第三話 アフレコ現場で雑談を⑥

「それじゃあ、乾杯するぞ〜!沢城さんもグラス持って」

 瑠美が乾杯の音頭をとることになった。瑠美が全員グラスを持ったことを確認してから口を開いた。

「それじゃあ、なんだかよく分からなくなったけど、ひとまず、乾杯!」

「「乾杯」」

 三人で乾杯する。なんとなく、自分っで作った料理が美味しいかどうかを確かめたくなってしまった。そのせいか、先に手が伸びるのは、どれも自分で作った料理ばかりだった。

「それにしても、唯斗って、家事全般上手だよね」

「まあ、これぐらいっできないとやっていられないからね」

「マメだね〜〜」

 三人とも、会派のリズムが早い訳でもない。ものすごく遅いわけでもないけど。だから、食べながらだと余計に会話のテンポがゆっくりになる。

「でも、自分の住んでいる所は綺麗にしていたほうが気持ち良くありませんか?」

「まあね。私も掃除とかはマメにするけど」

「二人ともすごいな〜。あれっですかね。長く売れる声優って自分のことは自分でできる人たちなんですかね」

 瑠美が枝豆を食べながら呟いた。

「ま、まあ、私も掃除はしても、料理はサボっちゃうことが多いから。それに、瑠美ちゃんはまだまだ活躍してるでしょ? だから、そこまで気にしなくても良いと思うよ」

「そうですか?」

 なんとなく、男の自分は的確なアドバイスができないような気がして、一歩下がったところから見てしまっている。

「唯斗はどう思う?」

「ん……?」

 だけど、そんな思考とは裏腹に現実は動いていく。

「だから、長く売れる声優って、自分のことは自分でやるみたいな人たちな気はする?」

 うん。話は聞いていたけど、自分は瑠美と同期だから、どうとも言えないような気がする。

 だけど、ここで何も言わないのは、少し気が引ける。

「まあ、自分のことは自分でするって言うよりも、相手に気を使うことができるし、人当たりが良いから長く売れるんじゃない?家事はそれについてくる付属品みたいな感じだと思う」

「そっか……」

「その点で言えば、瑠美ちゃんは長く売れる声優の条件と一致している気がするけど?」

「そうですかね……」

 歯切れの悪い僕のコメントに沢城さんがフォローを入れてくれた。それでも、まだ瑠美は歩に落ちないところがあるようだった。

「まあ、瑠美ちゃんは付属品がないけど、それも瑠美ちゃんのいいところだと私は思っているよ?」

「ちょっと、沢城さん! ほんの少しでも上げてから落とされると、悲しさ倍増なんですよ!」

「それだけの元気があれば大丈夫でしょ。ね、唯斗くん?」

 沢城さんが僕に同意を求めてきた。もちろん、うなずかない理由はないのでうなずく。

 すると、瑠美が少しむくれてから、背中にあったソファーに身を預けた。

「なんかどうでも良くなりました。私は悩むよりも前に突き進んだほうが似合ってるよね? うん。よーし」

 そう言って、ガバッと起き上がった瑠美はパエリアをガツガツと頬張り始めた。

 その様子を見ながら、僕も沢城さんも他の料理に手をつけ始めた。



 半分近く食べて、なんとなくお腹も膨れてきたところで、開いた皿を下げて味噌汁を飲むことになった。三人とも、お酒はそこまで飲まないせいか、まだ六缶分しか空いていなかった。

