夫婦喧嘩は犬も喰わず
わたし自身の両親がどのような恋愛、あるいは出会い方をして、
結婚するに至ったのか詳細を知らないし、触れてはいけないもののような気がして
聞いたことがない。
そもそも生命が誕生する仕組みを知って以降、両親の馴れ初めなど気持ちが悪く
知りたいと思ったこともない。
わたしの両親は喧嘩が絶えず、いわゆるDV夫でもあったのでわたしは父を憎んだ。
喧嘩のたびに「さっさと出てゆけ!」と罵声を浴びせる父、
それに対して何も持たず、家を出てゆく母であったが、数時間もすればしれっと
戻ってくるのであった。
出て行ったときは常々、母がこの暴力から逃れることが出来るなら
そのまま戻ってこなくても良い、わたしは常々、物心がついてからそう願いながら
暮らした。
もっと踏み込めば、なぜ離婚もせずしがみ付いたのか?
それはおそらく察するに、私たち姉弟三人(8つ上の長女、年子の次女、私だ)を
残していくことが出来ない、だからわたしが堪えればよいのだ、という思いが
あったのだろう。
だからこそ、人のことを考え行動することに非情とも言える難しさを感じる。
それがたとえ、親子であったとしてもだ。
今や、シングルマザー、シングルファーザーは、当たり前とまでは言わないが、
さして珍しくもない。
私が小中高を過ごした時代、40人クラスに一人、片親の生徒が居るかどうか
といった時代の背景もあるだろう。
あるいは、女性が一人で子育てをしながらも働くことが出来る環境が今とは
比較にならないほど、整ってもいなかった。
様々な事情はあったにせよ、その暴力から逃げる選択をしなかった母をさえも
恨んだし、憎んだ。
なぜ、自分自身の身を守るということを最優先に考えてくれなかったのか?
日常的に目の当たりにする暴力は、やはり私の心の歪みを形成した要因の
一つであることは間違いない。
暴力の矛先が直接子供へ向く事は無かったが、ほぼ存在を無視されるという
精神の暴力は受けている。
そんな中、19歳で実家を離れて以降、自分の出自を圧倒的なまでに蔑み続けた20代
30を過ぎたあたりからは、さりとてその両親無くして自分の存在は有り得ない事を
再認識すれば、僅かながらも感謝の念はわいて来ても、実家へ足が向くことも殆どなかった。
最後に帰省したのは、いつだったか記憶にも無い。
いずれにせよ何年も会わない時期を経て、親父は死んだのだ。
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