思考を空っぽにするということについての思考

松屋町筋に交差する信号まで、ノンストップで思考を空っぽにしてひたすら坂をくだるだけだった。


信号に引っかかり、歩を止めたところで思考が戻る。


腹が減った気もしたが、それよりも酒が呑みたいほうが勝っているようにおもえた。


春分を既に終え、日没も遅まるこの時期にあってなお、西陽は暮れるまで数時間の猶予があるのだと

わかる高さに、未だ太陽は輝きを失ってはいなかった。



何の気なしに手持ち無沙汰な気がして、左の上着のポケットに手を突っ込むと、

アルミ製のiPhoneに触れ、

取り出して暗証番号をタップしてロックを解除してしまったのが運の尽き、

3回も不在着信があることに気付いてしまう。


不在着信3件の時点で、相手は誰がかおもんばかることもなく察しがつくし、今は話したくもない。


諦めてそっと、iPhoneはポケットへ差し戻したところで、ピッポーッピッポー、歩行者用信号が青に変わり、歩き始める。


ここから先は平坦なので、思考を空っぽにするわけにもいかないのだが、何について思考すればいいのかがわからない。


不在着信の主についてか、あるいは先刻別れたばかりの、あかりについて、

など目下の検討すべき事項が多い気もする。


しかし全く逆の角度からみれば、あまりに少なすぎて、もっと言えば、どうでもいいことすぎて、そんなことくらいしか議題にあがらない自分という男に対しての失望、

あるいは失望の先にある失笑、そんなネガティブなことしか思い浮かばない。


なぜネガティブな思考しか浮かばないかといえば、空腹とアルコール切れが同時多発的にわたしを

襲っているからにちげーねー、っつって、自分のつま先を眺めながら歩を進めるうちに、

靴の先っぽのひび割れ具合が結構酷くなってきたので、そろそろいい加減に新しい靴を購めんければ

という気にもなってくる。


そのときになって初めて、両耳にぶっさしていたAirPodsから、音が奏でられていたのだということに気付く、

チューンは、マルーン5「Memories」


Here’s the ones that we got

Cheers to the wish you were here,but you’re not


ここに集まったみんなに乾杯。

君がここにいてくれたことに乾杯するよ。

今はいないけれど。


客観的に見ればもうわたしは自分のために泣くことでカタルシスを起こすには、あまりにも年を重ねすぎている、

といっても齢を重ねることでひとは誰だって賢くなるんだという特に日本人に多い傾向であるらしい

ステレオタイプな考えにのっとればの話しではあるのだが、

その事実は十二分に認識しているつもりでいるし、何かに涙するという機会がここ数年減ったのも事実だ。


でもこの歌詞に触れるときはいつだって、心の奥底から体が酒をほっしているときだ。


よしっ、と声に出して面をあげて正面を見据えた。


とぼとぼ歩きは止めないまま。

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