「そう言えばさ、唯斗、ラジオの話、結局どうなったの?」

 なんとなく楽しくて忘れていた。

「えっとね、結論から言うと、沢城さんがゲストに来てくれることになりました」

「え? なら、私も行くから場所と日時教えて」

 声はさっきまでとほとんど変わらない。だけど、僕に向けて放たれる圧力がすごかった。そして、若干だが、僕の方に迫ってきている気がしないでもない。

「瑠美ちゃん、まだスケジュールは決まっていないの」

「そうなんですね」

 なんとなく、瑠美のキラキラした目を見ると、目の前にたくさんのどんぐりが置かれたリスを見ているような気分になった。

「瑠美、来る分には構わないけど、ラジオに出るなら事務所に確認はしてね?」

「大丈夫。私は沢城さんが喋っているのをガラス越しに見ているだけだから」

 瑠美の持つ沢城みつき個人への愛を直に見てしまった気がした。



 しじみの味噌汁を片手にパエリアを食べる。これが結構合っていた。

 酒はほとんど進んでいないが、料理のほうはどんどん進んでいく。そして、現場での話やオーデイション情報とかも進む。

 自分で言うのもなんだけど、我ながらうまくできたと思う。そして、作り置き用の少し濃い目の味付けが丁度良いらしく、二人もそれなりに食べていた。

 呑み会が始まってから二時間もすれば、テーブルの上は大体空き始める。空いた皿が適度に溜まったところで洗ってしまう。

 それを繰り返していれば、最後に残ったのは味噌汁のお椀と取り皿、パエリアの入ったフライパン、いくつかのおつまみだけだった。

「さて、これ食べ終わったら私は帰ろうかな。明日も早いし」

「そうですね〜。私も朝から収録が入っているんですよね」

「同じく僕もです」

 三人ともそれなりに活躍しているから、次の日の朝が早いのはお約束みたいになっていた。

「瑠美は神田だっけ?」

 電車がなくなる心配はない。それも、まだ夜の八時を過ぎたところだからだ。ただ、なんとなく話の流れで聞いてしまった。

「それがね、今年引っ越して、今は日比谷駅のあたりに住んでいるんだよね」

 それは初耳だった。何年かに一回引っ越す人や、ずっと同じところに住み続ける人、はたまた、毎年引っ越す人。引越し事情は人それぞれだし、家を買っていない限り、引っ越すのは珍しくもないから驚くことはなかった。

「あ、そうなの?」

「何がですか?」

 僕はなんとも思わなくとも、少しは驚く人もいるみたいだ。なぜか沢城さんが驚いていた。

「あのね、私、今住んでいるのが日比谷の辺りなの」

「え!? 本当ですか!」

「ほんと、ほんと」

 どうやら、沢城さんと最寄駅が一緒みたいだ。特に僕はツッコミを入れようもないからしばらく聞き役に徹することにした。

「私、三河堂書店の東側にあるアーバンハイツに住んでいるんですけど、分かります?」

「え!? 私、日比谷駅にもうちょっと寄ったタイガーズマンションだよ。あの、ベーグルが美味しいパン屋さんの近くの」

「わかります。私も良く買いに行くんで。結構近いですね!」

 無性にパエリアが食べたくなって、多めに取り皿によそう。スプーンいっぱいに持ったパエリアを頬張ると、口の中にエビの風味が広がる。

「ほんとだね!あのさ、あのパン屋さんの惣菜パンって何度も食べたくなるんだよね。瑠美ちゃんはなんの惣菜パンが好き?」

「焼きそばパンとか、私も好きです。私は、あの、グラタンが入っているパイとか好きです」

「あれも美味しいよね」

 なんとなく、疎外感を覚えたような気がした。

 正直、日比谷の方には仕事以外であまり行かないから、マンション名や店の名前を出されてもよく分からない。三河堂書店はなんとなく位置がわかる程度だけど、別の店舗、それこそ神田にある店舗で買うからか、おぼろげにしか覚えていない。

「それじゃあ、今度は私の家でパンパーティーしない?」

「良いですね!唯斗はどう?」

「ん?」

 気持ちよくパエリアを口の中に収めたところだったので、すぐに声が出せなかった。パエリアを味わいたいのは山々だけど、急ぎ目に咀嚼して答える。

「予定が空いていれば大丈夫だよ」

 二人はすぐに手帳やスマホで予定を確認し合って、どこが良いか考え始めていた。

「唯斗くん、来週の水曜日とかどう?私が車で送ってくから」

 来週の水曜日は沢城さんと一緒に出ている『学生作家は忙しい!!』の収録日だった。その後には今のところ仕事は入っていなかったはず。オーディションも、空いている午前中の間に録れば問題ない。

