第三話 アフレコ現場で雑談を②

 朝、ラジオの放送を終わらせてから、事務所に一回寄った。今日は午前中に一本アニメの収録があって、あとは家に帰るだけだった。

 ーー今日は何を作り置きにしようかな。

 そんなことを考える。

 きんぴらゴボウやカボチャの煮付け。この辺りは日持ちするから、作り置きには持ってこいだ。旬の野菜という意味では、さやえんどうや竹の子を使った筑前煮、ふきとうの胡麻和えなんかも良い。後は玉ねぎなんかも旬だったりする。同じく旬のジャガイモと一緒にオムレツにしても日持ちする。

 後はスーパーでどの野菜が安く、そして大量に手に入るかで決めれば良い。

 そんなことを考えている間に、事務所に着く。

 と、ちょうど事務所にいた瑠美こと、浅海あさかい瑠美に会った。彼女もちょうど現場に向かう前らしく、マネージャーと会話していた。瑠美は僕に気が付くと手を振って、マネージャーに断りを入れてからガラス張りの小部屋を出てきた。

「瑠美、おはよ」

「あ、唯斗だ!おはよう!今朝もラジオやってきたの?」

「うん。まあ、忙しくさせてもらっている間にできるだけお金は稼ぎたいしね」

 そういうと、「ほんと、それは切実に思うよ〜」と、少しおちゃらけた感じで答えた。

 瑠美は同期で同じ事務所に所属している声優の中では、ムードメーカーみたいな役割をしていた。

「それで、瑠美は今日の午後空いてる?」

「う〜ん。まあ、六時からなら空いてるよ。どうしたの?唯斗が私に声をかけるなんて」

 確かに、飲みに誘われたら、何も用事がなければ付いて行くけど、自分からは誘ったことがない。

 朝早くから仕事をしなきゃいけないから。

 それが理由で、飲みの席でも早めに家に帰らせてもらっている。

「ちょっとね。今日は飲みたい気分だから」

 僕の仕事のスケジュールを知っているからこそだろう。瑠美が分かり易く驚愕していた。瑠美は顔にも現れるけど、体にも現れやすいのか、座っていた椅子を倒して立ち上がった。

