第三話 アフレコ現場で雑談を④

「それじゃあ、行こうか」

「お願いします」

 無事にアフレコも終了し、あとは沢城さんを連れて帰宅するついでにスーパーで買い物するだけだ。

 スタジオを出て、沢城さんの車に向かう。沢城さんの向かった先には赤色の軽自動車が止まっていた。車の近くまで寄ると、沢城さんが振り返って言った。

「唯斗くん、君って車酔いする方?」

「よほど荒い運転じゃなければ大丈夫ですよ」

「それじゃあ、後部座席に座ってもらっても良い?」

「わかりました」

 どうやら、助手席に座るのか後部座席に座るのかを決めたかったみたいだ。車の鍵を開けて、早速車内に入り扉を閉める。

 そうしたら、シートベルトを探し当てて、きちんと締める。

「それじゃあ、動かすね」

 その合図で車が動きだした。

 お昼過ぎの東京はそれなりの人通りと交通量ではあるものの、平日だからか、混雑しているわけではなかった。二人とも、スタジオで簡単にお昼を済ませているから、それほどお腹が空いている訳ではなかった。ただ、演技はそれなりに体力を使う。だから、若干体がだるかった。

 車が走り出してから、既に二十分は経っていた。

 しかし、道路の都合上、最初の目的地であるスーパーまではもう二十分ほどかかりそうだった。

 そんな時に、大きな通りの赤信号に引っかかった。沢城さんは綺麗に車を止めて僕に話しかけてきた。

「にしても、今日のシーンは大変だったね」

「そうですね。僕は戦闘シーンにガッツリ参加している訳じゃなかったですけど、沢城さんはガッツリと絡んでましたもんね」

「そうそう。まあ、私の役がとりあえず戦う役だから仕方ないんだけどね」

 今日のアフレコで収録したのは、同じ作品内では珍しい大人数の登場する戦闘シーンだった。

 僕はメインキャラクターの中で、最も先頭からは縁遠い役をやっていた。だから演技をしても激しいシーンはほとんどなかった。

 唯一激しいシーンをやったのは、何回か前のアフレコの時だった。その時は大魔法を何度も発動しなければならず、音響監督からも『とにかく迫力を持たせてくれ』と言われていた。最後の方は息絶え絶えになっている役に合わせて自分も呼吸を荒くしなければならなかったので、演技もそれに合わせなければならず、大変だったのを覚えている。

「まあ、私よりも大変だったのは神谷さんなのは間違いないけど」

「今日も叫びに叫んでいましたよね」

 主人公役の神谷さんはことあるごとに大声をあげなければならず、ほとんどの話で叫んでいるみたいだった。

「まあ、慣れね。私も最初の頃はしんどかったけど、最近はしんどくなくなったかな」

「そうなんですか?」

「うん。大声が私の声にあっていないから、って言うのもあるにはあるんだけどね。ああ、信号青になった」

 確かに、駆け出した頃に比べれば声の出し方が分かってきた節はある。雄叫びだって、本当に大声を出さなくても、それっぽく聞けせることはできる。息遣いや声に籠もった感情が伝えてくれる。

 だけど、どうしても、自分にはそう言った技術がない。単純に『声が役にあっているから』と言う理由だけで選ばれている気がする。

「まあ、そういうのは性に合っている人にやらせれば良いの。それよりも、唯斗くんは自分の声を磨きなさい。きっと、もっと魅力的になるのは間違いないから」

 そう言っている沢城さんは嬉しそうに見えるのだろう。

「良い?私は自分の声を磨いて、その上で需要があるから生き残れている。けどね、女性声優ってただでさえ賞味期限みたいなものが短いの」

 だけど、僕にはどうしても、悲しい顔をしているようにしか見えなかった。

「今一線で活躍している女性声優の中で若手じゃない人たちは、みんな自分にしか出せない声があるから生き残れているの。可愛くて女の子っぽい声が出せるだけで長く生き残れる人なんていないの。大体が食べていくだけで必死になるかアーティスト活動に変更しちゃう」