「大丈夫ですよ。今のところは、ですけど」

 声優の仕事は前日、下手したら当日になって話が来ることもある。もちろん、遠方まで行かなきゃいけない仕事はないけど、オーディションやアニメのゲストキャラ、ゲームのキャラなど。それでお金を稼がせてもらっているんだから嬉しいことではある。だけど、なかなか予定を立てられなかったりする。

「それじゃあ、私の部屋に一回来て、そこからパンを買いに行こ!」

「そうね」

「うん。僕もそれで良いかな?」

 まだ呑み会が終わっていないのに次の飲み会の話をしているのが、なんだかおかしく思えてきた。お酒が入っているせいかな?

「とりあえず、目の前に残っている料理たちを食べてしまいましょ」

「そうですね。沢城さん!」

 三人とも、なぜか黙々と食べ始めて、八時半にはもう皿が空いていた。

 誰からともなく、しじみの味噌汁をお代わりし始めたときに、唐突に瑠美が話し始めた。

「そう言えば、来た時から気になっていたんですけど、なんでスペイン料理とイタリア料理と和食が混じっていたんですか?」

 僕と沢城さんは、スペイン料理がどれか分からなかった。それを察したのか、瑠美がフォローを入れた。

「私の記憶が確かならですけど、パエリアってスペインの料理ですよね?」

「え? そうだったの……」

 ほぼ同時に三人とも『パエリアがどこの国の料理か』を調べ始めた。

「ほ、ほんとだ。確かに、パエリアってスペイン料理なのね」

「僕も初めて知った。でも、サイジェラのメニューにはパエリアがあった気がするけど……」

 全国展開しているイタリアンファミリーレストラン、サイジェラ。イタリア料理で固められているはずなのに、なぜスペイン料理が? と思ってしまう。

「そう言えば、あそこにもパエリアがあったよね。私は食べたことないけど、まあ、それなりに近いから良いんじゃない?」

「そう言うものなのかな?」

 僕が首を傾げていると、沢城さんが固まっていることに気がついた。

「沢城さん……?」

「え? あ、うん。そうね。まあ、美味しければなんでも良いんじゃないかって思ったわ」

 ものすごく動揺していたのがよく伝わってきた。

 よっぽど、パエリアがスペイン料理だったことに驚いたのか。それとも、イタリア料理が好きだと言っていた自分が、まさかパエリアがイタリアの料理かどうかを知らなかったなんて、と戸惑っているのか。



「それじゃあ、私たちは帰るわね」

「はい。今日は、なんか付き合ってもらってありがとうございました」

 瑠美は眠くなったのか、沢城さんの背中にピッタリとくっついていた。

「良いのよ。私も久しぶりに瑠美ちゃんと喋ったし、良い気晴らしになったわ」

「そうですか」

「それじゃあ」

 そう言って、沢城さんは瑠美の手を引いて車に乗り込んだ。

 車が見えなくなると、僕は部屋に戻った。

 結局、あれから三十分以上話して、気付いたら九時半になっていた。それなりに距離があるから、この時間に帰らないと、二人が家にたどり着くのは早くても十一時だろう。

 部屋に戻って、見渡すと、どこも綺麗に片付いていた。

「結局、二人にも片付けを手伝わせちゃったな……」

 さっきまでとは打って変わって、誰も言葉を返してくれなかった。

 一人暮らしだからこそ味わう寂しさ。いつもなら、寂しくなって、輝央に電話しているところだろう。

 確かに、今も少しは寂しいと思っている。でも、なぜだか心地よくもある。

 酒が回っているのかなんなのか。

 何はともあれ、明日の朝もラジオがあるから早く寝ないとなと、寝支度を始めた。

 ベッドに身を投げる前に、スマホに連絡が入っていないか確認する。すうと、輝央からLINEが来ていた。

 そうしたんだろうと、トークルームを開く。

『兄さん、夏休みの間、東京に行くから、泊めてくれない?』

 唐突過ぎて、何が始まるのかと思ってしまった。

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