幕間 ある日の輝央②

 陸斗とは教室の扉の前で別れた。僕が教室に入ると、すでに担任の教師が来ていた。

 時計はまだ登校時間の二十分になっていないので、遅刻にはなっていないはず。

 何も言われない事を祈りながら、教室の一番後ろにある席に座る。

 クラスメイト達は思い思いに雑談に興じていたり、読書をしていたりと自由そのものだが、担任がいるせいか、少し空気が固い。僕は中の良い人が陸斗以外にいないから、どうしても一人になってしまう。

 まあ、一人になっている間にできるだけ宿題を終わらせて、家では遊ぶから良いのだけど。時計を確認すると、あと五分もないうちにホームルームが始まるのが分かったので、単語帳をペラペラとめくることにした。



 お昼になった。午前中の授業は二時間目にあった体育を除いて座学ばかりだった。しかも、情報とか保健とかが集まっていたから、午前中はそこまで疲れることは無い。その代わり、午後は三時間通して頭を使う教科が並んでいるけど。

 お弁当を持って陸斗の教室を覗く。

 陸斗はすぐに気がついて、弁当と水筒を手にこっちに来た。

「どこで食べる?」

「輝央の好きな場所で良いよ。まあ、自販機のあたりは遠慮したいけど」

 学内で一か所だけ、外に自販機が密集しているところがあった。その辺りは居心地の良い場所だけど、この時期だと少し毛虫がいるはず。だから、虫嫌いな陸斗が避けるのはわかる。

「じゃあ、エントランスにする?」

「いや、今日はいい天気だから、どうせだし屋上で食べよ。鍵は持っているから」

 特に異論はなかったから、僕はコクンと頷いた。

 この学校の屋上はきちんとした柵が設置されているから、いくつかの部活が活動の拠点にしている。

 陸斗はそのうちの一つに所属しているようで、合鍵を持っていた。もちろん、部活の昼練のためとでも言えば、いつでも職員室から鍵を借りてくることはできる。

 屋上は中央階段を五階まで登ったら行ける。その代わり、行くまでが結構な重労働だったりする。

 その代わり、扉を開けたときの風がものすごく心地良い。

 二人して、屋上の適当なところに座ってお弁当を食べ始める。

 今日はおしゃれに白パンを使ったハンバーガーみたいな物と、サラダにしてみた。ハンバーガーの中身はフワッと焼いたハンバーグにほんの少しの酸っぱいタレをかけたパテ、それに手ごろの大きさのレタスと薄切りトマトを入れた。あとは、隠し味にほんの少しだけ粒マスタードが入っている。

