第45話 社畜一直線?

 引き運動の後はブラッシングや蹄の手入れを行い、馬房の清掃作業を手伝い、馬を戻して午前中の作業は終わりです。

 お昼は守備隊の食堂で頂く事にしたのですが、その前にラストックまで行って委員長のケアを済ませましょう。


 委員長は診察室で青い顔をして治療を続けていました。

 僕がケアをするようになったからなのでしょうか、委員長がこれまで以上に無理をしているような気がして心配です。


「聖女様、午前の治療はここまでにいたしましょう」

「分かりました……少し休みます……」


 委員長は崩れ落ちるようにソファーへと身体を預けると、深い溜息を付いて力を抜きました。

 世話役のエレナは、すかさず毛布を掛けると小さく一礼して診察室の外へと出て行きました。


 フレッドにエレナの監視を頼んで、委員長に治癒魔術を掛けます。


「あっ……健人……」

「もう、ホントに唯香は無理しすぎだよ……」

「ごめんなさい……健人、昨日の夜はどうして来てくれなかったの?」

「ごめん、救出作戦について八木達と相談していて遅くなっちゃったんで、起こさないように治癒魔術だけ掛けさせてもらったんだ」

「救出作戦って、次の実戦の?」

「ううん、そうじゃなくて、全員を救い出す方法を今検討してるから、もう少し待ってて」

「ホントに?」

「しっ……声が大きいよ」

「あっ、ごめん……」


 声を潜めて、委員長に眠り薬を使った救出作戦について話をしました。

 今日から御者のための訓練も始めたと言うと、委員長は驚いていました。


「ねぇ、もしかして、カミラのおねしょって……」

「あっ、委員長の耳にも入った?」

「もう、みんな知ってるし、その件で騎士達と対立が起こり始めてるの……」


 委員長の話では、カミラのおねしょ話は同級生たちにも広まって、その件を揶揄するような言葉を巡って騎士と対立が起きつつあるらしいのです。


 同級生達は、これまで抑圧されてきた鬱憤を晴らすように、からかうような言葉を口にし、それに対して騎士達は、奴隷ふぜいが王族を馬鹿にしていると思い、これまで以上に手荒な対応をするようになっているようです。


「あぁ……そんな事になってるのか、失敗だったかな?」

「ううん、みんな影では大笑いして喜んでたから、失敗なんかじゃないよ」

「だと良いんだけど、対立は少し心配だね」

「だからみんなには自重するように言っておくね」

「うん、お願い」


 世話役のエルナが戻って来たので、話を打ち切ってヴォルザードへと戻りました。

 急いで食事をしながら、5人にラストックの状況を報告。

 カミラの件で対立が起きつつあると話すと、みんな心配そうな表情になりましたね。


「そりゃあ、あの状況カミラがおねしょなんて噂を聞けば、嘲笑いたくもなるだろう」

「八木の言う通りだけど、これで扱いが更に酷くなると困るし、早く馬車を動かせるようになろうよ」


 小林さんの言葉に全員が頷き、午後の訓練は皆が真剣に取り組んでいました。

 午後は、手綱の使い方を覚える意味で、乗馬の体験を行う事になりました。


 基本的な手綱捌きは言葉で教えられても、感覚的なものは実際に体得しなければ身に付かないと言われました。

 とは言っても、誰一人乗馬を体験した事が無かったので、最初は引き綱を持ってもらって歩かせるところからスタートですが、ちょっと頑張らないと先が長そうです。


 夕方まで訓練を続け5人と別れた後は、ドノバンさんの所へ報告に向かいました。

 これまでは、実戦を利用した救出作戦しか話をしていないので、突然200人近い同級生を一度に救出するならば、前もって知らせておかないと拙いですもんね。


 ドノバンさんが忙しいのは何時ものことなので、ちょっとだけ時間を作ってもらって、手短に話をしました。


「つまり200人近い者達が、こちらに来る可能性が高くなったって事だな?」

「はい、いきなりで申し訳ないのですが、あまり長期間向こうに置いておきたくないもので」

「宿舎は臨時の宿舎を使えば大丈夫だろうし、食事も少し早めに知らせれば大丈夫だ」

「では、何時でも取り掛かっても大丈夫って事ですか?」

「そうだ、何時でも構わないが、事前に報告だけは入れろ」

「はい、分かりました」


 ドノバンさんにOKをもらえたので、後は僕らの準備が整うのを待つだけです。

 報告を終えた後は、ギルドの階段下の影から一気にラストックへと飛んで、委員長の夕方のケアをして、またヴォルザードへとトンボ帰りしてきました。


 下宿に戻る前に、ミューエルさんの師匠の薬屋へと足を運んで、眠り薬の追加購入をしようかなどと考えてギルドへと戻ったのですが、玄関の前で待っているマノンの姿が目に入りました。