「え?ちょっと待って。もしかして、今日のラジオでやらかしちゃった?それとも、なんか問題でもあるの?」

「いや……そういうことではないんだけどさ、なんとなくほろ酔いぐらいになりたくて。瑠美がいれば少しは気が晴れるかなって思ったんだけど」

 それを聞くと、とりあえず問題がないことが分かってほっとしたのか、瑠美は衝動で立ち上がったときに倒してしまった椅子を直して座った。

「あ、うん。まあ、私は飲めるなら良いけど。で、でも、本当にトラブルに巻き込まれている訳じゃないんだよね?」

「うん。そこは安心して。それじゃあ、後で住所送るから、仕事終わったら来てね」

「分かった」

 後で、瑠美のLINEに住所送らないとな。そんなことを思いながら、小部屋に戻る同期の背中を見送って、自分も担当のマネージャーの元へと向かった。


 マネージャーに会うと、今日の仕事の確認をして、オーディションの予定とかを聞いていた。

 それも終わってしまえば、特にやることもなくなった。

 集合時間にはまだ早い。かと言ってすることもないので収録が行われるスタジオに向かう。

 スタジオでは、音響監督さんやスタッフさんがいそいそと準備をしていた。アフレコブースに入ると、僕よりも先に神谷浩さんがいた。

「おはようございます」

 挨拶をすると、台本に目を通していた神谷さんが顔を上げて挨拶を返してくれた。

「今日もラジオやってきたの?」

「はい。帯番組にまで成長したので、頑張らないと、と思いながらやってます」

「ご苦労様。あ、そうそう。ちょっとまってね……」

 そう言って、神谷さんはカバンの中をゴソゴソと探り始めた。

「あ、これこれ。よかったら食べて」

 手渡されたのはビニール袋に入ったリンゴだった。

「えーっと、ありがたく頂戴しますけど、どうしたんですか?」

「あのねー、実家から大量のリンゴが届いたんだけど、一日に何個も食べたいと思わないし、いろんな若手に配ってるんだ」

「そう何ですね」

 袋の中には三つも入っていた。どれも赤々としていて美味しそうだった。

「それじゃあ、アップルパイにでもしていただきます」

「うん。どーぞ」


 それから、自分も台本の確認をする。どこが言いにくかったかを確認しながら、どんな場面かも思い出す。

 そうこうしている間に、他の声優の方も来始めた。

 今から収録するアニメは小説原作のアニメだった。原作は『学生作家は忙しい』と同じ角川つのかわ出版社、その中の角川つのかわホラー文庫から出ている『数多あまたの階層で』だ。ちなみに原作者は同じだったりする。

 ただ、『学生作家は忙しい』の方は共演回数の多い声優さん達ばかりだけど、こっちはあまり共演したことのない人たちが多い現場だから、なんとなく声をかけづらい。

 唯一というか、何度も共演しているのは神谷さんと沢城みつきさんの二人だけだ。ちなみに、この二人も『学生作家は忙しい』に出ている。

「おはようございまーす」

 気まずそうにしているところに、見知った声を聞いて、バッと顔をあげた。

「沢城さん、おはようございます」

「おはよう、唯斗くん!」

「おお、みつきか。おはよう」

「あ、神谷さんですか。おはようございます。あと、長い付き合いですけど、下の名前を呼び捨てにされるのはちょっと……」

 沢城さんは僕なんかよりも圧倒的に長く声優の仕事をしている。だから、いろんな声優を知っているし、人当たりの良さからか人脈も多い。

「え、でも、杉原くんとかは呼び捨てにしてたよ」

「あの人は諦めてます。なんで、神谷さんは私から信頼を奪わないでください」

「おお。分かった」

 なんとなく、不穏なことを聞いた気がするけど、気に留めないでおこう。こういうことに関わると面倒だ。

 そんなことを思っていると、沢城さんがちょうどよく空いている僕の隣に座った。

「よっと……ふー」

「沢城さんの声、良いよな」と思いながら台本を見る。

「あ、そうそう」

 何かあったのかなと思いながら台本を見続けていると、沢城さんが僕の方に手を置いた。

「えーっと、何かありました?」

「唯斗くん、私が唯斗くんのラジオにお邪魔しても良い?」

 一瞬、沢城さんが何を言っているのかが分からなくて、何かあったかなと、記憶を探る。

 ーーそういえば、今朝のラジオで、ゲストに来て欲しい、みたいなことを言っていたな……。

 それを思い出して、沢城さんが何を言おうとしているかを悟った。

「えーっと、事務所から許可出てるんですよね……?」

「あーー……あはは」

 この反応はマネージャーとかに相談していないな。

「まあ、明日じゃなくても、事務所と相談して、日程は決めるから。で、私はゲストとして遊びに行っても良いの?」

「そういうことなら。僕としても、よく知っている沢城さんにゲストとして来てもらえるのは非常にありがたいですけど……」

「そう!それじゃあ、決まりね。後で事務所に聞いてみるから」

 声優は事務所に所属しているタレントとして活動している人がほとんどだ。もちろん、フリーとして、どこの事務所にも所属していない人もいるけれど、それは本当にごく一部だ。

 その関係で、事務所に相談もなく仕事を取り付けることは暗黙の了解で禁止になっている。もちろん、声優事務所に所属しながらも、自分の活動をしている人はいるから、契約によって違っているのだろう。

 自分は事務所を通して以外に『声優の茜音唯斗』としての仕事は受けない。そういう契約になっている。

「わかりました。でも、朝結構早いですけど、大丈夫ですか?」

「まあ、そこはなんとかするわ」

「わかりました」

 ちょうどその時、監督がブースに入ってきた。だから、会話はそこまでになった。

 ーーさて、僕もお仕事モードに切り替えよ

 そう思って、自分に気合を入れる。

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