアンヌさんの前では手出し出来ないと思われているのか、それとも根本的に舐められているのか分かりませんが、好き放題に言われてテーブルの下で握った拳が震えてしまいます。


「うふふふ、あらあらケントさん随分と風当たりが強いようね。 皆さんはケントさんが居なくなっても良いのかしら?」


 刺々しい空気など何処吹く風という感じで、ほわっと放たれたマリアンヌさんの言葉に木沢澄華達は顔を見合わせました。

 僕自身も何処かに行くつもりなど無いですし、そんな事は起こらないと考えていたらしく、誰も答えを返そうとしません。


「私は皆さんの世界の事は分かりませんから、ヴォルザードの基準で物事を考えます。今やケントさんは、ヴォルザードにとっては重要な存在になっているのは、皆さんも分かりますよね?」


 マリアンヌさんの問い掛けに、木沢グループの面々は揃って頷きました。


「重要な存在という事は、それだけの才能があり、例えヴォルザードでなくても、ケントさんならば何の問題も無く暮らしていけるという事です」


 マリアンヌさんは、一旦言葉を切って居並ぶ面々を見渡しました。


「つまりケントさんは、皆さんを見捨てて居なくなっても何一つ不自由はしないという事ですが、逆に皆さんは、ケントさんが居なくなったら……大丈夫なのかしら?」


 七人の視線が勝気そうな長身の女子に集まりましたから、彼女が木沢澄華なんでしょうね。

 うん、スタイルは……ささやか系ですね。


「て、て言うか、そんなの許されないしぃ……」

「そうね、ケントさんの性格からして、皆さんを見捨てるような事はしないでしょう。でもね、人間なんて何時死んでしまうか分からないわよ。皆さんのお友達も一人亡くなられてるわよね?」


 マリアンヌさんの言っているのは、恐らく誰かから聞いた船山の事でしょう。

 実際に死んだ同級生が居る事実を突きつけられて、木沢達は黙り込みました。


「ケントさんは強力な眷属がボディーガードとして付いていらっしゃるから、そうそう命の危険に晒される事は無いでしょう。 でも、だからと言って絶対に安全、決して死んだりしない、居なくなったりしない……という保証は無いのよ」


 八人は、不満と不安が入り混じったような微妙な表情をしていますね。


「突然、望みもしない状況に陥って、皆さんが不満を覚えるのは当然だと思うわ。ただ、今の皆さんには備えが足りないわね」

「私らにも働けって言うんですか?」


 木沢澄華が口を尖らせながら不満そうに聞いて来るのに、マリアンヌさんはニコリと微笑んでから答えました。


「単に働けと言ってるんじゃないわ。自立する支度を始めましょう」


 マリアンヌさんは、改めてヴォルザードの街における僕らの年代の状況を話し始めました。


「ヴォルザードでは、皆さんの歳になると親からの自立を始めるの。働くにしても、更に勉強をするにしても、自分の意思で決めて自分の道を歩き出すのよ。早い人だと、あなた達と同じ歳で結婚して家を持ち、子供を作る人もいるわよ」

「でも……私ら、ここの人間じゃないしぃ……」

「そうね、皆さんの居た世界とは少し違うのかもしれないわね。でも、皆さん、いつ元の世界に戻れるのかしら?」

「それは……国分、いつよ?」

「みんなを救出して、すぐ交渉を始めて、すぐ戻れる事になるなら一週間程度……だけど、全然分からない事だらけだからハッキリとは……」


 マリアンヌさんは、何度か頷いた後で話の続きを始めました。


「すぐに元の世界に戻れるならば、無理に働く必要はないわね。でも、いつ戻れるのか分からない、戻るまで時間が掛かるというなら、それだけ不測の事態が起こる可能性も高まるし、それこそケントさんが居なくなる事も考えておく必要が出て来るわ。単純に働くのではなく、自分だけで生きていかなければならなくなった時に備えておいた方が良いのではなくて?」

「こ、国分が居なくなったって、みんなが居なくなる訳じゃないし……」


 そう言いながらも木沢澄華は他の女子に不安そうな視線を向け、視線を向けられた側はぎこちなく頷いてみせます。


「今、ヴォルザードは魔物の極大発生に向けて備えを進めています。極大発生と言うのは、数千、数万単位の魔物が押し寄せてくる事態で、過去には大きな被害が出ているわ。今は、城壁や避難場所の整備を進めたし、ケントさんも居るから昔ほどの被害は出ないかもしれないけど、私達の想像を上回る規模の魔物の大群が襲ってきたら、どれほどの人が生き残れるのかは分からないわよ。そんな状況で生き残ったら、皆さんは大丈夫? 頼れる人は居ないかもしれないわよ」


 マリアンヌさんの言っている事は、脅しでも何でもなく、ヴォルザードの現実なのでしょう。

 平和ぼけした日本で暮らしていた僕らからしたら、そんな馬鹿な事がと思いがちですが、ヴォルザードに来るまでに実際に魔物に襲われていますし、笑って否定出来る話ではありません。


「私から見ると、ケントさんはとても頑張っているように見えるけど、皆さんから見たら不満だらけなのかもしれないわね。でも、一人の人間に頼りきっている状況は、とても脆くて危険な状況よ。その人が居なくなった場合でも、平然と生きていけるだけ術を身に付けなさい」


 そう言うと、マリアンヌさんは席を立ちました。


「どうしたら良いか分からなくなったら、いつでも良いわ、守備隊の者に尋ねなさい。さぁケントさん、貴方も忙しいのではなくて?」

「あっ、はい、そうです、まだ準備が色々ありますから……」


 マリアンヌさんの助け舟に乗って、僕も食堂を後にする事にしました。

 木沢澄華たちは何やらボソボソと相談を始めましたが、これまでのような不平不満だけではないようです。

 食堂を出たところで、マリアンヌさんにお礼を言いました。


「あの……マリアンヌさん、ありがとうございました」

「あら、年下の者を導くのは当然の事よ。 ヴォルザードでは使える人材は無駄にしないの」


 そうでした、最果ての街ヴォルザードでは人材は貴重なんでしたよね。


「ところでケントさん、うちの娘は貰っていただけるのかしら?」

「ひゃい? えっと……それは……」

「あら、リーチェったら、押しが全然足りてないみたいね……」

「いやいやいや、押しが強すぎて、色んなとこから妬みとか凄くて困るんですけど……」

「それは、ケントさんがハッキリしないからではなくて?」

「ぐぅ……そうなんですが……」

「ケントさん……」


 急に真面目な表情になったマリアンヌさんに、思わず姿勢を正してしまいます。


「は、はい、何でしょう」

「ランズヘルトでは、多妻が認められていますからね」

「い、いや……それは……」

「決められないなら、ハッキリ全部自分のものだと周囲に宣言してしまいなさい」

「えぇぇ……マリアンヌさんが、それを言いますか」


 にっこりと微笑んだマリアンヌさんは、ヒラヒラと手を振りながら行ってしまいました。

 領主のクラウスさんが、二人目の嫁を貰えないのも浮気も出来ないのも、マリアンヌさんが怖いからなのだと、ヴォルザードに来てから色んな人に聞かされて知っていますよ。

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