 僕はただ、沢城さんの言葉を聞いているしかなかった。

「その点、男の子な唯斗くんは賞味期限が長いんだから。だから、ゆっくりでも良いから自分の声を磨きなさい。それで、どんなに苦しくても自分の声に自信を持った声優でありなさい。それが声優の世界で生き残る手段なんだから」

 沢城さんは優しげな声で言った。多分、自分は励まされているのだろう。

 ……いや、ただの励ましだけじゃない。

 同時に、『こんなところでへばっちゃダメ』と怒られているのだろう。

「そうですね。僕がこのまま止まっていたら、動くものも動きませんよね」

 昔、何かの声優雑誌で、『声優の世界は一瞬で自分がどこにいるのか分からなくなる様な海と同じだ』と書かれていたのを見た気がする。要は、声優の世界は自ら動こうとせずに流れに身を任せているだけでは、生きていけないような厳しい世界だ。そういうことを言いたかったのだろう。

 それにはこんな続きがあった。

『だからこそ、自分という船の舵をきちんと切らないといけない。暗礁に乗りかけても、最後の最後で助かれば良い。そうでも思っていないと、この業界では食べていけない』

 誰の言っていた言葉なのか覚えていない。もしかしたら、どこかの現場で会っているかもしれない。

 でも、誰が言っていようと真実なのは変わりない。どんな世界でも、一番最初の頃に使っていた技術が、数年後、数十年後、そこまで通用する保証なんてない。

 だからこそ、新しい技術、自分にしかできないこと、そう言ったものを作らないと生き残れるわけがない。

 これがただの会社なら通用するかもしれないけど、自分がいるのは声優の世界だ。声でお芝居をするプロの集団だ。

「沢城さん、ありがとうございます。ちょっと元気が出てきました」

「そう。それなら良かった。まあ、疲れているのは分かっていたから。もうちょっとだけ体力つけなきゃね」

 沢城さんはそう言って微笑みかけてくれた。

 沢城さんはいつから僕が疲れていることに気がついていたのだろう。

 それだけが頭に引っ掛かったままだった。


 最初の目的地であるスーパーに着くと、僕たちはまず、野菜売り場で野菜を買い始めた。そこで、僕がじゃがいもをカゴに入れると、沢城さんが不思議そうに聞いてきた。

「唯斗くん、じゃがいもって旬なの?」

 そう思えるのも仕方ないかもしれない。

 じゃがいもの一般的なイメージは冬野菜だろう。

 だけど、新ジャガが出回るのは五月から六月にかけて。だから、一年の中でより美味しいじゃがいもが食べられるのは、今の時期だったりする。

 沢城さんに似たようなことを話す。どうやら、沢城さんは初めて聞いたみたいだった。

「まあ、新ジャガが出回ることは知っていても、どの時期に出回るかなんてあまり気にしませんもんね」

「そうね。私、玉ねぎが好きだから、新タマの時期ならわかるんだけどな〜」

「そうだ。今日はジャガイモと玉ねぎを入れたオムレツにしようと思っているので、玉ねぎを選んできてもらえますか?」

「分かった。その間、唯斗くんはどこらへんにいる?」

「僕は先にお酒を買っておきます。それが終われば、カルパッチョ用の魚介を探しに行きますけど」

 家に飲料としての酒を常備していないから、宅呑みの時にはその都度酒を購入しなきゃならない。常備してあるのは料理用の料理酒ぐらいだろう。まあ、製造過程はほとんど同じだから、みりんもお酒の仲間に入るのかな?

「分かった。それじゃあ、三個ぐらい見繕っておけば良い?」

「お願いします」

 そう言って、沢城さんは玉ねぎが盛られている箱の方に行った。

 今日は金曜日と言うわけでもない。それに、いつものことながら、明日もラジオがあるので度数が高いお酒は進んで選べない。

「だから、ノンアルコールのものになるんだよね……」

 甘いものから甘くないものまで満遍なく見繕う。それらをカゴに入れれば、片腕だけでは支えられないほどの重さになっていた。

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