「ケント……ちょっと良い?」

「いいよ、歩きながら話そうか?」

「うん……」


 思い詰めたような表情のマノンは、小さく頷くと、僕の左腕を抱えるように腕を絡めてきました。

 表情を見ようとしましたが、マノンは真っ赤になって俯いています。


 とりあえず、マノンの家の方へと向かおうと、ギルドの玄関を出て歩き始めたのですが、今度はこめかみに青筋を浮かべたナザリオが立ち塞がりました。


「こいつ、別の女にも手を出してやがるのか……」


 ナザリオと取巻きの少年4人、そして今日は人相の良くない若い男が2人、付き添っています。


「ちょっと顔貸せ……」

「マノンは関係無いから、ここで帰させてもらっても……」

「うるさい! さっさと来い、おい、女も連れて来させろ!」


 ナザリオが指示を出すと、人相の悪い男達は、僕には見えるように、そして周囲の人には見えないように、ナイフをチラつかせました。


「マノンごめんね……変な事に巻き込んで」

「ケ、ケント……この人達は?」

「うん、後でちゃんと話すし、絶対マノンには手を出させないから安心して」

「うん……」


 昨日は、ほほえましいとさえ思えたナザリオの行動でしたが、今日はちょっと洒落になっていません。

 朝から忙しく動き回っていたせいか、ストレスも溜まっていて、かなりイライラしてきました。


 連れて行かれたのは、昨日と同じ路地裏の空き地です。

 男の一人はナザリオの後ろに立ち、もう一人がずーっと僕の襟首を掴んでいます。


「昨日は舐めた真似しやがったが、だが今日はそうはいかないぞ。 この2人はどちらもCランクの冒険者だからな、お前みたいなヒヨっ子は、手も足も出ないから、そのつもりでいろ」