「相変わらずだな」

 ハンバーガーにかぶりついていると、陸斗が笑っていた。

 素材それぞれの味わいがマスタードによってキュッとまとめられているのを感じながらも、なんで陸斗が笑うのか見当もつかずに首を傾げる。

「変な意味じゃなくて、料理作るのがうまいなと思って」

「そおかな?」

 多分、自分が料理を作る事を得意としているのだろうとは思っていた。

 だけど、昔からやっていることの一つだし、凝った料理ができるわけでも無い。何よりも、できることが当たり前だから、他の人たちと比較しようと思ったことがない。

 だから、料理がうまいかどうかがわからない。

「あと、輝央は美味しそうに食べるよなと思って」

 さっきの方がよほど自覚できるなと思ってしまった。自分の食べるときの姿なんて、ほとんどの人が知らないだろうに。

「まあ、俺は母さんが作ってくれる安心安定のお弁当があるから良いけど」

「今度、一緒に作ってみる?」

 なんとなく、口から出た言葉。それに対して陸斗は心底驚いたようだった。

 何で驚いたのか分からずに僕が首を傾げると、陸斗は諦めたかのようにため息をついた。

「まあいいや。それなら、ご好意に甘えさせてもらってもらうことにします」

「うん。分かった。それじゃあ、何を作りたいか決めておいてね」

「うん」

 それから、最近読んだ本や見たアニメの話をしてから解散になった。


 ***


 教室に戻ってから、俺は思わず自分の机に突っ伏した。

「どうしたんだ、津守?」

 クラスメイトの一人が声をかけてきた。名前は……忘れた。

「いや、なんでも無い」

「そっか」

 そう言って、そのクラスメイトはどこかに行ってしまった。

 自分ではなんでも無いと言ったけど、なんでも無い訳がない。

 頬の辺りが少し熱いのが分かる。

 ーーやっぱり、俺は……

 俺は、輝央が好きなのかもしれない。

 そもそも、ブラコンの輝央が俺を恋愛対象としてではなく、仲の良い友達としか見ていないことぐらいは分かる。だから、あんなに軽々と俺を家に呼べるのだろう。

 そんなことは分かってる。

 だけど、片思いとは言えーーそもそも、この感情が本当に恋愛感情なのかも分からずにいる節はあるけどーー好きだと思っている人の家に上がるとか、結構くるものがある。

 常にクールでカッコ良いなんて言われるけど、本当は、ただ感情が外に出にくいだけだし、内心ではものすごく焦っているだけ。それが結局、カッコよく見えるだけなのだろう。

「はぁ……」

 思わず、ため息が出てしまう。

 そのため息が、自分を情けなく思って出たものなのか、輝央の見せる表情ひとつひとつが愛おしく思えたからなのかは、自分でも考えないようにした。


 ***


 陸斗と別れて、一人で帰る。学校を出てすぐのところで、スマホの電源をつける。すると、LINEの通知が二件入っていた。

 一つはharukaさんからだった。そして、もう一つは珍しく母さんからだった。

 harukaさんには申し訳なく思いながら、先に母さんからのメッセージを見る。

 そこには仕事の関係でちょうど八月の一ヶ月間、九州に出張しないといけなくなったことと、父さんも一緒に行くことになっているから、兄さんの家に止めてもらか、一人で家にいるかのどちらかにしてくれということだった。

 どうしようかなと思いながら、ひとまず、harukaさんからのメッセージを見てみる。

 それは、夏休みに、遊びませんかというお誘いだった。

 これを見て、心が決まった。

 八月の間は兄さんの家にいよう。そして、harukaさんとも遊ぼうと。

 それを考えると嬉しくなった。

 名古屋ドームの真向かいにあるイオンで買い出しをしながらも、ずっと何しようかと考えていた。妙に足が軽かったのは気のせいでは無いだろう。手早く終わらせて、真っ直ぐに家に帰る。

 家についてから、人目がないのを良いことに、部屋でぴょんぴょんと跳ね回った。

 それから、母さんとharukaさんに返事を送っていなかったのを思い出して、簡単に返事を打つ。母さんはまだ仕事中なのか、すぐに既読はつかなかったけど、harukaさんの方は送ったらすぐについた。



 夕食の準備ができた頃に母さんは帰ってきた。

「おかえり」

「ただいま、輝央。LINEのメッセージを見たけど、ごめんね」

 何に対して母さんが誤っているのかはすぐに分かった。

「大丈夫。元々、兄さんのところに遊びに行こうと思っていたから」

「そう」

 そう言って、母さんはスーツのジャケットだけ脱いで、そのまま椅子に座った。

「今日はイカ素麺が安かったから、それと魚介でサラダっぽくしてみました。おかずもさっぱりした物中心だよ。ご飯はいる?」

「お願い。にしても、本当にいつもごめんね。友達と遊べないでしょ」

 母さんが心配する気持ちはわかる。

 でも、元から友達が多いわけではなかった。

 だから、対して困らない。強いて言えば陸斗ぐらいだろうけど、陸斗となら、土日に遊ぶだけで十分だと思っている。

 だから、こう答えた。

「そうでもないよ。もちろん、友達はいるけど、料理は好きだし。それに、平日はただでさえ時間がないから、友達と遊んでる暇がないかな」

「そう? それならよ良いけど……」

 まだ、母さんは不安そうな顔をしていた。

「それに、兄さんの出ているアニメ見たりする方が優先度は高いから安心して」

 そういうと、母さんは諦めたように肩を落とした。

「あんたは本当に唯斗のことが好きね」

 なんで諦められているのかは分からなかったけど、とりあえずこう答えた。

「うん」



 夕食も食べ終わって部屋で小説を読んでいると、母さんが部屋に入ってきた。

「輝央、唯斗のところに泊まるなら、伝えておいたら?」

 そう言われて、そう言えばそうだなと思い出した。

「分かった。メッセージを送っとくね」

「うん。お願い」

 そう言って、母さんは出て行った。

 僕もスマホを手に取って、LINEを開く。

 そして、メッセージを打ち込んだ。

『兄さん、夏休みの間、東京に行くから、泊めてくれない?』

 そう打った。

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