 うん、清々しいほどに虎の威を借る狐状態だよね。

 まぁ、ドノバンさんを使ってギリクをやり込めていた僕には、とやかく言う資格はあんまり無いけどね。


「お前がベアトリーチェさんに近付かないと約束しないなら、その女も痛い目に……」

「ふざけた事を言うな!」


 言葉を遮るようにして怒鳴りつけてやると、ナザリオはビクっと身体を震わせて半歩ほど後に下がりました。


「そんなにベアトリーチェが好きなら、自分で好かれる男になってみせろよ。こんな風に大人の冒険者に頼ったって、君自身の魅力は上がるどころか下がる一方じゃないか」

「こ、こいつ……」

「もしベアトリーチェが、Aランクの冒険者に恋したら君はどうするの? Sランクの冒険者を雇って脅すの? じゃあSランクの冒険者に惚れたらどうするつもり?」

「うるさい、うるさい! 逆らうなら、その女も痛い目に遭わせるぞ」


 ナザリオの合図を受けたもう一人の冒険者が、マノンに歩み寄ろうとしたので、闇の盾を出して行く手を遮ります。


「な、何だこりゃ……」

「それは、闇の盾っていう闇属性の魔術だよ」

「こいつ、術士か……いつ詠唱したんだ……」


 行く手を遮られた男は、驚きを隠せていません。


「マノンに手を出すなら、僕も君の事を許さないよ……」

「許さない? Cランクの冒険者二人を相手に何が出来るんだよ」

「この前、ヴォルザードにロックオーガの大群が押し寄せて来たのは知ってるよね?」


 ナザリオは、一瞬僕が何を言い出したのか分からずに、隣にいる冒険者の方へと視線を投げました。

 ナザリオの視線を受けた冒険者は頷いてみせたので、もしかすると城壁に来ていたのかしれませんね。


「そ、それが何だって言うんだよ」

「ロックオーガの大群を始末したのは、3体のスケルトンだったって知ってる?」

「そ、それがどうした……」

「闇属性の魔術士は、死霊術を使えるって知ってる?」


 ナザリオに向かって話をしながら、爪先でトントンと地面を叩きました。


「あっ……あぁ……」

「うわぁぁぁ、ス、スケルトンが……」

「ひぃ……う、後にも……」

「スケルトンぐらい何とかしろ!」

「無茶言うな、ロックオーガを瞬殺する奴らだぞ!」

「こんな奴らを相手にするなんて聞いてないぞ!」


 ラインハルトだけを呼び出したつもりだったんですが、凶悪スケルトンが揃い踏みしちゃいました。

 僕の後ろにはラインハルト、マノンを守るようにフレッドが、そして路地を塞ぐようにバステンが立ち塞がっています。


「この3人で、200頭以上のロックオーガを圧倒出来るよ。 これ以上、僕や僕の周りの人に下らないちょっかいを出すというなら、それなりの覚悟をして来てくれるかな」


 ナザリオや取巻き、そしてCランクの冒険者は一塊に集まって、僕に向かってガクガクと頷いて見せました。


「バステン、お帰りみたいだから通してあげて」


 頷いたバステンが影へと沈むと、7人は後ろも振り返らずに逃げ出して行きました。

 結局、凶悪スケルトンズの威を借りちゃったけど、いいよね。

 もう、こんな下らない事に付き合っていられないもん。


「ラインハルトもフレッドも、ありがとうね」

『ぶははは、これであのボンボンも手出しして来ないでしょう』

「だと良いけどね……」


 マノンは、僕の腕にしがみ付きながら、フレッドが影に沈んでいく様子を目を丸くして見守っていました。


「ごめんねマノン、僕のせいで、こんな下らない事に巻き込んじゃって」

「ううん……今のスケルトンがヴォルザードを守ってくれたの?」

「うん、ラインハルト、フレッド、バステン、3人はリーゼンブルグとランズヘルトが一つの国だった頃の騎士で、分団長と部隊長をしていた人達だよ」

「そうなんだ……いつも一緒に居るの?」

「普段の護衛はラインハルトにやってもらって、バステンとフレッドには情報収集をしてもらってるんだけど、今ちょっと同級生達の救出作戦を計画しているんで、戻って来てもらってたんだ」

「そうなんだ……」


 マノンは少しの間俯いた後で顔を上げると、僕の目を真っ直ぐに見詰めながら話し始めました。


「ごめんなさい。ケントが友達を救い出すために奔走してるって聞いていたのに……僕は、僕の事しか考えてなかった」

「ベアトリーチェは本当に治療しただけで、その場にはマリアンヌさんも付き添っていたし……」

「うん、ミューエルさんから聞いた。ケント、Bランクに昇格したんでしょ?」

「うん、でも、ロックオーガの件はラインハルト達のおかげだし、ギガウルフは偶々良い条件が揃っていたからね」

「それでも凄いよ、ケントは凄い……か、格好良いよ……」


 そう言うと、マノンはまた俯いてしまいました。


「い、いやぁ……僕なんてチビだし……力も貰い物だし……」

「初めてなんだ……こんな気持ちになったの初めてだから、僕どうしたら良いのか……」

「マノン……?」

「ケントと一緒に居ると胸がドキドキして……ケントがベアトリーチェとキスしたのを見たら苦しくて……」


 僕の腕をぎゅーっと抱きしめながら、マノンはポロポロと涙を流しています。

 ど、ど、どうしたら良いのかな? 僕だって、こんなシチュエーションなんて初めてだし……でも、女の子を泣かせたままなんて駄目だよね。


「ごめんね……僕、ケントを困らせてばっかりで……」

「マノン……ありがとう」


 マノンの方へと向き直り、右腕で包み込むようにしてマノンを抱き寄せました。


「ケント……」

「僕、女の子と仲良くなった事なんて無かったから、マノンみたいな可愛い女の子に好かれて本当に嬉しいよ」

「か、可愛いって……ぼ、僕なんて……」

「ううん、マノンは可愛い、僕が可愛いって言うんだから、可愛いんだよ」

「はぅぅ……」


 マノンは真っ赤になって俯いてしまいましたが、どうにか涙を止める事は出来たようです。


「今は……今は同級生の救出をしなきゃいけないから、きちんとマノンと向き合えないけど、同級生達を助け出したら、その時は、ちゃんとするから……」

「うん、待ってる……」


 そっと抱き寄せると、マノンは僕の背中に腕を回してギューっと抱き付いてきました。

 問題の先送りだけれど、今は救出作戦の方に専念すべきだよね。


「大丈夫だと思うけど、家まで送って行くよ」

「うん……」


 マノンは、僕の左手を右手で恋人握りして、左手は僕のシャツの袖をキュっと握り締めています。

 

 マノンを家まで送って、下宿に戻って夕食まで一休みしようと思っていたら、また騒動が勃発ですよ。


『ケント様……実戦が行われる……』

『えぇぇ……このタイミングで?』

『カミラのおねしょ話に関する対立で、騎士の反発が相当大きかったようです』

『実戦は何時なの?』

『明後日……』

『人数は、前回よりも多くなりそうです』

『分かった、引き続き情報を集めてもらえるかな?』

『了解……』

『人数や人選なども調べておきます』


 フレッドとバステンがラストックへと戻った後、思わず頭を抱えてしまいました。


『うーん、救出作戦に専念しようと思ってたのに……』

『ケント様、状況は変わるものですし、変わる事が悪い事ばかりとは限りませんぞ』

『でも、実戦部隊の救出に動いていたら、僕は御者の訓練は出来ないよ』

『そうですな。ですが、差が付いたとしても数日ですし、新たに救出した者達にも御者の訓練をさせれば、救出作戦の時に馬車の準備が早く終わりますぞ』

『そうか、何台もの馬車に馬を繋ぐところから始めるんだから、準備に関われる人間は多い方が良いよね』


 ラインハルトの言う通り、馬車を準備する事を考えれば、人手は多い方が良いに決まっています。

 そう考えるならば、御者の人材をヘッドハンティングしに行くようなものですね。


『うん、なるほど、気が楽になったよ』

『ですがケント様、一つ問題が……』

『えっ、何か拙い事でもあるの?』

『はい……』


 ラインハルトのいつに無い深刻そうな口調に、胸の中で不安が膨らんで行きます。


『今度の実戦に聖女様が参加されるとなると、そのままヴォルザードに来られる事になりますが、マノン嬢と鉢合わせになったら……』

『うわぁぁぁ……そうだよ、委員長……うわっ、全然先送り出来てないよ』

『ぶははは、ケント様、ここが男としての度量の見せ所ですぞ』

『度量の見せ所って、ど、どうしたら良いんだろう?』

『ぶははは、文句をぬかすなら、接吻で口を塞いでやればよろしい。黙って俺に付いて来いの一言ですぞ』

「えぇぇ……そんなぁ……」


 とにかく、予定していなかった実戦が行われるとドノバンさんには伝えないといけませんし、宿舎の準備は……5人に頼めば良いかな。

 それと委員長との打ち合わせもしないと駄目だし、あぁ……へなちょこ勇者も出て来るけど、まぁ、それはどうとでもなるか。


 何だか、一つ物事が片付くと、二つも三つも新たな課題が出されるみたいで、なんかエンドレスな感じがするのは気のせいでしょうかね。

 夕食を済ませた後、影移動でギルドへと向かいました。

 今夜も、ヴォルザード最強の社畜はサービス残業中ですね。


「こんばんは、ドノバンさん」

「むっ……何かあったか?」

「予定外の実戦が行われる可能性が高くなりました」

「ふむ、日程や人数は?」

「明後日で、人数は前回よりも多くなりそうです」

「すると、こちらに着くのは三日後の夕方だな?」

「最短だとそうなりますが、前回ほどスムーズに事が運ぶかどうか……」

「そうか、くれぐれも無理して犠牲を出したりするなよ」

「はい、それは充分に気を付けます」

「カルツには……」

「明日、5人に話すついでに僕から知らせておきます」

「そうか、分かった……」


 話を切ったドノバンさんは、渋い笑みを浮かべました。


「あの……なにか?」

「ケント……お前は俺と同じ様な道を辿りそうだな……」

「えっ? そ、それって……」


 ドノバンさんは、僕の問いには答えずに、誰も居ないギルドの職員スペースを見回しました。


「えぇぇ……もしかして、こんな時間まで働く毎日って事ですか?」

「ふん、もうそうなってるだろうが」

「うっ、確かに……でも、同級生の救出が終われば……」

「心配するな、間違いなく次の仕事が転がり込んで来る」

「えぇぇ……そんなぁ」

「どうした、今日はもう帰って休めるのか?」

「うっ、これからラストックに……」

「くっくっくっ……それみろ、働け働け」

「分かりました……失礼します」


 ガセメガネがニート一直線なら、僕は社畜一直線なんですか? なんで異世界はこんなにブラックなんですか。

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